03/リザーブズ
のそりのそりと牛が歩くのを眺めながら、暖かい陽光に目を細めた。
隣に居るタバサに「牛! 牛よ牛!」声をかけると、相変わらずの「そう」。
学院から南東へと伸びる街道を、二人は馬車で下った。
近くに牧場でもあるのだろう。牛たちが草を食んでいるのがなんとも微笑ましい。
「いいものねぇ、たまにはこういうのも」
「……そう」
タバサは本を読みながら応え、これまた相変わらず、視線すらよこさない。
そんなことに一々腹を立てるキュルケではないし、人付き合いに関してどこまでも『微熱』なキュルケからするならば、むしろ心地よい距離感だと感じた。
だからキュルケは一切、何一つ、この馬車の進む先を知らない。目的も知らない。ただ、タバサの部屋に行くと、どこかへ出かけるような支度をしていたので付いて来ただけである。
先日負った傷も未だに完治はしていないだろうし、もし知らない人とコミュニケーションを取る事になったら、タバサ一人では実に不安である。
とは言え、心配だから付いて行くとは言えない。なぜなら、そう言うとタバサが駄目と言うから。
駄目といわれても付いて行くキュルケだが、駄目と言わせないように素直についていく方法が、
「で、なになに? 男と会ったりとかしちゃうのかしら?」
「ちがう」
こんな風に、興味本意を装うこと。
キュルケは知っていたのだ。タバサがふらりと学院から消えることがあるのを。その度に怪我をして帰ってきているのを。タバサ本人もこんな性格だから別に怪我を隠そうとはしないし、しかしそれについてつっこんだことを言っても、何も答えない。
距離感は大事だ。言いたくないから言わないのだろうし、それに対してどうしても、とは頼めない。相手がタバサでなかったのならもちろん放っておくところだ。
そう。タバサでなかったのなら。
相手が悪い。タバサだ。問題を抱えているのは、タバサなのだ。
これはもう、今まで一度だって崩したことのないポリシーを壊してでも付いて行くべきだと感じた。
キュルケはタバサと、まぁ、恥ずかしげもなく本心をさらけ出してもいいなら、ルイズ。この二人のためなら身体を張ってもいいと思っている。どこまでも『微熱』を貫いてきたが、二人のためなら灼熱程度になってもいいと。
(なぁんか、放っておけないのよねぇ……)
二人とも、どこか危なっかしいのだ。キュルケは人を見る目にそこそこの自信を持っているが、そのそこそこの自信程度で感じるほどに危なっかしい。どうにかしてやらねば! と強迫観念に似た何かがキュルケを動かすのだ。
キュルケは窓から顔を出して、生ぬるい風を感じた。もう夏がやってくる。夏期休暇はどうしようか、とのんきなことを考えた。
「ねえタバサ」
「なに?」
「どこに向かってるの、この馬車」
「実家」
ん? とキュルケは首をかしげ、窓から首を引っ込めた。本から視線を外さないタバサに、
「でもこの道って……」
国境が迫っている。続く先は、ガリア。
キュルケはピンと来て、なるほど、と自分勝手に納得した。そもそも『タバサ』という名前の時点でどことなく違和感を覚えていたが、それが確信に変わる瞬間だった。
タバサはトリステインの人間ではない。ガリアの人間だ。自分と同じ、留学生だったのだ。そして、偽名を使わねばならないほどに、その正体は───……。
青い。タバサはキュルケと対照的に、青かった。
「……」
「なに?」
「ううん、何でもない」
首を振り、柔らかく微笑んだ。
別にタバサが誰であれ、キュルケには今の思いがどうこうなるとは考えられなかった。タバサはタバサ。キュルケを動かすほどに、どことなく危なっかしい少女。それだけだ。
いざとなったら、守ってあげる。
声には出さず、視線にすら乗せずに、心中でのみ呟いた。
すると、キュルケが呟いたのと同時にタバサは本から目を離し、じ、と瞳を覗き込んでくるのだ。
何だか心を読まれているような気分になり、キュルケは珍しく焦りを顔に出しながら、もう一度窓の外を眺めた。
「……ん?」
前方から、馬車に乗った一行が現れた。十人程度の一団で、深く、顔を隠すようにフードを被っている。キュルケはなんとなしに杖を見て、その造りから、その一団は軍人であることを悟った。
戦時中の今、軍人を見かける事は珍しくはない。それなのに、頭の隅に引っかかる何か。
ぎっこぎっこと馬車は進み、すれ違いの瞬間。
「……」
特に、おかしなところはなかった。
それはそれは、軍人たちだった。
おかいしいなぁ、と首を捻り、頭の隅にある何かに答えを出そうとするが、それは時間が経つに連れてもやの中へと消えていく。
「タバサ」
「なに?」
「今の軍人たち、見た?」
「見てない」
「そ」
「そう」
「残念ね、なかなかいい男だったのに」
「興味ない」
「あら、だめよそんなんじゃ。いのち短し恋せよ乙女って言うじゃない」
「変?」
「へ? い、いえ、たしかに恋と変は似てるかもしれないけれど……」
「恋をしないのは、おかしい?」
「おっかしいわよ、恋しないなんて考えられないわ! 女の一生はね、いかに上手く恋をするのかにかかっているの!」
ぐ、と拳を握りながらタバサに恋の何たるかを、それこそ一から説明して、いつの間にか、すれ違った軍人たちのことはキュルケの頭の中から消えていった。
◇◆◇
まず、息を殺す。吐息を限りなく薄く、ゆっくりと吐き、音を殺す。
次いで、その身を木の陰へと落とす。自身の存在そのものがこの木の一部だと、出来る限り同化する。
すると、気配は姿を消す。自分という、もともと不確かな存在は、この森の一部となる。
体温すら無くなってしまったと思うほどにミサカの擬態は、それはもうすばらしいものだった。兵隊が学ぶべき軍事マニュアルには、もちろんこういったことも含まれている。
いかに戦うか。どう殺すか。それだけしかないミサカは、だからこそ余計な不純物を混ぜることなく、ただのマシーンとして、機械として、人間ではない何かとして、気配を殺すことに長けていた。
呼吸は一分間に三回。ゆっくり、じっくり、正確に。心臓の鼓動で時間を計る。
ミサカの心は、普通の人よりも平坦だ。グラフで表すならば、山と谷の波が限りなく少ない。この状況で焦りを感じることは、一切無かった。
視線の先。森の陰に隠れて、一人の女が居た。
黒尽くめで、こちらの世界に慣れてきたミサカにとっても珍しい服装。フードを目深に被って───、いや、それを下ろした。黒々とした総髪がなびく。
(そこそこの美人です、とミサカは暗に自分のほうが上だといやらしい含み笑いをします)
シェフィールド。本名かどうかは分からないがね、とワルドは言っていた。
ミサカはそれを追っている最中。今までも何度かシェフィールドを追い、この森には来たことがあった。シェフィールドはいつも場所を変えながら、ちらりちらりと後方を振り返りながら、警戒を怠ること無く森の中へと入っていくのだ。
初めは相手の実力が分からないものだから、シェフィールドとの距離は十五メートルだった。何かを呟いている様子だったが、それは聞こえなかった。
二回目は一メートルだけ距離を縮めた。もちろん、なにを言っているのかは分からなかった。
三回、四回とそれを繰り返し、今日で何度目のストーカー行為だろうか。
彼我距離、四メートル。
だからこそ、ミサカは限りなく自分を殺した。シェフィールドが一歩進めば、ミサカはその一歩分の距離を、シェフィールドの十倍の時間をかけて縮めた。
足を動かすわけでなく、足の指を動かすような、間合いを削る作業。時には深く身を伏せ、手だけ指だけで進む、拷問のような匍匐前進。
顔も服も、汚れていないところなどない。じゃり、と口の中にある砂を噛みながらミサカは、しかしどこまでも冷静だった。
(心拍、呼吸、共に正常。指先の感覚も異常なし……)
───ばさッ!
野鳥が一羽、木の陰から飛んだ。ミサカの心臓が動揺を見せることはない。
その音でシェフィールドがこちらを振り返る。じ、とミサカが隠れている木を見つめ、数分がたってようやく目を離した。
「……私です」
ついに捉えた、その声。
この距離で身を乗り出すのはさすがにまずいと割り切り、聴覚だけに集中させた。
「計画の通り、ウェールズはトリステインへ……はい」
ワルドの予想は見事に的中していたのだ。
ミサカは何度もワルドに対して言ったことがある。なぜ、あの女が怪しいと思うのか。ワルドの答えは非情に単純で「勘だ」、と。
とてもではないが、考えられないようなものだった。ミサカは勘を頼りにはしない。したこともない。どこまでもマニュアルに照らし合わせてでしか行動が出来ない。
不可解だった。不可解だったが、なかなか面白い。いつか自分も勘を習得することが出来るだろうか、となんとなしに考えた。
それからシェフィールドは二言三言会話(?)を続け、そして最後に───見た。
どこを見たかというと、別にどこでもない。空とも言えるし、木の葉を見たとも言える。ただ、ミサカが気になったのはその方角。
いままで何度となく追跡を行ってきたが、彼女はいつもその方角を覗くのだ。
ミサカには『勘』がない。別にそのことに対して、特に何かを思ったことはない。統計的に考えて、よく見るなぁと思っただけ。
「我が主……」
ただ、これは報告の必要性あり、だ。
はぁ、と熱いため息と共に吐き出されたそれは、今まで動揺の欠片も無かったミサカの心臓を跳ね上げさせるほどに、どこまでも女の声だった。
◇◆◇
ミサカが指差した方角。その先を辿れば、どんな馬鹿でも知っている軍事大国、ガリア。
ああ、とワルドは顔を覆ってしまいたい気持ちになった。けれども片手しかないし、なんとなく格好がつかないので大人の余裕を見せ付けるようにミサカへと労いの言葉をかけ、部屋で休めと勧める。
「では失礼します、とミサカは深々とお辞儀をしました」
出て行く背中を確認し、
「はぁ……、ああくっそ、くそ! ガリア? くそ!」
予想していた中で、もっとも嫌な相手だった。
軍事大国を名乗るとおり、ガリアは強い。国庫は潤っているし(最近はよく分からないが)、それゆえに兵団の装備が豊富。戦艦を作る技術にも長け、簡単に言えば戦争が強い。メイジ一人一人の質も違う。トリステインのように、平民の兵隊を馬鹿にするようなことがないのだ。
ワルドも裏の世界に入って少し経つが、以前知り合った『元』ガリア軍人が語るそれ。
ガリアの考えでもっとも凶悪なのは、人を人と思っていないこと。お前は死んでこい。その命令が何の躊躇もなく出ること。そして、その命令に何の躊躇もなく兵隊が従うこと。
ワルドはそれを怖いと思った。もちろん貴族であったこの身、死んでこいという命令は名誉に繋がるものだと理解はしている。だが、簡単に従えるかといえば、NOだ。ワルドだったら従わない。プライドなんかかなぐり捨ててでも生き残る。
元ガリア軍人もそういうタイプの人間だった。だからこそ馬が合ったし、そんな話も聞けた。
『狂ってるよ、ガリアは。なんたって、トップの頭が狂ってる』
無能王ジョゼフ。あまりに有名な王様。
彼が戴冠してから、まぁそもそも軍事的王国ではあったが、ガリアはさらに軍事力を伸ばすことになる。周辺国の誰もが思った。どこに戦争を仕掛けるつもりなのかと。
しかしジョゼフは大戦を行うことはなかった。小さなイザコザ程度のものなら何度かあったが、それは強化した軍事力で潰すような、そんなものではなかった。既存の戦力でどうとでもなるものばかりだったのだ。
力を見せ付けたいだけのアピール。ただの示威行為であり自慰行為だと周辺諸国は胸を撫で下ろし、無能王だと蔑む。
無能王。王にあるまじきそれ。
ジョゼフが魔法を上手く使えないのは、周知の事実だった。当然ガリアはその事実をひた隠しにしてきたのであろうが、人のお口には、物理的な方法以外ではチャックをつけることは出来ないのである。
魔法が使えない無能王。軍事力ばかりを育てる無能王。政治はそこそこにこなすが力を入れない無能王。
「ちくしょう……、あぁ、今更になって怖くなってきた……」
はぁ、と両手を挙げて(片方は飛んでいったが)ワルドはベッドに横になる。
魔法が使えない王族。そんなものは、存在しない。絶対に存在しない。『血』の濃い王族はきわめて優秀であり、天才的な魔法資質を持つ。人の努力をぽーんと飛び越えるようなものを、王族というものはその血の中に、生まれながらに持っているのだ。
これはワルドの持論。しかしあながち外れたものでもないだろう。
だからこそ『無能王』は目立つ存在であり、その言葉で誰もが安心しきっているが、
「絶っっっ対、虚無だろ! だよなぁ! ああくそ、分かってたけどさぁ!」
そう、虚無だ。
ワルドは知っている。始祖の血を分ける存在の中に、虚無が居ることを。例えば王族であり、どこかでそれと交わった家系。
純粋に王族で、それで魔法が使えないとなるならば、ワルドにとっての答えは当たり前のように用意されていた。
「はぁ。どうせなら本物の無能であって欲しかったけど……いやぁ、他国に居ながらアルビオンをここまで動かすんだもんなぁ。無能が聞いてあきれるよ。何が無能だ。ああちくしょう……」
ワルドはベッドに横になったまますぅ、と息を吸い込み、
「マチルダー! おーい! マチルダー!!」
数十秒がたち、乱暴に扉が開いた。
「なんだい! せっかくうとうとしてたのに!」
「なに? 僕を差し置いて寝るつもりか、君」
「あたしがいつ寝ようが勝手だろう!」
「僕は一人じゃ眠れないんだ。一緒に寝よう」
「んなぁっ……、ば、ばか……」
言いながら頬を紅潮させ、もじ、とマチルダは身をよじる。
あれ? とワルドは若干の焦りを感じ、
「……。……いや、冗談なんだけどね?」
さて、とワルドが本題に入る前に、飾ってあった花が花瓶ごと飛んできた。
◇◆◇
ところ変わって、トリステイン。
「ふああ! ああ! あああ! アクセッ、アクセラレエエエエエタアアアアアアア!」
「うるさいのよアンタ!」
ごしゃ、と硬いもので肉を打つ音が聞こえた。
今日も平和である。