05/なにも思いつかなかった
鋭く息を吐きながら剣を振るった。
ぴゅんっ。風を切るその音は、最近ではなかなかに満足のいく仕上がり。
「うん、いい感じ」
手のひらを握ったり開いたりしながらルイズは呟いた。
もともとが深く悩むような性質ではない。こうと決めたらこう。やると決めたらやるし、行くと決めたら行く。単純な人間なのだ、ルイズは。
それがどういったことか、もう決めていることに後から難癖付けて、いじいじと考え込んで、まったく自分らしくないことをしていた。
もう一度振る。うむ、楽しい。そうだ。見失いかけていたけれど、これが私なんだ。
優しげに微笑み、木剣をぶすりと地面に突き立てた。
「よし、行けるわ」
「どこにかね?」
同じように地面に突き立てられたデルフリンガーが、楽しそうに鍔を鳴らした。
「どこっていうか、ほら、とにかく調子がいいの、私」
「そりゃ見てて分かるってもんさ。単純だね、ガンダールヴってやつは」
「なによ、なんか文句ある?」
「いやさ、単純ってのはガンダールヴにとっちゃ力だからね、何の文句もねぇよ」
「どういう意味?」
「バカは強ぇってこった」
「私にバカって言っていいのはシロだけよ!」
げし、と剣の腹につま先を入れた。
今日、話してしまおう。一方通行が起きたのならその場その時、私はあんたが大事なんだよって。
それで、ギーシュを何とかしよう。あれは非常に気持ち悪いから、うん、何とかしよう。
魂が半分離脱しかけているモンモランシーに聞いたところ、惚れ薬の解除薬を作るには、水の精霊の一部が必要になるらしい。当然、そんな高価なものを貧乏ちゃんなモンモランシーが二つも持っている筈はなく、どうにかして手に入れなければならないのだ。
(まぁ、どうにかしてっていうか……)
水の精霊に『ください』と頼むしかないのだが。
今回は、一方通行に付いて来てくれと頼むつもりはない。なぜならこれはルイズの自業自得だから。一方通行との話が終わったらなんだか照れくさくもなりそうだし、ちょうどいい時間になるのかもしれない。
よし! と気合を入れて、自分の頬を二回叩いた。
「行くわ。緊張よ、すごい緊張」
「人間は手のひらに何か書くんじゃなかったかね?」
「うん? 何よそれ、どこの文化?」
「ほれ、何か文字を書いて飲み込むとか何とか……あれ? これは誰から聞いたんだっけか?」
「長生きしすぎてどうにかなってきてんじゃないでしょうね?」
「ひっひ、死ぬタイミングを逃しちまうと辛いね」
「爺ぃのたわごとね」
爺ぃとは何事だと騒ぐデルフリンガーを無理矢理鞘におさめ、ルイズは元気よく一方通行が寝ている自室へと駆け出した。
◆◇◆
夢を見ていた。
人間がたくさんいて、それは全部黒い影で、シロいのは自分だけ。
触れただけで人は死んでいく。人間は脆い。指先を一つ動かすだけで死んでいくような、崩れやすい存在だ。
殺した。笑った。殺した。笑った。殺した。笑った。
───ごきり。
そんな音が聞こえた。
足元を見てみると、首がねじ曲がった死体があった。見覚えのある死体だった。金に輝く総髪は乱れ、漏れ出た血に沈んでいて、伏せていて顔は見えないけれど、この部屋はアルビオンに行ったときに、壁に空いた大穴から入ったことがあって、だからこの死体は───、
「殺したな?」
死体から声が聞こえた。
「殺したな?」
もう一度。
「罪もない人間を、自分の都合で殺したな?」
死体はそう問いかけてくる。
夢の中の一方通行は、
「あァ? それがどォした」
それでこそ俺だ。どこか俯瞰の視点に居る一方通行はそう思った。
殺したものは殺したのだ。その先に、その者の続きはない。そこで終わり。だから一方通行は殺したことに関して、それ以上のことを考えなかった。
いくら一方通行でも、多少の罪悪感は存在している。人と比べてそれが大きいか小さいかは問題ではなくて、存在していることに意味がある。王子様の『続き』は、もし生きていたのなら、その続きはどうなっていたんだろうと考える思考スペースは存在しているのだ。
だからこそ、こんな夢を見ている。
殺すことに疑問をもつような、そんな場合ではないというのに。
「シロ」
声が聞こえた。
「シーローちゃんっ」
そう、こいつ。こいつは正論ばかり吐きやがる。口から出てくるのはどれもこれもが眩しくて、輝いていて、一方通行には直視できないものばかりで。
どうしてこんな奴が自分を召喚出来たのか不思議でならない。どう考えても、呼び出すのなら『あいつ』だろう?
「ほら、行きましょう?」
夢の中で、ルイズは上にいた。
一方通行が影ばかりのところにいるのなら、ルイズは光のあたる場所にいた。そっと手を差し伸べてくるそれに、一方通行は唾を吐いた。
「俺の“上”に立つンじゃねェ」
ふ、と全部が消えて、
「ほら、行きましょう?」
夢の中で、ルイズは先にいた。進むべき道が一本しかないその場所で、ルイズはこちらを振り返りながらそう言った。
「俺の“先”に行くンじゃねェ!」
ぎしり。歪むような音と共に浮遊感。
ああ、目が覚める。先を行くあいつに一言物申す時間すらなく、目が覚めてしまう。
ちくしょう。一方通行は俯瞰の位置から歯ぎしりした。
言いたいことが沢山ある。聞きたいことが沢山ある。なのにテメェは俺の上に、俺の先に。ふざけンな、ふざっけンな!
「しぃろぉ!」
はっとして両目を開くと、ルイズは目の前にいた。
一方通行のお腹の上に尻を落とし、立てた人差指で頬を突いてくる。
何が何だかよく分からなかった。夢の続きでも見ているのかもしれないと思った。
とにかく一方通行は右手を握り、拳を固めた。
「俺の上にッ! 乗るンじゃねェ!!」
「ぎゃふーんっ!」
その日初めて、今まで一万人以上殺しているが、その日初めて一方通行は女の子の顔面を殴った。
殴られてもなぜだかへらへらと笑っているルイズに若干の怖気を感じながら、一方通行は深々とため息をついた。
いつもの調子に戻っている。理解できない。
「あんた、『反射』がないとホントにもやしなのね」
私の鍛え上げられた肉体を破壊するには力が足りないわ、とルイズは続けた。
「で?」
力が無い。男の矜持に関わるそれを、一方通行はあえて無視しながら、
「どうだっつーンだ、こりゃよ」
昨日まで、目を合わせると視線がうろうろと逃げ回っていたルイズは、しっかりと対面してくる。
キュアドロップ型の、猫のそれと似た瞳は強い意志を感じさせ、それは一方通行が嫌いな、しかし羨ましいと思えるようなものに戻っていた。
はぁ。もう一度ため息。
どうせ自分勝手に考え込んで、自分勝手に解決したんだろう。これまでの生活で分かっている。一度ハマったら抜けだすのに時間がかかって、一度走り出したら止まらない、というか、止まれないような奴だ。
自分勝手は、それこそ一方通行の領分だというのに、こんなに近くに同じような奴がいる。何の冗談だよ、と思わず窓の外に目を向けた。
「どうっていうかね、私ね、その……」
「……」
「わ、わた、わわ私ねっ」
「ンだよ」
視線も向けずに一方通行は言うと、
「あんたが好き!」
なんだァそりゃ?
思わずルイズの顔をまじまじと観察してしまった。
「わわ私って、あんたのことね、好き……みたい、なの……」
「あ、あァ?」
「か、勘違いしないでよね! ホントに好きなんだからねっ!!」
「……」
「わかってる! 言わなくていい! そうよねあんたは私のこと嫌いだもんね! でもねでもね、あんたがこっちに向けるマイナスよりも、私があんたに向けるプラスの方が大きかったら、それってプラスじゃない! いいの、あんたは私のことが嫌いなままでいい。私はきっと、この先ずっと、あんたのこと好きよ……たぶん。だって昨日よりもあんたのこと好きだし……、一昨日と比べたらずっと好きだし、だから、明日もあんたのこと……好き」
ぎらぎらと輝く瞳は、とても告白をしてくる(仕掛けてくる?)少女のものとは思えなかった。
ただ、一方通行はその先と裏側に潜む意味になんとなく感づいて、そこで初めてルイズに身体ごと、真剣な表情をしながら対面した。
「俺ァ殺してンだよ、オージサマ」
「だから、聞かない。あんたが何のために殺したのかも聞かないし、どうやって殺したのかも聞かない。私決めたから、黙ってるって。お墓までもっていくの」
「くだらねェ」
「くだる!」
「?」
「く、くだらなくない!」
そォかい。
それだけを返して、一方通行はベッドに横になった。
瞳を閉じても眠気はこない。けれど眠ってしまっても、もうあんな夢を見ることはないのだろうな、とどこか確信に似た予感があった。
ぎし、とベッドが軋んだのを感じ、片目だけで隣を見るとルイズが虫のような動きで接近をかましてくる。
にょっきにょっきと動いて、ひっつくように一方通行の隣に小さく収まった。
しまりのない顔で笑いながら、
「ちゅーしていい?」
「断る」
「そ、それじゃ、抱きついてもいい?」
「断る」
「うう~、それなら、手つないでもいい?」
「断る」
「だ、だったら! 匂い嗅いでてもいい?」
ど変態が。
一方通行は反射設定をいつもより強めにかけた。
「……私ね、夜からラグドリアン湖まで行くから。ご飯とか、ちゃんと食べてなさいよ」
それは何処だとか、何しに行くんだとか、一方通行は一切聞かなかった。そもそも興味がない。
だから、静かにこう言った。
「そン時になったら起こせ」
この時は思いもしなかった。その先にあるもの。
ラグドリアン湖で待つものは、精霊の祝福などではなかった。
◆◇◆
賑わいをみせる王都。民衆の顔に映る笑顔。
はて、ここは無能王の統治するガリアのはずだが、とワルドは首をかしげた。聞いていた話ではわりとひどい有様、とのことだったが。
ワルドは荷台から売るつもりもない宝石の山を下ろし、路商のようにどかりと座り込んだ。風のルビーを右手でもてあそびながら客が来るのを待つ。
二十分ほどたったろうか。物珍しそうに貴族の一人が足をとめた。髭を蓄えた、優しげな瞳の老人。
「ほう、珍しい色合いのものがあるな」
「どうも。そいつぁ純正のアルビオン物でさぁ」
「アルビオン? なるほど、火事場泥棒から買い叩いたわけだ」
「はっは。金が欲しい者に金をやる、私らは代わりに売り物をもらう。こいつは商売ですよ」
「どこの世もそうして回っておるな。どれ、一つ買うてやろう」
老人は懐からやたらと重そうな袋を取り出した。
金属がこすれ合うような音がして、ずいぶんな金持ちが来たもんだ、とワルドは内心苦笑いを浮かべる。
「いや、お貴族さまはここで初めての客だ。そちらに並んでいるものから一つ持っていってくだせぇ」
初めから売るつもりなんてなかった。こんなところでちまちまと金儲けをするつもりもない。
そもそもがタダで手に入れた宝石類。一つや二つ譲ったところで罰は当たらないだろう。
少しでも心証を良くして、何か適当な情報でも集めようという算段であった。
しかし、
「なに? 平民からまき上げろというのか?」
優しげなその瞳に、剣呑な輝きが生まれた。
しまった、と舌打ち。こいつはプライドを持ってやがる。自分なんかだったら喜んで貰うところだというのに、これだから貴族ってやつは分からない。
ワルドは自身も元々その位置にいたのを棚に上げて毒づいた。
「……失礼を。本音を言えば、人死にで得た宝石なぞさっさと売っ払おうという魂胆でして」
「ならば捨ててしまえばいい」
「それじゃあ私は飢えて死んでしまいます。いい貴族さまってのは、平民を大切にするもんだと聞きましたが」
挑戦するような瞳でワルドは言った。
いざとなったら逃げてしまえばいいだけだ。この老人と、そばに控える護衛程度ならどうとでもなる。
ほうほうのていでアルビオンに逃げ帰って、マチルダに慰めてもらえばいいだけの話である。
老人はワルドの瞳をまっすぐに受け止め、二度三度考え込んだように髭をなでつけ、ふむ、と納得したように唸った。
「……もとは貴族か?」
「昔の話でさぁ、貴族さま」
「なるほどな。これは失礼した。そちらの善意……とは呼べんかもしれんが、とにかく宝石を一つ貰っていこう」
「そりゃどうも」
ワルドは手近なものから大粒を選び、どれにしますか、と差し出した。
老人は微笑みながら迷うそぶりを見せて、燃えるように赤い宝石を選びとる。太陽にかざして輝きを楽しんだ後に、そっと懐におさめた。
「お前のように生きれるのなら、平民に落ちるのも悪くはなかったのかもしれんな……」
寂しそうに言った老人は背中を向けて歩き去った。
やたらと小さく見えるそれが何を意味しているのかなんて、ワルドには一切分からない。こともないかもしれない。
次の日も、その次の日もワルドは宝石を見せびらかした。
売ったのはせいぜいが二つ程度。もともと平民が買うにはお高いものなので、冷やかしに来る者から適当にこの街の情勢などを聞いて、適当に情報収集に勤しんだ。
ガリア王ジョセフ。彼はどうやら、平民には嫌われていないようである。決して好かれているとも言えないが、『今の王で良い』と言うものが殆どであった。平民にとっては、軍事力の拡大は単純に力。力のある国に住んでいるという安心感がそうさせるのだろう。高度な政治の話など平民までは届かないし、届いたとしてもその日を生きるのに精いっぱいな人間には、それがどうしたといったところである。
対して、貴族も数名訪れたものだが、それらは隠すこともなく王のことを無能だと蔑んだ。政務は適当。愛人を連れ込んでは人形遊びに精を出すのだと。
平民と貴族の間に、これほどの壁がある。もし自分がここに住んでいたのならどちら側だろうかとなんとなしに考え、天を仰ぎながら面白い国だなぁ、とややあきれ調子に呟いた。
そして日が暮れ始め、今日も盛大に売れ残っている宝石たちを乱暴に袋に詰め込んでいると、
「おや、店じまいかね?」
あの老人貴族だった。
「血に濡れた宝石なぞ、なかなかどうして売れませんなぁ」
「ほっほ、余計なことばかり言っておるのだろう? 戦争の話なぞ黙っておけばよい」
「ゲルマニアではバカ売れだったのですがね。こちらの方々はどうにも用心深い」
ワルドが嘯くと、老人は手招きして馬車に乗れと促した。
さて、ここは重要な分岐点のような気がする。カッコつけるなら、重要なターニングポイントな訳である。
こちらの素性がばれた様な事はない、と信じたい。マチルダが用意した手形が、そう簡単にばれてしまうようなことはあるまい。
ではミサカだろうか。彼女は最初から尾行“させられ”ていて、初めから罠の可能性はないだろうか。
いや、とこちらも心の中で否定した。シェフィールドの様子を聞く限り、そんなそぶりは無かったようだし、何よりそれだとあまりに不用心すぎる。ホントはガリアのせいで戦争になったんだよ、なんて話が噂程度にでも広がれば、それは大きな国際問題に発展する可能性もある。
心臓が鼓動をワンテンポ早く叩き始めた。
柄にもなく緊張なんかしちゃって、恥ずかしい奴め。自分自身に笑いかける。
「おいしい食事でもご馳走してくれるのですかな?」
一歩、ワルドは踏み出した。
◆◇◆
鋭さをみせ始めた朝日。カーテン越しに刺さるそれは、夏の訪れを感じさせた。
ぐ、と伸びをしながらタバサに視線を送ると、彼女はまだ夢の中。昨夜は晩くまで話し込んでいて、眠ったのは夜というよりも朝だった。
タバサの事情は分かった。こう言っては何だが、よく聞く話だった。王権をめぐっての兄弟戦争。それに巻き込まれてしまった小さなタバサ。
可哀想だと思った。同情もした。ただ、キュルケはそれを口にすることはなかった。世話係の男にタバサの母、心を奪われた彼女の話を聞いても、キュルケはそう、とだけ返した。母の心を取り戻すのだ、とこころなし熱く語るタバサに、だったら、頑張らなきゃね、と短く言った。
冷たいとは思わない。誰にだって『お家』の事情というやつは、多かれ少なかれ存在する。タバサのそれがたまたま大きかっただけで、キュルケにしてみても無理矢理結婚させられようとしていたのだ。
キュルケにとっては結婚とは一大事である。他がどう思おうと、自分にとっては人生そのものと言い換えてもいいかもしれない。
タバサにとっては母のことがそうであり、そのことに命をかけているのだろう。
人それぞれ思うことがあり、それに対して他人がどうこう言ったところで、それは雑音でしかないだろう。
特にタバサなど、こう見えても根っこの方には熱いものをもっている人間だ。もう決めていることに、可哀想だとか慰めてあげるだとか、そういったものは必要ないだろうと思った。
キュルケはただ傍にいるだけだ。甘えてくるなら甘やかしてやるし、泣くのなら胸を貸そう。諦めるのならそこで慰めるし、最後までやるというのなら、絶対に協力しよう。
額にかかる青い髪。王家の印のそれを、キュルケは優しく流した。
ふ、とほんの少しだけ表情が柔らかくなったように見えたのは、錯覚ではないと思いたかった。
明日の夜、ラグドリアン湖へと向かう。
精霊を何とかしろ。それが王室からの御達しである。
説得する。出来なければ殺す。
静かにそう言ったタバサに、キュルケは何も言わなかった。ただ、そばにいた。