三十メイル。
聳え立つそれは近くで見るとこれまたでかい。常識では考えられないくらいにでかいのだ。
考えてもみて欲しい。三十メイルなのだ。それは正確にではないがおおよそ人間の形をしていて、地面を揺らしながら暴れまわっている。最早兵器では無いだろうか。『魔法』で作ったからどうだのという前に、三十メイルもの巨人を生み出す『土』。その質量は武器だ。踏まれてしまえば簡単にあの世に行って始祖ブリミルとご対面である。
「……早まった、とか思ってんじゃねえだろうな嬢ちゃん」
「あ、あんたバカァ? 何よあんなもん、ただの泥人形じゃない」
「へっ、言うねえ。今代のガンダールヴは実に豪気で痛快だ。俺もやる気が出るってもんよ!」
「使う気はないわ。あんたは大人しく私の戦いぶりを見てなさい」
「ちょ、マジで使わねー気かよ……」
寮の玄関口で外を覗きながらルイズは抜き身の長剣を握った。
とたんに軽くなる身体。最後まで消しきれなかった恐怖心が消えて、そしてそれは絶対の自信になる。
メイジとの戦い。
仮に魔法の使えないルイズを平民とするのならこれ以上馬鹿なことは無い。
平民 < 貴族。
この構図はどうあっても取り外すことが出来ない絶対的なものである。実際、貴族と平民が戦闘になっても十中八九貴族が勝つであろう。
それほどまでに魔法の力は強く、便利で、どうしようもないほどの壁を作ってしまうものなのだ。
しかし、ルイズの左手に輝く印。それは魔法が使えない平民とほぼ同じ存在のルイズを『最強』の隣へと押し上げた。
もちろんその剣は『最強』に届かなかったが、心はいつでも最強無敵。
そうなのだ。彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、
(私が勝てないはずが───ない!)
絶対の自信を持って地面を蹴りつけた。
風を切り裂き、長剣を肩に担いだまま向かう先はゴーレムの足元。
目立ちたかったのであろうか、それとも使い魔に負けた『土くれ』などには負けはしないと高を括ったか、その教員は前に出すぎていて、たった今にも土につぶされてしまいそうだった。
さすがに顔見知りがひしゃげた死体になるのは許せない。
ルイズは狩りをする猫科の猛獣のようにそこにたどり着き、ギージュ曰く『救いの蹴り』を教員の顔面へと埋め込んだ。
「ごッ!」
苦悶の声。教員は数メイル飛び、瞬間にゴーレムの足が降ってきた。
ち、と舌打ちをし横っ飛びになりながらそれを回避。
ずしぃん! と思わず耳を塞ぎたくなる様な轟音。地面を見れば見事に陥没してしまっている。
鼻血を出しながら地面に転がっている教員はギリギリのところで圧殺を免れたようだった。何事もなかったかのように立ち上がり、目の奥にぎらぎらとした光を宿しルイズに詰め寄る彼は、
「き、貴様、私を蹴ったな!?」
「雑魚は引っ込んでなさいよ。私が居なきゃあなた死んでた」
「あの程度のゴーレムに敗れるものかっ、私は『風』だぞ! 避けて見せるさ、あの程度!」
「そう? それはごめんなさいね、謝るわ」
ルイズの目はすでにその教員のことを捉えてはいない。
ゴーレムは相変わらず暴れているだけだ。周囲に展開している教員連中の魔法はその身体の一部を小さく小さく削っているに過ぎない。
術者はゴーレムの肩に立っているのだ。幾らゴーレムを削ろうがその瞬間に地面から土を吸い上げている。術者本人を狙わなければ意味が無いのだ。
しかし、言えば三十メイル上にある的に石を当てろといっているようなもので、魔法で狙うのは中々難しかろう。
ぺろ、とルイズは唇を舐めた。
欲情にも似た火照りは体の奥から。お腹の奥から。そして、左手から。
自信がつくと思った。もっともっと、今よりもずっとたくさん。
メイジを倒すことが出来れば、嫌いな自分に自信がつく。可愛い使い魔に言ってやることが出来る。
『一万人を殺したからなんだ。そんなもん私は知らん!』
言ってやりたい。是非言いたい。
これからだって強くなる。もっとずっと強くなる。誰にも負けない『最強』にだって、一方通行が目指す『無敵』にだって、何にだって成ってみせる。
だから隣を歩いていいのはルイズだけで、この世界で一人だけ。
ぞろり、と背筋に走ったそれは快感だった。左手が今まで以上に熱くなって、熱くなって、気持ち、いい。
「……おいおい、冗談だろ」
背中に挿した剣から聞こえた声は脳で理解することが出来なかった。
心が震えている。
絶対に届かないと思っていたメイジを倒せる。この場でそれを成せるのはルイズで、ただ一人で、なんだって出来そうな、そんな気がする。
「……きもちぃ。すごい気持ちいい……」
とろとろに溶けた瞳で見るのはもちろんゴーレムと、それを操作しているであろうメイジ。
どぱどぱと。じゃぶじゃぶと。
普段感じることの出来ない何かがルイズの脳から分泌されている。
勝てないはずが無い。
さっき感じたとおり、それは確信に変わって、
「んはぁ、行っくわよぉ?」
瞬間、彼女は駆け出した。
酔っ払いのような言動からは考えられない速度。空気を裂き、地面を沈める。
三十メイルを支えるものはもちろん足だ。どれほどの重量があるかは分からないが、おそらく簡単に数えることの出来るものではなかろう。だからこそその足は太くて、大木と称する木々を三つも四つもまとめたようなそれ。
それは当然剣の一振りで切れるようなものではない。頭が気持ちよくなってしまっているルイズにもそれは分かる。
「お、んっどりゃぁぁああ!!」
だが、だからこそルイズは剣を振りかぶりその足を斬りつけた。どちらかというと斬るよりも削るに近いそれは、もちろんたったの一回で終わるはずも無い。終始笑顔で、あは、あは、と危ない笑声を上げながら削り取る。最早木を斧で切り倒すような作業。
気持ちいい頭で考えたのだ。肩に乗っている術者にはどうやって斬りかかればよいか。
単純。ゴーレムの足を切り落として転ばせてしまえばいい。
高みでこちらを虫けらのように見ていることだろう。笑いが止まらないのではなかろうか。見下されるのには慣れている。笑え笑え。その腹に、顔面に、鍛えぬいた拳と蹴りを叩き込んでやる、と。
上にいるのなら引き摺り下ろす。それがダメなら自分が登る。いまのルイズは最強で、
「───私が勝てないはずが、無ぁい!」
しっかりと口にし、どぱぁん! とゴーレムを支える土を吹き飛ばす。
削れど削れど一向に減らないそれは、しかしルイズの心を折るに値しない。一つ一つ、一歩一歩、小さく小さく。毎日毎日筋トレに励み、毎日毎日瞑想して、毎日毎日魔法を失敗するルイズにとっては最早ご褒美。
言えばルイズはマゾヒストなのだ。こういったイライラしそうな作業は嫌いではない。
きゃっきゃと笑いながら削り続け、そして『土くれ』も危機感を抱いたのか、今度は拳が振ってくる。それはそれは巨大で、当たればひしゃげたカエル間違いなしであろう。
その時、ルイズの心に浮かんだのは危機感ではなく喜び。自分を、『ゼロ』を敵としてみてくれた。メイジの敵になれている。
その事実だけで十分。もっともっと気持ちよくなって、もっともっと速くなって、もっともっと強くなる。
「あったらな~い! こっちこっち、何処狙ってるの!」
上空から降ってくる必殺をルイズは避けてみせる。避けながら更に攻撃を加える。
土を吹き飛ばし、猛獣のように機敏な動き。自信にわいた表情。
まるで踊っているかのようだった。巨人と少女のダンス。それはその場に居る全ての者の目に焼き付けられる。
誰かが言った。
「戦女神……」
ルイズには聞こえない声。だが、本人の了承がどうあれ、それは決まった。
この日、『ゼロ』のルイズは『戦女神』ルイズに成ったのだ。
12/『悪党の美学』
「うわ、あの子頭おかしいんじゃないかしら?」
寮の窓から身を乗り出せばルイズが戦っていた。戦っているのだ、今まで『ゼロ』と呼ばれ、それは魔法の才能もそうで、成功率もそう。とにかくその『ゼロ』のルイズが戦っていたのだ。
しかもそこは『必殺』の間合い。足を狙えばいいと分かっている教員ですら近づけない領域。そこにルイズは居る。
キュルケの心中に何かが渦巻く。
つい先日まで悪態を付き合う仲で、それは今でもあまり変わってないが、それでも名前で呼び合うようになった。
正直に言うが、キュルケはルイズのことを友達だと思っている。今に始まったことではなく以前から。向こうがどう思っていたのかは知らないがキュルケはそう思っていた。
その友達が今、死ねる領域で剣を振っている。
どこか抜けている友達。ゴーレムの攻撃が徐々に速くなっていることに気がついているだろうか。気が付いているのならいいが、それでなかったら、死。
どき、と。
あまりにもリアルに想像できるそれはキュルケの胸を打った。
一度考えてしまえば止まる事無く溢れてくる。つぶされて死ぬ。それ以外はありえなくて、何が何でも潰されて死んでしまう。
「……冗談じゃないわよ」
それは誰に向けた言葉であろうか。
まさかあの、戦場といってもいい場所に赴こうというのか。ルイズが死ぬのは嫌なのか。ああ、嫌だ。嫌に決まっている。
だからといって、あそこに行くか、キュルケ、と自分自身に。
「……無理に決まってるじゃない……無理に……決まって、るんだけど……、……ああもうっ!」
紅蓮の髪の毛をくしゃくしゃにかき乱し、
「やったろうじゃないの。『微熱』が燃え上がるところを見せてやるんだからっ!」
自分の杖を腰に挿し込み、バタン、と音が鳴るほど乱暴に部屋の扉を開けた。
そして視界に飛び込んでくるのは廊下ではなく、タバサだったのだ。キュルケの妹分で、いつも本を読んでいるイメージのある彼女は興味なさげにキュルケに視線を送り、
「やっと出てきた」
「……ちょっとあの子に見せ場をあげただけよ」
「もう十分」
「そうね。だから行くのよ、私が」
珍しいことにタバサがくすりと一笑いし、それを見たキュルケは何か良いことのある前兆なのかもしれない、と。
。。。。。
一本目の剣が折れてしまった。
瞬時に腰に差している中剣を取り、
「まだまだまだまだぁあ!」
そして土を弾く。
いったい何度繰り返しただろうか。
十の攻撃を与えて、八ほど回復されて、また十の攻撃を与える。実質的にルイズは一回の攻撃で二のダメージしか与えていないのだ。
積み重ねて、攻撃を避けて、攻撃を与えて、剣が一本使い物にならなくなってもゴーレムの足はまだまだ太い。
疲れは無い。とルイズはそう思っている。
動きの鈍重なゴーレムの攻撃は簡単に避けることが出来るし、今の自分の速度さえあればそれほど脅威ではない。
だが、
「おい娘っ子!!」
「あはぁ?」
その声が聞こえた時、ついに自分の疲労を感じたのだ。
まだ剣を振れると、そう信じて疑わなかった腕が青く鬱血しているのに気が付いた。いつもの如く痛みは感じなくて、別にどうとでもなるだろうと判断。が、上空から『必殺』の拳が降って来て、当然簡単避けることが出来るはずのそれは、なぜだか中々動こうとしない体に妨げられる。
「あれぇ?」
「ラリッてんじゃねえ!!」
俺を使えと叫ぶ剣に返事を返そうにも必殺が降ってきて、なんだか妙にスローモーションに見える。
自分の死は、当たり前だが微塵も考えてはいない。だが如何せん、降ってくる拳は必殺。
(んー?)
よく働かない脳は考えることを放棄。視線だけは拳を見つめ、瞬間、潰れようとするルイズの足元で爆発が起きた。足元で爆発が起きたのだ。
予想以上に強力なそれはルイズの小さな体を吹き飛ばし、『必殺』の拳は地面を潰すに終わった。
己の目の前を土で出来た馬鹿でかい拳が通過。同時に現実感が、
「馬鹿ルイズ! 呆けてるんじゃないわよ!」
「キュルケ」
「もう動けないなら下がってなさい!」
「キュルケ」
「……な、何よ」
「えへ、キュルケー」
ルイズを吹き飛ばしたのはキュルケの魔法だったのだ。
大分気持ちよくなってしまっている頭でもそれが分かった。
ルイズは生まれたての動物のように膝をけたけた笑わせながらも何とか立ち上がり、そして剣を構える。
「下がってなさい、もう無理よ」
「気持ちぃの」
「あん?」
またも拳が降ってくるが、キュルケを突き飛ばし今度は何とか回避。
よた付く体でまたも駆け出した。
「気持ちいいの、私! 凄く気持ちいい! だって、『ゼロ』の私がこんなに戦えてる! 皆の役に立ててる!」
何処にそんな力が残っているのだろうか、ルイズの振るう剣は変わらずゴーレムの足を、その土を弾き飛ばす。が、徐々にその力すらも弱って、衰退していって、
「人はねっ、変われるのよ!」
ぺたり、と尻餅をつきながらルイズは叫んだ。
伝えたい思いがある。たくさんある。
それを伝えるべき相手は今ここにいなくて、それだけで涙が出そうになるが、その心の震えはルイズに力を与えるのだ。
「『ゼロ』だろうが───」
その時ゴーレムの挙動が一瞬だけ止まり、その両腕をまっすぐに伸ばした。地面に向けて、指先を向けているのだ。
何をしてこようと避けてみせる。自信はあるが、はたして体がついてくるだろうか。
当たり前だがガンダールヴにも限界はあった。特に今回のように、初めから麻薬中毒者のようにハイになっているとそれは近い。
いくら限界を超えた動きが出来るといってもそれは人間なのだ。いくら強化されようと、それは結局人間の体なのだ。当然腕を伸ばすことなど出来やしないし、血中に酸素が足りなくなれば苦しくもなる。限界を超えた動きの代償は、当たり前に存在するのだ。
「『人殺し』だろうが───」
えふ、と咳が。口の中に鉄の味が広がり非常に気持ちが悪い。
しかし、それが一体なんだと言うのか。まったく関係ないことである。
吐血がどうした。
腕が動かないからどうした。
足が動かないからどうした。
それが、
「───それがぁ、どうしたぁぁああああ!!!」
天へ届け、と。アイツへ届け、と。
そしてゴーレムの伸ばした指先から何かが打ち出された。十の指から吐き出された土に似たそれは、どちらかと言うと岩のような。
誰よりも早く反応したのはキュルケ、タバサ、コルベールの三人。
ルイズの近くに居たキュルケは杖を飛んでくる岩に向けて炎弾を放った。一発、二発、三発。
狙いたがわずそれぞれに命中する。だが、三つが今のキュルケに出来る限界だった。
上空から使い魔の背中に乗り、術者本体を狙っていたタバサはルイズの叫びを聞き視線をそちらに向け、そして彼女の危険を察知。
口の中だけで呪文を高速展開。風は意思を持って放たれた岩を破壊する。一発、二発、三発。
実戦を経験しているタバサにはそこまで難しい状況で無いのは確かだが、それでも一度に十の弾岩を捌けというのは無理があった。
そしてコルベール。今回一番不幸であったのは彼かもしれない。
彼は元々軍人で、その力を十二分に発揮できればゴーレムを破壊することなどそう難しいことではないのだ。その肩に乗る術者に魔法を当てるのは難しいと判断した彼はもちろんルイズと同じように足を破壊しようと考えた。
しかし、そこでルイズの登場である。彼女はちょろちょろとゴーレムの足元で動き回り、コルベールが魔法を使うのを躊躇わせた。
なんといっても一度燃やしているのである、コルベールはルイズを。あのような所業をもう一度繰り返してしまうかもしれない。そう思ってしまったが最後、彼には魔法を放つ勇気は出なかった。
そして十の弾岩がルイズの体を貫こうとしているのを見、一瞬だけ生まれた迷い、ワンテンポ遅れての魔法の発動は一発、二発、三発。そこまでしか破壊しきれなかった。
三人の心臓が一度だけ飛び跳ねる。あと一つだけ、ルイズに向かっている弾岩は、
「誰かっ! やだぁ!!」
キュルケの叫びが聞こえて、
「まさかまさかの展開だよなァ? この俺にやられてまた向かってくるかよ、泥人形」
右手をかざせばそれは逆様に再生した映像のように、綺麗な綺麗な軌道でゴーレムの指先に戻って行き、そして爆散した。
ぎゅ、と硬く目を瞑っていたルイズが恐る恐る目を開けば、
「……シ、ロ?」
「あン?」
「シ、シロ、私ね、私ね、あなたに伝えたいことがたくさんあるの! いっぱいいっぱいあるの!」
「ッハ、聞ィてたっつーの」
一度もルイズと視線を合わせる事無く、そして一方通行はゴーレムを見上げた。
顔と思しき部分には適当に穴が開いているだけで、もちろん意思疎通など出来るはずも無いそれに向けて口を開く。
「くく、見下してンじゃねェぞテメェ。この俺を誰だと思ってやがンだ?」
やけにすっきりとした気分だった。
今までそこにあった足かせが外れたような、雁字搦めになっていた縄が解けたような。
そう、一方通行は見つけたのだ、答えを。己が望んでいた、本当のものを。
「あなたはシロよ。私の使い魔、シロ」
く、と咽喉を鳴らし、
「いいや違うなァ、俺は一方通行(アクセラレータ)だ」
「一方通行……?」
「そう、一方通行。学園都市で『最強』だった一方通行。誰も助けねェ一方通行。誰も救わねェ一方通行。そこに居れば弾く。向かってくるなら反射する。敵を見つければ殺す。人殺しの一方通行」
「そ、そんなことない! あなたは変われる!」
地面に尻をつけ、お気に入りのジーンズを掴みながら必死に詰め寄ってくるルイズが妙に滑稽でついつい笑いをこらえることが出来なくなってしまった。
けらけらと笑う一方通行はゴーレムを見上げていた視線を、初めてルイズへと向ける。
その時ゴーレムが『必殺』を振り下ろしてくるが、それは『最強』にとってなんら脅威になるものではなかった。
右手をかざしただけで、『必殺』をそのまま反射。力の方向を逆転したそれはゴーレムの腕を軽々とぶち折ったのだ。
「変われるの、絶対に変われる! だってあなた助けたわ、いろんな人を!」
『そういうの』に鈍感な一方通行にも流石にルイズの言いたい事はわかる。
結果論に過ぎないんだって、どう言われようが確かに一方通行は誰かを救った。それに間違いは無い。
しかし、そこには一方通行の意思は存在していないのだ。
ただイラついていて、ただ破壊がしたくて、その時たまたま見つけた泥人形。ストレスが向いただけに過ぎない。それは救ったといえるのだろうか。助けたといえるだろうか。
(よォ、『俺』。お前はどうなりたかったンだろォなァ……)
思う。特に何かが変わったとも思えないが、それでも何かが変わっていた。
あなたは変われる、と叫ぶゴシュジンサマは非常に必死の表情で、その鼻から血が垂れてきている事に気がついているのだろうか。それとも笑いを誘おうと、そこまで体を張ったギャグでも?
「あなたは私の使い魔なの! あなたは誰かを助けていいの! あなたは今! 私を助けているの!!」
その言葉に一方通行は、
「───違ェなァ……違ェよ、それは」
呟き、そしてもう一度ゴーレムに視線を。
確かに自分の願いは見つけた。
ヒーローになりたかった。誰かを助けて、誰かを救って、光のあるところでありがとうと言ってくる少年たちに“当然のことだ”と言ってやるのが一方通行の幼い頃の夢だった。
だが、今はどうだろうか。
ゆっくりと右腕を上げて。
この右腕は、いったい何人の人間を殺しただろうか。
ゆっくりと左腕を上げて。
この左腕は、いったい何人の人間を殺しただろうか。
ざっくりと数えて、一万人である。
確かに答えは見つかった。ヒーローになりたかったのだ、一方通行は。
しかしすでに一万人を殺しているこの両腕は、誰かを救うためには機能しない。させない。そんなのは虫が良すぎる。
一方通行は静かに静かに目を瞑った。体表に感じるベクトルを、その力を、今まで『一方通行』に圧迫されていた脳は非常に働きがよく、開放された今、一方通行の演算能力はもう一段階先に行った。
「……ルイズ」
「ぅえ、あ、うん」
「俺ァ悪党だ」
「……変われる。だって、あなたを召喚して私は変わったもの。あなたもきっと変われる。あなたは誰かを助けていいし、救っていい。英雄にだってなれるんだから!」
その言葉をしっかりと胸に刻み、しかし一方通行はどこまでも一方通行だった。
喜べよ『俺』、と。
焦がれた存在はこんなにも近くに居た。
変わる。それは一方通行がもっとも欲しかった現実。変化が欲しくて、現状が嫌で、だから6を目指して、だけど、しかし───
「───だがなァ、悪党には悪党の美学ってモンがあンだ」
「え?」
ルイズの顔は見ない。真っ直ぐに見ていては、余りに眩しすぎる。
落とした瞼を開けばゴーレムが無駄な攻撃を続けている。『反射』。『反射』。『反射』。
そう、全てを反射してきた一方通行に、今さら変わる権利は無い。悪党には善人になる資格は無い。人殺しはいつまでたっても人殺し。その事実は間違いなくそうで、そこから逃げることは一方通行自身が許さない。
一方通行。直進し、加速する。誰も救わないし、誰も助けない。
「だからテメェらはよォ───」
表側では体表に風を感じて。
裏側では『星』の動きを感じていた。
演算は滞りなく、完了。
「───勝手に助かってろォ!!」
震脚。それが始まりの合図だった。
ダン! と力強く踏み込まれたそれは、数えるのですら億劫なほどの重量を持つゴーレムを宙へとぶっ飛ばしたのだ。
『自分だけの現実』から、この世の理、その中にある99%の不可能から1%の可能を選び出し、現実へと送り出す。
一方通行以外、そこに居る誰もが目を疑った。
だってそれはありえない現象ではなかろうか。どうやったら足踏み一つであの巨体を上空へと持ち上げることが出来ようか。
理解が出来ないその他大勢を置き去りにして、一方通行は愉快そうに笑う。
星の自転。そう、星は回っているのだ。
その自転ベクトルをちょいと間借りすれば巨体だろうが巨人だろうがビルだろうが城だろうがなんだって破壊できる。それほどに膨大な力なのだ。
「安心して落ちてきな泥人形ォお!! そのまま地面に落とすなんてこたァしてやらねェ!!」
そして二つ目の太陽は輝くのである。これまでよりも大きく、高く。
高電離気体(プラズマ)。
体を焼くような熱はもちろん反射。この身は『最強』で、一万人を殺した現実の上に立っている一方通行は、誰よりも強くなくてはならないのだ。
「くはっ、ハハ……!」
上空でぐずぐずとその体を分解させていくゴーレムと、その術者は確かに燃え尽きようとしている。
一万度の灼熱の中で、一方通行の言葉の通りに。
「殺す、殺す殺す殺ォす! そォだ、俺は先に進むだけだ! そォだろ『俺』、そォだろ最弱! 俺は、一方通行だぁぁあああああああああっひゃははははははははは!!!!」
彼が得た答えはそれ。
誰よりも、誰よりも悲しい道。
『光を見るなんざ、出来はしねェ』
だったら、と。
(だったら俺は、誰よりも素敵な悪党になってやンよ)
殺すと決めたのなら殺す。殺さないと決めたのなら殺さない。進む。先へと。
誰かを助ける?
そのようなこと、まったくもって知ったことではない。道を塞がなければ慈悲を見せよう。向かってこなければ存在を許そう。
だがもちろん、善人でないこの身に向かってくるのなら迷わず『反射』。敵意を向けるのなら当然『操作』。後悔を感じるまもなく三途を渡らせる。
ヒーローになれないのなら、その先にあるものを目指し続けるだけだ。レベル6を見つけ出す。
そのための一万人で、そのための殺人で、そのための『一方通行』だった。
全てを肯定して、後悔して、そしてまた一歩だけ暗い場所へと歩を進めた彼は誰よりも、そう、誰よりも一方通行だったのだ。