喫茶店『Mute』へ
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俺と茜は、並んで商店街を歩いていた。
To be continued...
「それにしても、柚木の奴、何を言ったんだよ?」
俺は、視線をあさっての方に向けながら、何気なしに尋ねた。
「……」
少し黙って、それから茜はぽそっと言った。
「浩平が好きだ、と」
「……はい?」
思わず立ち止まる俺。
茜も立ち止まった。そして、俺をまっすぐに見つめる。
「そう言ってました」
柚木が、俺を好きだって?
「それって、友達として、って意味だろ?」
「それなら、私は悩んだりしません」
そう言ってから、茜は歩き出した。
俺はその後を追いかけて、並んだ。
「でも、俺と茜が付き合ってることは、柚木だってとっくに知ってるじゃないか」
「……詩子は、正直ですから」
茜は呟いた。
確かに、正直というか、自分に素直な奴だからなぁ。
……って言えるほど、柚木のことはよく知らないけど。でも、あいつを見てるとそう思う。
「なぁ、茜……」
「……はい」
「柚木のこと、教えてくれないか?」
「……」
少し考えて、茜は頷いた。
「詩子と初めて逢ったのは、小学生の頃でした」
喫茶店で、向かい合って座ると、茜はゆっくりと話し始めた。
「たぶん、同じ班になったのがきっかけだったと思います。詩子と私と……、もう一人と」
一瞬言葉が途切れた。
茜を置いて“えいえんのせかい”に行ってしまった、茜の幼なじみ。そして、それを待ち続けた茜。
でも、今はもう、茜がピンクの傘を広げてたたずむことはない。
「詩子は、あの頃からあんな感じでした。私も彼も、ずっと詩子に振り回されっぱなしで、でもそんな詩子が、私は好きでした」
そう言ったとき、店員がパフェを運んできた。
茜はパフェをスプーンですくって、口に運ぶと、言葉を続けた。
「詩子がいなかったら、私は今ここにこうしていることも、なかったかもしれません」
「茜……」
「詩子だけが、私をこの世界につなぎ止めておいてくれた、絆だったんです。もし詩子がいなかったら、私もここにはいなかったかもしれません」
“えいえんのせかい”に、茜も行ってしまっていたかもしれないってことか……。
もし、茜が“えいえんのせかい”に行ってしまっていれば、当然俺と出会う事もなかったわけで、そうなると俺をこの世界に呼び戻してくれる存在はいなかったのかもしれず……。
なんてこった。柚木が俺を助けたようなものだったのか……。
「いつも、他人の迷惑なんて考えずに、マイペースで自分勝手でわがままで、自分がしたいようにする。それが詩子でした……」
茜はそう言うと、彼女にしては珍しく、くすっと笑った。
「浩平に、似てますね」
「やめてくれよ」
俺は苦笑した。
茜は、視線をパフェに落とした。
「浩平が来るまで、あの空き地で私と話したことがあるのは、詩子だけでしたから……」
ザァーッ
鉛色の空から落ちてきた銀色の糸が、地面に突き刺さる。
薄暗い中にひとつポツンと、ピンク色の傘が開いている。
茜は、ただ待ち続ける。
おそらくは帰ってこない。それが判っていながら……。
「茜……」
自分を呼ぶ声に、顔をあげると、そこには黄色い傘を広げた少女がいた。
「詩子……」
冷え切った唇が、その少女の名前を呼ぶ。
「もう、帰ろう」
「……はい」
なぜ、茜がここに佇むのか。彼の事を忘れ去った詩子には、わからない。
でも、詩子は、茜の行動を止めようとはしなかった。
一度だけ、詩子は茜に尋ねたことがある。なぜ、雨の日になると、この空き地に佇むのか、と。
茜は、答えなかった。詩子も、それ以上は訊ねようとしなかった。
ただ、それ以来、詩子は茜をここに迎えに来るようになった。
それはまるで、詩子が茜を非日常から日常に連れ戻す役目を負ったようだった。
「ほらほら、こんなに濡れちゃってるじゃない」
「……はい」
「そうだ! 駅前のたいやき屋で暖かいたいやき買おっ? ね?」
「……はい」
「よっし、決まりっ! あははっ」
「それから時がたって……、高校が別々になって、詩子が迎えに来ることもなくなりました……。そして、浩平、あなたが現れた……」
「そうか……」
俺は、何となく、大きなガラス越しに、通りを行き交う人の群れを眺めていた。
「浩平」
茜は、顔をあげた。何時の間に食べたのか、パフェの入っていたグラスは空になっている。
「詩子には、幸せになって欲しいんです。でも……浩平は……」
その頬を、涙が流れ落ちた。
「浩平だけは……、詩子には渡せません」
「ああ」
俺は、そっと手を伸ばして、茜の頬の涙を拭った。
「大丈夫。俺は、茜が好きだから」
「……浩平」
茜は、微笑んだ。
「ありがとう」
カチャ
ドアを開けると、俺はため息を付きながら靴を脱いだ。そして、そのまま自分の部屋に入ると、ベッドにばたりと倒れ込んだ。
柚木の奴……。何でまた俺なんて……。
それにしても……。
「本当に、柚木は俺の事が好きなのか……?」
「えっ? 柚木さんって、浩平のことが好きなの?」
「ああ、茜がそう言って……。え?」
思わず俺は身体を起こした。そして、声の方を振り返る。
だよもん星人が、カーテンを掴んでいた。
「な、長森っ? なんでお前がこんな所にいるんだっ!?」
「カーテン直してるんだよっ。浩平、接着剤でひっつけちゃうんだもん」
口を尖らす長森。そういえば、昨日そんなことをしたような……。
「で、今の話、本当?」
「カーテンは直ったのか?」
「うん。ほらほら」
嬉しそうにカーテンを開け閉めしてみせると、長森は真顔になった。
「浩平、まさか里村さんと柚木さんに二股かけようなんて思ってないよね?」
「バカ。そんなことするわけねぇだろ?」
「それじゃ、里村さんから柚木さんに乗り換えるの?」
「なんだよ、それ? 人聞きの悪い。俺は茜一筋だ」
俺がそう言うと、長森は俺に背中を向けて、窓の方を見た。
「そうだよね……。だったら、はっきりと柚木さんに言わないとダメだよ」
「ああ、そのつもりだ」
頷くと、俺はベッドに横になった。
「それにしても、柚木の奴、どういうつもりだ? 茜が俺と付き合ってることくらい知ってるだろうに……」
「……好きになっちゃったら、止められなくなっちゃうんだよ」
窓の方を見たまま、長森は言った。
「そういうもんか?」
「……うん」
長森は、振り返った。
「そういうものなんだよ。だって……、わたしも判るもん」
「長森が?」
「だって、わたし……。ううん、ごめんね。わたし、帰るから……」
ふぅっと息を吐くと、長森はそのまま俺の部屋を出ていった。ややあって、玄関の閉まる音がする。
「長森……」
俺は、さっきまで長森が立っていた窓の方を見た。
トルルルル、トルルルル、トルルル……
「はい、里村です」
「あ、すみません。折原という者ですが、茜さんはご在宅でしょうか?」
俺が受話器に向かって言うと、受話器の向こうからくすくすという笑い声が聞こえてきた。
「私、茜です」
「なんだ、茜か」
「はい」
俺がかしこまった言葉を使ったのがよほどおかしかったのか、もうひとしきりくすくす笑ってから、茜は訊ねた。
「どうかしたんですか?」
「茜、柚木の電話番号、教えてくれ」
「……詩子の、ですか?」
「ああ」
俺は、頷いた。
「柚木に直接言うつもりだ。付き合うつもりはないって」
「……わかりました」
茜は、そらで覚えているらしく、柚木の電話番号をそのまま告げた。俺はその番号をメモすると、礼を言って電話を切ろうとした。
「浩平……」
茜の声が、それを止めた。
「ん? どうした?」
「……私、もう詩子の友達では、いられないのかもしれません……。さっき、浩平が詩子に付き合うつもりはないって言ってくれたとき、嬉しかったんです。……詩子は悲しむのに、私は嬉しかった……」
「茜……」
俺は、何と言っていいのかわからなかった。
「……ごめん、茜」
「浩平が謝ること、ないです。……ごめんなさい。おやすみなさい」
プツッ
電話が切れた。
ため息を一つ付くと、俺は茜に教わった電話番号を押した。
ピッ、ポッ、ピッ、ピッ、パッ
トルルル、トルルル、トルルル……
「はい、柚木です」
ドキッ、と心臓が一つ大きく鳴った。
俺は、努めて平静な声を出そうとした。
「あ、あの……、折原浩平と申しますが……」
「あ……」
受話器の向こうで、微かに息を飲む気配がした。
間違いない。受話器を取ったのは、柚木自身だ。
「もしもし、柚木だろ?」
「……う、うん……そうだけど……。どうして、折原くんが……。うちの番号知ってたの……?」
「茜に、聞いた……」
「そっか……。茜に聞いたって事は、……もう全部知ってるんだ……」
「……ああ」
俺は、喉がカラカラに乾いているのを感じていた。
その喉を無理矢理剥がすように、声を絞り出した。
「お前、本気なのか……? いつもみたいにふざけてたんだろ?」
ほんの一瞬、俺は望みをつなぐように訊ねた。
そうだ、と柚木が言えば、俺達は今までの関係を保っていられる。茜が悲しみに沈むことも無くて済むんだ。
頼む、柚木……。
だが、柚木は、静かに答えた。
「本気よ。……私、あなたが、浩平君が、……好きなの」
「柚木……。俺は……だめだよ。俺には、茜が……」
「判ってる……」
受話器の向こうで、柚木はそう言った。
「茜があなたのことを愛してるのは判ってる。あなたが茜のことを……、それもわかってるの。でも、でも、私……」
「柚木!」
俺は、強い口調で柚木の言葉を遮った。
「……折原くん……?」
「……ごめん」
そう言うと、少し間をおいて、柚木の声が聞こえた。
「……そっかぁ。残念」
「え?」
「やっぱり、折原くんと茜の間には、割り込めない、かぁ……。折原くん」
「何?」
「茜、いい娘だからね。このしいこさんを振ってまで選んだんだからね、大事にしなくちゃだめだよ」
「……判ってるよ。茜のことは、俺に任せとけって」
「ホントに、だめだからね。大事に……しなくちゃ……」
何時しか、嗚咽混じりになった柚木の声を、俺は黙って聞いていた……。