「どうかしたんですの、お姉さま?」
「ん~?」
「先ほどからニコニコ……いえ、ニヤニヤ、でもないですわね。何か、ふわふわしてますわ。一方通行となにか?」
一方通行と鉢合わせた喫茶店を出て程なく黒子から指摘され、そこまで酷いかと美琴は口元を指先で揉んだ。
本日は真夏日。快晴。ギラギラ照りつく太陽は女の子の肌には敵にしかならない。一歩でも移動すれば汗は引っ切り無しに毛穴を通過。日焼け止めは流れ落ち、メラニン色素が黒く変色してしまう。はっきり言って、不快だ。不快晴とでも言えばいいのか。
そんな中、美琴は口元をやや歪めながらボンヤリと口を開く。
「ん~、別に何かあったって訳じゃないけど……」
「ないけど?」
この学園都市で『最強』の超能力者、『一方通行《アクセラレータ》』。
その人物に遭遇した今日、驚きの連続で既にまともな思考は出来ていない。
合い席になったのもそう、パフェを頼んだのもそう、そして、
『俺の話しを聞いていけ』
羨ましくなるほどの白い肌。すらりと長く、細い指。いつの間にかつかまれていた腕。それらは美琴に衝撃を与えるには十分な威力を発揮した。
瞬間、感じたものは『死』だったのだ。まずいと思うよりも早く、条件反射で額に電撃が集まったのを覚えている。
しかし、しかし振り向いた先にあるその赤い瞳。真摯な光を湛えるその瞳には、嘘はなかった。
「お姉さま?」
「あ、ゴメンゴメン。まあ結局、私とあいつは……同じくらいに悪いヤツって事よ」
「そ、そんなことありませんわ! どうしたんですのお姉さま、一方通行に何かされまして?」
「そんなじゃないわよ。ホントにちょっと、ほんの少~しあいつの事が分かったかな、ってね」
「……わたくしには、全然分かりません」
それはそうだろう、と美琴は心中ため息をついた。
『妹達《シスターズ》』の実験を知っているのはほんの一部の人間だけだ。
しかし、それはこれから明るみに出るのではないだろうか。数多くの美琴クローンが存在する以上、それは仕方のないことであろう。それに美琴自身もそれでいいと考えている。
世間はなんと言うだろうか。さも自分が被害者のように扱ってくれるだろう。涙の一つでも流せと『どこか』から命令が下るかもしれない。が、美琴にはするつもりなど、同情を引くつもりなど一切ない。
一方通行は言った。『謝らない』と。
喫茶店の、冷房が過剰に効いたその一角。そこで、額に汗をかいていた。それほどまでに悩んで、その末に自分にそれを言いたかったのか、と若干一方通行が間抜けに見えたのは内緒だ。
だって、そんなことは分かっている。当たり前の事だ。
謝られて美琴にどうしろというのか。
一方通行は『妹達』を一万人以上殺した。確かに殺している。
そして美琴は『妹達』を一万人以上、見殺した。
その殺される様を見て、実験施設の機材を破壊するなどの行動を起こすまでに、既に何人殺されていただろうか。
なぜ最初からアクションを起こさなかったか。理由は簡単で、ただ、怖かっただけ。
学園都市で三位という地位。
常盤台中学での生活。
その他もろもろの保身。それを優先した。
そして何人も、何人も何人も殺されていくうちに、美琴は夢を見るようになる。
なぜ助けてくれなかったの? と血みどろの自分が映し出される。程なく睡眠が恐ろしくなり、寝不足が限界を超え始めたところで行動を起こした。
結局、そういうことなのだ。
一番大切なのは自分。何処かのとある無能力者のように、人のために命を投げ出せないでいた。
だから、当たり前のように一方通行を責める事はできない。
一方通行は悪い。美琴は悪い。黙って殺され続ける『妹達』は悪い。実験を提唱した科学者は悪い。許可する『学長』は悪い。
誰が一番悪いなど、そんなもの分からない。
ただ一つ分かること。それはあの実験での善人は、関係など一欠片もないのに強引にキャストに入り込んできた上条当麻、ただ一人。
それを分かった上で、一方通行は『謝らない』。
だから“そう”と軽く返事を返し店を出たのだ。
「んぅ~っ……!」
美琴は考え込みすぎて硬くなり始めている肩を、伸びをするようにしてほぐした。
らしくないな、と自身を否定。もっと動こう。もっともっと、頭より先に身体を動かすのが自分の性分のはず。
起きたことには後悔しか出来ない。けどこれから起こることには今のところ後悔はないだろう。是非とも喜びを選び取りたい。
だから、
「黒子」
「はい、なんでしょう?」
「言ってなかったけど……私ね、妹がいるの」
「それはそれは、さぞかしお姉さまに似て可愛らしいのでしょうね」
「ん~、可愛いかどうかは分からないけど……うん、すごく似てるわよ」
そこで黒子はふと疑問を表情に出す。
「双子ですか?」
「違う……けど惜しい」
「そういえばお姉さまにはお姉さまがいらっしゃると……。妹さんはお一人なんですの?」
「んふ」
そして美琴は若干気味が悪い笑みを浮かべる。
「10000人よっ!!」
不思議な顔で、黒子の時は止まった。
言った本人、美琴も。
02/『マホーツカイ』
どんっ! と耳を劈く爆音。煙幕のように広がる土煙。
辺りが見えないその中で一方通行が感じたものは『移動』だった。確かに自分はアスファルトの上に立っていた。それが今踏みしめているのは土。目の前の赤い鏡(?)のようなものを触って、飲み込まれて、初めて感じたものだった。
己の『反射』が通用しなかったことに、既に動揺はない。
それは既に経験済みの事態だった。その聡明な頭脳で思考。学園都市に一人いたのだ。どこかに『最弱』と似たような存在がいたとして、何を驚こうか。
上条当麻との戦闘経験は一方通行にとって、確かにプラスに働いていた。
全力。全ての力。己の限界。未知の領域。その果て。そして『絶対能力《レベル6》』。
一方通行は確信している。己以外に『6』の領域に届く存在はいないと。自分自身が最強で、それ以外は弱者。
1。『最弱』となんら変わりない、蟻と同義の存在。
2。蛙と同じ。アスファルトにへばり付いてカリカリになっているのを想像。
3。一万人と死合っても傷一つつかない。
4。右手一つで了。
5。自分と『それ以外』。
6。己が未来。
くく、と咽喉がなった。
口角はつり上がり、その唇を邪悪に歪める。
ああ、
「───ブチ、殺しちゃうぞ。あひゃ」
ああ殺す。全部殺す。脳みそを欠片も残さずザクロのように弾き飛ばす。四肢をへし折り犯し抜く。血液を逆流させ身体中の毛穴から噴水のように血を抜く。殺す。皮膚をはがし何割で死ぬか観察する。一枚一枚爪をはがしその悲鳴で息をつく。目玉をくりだし咥えさせる。殺す。地上高くに吹き飛ばし落ちてくる様を哂う。殺す。腹を裂いて腸を引きずり出す。体中の関節を外す。生きたまま埋める。殺す。横隔膜の動きを止める。沈める。食わせる。殺す。殺す。摘み取る。殺しましたさようなら。
戦闘思考。
毎日が殺し合いだった。
いや、一方通行にとっては既に殺し『合い』ではなかった。ただ、殺していただけ。虫の羽をもぎ取るように、蟻の巣に水を流し込むように。
しかし、此度の敵は『最弱』を思わせる相手のようだった。
少なくとも『反射』を無視し、ココまで移動させたのは間違いない。
殺し合い。素敵。
「い、ひ。ひィひっひゃはははァぎゃひゃははぁははははっ!!」
その声は高らかに、一方通行は何かを崇めるように両腕を伸ばした。体表に感じるベクトルを操作。周囲の空気に流れを作り爆煙を弾き飛ばす。落としたビニールからは紅白まだら模様の羽が舞い散り、一方通行の表情にマッチング。堕ちて来た神の使いと言って、信じない者はいるだろうか。
予想以上に濃い爆煙を残らず弾き飛ばし、
「はじめまして、ってかァ?」
今回の敵を視認した。
おおよそ日本人らしくないその顔立ち。他人の事は余り言えないとはいえ、何処の馬鹿かと問いかけたくなる髪の毛。その色。一昔、二昔前に流行ったマホーツカイが着ているようなローブ。
いい。
疑問を感じるのは後でいい。
一方通行の中ではもう始まっているのだ。
だから目の前で“アンタ誰?”と疑問を投げかけている少女の頭に、優しく優しく手を置いた。
指先に柔らかな髪の毛の感触が広がり、
「な、ななな何よいきなりっ!」
もはや問答無用。
若干の肩透かし感にため息をつきながら一方通行は能力を発揮した。
『反射』ではなく『操作』。体内の生体電流を知覚。
「死ね」
「は?」
そして生体電流を、身体の動きをつかさどる電気の流れをズタズタに乱れさせる。
健常者に電気ショックをするようなその行為に、彼女はぎゃんっ、と犬のように鳴きその場にぱたりと倒れ伏した。
「……はぁ」
一方通行は大きくため息をつく。
今度こそ本物の肩透かしを食らった。何の茶番だ、と辺りを見渡すと同じような格好をした少年少女。
何かの宗教か、犯罪組織か。
学園都市の財産といえるほどの超能力者、『一方通行《アクセラレータ》』を呼び出した。それが、この程度であっていいはずがないのだ。
「見ろ! ゼロのルイズが自分の呼び出した使い魔にやられたぞ!」
少女と同じような格好をした少年が言った。
続く笑い声。
ゼロのルイズ。
この女のことか、と一方通行は適当に一瞥。興味なさげに足元に倒れている少女を跨いだ。実際に、興味はない。今気になっていることは聴きなれない言葉。使い魔。
大してやった事はないが、ゲームや、『その類』の小説などに出てくる言葉。
脳内でありとあらゆる可能性を算出。ありえる出来事、ありえない出来事。
この場合、もちろん在り得ないと断言できるが、現に今ここは? 催眠誘導あたりの能力者でもいるか。これが幻覚で、かってに自分自身がキマっている状態なのだろうか。
もちろん、否定。
一方通行自身に起きている事だ、幻覚か否かの区別はつく。
何よりも『反射』。自身を丸ごと移動させることは出来ても、その体内に影響を及ぼすことが出来るとは思えない。
一方通行は自身の体内ベクトル、その全てを認識している。何処がどうなっている、ではなく、それは既に『感覚』。
物心つく頃には既に自分の一部である『反射』。それから時を待たずして扱えるようになった『操作』。
たとえ半身不随になろうが、腕の一本、足の一本吹き飛ぼうが、何の制限なく生活できる。まさしく『第六感』、『第七感』なのだ。
極端な話、一方通行は心臓が止まっても生きていける。血液の流れを操作し、脳に酸素を送り、『思考』『計算』『発現』。この三つさえ出来れば、脳髄だけになっても人を殺すことが出来るはずだ。
故に一方通行の体内に影響を与えるのは、自分自身。それ以外にはありえない。
結果、面白い状況になっている。確信した。
それもすごく。
「一瞬ツマンネェなンて思っちまったなァ。いや、おもしれェ……」
内心を表情に思うまま出しながら、その顔に笑顔を貼り付けながら、足を向けるのは先ほどの少年の集団。げらげらと笑い声を上げる集団を視界に納める。
「ひゃは、あンまり笑わせンなよ、楽しくなってきちゃうゾォ」
呟くように言った。
視界の先、そこには一方通行のおおよそ平凡とは言いがたい人生の中でも見たことのない生物のオンパレード。
(目玉に羽が生えたまりも。尻尾に火がついてるトカゲ。でかいモグラ。……何だありゃ、あれか、ドラゴンってヤツかァ?)
一方通行が近付いてくるのに気が付いたのか、率先して笑っていた少年が口を開いた。
当然その顔は醜悪。一方通行とタメを張っている。
「ああ君、なかなか面白いものを見せてもらったよ。ふむ、見たところ平民のようだが何処の出身かな?」
「ヘーミン? ……あァ、平民って事か?」
少年の眉がピクリと動いた。
「……君、口の聞き方には気を付けた方がいいな。僕はルイズのように無能な貴族ではない。簡単には気絶してやらないよ?」
さも、自分のほうが上位存在だといわんばかりの物言い。鼻を膨らませ、胸を張る。体形が丸々としているのでまるで達磨のような印象。
そして、何と言っただろうか。
気絶?
笑いが口から滑り出るのを押さえられはしなかった。
「ぎゃはっ、気絶!? 気絶でございマスですかァ!」
心底馬鹿にするようにして一方通行は笑った。事実、馬鹿にしている。
それは仕方がないことだった。
馬鹿にもするさ。余りに能天気。レベル5の能力を何の防御もせずにして、そして気絶とは。
止まらない。止められるはずがない。面白い。
「く、くくく、ひゃひはははっ!! 脳ミソ腐ってンじゃねェンですか御貴族様ァ!」
「き、貴様、無礼だぞ! 僕を誰だと───」
「───死ンでんよ」
言葉にかぶせる。
「っ……、は、あぁ?」
「死ンだぜアイツ。俺が殺した。体内の生体電流を乱してやった。もう心臓も止まってンな、多分よォ」
「?」
「ルイズっつうのか『アレ』?」
振り向きもせず、肩越しに親指でさした。
一方通行は自身の背後がにわかに騒がしくなるのを感じる。ヴァリエール、ミス・ヴァリエール、と恐らく名前を呼んでいるのであろうその声は焦燥に駆られていた。
少年の顔が見る見るうちに青ざめていく。取り巻きも同様に。
その様が一方通行をさらに興奮へと導いた。
「死ん、だ?」
「ああ、死ンだなァ」
「え、なんで……死ぬなんて、平民が貴族を……え?」
耐えられ、ない。
「っっっぐはばァ! っぎゃアっひゃひゃひゃひぎぃいひひひゃあああッハア!! 最高だぜその表情ォ! 理解しろよ、死ンだんだよ、イっちまってンだよ! わからねェわきゃネェだろォがッ!
テメエみてェの相手にすンのは久しぶりだよ、何も知らねェで突っかかってきて、果ては命乞いだァ! ええおい、オメーはどうすンだ? 言ってみろ!」
「い、いやだ……」
「わからねェよ」
一歩だけ下がった少年を、その腕を取ることで阻止。
同時に、
ゴクンッ。
嫌な音が響く。
見れば少年の肩は不自然に盛り上がっていた。
脱臼。肩の骨が一方通行の『操作』によって軽々と外されたのだ。
「かっ、ああっあああ!」
「くかっ! ほらほらァ、言って下さいマセ御貴族様ァ! 意外と難しいンだぜこれよォ!!」
「いやだあ! 死にたくないっ!」
「上ッ等ォ! この俺を呼んだンだ、死ぬに決まってンだろォ!!」
ぎゅ、と掴んでいる腕にさらに力を込めた。
その力は、手首を掴むそのベクトルは方向を変化。対象の肘関節部を目指す。軟骨繊維の一本一本を丁寧に破壊。剥離作業に掛かり、その筋、腱を破壊するまでもなく、コクンッと小気味良い音が響いた。
「ほら二つ目ェ!」
「うわっ、うわぁああ、なんでああぁっ! ああ!」
「ひゃはっ、痛くねェよなあ! 関節『だけ』綺麗に剥がしてやってンだ、グニャグニャの軟体動物見てェにしてやンよ!」
げらげら笑う一方通行は気付いていない。もともと注意すらしていない。絶対の自信がその身には存在している。
だからその背後にやや頭のさもしい人物が近付いていることには、気が付かなかったのだ。
「───止めたまえ」
「あァン?」
静かに肩越しから突きつけられた小枝程度の棒。
それは抑止のつもりか。この木の棒に、何の意味があるというのか。
一方通行は鼻で笑いながら握っていた手首を離した。転がるようにして、叫びを上げながら逃げていく少年を見てさらに哂う。
別にこの男に脅威を感じたわけではない。そもそも一方通行に脅威など存在しない。しかし、この男の瞳に興味はある。マトモなふりをしている様だが、見覚えのあり過ぎる暗い光り。
それは毎日のように、鏡の中で見ていた。
「居るじゃねェか、楽しそうなのがよォ」
人殺しの色。
同族にしか分からないそんなニオイ。
一方通行は確かに感じた。
殺した者には何かテレパスのような感覚がある気がすると以前から思っていた。何となく、分かってしまうのだ。似ているから。
しかし男は答えない。
義務のように口にするのは質問の答ではなかった。
「君の主は息を吹き返したよ」
「それはそれは的確な処置ゴクローさン」
主という言葉にひっかかるものの、なんにせよルイズという女は助かったらしい。
そのことに関しては何の感慨も浮かばない。死のうが、助かろうが、別にどちらでも良い。ひらひらと手を振り、ご苦労と告げる。
今の興味は、この男だ。
「君は自分が何をしたのか理解しているのかね?」
「あァ? 醜い嫉妬してンじゃねェよ。俺とヤりあいたいンだろ? いいから来いよ」
「……余りに危険すぎる。その思考も言動も、存在そのものが」
「ひひっ、よくお分かりで」
一方通行の引きつったような笑いを見て、男の瞳が鋭く光った。
恐らく禿頭の男も理解しているのだろう。その存在が、自分に近しいものがあることに。
そして一方通行はその男を見、ふと疑問符を掲げる。
「なンだァ、震えてンぞテメエ?」
「───っ」
小枝の先が、恐らく武器であるのだろうそれが細かく揺れていた。上下左右。いうことを聞いていないのが一目で分かる。
「まさかテメエ……っち、拍子抜けだ」
かくん、と一方通行の肩が落ちた。
それはそれは、心の底から残念そうに。
そしてまるで侮蔑するかのように男を見る。心底、蔑む。一瞬でも似ていると思った自分自身を殺してやりたくなるほどに怒りがわいた。
そう、あろう事にこの男は、
「っけ、日和やがったなテメエ。ガキ一人助けて今更善人にでも成るつもりか? 成れると思ってンのか? 戻れねェよ、この悪党が。
テメエまさか、善行を重ねれば罪が軽くなるなンて夢見てンじゃねェよなァ。あァおい、人殺しがよォ。そうだろ、テメエは殺してんだろうがよォ。キタネェんだよ。悪党なら気取ってンなよ。自分以下を犯せ、侵せ。ソレでこそ『存在』の意味だろォが」
「黙れ」
男の視線に篭る光り。暗い色のソレは、確かな殺意だった。どうやら期待を捨てるのは早かった様子。
次第に止まっていく震えを見ながら一方通行は実に愉快そうに表情を歪めた。
まだまだ、もっともっと、と続ける。
「くくっ、そうだよ、そのイロだァ……その向き《ベクトル》で合ってンだよ。
なァ、わからねェか? お前はもう無理なンだよ、光を見るなンざ、到底出来はしねェンだよ。俺『達』みたいなのはよォ、死ぬまでとは言わねェ、死ンでからもずっとだ、ず~っっっっっと! 救いなんざ、無ェンだよ!」
「黙れと言っている!」
「殺した殺した殺した殺したァ! 人殺しの鬼畜ヤロウ! 気持ちよかったかァ!? なぁそうだよなァ、っくく、ひぃ、『発射』しちまいそうだったろおおおおおおお!!」
「黙、れええっ!!」
禿頭の男。振り上げた杖の先には炎が宿っていた。
。。。。。
熱い。眠い。重い。
体中が倦怠感に苛まれている。一体何が、と己に起きている事に確信が持てなく、仕方無しにルイズは目を開いた。
「……んあ?」
「あら、目が覚めたみたいね」
視界いっぱいに乳が広がった。非常に見覚えのある乳。顔をあわせる度に強調し、さらに自慢してくるのだから嫌でも覚えてしまう。
ルイズ自身のコンプレックスをそのまま映し出したようなその胸の持ち主、名をキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーという。
燃えるような赤い髪の毛。赤い瞳。褐色の肌。そして抜群のプロポーション。抱きかかえられている今、妖しげで艶やかな香りが鼻腔を通った。
「あれぇ、なん、でぇ……?」
口を開くのすら億劫そうにルイズは言った。
正直、仲がよくないのだ、彼女とは。
宿舎の部屋が隣同士のため口を聞く回数は他の学園生よりも多いだろうが、それでも悪態をつき合い、果ては杖を取り出す。
そのような仲の人物に抱きかかえられているのだ。驚くなと言うのが無理だろう。
「……ん、まぁ隣部屋のよしみってやつよ。アンタも寝たまま死ぬなんて冗談じゃないでしょう?」
「ん~……死ぬぅ?」
「あ、こら、ちょっと!」
覚醒しきれない頭で、そのふくよかな胸の感触に姉の姿を思い出しながら、甘えたような声を出した。同時に肉に顔を埋める。
そして何があったんだっけ? と考えを巡らせた。
思い起こせば、確か使い魔召喚の儀式だった。
爆発を起こした。何度も何度も起こした。召喚に応えてくれる使い魔は毛ほども居らず、教員、コルベールがため息を吐きつつ次が最後だと言った。
(……うん、憶えてる)
それで、爆発。
破れかぶれの様にして杖を振ったのだった。
それは既に何かの境地だったような気がする。そう、ルイズは口汚く罵り声を出しながら『出てこいやコラァ!』杖を振ったのだった。
そして、
「ひゃあはひゃハハハッ!!」
笑い声を聞いた。
脳に酸素が十分に行き渡った。眠気からの覚醒が促され、良い匂いがするソコから顔面を引っこ抜く。
「あんっ」
やや艶かしい声が聞こえたがルイズには意識している暇などなかった。
聞きたいことが山ほどあり、何から聞いていいかも分からずにとりあえず口から出ていたのは、
「───私の使い魔は!?」
答えも聞かずに笑い声を探す。が、身体は自分の物ではないかのように言うことを聞かず、さらに人だかりが周囲にずらりと並んでいた。
皆一様に広場のほうに目を向けている。
「わた、私の使い魔、どうなったの!?」
「……ちょっとすごいわよ、あなたの使い魔」
キュルケが非常に微妙な表情をしながら答えた。
身体を支えられている腕が若干震えているのも感じ、何がそうさせるのか疑問を感じるよりも早くその声が聞こえる。
「『発火能力《パイロキネシス》』のつもりかァ!? 貧弱脆弱ッ、最弱だア!」
上空に向かって炎が奔る。
人だかりの中、誰かが言った。
エルフ。
ルイズは瞬時に自身の使い魔の事を言っているのだと気が付いた。
ぱいろきねしす、と聞きなれない言葉。姿は見えないが、恐らくコルベールが放ったのであろう炎は大きく、力強かった。それを貧弱と言い切る胆力。何よりもルイズ自身が感じた『得体の知れない力』。スパークを起こしたように次々と記憶が繋がっていく。
『死ね』
そこまで。そこまでで途切れている記憶。
ルイズは怒りを感じる機能が壊れているのではないだろうかと思うほどに何も感じなかった。
風に舞い踊る羽根。
優しく撫で付けられた頭。
体中を走った衝撃。
「……行かなきゃ」
思ったことはそれだけだった。
ルイズには自身の精神状態がわからない。いや、自身の事を完全に理解できる人間などこの世には居ないのかもしれない。だからこその言葉。行かなければならない。何故。行かなければならないから。その程度の問答だった。
「本気で言ってるんだったら心底馬鹿にしてあげる。また死ぬわよ?」
また、ということは自分は一回死んだのだろう。
感覚的なものではあるが、何となく理解できた。力の入らない身体がそれを教えてくれた。
「うん。ありがとう」
意外なほどに素直に出てきた礼をキュルケに向けた。
身体を支える腕をやんわりと払い、震える膝に力を込める。よたよたとたよりない足取りで人垣に向かった。
その様を見たキュルケがうそでしょぉ、と情けない声を出しながら諦めたようにため息をつく。
「ああもうっ調子狂うわね。ほらほら、道を開けなさい! アレのご主人様が通るわよ!」
モーゼ、とまではいかないまでもルイズの存在を確認した者は全て道を開けた。
そしてルイズは初めてその闘いを目撃する。
白髪の男は笑みを浮かべていた。対して禿頭の中年は無表情。
禿頭の男、コルベールが放つ炎は全て、その全てが上空へと奔って消えた。ルイズ自身が呼び出した白髪の使い魔に当たるとなぜかその『向き』を変えてしまうのだ。
しかしコルベールは何の落胆も感じさせず無表情のまま攻撃を続けた。いつもの人の良い笑顔からは考えられないほどに、見たものの心臓を鷲づかみにするような暗い瞳。
「はい四発めェ。さっきのはなかなかのモンだ、人間一人位消し炭にできらァな。
……けど、違うよなァ? まだまだこンなもンじゃねェ。この程度だったら3~4辺りの奴らで十分なンだよ」
一方通行の言葉にコルベールは答えなかった。
ただ静かに杖を掲げる。その先に宿るのは蒼い炎。不要なものをそぎ落とした純炎。
それを見た一方通行は満足そうに頷く。
「そうだよ、そういうのだよ。そういうのを待ってンだ、俺は」
朗々と続ける。
「考えてたンだ。同じような相手を同じように殺して、それを一万、二万と続けようが本当に意味はあったのかってよォ。ダセェ『作業』だぜ、ありゃあよ。
くく、笑っちまうぜ。俺に気付かせたのは『レベル5』でも『一万三十一人』でも『樹形図の設計者《ツリーダイアグラム》』でもねェ。たった一つの経験だ。たった一つの『不可思議な存在』が俺に力の使い方の、その先を教えてくれた」
ルイズには一方通行が何を言っているかなど欠片ほどもわからない。
コルベールの炎が密度を高くし、逆巻くようにして大きくなる。
熱い。
離れた場所にいるにも拘らず熱が襲ってきた。
しかし一方通行はどこ吹く風、にやにや口元を崩したまま。
「確信したぜ。お前らアレだろ? 所謂よォ……くかっ、き、ひひひ、まほ、っぶふ、っマホーツカイってヤツだろォ! 理解できねェよテメエらの存在! けどわからねェって事はその先にあるんだよなァ、アイツと戦った時みてェな『発展』がよォ!!」
「……私も確信したよ。資格は無いが言わせてもらおう。……君は、生きていてはいけない存在だ」
「ぎゃは! そのとぉぉぉおおおっっり!!」
一方通行は笑う。
同時、コルベールが杖を振り下ろした。
瞬間、一方通行が両腕を突き出す。
そしてルイズは駆け出した。
「───っ!」
背後でキュルケが息を呑んだのが分かった。
力の入らない両足で、その身体で、使い魔を目指す。
炎が迫っているのに気がつかない筈が無い。熱を感じている。
にやにやと笑う使い魔を見て、
「だめぇぇええええええええ!!!」
なにに対してなのかは未だに分からない。