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その日は久しぶりに雪が積もった。
To be continued...
新雪を踏みしめるようにして歩く。
雪の日は、どうしてこんなに静かなんだろう。
そう思いながら、『川名』の表札にもうっすらと積もった雪を手で払い、チャイムを押す。
「はい。あら、雪ちゃんじゃない」
「おはようございます」
頭を下げると、おばさんは笑いながら頭を下げ返してきた。
「今年はお世話になりました。来年もよろしくして下さるかしら?」
「もちろんです。あ、これは母からです」
おばさんに石鹸の詰め合わせの箱を渡して、訊ねる。
「みさきは部屋ですか?」
「ええ。みさき〜、雪ちゃんが来てくれたわよ〜」
奧に向かって声を掛けると、みさきの部屋のドアが開く。
「あ、雪ちゃん来てくれたの?」
「ええ。みさきが退屈してると思ったから」
「おみやげは?」
「こら、みさき。なんですか?」
「いいんですよ。みさきがそう言うと思ったから、買ってきたわよ。山葉堂のワッフル」
今日は大晦日である。
いつからだっただろう。大晦日にこうしてみさきの家に来て、年を越すまで一緒にいるようになったのは。
「うん、甘くておいしいね」
ワッフルを頬張るみさきに苦笑して、私はこたつの中で足を伸ばす。
ここに来るまで、ブーツの皮越しに雪で冷やされた足には心地よい暖かさ。
「そんなに急いで食べると、すぐに無くなっちゃうわよ」
「でも、おいしいんだもの」
「しょうがないんだから……」
苦笑して、私はみかんを手に取る。
みさきは、不意に窓の外の方に顔を向けた。
「……雪ちゃん、今日は雪?」
「えっ? あ、ああ。うん、そうよ」
一瞬、自分のことかと思ったけれど、すぐに外のことと判って、私は頷いた。
「久しぶりに積もってるわよ」
「へぇ……」
みさきは、少し考えると、こたつから出て立ち上がった。
「雪ちゃん、行こっ!」
「え?」
「学校だよ」
そう言うと、みさきはいそいそと着ていた半纏を脱ぎ捨てる。
「ちょ、ちょっと、なんでいきなり……」
「だって、雪が積もってるんでしょ? 遊ばないともったいないよ」
そう言って、ハンガーからジャケットを取って羽織ると、ドアを開けるみさき。
私はため息をついた。
「わかったわよ。私も行くから、ちょっと待ちなさいよ」
「うん。急いでね」
笑顔でみさきは頷いた。
校門は開いていた。
学校は休みのはずなのに、と思ったけれど、すぐにその原因はわかった。
校庭では小学生達が、思い思いに雪合戦したり、雪だるまを作ったりして遊んでいたのだ。
どうやら、そのために今日は特別に校庭を解放したらしい。
みさきは、校門をくぐるとすぐに屈み込んで、雪を手ですくっていた。
「わっ、冷たいね」
「雪が暖かかったら不気味よ」
「もう、雪ちゃん情緒がないよ〜」
そう言うと、みさきはすくった雪を丸め始めた。
「ちょっと、何するの?」
「雪合戦しようと思って」
「あのね。私とあなたの2人でどうやって雪合戦するのよ」
「うーん、それもそうだね。それじゃ、雪だるま作ろうよ」
そう言って、みさきは雪を集め始めた。
こんな遊びが出来るのも、もう最後かもしれない。
「……そうね」
私は頷いて、みさきに手を貸そうと屈み込んだ。
「あれ? みさき先輩に部長じゃないか」
心臓がドキッと跳ねた。
顔を上げると、折原くんが不思議そうに私たちを見ていた。
「その声は、浩平くんだね」
みさきが顔を上げて、折原くんの方を向く。
「私たちは、雪遊びをしに来たんだよ。ね、雪ちゃん」
「私はみさきに付き合ってあげてるだけよ」
「わっ、ひどいよ雪ちゃん。それじゃ私が無理矢理連れだしたみたいじゃない」
「違ったのかしら?」
「うう〜っ。あ、それで、浩平くんはどうして?」
反論できなくなったみさきが、折原くんに話を振る。折原くんは肩をすくめた。
「いや、暇だったから、ぶらぶらしてた」
「そっか。それじゃ、一緒に遊ばない? ちょうど雪だるまを作ろうとしてたんだよ」
「へぇ。よし、それじゃ全長50メートルはあるやつを作ろう」
「浩平くん、それじゃ大きすぎるよ」
笑うみさきの横にしゃがむ折原くん。
「それで、これが胴体か?」
「うん、その予定だよ」
「随分小さな胴体だな」
「これから大きくするんだよ」
あのクリスマスの時のことなんて忘れたように、他愛のない会話を交わす2人。
でも、みさきの秘めている想いを知ってしまっている私は、そんな2人を見るのが辛かった。
「……雪ちゃん?」
「えっ? な、何?」
「どうしたの? なんだかぼーっとしてたみたいだけど。疲れちゃった?」
「そ、そんなことないわよ」
私はそう言うと、屈み込んだ。
「それじゃ、私が頭を作るから、2人は胴体をよろしくね」
ひとときだけでも、全てを忘れて、子供のように無邪気に戯れることが出来るなら。
みさきがそれでいいのなら。
私は、雪に感謝しよう。
「よし、出来たぞ」
最後に頭を乗せて、雪だるまが完成したのは、もうそろそろお昼過ぎという頃だった。
「わーい」
ぱちぱちと手を叩くみさき。
「それで、どれくらいの大きさになったの? 全長50メートルになった?」
「さすがにそれはちょっと無理だった」
「……莫迦ね」
高さ50センチくらいの雪だるま。顔もないけれど、それはまぎれもなく、私たちの作ったものだった。
「さて、それじゃそろそろ帰るよ」
折原くんがそう言うと、みさきは残念そうに俯いた。
「そう……。残念だけど、仕方ないよね」
「それじゃ、また。次は来年だな」
「……そうね」
私は頷いた。
「それじゃ、浩平くん。良いお年を」
みさきが笑顔で言うと、浩平くんは「ああ」と頷いて、走って行ってしまった。
その足音が聞こえなくなってから、しばらくして、みさきは振り返った。
「雪ちゃん。私……笑えてたかな?」
みさき……。
私は、無言でみさきを抱きしめた。
「ひゃっ、雪ちゃん?」
「……みさき、偉いよ……」
気の利いたセリフが思いつかず、私はそう呟くのが精一杯だった。
みさきの家に戻ってくると、おばさんが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。お汁粉、暖めて置いたわよ」
「わーい、お汁粉っ! お汁粉っ!」
さっきまでの感傷はどこへやら、嬉しそうなみさきを見て、私も苦笑した。
「あ、それから、雪ちゃんにお客さまよ」
「えっ?」
私に?
私の表情を読み取って、おばさんは頷いた。
「ええ。最初は雪ちゃんの家に行って、そこでこっちに来てるって聞いたんですって。客間で待っててもらってるわよ」
「すみません」
演劇部の誰かかしら?
私は首を傾げながら、客間のドアを開けた。
ソファに借りてきた猫のようにかしこまっていた少女が、私をみて慌てて頭を下げた。
「あっ、深山先輩。すみません」
「あなた、確か……長森さん」
「はい」
もう一度頭を下げると、長森さんは言葉を継いだ。
「その、やっぱり迷惑でしたよね。ごめんなさい、すぐに帰りますから……」
「いいのよ。それより、どうしたの? 私に何の用なのかしら?」
「ええ。浩平のことで、ちょっと……」
長い話になりそうな気がしたので、とりあえず私もソファに腰を下ろす。
「折原くんのこと?」
「あ、はい……」
長森さんは頷いた。
「あの、浩平が演劇部に入ったって聞いたものですから。その、浩平ってちょっと変わったところがあって、すぐに誤解されやすいですから、その、ちょっと知っておいてもらった方がいいかなって思ったんです……」
「知っておいた方がいいって?」
「あ、はい。……その、浩平の、家庭環境のことなんです……」
長森さんの話を聞いて、私は初めて彼が両親と妹を失い、叔母の家に厄介になっていることを知った。
あの明るい折原くんに、そんな重い過去があったなんて、正直、私も想像していなかった。
「……そんなことが、あったの……」
「はい……。特にみさおちゃん……、あ、妹さんの名前なんですけど、そのみさおちゃんを失ったことが、浩平の心に深い傷を残してると思うんです」
長森さんは辛そうな顔をした。
「今でもまだ、浩平は、絶対、みさおちゃんの話をしようとはしないんです」
「そう……」
私が相づちを打つと、長森さんは立ち上がって頭を下げた。
「深山先輩、浩平がいろいろとご迷惑を掛けるかも知れないですけど、でも、悪いことしたなら、わたしに言ってくれれば、ちゃんと言って聞かせますから」
「……ふふっ」
思わず笑みを漏らしてしまった。長森さんが怪訝そうに私を見る。
「あ、あの……?」
「あ、ごめんなさい。長森さんって、本当に面倒見がいいのねって思って」
「あ……」
長森さんは、かぁっと赤くなって俯いてしまった。
「えっと、そういうんじゃなくってですね、その、わたしはたまたま浩平とちょっとした知り合いで、その、えっと、色々と事情も知ってるから、その……」
「でも、判るわよ、そういうの」
「だから、その……。えっ?」
顔を上げる長森さん。
私は立ち上がった。
「とにかく、事情はわかったから、安心して。それに、演劇部は万年人手不足だから、ちょっとおいたをしたくらいじゃ放り出すなんてことしないから」
「あっ、はい。ありがとうございます」
長森さんはぺこりと頭を下げた。それから、笑顔になって言った。
「初めてじゃないかって思うんです。浩平が、自分から何かをしようって思ったことって」
その理由も、長森さんはきっと察してるんだろう、と思う。
それでも、彼女は笑っていた。
私は、どうだろうか……?
「……雪ちゃん、どうしたの?」
「えっ? あ、ううん、なんでもないわ」
すっかり日も暮れ、私とみさきは、こたつに潜り込んで、テレビを見るともなく眺めていた。
「ちょっと、今年も疲れたなぁって思ってただけ」
「うん、私も疲れたよ」
みさきは笑っていった。私は肩をすくめた。
「そりゃ、あれだけ食べてりゃ疲れるでしょうね」
「うっ……。で、でも、ほら、私って育ち盛りだから……」
「はいはい。みかん、食べる?」
「うん」
嬉しそうに頷くみさきの手にみかんを渡す。
と、みさきが不意に、窓の方に顔を向けた。
「どうしたの?」
「うん。今聞こえたよ……」
何が、と聞きかけて、私は気が付いた。どうでもいい歌をだらだら流すテレビを消す。
ごぉぉぉぉん
微かに、鐘の音が聞こえてきた。百八の煩悩を鎮める、除夜の鐘。
「……まぁ、いろいろあったけど、今年も終わりね」
「そうだね……」
みさきは、こたつの上にぺたりと突っ伏した。
「年が明けたら、すぐに卒業、だよね……」
卒業。
それがみさきにとってどういう意味を持っているか、知っているから。
私は、こたつの中に手を忍ばせて、みさきの手を握った。
「大丈夫よ。私は……」
ずっと一緒にいるから……。
こうして、静かに年は暮れ、年が明けた。
あとがき
雪のように白く その11 2000/6/6 Up