04/バーニング想い
ぎぃこ、ぎぃこ、とほんの少しだけ軋むような音を立てて馬車は進む。もちろん、進む先はガリア。その国境まで二泊して、キュルケとタバサの旅は続いた。
関所で手形を見せ、石の門をくぐるとそこはガリア。ガリア側の石門から衛士が出てくるのが見えて、キュルケはもう一度交通手形を見せつけた。
じろりと鋭いまなざしでそれを確かめた衛士は一度うなずき、
「この先の街道は通れません。迂回してもらえますか?」
ん? とキュルケは小首を傾げた。
「どういうことかしら。賊でも出るわけ?」
「ああいえ……」
言いにくそうに衛士が鼻の頭をかいた時、隣に座るタバサが、いつも通り小さな声で言う。
「ラグドリアン湖から水があふれてる。おそらく街道は水没」
へぇ。
キュルケはそんな生返事を返した。
言われたとおりに、ほんの少しだけ遠回りをしてタバサの実家へと進む。
小さな丘を上ると、トリステイン随一と言われるラグドリアン湖が一望できた。たしかに水位が上がっているようである。浜が見えず、小さな花々が水に飲まれている様がよく見えた。
ふむ。大問題である。このまま水があふれ出てくるようならば、何らかの対策を講じねばなるまい。というか、水位がここまで上がっているのに、ここの領主はいったい何をやっているのか。このままでは、おそらくこの界隈に住む農夫達にも影響が出てくるだろう。
「タバサ、このあたりは誰が統治めているの?」
「直轄領」
「へ?」
「ここは直轄領」
簡単にいえば、王様の土地ということである。
「あ、ああ……なるほど、そうなるわけね。だったら、あなたのご実家もこの辺ってことよね?」
「あと十分くらい」
キュルケの疑念は確信に変わった。
タバサは王族だ。ああ、王族なのだ。うすうすとは感じていたが、マジか。マジモンか。
ほんのちょっと、心臓が騒ぎ出した。
◆◇◆
ぎぃこ、ぎぃこ、とほんの少しだけ軋むような音を立てて馬車は進む。もちろん、進む先はガリア。国境まで四泊して、彼の旅は続いている。
関所が見えてきて、彼は懐から手形を取り出した。国を跨ごうというのだ。当然ながら身の証明が必要であり、そのための手形だ。
「手形を」
衛士の言葉に彼は素直に従った。懐から取り出したのは、正真正銘、手形だ。
衛士は鋭い視線で馬車の荷台を睨みつける。
「……荷は?」
「宝石でさぁ。先日の戦争で、至る所から流れ込んできやしてね、それを売りさばこうって魂胆で」
「ふ、あまりあくどい商売をするなよ。一応確認する」
「あいよ」
衛士が荷台に首を突っ込み、おお、と嘆息したのが聞こえた。
すばらしい、すばらしい、と我を忘れたようにつぶやくそれを見て、おそらく宝石に詳しい人間なのだろうなと辺りを付けた。
素晴らしいのは当然である。正真正銘の、純真で汚れなく、大切に保管されていたものなのだから。
「まったく、戦争で儲けるのはいつも商人だな!」
「それが世の理って奴でしょうよ、旦那」
「歯がゆいな……。ええい、一つ売ってはくれないか? もうすぐ結婚記念日でね、嫁に何か贈りたい」
「そりゃよしといたほうがいい。血なまぐさい宝石なんざ、もらっても嬉しくはないでしょうよ。旦那がじっくり選んだ物の方が、嫁さんは喜びますぜ」
「……ふむ」
そりゃそうだ、と衛士は苦笑いを浮かべながらうなずいた。
通れ。声が聞こえ、石門が開き、奥にもう一つ石門が。あれを抜ければ、ガリア。
どくん、と心臓が高鳴るのを感じた。
やると決めたことを実行しているだけなのに、なぜこんなに心臓が騒ぐのか。決めたことではないか。ガリアに行く。そのために手形を用意してもらい、平民に変装をして、売るつもりもない宝石なんかを荷台に乗せて。
世界の真実を暴く。それこそが彼の、ワルドの決意。『こうする』と決めたこと。コンプレックスの源。
ガリア側の衛士が、同じように荷台を確認した。先ほど聞いた言葉と同じようなことを言い、ワルドも同じように返す。
通れ。それが聞こえて、どこも同じようなものだな、と唇をゆがめた。
「そうだ、この先の街道は通れないから迂回していったほうがいいぞ」
「……ほう、通れない?」
「ああ。ラグドリアン湖の水が溢れていてね、街道はぐちゃぐちゃだ。馬の足を取られるぞ」
「それはいいことを聞いた」
ワルドはぺこりと頭を下げて国境を後にした。
足が付くのを嫌ってわざわざトリステインからの潜入だが、なかなかどうして上手くはいかない。まるで全知全能な何かに『行くな』とでも言われているような気分だった。
「……はっ」
そんな自分の考えを一息で吹き飛ばした。
行くな? 馬鹿を言うな。馬鹿を言うなよ。ワルドの生きる意味は『これ』にあるのに、『これ』の先にこそある筈なのに、行くな? それでは死んでいる。ワルドの生に意味がなくなる。進むことこそが生きることなのだ。ワルドにとって、生きるとは世界を暴くことにあるのだ。緩慢な自殺など、考えただけでもおぞましい。意味もなく生きるなど、他人はどうかは分からないが、ワルドは絶対にごめんだった。
「やってやるさ。俺はワルドだぞ」
片手だけで手綱を送り、馬を進めた。
目指す先は───
「首は洗ってなくてもいいから、大人しく待ってろよ、王様……」
ぶる、と体が震えたのは、誰が何と言おうと武者震いなのである。
◆◇◆
夜。女王になって、それは寝る時間ではなくお勉強の時間になった。
いや、もちろん睡眠はとる。睡眠を取らねば死ぬから。だから、もし死なないのだとすればもう寝なくてもいい。そう思うほどまでにアンリエッタは政務に励んだ。
幼いころからある程度の教育は受けていたとはいえ、所詮はある程度、で収まるほどのもの。現実に国を動かす王になったとなれば、ある程度ではいけないことくらい、そこらの平民でさえわかる。
たしかに、アンリエッタ自身が何をせずとも国は動く。母のように奥に引っ込んでいたって、国は動くのだ。
優秀な大臣がいる。優秀な側近がいる。それだけで、国を動かすのは十分だと思った。思っていた。
そしてその結果が、これだろう?
笑えないわ、と小さくつぶやいて、アンリエッタは眉間を揉んだ。
「もっと早くに……もっと早くに私が戴冠していれば、この結果は変わっていたの……?」
アルビオンの王権は滅び、ウェールズが死んだ。
「私がもっと早くに生まれていれば……」
ウェールズとの恋を形にして、両国の同盟をかたく結んで、それでいて良い統治をしていたのなら、もしかしたら、この結果は回避できたのかもしれない。
もし。かもしれない。そんな言葉ばかりがぐるぐると脳内を駆け巡り、いけない、とアンリエッタは首を振った。
過去は、もう過ぎ去ったものなのだ。ウェールズは死んだのだ。
それが現実。これは幻でもなんでもなくて、現実。
アンリエッタは王になった。だから勉強をしている。他国から下に見られないように、政治に意見を出せるように。王たる王になろうと、そう決めたのだ。
ただ、ほんの少し過去に引っ張られているだけで、それを振り切る強さを、私はもう見ているはずだろう?
あの光を。トリステインの未来をすくった、あの光を。
幼馴染は、強かった。文句の一つもなく(心の中ではどうか分からないが)自分の命令を聞いて、戦ったではないか。だからこそアンリエッタも強くなろうと決めたのだ。
ぎゅ、とアンリエッタはこぶしを固く握った。
忘れるの。忘れなさい、アンリエッタ。過去は過去。私が歩むべきその先にあるのは、未来ではないか。だから、ウェールズのことは───
こつん。
びくりと伏せ気味にしていた顔をあげて部屋を見回すが、特に何もなく───
こつん。
部屋鳴りの類かと思ったが、そうではなく、どうやら窓に何かが当たっているようだった。
アンリエッタは机に立て掛けた杖を手に取り、恐る恐る窓を開けた。
「ぁ……」
人が浮いていた。闇に紛れるように黒の外套を身にまとい、人が浮いているのだ。
不審者、なんて思いはこれっぽっちも出なかった。
その顔に見覚えがある。その髪の毛に見覚えがある。その瞳に、吸い込まれそうになる。
「やあ、久しぶりだね、アンリエッタ」
たまらなかった。その声は、まぎれもなくその声は、ウェールズのもので、瞳だって、その指先だって、黄金を練りこんだような髪の毛だって、間違いなくウェールズのもので。
「なん……で、ああ、ああ、なぜ、ここに……?」
「君を迎えに来たんだ、アンリエッタ」
「そんなはず……っ、ないわ、だってあなた……死んで……」
「じゃあ、君の前にいる僕は?」
「ま、まほうで、きっと、私をだまそうとして」
声が上ずり、視界が滲んでいく。
お笑い草だ。たった今忘れるのだと決意したというのに、顔を見ただけでこうも動揺して。
「空を飛んでいるのに、魔法? 僕はそう器用ではないよ」
ふ、と柔らかい笑みを浮かべるそれは、まさしくウェールズのものだった。
自分を恥じた。決意なんてものは、こうも簡単に崩れてしまうものなのかと。なんて汚い。女なんて、恋なんて、こんなに醜い。それなのにどうしようもなく、どこまでも激しい。
震える手を、窓から伸ばした。ウェールズの頬に触れると、それは温かかった。
生きている。間違いなく、彼は生きている。
「ウェールズさま……」
声に出してしまったら、あとはもう簡単だった。
女王なんてものが、民への思いが、今の今まで勉強していた政治への関心が、そのすべてが裏側へと飛んで行った。
「ウェールズさまっ、ウェールズさまぁ……」
涙があふれ出し、これはもう駄目だと悟った。
目の前の男を、こうも愛してしまっている自分は、おそらくどこか狂っている。
どこかで考えているはずなのだ。危ない。罠だ。偽物だ。
だがアンリエッタは、アンリエッタの女の部分が、いいの、とそう言った。いいの、危ないのなんて百も承知で。罠があるのなんて当然で。この彼が偽物かどうかなんて、考えていなくて。だから、これでいいの。
どこか諦めに似たような感情だった。
ウェールズが優しく自分の頭をなでてくれる。それだけで、もう……。
「風吹く夜に」
ウェールズのそれは、ひどく懐かしい言葉だった。
アンリエッタが子供のころ、ウェールズと密会を交わしていたあの時の合言葉。
震える唇で、
「水の誓いを……」
開け放たれた窓越しに、口づけを交わした。
◆◇◆
学院。学生たちは勉学に励む。魔法で高みを目指し、貴族たれ、と己を鼓舞する。
そんな中、毎日毎日KIN☆NIKUを育てる少女がいるのを知っているだろうか。もちろん知っているはずである。彼女は返ってきた能力を存分に発揮するために、これまでよりも鍛錬に力を入れていた。
魔法少女。そんな時代は終わりを告げて、そろそろ筋肉少女が表に出るのも近い。うすく割れた腹筋。力を入れればほんの少しだけ大腿四頭筋が浮き出る太もも。猛々しくも可愛らしいこぶを作る上腕二頭筋。鬼の顔は浮きでないが、普通の女の子よりも発達した広背筋。バストアップにちっとも役に立っていない大胸筋。
来る。筋肉の時代が。
来る。マッスルイズの時代が───!
「居るんだろう!? 開けておくれ! 開けておくれよアクセラレェェエエエタァアアアアア!!!」
と、現実逃避したくなるくらいにギーシュが気持ち悪かった。
こんこんではなく、どんどんでもなく、がんがんとギーシュは扉をノックしている。ノックというか破壊しようとしている。
みし、とドアノブの上のあたりが歪んだ。
「わ、わ、シ、シロ、ほら、来ちゃうって!」
一方通行の方を見れば、彼は寝ていた。実に美しい顔をさらし、健やかに寝ていた。
ああなるほど。反射してしまえばこんなもの聞こえないし感じない。この時ばかりは羨ましいを通り越して、嫉妬を通り越して。
「ずるい!」
ルイズは一方通行のかたを揺さぶ───れなかった。
動かない。ピクリとも動かないのだ。いや、これは触れられない? 一方通行の反射の膜に、ルイズまで遮られているのである。
ぐぬぬ、とルイズはこぶしを握ったが、ここで殴れば自分の手からピンクのお肉と真っ白なボーンとクリムゾンな鮮血が飛び出ることが分かっていたので、そのこぶしを握ったままがんがんとやかましい扉へと向き直った。
たしかに、いやさたしかにギーシュのアレは自分にも責任がある。他人の心を惑わせるような薬を飲ませてしまった。その手伝いをした。
自業自得と言われればそれだけなのだが、ギーシュがあれだと、一方通行も離れていくのだ。
飲ませたのは二日前だが、それから一秒だって心の休まる時があったろうか。
いや無い。断言できる。無い。
一方通行は不機嫌に眉をひそめるし、なんとかご機嫌を取ろうとするとギーシュがやってくるし、モンモランシーなど、どこか遠い目をしながらふふふと笑うばかりだ。
こんなことをしている場合ではないだろう。自分にそう文句をつけた。
今やるべきことは、こんな騒ぎを起こすことなんかじゃなくて、一方通行と話すこと。惚れ薬なんかどうでもよくって、一方通行と話し合うのが大切なのだ。
考えてもみろ。ギーシュが一方通行に『惚れた』あの時、一方通行は自分を探していたではないか。
ただ事ではない。一方通行がルイズを探して他人の部屋に入ってくるなんてことは、ただ事ではないじゃないか。
そのチャンスを、話し合う機会を、自業自得のこんなことで潰してしまった。
なんて馬鹿な真似をしてしまったのだろう。なんともったいないことをしてしまったのだろう。
このままでいい訳がないのだ。
大切な使い魔と、尊敬するべき女王様。ルイズは嘘をついている。そのことが、どんな馬鹿騒ぎが起きたって頭の隅に残っているのだ。
どうすればいいのだろうと自問しても、答えなんか返ってこない。
姫様には、結局話すことはなかった。一方通行にも、何も言ってはいない。
「……。どうするかなんて、そんなの……」
もう一度、拳を固めた。
「そんなの……!」
ばぎゃ! 木片をまき散らしながら、ついにドアが破壊された。
ひひ、と引きつるような笑いを上げるギーシュが、そこにいるのだ。
「乾坤一擲ッ!!」
腰だめに構えた右の拳を、何の迷いもなく放った。
左手を引く動作と共に進むそれは、まさしく正拳突き。
ずん、と右手に重い感触。ギーシュの鳩尾に入り込んだそれは、彼を悲鳴すら上げさせないままに打ち崩した。
伏すギーシュを汚物のように見下しながら、
「私は、嘘ついちゃってるのよ……。もう、どっちに進むかなんて分かりきってることじゃない」
迷うな。見えないふりをするな。言い聞かせるように。
もう、あの場で、嘘をついたあの瞬間に、自分の心がどちらに傾いているかなど、分かりきっていることではないか。どうしてルイズは嘘をついたというのか。それはどこまでも、一方通行の為ではないか。ただただ彼をそばに置いておきたくて、ただただ彼を他のだれかに取られたくなくて、ただただ彼を、これ以上傷つけたくなくて。
そんな自分の考えに、ルイズは寂しくため息をついた。
女はきっと損をする。恋だの愛だの、そんな話になったら、いつも損をするのは女だ。こんなに熱く燃え上がる気持ちを、押さえてなんておけない。大切な人が居たら一国の王様を裏切ってもいいと思ってしまっている。
「シロ……」
床に膝をついて、ベッドに肘を乗せて、ルイズは指先で一方通行の髪の毛を撫ぜた。
どうせ聞こえていないし、届いてなんかいない。
「私さ、あんたのこと、きっと本気で好きなんだわ」
自分でもこの感情が何なのか、少し判断に困るのだ。
恋? 一方通行に恋してるの?
それにうん、と頷いてしまうには、なんだかちょっと違うような、ずれているような。
だから、ただ好き。大切。
恋してるんじゃなくて、ただ、大事。
いいのではないだろうか。こんなものがあっても。全部が全部愛だの恋だのともっていくのは、ツェルプストーに任せてしまえばいい。
なんだか少しこっぱずかしくなって、ルイズは鼻の頭を掻いた。
きっと一方通行は、自分のことを好きにはならないだろう。だけど、それでもいいと思えるほどの気持がルイズにはある。
ギーシュの馬鹿騒ぎのおかげで、悩みが一回ぶっ飛んで、もう一度考えてみたらこうも簡単に落ち付いてしまった。
「ばっかみたい」
ごめんね。ありがと。
口には出さず、視線にすら乗せずに、ただ心の中だけでギーシュに送った。