第8話/Shout in the Moonlight ‐第一楽章=キュルケの奮闘と見つめる男 ‐
一人の女性が森の中を隠れるように進んでゆく。
決して姿を、いや対象に自分の事を悟らせないように動いているのは燃えるような真っ赤な髪を持つ女性…キュルケだった。
キュルケは先日買ったゲルマニア製の剣を布に包んで持っている。それを見ながら溜息を吐いて、『尾行』の対象を見て再び溜息を吐いた。
その対象とは…
「ありがとうギーシュ君。森の中を案内してもらって」
「構いませんワタル閣下。先日の無礼の詫びだとおもってくれればいい」
「ふ~ん、随分な心がけじゃないギーシュ」
「ふふん、ルイズにはわからんだろうが、友情ってのはこうやって生まれるものだ」
お邪魔虫が3匹ほどついているが、彼女の目的は渡だった。
先日購入した剣をキュルケはずっと渡せずじまいだ。
あの時はタバサの暴走とも取れる行動で台無しになっていた。
(…でも、なんでタバサはあんなことしたのかしら…)
いくらなんでも渡本人だけは無く、ルイズまで巻き込むのはタバサの行動とは思えない。
あんなのでも公爵家の令嬢、下手をすれば戦争までなりかねない。
それに…
(最初はなんだか判らなかったけど、タバサはあの時…)
シルフィードに乗っている時のタバサの感情は読み取れなかったが、渡がタバサに向かって何かを話した時感じた彼女の感情は…
(憎悪と、もしかしたら殺意…)
自分も貴族の家柄だ。憎悪など何度も浴びた事があるからわかる。
でも、殺意の方は自信が無い。流石に殺意を直接的に受けた事が無いからだ。
でも、
(タバサがあんな感情を出すなんて…彼に何があるのかしら…)
キュルケは渡を見る。
そして胸が痛くなる。
あれから何度か話したが、そのたびに胸が痛くなり、泣きたくなる。
そのたびに認めさせられるのだ。
彼に『恋』していると…
「うぅぅ…情けない」
剣を抱えてしゃがみこむ。
どうやってこの剣を渡せばいいのだろう。
自分からの贈り物に彼は喜んでくれるだろうか。
(いらないといわれたらどうしよう。ああ、その時私、耐えれるのかしら…)
「あれ、ツェルプストーさん?どうしてここにいるの?」
キュルケは口から心臓が飛び出す錯覚を感じた。
「!×◎?@#!?」
「ちょっと!なんでキュルケがここにいるのよ!?」
「えっ、あの、その…あ、あなた達こそなんでこんな森に…?」
「僕達はバイオリンのニスの材料になるものを探しに来たんだよ」
「バイオリンのニス?」
「うん。バイオリンを作る時に一番大事だからね」
「バイオリンが名器になるかどうかの決め手はニスにかかってるんだよ。ニスは見た目を綺麗にするだけじゃなく、音の波動を伝えやすくする役割も果たしているんだ」
「博識ですねキバット伯爵」
「まぁーなー!」
ギーシュのおだてにキバットは気分を良くする。ギーシュはこの間からキバットの事を爵位をつけて呼んでいる。一時なんてワタルの事を異国の王と勘違いし、『陛下』と呼んでいたくらいだ。それほどまでにキャッスルドランの威が凄かったらしい。
「そうなんだ。でも何で自分で作るの?買えば良いじゃない。それにそのバイオリンだって」
ルイズは渡の持っているバイオリンケース、『ブラッティ・ローズ』を見る。
「これは僕の父さんが作ったものなんだ」
「へぇ~…」
「いつか、これよりも素敵なバイオリンを作る…それが僕の夢なんだ」
渡は自分の夢を語る。
その時の顔を見て、ルイズとキュルケはドキッとした。
「どうしたの?」
「な、なんでもない!それよりも!忘れるところだったわ!キュルケ!あんたなんでここにいるのよ!」
「わ、私はその…」
キュルケは持っていた剣を渡に向けて、
「こ、これ…あ、あなたに…」
「おや、キュルケもワタル閣下に剣をプレゼントかい」
渡は剣を受け取り、布を解いてみる。
「これ、武器屋にあったピカピカの剣だ」
「おお~、あの鈍ら」
「ダメだよキバット。そんなこと言っちゃ」
「でもワタルだって『なんかダメ』っていってたじゃない」
それを聞いたキュルケは顔色を絶望に染める。が、
「大丈夫だよ。コレには今、ツェルプストーさんの想いが篭ってるから」
「え?」
キュルケは顔を輝かせる。自分の想いが届い…
「でも、ちょっと悪い気がするな。看病しただけなのにこんな高価な物」
希望が急転直下した。どうやら自分の『恋のキモチ』の篭った贈り物は以前の看病の礼と感違いされてしまったらしい。
「そうだ!」
渡は思いついたようにバイオリンケースから『ブラッティ・ローズ』を取り出す。
「お礼になるかどうか判らないけど、演奏するよ。腕はあまり自信ないけど」
「演奏?」
「ワタル閣下もやりますね。自分の演奏をプレゼントだなんて」
「ちょっとワタル!あんたご主人様の許可無く演奏するんじゃないわよ!」
「バッカヤロー!音楽ってのは誰にでも聞く権利があるんだ!それがわからないからペチャンコなんだよ」
「いったわね!このバカ蝙蝠!」
「まあまあ、それじゃ弾くよ」
渡は少し三人と一匹から少し離れて、演奏を始めた。
渡の演奏を聴いてキュルケとギーシュは息を呑んだ。ルイズも一度聞いた事があるとはいえ、心が震えてくる。
(なんて…素敵なの…)
キュルケは初めて『音楽』に感動した。音楽など、パーティーを盛り上げる為だけの裏方だと思っていた。
ただその時のムードに合わせる道具…だが、自分の認識を完璧に覆される。
『音』が自分の心を鷲掴みにする。
それはギーシュも同じらしくキュルケと同じように聞いている。
しばらく、その場は渡の音楽に支配された。
「あれが『皇帝』ですか…なんと素晴らしい」
渡達から少し離れた場所で一人の男が気配を消して渡達…いや、正確には渡だけを見て、渡のバイオリンを聞いている。
「今まさにあの場を支配しているのは『皇帝』。うふふ、私の心すらも支配されてしまいそうです!」
男は恍惚の表情で身悶える。
「ああ、『資格を持ちし者』の一人『皇帝』。私的にはもう、1ポイントリードォォォォ!ですが!ですが!!」
体を意味不明な事を言いながらクネクネくねらせる。
「ああ、なんということでしょう!なんと美しい演奏!ビュリホー!ワンダホー!ああ、『あの人達』にも聴いていただきたいくらいです!」
男はさらに意味不明な事を言いながらクネクネして、地面に転がっている『ソレ』を掴む。
「しかし、試さなければいけないのです。あなた様が更に素晴らしいかどうかを!」
男は『ソレ』…先程不相応にも自分を襲ってきた血塗れの『ソレ』の頭を掴みながら呪文のように言葉を編む。
「さあ、力を与えましょう。悪魔が人間に打算で力を与えるように…貴方みたいな屑で、クズで、くずみたいなクズに勿体無いくらいの力を…うふ、うふふふふふふふふふふふっ!」
男の体からはどす黒い魔力が漏れ始めた。
「…どうだった?」
「あ、その、えっと…凄く、よかった」
パチパチパチパチッ…
キュルケとギーシュは力なく拍手する。
それしか思いつかないからだ。あの演奏を評価する事を自分は躊躇う。下手な評価じゃこの音楽の素晴らしさに泥を塗ってしまうからだ。
「ありがとう。拍手は最高の栄誉だよ」
渡は微笑、またルイズとキュルケをドキッとさせた。
ギーシュは「ほほう、あの二人」
キバットは「そうなんだよ」
と言っていた。
その時、
『グォォォォォォォォォォォォォォォォォッ』
重い雄叫びが聞こえる。
「ルイズちゃん!ツェルプストーさん!」
『へっ、きゃっ!』
渡は二人を担いでに飛ぶ。
「テリャァッ!」
「ギャンッ!?」
キバットがギーシュを思いっきり蹴飛ばす。
ドガァァァァァァンッ!
渡達のいた場所で爆発したような轟音が鳴り響く。
「なに、あれ?」
「お、オーク鬼?」
そう、突如現れたのはオーク鬼だった。
身の丈2メイル。体重は人間の約5倍。醜く太った体を、獣から剥いだ皮に包んでいる。
突き出た鼻を持つ顔は、豚のそれにそっくりだ。2本足で立った豚、という形容がしっくりくる体をいからせている。
「なんでこんな所にオーク鬼が…?」
「ルイズちゃん、持ってて。それとツェルプストーさんとギーシュ君と一緒に離れていて」
渡はブラッティ・ローズをケースに入れて、ルイズに渡す。
「う、うん」
「キバット!」
「おう!キバっていくぜ!ガブッ!」
「変身!」
渡は即座にキバに変身する。
『グウッ!?』
圧倒的な威圧を感じて、オーク鬼は一瞬たじろぐ。その隙に渡はキュルケから貰った剣を鞘から抜いて左手で持ち、右手を上げて、
「デルフリンガー!」
と唱えると、どこからともなくデルフリンガーが飛んできて、見事にキャッチした。
『相棒!先輩!俺の出番か!?』
「うん!いくよ!」
キバはオーク鬼に斬りかかる!『魔皇剣』を使う要領で二本の剣を振り、捕らえたと思った瞬間
シュバッ!
「えっ!?」
オーク鬼が消える。しかし、すぐ後ろに気配を感じて
『グォォォッ!』
「くッッ!?」
バキンッ!
剣を交差させてその一撃を受けきる。みるとオーク鬼の拳が鋼鉄のように硬化していた。
「ハァッ!」
ガキンッ!
『グェァッ!』
キバはオーク鬼を弾き飛ばして、距離をとる。
ボロッ…
「なっ!」
なんと交差の前にしていたキュルケから貰った剣が折れた。
これには少しキバとキバット、そしてデルフリンガーも驚く。鈍らと判断したとはいえ、そう簡単に折れるものじゃないはず。
それほどこのオーク鬼は力が強い。
この世界に来てから絶好調の調子であるキバは今の一撃を苦にしないが、さすがに驚く。
「こ、この世界ってこんな強いモンスターがいるの!?これじゃまるで…」
「違うわワタル!そのオーク鬼は異常よ!」
少し離れたところからルイズの声が聞こえる。感覚も上がっているキバはルイズの声を拾う。
「オーク鬼はもっと愚鈍だし、そんな手を硬化させる能力なんて無いわ!?」
「じゃあ、このブタバラはナンなんだよ!?」
「え~と…突然変異?」
ギャリンッ!ギャリンッ、ギャンッ!
「ふっ!」
オーク鬼が超高速で動く。渡はそれに反応してデルフリンガーで捌く。
「大丈夫デルフッ!?」
『ああ、でも受け止めるのはカンベンな』
渡は再びオーク鬼の拳を捌いた。
キュルケは目の前の戦いに驚愕する。
あの信じられないスピードで動くオーク鬼にも驚いたが、それに反応している渡…キバにも驚いている。
(やっぱり、あの人は凄い)
でも、あのオーク鬼のスピードに反応するだけでせいいっぱいみたいだ。力負けしていないとはいえ、このままではジリ貧になるかもしれない。
(…そうだ!)
自分が援護しよう。ルイズは魔法は使えないし、ギーシュのワルキューレはこの場では役立たずだ。
ならば自分には何ができる。
(あの人が次にオーク鬼の攻撃を受け止めたら、その背後から魔法を叩き込む!)
そう、これは今この場にいる自分にしかできないこと。彼の役に立てる。
その想いがキュルケを奮い立たせた。
「ちょ、ちょっとキュルケ!?どこに…」
ルイズの制止を聞かずに、キュルケはオーク鬼の背後の位置に回る。
そして、まさに最高の場所で、最高のタイミングが来た!
「今よ!」
キュルケは自分の得意な魔法、『フレイム・ボール』を最大の威力で放った。
その『フレイム・ボール』は見事オーク鬼に直撃した。
「やった!」
キュルケは興奮する。自分は彼を助ける事ができた。そう、それはあの『ゼロ』のルイズでもできないことだ。
彼の役に立った。ああ、それがコレほどまでに嬉しいことだなんて…
「えっ…?」
『グオォッ…』
しかし、その興奮はすぐに覚める。あの直撃を喰らったオーク鬼が無傷だったからだ。
「うそ…」
『グエギャァァァァァァァァッ!』
オーク鬼は興奮と怒りでキュルケに向かっていく。
(そんな…)
キュルケは『死』を感じる。
(まだ、役に立ってない。まだ彼に…)
オーク鬼の拳がキュルケに向かっていく。
(好き…ていって…)
ドガンッ!?
衝撃がキュルケを…襲わない。
「……あれ?」
キュルケは恐る恐る前を見る。
「あ、あぁ…」
キバがクロスガードでオーク鬼の一撃を防いでいた。
「ハァァァァァァッ!ゼヤァッ!」
ドガンッ!
『グエギャッ!?』
今度はオーク鬼がキバのキックを喰らって吹っ飛ぶ。
「大丈夫ツェルプストーさん!?」
「は、はい…」
「よかった」
(ああ、彼は本当に私の心配をしてくれている…)
結局自分は足を引っ張っただけで、逆に彼に助けられてしまった。
自分の情けなさを恥じ、俯きかけてしまう。しかし…
「援護ありがとう」
と、曇りのない感謝の言葉と共に自分の頭をなでられる。
それがとても嬉しいことに不甲斐無さを感じるが、どこか安心してしまう。
「大丈夫、僕がやっつけるから。デルフ」
キバはキュルケにデルフリンガーを持たせる。
「ツェルプストーさんを守ってあげて」
『いいけど相棒、大丈夫なのか?』
「うん、戦ってて気付いたんだけど…」
蹴飛ばされてもがいているオーク鬼を見ながら
「スピード以外は僕の方が勝ってるんだ。だから…」
キバはフエスロットルから青い狼を象った召還笛『フエッスル』を取り出す。
「おう!スピード勝負だ!」
キバットはそれをキバから受け取り、
「『GARULU SABER』!」
辺りに笛の音が響いた。
「ふぅ…」
次狼はトランプのカードを見ながら、コーヒーカップをテーブルに置いて、息を漏らす。
珈琲を味わった後の至福の息だ。
シエスタはすかさず『おかわり』の準備をするが、
『♪~♪~♪♪』
「…?この音は?」
シエスタは突然の音色に少し驚く。
「あっ、久しぶりだね。呼び出しだ」
「次狼だな」
「ああ、そうだな」
次狼はカードをテーブルに叩きつけ、椅子から立ち上がる。
「次狼様?」
「出かけてくる。渡が呼んでるからな」
シエスタは次狼の雰囲気から感じる。それは以前モット伯の屋敷で見せた雰囲気だ。
(ああ、戦いに…渡様を助けにいくんだ)
どんな理由かはわからないが、あの自分がほのかに恋焦がれている優しい『主』が今戦っているのだろう。
(それが次狼様…いや、この方達の役目)
ならば自分も…
「いってらっしゃいませガルル様」
向かおうとする次狼に深々と頭を下げる。
(ならば私も使命を果たそう。私ももうこの城の従者なのだから)
「最高の珈琲を用意してお帰りをおまちしております。どうかご武運を」
そのシエスタの姿はどこか誇り高かった。
それを見て三人は一瞬パチクリとして、そして笑みを浮かべる。
「ああ、飛び切り熱いのを頼む」
次狼はそういうと床を引っかく。
『ギギギギギギギギギッ!』
蒼い光塵が音を立てる。
「ハァァァァァッ…!」
次狼の体が元の姿、戦い続ける戦士『ガルル』に戻る。
『アオォォォォォンッ!』
ビカッ!
その瞬間、ガルルは一つの彫像となり、キャッスルドランを飛び立つ。
『グォォォォォォォォォッ!』
オーク鬼は起き上がり、キバに再び突進していく。が、
『アォォォォォンッ!』
ドガッ!
『ギャウッ!』
突如現れた光に吹き飛ばされてしまう。
光の正体はガルルの彫像。『王』のいる場所まで駆けつけた戦士。
キバは左手を伸ばしガルルの彫像を掴む。するとガルルの彫像は形を変えていき、最後には魔獣剣『ガルルセイバー』に変化した。
『アオォォォォォォォォォォッ!』
ガラララララララララァッ!
ガルルセイバーの遠吠えと同時に、キバの腕に鎖(カテナ)が巻きついていく。左腕全てを覆うと、鎖は砕け、弾け飛ぶ。
現れたキバの左腕は先程までとは違い、変質していた。蒼き装甲・ガルルシールドで覆われた左腕。剣を扱うことに最も適した筋肉構造に変質している。
そして次に胸が鎖で覆われ、同じように弾け飛んだ時には同じように蒼く変質していた。
キバットの目も青く変色し、最後に一瞬だけガルルの幻影が現れ、キバに吸い込まれるように消えると、キバの目も蒼く変色した。
「ウゥゥゥ…ワァァァァァァァァォォォォォンッ!」
キバの野生が目を覚ます。大地を揺るがすような雄叫びを上げ、右手を地面に触れ、戦う本能に従う獣…狼の如く、オーク鬼に向かっていった。
「あ、アホ狼が…取り憑いた…」
ルイズは以前渡から聞いた言葉を思い出す。
『皆僕を手伝ってくれてたんだ』
(違う!アレは手伝うなんてもんじゃない!)
渡の主人だから伝わってくる波動をルイズは感じている。
あのキバの姿は確かに融合だが、明確な使役…そう、渡とキバットが次狼を従わせているのを感じる。
しかし、それとは別に次狼からも積極的に力を流しているのも感じている。
そう、主人と従者の関係でありながら、互いを信頼しきっている。
そう、ルイズは感じている。渡の今の状態を。
(そうでなければあんな『命知らずな姿』になる事なんかできない。まるで、本当の『王』と『騎士』…でも…)
『騎士』は『王』に忠誠を近い、その力を振るう。
それならばトリステイン王国にもある。
しかし、目の前の『王』は…
(『騎士』と共に戦っている…)
目の前で戦っている『王』はただ信頼しているわけではない、一人で戦っているわけでもない。
『共に…戦って』いるのだ。
誰かに言ったらバカにされるかもしれない。
戦っているのは一人だと言われる。
でも、バカにされてもいい。自分にはわかる。彼等は『共に戦って』いる。
渡の話の感じから、渡はずっと『ナニ』かと戦ってきたようだ。
でも、もしこのような戦いを続けてきたというなら…
(私の使い魔は…とんでもなく立派な『王(キング)』なんじゃないのか?)
今の時代、そんな王が本当にいるのだろうか。
騎士と共に戦う王…それは誰もが憧れる英雄譚の中でしか今は存在しない。
英雄譚の王が目の前にいるのだ。
「渡…あんた本当に何者なのよ…」
オーク鬼は逃げていた。
何故逃げているのか判らない。
先程までは時間をかければ獲物を狩れると思っていた…本能が『ナニカ』にそう思わされていた。
でも、その『ナニカ』も吹っ飛んだ。
『逃げ出せ…!』
本能が叫ぶ!
『逃げ出す…!逃げ…』
「ハァァァァ…」
超高速でオーク鬼が振り向くと、目の前にはキバを剥いた狼がいた。
「ガァァァァァァッ!」
ザザザザシュッ!
「グギャ…!」
オーク鬼の体に無数の斬り傷が現れる。
オーク鬼は方向を変え、再び逃げ出そうとするが、
「ガァァァァッ!」
またもや前にいた狼に斬り刻まれる。
狼が何体もいるのではない。神速のスピードでオーク鬼の目の前に回りこみ、斬り刻んでいるのだ。
キバの最速形態・ガルルフォーム。
ウルフェン族一の戦士であるガルルの力を得て変身する魔獣形態。
ガルルセイバーからのエレメントの影響を受け、この形態となる。
しかし、この姿は普通では考えられない形態なのだ。
ガルルの力は原則キバの制御下にあるが、時として意識に反して左腕が暴走する危険性もはらんでいる。
キバの今の状態は下手をすると全身をガルルに乗っ取られる。
この姿でいること自体がすでに危険なのだ。
その危険性を緩和し、全身をガルルに取り込まれずガルルフォームとしての形態を保持していられるのは…
「いっけー渡!」
ひとえにキバットが魔皇力の制御を完璧にしている恩恵であるのだ。
「ガウァァァァァッ!」
ザシュッ!
「グエギャァァァァァァァァッ!」
オーク鬼の両足をキバは斬り裂く。オーク鬼は地面に倒れこむ。
オーク鬼にとって全て遅かったのだ…本当に命が欲しかったなら、もっと早く逃げ出さなければならなかったのだ。
この牙を剥いて立ち構える狼の姿を見る前に…!
「チャンスだ渡!」
「グゥゥゥッ…」
キバはガルルセイバーをキバットに近づけると、
「『GARULU BYTE』!」
ガルルセイバーの刃に噛み付く。キバットはガルルセイバーに流れる魔皇力を最高まで高める。
この瞬間、ガルルセイバーの斬れ味は、数十倍にも増幅される。
「ハァァァァッ…」
ガチャッ…
『ワオォォォォォォォォンッ!』
キバがガルルセイバーを構えると、ガルルセイバーは雄叫びをあげる。
雄叫びと同時に世界は再び支配され、『夜』が来る!
空に輝くはこの世界ではあり得ない、たった一つの満月!
その光がスポットライトのようにキバを照らしていた。
ガチャン…ガキィィィンッ!
キバのマスクの口の部分が開き、ガルルセイバーの柄に噛み付く。
まさに今のキバは『満月の狼』だった。
オーク鬼は戦闘を放棄して再び逃げ出す。
もう、自分にやってくるのが深き『夜』であっても、相対する勇気が本能には無かった。
キバはオーク鬼を追いかける。
そして勢い良く飛び上がり、満月を背にし、そのままオーク鬼に斬りかかった。
迫り来る刃はオーク鬼に恐怖を与え、
ザシュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!
『GARULU HOWLING SLASH』は見事に一刀両断する。この一撃…たとえ絡みついた糸のような運命の交錯であろうと…道を斬り開く。
その時、狼の幻影が浮かび、遠吠えと共にオーク鬼は消え去った。
戦闘が終わり、キバは渡へと戻る。
そして、ガルルセイバーは彫像に戻るが、彫像は光と共に次狼へとなる。
次狼は渡を、渡は次狼を見つめる。
すると、次狼は渡に対して頭を垂れる。
それこそ、王に仕える騎士のように…
その風景にルイズ・キュルケ・ギーシュはしばらく言葉を失っていた。
貴族として、この時を邪魔する事ができなかった。
戦いを見ていた男がプルプル震えている。
「なんと多種族すらも平伏せさせるとは…しかもあの狼、我等と同等、いや、もしかすると私と戦っても私が苦戦してしまいそうなくらいに強い。うふ、ウふフふフ…」
男は両手を天に向け、
「スンバラシー!ワンダホー!ビュリホー!コングラチュエ~ショ~ン!」
男は狂喜乱舞する。
「ああ!ああ!なんと素晴らしき方!なんと美しき方!なんと強き方!もうもうたまりません!他の『お二人』と勝るとも劣らぬ方!いや!もう私的には貴方様が断然一押し!」
男はハァハァいいながら叫ぶ。
「さてと…もしかすると他の『お二人』を見ている『彼等』も私と同じように興奮しているかもしれません。だから、もう少し…」
男は舌なめずりをして、
「もう少しこの『●●●●●』、貴方様の傍にいましょう…」
「ごめんね、ツェルプストーさん。剣おっちゃって…」
「いえ、あの、気にしないで。こっちこそ邪魔しちゃってごめんなさい」
「そうよキュルケ!ワタルの邪魔してどういうつもりだったのよ」
「ルイズちゃん、ツェルプストーさんを責めないで。僕が苦戦したのが悪かったんだよ」
渡はキュルケをかばう。膨れたルイズを渡は宥める。
「そうだ。剣のお詫びに僕にできることないかな?」
「えっ…」
「なんでも言って。僕にできる事ならするから」
ルイズがまたギャイギャイ言い始めるが、それをキバットが何とか押さえつける。
(こ、これは一気に攻められるチャンス!でも、なにを言えば…何を…)
しばらく熟考の後、キュルケは顔を赤らめて、
「あの、私も、名前で呼んでくれない?」
その後、キュルケは部屋で小躍りしていた。