喫茶店『Mute』へ
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「ひっく、ひっく……」
To be continued...
「もう泣くなって」
俺は、七瀬の背中を撫でた。
「だって……」
七瀬は、しゃくりあげながら、顔を上げた。
「また、浩平がどこかに行っちゃったかと……うぐっ」
「大丈夫だって。あの時言ったろ。もうどこにも行かねぇって」
「だってぇ……」
「ったく。だって星人って呼ぶぞ」
「それは嫌」
ぐすっと鼻をすすりあげて、七瀬は、俺の胸に頬をつけた。
「お、おい……」
「少しでいいから……。このままでいさせて……」
「……我が儘な奴」
「乙女は、我が儘なんだから……」
そのまま目を閉じる七瀬。
俺は、その背中をぐっと抱き寄せた。
「ごめんな……」
「……ううん」
首を振ると、七瀬は小さな声で呟いた。
「……心臓の音が聞こえる……」
「僕らはみんな生きているからなぁ」
「……あほ」
しかし、こうして俺の胸に顔を埋めている七瀬は、悔しいが、可愛い。
……相当、心配してたんだな、こいつは。
そう思うと、なんだかこいつのことが、好きになった。いや、今までも好きだったんだから、もっと好きになったって言えばいいのか。
それを正直に言う。
「七瀬。お前のことが好きだ」
「……うん。あたしも、浩平のこと、好きだよ」
七瀬は顔を上げて、にこっと笑った。そして、目を閉じる。
俺は、その七瀬の唇に、自分の唇を重ねた。
「変態よっ、変態。絶対変態だわっ」
「お前も同罪な」
「なんでよっ! 浩平があんなところでいきなり……。あーん、もう乙女に戻れないのねぇ〜」
「でも、気持ちよかったんだろ」
「うん……って、何を言わせるのよっ!!」
俺と七瀬は仲良く会話を楽しみながら、廊下を歩いていた。ちなみに、七瀬は着替えを用意してなかったので、ホントは俺の着るはずだった浴衣を着ている。俺はというと、遭難ルックそのままだ。
と、前の方から、澪がとてとてっと走ってきた。俺の前で立ち止まると、ぺこぺこと頭を下げる。
「おっ、澪。もう風呂は上がったのか?」
うんうんとうなずくと、澪はあう〜、という顔でまた頭を下げる。どうやら、謝っているらしい。
「気にすんなって。ま、いい経験になっただろ?」
「澪っ」
いきなり隣で七瀬が声を上げる。澪はびくっと身をすくませた。
「待てっ、七瀬、何をする気だっ!?」
俺は、七瀬が手を振り上げたのをみて、慌ててその手を掴んだ。
「何って、この娘のせいで、浩平がっ!」
噛みつくような勢いで、俺に食ってかかる七瀬。
「落ち着け、七瀬! 澪のせいじゃないだろっ!」
「でもっ、でも……」
と、俺の手を澪が引っ張った。
「なんだ、澪?」
澪はしょげた顔で、スケッチブックを開くと、サインペンを走らせた。
『澪が悪いの』
「だから、そうじゃなくってだな……」
ふるふると首を振ると、澪はまたサインペンを走らせる。
『全部、澪のせい……』
書きかけて、えぐっ、としゃくり上げる澪。
ぽたっ、とスケッチブックに落ちた雫で、サインペンの字がにじむ。
俺は、その肩に手を置いた。
「俺は、澪が居てくれたおかげで助かったんだぜ。だから、そんなにしょげるなって。な」
だってだって、と俺を見上げる澪。
俺は、七瀬に視線を向けた。
「……でもぉ」
じぃ〜〜。
「わかったわよ。ごめんね、澪。あたしもちょっと悪かったわ」
じぃ〜〜。
「あ〜、もうっ。わかったわよっ。全面的に全てあたしが悪かったのよっ! ごめんなさいっ。これでいい!?」
「よしよし」
俺は膨れる七瀬の頭を撫でた。それから澪に言った。
「七瀬もこうして謝ってるんだし、水に流してやってくれよ。な?」
でもぉ、と俺を見る澪。ホントに真面目な奴だなぁ。ま、澪らしいといえば澪らしいが。
しょうがない。
「澪、それ以上、俺に対して責任を感じたり、すまなく思ったりしてるとだな、あのことをみんなにばらすぞ」
澪は、かぁ〜っと赤くなった。うつむいてもじもじする。
「いいな?」
「……」
まだ迷ってるな。よし。
「なら、言うぞ。みなさぁ〜ん、ここにいる上月澪ちゃんはぁ〜あ痛っ」
あわわっ、といきなりスケッチブックの、しかも角で俺の頭を叩く澪。
「つつ〜。なら、わかったな?」
こくこく、と頷くと、澪はぷーっと膨れた。俺は苦笑して立ち上がると、声をかけた。
「というわけで、こっちは片づいたから、陰から見守ってないで出てこい、長森」
えっ、という顔で俺を見る七瀬と澪。
「えへへ〜」
照れ笑いをしながら、廊下の角の向こうから出てくる長森。
「お帰り、浩平」
「おう」
七瀬に較べりゃあっさりしたもんだ。ま、長森ならこんなところだろうな。
「もう、心配したんだよ〜」
「俺のか?」
「ううん、たった今だよ。だって、七瀬さんと澪ちゃんが喧嘩しそうだったんだもん」
心配って、それかい。
俺の表情を読んで、長森は笑った。
「浩平が一日行方不明になるくらい、慣れてるもん。それに、澪ちゃんも浩平が一緒なら大丈夫だって思ってたし」
「そうかそうか」
そこまで信用されてるのも、なんだかな、って感じだ。
七瀬が口を尖らせた。
「なんか、負けてる感じするな。だって、瑞佳はそれだけ浩平のこと、信用してたってことだものね」
「あ、でも、もし浩平が恋人だったらきっと心配してたよ〜」
慌ててフォローする長森。……でも、もうちょっとフォローの仕方考えてくれ。
「なぁ、長森。茜や柚木は今日来たのか?」
俺は話を逸らした。
「……昨日です」
「わぁ、びっくりっ!」
思わず飛び上がるというオーバーアクションをしてみせる俺。
後ろにいつのまにか来ていた茜は、顔色一つ変えてくれなかった。
長森が訊ねている。
「里村さん達も、旅行?」
「……はい」
軽く頷く茜。
俺は長森の額を弾いた。
「当たり前だろ。旅行以外のどんな理由でここに来るんだよ」
「あ、そっかぁ。あははっ」
照れ笑いをする長森。
「それでは」
軽く会釈をして、通り過ぎていく茜。
それを見送って、長森は俺達に言った。
「それじゃ、私たちも部屋に戻ろうよ〜」
「そうだな。澪は?」
『わたしも戻るの』
「そうか。じゃ、また後でな」
俺は、澪の髪をぐしゃっとかき回してから、歩き出した。
七瀬が、手を振っている澪をちらっと振り返ってから、俺に言う。
「優しいのね、浩平は」
俺は、ふっと微笑んだ。
「男は優しくなくては、生きる価値はないっていうからな」
「……」
「……」
七瀬と長森は、顔を見合わせて、深々と溜息をついた。……って、どういう意味だっ!?
カチャ
「ごめんね。昨日は浩平が帰ってこなかったから、まだ部屋は変えてもらってないんだ」
ドアを開けながら、長森が謝った。そう言えば、昨日、部屋を2人部屋2つに変えてもらおうという話をしてたよな。
「ながもり〜」
「だって、浩平もいけないんだよ。ちゃんと帰ってこないから〜」
「それならそれで、俺が戻ってきたときのためにちゃんとしておくのが義務ってもんじゃ」
「みゅ〜〜♪」
俺の声は、なかから飛び出してきた椎名に遮られた。そのまま、ぎゅむっと俺にしがみつく椎名。
長森が笑って言う。
「昨日は大変だったんだよ〜。繭も心配してたんだもんね〜」
「みゅ〜」
うなずく椎名。
俺はその頭を撫でた。
「そっかそっか。悪かったな」
「みゅ♪」
「さて、と。俺は運動して疲れたから、少し寝るぜ」
「そういうと思って、布団敷いてあるよ」
長森が、部屋の真ん中に敷いてある布団を指した。
「おっ、用意がいいな。それじゃ寝かせてもらうぜ」
「うん。ゆっくり休んでね。それじゃ、繭、私たちはロビーに行ってよ」
俺の服の裾を掴んでいやいやと首を振る椎名。
長森は、その頭を撫でて言った。
「でも、浩平疲れてるんだよ。いま休ませてあげないと、もう遊んでくれなくなっちゃうかもしれないよ。それでもいいの?」
「……いや」
「だったら、今はわたしとロビーに行ってようよ。あ、そうだ。お土産買おうよ、お土産」
「……うん」
椎名は俺の服の裾を離して、長森に着いて歩き出した。しかし、さすが長森。伊達に牛乳好きじゃねぇな。
(牛乳好きは関係ない)
俺はそそくさとジャケットを脱いでから、振り返った。
「七瀬も一緒に寝るか?」
「えっ、ええっ?」
赤くなってあわてふためく七瀬。
「でっ、でもっ、さっきだって、その、あのっ」
「なに慌ててるんだ、七瀬? ふわぁ……」
俺は大きな欠伸をした。それから、呟いた。
「側に居て欲しいだけだよ……」
「浩平……。うん、いいよ……」
七瀬は、真っ赤になりながら、浴衣の紐を解いた。そして、ゆっくり袖から腕を抜く。
パサッ
微かな音がした。浴衣が床に落ちた音だろう。
七瀬は下着の替えなんて風呂場に持ってきてなかったので、浴衣の下には何も着てないはずだ。
「……これで、いいの? ね、浩平? ……浩平?」
七瀬の声が微かに聞こえた。
「……もしかして、寝ちゃったの? ……くすっ、もう、しょうがないんだからぁ……」
俺の意識は、そのまま泥沼のような眠りの中に落ちていった……。