喫茶店『Mute』へ
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あれから数日が過ぎていた。
《続く》
その日、テニス部の練習が終わって、校門から出たところで、俺は呼び止められた。
「公くん……」
「詩織?」
俺を待っていたのは、詩織だった。
何だか、久しぶりに会ったような気がするのは、いろんな事がありすぎたせいだろうか?
詩織は微笑を浮かべて言った。
「ねぇ、一緒に帰らない?」
「そうだな……」
確か、今日は古式さんは先に帰っちゃってたな。
「いいよ」
「そう、よかった。じゃ、帰りましょう」
そう言うと、詩織は先に立って歩き始めた。
その手提げ鞄からフルートのケースがのぞいているのに気づいて、俺は尋ねた。
「最近、フルートはどう?」
「そうね、前よりは巧くなったわよ。また、聞かせてあげるね」
「是非に」
そう言って、俺達は顔を見合わせて笑い出した。
あ、今何だかものすごく懐かしいような、気がした。
詩織も同じ事を感じたのか、妙に切なそうな表情を見せた。
「いつからかな。私たちが距離を置くようになっちゃったの」
「え?」
「小さい頃は、なんでも一緒に笑いあってたのにね」
「……そうだな」
俺は、鞄を背中にかつぐようにしながら、夕焼け空を見上げた。
「いつまでも、小さいままじゃいられないって事だよな」
「そう……よね」
詩織は何か小声で呟いた。でも、それは俺には聞き取れなかった。
「え? なんて言ったの?」
「ううん……なんでも、なんでもないの」
「?」
最近、詩織ってちょっと変だよな。何かあったのかな?
俺は聞いてみることにした。
「詩織、最近何だか悩んでるみたいだけど……」
「えっ!?」
詩織はいきなり立ち止まると振り返った。
そんなに驚くことかな?
「あのさ、俺じゃ頼りになんかならないかもしれないけどさ、出来ることがあったら力になるからさ」
「……」
俺は驚いた。
詩織の両目に、みるみる涙が盛り上がってきた。そして、つうっと頬を伝って流れ落ちる。
「し、詩織?」
「公くん……」
ストッ
詩織は、手にしていた鞄をその場に落とした。そのまま俺にすがりついてくる。
え? どういうことなんだ、詩織?
「お願い。しばらく、このままで……、このままでいさせて」
「あ、ああ」
突き放すこともできずに、俺はそのままの姿勢で硬直していた。
詩織は俺から離れると、ハンカチで涙を拭った。
「もう……、もう大丈夫。ごめんね、へんなことしちゃって」
「ああ。さすがの俺もびびったぜ」
「ごめんね、ほんとに」
「もういいってば」
俺は詩織の背中をポンと叩いた。
昔っからの、俺の癖だ。「これで、この話は打ち切り」という意味。
詩織は、もちろんそれがわかってる。にこっと笑うと、言った。
「ねぇ、帰る前に公園に寄っていかない?」
「ああ、いいよ」
おれはうなずいた。
相変わらず、誰もいない近所の公園に来ると、詩織はベンチに座った。そしてフルートをケースから出すと、そっと唇を当てる。
そこから流れ出すメロディを聞いて、俺は首を傾げた。
よく詩織の部屋から流れてきたメロディとは違う、初めて聞く旋律だった。
甘く、もの悲しいメロディ……。
どれくらい時間が流れただろうか。
俺は詩織のフルートを聞きながら、時間をすっかり忘れてしまっていた。詩織の演奏が終わって、初めて辺りが暗くなっているのに気づいたくらいだから。
詩織は、ちょっと顔を赤らめて俺に尋ねた。
「どうだった?」
「巧いよ、さすが詩織」
「うふっ。そう言ってもらえると嬉しいな」
彼女は微笑んだ。俺は聞いてみた。
「ところでさ、その曲は? 俺初めて聞いたような気がしたんだけど……」
「あ、アドリブなの」
恥ずかしげに言うと、詩織は立ち上がった。
「もう、帰りましょう」
「そうだね」
俺もうなずいて立ち上がった。
家の前まで来て、詩織は不意に口を開いた。
「あのね、私ね、公くんのこと、ずっとただの幼なじみだって思ってた。ううん。思いこもうとしてたんだ」
「?」
俺は、詩織が何を言おうとしているのか、さっぱりわからなかった。
そんな俺に、詩織は言った。
「でもね、私、自分に嘘をつくのはやめることにしたの。だから、言うね」
「へ?」
「私、もう、ただの幼なじみじゃ嫌なの。公くんの「特別」になりたいな」
「……」
「じゃ、また明日ね」
そう言って、詩織は身を翻した。髪の毛が俺をかすめ、花の香りを残した。
俺は、たっぷり十分はそこで固まっていた。