04/~赤色アルビオン・急~
とても自然な事だった。それはそれは自然で、何の違和感も無く、むしろそれは当然の事だったのかもしれない。
姫から受けたお願いは、ウェールズ皇太子から手紙を返却してもらう事。
正直な話、戦時中のアルビオンに行くなどたまった物ではない。実際に戦争に行くよりも危険は少ないだろうが、しかし戦場へと赴くのである。
行ってくれますかとアンリエッタに聞かれたとき、ルイズはそれこそ知恵熱が出るほどに悩んだ。悩んで、悩んで、結局もう一度サムズアップ。もちろんさぁ、と返してしまったのだ。
アンリエッタは安心したように微笑むとウェールズへの手紙をルイズに渡し、水のルビーという王家に伝わる指輪までも。
フードをもう一度深く被った彼女は深々と頭を下げて酒臭いルイズの部屋から出て行った。
「ありがとうルイズ。やっぱり貴女は一番の友達だわ」
後悔はない。姫の役に立てるのは嬉しい。怖いけど、それだってルイズには特別な使い魔が居て───、
「あァ? テメエが勝手に受けたンだろォが。一人で行けよ、馬鹿くせェ」
とても自然な事だった。それはそれは自然で、何の違和感も無く、むしろそれは当然の事だったのかもしれない。
「な、何言ってんのアンタ」
「俺が行く道理が何処にあンだ?」
「使い魔でしょうがっ、私の!」
「何とか隊の隊長サンが護衛してくれンだろ? だったら俺が行こうが行くまいが関係ねェな」
「ちょ、待って、何でいきなりそんな……」
ああそうだ。そういえばこんなヤツだった。
ルイズは一方通行を再確認し、しかし最近はそこそこ仲が良かったのに、何でいきなり不機嫌になっているのだろうか。
そう、一方通行は見るだけで分かるように不機嫌なのだ。眉根を顰め、組んだ腕の先、人差し指は不規則に不気味なリズムをとる。久々に見た冷たい瞳。奥の光は暗く。
少なくとも、こっちの世界で一番一緒に過ごしてきた期間が長いルイズだからこそ言えるのだが、一方通行は人に理不尽に怒るような人間ではない。と、思う。八つ当たりはあるだろうが、それだって何らかの怒りの原因がある。はずである。
今回、ルイズにはそれが分からなかった。何に対して怒っているのかさっぱり分からない。
「どうしちゃったの? 頭痛い?」
これでハイそうですと言われるはずがないのだが、お酒を多少なりとも飲んでいるので二日酔いが原因ではないかと考えた。
「……オマエ……、……、いや、いい」
「駄目よ、ちゃんと言って。そんなんじゃ分からないわ」
自嘲気味に笑う一方通行には哀れみの色が現れていた。
同情しているわけではなく、ただ単に可哀想なものを見るような瞳。ルイズが初めてみるような瞳であった。
そんな感情もあったんだな、と何となしに得をした気分になってルイズはクスクスと笑う。
「ハッ、何か面白ェかよ」
「だって何だか、あなた面白い」
「あァ?」
「初めて見た、そんな顔」
「随分とめでたい頭してンのな。お話にならねェよ」
一方通行は話は終わりとばかりに手を振って、そして部屋から出て行く。
ルイズは一応、まぁどうあっても聞かないだろうが一応、
「来なさいよ。ね?」
その背中は扉が閉まる音と共に見えなくなり、とたんに、なんだか悲しくなった。
。。。。。
かつん、かつん。
ただ廊下を歩く音だけが響いた。
好奇の視線にさらされて、しかし一方通行からは簡単に話しかけられないような雰囲気が出ている。
全授業が中断されたので歩く先にはもちろん貴族。だが、いつかと違ってその視線の内容は変わっていたようだった。
好奇嫉妬羨望尊敬様々様々。
こんなところは学園都市とかわらないな、と一方通行は心中ため息をつく。
「ちっ」
唾でも吐きかけてやりたい気分である。
たった一言。たった一言の言葉が引っかかっていた。
『貴女は一番の友達だわ』
苛立つ。
一方通行も一応アンリエッタの話は聞いていた。
どうにも国の一大事のようで、その手紙を取り返さないと今居るトリステインが無くなってしまうかもしてない。一方通行からしてみればそこまで大事ではないのだが、ルイズにとっては大変な事態だろう。
だからこそルイズはそのお願いを受けた。ヒト科の心に疎い一方通行にもそのくらいのことは分かる。
姫様だし、友達だし。
ガンダールヴのルーンを手に入れて、ルイズは人の役に立つ事の快感を知ったのだろう。今までのルイズの話を聞けば、まぁ、それも分からなくはない。恐らくありがとうと言われる事が気持ち良いのだ。
少しいやらしい話だが、快感を求める事は人間として当然のことで、それは善とか悪とかで片付けられる話ではない。
一方通行の苛立ちは前記の通り、たった一言にあった。
(友達……?)
だったら、
だったら何で友達を戦場へと送るような事をするのだろうか。それが分からない。
一国のお姫様というのならそこまで浅慮ではないだろう。分からないはずがないのだ。戦場というのは人を殺すところであって、人を殺すという事は、それは悪だ。悪党だ。
一人殺そうが一万人殺そうが、そういうのは人数の問題ではない。人間が人間を殺すというのは、何がどうあっても良い事ではない。
足音高く、進む先はもう少し。
あの時、フーケを撃退したあの時、ルイズは眩しかった。直視できないほどに眩しくて、だから一方通行はずっとそこに居て欲しいと思った。
ヒーローを望んでいた一方通行の、その願いがそのまま形になったような、そんな思いすら抱いた。
そんな彼女に、簡単に人が人を殺しているようなところに行って欲しいという『お友達』。
一方通行が羨んだほどの光を簡単に捨て去る場所へと、簡単に赴こうとする彼女。
もちろん、自分のエゴだと理解している。
ルイズにはルイズの人生があって、一方通行には一方通行の進むべき道がある。
彼女の価値を、元の世界への帰還と絶対能力に進化する事以外にないと考えている者の言う事ではない。分かっている。守るつもりもない人間に、誰かを助けることを止めろなど言えるはずもなくて、だけど、その前に、
ばがぁ! とその扉は前蹴りの一発で粉々に吹き飛んだ。
いつもの通りの一方通行がいて、彼はハンドポケットのまま扉を吹き飛ばした。目的の人物を見つけて口角がつりあがる。
「よォ、ちょこォっとお邪魔するけど構わねェよなァ?」
「……来る頃じゃと思うとったよ」
ぎらぎらと光る瞳で睨みつけるのは学院長、オールド・オスマンと呼ばれる老人。
老人は何時だか言ったのだった。ルイズを守れと。
虚無は戦争に繋がるような膨大な力を持っており、一国が所有しているなら他の国へと戦争を吹っかけてもおかしくないものだと。
一国のお姫様が、盗賊を捕まえるのに活躍したからといって、それでただの友人を戦場へ送り込もうなどと考えるだろうか。
よほどの馬鹿か、阿呆か、○○○イくらいしか思い浮かぶはずがないと一方通行は思っている。
そしてアンリエッタがルイズの部屋に来、戦場へ行けと言って、一番最初に思い浮かんだ顔が目の前の老人。
オスマンにルイズが虚無である事を気付かせたのは一方通行だが、その時はまさか戦争に連れて行かされるほどのものだとは思ってもみなかった。
一方通行も迂闊といえば迂闊だが、それでもこの老人を許せるほどに一方通行は心身ともに大人ではない。
「ハッ、アイツを守れか。こりゃまた随分と上手いこと言ったもンだな、あァ? テメェあの女に漏らしやがったな?」
だからこそアンリエッタはつい先日まで『ゼロ』と蔑まれていたルイズを頼ろうと思ったのではないだろうか。
老人は静かに目を瞑っているだけだった。
一方通行の腹の中で育っている苛立ちは更に募る。
「殺されてェのか、テメエ……」
ポケットから手を抜き、ゆっくりと右手を伸ばした。
一歩二歩と老人に近づき、その額を掴み取ろうというとき、
「取って置きの話があるんじゃがの。聞くかね?」
考え、一方通行は顎をしゃくって言ってみろ、と。
「君達がヴァリエールに行っておるときにの、手紙が届いた。いや、届いたというのもおかしな話じゃな。ココにあった、のほうが正確じゃ。わしには分からん文字で書いてあるのでな、すぐに王立の図書館に向かった。そこの図書館に行くには、まぁある程度の地位と、姫か、もしくは王妃に許可を貰う必要があっての。わしは姫に許可を貰いに行った。暗い顔をしておったよ。アルビオンとの結婚……。重く、辛いものだと……」
「興味ねェ」
「……薄情じゃな」
「無情の間違いだろ。それで、結局言いてェのは口滑らせた事に対する言い訳かよ、それとも手紙の内容か?」
オスマンはため息をつきながら両方だ、と小さく呟いた。
「半端な優しさは……いかんな。ヴァリエールの娘の話をすると喜んでなぁ。虚無という事は伏せておいたんじゃが、まぁ、彼女のやった大立ち回りは報告させてもらったわい。その結果がこれ。いくら歳をとっても人の心など読めはせん。
……ほれ、手紙。わしにはなんて書いてあるか結局分からんかった。お主の方でしたい様にすればよい」
事実かどうかは分からないが、虚無の事は言っていない様子。また簡単に信じるのもどうかと思うが、心底疲れきったといった表情の老人は見ていると笑ってしまいそうになって、実に愉快だった。
この辺が普通の人間とは違う感性なのだろうな、と自身思うが、もうこれはどうしようもない事だ。他人が見たら悲しいものが、一方通行が見れば愉快に映ってしまう。ただそれだけのこと。
この国の、名目上のトップはあまりに頭が悪い、ただのゴミだ。苛立つ。消えていい。
姫がゴミなら、貴族だって、ゴミみたいなものだろう。
変なツボにはいって、くつくつと咽喉を震わせながら『一方通行へ』とこちらの世界特有の文字で書いてある手紙を開いた。
「───あン?」
。。。。。
「言いなさいよ」
「無理よそんなの」
「言いふらすわよ」
「駄目よそんなの」
「じゃあ言いなさいよ」
「無理よそんなの」
「じゃあ言いふらすわ」
「駄目よそんなの」
「それなら早く言って楽になりなさいよ、おなルイズ」
「おなルイズって言うな!!」
このおなルイズが何かを隠しているのは間違いない。そんな事、余裕綽々で分かってしまう観察眼にキュルケはちょっと酔っていた。
なんと言っても部屋からお姫様が出てきたのだ。何かあるに違いない。観察眼もクソもない話だが、そこには絶対に何かがある。
ルイズとお姫様が知り合いなのも驚いたが、ここまで隠し事が下手糞なことにも驚きである。
アンリエッタがルイズの部屋から出て行って、さてどうしたものかと考えて、一方通行が出て行って、一人のうちに話を聞こうと思ったらルイズはくすくす笑いながら涙を流し、そわそわと挙動不審に剣を鞘に入れたり出したりしていた。
これは恐らく頭によく効く水の秘薬が必要だろうな、と思ったところでルイズと目が合い、彼女は何とキュルケに抱きついてきたのであった。
わかんないわかんないアイツのことがわかんない、とキュルケの服に鼻水をつけながらギャンギャン喚いた。
とりあえず話を聞こうと思って、何でそんな事になったのかと聞いたところでだんまりである。
「だから、話してもらわなきゃ私だってわかんないわよ」
「だから、話していい事かどうか私にもわかんないのよ」
「……姫様関係?」
「うぉっ、な、何でアンタが姫様の事知ってるのよ」
「あんなフード被っただけで正体隠せてると思うわけ? 騙せるやつなんて殆どいないわよ」
言うとルイズは言に詰まり、う、む、と何となく気まずそうに唸った。
キュルケは思わずため息をつきたい衝動に駆られ、その衝動のままに重く長く酒臭いため息をついた。
アホ。そんな言葉がぴったりで、しかし今言ってしまえば止めを刺してしまいそう。キュルケは俯いてもじもじしているルイズにどうやって話させようかと考えていると、
「いいんじゃねえの、娘っ子。言っちまってもさ」
「ボロ剣……」
「……俺の名前覚えてる? デルフですよ、デルフリンガー」
「あら、あのとき買ったインテリジェンスソードね。あなたもお話聞いてたの?」
「ま、ね」
「教えて。ルイズったらちっとも話してくれないし」
「んー、まぁ俺はかまわねえんだが……、どうするよ娘っ子。俺はこの姉ちゃん気に入ったね。こいつぁ真剣に聞いてくれる耳を持ってるぜ」
「で、でも……キュルケはゲルマニア人なのよ? これはトリステインの問題で……」
ルイズが横目でキュルケを覗きながら言うが、そんな事知ったことではないとばかりにキュルケは攻める。
「今さらそういうの、無しにしましょう。私、あなたとは友達になれたと思ってたんだけど?」
「……え、へへ、ほほ、んふ、ふ……」
「ほら、いいから言いなさいよ」
そこからルイズはぽつりぽつりと語りだした。顔をにやつかせながら。こういうところはキュルケも素直に可愛いやつだなと思う。
語る内容は、姫様のお願いよりも一方通行の話のほうがちょっとだけ多めで、ルイズの今の心情を表しているんだなぁ、と端的に思った。
やれ一方通行は冷たいだとか、やれちょっとだけ仲良くなったと思ったのに、だとか。なんというか、惚気話を聞かされているような、そんな気分。
一通りの話を聞いて、キュルケには何となく分かる。いや、予想する事ができる。一方通行の気持ちを。
まぁ、お姫様には悪いがちょっと無茶がすぎると思う。
これでルイズがとんでもないほどの優等生で、この学園で一番魔法の扱いに長ける人物だったのならまだ話は別だが、ここのルイズは『ゼロ』のルイズにちょっとだけ毛が生えたようなものなのだ。実際にゴーレム戦では一方通行が来てくれなかったら死んでいる。
思い出し、ぞっとしながら姫様の世間知らずぶりにちょっとだけ腹が立った。
「んー……、シロ君も、まぁ、何考えてるかは分からないけど……、んー……」
「私はね、シロに付いてきてもらいたかったの。強いからとか、そういうんじゃなくて……、いや、そういう思いもあったけど、けどね、アルビオンに行って欲しいって言われたときね、私はシロだったらなんて言うだろうって思ったの。空に浮いてる島をみてなんて言うだろうって。水が空中で雲になっていってるのを見て、なんて言うだろうって。こっちの世界の事、沢山知ってもらいたくって、私のことも、皆の事も」
「あなたの言う事も分からなくはないけど……、やっぱり心情的にはシロ君に一票かしら」
「どうして?」
すがるような瞳。
迷子になって、親を探している子供のようだと思った。
「一万人殺して、それがどうしたって、あなた言ったじゃない。あれってさ、何だかんだ言っても結構嬉しかったと思うわよ、あの子。でもあの子もあの子で頑固だし、聞いた感じじゃ忘れるなんてありえないし。その一万人の殺人を許す? 包む? 気にしない? ……まぁ、とにかく何でもないように付き合ってくれてるあなたが戦場に行くのよ? もしかしたらだけど、人を殺すかもしれないのよ? そりゃ、見たくないわよね。行きたくは……ないでしょうね」
まぁ、あくまでも予想だけど、と付け加えキュルケは口を閉じる。
しかし、恐らくはそういうことではないだろうか。一方通行は見たくないとか、本当に自分のわがままで行きたくないと言っている様に思えた。恐らくそこにはルイズがどうなるかとか、そういうのは無くて、ただ単に見たくない。それだけ。
マイペースな子供だな、とキュルケは一方通行の事を少しだけ可愛らしく思い、ついつい含み笑いを。
あれだけの力を持っていて、嘘か真か分からないが、一万人も殺しておいて、随分と可愛らしい。
結局、ルイズが自分の為に人の役に立ちたいように、一方通行は一方通行のためだけに生きているという事なのだろう。
ちょっとだけ、二人とも危ない感性をしていると思うが、人の為に生きるのはとても良い事だと思うし、自分のために生きるのは当たり前だ。
キュルケは人の生き方までどうこう言うような女ではない。ただ友人が困ったときに、力になってあげる事ができればそれでいい。
暑苦しい訳ではなく、ただドライに冷たい訳でもない。
ちょっとだけ暖かい『微熱』がキュルケなのだ。
「……おでれーた。姉ちゃん、見る目あるぜ」
キュルケは抜き身の剣に一度だけ笑いかけ、そしてルイズの頭を撫ぜた。
俯き加減で、膝を涙で濡らしている。
小さな身体に、小さな胸に、けれどもいつでも元気いっぱいで、泣いているところを見たのは、そういえば今日が初めてではなかろうか。
泣き顔を見られてもいいと思われるほどに友達だと思われているのだろうか。
キュルケ自身が切った髪の毛。タバサとは違い、ふわふわの猫毛。柔らかくて、子供のように細い。
たまにタバサにしてやるように、キュルケはルイズを抱きしめた。己の自慢の胸にルイズを導く。
「出発は?」
「……明日の、朝」
「ん。許可がないだろうからこっそり着いていくわ。ほら、何泣いてんのよ。そんな顔じゃシロ君に嫌われるわよ」
「……うん。ありがと」
。。。。。
一夜明け、朝もやの立つ中ルイズは一人学院の正門で佇んでいた。
背中にデルフリンガーを背負い、軽甲冑で上半身だけを覆った。下は『スカート』。ナイフを計三十本装着済みである。
その表情は、あんまり人には見せられないような、そんな顔。目は腫れているし隈ができている。一日中泣いていましたと言わんばかりである。
「ぅおーい娘っ子、起きてる?」
「やかましいわね、起きてるわよ。立ったまま寝るはずないでしょ」
「いや、おめーさんならやりかねんと思ってね。ホントは出来んだろ?」
「出来るわよ。それがどうかした?」
「……人間やめちまいな」
「夢の中でヌーにでもなるわ」
「もういやだ何この子どきどきしちゃう」
言うとおり、本当にうつらうつらと眠くなってきてしまった。
本当に、昨夜は本当に眠れなかったのだ。一方通行は何時まで経っても帰ってこないし、不安になって探しに行けば何処にもいない。
どうにもやきもきして、結局一人では眠れなくてシエスタの部屋にお邪魔したのだった。
シエスタはルイズの話を嫌がる事無くはい、はい、と聞いてくれて、日ごろの愚痴とか、一方通行の生態とか、何だか話していたら止まらなくなってしまった。
ルイズの頭がいよいよ舟をこぎ始めて、
「ルイズ!」
ビクッ、と一瞬だけ硬直。
「やあ、おはようルイズ。覚えているかい?」
「ワルド! 覚えているわワルド!」
実は先日、姫を護衛していた部隊の中にもワルドは居た。
知った顔を見つけたルイズは声をかけようとしたが、ワルドはまるで知らん顔で、覚えているかい? はどちらかというとルイズの台詞だ。
「ひどいわ、手を振ったのに無視するんですもの」
「いや、さすがに姫様の御前で昔を懐かしむ訳にもいかなくてね」
「姫様はそんなの気にしないわよ」
「部下に格好がつかないだろう。何のためにこんな髭を生やしてると思っているんだい?」
「ん、んー……、おしゃれ髭?」
「……相変わらずだな、ルイズ。一応威厳が欲しくてね。若くして隊長なんかやっているものだから風当たりも強い」
そういってワルドは髭を撫で付けた。
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。『閃光』の二つ名を持つ風のスクウェアメイジである。
本人の言うとおり、若くして魔法英士隊の一つ、グリフォン隊の隊長をやっている。もちろん実力はそんじょそこらのメイジじゃ歯が立たないほど。努力の末に隊長の座を獲得した男である。
アンリエッタが力強い護衛を派遣すると行っていたが、それはワルドの事だったのだなとルイズは得心。
幼い頃からの憧れであったワルドが一緒なら、妙な緊張感もなく旅が出来そうだ。
「でもよかった、一緒に行ってくれるのが貴方で。私これでも緊張してたのよ、変なやつが来たらどうしようって」
「その割には随分と可愛い寝顔を見せていたよ」
「う、えと……、昨日ちょっと、使い魔と喧嘩しちゃって……、それであんまり眠れなかったの」
「喧嘩? 使い魔とかい?」
「ええ。私ね、人間を召喚しちゃったの」
「それはまた、随分面白いことをしたじゃないか」
腹を押さえて笑うワルドに、ルイズはむっとした顔つきになった。
「貴方まで私を馬鹿にするの?」
「そうじゃない。そうじゃないが、君は、くく、昔から変わらないね、本当に。羨ましい」
「まぁ、魔法英士隊が一つ、グリフォン隊の隊長様に羨ましいだなんて! 私も出世したものね!」
ルイズはそういうとつん、と顔をそらし、そしてワルドが乗ってきたグリフォンへと深々とお辞儀した。
「今日はよろしく。私はルイズ。馬だとあなたの速度には追いつけないわね。ワルドと一緒に乗せてくれる?」
じ、と試されているような視線がルイズを貫いた。グリフォンの視線が圧力を持って。
グリフォンは気位が高い動物だと聞いたことがある。決して人間を恐れている訳ではなく、あくまで対等。もしくは自分達のほうが上だと思っているのだとか。
そんなグリフォンを操るには相応の実力を示すか、もしくはお願いする事。馬にも似たようなところがあって、目を逸らしてしまうとたまに舐められる事がある。
明らかに知性を持っているような、ただ言葉が話せないだけで、絶対に頭がいいと感じさせるグリフォンの瞳。鳥の、鷲の上半身に獅子の下半身。受ける威圧感は半端なものではない。ルイズはちょっとだけドキドキしながら、しかし決して目は逸らさなかった。
「乗せて」
一言呟くとグリフォンはゆっくりと足を折りたたみ、ルイズに背中をさらす。
ワルドがルイズの後ろで“おいおい”と静かに、信じられないものを見たように呟いていたのがルイズには気持ちがよかった。
ふふん、と高飛車に笑いながらルイズはグリフォンの背に乗り、ワルドを見て、
「行くわよ、隊長殿」
「……了解だ、レィディ」
ワルドを後ろに乗せて、ルイズは馬と同じようにグリフォンのお腹を軽く蹴った。馬とは全然違う加速。景色がすっ飛んでいき、ルイズは楽しそうに笑う。
そして小さく小さく呟いた。
行ってきます。
もちろん、あいつに向けて。
。。。。。
痛む頭を、こめかみを押さえつけながらコルベールは学院長室へと足を運んだ。
急に姫は来るし、その歓迎会の準備に追われて、ようやく一段落かと思ったらまた要らない情報が舞い降りてくる。気の休まる暇がない。
薄くなった頭をぽりぽりと掻き、少しだけ速度を上げた。早く学院長に報告したほうがよかろう。
なんと牢獄に捕らえていたはずのフーケが逃げ出したというのだ。
杖は取り上げており、魔法は使えるはずがない。なんと言っても牢獄なのだ。当然囚人の自由などないし、あるのは暗闇と死なない程度の食事だけ。排泄なども勝手にやっていろといったところ。
だがフーケは脱走した。
看守は何者かに気絶させられており、目を覚ましたときにはフーケの姿は、あった。もちろん監獄の中にあった。看守も安心したろう。誰も逃げ出していない事にほっと一息つき、だから報告を怠った。誰かに気絶させられましたなど、言えるはずもなかった。
だからそのフーケが偽者だと気づくのが遅れたのだ。
土の魔法で精巧に作られたダミー。一日一食の食事を与えようかと思った看守がようやくになって気がついたとき、全ては遅くて、まぁ、まんまと出し抜かれた訳である。
「はぁ……質が落ちたものだ。逃げられるくらいならさっさと……」
つい呟こうとした言葉を意識して飲み込む。どうにも先日の戦闘以来考え方が昔に戻っているような気がした。
いけないな、と首を振り、口角を揉み、にっこりと笑顔を作った。
学院ではコルベール先生で居たい。
視界に学院長室を捕らえ、
「オールド・オスマン……?」
扉が粉々になってしまっているのは、いったい何事だろうか。
そして部屋に入って、更に驚く事がもう一つ。
「あ、あー、オールド・オスマン、フーケが逃げ出したそうですが……」
「ああ、知っちょる知っちょる。ちょっと前じゃろ、それ」
「ええ、一昨日に食事を渡そうとしたときに気がついたそうですから、少なくとも三日、四日前には逃げていたのでしょうな」
「ん」
「気付いていたと?」
「いんや。ただ手紙がきとったからの。わしには分からん言葉で書かれておったが、表に書いてある『一方通行へ』で気がついた。わしの秘書じゃったし、筆跡くらい見れば、まぁそのくらい気がつくもんじゃ」
一方通行、の単語にコルベールはぴくりと反応し非常に嫌な顔をさらした。
「……手紙」
「うん、手紙。言ったとおり、わしには読めんかったがね」
「渡したのですか?」
「当たり前じゃろ。人の手紙をわしが貰ってどうすんじゃい」
中身を読もうとしたくせに。
コルベールはその事にはあえて触れずに、視線を扉のほうへ送った。
粉々になっているそれは、一方通行がやったのだろう。コルベールはため息吐いた。
「それで、彼は?」
「行ったよ」
「何処へ?」
「さて?」
「野放しにするのはいささか危険ではありませんか?」
「内におっても危険じゃろ。言う事を聞くはずがないと言っておったのは君じゃなかったかね?」
「……ですな」
頬をかきながら、コルベールは外を見る。
窓からではない。そこには窓はなかった。というか、壁がなかった。
まずこの部屋に入って、壁がないことに驚いたのだが、また学院長のお茶目だろうと判断。判断したが、これは一方通行の仕業だったのだ。
扉を破壊して進入し、壁を破壊して出て行く。
どこの破壊神だと心の中だけで突っ込みをいれ、
「とりあえず、直しましょうか」
「ああ、さぶさぶ! そうしてくれい!」
何処に行ったのかなど知ったことではないが、取り敢えず面倒ごとだけはやめてくれ。
コルベールは杖を振りながら、そう願わずにはいられなかった。