06/水の精霊
馬車の窓から顔だけを出し、ルイズが見えたわよ、と元気いっぱいに叫んだ。
一方通行は馬を操縦できない。ラグドリアン湖の場所も分からない。出発は夜。そんな理由で馬車による移動になった。
ピクリとも動かないギーシュは無造作に足元に倒れており、一体何があったのか、それは御想像にお任せします、と言ったところである。
「その水の精霊ってやつ、そりゃ生きてンのか?」
それは単純な疑問だった。
こちらの世界の常識は、いまだに一方通行には存在しない。水の精霊なんて聞かされても、それは現実よりもテレビ画面の向こうに居るような、ビデオゲーム的な存在だ。
どんな奴だろうかと、ほんの少しだけ興味があった。
「そりゃ生きてるわよ。ず~っと生きてる」
ルイズがそう言って、
「ん~……、生きてるっていうより、存在してるって言った方がいいんじゃないかしら」
モンモランシーが考えるように呟いた。
またもよく分からない物の登場かと一方通行はため息をついて、どういうことかと問いただす。
「水の精霊はね、そりゃもう長い間生きてるわ。不変の存在なの。それは多分この先もそう。それって生きてるっていうか、在るものでしょう? だって、寿命が無いんですもの」
「死なねェのか?」
「殺すことは出来るわ。ラグドリアン湖の奥底に本体があるって話だし、それをどうにかして壊せば、うん、やっつけることは出来るでしょうね」
だったら、脅しの類が効く存在でもあるということだ。
不変。つまらない奴だな、と一方通行は憐れんだ。変わらずそこにいて、何が楽しいのだろうか。一方通行は常に変化を求める。その先を求める。現状に満足は無い。あるものは飢餓に似た力の追求。
どうにも最近は色々あって手がつけられなかったが、レベル6を目指す一方通行は、常に先を求めているのだ。
踏み出せ。自分自身にそう言い聞かせた。
しかし待て、気持ち悪いのが居る。
「んむぉがぁ! んが、んがぁあ!」
轡を噛みちぎる勢いで、足元のギーシュが目覚めた。
一方通行は何のためらいも見せずにこめかみを蹴りつけた。
「あふっ───」
そしてギーシュは静かになった。
「ちょ、ちょっと、死んじゃいないでしょうね……」
ルイズが脈を測り、ほっと一息ついたところで、
「見えたわ……ラグドリアン湖よ」
初めてみるような光景であった。月光を反射する水面はきらきらと輝いて、虫の鳴き声とともに聞こえるのは波の音。
一方通行の心を震わせるには至らなかったが、これを見て普通の人間は綺麗だと思うのだろうな、と頷いた。水に二三度手を付けて、ふん、と鼻で笑う。
そこで、精霊を呼び出すための準備をしているモンモランシーが、静かに言った。
「ヘンね」
「うん?」
「水かさが上がってる……。ほら、あれ見て。屋根が見えるわ」
見れば、そこは村だったのだろう。チョコンと水面から顔を出すのは家だった。小屋のような、農民が住むそれ。
「怒ってるのかしら」
「はっ、ンだそりゃ、人間みてェじゃねェか」
「とにかく呼び出してみましょう。素直に応じてくれるといいけど……」
モンモランシーが袋から何かを取り出した。
隣にいるルイズがびくりと身をすくませる。
目を凝らしてみると、黄色に黒の斑点が付いている、やけに毒々しいカエルだった。
『あっち』でいうなら、熱帯の地方に住んでいるようなそれ。気持ちわりィ、と一方通行も呟く。
モンモランシーがカエルに血を垂らし、湖に放つ。
祈るように目をつむり、数分。
「きた」
小さな呟きとともに、水面が不自然に揺れた。
うねりは次第に渦を巻き始め、中央から水の玉がふわふわと浮かんでくる。ぐにゃりと歪んだり、また丸く戻ったり。何度かそれを繰り返し、最後はモンモランシーと瓜二つの姿になった。
透明で奥が透けて見えるそれは、幻想的。精霊という言葉がぴたりと当てはまるほど、もはや胡散臭いほどに精霊だった。
ルイズとモンモランシーが一生懸命に事情を説明し、どうか、どうか頼みます、と地面に額をこすりつけながら乞うのが何とも滑稽で、一方通行は顔をそむけながら咳払い。ここで大口をあけて笑うのは、さすがに空気が読めていないと気が付いたのだ。
「お願いします!」
ルイズが言うと、水の精霊はにこりと笑った。
「断る」
「なんでっ」
「単なるものよ、我は人間を信用しない」
「信用なんていらないわ! 精霊の涙をくれるだけでいい!」
「お前たちは奪った。指輪。指輪。我と共に年月を過ごした指輪」
「し、知ったこっちゃないってのよ! 不用心だったんじゃないの!?」
ルイズがそこまで言うと、水の精霊は姿を変え、また球状に戻った。水面が渦を巻き始め、帰ってしまう。帰ってしまう?
「だめ、まって!」
───ずしん!
地震のような揺れと轟音。
叩きつけた右足で不機嫌にリズムをとり、一方通行は口を開いた。
「よこせっつってンだよ」
口元に歪んだ笑みを浮かべたのと同時、水の玉から何かが飛び出してきた。
音もなく、細く、鋭い。
胸の中央に当たり、反射の膜に触れ、理解。
それはただの水だった。ただ、細く、鋭く、速く打ち出された水。ウォータージェット。
よくやる。一方通行は笑みを深め湖へと歩を進めた。
一歩。湖へと進めたそれは、沈まない。なんでもないように一方通行は水面を歩く。ちゃぷ、ちゃぷ、と水を蹴る音だけが響いた。
「死ぬか? ……ああいや、“終わる”か?」
そこまで言うと、水玉はもう一度モンモランシーの姿に変わった。
「おお、おお……」
「……?」
「単なるものよ、おお、sphira/giに往くものよ……おお」
「あ?」
「lksoigへの道はf/ghuwaを示す。おお、単なるものよ、全なるものよ、お前のn/gwpoo^glに我の存在が必要か」
理解できない。何か、その話す言葉にノイズのようなものが入るのだ。
「通じぬか。口惜しい。口惜しい。おお、おお、何と言ったであろう、この意味は。そう、これは───」
───ヘッダが、足りない。
水の精霊はそう言って、身体の一部をその場に残して、そして湖の中に消えた。
増えていた水かさは引き潮のように去っていき、水の上に立っていた一方通行は地面に立った。
ちらりと後ろを振り返れば二人は?と小首をかしげており、つられて一方通行も首をかしげた。
「……なンだってンだ、こりゃ?」
◆◇◆
「わ、わ、わ! なになに!」
勇んで水の精霊に会いに行こうと思ったら、いきなり水は引いて行った。ざざざざ、と不気味な音を立てるものだから、どこか緊張していた体は飛び上がり、思わずタバサに飛びついてしまった。
もう何が何だか。引いた? なんで?
む、む、とやや苦しそうな声が聞こえて、おっぱいで圧殺しかけるところだった、とタバサを開放。
タバサも不思議そうな顔をしながら首を傾げるばかりで、二人はなんとなく顔を合わせ、そして笑い合った。
「ぷ……、何よこれ、ふ、ふふ」
「不思議」
「そうねぇ、ホントに不思議」
さっきまで水に浸かっていたところを、二人は手をつないで歩いた。特に何を話すでもなく、自然にそうなっていた。
視界の先に、人影をとらえた。三人と……、あと一人。
キュルケはもう一度笑って、ほら、と指差した。
「どうせ、あの子たちよ」
「……不思議」
説得する。出来なければ殺す。
昨日、覚悟をもってそう語っていたというのに、結果はこれだ。
湖に来た。問題が消えていった。
考えて、キュルケはもう一度笑った。
きっとあの四人も、何か用事があってここまで来たのだろう。一方通行とルイズが愛を誓いに来たというなら祝福するが、どうにもそれは無いようだし、何よりギーシュが縛られているのが非常に気になる。
「私たちが居ない間に、きっと楽しいことでもあったんだわ」
「どうせくだらないこと」
「でも、嫌いじゃないでしょ?」
「……うん」
繋ぐ手に、小さく力がこもった。
◆◇◆
そこは居るだけで気分が悪くなってしまうような、そんな部屋だった。
魔法で固定され、逆さまに飾られた銅像。逆さまに飾られた絵画。矛を下に向けてバツ印を作る刀剣。不安定に積み上げられた、理解できないオブジェ。
原色でど派手に飾ってあるかと思ったら、その隣には暗い色のものが置かれて、その隣にはまた黄色の派手なマスケット銃が転がっている。部屋の中央には大きなテーブルに立体的なモデルが作られていて、そこに人形が転がっていた。
まるで万華鏡の中に迷い込んだような感覚。心が不安定になってしまいそうな、怖気の走るようなものだった。
何もしていないのに呼吸が荒くなる。この部屋にいては、どうにかなる。そんな、確信にも似た何かに襲われた。
ぐるぐると目を回しながら、しかしワルドは必死に必死に息をひそめた。
来てみろ。来い。なるべく早く来い。
王室。どこの馬鹿がこんな王室を許すのか。そりゃ決まっていて、無能の王様しかいないだろう。
その老人はオルレアン公シャルルの部下だったという。ジョゼフの弟で、魔法の才にも長けた人物だったと語った。
次代の王は、間違いなく彼になる筈だった。しかし前王が選んだのはジョゼフ。
耳を疑ったよ、と老人は静かに呟いた。
「たしかにオルレアン公には野心があった。王になりたいと思う気持ちも、それはもう強かった。だが、それは当然ではないかね? 汚い真似をせずに王権を争ったものがおるのかね?」
「私は商人です。そんな私の意見が聞きたいと?」
ワルドは用意された食事には手を付けずに、真剣に老人の話を聞いていた。
どうにもこの老人は反ジョゼフの人間のようだ。いや、言ってしまえばこの国の貴族はほとんどが反ジョゼフ派。
どんな話が飛び出すのだろうか。ジョゼフを殺せとでも言ってくるのなら、即刻ここを立ち去ろう。虚無に何の対策もなしに勝負を仕掛けるほど馬鹿ではない。
「君はもと貴族だろう?」
「所詮は平民に降った人間だ。そんな私に何を期待される?」
老人は微笑んだ。
懐かしいものを見るような、そんな瞳だった。
「君の瞳は輝いておるな」
「……は?」
「その輝きは、その先を見据えておるものだ。オルレアン公とよく似ておる」
「野心が瞳に表れている、と?」
「この国に何をしに来た?」
核心を突く質問だった。
ワルドは押し黙って、手元にあるナイフへと手を伸ばす。
殺すか?
いや、そのまえにこの老人は“どう”したいのだ?
「私は商人ですよ。宝石を売りに来たのです」
「そんな商人が居るものか」
老人が片手の無いワルドを笑う。
この野郎、と少しだけ腹が立った。
「私は王の失脚を狙っておる」
「───ッ」
「なぜこうも簡単に話すかというと、そこらの貴族に知られても問題がないからだ。王に忠誠を誓うものは……少ない。その私がお前に聞こう。なにを求めてここに来た」
「……失礼する」
商人の皮をはぎ取ったワルドは立ち上がり、早足に老人の横を通り抜けた。
「衛兵の交代は昼と夜の二回。休憩は一回。狙うなら、昼の方が人間は少ない」
そんな情報、誰が欲しいと言った!
ナイフを突き立てたい気持ちでいっぱいになった。
この老人はこの俺を、利用しようというのだ。殺してくれればラッキーか? ふざけるな。思い通りになんかしてやるか。
ワルドは残っている右手で拳を握った。
そもそも、殺しに来たんじゃない。いや、もしかしたらそうなってしまうかもしれないとは思っていたが、これでその線は消えた。なんだか意地になって来た。絶対に殺してなんかやらない。
自国の未来を他人にすがるような、そんなやつらの思い通りになるものか、と。
荒々しく廊下へと続く扉を開けた。
背中から聞こえる老人の疲れた様なため息は、この時のワルドには聞こえなかった。
で、こんなところにいる。
別にかっとなって先を急いだわけではない。当初の予定通り、王に会い、どんなつもりなのかを問いただし、使えそうなら利用して───
そこまで考えて、ああなんだ、結局は同属嫌悪かよ、と妙なところで納得した。
たしかに、自分のような人物が目の前にいるのなら、きっと殺したくもなるだろう。
はぁ、と小さくため息をついて、そこで王室の扉が開いた。正直な話、ここまでの警備はザルだった。不真面目というわけではないが、真剣見が足りなかったのは事実。なんといってもこんなに大きなネズミが入り込んでいる。
目の前に王が居る。ワルドは顔を隠す布をもう一度きつく締めつけ、杖を握った。
玉座に座ったら、行こう。運がいいことに、ジョゼフは一人だ。
緞子の影に身を隠しているワルドはジョゼフの姿を追い───、消えた。
「───ッ!」
声を出すような間抜けは無かったが、ジョゼフの姿が掻き消えたのだ。
馬鹿な。そう思う暇もなく、肩に優しく手を置かれた。
「……人の持ち物に触る時は気をつけろ。銅像の埃が散っていたぞ」
動けない。
何が起こっているのか、理解が追いつかなかった。
無能? 笑わせるな。いや、笑いなんてものが欠片も出る暇もなく、どこが無能だ!
「ジョゼフ王……、私は、あなたの部下の、部下でございます」
声が震えていた。みっともない。そう思うも、今の現実はとても信じられそうになかった。
だって、
「ふん、部下? 私に部下はそうそういないが、それはどの部下だ?」
ジョゼフの声は、緞子の奥、玉座から聞こえてくるのだ。
また、消えた。ワルドの背後に一瞬にして移動してきたと思ったら、返事を返す瞬間には玉座にいる。
「……オリヴァー・クロムウェル閣下でございます」
「クロム……? ああ、アルビオンをやった男か。いまいち印象が薄くてな、どうにも覚えられんのだ。俺は無能王。物覚えは悪くてな」
「ご冗談を」
姿を隠す意味は無くなった。
ワルドは潔くジョゼフの前に出、ゆっくりと跪いた。
どんな男かもわからない。性格は? 何で喜び、何で怒る? どうやれば、これをうまく利用できる?
心の中では様々な思惑が入り乱れるが、どこかで理解していた。この男を利用するなど、誰が出来ようか。
超然的なのだ、ジョゼフは。口から出る言葉には重みがあり、それは伸しかかるようにワルドへと襲いかかってくる。何か仕出かそうなら、その瞬間にきっと死んでいる。そう思わせるものがある。
「それでお前はこの俺に跪いて、何を求める?」
「世界の、真実を……」
「くだらんな。世界の真実? お前には目が付いていないのか?」
「は?」
「空がある。大地がある。風が吹く。雨が降る。見ろ、それが世界の真実だ」
「ち、違う! その全てが崩れようとしているのです!」
「なんと!」
ジョゼフは大仰に驚いてみせた。
「それは実に面白いな!!」
ああ、駄目だ。この人は、こういう人なんだ。
瞬間、ワルドは理解してしまった。無能王。無能になりたい王様。
「さて、どうする? わざわざ愉快な話を聞かせに来たわけではあるまい」
「……陛下は、虚無でしょうか?」
「いかにも」
「その力を、何のために振るうのですか?」
「もちろん、世界を壊すために」
狂人の瞳ではない。ぎらぎらと輝くそれは、知謀と理性に固められていた。
ワルドは、世界の真実を知りたいだけだ。この世界はこれから先どうなるのか。それが知りたい。暴いてしまえば、それがどうなったところで知ったことではない。
胸元のロケットをきつく握りしめた。母親の肖像が入っているそれ。ワルドの決意で、ワルドのすべて。
虚無の力さえあれば、母の思いを貫きとおすことが出来る。『砂漠』という、この世界にとって忌むべき場所へと入っていけるというのに。
エルフという種族が居る。『反射』を操る彼らに、魔法は通用しない。しかし虚無ならば、という思いがあった。
虚無は四人。これは絶対不変のルール。
一人はルイズ。一人はジョゼフ。一人はミサカの召喚主。あと一人は……。
「あと一人の虚無は、誰だかご存知ですか?」
「問えば答えが返ってくると思うな」
「……あなたが世界を壊す前に、見たいものがあります」
「では行動しろ。お前の命は実に軽いぞ。吹けば飛んでいきそうだ」
がっはっは、と力強くジョゼフは笑い、玉座から腰を上げた。
杖を指揮棒のように振りながら壁ぎわへと歩き、そこに逆さまに掛けてある聖画を取る。
描くのも恐れ多いという理由で、なんとなく人影がこちらに向けて手を広げているような、そんな絵画。
「部下の部下、お前にはこれが何に見える?」
放られたそれはワルドの足元に、回転しながらたどり着いた。
ワルド自身も信心深い方ではないが、さすがに始祖のイコンをこうは扱えない。
「何に見えるとは?」
「そのままの意味だ。“それ”は何だ?」
「……始祖ブリミルの聖画です」
「ああ、残念だ。お前は虚無ではない」
なんだってんだ!
叫びだしたくなるのをぐっとこらえ、ワルドは静かに口を開いた。
「どういう意味です」
「ものごころ付いたころからだ。俺は“それ”に違和感しか感じなかった。なぜ逆さまに飾っているのだろうと、なぜこんなものを崇めるのだろうと」
「……?」
「弟とよく話したものだ。弟はいつも正しかった。これは始祖で逆さまなんかじゃない。偉い人だから崇めるのだと、そう言った」
だがな、ともったいぶったように。
「俺にはそれが、こう見えて仕方がないのだ」
いつの間にか、ワルドの手の中から聖画が消えて、それはジョゼフの手の中に。
もう一度壁に掛けられた始祖の絵画は、相変わらず逆向き。
それは、たとえばタイトルを付けるとして───『逆さまの男』だろうな、とワルドは混乱する頭で考えた。
・やっと胸を張ってクロスオーバーなんだぞって言える気がする。
・おじいちゃんはガリア編でもう一回出そうと思ってます。