こんこん。
無視である。
こんこん!
無視である。
こんこんこ……がちゃ。
魔法で鍵を開けられた。
「タバサ、また本読んでたの?」
「そう」
侵入者は勿論赤い友人キュルケである。彼女は何の躊躇もせずにこの部屋に侵入してくる。
別に咎めるつもりは無いがタバサも一応女の子なのだ。人には見られたくない行いやら営みやらをしていたらどうするつもりなのだろうか。
少しだけじっとりとした視線をタバサが向けると、そんな事は知らんといった調子でキュルケはけらけらと笑い始めた。
心当たりはある。恐らく、
「何その眼鏡。あまり可愛くないわよ?」
「起きたら割れていた。スペアがこれしかない」
視力自体はさほど悪くも無いがやはり眼鏡が無いと落ち着かないのだ。
今朝方起きてみると自分は床の上で寝ていて、しかも眼鏡がしっかりと割れていた。フレームはグニャグニャに歪み、レンズは粉々に砕け、小さな小さな螺子類はどこかへと消えている。流石に修理のしようもなく、仕方なしにスペアをかけているのだ。
勿論犯人は分っている。一方通行だ。
昨夜、読み書きを教えている時に恐らく自分は寝てしまったのだろう。交換条件として能力の事を聞こうとしたのに寝てしまったのだ。そして起きればしっかりとメガネが踏み潰されていた。
ふつふつと決して小さくない怒りが湧き上がるが、あの反射は厄介だ。コルベールほどの実力者が手も足も出なかったのだ、流石に力技でどうこうするには無理がある。
そう、彼女は本を読んでいる振りをして何とか報復してやろうと考えていたのだった。
「そういえばルイズの使い魔、アクセラレータ……っだったかな? あの子ね、別の世界から来たらしいわよ」
「意味が分らない」
「ん、だからこの世界の人じゃないの。なんて言ってたかしら……チキューって所から来たとか何とか……」
「東方?」
「そんなんじゃなくて、まったく別の場所から来たんですって。彼も大変ね。いきなり召喚されたんでしょうし、まぁ大暴れの理由も分からなくは無いわ」
しかし別の世界から来た事とタバサの眼鏡を潰してごめんの一言も無いのは関係が無い。
それに大暴れは何とか理由が付くが、それでも自分の主を殺そうとするのは良くない。魔法使い側からしても、もしかしたら一生連れ添うかもしれない生物を召喚しようとしているのだ。それに殺されかけるなど、余りにも先が心配になりすぎる。
タバサの召喚した竜も変わり者だが、流石にルイズには負けた。だって、ルイズの召喚した人間は、恐らくこの学院の中で一番強い。周囲の貴族達は笑うが、あれは間違いなく今年最強の使い魔だ。
そして窓の外を見れば、
「無茶苦茶」
「……そうね、無茶苦茶」
「太陽?」
「随分低い所にあるけどね……」
二つ目の太陽が輝いている。
魔法ではない。あんなものはタバサの知識の中には存在しない。魔法ではない不思議な力を使う存在はこの学院には今のところ一人しかいないわけで、その答えはすぐに見つかる。
タバサは自分には関係の無い事だと割り切り、
「今度の虚無の曜日、眼鏡を買いに行く」
「そ、じゃあ私も付いて行くわ。ちょっと欲しい服があってね、きっとタバサに似合うわ」
「私に?」
「タバサに。ドラゴンを召喚したんですもの、そのプレゼントよ」
「そう」
ならばキュルケには何をプレゼントしようか、とその脳は働く。
外の事など、そう、どうでもいい。
08/『私の可愛いウサギちゃん』
こぱぁ!と言いながらギーシュは飛んでいった。
キラキラと鼻血の放物線を描き、こぱぁ!と言いながら飛んでいったのだ。
「うしっ!」
ぐっとガッツポーズを決め込んだわけだが、まずは言い訳をさせて欲しい。
何もギーシュが憎くて飛び蹴りを放ったわけではないのだ。ギーシュの事は正直好きじゃないが、それでも行き成り蹴りを放つほど嫌っているわけでもない。
ただ、彼を助けるためにはああするしかなかった訳で、今までゼロと言われ続けた分も大いに含んで蹴ったが、それでも下から突き上げるように蹴り穿ったのは唯一の正解だと信じている。
その証拠に、二つ目の太陽は徐々にその姿を薄くしていき、今消えた。
「さ、あなたにケンカ売った馬鹿は仕留めたわよ。私たちもっと分かり合うべきだと思うの。ちょっと部屋でお話しましょう?」
ルイズは額にかいた汗を無造作にふき取りながらさわやかに言った。
こうでもしないと、本当に本当に一方通行はギーシュを殺してしまっていたのではないだろうか。
ギーシュが死ぬのはいいが、いや、あんまり良くも無いが、それでも己の使い魔が貴族殺しになるほうがもっと良くない。そんな事になったらルイズ自身の命まで危うくなってしまうし、家族たちにも迷惑がかかる。
ギーシュだって鼻骨と命なら、鼻骨が折れるほうがマシだったろう。気絶はしていないと思うがピクリとも動かない所を見ると死んだ振りをしているらしい。顔面からだくだくと赤い水が出ているが、必至に痛みをこらえて死んだ振りしているのだろう。
空気を読まずにここで起きて来るよりも、それは随分いい判断だと言わざるを得ない。
「ほら、行くわよ?」
ルイズが再度促すと一方通行は咽喉を鳴らし、
「頭は悪くねェらしいな、あァ?」
「な、何がよ」
「オマエはこう考えた訳だ。『一方通行なら気絶した相手には興味を失い、矛を収めるだろう』ってよォ」
ドキーン! である。
まさしくその通りに考えギーシュを仕留めただけに、少しだけ焦ってしまい、
「ぎょ、ばっ! べ、べべ別にそんなあざとい考えしてないわっ!」
「癪だがその通りだなァ、よく分ってンよオマエ。確かに気絶してりゃ、面白くとも何ともねェ。……気絶、してりゃァな?」
「してるわよ! 間違いなく気絶してる! 私はこれまで50人もの屈強な男たちを沈めてきた肉体派なんだから!」
本当は18人だし、皆貴族様らしくモヤシだったが。
「肉体派、ねェ……」
「そ、そうよ。肉体派よ」
「気絶したソイツの魔法が未だ消えずにそこらじゅうに残ってるのは?」
「え、えと……そう! 固定化っていうね、物体の劣化を防ぐ魔法も一緒にかけてるのよ、ギーシュは!」
「……まァ、ギリギリで合格って所か」
ルイズはほっと一息。
ギーシュが空気を読まずに魔法を解除してしまうのがとても心配だったが、いくらおつむの足りない彼も自分の命がかかっている時は本気が出るらしい。
もしかしたら本当に気絶していて本当に固定化をかけているのかもしれないが、戦乙女たちは数体残っているし剣やら盾やら、ギーシュが作り出した魔法は姿を消していない。
「だがなァ、おい」
「え?」
「俺の中に溜まってるフラストレーションは一体何処に向くンだろォなァ?」
にやにやと趣味の悪い笑みを貼り付けながら一方通行が足をならす。
たん、と小気味良い音の後に動き出したのは一振りの剣だった。地面に突き刺さっていたそれは空中で弧を描き、ルイズの目の前へと落ちてくる。
足元でからんと鳴り、その意味を判断するより早く、
「来てみろ、肉体派。あァ、勿論マホー使ってもいいンだぜ、『最弱』?」
きっとルイズの前世はたった一人でとんでもないほどに殺人でも犯したとある悪党か、神様の加護なんかも全部打ち消すようなとある馬鹿に違いないのだ。
「な、何で、ちょっと待って、違うわ、それなんか間違ってる……だって、そ、そ、それって、不幸すぎる、私!」
ルイズが己の不幸を大きく叫ぶと一方通行は少しだけ考え込み、
「……探せば居ねェ。なのに呼ばれもしねェ所で出てきやがる。馬鹿にしてンのかテメェ?」
「た、ただ暴れたい理由を人のせいにしてんじゃないわよ!」
「ハッハァ! よく分ってンじゃねぇか!! 相手しろよ、ストレスで死んじまったらどォすんだ! 俺のハートはガラス製なんだぜェ!?」
「見た目が似てるからってウサギみたいな事言ってんじゃない! 何でもかんでも跳ね返すガラスがよく言うわよ!」
実力は伴わないが、口喧嘩はお手の物だ。毎日毎日隣の部屋の住人と顔をあわせて、そして鍛えてあるのだから。
口上は終わりとばかりに一方通行が右手を上げた。赤い瞳の中には実に愉快そうな色が映っている。
最初の目的である“とりあえずギーシュを殺させない”は達成したが今度はこっちが危ないと来た。いや、楽しそうな表情から察するに殺されはしないかもしれないが、絶対にやられるのだ、アレがくる。バチっとくるヤツが。
痛いわけでもないし、何か後遺症があるわけでもないのだが、アレは駄目だ。本当に駄目だ。アレは続けて食らうと絶対何らかの障害が出る。何か悪い事が起きるに決まっている。
一方通行が一歩進むと、それにあわせてルイズは一歩下がった。
足元に転がっている剣など無視である。ルイズは剣を振った事は無いし、見るからに重そうなそれは逃げるのに絶対邪魔になる。
爪先に力をいれ、逃げる為に走り出そうとしたその時、一方通行が立っていた地面が爆発したように弾け、その一方通行は物凄い勢いで加速してくる。
「っ!」
何をどうしたのかは分らないが、きっと彼の能力のはず。と判断する前にルイズの反骨心と毎日サンドピローへと向かう身体が反応してしまった。
逃げる為に準備していた爪先は地面を離れ、その上体は一方通行の明らかに顔面を狙ってきていますという、素人然とした右腕を避けるために斜め後ろへと倒れる。そして溜めた力を解放するように、向かってくる一方通行の顔面に上段蹴りを放った。
「っしゃらぁ!!」
パァン! といつもの練習どおりの音が響いた。
毎日の反復練習とは恐ろしいもので、心より先に身体が反応したのだ。火に油どころかガソリンを撒き散らす行為だが、誰もルイズを責める事は出来まい。
だって、蹴った本人のルイズのほうが痛いのだ。
今履いている、ひよこのプリントされた下着(シエスタから貰った)を晒してまで放った上段蹴りは、いつぞや一方通行を殴った時のように、
「っ硬いぃ……っ!」
「肉体派ってのに嘘はねェらしい。折れちゃいねェだろ、くく」
そこまで言うと一方通行は反射を行使したのだろう。ルイズの足は弾かれた。
よたよたとバランスを崩し、足の痛みに耐えかねて跪くとそこには一振りの剣。
一方通行の笑い声が聞こえ、はてさてどうしたもんかとルイズは考える。
恐らく一方通行は遊びたいだけなのだ。ムカつく事に、一方通行は自分で遊びたいだけなのだ。弄び、ボロボロになったらその遊びは終わり。猛獣が狩りを学ぶ為に残虐な行為をするように、ただ遊びたいだけ。
これはなんだろうか。ふつふつとわきあがるこの感情は。
(冗談じゃないってのよ。私……)
きっと一方通行は分かっていない。他人にどう接したらいいか。
彼の能力は『反射』だ。他にも色々とあるだろうが、一番はやっぱり反射だ。生き方が反射している。威を向ければ返される。だったらまともに相手をするのはただの馬鹿。ただの馬鹿なのだが、
(……こいつに、同情してる……?)
怒りのほかに湧き上がる感情。
自分の使い魔というのを抜きにして、一人の人間として同情してしまった。
だってそうだろう。とても口には出来ないが、コイツは、
「あんたぁ……っ!」
口にしてしまっているが、一方通行は、
「絶っ対友達いないでしょ!?」
間違いない。
人との接し方。その距離がまったく分っていない。
人の事は言えず、自分にも友達が多いとは言えないが、それでも人との接し方くらい知っている。心を見せないとその人だって信用してくれるはずが無い。
それなのに、一方通行はきっとそういうのも反射してきたのだ。きっと全部。一体何年生きているのかは知らないが、そういう機会が今まで一度も無いはずがないのだ。彼が自分で作らなかっただけに決まってる。
元の世界で頂点に立ってるからって、能力が反射だからって、だからって友達くらい作ってもいいだろうに。
「あァ? 何だァそりゃ?」
一方通行は心底不思議そうな顔をしていたが、本当に分かっていないのだろうか。それとも本当に友達なんていらないと思っているのだろうか。
ルイズの心は決まっていて、どっちにしろ、
(……ムカつくのよ、そういうの!)
以前の自分がそうだったから。
魔法を使えなくて、ずっと孤独だったから。独りで、本当に分かり合える人なんかいなくて、友達なんか要らないというポーズを取っていた。そんな自分が、ルイズは堪らなく嫌いだったのだ。
ふぅ、と一つだけ息をつき、何となしに目の前にある剣を握って立ち上がった。
瞬間、身体が軽くなるのを感じるが、しかしルイズの心はまたも最強になってしまったのだ。
一方通行を召喚して、ベッドの上ではしゃいでいた時と同じ最強に。自分の左手が輝いている事にはまったく気が付かなかった。
剣は左手に、何故か使い方が理解できてしまうものだから不思議だ。
それを肩に担ぎ、半身になって右手を伸ばした。
くいくい、と指先だけで手招きし、
「……遊んであげるわよ、私の可愛いウサギちゃん!」
もちろん、殺されはしないだろうという確信、いや、確信には届かないまでも、多分殺されはしないだろうと思うからこそいえる言葉。
召喚した時の、あの時の一方通行にはとてもいえない言葉だった。
「ぎゃはッ! 面白ェ事言ってんじゃねェか、女ァ!!」
実に愉快そうに、本当の本当に愉快そうに笑い一方通行は両腕を振った。
瞬間に巻き上がる風。身体を支えきれないほどの暴風にルイズは襲われた。浮き上がり、吹き飛ばされる。
風に吹き飛ばされるという冗談のような状況の中、ギーシュが顔面を真っ赤に染めながら転がり騒いでいた。
ルイズは吹き飛んでいく地面に剣を突き立て、右手で腰の後ろから杖を引き抜く。
なんだか分らないが、こうすると良いと思った。脳内がやけにクリアで、何もかもが透けて見えるような全能感。失敗するはずが無いとの確信と、一方通行の反射も考えて杖を振った。
当然、爆発。
それは二箇所で起こる。
「きゃっ!」
狙いは違わず一方通行へと。さらに反射で返ってきた爆発は自分自身も焦がす。が、確かに成功した。自分にも結構なダメージが返ってきたが、一方通行から湧き上がる暴風を止める事にはしっかり成功したのだ。
「ハッハァ! またまた11種類も超えてきやがったァ! テメェは一体どの次元で生きてやがんだろォなァ!? もっとだもっと、もっと感じさせてみせろ!」
「言われなくてもっ!」
足を踏み鳴らした一方通行に危険を感じ、隙を見せずに駆け出した。景色がすっ飛んでいくようなスピードが出ているが、これは一体何が起こっているのだろうか。
ちらりと目を向ければ先ほどまで自分がいた場所にギーシュが作り上げた甲冑やら盾やらが馬鹿みたいな速度で突っ込んでいる。うげ、と心中呻き、上空を見上げてみれば、同じくギーシュが作り上げた剣が矛先をこちらに向けて降り注いできているではないか。
冗談じゃない! 叫びながらさらに速度は上がった。
剣を肩に担ぎ、上体を限界まで倒して走るその姿はさながら猫化の猛獣のようで、明らかに人間の出せる速度の限界値を超えているように見える。
地面を蹴る足には力を感じ、左手に持つ剣はしっかりと使い方が分かる。
疑問は無い。感じている暇も無い。ただ今は一方通行とのじゃれあいを優先。ザクッ。ザクッ。ザクッ。と徐々に近付いてくる降剣の音が堪らなく恐ろしい。
視線を向ければリズムを取るように足を慣らしている一方通行の表情はやや硬く、何かを考えるように鼻の頭をかいていた。
その脇を走りぬけるのは、今のルイズにとっては余りに簡単な作業。足は地面を潰すほどに力が入る。それを蹴ってしまえば小さな身体は弾丸となり、そして一方通行の背後を取った。
「ッでぇい!!」
振り返るのと同じ動作で、まさしく竜巻のように横に薙いだ。
当然ルイズは一方通行に剣如きが通じるとも思っていなかったが、しかし余りに簡単にそれが折れてしまうのはどうだろうか。
ルイズとしては劇でよくある様に、キン、と硬質な音を立てて終わりかと思っていたのだが、まさか折れるか。
「んなっ、何よこのボロ剣! もっとまともなモン作りなさいよね!」
「……お前ェは一体全体どういう身体構造してやがンだァ?」
「普通の女の子っ!」
「っは、言いやがる!」
変わらず不思議そうな顔で手を伸ばしてくる一方通行のそれを背後に飛んで回避。地面に突き立っていた剣を手に取った。
そしてまた湧き上がる力。流れ込んでくる情報。輝く左手を目撃し、瞬間、理解した。
ダンッ! と音が鳴るほどに地面を蹴りつけ、今度は一方通行を中心に大きく円を描くように駆け出した。
そのスピードは今までよりもさらに速く、疾く。びゅうびゅうと風を切る音は自身のスピードを語る。
武器だ。剣を持つ事で身体能力が限界を超えて強化されている。一方通行がスローモーションに見える。
一方通行は何と言っていただろうか。『反射』すると言っていた。それは、何処で? 何を?
彼は何でも反射できるはずである。何と言ってもルーンが跳ね返ってきたのだ。
そしてそれは何処で反射するのか。身体? 触れたもの? 肌? 何か、膜?
戦える。一方通行は、触れたものの力を操作している。
ルイズはバチっとくるものの正体を知った。アレは身体の何かを乱しているのだ。痺れがくるような感覚から、恐らく電気。
納得し、さっきの竜巻のような暴風の正体も。身体に感じる空気に反射で流れを作ったのだ。風とは大気の流れ。一方通行がどの程度の風を操れるかにもよるが、一応自分の魔法で邪魔する事が出来る。
結果、
(触れる事さえ出来ない速度で戦う事が出来れば……?)
一応、一方通行の敵になれる資格を持っている。
頂点に立っている一方通行の隣に立てる。ルイズはその可能性を持っている、この学院にただ一人の存在のはずだ。
「……あはっ」
おかしな事に、ルイズの心は喜びに支配された。単純に嬉しかったのだ。
同時に左手の光は輝きを増し、もっと速く、もっと速く。それ自体が力だというように速度は上がってゆく。
走りながらスペアとしてもう一本の剣を手に取り、右手に持った。
魔法は簡単に反射されるので使うのは危険。勝てないまでも一方通行と遊ぶには速度が重要だ。
一方通行と並び立つのは、ご主人様であるルイズ以外に許されない。というよりもルイズが許さない。
もっと知りたい。違う世界の事を。学園都市というところの事を。ウチュウの正体も知りたいし、ジンコウエイセーは何なのか非常に興味がある。
そして何より、一方通行の事が知りたい。使い魔の事が一番知りたい。語りたがらないが、きっと友達の一人もいない生活を送って来たに決まっているのだ。
こんな死闘のような事以外にも楽しいものは沢山有る事を教えてやりたい。一人で反射する人生以外を知って欲しい。
なぜなら使い魔なのだから。ルイズの使い魔だから。シロはルイズのものだから。
使い魔は『最強』で、ルイズにも借り物のような力だけど、今は左手に力がある。
だから、
「私はルイズ! ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 私はこの学校でゼロのルイズって呼ばれてるわ! なぜなら魔法の成功率0%の劣等生だから!」
走りながら声を張り上げた。
怪訝な表情で鼻の頭を擦っていた一方通行はふと顔を挙げ、人間外の速度で走るルイズを見る。
「五人家族でねっ! でもその中で魔法が使えないのは私だけなの! お父様もお母様も諦めちゃった! ぶっ殺してやろうかと思ったわ! でもお姉様が居てね、二人が一生懸命励ましてくれたの! 上のエレオノール姉さまは厳しくて怖いけど一生懸命教えてくれた! 下のカトレア姉さまはいつかきっとって、いつも励ましてくれた! そのお陰かどうかは分らないけど、ホントに、十六年目にしてやっと成功したわ! 召喚できたの!」
「っは、俺がのこのこ現れたってかァ!?」
そしてルイズは速度を落とす事無く一方通行に斬りかかった。
一瞬の交差。一方通行から突き出された腕をギリギリのラインで避け、袈裟に斬り付ける。当然、剣はポキリと半ほどで折れ、刀身はくるくる回りながら宙を舞う。
それを見、一方通行は何か思いついたのか。
スペアを拾い上げ、そして爆速で走り去るルイズを尻目にテクテクと歩き始めた。
「それでね、召喚は出来たけどすごいのが現れちゃってね! アンタの事よ! シロ! アクセラレータ! 最初に会ったときは“アンタ誰”ってかわいくない事言ったけど、ホントはすっごい嬉しかったのよ! それなのにアンタ行き成り私の事殺しにかかるし! でもいいの! それはどうでもいいわ! とにかく召喚に応えてくれてありがとうっ!!」
一方通行の歩みは止まらない。
もと居た広場を越えて、学院をぐるりと囲むように建つ塀まで来た。
何をするつもりか知らないが、今のルイズは最強に近付いているのである。何がきても対処できると自信に満ちていた。
だから続ける。聞いて欲しい。きっと聞いてるだろうという願いを込めて。
「でねっ! アンタも知ってると思うけど私その後燃えちゃって! だって助けてくんないんだもん! 熱かったわよ! 改めてコルベール先生の魔法のすごさを体験しちゃったわ! 髪の毛なんかこんなに短くなっちゃうし、アソコの毛なんてつるつるてんよ! 赤ちゃんみたいじゃない! ただでさえ薄いのにどうしてくれんのよ! キュルケとお風呂に入った時すごく恥ずかしかったわ!」
もう一度一方通行に斬りかかる。
刀身は宙でくるくる回る。
スペアを握りまた加速。
その時目があった一方通行は趣味の悪い笑みが復活していた。きっと碌な事は考えていまい。
ルイズはちょっとした焦りを感じるが、一方通行はそ知らぬ顔でその手を塀へと。レンガ作りのそれは当然巨大で、学院を囲んでいるのだから長い。
「そのキュルケってのはねっ! 顔あわせたら嫌味ばっか言って来るけど、ホントのホントはっ、ちょっとは、少し、ほんの少しは感謝してるの! まともに話しかけてくれるのなんてシエスタ以外じゃあいつ一人で! 憎らしいけどなかなかいいおっぱいしてるわ! 先っちょがね、肌の色より薄いのがセクシーなの! アイツとシエスタが居なかったら学院辞めてたかもしれない!!」
そして塀のレンガの一つが飛んできた。
ルイズに分るのは何か力を操作してそれを飛ばしているのだろうという事のみ。
今の自分の速度なら防御するよりも回避の方が得策と割り切り、渾身の力で地面を踏みしめグルンと縦に一回転しながらそれを避けた。
けたけたと笑う一方通行の声が聞こえ、
「ちゃんと聞いてよ! それでね、シエスタっていうのはね! この学院のメイドでっ! すごく可愛くて、優しくて、珍しい髪の色してる! 一緒にお風呂に入った時はちょっとエッチだったし、ドキドキしちゃったわ!
この学院には馬鹿貴族が大勢居るけど、平民にも良い子は沢山いるのよ! 貴族の皆は誰がご飯作ってるか知らないの! こんな世界だけどね、嬉しい事も楽しい事も悲しい事も当たり前に存在してるわ! あなたの世界は!? シロの世界はどうなのよ! 教えてよ! 私は言ったわよ、恥ずかしい事も、嬉しい事も全部!! あなたの事を教えてよ!!」
そして塀が飛んできた。
そう、塀が、その全部が飛んできたのだ。それはさながら雪崩のようだった。
何でレンガなんかで作ってるんだ、と訳の分らない文句を言いながら、点ではなく面で押し寄せるように向かってくるそれらに対し、ついにルイズは足を止めて、そして剣を構えた。
斬る。
覚悟を決めた。
ギーシュが作った剣なので強度に不安が残るが、こうでもしなければレンガの雪崩に押し潰されてしまうだろう。
結局一方通行の方が一枚上手だったわけだ。
涙が出そうになるのを根性でこらえ、
「ここはハルケギニアでね! トリステイン魔法学院! 歴史ある魔法学院よ! あなたの世界みたいに科学は無いけど魔法があるわ! 知りたいの! シロの事が、っ知りっ、たいっ、っのぉぉおおお!!」
ぬおぉぉおお! と乙女には似合わない声を上げてルイズは剣を振う。その速度と動き。まるで舞っているかのようで、美しい。
一流と呼ばれる剣士は、相手に悟られる前に絶命させると噂を聞いた事があるが、今のルイズはまさにそれでは無いだろうか。
一方通行の隣に立てる可能性で心は喜びに震え、ちっとも話を聞いてくれない一方通行に怒りを感じ、友達のいない一方通行には悲しみを感じている。
心の震えが力になり、そのまま肉体は強化され、剣を振る速度が上がってゆく。
ごつん、と斬り損ねたレンガが一枚顔面に。鼻血が噴出すが関係ない。
今は一方通行へと。先へ進めと身体が吠えていた。熱を持ったように熱くなるルーンは力をくれる。
音が鳴るほどに歯を食いしばり、そしてルイズはまたも走った。
「こっんのぉおおおああッ!!」
不思議な事に痛みは感じなかった。
降り注ぐレンガを斬り、勿論のこと全部を切れるはずもなく、ごん、ごん、と中々にいい音をさせて体中にヒット。しかし痛みは感じないのだ。
感じるべき機能が麻痺しているのはあんまりいい事じゃないなぁ、と不思議な事を思いながらも足は休ませる事無く進め、そしてついに雪崩を抜けた。
だりゃあ! と気合一発抜け出た先に居るのは勿論、
「……っくく、とんでもねェ女だ」
二度目になる一方通行のその言葉はまたも聞こえなかったが、その表情はちょっと、ほんの少し、ほんのちょびっとだけ、素直に笑っているようだった。
ルイズは身体の色々な所から流血し、特に顔面は鼻血で酷い事になりながら、そして刃毀れでもう使い物にはならないであろう剣を一方通行へと突きつけた。
「わたしの、勝ち、でしょ……?」
「ッハ、『最強』としちゃ、ソレばっかりは譲れねェなァ」
言うと一方通行は青銅で出来た剣を、その刃の部分を素手で握りつぶした。
同時にルイズのルーンは輝きを失い、体中に、今まで眠っていた痛みが湧き出てくる。
「なひゃっ、くっ、~~~っ!!!」
声にならないとはこの事だ。今までに受けてきた分のダメージが一気にやってきた。
ぺたりと地面に座り込み、バシバシと地面を叩きながら何とか気を紛らわそうにもこの痛みは余りに巨大。
ズキズキする所の話ではない。痛みが衝撃としてやってきたような感覚だった。それは波のようにルイズの体中をうねり、そして津波を起こす勢いで痛覚を刺激してくるのだ。
(あっ、あぁ、うそぉっ……)
お腹に力が入らない。
分かって欲しい。お腹に、下っ腹に力が入らないのだ。力を入れる事が出来ないのだ。
「やっぱりか。武器を持つと反応するたァ、これまた王道。随分ファンタジーじゃねェか」
「……」
一方通行は興味深そうにルイズの左手を取り、そして愉快そうに足を鳴らした。近場に落ちていた剣を呼び寄せ、それをルイズに握らせればルーンは輝く。
光は先ほどよりも弱いが、ルイズは身体の痛みが引いていくのを感じた。
しかし、もう遅いのだ。今更痛みが引いても遅いのだ。
「こりゃ剣だけにしか反応しねェのか?」
「……」
「……おい、死んでンのか?」
「……まだ生きてるわよ、ふ、ふふ……」
「あァ?」
「でもね……私、女としは死んじゃったかもしれない……」
「……」
「いやよ、そんな目で見ないで!」
「……おい、……おいおいおいおいっ……くく、冗談デスよねェ貴族様ァ! っく、くははは!! テメェまさか───」
「いぃぃやぁぁああああああああ!! 言わないで言わないで! 言 わ な い でぇぇええええ!!!」
一方通行が召喚されて何度目かの絶叫をルイズは放った。
。。。。。
「って事が昨日あった訳よ」
「馬鹿ね、あなたって」
「っ、ま、まぁ、その時はちょこっと気分が上がってたの。だからしょうがないの」
「医務室が好きなの?」
「はぁ……誰が好き好んでこんなとこに来なきゃなんないのよ」
ため息をつきたいのはこっちだ、とキュルケは窓辺から空を仰いだ。貴重な時間がまたもルイズの看病で失われていく。
せっかくのいい天気なのに、とぽかぽかの太陽光は柔らかく、キュルケは大きな欠伸まで。
「はしたない。大口開けて欠伸なんかするんじゃないわよ、淑女なら隠しなさい」
「あらごめんなさい。でも淑女は人前でおしっこ漏らしたりしないものよ?」
「っシ、シロしか見てなかった!」
「あのメイド、クスクス笑いながらアンタのパンツ洗ってたわよ」
「だ、だってシエスタにはオネショしちゃったって言っちゃったんだもん……」
まぁ、恐らく理由は心配を掛けたくないからなのだろうが、しかしどう考えてもバレているだろう。血みどろで“オネショしちゃったからパンツ洗って”と言われたメイドも相当なショックを受けたのではないだろうか。
お勉強には頭が回るくせに変な所でヌけているもんだから始末に終えないのだ、この女は。
代々からライバル関係にあるわけだが、恐らくここで終わってしまう気がする。自分ではライバルになりきれないのだ。
端的に言おう。ルイズは天然だ。キュルケはそう思う。
「……ホントに手のかかる子ね、アンタ」
「子って言うな、子って!」
「はいはい。あぁそれとね、ギーシュがアンタのこと女神とか言ってたわよ」
「うげぇ、何それ気持ち悪い」
「こほん、ん、ん……『ああ、僕は全部見ていた! 女神と悪魔が戦う所を! 彼女は僕の顔に救いの蹴りを入れ、そしてこの僕が作り上げた剣で戦ったんだ! 僕はもう彼女をただのゼロとは呼びはしない。彼女は戦いの女神……魔法が使えないなんて彼女にとっては些細な事だったんだ! 敬意を込めてこう呼ぼう、戦女神・ゼロと!』だって。すごく気持ち悪かったわ」
「それ敬意は込められてるわけ? ゼロって言ってんじゃない。気持ち悪いわね」
「さあ? でも取り合えず気持ちが悪かったわ」
アレはとんでもなかった、とキュルケはもう一度だけ言い、少しだけの沈黙。
大して仲が言い訳でもなく、共通の話題と言うものが乏しいので何となく会話が途切れてしまった。
程なくして、
「ツェルプストー」
「ん、なによ?」
「……キュルケ」
「だからなに?」
頭でも打って悪くしたのか、と少しだけ失礼な事を考え、ルイズの顔が赤いのに気が付いた。
思い浮かんだのは発熱。怪我の一つ一つは大した事無かったが、体中に数多くの傷があった。何処からか雑菌でも入ったのかもしれない。
「あら大変っ」
少しだけ焦りながら薬品棚に行こうとした瞬間、はしとルイズに腕を掴まれた。包帯の捲かれているその腕は小さく、同じく熱を持っている。
まずい。水の教員を呼んできたほうがいいのかもしれない。
「気分悪い? 吐き気は?」
「キュルケ」
「なにか欲しい? 怪我人なんだからちょっとは優しくしてやるわ」
いかにキュルケであろうと流石に寝ているところを鞭打ったりはしない。
ちょっとは優しくしてやらねば、と思った時ルイズは布団で口元を隠しごにょごにょと呟いた。
「私、これからはキュルケって呼ぶわ」
「……はぁ?」
これまでも入り混じって何度かキュルケと呼んでいるだろうに。今更なにを言っているのだろうか、この女は。
そこまで考えて、ふと思った。
まさか、
「何あなた、もしかして照れてるの?」
「う、うるさい……とにかくそういう事にしたの! もう寝る! 寝る寝るっ!!」
布団を完全に頭までかぶり、見えるのは短くなった桃色の髪の毛だけ。
小さくだが、キュルケは自然に笑みがこぼれ、
「そうね、おやすみなさい……ルイズ」
「……うん」
これは存外照れるものだと思い、シルフィードの上には三人乗れるのかな、と次の虚無の曜日の事に考えは及んでいくのである。