07/~赤色アルビオン・乳~
朝日が目に沁みた。
「ふにゃふにゃ~、なんで朝かー……?」
ルイズはふにゃふにゃ言いながらふにゃふにゃ起きた。ベッドの上で正座し、いち、に、さん。覚醒である。
「あー、朝。起きた。いま凄い起きた」
ぱちくりと瞬き。ルイズは寝起きでご飯を三杯食べられる人間である。要するに朝に強い人間だ。毎日 日の出と共に起きてトレーニングをしているものだから、太陽の光を見ると完全に目が覚めてしまう。
ひとまずお腹が空いたなと思い、自分の右側にタバサが眠っているのに気が付いた。一方通行ではなくタバサが。そしてその奥にキュルケが眠っている。おっぱいはみだしながら寝ている。
「あん?」
はみだすおっぱいを見ながらルイズは取り敢えずキュルケにビンタした。
「ほら、起きなさいよ。起きなさいってば」
ばしばしばしと三発。
もちろん頬ではなく、はみだしたおっぱいをビンタしているのである。ルイズにとってキュルケ=おっぱいなのでそれでいいのである。きっとキュルケはおっぱいで物事を考えていて、おっぱいの中に脳みそがあるのだ。脳挫傷確定である。
はいっ、はいっ、とルイズはリズムよくおっぱいを叩き、ようやくキュルケの寝顔が不機嫌そうに変わっていった。
「んあっ、あ、いた……、いたいいたいっ、ちょ、痛いわよ!」
「やっと起きたわね」
「なんて事するのよあなた! こんな起こされ方したの初めてだわ!」
「私も誰かのはみだしおっぱい叩いて起こすなんて生まれて初めてよ! なんてもの見せるの!? あんたのおっぱいははみだすからいいけどねっ、タバサのおっぱいははみださないのよ! 教育に悪いでしょうが!」
「タバサの、とか言ってんじゃないわ! あなたのでしょ! あなたのおっぱいがはみださないの!」
「その代わりに下腿三頭筋がモロだしじゃない! 流血モンでしょうがッ、鼻血的な意味で!」
下腿三頭筋。簡単に言うと、ふくらはぎである。
その筋肉、彼女的に言うと下腿三頭筋をうっとりとした目で見ながら、手のひらで撫ぜながらルイズは口を開く。
「今日も……美しい」
「……気持ち悪いからそこまでにして。タバサが起きちゃう」
言われて、いや、むしろルイズはこの騒ぎを利用してタバサを起こそうとしていたのだが、しかしタバサはしっかりと眠っているようである。
せっかく寝起きと共に笑いの一発でもくれてやろうとしたのに、しっかりとハズしてしまった。
ルイズはいつも一方通行にするようにタバサの頬をむにむに突付き、キュルケにこら、と怒られてしまった。タバサは起きない。子供のようにキュルケのお腹辺りに抱きついたまま寝息を立てている。
「何で起きないのよ……スベったじゃない」
「……あなたね、そうやって愉快な女なのはいいけど、いい加減にしないとモテないわよ?」
「シロは笑ってくれるもーん」
「それって嘲笑じゃないかしら?」
「え、うそ?」
そんなはずはないと言えないのが痛いところである。
自身の『笑い』の感性をもう一度見つめなおす必要がありそうだ、とルイズは腕を組み考え、キュルケは微笑みながらタバサの頭を撫ぜて、そしてタバサがゆっくりと瞼を開ける。
ルイズは眠たそうに目を擦っているタバサを見、取り敢えず腕を組んだままブリッジした。ごん、と頭と床がぶつかる。首をぶるぶるさせながらルイズは、やけに低い声で飛ばした。
「おはよう」
ノー・ルックおはようを。
。。。。。
一階に降りて朝食。ワルドを起こすのは気が引けたので置いてきた。恐らく一番疲れているのは彼だろう。姫の護衛が終わったと思ったらすぐにルイズの護衛なのだ。
大変ね、とキュルケは呟やいて、やけに目を輝かせているタバサとそれにぶんぶんと手をふっているルイズが視界に入った。
「何をしていたの?」
「いやよ! 聞かないで! 私の黒歴史!」
変わらず馬鹿なルイズの護衛なのだ。本当に大変だろう。いくら彼が真性のロリータ・コンプレックスであっても大変なものは大変のはずなのだ。よくも笑顔を絶やさずにここまで来れたものである。
キュルケは寝起きのくせにもぐもぐと口の中に次々食べ物を入れていくルイズを見ながらそんな事を考えた。
「……それで、今日はこれからどうするの?」
「ご飯食べてからね。ワルド起こしてすぐにでもアルビオンに行かなきゃ」
「王子様、生きてると思う?」
「まだ大丈夫でしょうけど……、正直あと二、三日だと思う。グズグズしてたらまずいかも」
お勉強は出来るのだ、ルイズは。その状況把握には自分の望み、まだもって欲しい、などの願いは一切無く、冷静に見ていた。
キュルケは危ないところばっかり優秀なんだから、と小声で呟き、疑問を視線に乗せてくるルイズになんでもない、と手を振った。
アルビオンは終わる。
これはもう、間違いないことであろう。昨日の夜、貴族しか泊まらないような高価なこの宿に、どこぞの傭兵が紛れ込んでいた。しっかりとお金は貰ってから逃げ出してきたやつらである。たまには良い所に泊まろうと思ったのか、それとも他に空きが無かったのか。
その傭兵達は口々にアルビオンは駄目だ、もう駄目だ。今からそこに行こうという人間に、よくも聞かせてくれたものだ。
これからアルビオンに行く。王党派の王子様に会いに行く。貴族派の人間から見るならば敵である。
ちょっとだけ緊張して、キュルケは唇を噛んだ。
ルイズもタバサも特にそういうものは無さそうだが、キュルケには心配事が沢山ある。
まずタバサの言うワルドの事。
冗談抜きに言うと、タバサが警戒しているのだからそれに越した事はないだろうと思う。タバサはどういうことか、そういう部分に鋭い。マイナス面を見抜ける目を持っているのだ。一度は魔法を撃ち合った仲である。そのあたりは信用している。
いま、キュルケにとってワルドはロリコンで、もしかしたら悪いヤツ。ていうか、タバサが言うのだから、多分悪いヤツ。気の抜けない相手であることは間違いない。
そしてルイズ。
ルイズはアホなので心配が絶えることなど無い。
最後に一方通行。
なんで人の使い魔の心配までせにゃならんのだ。そうは思うも、あの寂しそうな目をした使い魔の少年を放っておこうとも思えない。深く入り込もうとも思わないが、もうちょっと何とかしたほうがいい。絶対に。
一方通行は恐らくルイズに人を殺させたくない。その思いが強かったのだと思う。それはキュルケだって同じで、友達が今から人を殺しますといったら止めるのが当たり前だろう。
だが、これから赴くのは戦場で、そこではきっと、いちいち相手の命など心配している暇はないだろう。ルイズに限った事ではなく、キュルケだって、もしかしたら人を殺す。
ぞく、と背筋を冷たいものが走った。
人を殺したい人間なんて、快楽殺人鬼以外にはきっと存在しない。
キュルケはとにかく殺さないように、殺させないようにしようと心に決めた。
「なぁに難しい顔してんのよ」
と、こちらは色々とサムいことを考えているのに当のルイズはへらへらとしまりのない顔をしている。ちょっと腹が立った。
「……あなたはゆるい顔してるわね、相変わらず」
「やかましい。あのね、考えても何にも変わらないのよ? 考えるだけじゃ、何も変わらないの。私のやる事は姫様からもう聞いてるんだから、後は動くだけじゃない。決めた事に向かってるの。何も考えてないわけじゃないの」
「……私はね、服を買うときに迷う派なの」
「私は欲しいものを決めていく派よ」
フォークでハムをぶっ刺しながらルイズは言った。
キュルケは考え、つまりルイズは、すでに殺す覚悟を持っているのだろうか。いや、自分が生きるのがもちろん最優先なので、それも仕方がないのかもしれないが、それでは一方通行が余りに───、
「何勘違いしてやがる」
「ひょ?」
「顔に出てるわよ、顔に。何あんた、私のこと人殺しにしたいわけ?」
「そ、そんな事ないわよ。でもあなた、覚悟完了しちゃってるじゃない」
「あのね、私はね、殺さないって覚悟完了しちゃったの。いやよ私、殺すのなんて。怖いじゃない」
事も無げに言うルイズに、キュルケはぽかんと口を開けて、次いで笑い始めた。
「なるほど。あぁ、ホント、なるほどって感じね。あなたらしい」
「馬鹿にしてる?」
「素直に感心してるの。凄いわよ、あなた。ね、タバサ?」
苦いサラダを食べているタバサはこくりと静かに頷いた。
戦争があっているところに行って殺さない、なんて。一方通行との共通点を見つけたかもしれないな、とキュルケは呆れたように息をついた。
なんて事はない。二人とも、超超わがまま。自分のしたい様にしている。
ルイズは自分勝手で、そのくせに結局は人のために行動している。何だか矛盾が発生しているようだが、そうではないのだ。ルイズはわがままに人の役に立とうとしているのだろう。おせっかい、と言うところか。
(……面倒臭い女ね、まったく)
こちらが心配しているなど知っているくせに、そんなの知らんという調子である。
何だか考えるのが馬鹿らしくなってきて、ようやくキュルケのおなかの虫が鳴いた。
「……私も何か食べとこうかしら」
「そうなさい。食べなきゃ大きくなれないわよ」
「あなたに言われたくないわよ。食べても大きくなってないじゃない」
「なってるわよ。去年より筋肉付いたでしょ? ほら、見なさいよほら」
可愛らしい力こぶを作るルイズを“はいはい”と流しメニューを開いた。
タバサが食べているハシバミ草のサラダはキュルケにはとても食べられたものではないので、朝のお勧めメニューと書いてあるサラダを頼む。
そして、メイドの格好をした女がそれを持ってきたところで、そう言えば、とふとした疑問が頭をかすめた。
(……?)
何だか、昨日はあんなに賑やかだったこの場所、夜は酒場になっているが、あれだけの人間が騒いでいたのに、随分少なくはないだろうか。
いや、もちろん早い時間なのも分かっているのだが、それにしたって自分達以外に見かけるのは二人だけというのは、いくらなんでもおかしいような気がする。
心配事が多くて疑心暗鬼になっているだけなのだろうか。ただ何となく違和感を覚える。
もやもやとしたものがキュルケの心中に育っていき、その時、サラダを食べていたタバサが不意に杖をとった。キュルケたちが使っている指揮棒のようなものとは違い、自分の身長より大きなそれをタバサは握った。
あ、とキュルケは口を開き。
瞬間。宿の出入り口が吹き飛んだ。
「あらぁ?」
自分の出した声にまぬけだなぁ、と感想を。
木造の扉は砕けて飛んで、キュルケの顔面すれすれをすっ飛んでいった。
大穴があいてしまった壁は、それが岩を切り出して作られているために濛々と砂煙を上げて、それがはれる頃になんとも似つかわしくない綺麗な声が聞こえてきた。
「おはようさん。昨日はよく眠れたかい?」
どこかで聞いたような。どこかで見たような。傭兵達をぞろぞろと引き連れての登場である。
ああなるほど。だからここにはこんなにお客が少なかったのか、と得心。
「ミセス・ロングビルじゃない」
「まだミスだよッ。……どいつもこいつも」
まだサラダを一口も食べてないのに。
言おうとしたときにはすでに遅くて、そのときにはルイズが敵に向けて突っ込んでいた。あの喋る剣は部屋へと置いてきているくせに突っ込んでいくのだ。
彼女は走りながらグラスの中の水を飲み干すと、フーケと一緒になって来た傭兵達、その中の一人に向けて投げつけた。グラスの砕ける音と共に一歩のけぞった傭兵に向けてルイズは蹴りを放つ。
がつん! と頭部を直撃したそれは傭兵を怯ませ、
「貰うわよこれ」
ルイズは剣を盗んだ。
きたきたきたぁぁ! んほぉぉぉおお!
なにやら叫びながら剣の腹で傭兵たちを吹き飛ばしていく。本当に吹き飛ばしているのだ。ルイズの振り回す剣に当たった傭兵はおもちゃの様に。
キュルケは思わずため息をつき、迷惑そうな表情をフーケへ。
ゴーレムの肩に乗っている彼女は楽しそうに笑っていた。
「あー、何かしらコレ。あれ? あんまり楽しくない事情?」
「いやいや、おもしろいねアンタのお友達は」
フーケが傭兵相手に一騎当千しているルイズへと視線を向けながら言った。
「でしょう? 今度はやられちゃうわよ。さっさと逃げなさい」
「そういう訳にも、いかなくてねえ!」
ついにキュルケに向けてゴーレムの拳は振り下ろされた。
きゃーきゃー騒ぎながらキュルケはそれをかわし、タバサと一度だけ目を合わせた。キュルケの意図を理解したのか、タバサは頷くとルイズのほうへと駆け寄っていく。
どうやら、タバサの勘は間違いなく当たりらしい。
何をどう考えてもこの中の誰かと連絡を取っていなくては、ここまでタイミングよくは現れないだろう。
思うに、ここで暴れて何がしたいかというと、戦力の分散なのだ。
もともとはワルドとルイズと一方通行。この三人だったはずが、まず一方通行が付いて来ていない。これは相手にとって僥倖だったのだろうか。とにかく、その辺りはよく分からないがとにかく、キュルケとタバサ、この二人は完全に想定外だった筈だ。
完全にワルドを敵として見ている考えだが、この襲撃で疑いはより深くなった。
ワルドはなにかを隠している。隠しているだけならいいが、こんな、フーケまで使ってくるなど、完全に敵なのではないだろうか。
目的など、分からない事は沢山あるも、今はとにかく、
「きゃーきゃーきゃー! ま、待って! 当たったら───」
口の中だけで呪文を紡ぎ、
「───死んじゃうでしょうが!」
杖を振った。
炎弾が杖の先から二つ飛び出していきゴーレムの拳に当たる。だが、先日のルイズと同じようにグズグズと小さく崩れるだけで、ゴーレムはまだまだ御健在。
よくもこんな化け物と戦えたものだな、と改めてルイズの馬鹿を恐ろしく思い、キュルケはもう一度杖を振った。
「ははっ! そんなんじゃこのゴーレムには勝てないねえ!」
「うるさいわね、わかってるのよそんなこ───、……あら? 随分深いしわがお口の端に出来てるけど?」
「これは傷だよ!」
「わわっ! とッ、ちょと、そんなに怒んなくてもいいじゃない!」
キュルケは危なげなく、は無いが、どうにかこうにかゴーレムの攻撃を避ける。当たったら死ぬので避けるしかないのだ。
ちょうど人間の顔面程度の大きさの岩がゴーレムの指先から飛んできて、それを炎弾で迎撃。そしてまたパタパタ駆け回って、逃げ回って。
心中で泣きを見せながら、おほほと挑発的に笑った。
「ほらほら、当たらないわよ!」
「黙りなぁ!」
正直、ジリ貧である。勝てる気なんてまったくしない。
しかしまぁ、これが今回の自分の役目なんだろうな、とキュルケは冷静な部分で考えた。多分きっと、ここでフーケを足止めすることがキュルケの役目。先のことは分からないから、自分よりも強いタバサに任せてもいいのかも。
三度目の拳が降って来て、それを避けて、宿の店主が「俺が何をしたぁ!!」叫んで。
そこで出てくるのは、
「ルイズ!!」
ワルドは颯爽と現れた。まるで見計らっていたかのような絶妙なタイミングで。ルイズが持ってきていた喋る剣を携えて。
キュルケはいよいよもって怪しいな、と考え、タバサに向かって視線を飛ばす。
タバサはふるふると首を振った。
もう一度視線を。
ふるふる。
視線を。
……こくん。
私が囮になるから。
駄目。
なるから。
駄目。
から!
……わかった。
炎弾を、ゴーレムの肩に乗っているフーケに放ち、当然当たるはずはないのだが、十分注意をひき付けたところで、
「ルイズ! タバサ! 行って!」
キュルケは叫んだ。
「そう来ると思った!」
そう来ると思っていたからこそ、ルイズは突っ込んでいったのだろう。
ルイズはあと三人しか残っていない傭兵の一人、大柄で、感想としては『臭そう』な男の顔面に剣の腹を叩きつけた。
ごぇあ、と臭そうな悲鳴を残してすっ飛んでいった男は残りの二人を巻き込みながらごろごろと転がっていく。
そしてルイズはタバサの手をとってワルドと合流。裏口に向かって走り出した。
「アンタッ! 死んだらぶっ生き返すからね!」
「あなたこそ! 死んだらシロ君もらうから!」
三人の背中を見送って、
「おやおや、一人で私に挑む気かい?」
呆れたように言うフーケに、はぁ? と心底馬鹿にしたような視線を送った。
「あのね、女の戦いって言うのはね、若い方が勝つの。これ鉄則」
「ど、どこまでも馬鹿にしやがって……!」
「何言ってるの。若い子は怖いもの知らずなだけ。これも鉄則」
「ふざっけんじゃあないよ!」
「ふざけるのはね、若さの特権なの。これすっごい鉄則!!」
内心ドキドキで、キュルケは杖を構えた。
。。。。。
裏口から出て、ルイズ達三人は桟橋へと向かう。
桟橋は桟橋のくせに山の中にあるので長い階段をひたすらに上る羽目になるのだ。
ぜぇぜぇと荒く息をつきながらルイズは船を目指した。
キュルケが戦っている。
宿の裏口を出てからしばらくが経っているのでもう決着は付いているかもしれないが。
冷静に考えて、あの場でルイズが囮になることは出来なかった。それも当然で、姫様のお願いはルイズがアルビオンに行かなければ話にならないのだ。それはワルドにも言えることだ。姫から護衛を任されている以上、ルイズをほったらかしにしてアルビオンに先行させるなど出来るはずはない。
そしてタバサ。彼女が残るといえば、今度は絶対にキュルケが許さない。そうなるとキュルケが残るしかない。
瞬間的に考えて傭兵達をぶちのめしたが、アレは本当に正解だったのだろうか。
今さらになって胸騒ぎ。
ああやだやだ。あんな殺しても死なないようなやつが簡単に死ぬはずがないじゃない。そうは考えるも───、
「大丈夫」
ルイズの隣を走っているタバサが言った。
どのあたりに根拠があるのかは謎だが、タバサはキュルケのことを信じているようである。一片たりとも疑っていない澄んだ瞳。本当にキュルケなら大丈夫だと思っているのだろう。
そんな彼女に慰められながらルイズは走る。迷いを振り切るように。
「そう、よね。そう、あいつがそんな簡単に死ぬはずないか」
「そう」
「ええそうね」
「そう」
そしてルイズは前を見据え、
「止まれ」
前を走っていたワルドが手で制した。
不思議に思い前方に目を凝らすと、何かいるのだ。いや、人間だという事は分かるが、こんな朝ッぱらから真っ黒なローブで身を包み、果ては白い仮面までつけているとなると、最早『誰か』ではなくて『何か』だろう。
「何の用かな? 我々は先を急いでいるんだが……」
ワルドが接触をはかり、次の瞬間には仮面の男が無言のまま杖を取り出した。
「───ッ!」
ちり、とルイズの脳に電気が走る。
先手必勝。
メイジと戦うときに一番安全なのは、魔法を使わせる前に倒す。これに限る。と、ルイズは思う。
魔法を使われるとフーケ戦のときのようにじりじりと追い詰められてしまう。使われる前に。使われるとしても、強力なのが出てくる前に。
デルフリンガーを握った。とたんに巡る情報と身体強化。
ぶん殴るから! ルイズは叫びながら獣のように駆けた。
右の肩にデルフリンガーを構えたまま、ワルドの背中を超えて愚直なまでに直進。弾丸のようなそのスピードは人間の反射神経を凌駕していて、剣の腹で仮面の男を打ち据え───、
「あ、うそ!?」
だが、それは黒塗りの杖に邪魔をされてしまう。
がちぃ! とかみ合う杖と剣。メイジがルイズの剣を止めたのだ。タイミングや力、その他諸々、絶対に決まると思っていただけにショックが大きくて、一瞬の硬直。
仮面の男が杖でデルフリンガーを弾き飛ばし、ルイズの体勢はぐらりと崩れた。
大きすぎる隙が出来て、仮面の男の左手がルイズの首へとまっすぐに伸びてきて、
「おいおいおいおい、人の幼なじみをどうしようって? あまり舐めてくれるなよ!」
ルイズの背中から現れたワルドがその手を叩き落とす。
ち、と舌打ちのようなものが仮面の男から聞こえた。
不利と悟ったのかその足は一歩後退し、背中を見せようというときに、
「逃がさない」
すでにタバサは退路を断っていた。
ルイズが斬りかかり、ワルドが守って、タバサは攻める。コンビネーションとは言いがたいが、それぞれが出来る事をやり遂げた結果だった。
ルイズ達が作る三角形の中にぽつんと取り残された男は、しかし焦るでもなくじっとそこから動かない。
暴れまわる心臓を押さえつけてルイズは男に向かって言った。
「目的は?」
「……」
「貴族派?」
「……」
「色々聞きたいから、逃がさないわよ」
優位性を示して、ルイズはゆっくりと男に近づく。
三人の中で接近戦が一番得意なのは自分だと思っているから。メイジは呪文を呟く時間が必要なのだ。ルイズならそれがいらない。
仮面を剥ぎ取って、色々と聞くべきだ。そう判断しての行動。間違いはないだろう。
「顔、見るからね?」
ルイズは仮面に向けて手を伸ばし、
「お前は我が手中にある」
仮面の男が初めて口を利いた。
瞬間的にルイズは手を引っ込めて、そこでそうしてよかったと思える現象が起こった。
なんと、男の身体に雷が降り注いできたのだ。ばぢ! 一瞬だけ空気を震わせて、稲妻は仮面の男を蹂躙した。
なんじゃらほい。ルイズは訳の分からない顔をしながら後方のワルドに向かって視線を飛ばすが、彼は「僕じゃない!」と両手を振った。
タバサにしても同じで、首を横に振るだけ。
そうなると考えられる事は一つで、自爆。自殺しかない。
そこまで守りたい秘密でもあったのか。それともそう指示されているからなのか。
「く、くく、はぁっははは───」
男は笑い声を上げる。笑い声を上げて、そして消えた。
「あらー?」
消えた。
雷光が止んだかと思ったら、そこには黒塗りのローブしか残って居なかった。
「え、なんで……、き、きき消えちゃったわよ!?」
「そう驚く事でもない。彼が使った魔法は『ライトニング・クラウド』。風の魔法だ」
ワルドがまいったな、と呟き、
「偏在」
タバサがいつもどおりの声色で。
「偏在って……」
「風のユビキタス……。こりゃまた、随分と強敵のようだ」
困ったように言うワルドに、ルイズは近い将来への不安を高めた。
風の偏在を自由に扱うようなやつが、もしかしたらこの先に居るのかも知れない。あの電撃の魔法にしてもそうだが、まったく、どいつもこいつも簡単に魔法を使ってくれる。
自身の剣が通用しない相手なんかと、絶対に戦いたくない。死んじゃう。物理的に。
「ワ、ワルド、タバサ」
「うん?」
「何?」
ルイズは神妙な顔で、それに少しだけ照れも混じりながら指先をもじもじ。
「王様のとこに付くまで、私の事、頼んだわよ。守って。お願い」
ワルドは了解だレィディと笑いながら呟き、タバサは友達だから、と少しだけ目線をうろうろさせながら言った。