ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚。
いつも以上にふかふかのベッドで、いつも以上に寝付くのも遅かった。普段だったら簡単に開くはずの瞼はやけに重い。
昨夜は……、そう、魔法の講釈をされていたのだった。
目指す先は『絶対能力』。そこまで一直線に進んで、とにかく魔法というものを理解する事から初めて、それで、虚無っていう、なにかを考えて……、眠い。
「シロ、シロ」
声が聞こえる。。
「シ、シロちゃーん……?」
聞き、脳の方に酸素を行き渡らせて、重い瞼を気合で開けた。少しだけぼやけた視界の中で己の召喚主を確認し、至近でこちらの瞳を覗きこんでくる様は寝ぼけた頭で考えても子供のようだった。
「……、……、う、ン……?」
「おはよ」
顔面の三センチ前でゴシュジンサマは言った。
「……」
「帰る準備しなきゃ。ちょっと早めに出るわよ」
「……ねみぃ。ちけぇ」
一方通行はルイズの顔面を引っつかみ無造作に引き離す。欠伸をしながら身体を起こし一度だけ目を擦った。
頭が働いていないのが実感できた。体感としては一時間も眠っていないのではないかというほどに。カリーヌの話す『風』の魔法の話に少しだけ真剣になりすぎたか。
一方通行はもっと力の事が知りたかった。
以前にも考えた事がある。世界中の風を意のままに操る事ができれば『絶対能力』などいらないと。考えてみればおかしな話で、世界中の風を操る演算能力を手中にした時点で『絶対能力』ではなかろうか。
指先を曲げただけで任意の場所に竜巻を起こし、史上最大級の台風を発生させ、高電離気体で焼き滅ぼす。世界の風を操れば簡単にできるのだろう。そのためにはもっと知らなくてはならない。
正直に言うとカリーヌの話はあまり役に立つものとは言えなかったが、風を考え、大気を意識する事は無駄にはならないだろう。
ゆっくりと二、三度瞬きをし、一方通行はふぅと息をついた。
「もういい?」
「……あァ」
「ご飯食べて、お風呂入ったら学院に帰るわよ」
「いらねェ」
「お腹すいてないの?」
「寝起きじゃテメェらの飯は食えねェよ」
ゴテ。である。擬音にするならゴテゴテとかモリモリとかそのへん。
貴族の食事というのは高カロリーで、更に量が多い気がする。
一方通行は基本的に小食なのであまり食べなくていいし、あまりに脂っこいものも好まない。あんなものを毎回二人ないし三人前は食べているルイズの基礎代謝が気になるところである。いったい一日に何キロカロリーを消費しているのだろうか。
「それならまだ寝てる? それともお風呂入る?」
「ん……風呂入る」
未だに覚醒し切れていない脳はぼんやりと返事を返し、ルイズの瞳がキラキラと輝きを増した。
「お、お風呂入るの?」
「ん」
「じゃ、じゃあ準備しなきゃね」
「そォだな」
「……も、もう一回“ん”って言って」
「あン?」
「もう一回“ん”って言って」
「……」
一方通行は訝るような表情のまま、ちょっとだけ鼻息が荒いルイズを無視し立ち上がった。
ルイズは時々、一方通行には理解できない言動を発する事がある。そのたびに喋る剣が言っていた“頭がヤベェ”が思い出されるのだ。
いくらなんでもまだ依存性はない筈なのだが、それは一方通行の常識で、実はもう頭のほうに害が出てきているのかもしれない。魔法のことを完全に理解していないだけに、一方通行には判断がつかないのだ。
未だに瞳をキラキラさせながら迫ってくるルイズをかわし、一方通行は部屋の扉を開けた。
「何よ、言ってくれてもいいじゃない……」
聞こえなかったふりをしてきょろ、と見回す。
「風呂は?」
「ここの廊下まっすぐ行って、そしたら階段があるから下りて。そこから右に曲がってまたまっすぐ。突き当たって左手側にあるわ」
「無駄に広ェンだな。家なンざ食って寝れりゃ何だっていいんじゃねェか?」
「言ったでしょ、貴族も大変なの。こういう大きな家がないと平民との差を見せ付けられないじゃない。貴族はプライドと魔法にしがみ付いてなきゃ生きてけないの。こういうところで無駄にお金を使ってヒーヒー言ってる人も居るんだからね」
「……本末転倒。くだらねェな」
「そのくだらない物が大切なのよ、私達には」
「そォかい」
鼻で笑いながら肩をすくめ、一方通行は風呂へと向かった。
家が広すぎるのは気に食わないが、風呂が広いのはなかなかに気持ちがいい。
一方通行は学院でも堂々と貴族用の風呂を使っている。昼に入っているので誰かと一緒になったことがなく、広々とした風呂はそこそこに綺麗だとも思った。
本来一方通行には風呂は必要ないものである。身体を汚すものは徹底的に反射している。風呂に入るのは本当に気分転換のようなもので、身体を洗うのが目的ではないのだ。
ルイズに言われたとおりに階段を下りて廊下を右に曲がる。まっすぐ行った先に風呂があった。
無造作に扉を開き、脱衣場へ。学園都市から着ている長袖のTシャツにデニム、下着を脱ぎ捨てさっさと向かった。
白い湯気が立つそこは公爵家といわれるだけはある。豪奢な風呂場であった。大理石のようなもので浴槽は囲われており、湯は乳白色。鼻を鳴らせば香水のような、少しだけ甘い匂いがした。おそらく湯に混ぜているのだろうと考え、お湯をすくう。柔らかい。軟水である。滑らかに肌をすべり、この白いのは何であろうか。乳液?
「……贅沢してやがる」
椅子と思しき物に腰を下ろし反射設定を変更。頭から少しだけぬるくした湯を被った。
石鹸を手に取り頭に塗り身体に塗り適当にわしゃわしゃと。必要がないものだが気分的に。後は反射。一方通行の身体についていたものは残らず弾かれる。
「……」
そして張られた湯に足をつけるのだが、
「……っ」
熱い。
一方通行はこれまでの人生で『痛い』を経験した事があまりない。一方通行の触覚、痛点は幼いのだ。あの戦闘で上条当麻に殴られたのはとても痛かった。小さな刺激でも、常人だったら何でもないただのお湯でもぴりぴりとした刺激が襲ってくる。反射をしてしまうと風呂に入るという行為そのものの意味がなくなってしまうために我慢しながらそぉっとそぉっと湯につかった。
「はぁ……、極楽とは、言えねェな……」
ため息をつきながら、しかし気持ちよさそうに入浴していたときだった。
がらり、と脱衣所へと続く扉が開けられ誰かが入ってくる。
一方通行は別に気にした様子もなくお湯をブクブクしたりしていたのだが、
「誰だ貴様」
「あン?」
「……使用人の風呂は別にある。ここは家の者の風呂だ」
と言う事はこの男はヴァリエールの家の者で、おそらくだがルイズの父親なのだろう。
白が混じり始めている金髪に、堂々たる威厳を持っていて、一方通行がこっちの世界に来て初めて『貴族』と思えるような人物だった。
「いや……、アンタの娘にここを使えって言われてンだが……」
「……カトレアか?」
「その下だな」
「ルイズか!?」
一方通行はその大声に嫌そうな顔をしながらうんうんと頷いた。
「ルイズが……ルイズが帰ってきているのか? いやそもそも貴様ルイズの何だ? ……いやいい、やはりいい、何も言うな、いや、だが……だが、えぇい……!」
めんどくせェ。一方通行は小さく呟き浴槽から立ち上がった。
ルイズも面倒臭いが、この親父も面倒臭いに違いない。何だか良く似ているような気がする。
「お先」
男の隣を抜けようとしたその時、
「やはり待て!」
はぁ、と一方通行は大きくため息をついた。
。。。。。
「───むごっ、んふっ、んー! んー!」
「あらあら、急ぎすぎよ」
カトレアから差し出された水をルイズは受け取り、口の中と咽喉につっかえている物を一気に飲み下した。ゴキリ、とかなりいやな音が咽喉からしたが大丈夫だろうか。
「あー、あー、危なかったぁ……、食べ物咽喉に詰まらせて死んじゃうところだった……」
「そんなに急いで食べるからです」
母の苦言などものともしない。
ルイズは死に掛けてもなおむしゃむしゃばくばくと朝食を皿の上から消していく。出されたものはしっかりと食べつくす。ルイズがシエスタと出会ってからの習慣。誰が作ろうと何が使われていようと、食べ物に罪はない。食べずに捨てるなんてただの傲慢である。
とても貴族らしい食事の仕方ではないのだがその食べっぷりに給仕の女は微笑み、調理師であろう青年も笑みを浮かべていた。どうにもルイズは貴族よりも平民に好かれる性質らしい。
最後の一口を大口開けて頬張り、
「ごひほ……んぐ、ご馳走様! 美味しかったわ!」
「光栄でございます」
「ムニエルがとても美味しかった! あとこの木の実が入ったパンと、この鶏肉が入ったスープも! でもこの海老のソテーはちょっと味が濃かったかも。お父様もお母様もそろそろお歳だから塩加減考えてね」
「はい。確と承りました」
それじゃ! とルイズはすばやく右手を上げて椅子の下に隠していた洗面用具を取り出す。
もちろん目的は風呂である。おそらく食事にはそれほどの時間はとられていない。今風呂に行けば一方通行がいるはずなのだ。ここ最近は穏やかに過ごしているのでご褒美として背中の一つでも流してやろう。そう考えた。決して一方通行の裸を見たいとかそういうのではない。
意味深なよだれを垂らしたルイズはじゅるりとそれを啜り脱兎のごとく風呂場へと走る。こら、と後ろから母の声がするが、ルイズにはまったく聞こえてはいなかった。
廊下を駆け、そして風呂場の扉を開けようと手を伸ばしたその時、
「ありゃ?」
「……ンだよ」
内側から開いてしまった。一方通行が出てきてしまった。
ほかほかと湯気を立ち上らせるその姿はルイズの心臓を跳ねさせ、やや高潮した頬といつもより赤くなっている唇がやけに印象的。
う、と訳もなくルイズは唸ってしまい、改めて自分が呼び出した使い魔の美しさを確認した。
「も、もう上がっちゃったの?」
「あァ」
「むぅ。一緒に入ろうと思って死ぬ思いしながらご飯食べたのに」
「そりゃ残念だ」
とは欠片ほども思っていない調子で一方通行は肩をすくめ鼻を鳴らした。帰る頃になったら起こせと残し、テクテクと廊下を歩いていってしまう。また眠るつもりなのだろう。昨日は随分晩くまで母と話しこんでいたようだから仕方がないか。
ちぇ、ちぇ、と唇を尖らせながら服を脱ぎ捨て、浴室の扉を開けた。
朝方なので気温が低く、立つ湯気で視界が奪われる。とはいえ生まれてから十年以上暮らしてきた家である。感覚を頼りに動けば転んでしまうような事はない。
手近な椅子を引き寄せ腰を下ろし、持ってきたタオルに石鹸を擦りつけ泡立てる。身体の怪我はもうほとんど治ってしまっているのでしみるような事はもうない。傷跡はそこらじゅうにあるが、そのものはようやくになって治ったのだった。
「ふんふんふ~ん♪」
鼻歌交じりに身体を洗って、
「そぉいっ、そぉいっ、そ───げふっ、ごほっ、ごほ!」
顔面を、顔のほうを動かしながら洗い、気合を込めながら洗い流す。口の中に泡が入る。苦い。
「あ~らよっとぉ!」
立ち上がりスパーン! とお馴染みのアレ。
そして浴槽に向かって一歩、二歩、さん、グニ、と。
「……?」
何かを踏んだ。間違いない。何かを踏んでいる。薄ぼんやりとだがそれは見えていた。
誰かというのは湯気のせいではっきりとは見えないのだが、ここはヴァリエールの実家で、母と姉には食卓で会っており、一方通行にもすでに会っている。
消去法として、ここの風呂を使うものはもう一人の姉と、後は、父。
ルイズはもう一度だけ足の感覚を確かめた。
ぐにゃり。
……。
とたんに背筋に走る怖気。確かめたくない。
ルイズはあわあわ言いながらそぉっと足を上げ、ゆっくりゆっくり視線を下に。
「だ、だ、だれか……、だれかぁ……」
見えた。
「誰か来てぇぇええええ!! おと、お、おおおお父様が! お父様がっ、おちん♂んモロ出しで倒れてるっ! おちん♂んモロ出しでっ! たおれてるぅぅぅううう!! わぁぁあああ! うわぁぁあああああ!!」
顔面を赤く染めながらルイズは絶叫した。
03/~お姫さま~
はぁ。
何度目のため息であろうか。数えはしていないが、先ほどから何度となく自分がため息を零しているのには、もちろん気が付いている。
望みもしない婚姻。政治を絡ませた結婚。
たまらない。女としての幸せが、これで全部飛んでいってしまう。
「……つまらない人生だったわね」
誰に言うでもなくアンリエッタは呟いた。だったわねと呟いた。
終わりだと思っているのだ。これで全てが。
結婚して、アレが見つかって、同盟が破棄されて、不穏な動きをしているアルビオンに攻め込まれ、ゲルマニアからも攻め込まれ、ガリアは果たしてどうだろうか。どちらにせよ、どうなろうがトリステインに未来はない様に思えた。
自分のせいで国が滅ぶ。その可能性がある。
未だに実感はわかないが、これは所謂一大事なのだ。
何とかせねばならない。そう考えてはいるが、いったい何をどうすればいいのか。
アレは、ウェールズに送った手紙は、どうやっても取り返さねばならないものである。ゲルマニアとの同盟はそれで決まってしまう。
今からゲルマニアと結婚しようとしている女が、ウェールズすきすき愛してるなんて書いてある手紙が、アルビオンに見つかってしまえば大惨事。同盟破棄。勃発ではないか、戦争が。
はぁ。
またも大きなため息。
好きな男に好きと告げただけなのに、それが国の命運を左右している。
「こういう時、何て言うんだったかしら……」
思い出したのは幼い頃に遊んだ友人。
活発で、いつも笑顔を絶やさない彼女は、高貴な身にしては少し口が悪かった。
ラ・ヴァリエール。
ちょうど先ほどその領地を遠目に確認できたところである。ゲルマニアと隣り合うヴァリエール。幼い頃の記憶を刺激するにはちょうどよい材料となった。
「えぇと、そう……、マジ───」
アンリエッタが鬱気に独り言を呟くと、
「やっべぇぇぇええ!!」
そうだ、マジやばいだ。
何処からともなくとても大きな声。
周囲を囲む護衛隊が何事かと騒ぐのが何となく滑稽だった。
「見ちゃったじゃない見ちゃったじゃない! 踏んじゃったじゃない!!」
懐かしい声。
片時も忘れる事のなかった声。
思わずアンリエッタはレースで仕切られた窓から身を乗り出した。
周囲に展開している魔法英士隊が警戒し杖を突き出しているのが見える。その先には桃色がかったブロンドの髪の毛の持ち主。幼い頃からあまり変わっていない容姿に体型。髪の毛は短くなっていたが見間違えるはずがない。一目見ただけで上等だと分かる馬に乗っていた。
英士隊の一人が馬から降り、やや混乱気味の彼女に向けて杖を向けた。
「お待ちなさい、よいのです!」
「ひ、姫様……、しかし……」
「そなたの忠義、感謝します」
「……は、失礼いたしました」
ユニコーンに引かせている馬車を止めさせたアンリエッタは扉を開いた。
地に足をつけ、久しぶりに見せる笑顔で。
「ルイズ? ルイズ・フランソワーズではなくて?」
「ひ、姫?」
懐かしいわねとアンリエッタは口を開いた。
ああ懐かしい。確かに懐かしい。懐かしいが、もうちょっと空気読めと思ったルイズに間違いはないだろう。
ルイズはアンリエッタに連れられて馬車の中へと。お姫様の馬車の中にいるのだ。
レースのカーテンを引いているので外からは見えないだろうが、なんとも視線を感じてしまうのである。何だアイツ。何者だアイツ。視線というか、意思というか。
そんなものを感じながらだと話に花を咲かせることもできない。ルイズはアンリエッタの話す事に曖昧に頷くだけ。
「……ごめんなさいね、呼び止めて」
「あ、いえ、良いんです。久しぶりに姫様の顔も見れましたし、……その」
何となく距離感がつかめず、なかなか出てこない言葉にルイズが難儀していると、アンリエッタは非常に儚げな笑みを浮かべた。
「私ね、結婚するのよ」
「……おめでとう、でよろしいですか?」
「そうね……。どう思う、あなたは」
間違いなく政略結婚なのだろう。
タイミングを考えるとそうとしか考えられない。最近はアルビオンの方に不穏な空気が流れているというし、ゲルマニアとの同盟が欲しいのだ、トリステインは。
「立派だと、そう思います」
「……立派、ね」
「私に政は分かりませんが、姫様の結婚の意味くらい理解しています。だから、立派だと」
「ありがとう、ルイズ」
数分の沈黙。
ルイズは俯き加減で何か声をかけたほうがよいのか、と。どう考えても元気には見えないアンリエッタ。なにか自分にできることがあればしてあげたいと思った。
そして顔を上げ、いざ口を開こうとしたとき、ちょうど同じタイミングでアンリエッタが顔を上げた。
その瞳の奥には何か決意したような輝きが宿っており、
「ルイズ、学院に着いたらお話があります。聞いてくれますか?」
厄介ごとだ。間違いなくそうだ。
だが、目の前にいるのは一国のお姫様。お願いと言われたら断れるはずがない。断るつもりもない。幼馴染が困っているのならば、それを助けるのは当たり前。見て見ぬふりは誇りが汚れる。
ルイズはちょっとだけ微笑みながらサムズアップ。
「もちろんさぁ」
「ふふ、ありがとう」
。。。。。
停学期間中、タバサを連れて遊びに出かけ、酒を飲み、男を堕として、時には魔法を使って乱闘騒ぎ。キュルケの一週間は実に有意義なものだった。
今日で停学期間は終了。また明日から退屈な授業を受ける毎日が始まる。考えれば考えるほど憂鬱で、キュルケは夏休みの終わりが近づくと何処かに行方をくらませるタイプの人間だった。
「あ~あ、お休みも今日でおしまいね」
ね、と隣でこくりこくり舟をこいでいるタバサに向ける。
今は昼だが、つい先刻まで夜通しでワインの飲み比べをしていたところだった。魔法を使ってこっそりと食堂から持ち出したアルビオン製のものがキュルケのお気に入り。そこまで高い物ではないが、好みの風味。
タバサにもやや無理やり飲ませたが、いくら飲もうがちっとも印象が変わらない。ただしきりに眠い、眠い、と呟くだけである。
「お休みなんてあっという間。さっさと夏期休暇がこないかしら」
「眠い」
「そしたらシロ君とゲルマニアに旅行に来なさいな。案内してあげる」
「……ねむい」
「ゲルマニアは良い所よ。皆自信に満ち溢れてる。トリステインみたいに暗い連中ばかりじゃないし」
「ね……むい」
「そうね、ルイズのバカも連れて行ってもいいかも。あの子ってどっちかっていうとゲルマニア向きじゃないかしら」
「……」
「タバサ? なぁによ、眠っちゃったの? た~ば~さ~?」
キュルケは微笑みながらタバサをベッドへと運んだ。
フレイムがきゅるきゅると鳴いたのを、人差し指を立てて黙らせる。
口数の少ない少女。そう、少女だ。タバサはまだ幼い。どんな理由があって『タバサ』なのか。この幼さであの魔法の腕はどうなっているのか。聞きたいことは沢山あるが、キュルケはそれを無理に聞こうとはしない。だからこそ今の関係が成り立っている。
ルイズ達と馬鹿をやっているときには気がつかないが、キュルケは仲間内では一番お姉さんで、一番大人なのだ。それはよく育っている身体だけではなく内面的なものもそう。皆と騒いでいるときもいつだって気を配っている。
タバサの青くさらさらの髪の毛を二、三度なでつけ、太陽光が入り込む窓際に腰掛けた。暖かな日差しは酔いを醒ましてくれることはないが、それでも気持ちがいいものである。
「ま、何があるのかは知らないけど……」
ちゃんと味方でいてあげるから。
呟いたのと同時、それは流星のごとく堕ちてきた。
ずしんっ! と学院を一度だけ揺らした物は上空から降ってきた人で、砂煙の舞う中から白い頭髪が。
「……無茶苦茶よね、ほんと」
ケラケラと笑いながらキュルケは魔法を行使。窓から飛び降りて地面にふわりと着地した。
驚いた様子もない一方通行に向かって右手をふりふり。
「はぁい、久しぶりじゃない」
「たったの数日だろ」
「それでも私は久しぶりだって思ったの」
いつものように腕をつかみ取り自慢の胸を押し付ける。
「あの子は? 置いてきちゃったの?」
「……」
「シロ君?」
「……クセェ」
「え、うそ?」
思わずキュルケは掴んでいた腕を放し、そして自分の髪の毛を一房だけ鼻へと持っていった。これがルイズだったら外聞なく脇の下を嗅いでいるところである。
いや、確かに先日は風呂に入っていないが、というかずっと酒を飲んでいたので気がつかなかったが、しかしそれでもまだ臭ってはいないだろう。
女の子は自分のにおいには気を遣う生き物なのだ。まだ大丈夫なはず。うん。
「く、くさいかしら?」
「あァ、酒クセェ」
「あ、そっち?」
「どっちがあンだ?」
キュルケはほっと一息つき、
「えぇと、それでルイズは?」
「まだお馬さんにでも乗ってンじゃねェか?」
「置いてきたの?」
「あァ」
キュルケが口を開くたびに一方通行のほうから優しい風が吹いてくる。一方通行が風を操れる事を知っているだけにショックが大きいが、まだ体臭ではなく酒臭いと思われているだけマシか。
というか、そんなに臭いだろうか。多少(?)アルコールのにおいがするだけだろうに、何もそこまで避けなくてもいいのではないか。
キュルケは少しだけ考え、
「ワイン、飲む?」
「……いらねェ」
「美味しいわよ?」
「いらねェ」
「あれはいいものよ~? ちょうど今の感じの、ほろ酔い気分。最高。いつもより貴方が綺麗に見えるわ」
「いらねェって言ってンだろ」
そして一方通行は背中を向けて歩き出した。
キュルケは確信すると同時ににやけた笑みを貼り付ける。
なんだ、顔以外にも随分と可愛いところがあるではないか。
テクテクと歩く一方通行の背中に向けて人差し指を伸ばし、
「あなた、お酒飲んだことないんでしょ?」
ぴたり、と一方通行の歩みは止まった。
。。。。。
学院によっていくとアンリエッタは言った。
へぇそう。それだけでは済まないのが貴族である。お姫様が寄って帰るというのだ。歓迎せねばなるまい。
しかしアンリエッタに聞けば学院にはまだ知らせていないと言うし、さぁ大変。
すぐさまルイズはアンリエッタの馬車を降り、学院への帰路を進んだ。
ルイズが乗る馬、クロは疲れなど知りませんがなにか? と言った調子で進めや進め。景色が流れるスピードは一向に変わる事無くルイズを学院まで運んだ。
馬小屋でクロに三回キスをして、
「ありがと。また明日ね」
少しだけ痛い尻をさすりながら今度は学院長室に猛ダッシュ。
ノックをし、返事が帰ってくる前にドアを開いた。
来る来る来ちゃう姫様来ちゃう。
まじかやばくね?
そして学院の全授業は中断された。
「あ~疲れた……。そして絶対また疲れる」
厄介事としか思えない姫様のお話。
一体全体どんな『お願い』なのか。昔からそうだが、アンリエッタはたまに無茶をやらかすときがある。替え玉を頼まれたときは死ぬ気で寝たふりをしたものだ。
今度は楽な仕事がいいのだが、はぁ、ありえない。しかし力にはなってあげたい。姫様だし、友達だし。
ルイズは重い足取りで寮の階段を登り、自室のドアノブを捻る。先に帰ってきているであろう一方通行に向かって、
「ただいまぁ……」
間違えたキュルケ居た裸で居た。
「……ん、ごめん」
ぱたん。
「……?」
ここがルイズの部屋なのは、間違いないのだが、はて?
ルイズは首を傾げながら、今度はそっと部屋の中を覗き込んだ。
キュルケがいる。裸で。布団は被っているようだが、そこから出ている肩と足。両方とも生で、寝てるようである。ベッドの脇に転がるワインの瓶はいち、に、さん、し、ご……。アホかアイツ。
おそらく飲みすぎて自分の部屋と間違えてしまったのだろう。勝手に人の部屋で酒盛りか。いい度胸である。
「くぉらぁあ!」
ばたーん! とルイズは扉を破壊する勢いで開放。何の反応も見せずにすやすや寝こけるキュルケに向かって唾をも散らす勢いで文句を垂れた。
「勝手に人の部屋で酒盛りとはいい度胸じゃないマジぶっ殺すわよアンタホント何でこんな事になってんのよ信じらんない信じらんない! そもそもこのワイン何処から持ってきたのよ! 今日姫様来るのよ! こんな酒臭い部屋に入れろっての!? ふざけんな!」
はぁ、はぁ、と息継ぎ。
一向に起きる気配のないキュルケは幸せそうに笑顔のまま夢の中。
「こ、この……!!」
ぶるぶると拳を握り、いや、さすがに女の顔面を殴るのはどうかと思い直し、そして布団を剥ぎ取った。
これで起きなかったら裸のまま廊下に転がしておこうと思っていて、そしてルイズの視界には人間が二人映ったのだ。
まずルイズは目の病気だと思い、五回瞬きをした後に両手で目を擦った。
未だに映りこんでくる幻はもしかしたら現実かもしれないと思い、キュルケは一方通行に背中から抱きついていた。裸で。
キュルケよりも身長が低く、キュルケよりも細い一方通行はさぞ抱き心地がよかろう。キュルケの幸せそうな寝顔の訳を知った。
「……」
ルイズは布団をそっと元に戻し(キュルケの色んな所が色々見えるので色々困った)、布団の上からキュルケの拘束を解いていく。一方通行にからんでいた足と手を外し、まぁ仕方がないのでベッドの端っこで寝かせた。意識のない人間の肉体は思いのほか重く、特に肉感的なキュルケの身体は触っていて腹が立つのである。
「……」
そしてルイズは何も言わずにそっとキュルケと一方通行の間に挟まった。
顔をにやつかせ、そぉっとそぉっと一方通行に足を伸ばし、手を伸ばし、先ほどキュルケがやっていたように拘束する。あまり男らしくない背中が眼前いっぱいに広がり、何となく匂いを嗅いでしまった。
「ま、まぁ貴方の勇気に免じて許してやるわ、キュルケ。さすがのあたしもここまでは出来なかったわ。だってアレじゃない、起きそうじゃない。起きたら何されるか分からないじゃない? でもさすがねキュルケ。恋多き女って、ちょっと尊敬してやるわ。こ、こ、こんな、こんな事しちゃうのね、恋多き女って。抱きついたりするのは分かるわ。私も布団とられたりしたらたまにそんな事になってる時もあるし、で、でも、足とか、手とか、こんなえっちに絡ませたりするのね恋多き女って。凄いわキュルケ。アンタの乳にはきっと何か凄いのが詰まってるのね? えっちなのね? だからそんなに大きいんだわ。間違いないわ。こんな、手とか、足とか、て、てて手とか、足とかっ、絡んじゃってるじゃない、どうしよう、絡んでるわ。き、きっとこういう事して男を落すのね、キュルケ。そうなんでしょう? あなたえっちよ。も、もうちょっとこのままでも罰は当たらないと思うの。当たらないわよね? そ、そうよ、一緒に寝てて手も繋いでくれないならこのくらいしょうがないのよ。か、か、絡んじゃったりとか、しても、おかしくないわ。ちょっとしたお昼寝で、たまにこんな事があっても全然おかしくないし、これって何だか自然な事だわ。やばい。気持ちいいじゃない。とんでもない事するのねキュルケ。こ、こんな事裸でしちゃうなんて、とんでもない事するのねあなたって。で、でもそっちのほうが気持ちいいのよね。別になんでもないわ。ただちょっと熱くて、汗かいてきたから服を脱ぐんであって、そういう意図は無いの。私って今までクロに乗ってきたし、ちょっと汗かいてるじゃない? だ、だだだだから服を脱ぐんであってそういうことしようとかちっとも思ってないんだけど、で、でもそういうことになったらそれはそういうことになっちゃっただけで仕方がないことだとも思うわ、私。違うのよ? 最初っからそんな事しようとか思ってるわけじゃないの。ああ、大変だわ、いつの間にか脱げちゃったじゃない。脱げちゃったじゃない。やばいわ。何この密着感。ああ、どうしよう。こ、こ、これ、いけないわ。いけないことだわ。こんないけないことしてたのねキュルケ。あなたえっちよ。大変だわ。キュルケえっちよ。た、ちょ、ほんと、え、いいのこれ? いいのこれ? 大変なところに当たっちゃわないかしら? ねぇ、ちょっと、ホントに、キュルケ、これ、シロの腰の、ほ、ほ、骨のトコが、大変なトコに当たっちゃわないかしら? これ大変よ、ホント大変だわ。全然違うわ。はは裸で、こんなことしちゃってるなんて、キュルケ変態よあなた。変態のHでエッチってよく言ったモノだわ。あなた本物の変態だったのねキュルケ最低よキュルケ凄いわキュルケ。あ、ちょ、あ、……、これ、ホントに、ひ、姫さま来ちゃうのに、裸で、何やってんのよ私っ。だ、大体なんで起きないのよシロっ。やめるタイミング失っちゃったじゃない。ホントに大変な事になっちゃうわよ馬鹿。起きなさいよ、いやよ、起きちゃ駄目だわ。アンタも脱ぐべきなのよ。女が二人もベッドで、裸で寝てて、何で自分だけ服着てるのよ。ずるいわ。そ、それって何だかおかしいことだわ。寝るときにそんな服着てるなんておかしいわ。脱ぐべきなのよ。間違いないわ。だって私ご、ごごご主人様だし? 使い魔の世話をするのもご、ご主人様の勤めっていうか、何かそんな感じ? ほ、ホントなら着替えくらい自分でしなさいって言うとこだけど、アナタ最近穏やかに過ごしてるし、ホンのちょっとだけ優しくなった気もしないでもないし、以前みたいに私のことブッ飛ばさなくなったし、そこそこに可愛げも出てきたからしてやってあげてもいいって思ってるだけでべべべ別に大した意味は無くて、一緒にお風呂にも入れなかったし、あ、あっ、ちょ、動いちゃ駄目よ、大変な事になっちゃうじゃないっ、う、っとにもう、あ、ああアンタがいたから一回もしてないってのに、ちょっと、もうっ、早く脱がしたいのよ、じっとしててよ。アンタいっつも同じ服着てるのに何でこんないい匂いするのよ、たまんないわ。たまんない。新しいの買ってあげるからこれ私に寄越しなさいよ。ホントに、もう、な、ん、で、脱げないのよ、何か脱げないような服でも向こうの世界には売ってあるっての? ずるいわそんなの。脱げなさいよ。私は脱いでるのに、キュルケも脱いでるのに、何でアンタだけ服着てるのよ。違うでしょそういうの。もっと空気読むべきだわ。きゅる、キュルケが脱いでてあうっ、ちょと、ホント、うごいちゃだめだってばぁ、う、うぅっ!」
一度だけルイズが跳ねて、
「……えと……、終わった?」
背中から聞こえてくる声は、もちろんの事キュルケである。
「……、……、いや、違うの、これ、違うの」
「え、ええ、そうよね、違うわよね」
「ちょ、ほんとに違うのっ、ま、ちょ、ちょっとまって、いま言い訳考えてるからっ」
「そうよねっ、い、言い訳はしっかり考えなきゃ駄目よね」
「そうなの! あは、はは、ははは……」
「……」
「……」
「あのね……、なんて言えばいいかしら、その、そういうことって、やっぱり一人のときが良いと思うわ、私」
「お願いします誰にも言わないでください」
ルイズはベッドの上で深々と土下座した。