才人は目の前の光景に驚愕した。
シュヴルーズが軽く杖を一振りしただけで、ただの石ころが一瞬で真鍮に変わったのだ。
真鍮の化学式は記憶していなかったが、少なくともあんな石ころから作れるような金属ではなかったはずだ。
――原子配列変換? ヴァルキリープロファイルかよ!
現代科学の常識に凝り固まった才人は、魔法の非常識さにめまいを覚えた。
「では、誰かに『錬金』をやってもらいましょうか……」
そういってシュヴルーズは教室の生徒達の顔を見渡す。
彼女はこの魔法学院に来て長いが、昨年はこの生徒達を受け持ってはいなかった。覚えている生徒の名もまだ少ない。
「ではミス・ヴァリエール、あなたにお願いしますわ。先ほどに引き続いて前に出てきてもらいましょう」
その言葉に、教室中がざわめいた。
「先生! ルイズはやめておいたほうが良いです!」
名指しされたルイズの隣、キュルケが立ち上がり叫んだ。
「危険です!」
「危険? どうしてですか?」
「ルイズを教えるのは初めてですよね?」
「ええ。でもミス・ヴァリエールは『賢者』と呼ばれるほど素晴らしいメイジであると聞きます。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい」
「ルイズ。やめて」
キュルケの懇願に、ルイズは無言で起立することで答えた。
ルイズはそのまま教卓の前まで歩くと、ざわめく教室の生徒達を前にした。
「あらミス・ヴァリエール。杖はどうしたのですか? 『錬金』には杖が必要ですよ?」
「杖ならありますわ。少し見つけづらい特殊な杖ですの」
そう言ってルイズは両の手の平をひらひらと振った。
シュヴルーズはそれ以上追求をしなかった。『賢者』と呼ばれるほどのメイジだ。きっと杖も変わったものを使っているのだろう。
シュヴルーズはローブの袖の中から小石を一つ取り出し、教卓の前に置いた。
「さあ、錬金したい金属を、強く心に思い浮かべるのです」
シュヴルーズの指導に、ルイズはその小さく可愛らしい口をゆっくりと開く。
だが、放たれたのは詠唱のルーンの言葉ではなかった。
「さて、皆様。こうしてみると一年前を思い出しますね」
「ミス・ヴァリエール?」
いきなり何を言い出すのだとシュヴルーズの顔が険しくなる。
だが、ルイズはそんなことを気にすることもなく言葉を続ける。
「初歩的なコモン・マジックを失敗する私に、皆様はわたしにゼロのルイズという二つ名を授けてくださいましたね」
ああ、だめだこりゃ。ルイズの二度目の演説を目の前で聞くキュルケは頭を抱えた。
ルイズはあのときのことを未だ根に持っている。わたしの静止など聞くはずがない。
何を隠そう、一年前に『ゼロのルイズ』の二つ名を皆に広めたのは、ヴァリエール家と反目し合うツェルプストー家のキュルケだったのだ。
「わたしは恥じました。自身の魔法が皆に認めてもらえぬ未熟さを。ですからこの一年、わたしは魔法について日々研鑽を繰り返してきました」
ルイズは笑っていた。学院に恐怖の名として広まる『魔女』の笑みだ。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、この一年で培った修練の成果をこの場で皆様にお見せしたく思います! ……ミスタ・ヒラガ、あなたにもハルケギニアの真の魔法の『力』をお教えしますわ!」
まるで劇場の役者のような大げさな仕草で、ルイズは両腕を大きく振るう。
「イル! アース! デル!」
ありったけの精神力がこめられたルーンの詠唱。
机の上に置かれた小石が、強く輝き出す。
「『爆音』の錬金!」
教室が魔女の破壊の力に満たされた。
□三人の魔女その4~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
トリステイン魔法学院の学院長は、オールド・オスマンと呼ばれる老メイジであった。
齢百とも三百とも呼ばれる魔法の権威。その彼は、学院本塔の最上階にある学院長で書類仕事に追われていた。
本来ならのんきに秘書の尻を撫でながら水煙草で一服している時間。不意に秘書から舞い込んだ書類に頭を悩ませていた。
「うぬぬ、ヴァリエールめ。今度は騎士団の騎竜の鱗をはいでまわったじゃと……」
オスマン氏がこのような突発の仕事に見舞われるのは、半数以上がルイズの引き起こす迷惑事によるものであった。
ちなみに遠いヴァリエール領でも公爵が同じ書類でめまいを覚えていた。
「ミス・ヴァリエールも成績だけで見るととても優秀な子なのですけれどね」
オスマン氏の傍らに控えた秘書、ミス・ロングビルがオスマン氏の使い魔、ネズミのモートソグニルの尻尾を弄びながらそう言った。
「それが問題なんじゃよ。学院始まって以来の秀才ともなれば、そうそう退学にもできまいて」
生徒達は貴重な収入源であり一人でも多く学院に貴族を集めなければなどと言ってはばからぬオスマン氏だったが、ルイズの奔放さには学院から放り出しても構わないと思うほどであった。
オスマン氏はとりあえず、書類に学院は悪くない、ヴァリエール家に全てを任せるという旨を遠回しに書きつづっていった。
「それよりミス・ロングビル。そろそろその子を離してやってくれないかのぅ」
「もうわたくしのスカートの中に潜り込まないときつく言いつけてくださるのなら考えますわ」
「おうおう、それはすまなかったのう。これ、モートソグニル、彼女に謝りなさい」
「ちゅー」
そんな使い魔と主のやり取りを聞いたミス・ロングビルは冷たい視線でオスマン氏をにらむと、机の上に載ったインク壺にモートソグニルを突っ込んだ。
「ああ! なんてことを!」
「オールド・オスマンは黒がお好きのようでしたので」
ミス・ロングビルは顔にかけた緑の眼鏡の弦を右手で軽く上げると、そう淡々と言い放った。
そんな二人の漫才風景に、突如小さな振動と大きな爆音が飛び込んできた。
「ぞ、賊ですか!? もしかして土くれのフーケ!」
「これこれミス・ロングビル。あわてなさんな。おおかたミス・ヴァリエールが何かしでかしたのじゃろう」
オスマン氏の予想は見事に当たっていた。
いや、ルイズの爆発魔法を見たことがある学園の者達は皆その予想を立てていた。
「どれ、たまには直々に動いてみるかの」
オスマン氏インク壺からモートソグニルを引っ張り出し懐から取り出したハンカチーフでインクをぬぐってやると、ハンカチーフを机に置いたままゆっくりと立ち上がった。
「ミス・ヴァリエールの元へ?」
「うむ、たまにはきつく言っておかんといかんじゃろ。今年はもうミス・フォンティーヌもいないしの」
そう言って扉へと歩いていく。
だが、オスマン氏が辿り着く前に、扉は大きな音を立てて開かれた。
「大変ですオールド・オスマン! ミス・ヴァリエールが!」
開いた扉から部屋に飛び込んできたのは、禿頭のメイジ、コルベールであった。
「うむ、今からそのことで説教しにいくところじゃ」
「いえ、いえ違うんです、オールド・オスマン! 彼女の喚び出した使い魔についてなんです。これを見てください!」
コルベールはオスマン氏に、使い魔召喚の儀式で描いたスケッチと『始祖ブリミルの使い魔たち』と表題にかかれた古い書物を見せた。
ゆるみきっていたオスマン氏のひげ面の顔は、一瞬で熟練のメイジのそれに変わった。
授業が終わり、ルイズ達は昼食を取るために教室を出て本塔にあるアルヴィーズの食堂へと向かう。
「しかしルイズの魔法すごかったなー。あんなに音と振動がすごかったのに、壊れたのは石ころだけだったなんて」
ルイズの魔法をはっきりと見たのは昨夜キュルケに向けて放たれた一回のみの才人だったが、ルイズが授業中に見せたその魔法の規模にすっかり感心していた。
「石だけで済んで良かったわ。この子、一年前なんて先生ごと教室の半分を吹き飛ばしたのよ。成長したのねぇ」
「あれはわたしの魔法の偉大さと破壊力を皆の心に刻みつけるためにやったのよ。人を傷つけない爆発なんて、十歳の頃には使えていたわ」
「……でもついた名前はゼロのルイズ」
「ふん、今それを言うやつがいたら、一晩中魔法の実験台になってもらうわよ」
「魔女は良いのにゼロは駄目って、あなたのこと良く解らないわ」
雑談を交わしながら食堂へと入っていく。
三魔女の輪の中に見慣れぬ才人の姿があるのを見て、ルイズ達とはマントの色が違う貴族達が才人を注目した。
この調子だと、食事の前にまた皆に紹介されるのだろうか、と思いながら食堂を見渡していた才人だが、ルイズは才人の袖を掴むと食堂に並ぶ長机の方ではなく、料理人達が慌ただしく動き回る厨房へと向かっていった。
「あれ、どったの?」
「急だったから、あなたの食事まだ用意してもらってないのよ。だから申し訳ないけど、今日のお昼だけは厨房の人に直接貰ってちょうだい」
なるほど、と才人はルイズの言葉に素直に頷いた。
貴族の食事はどんなものか、と楽しみにしていたのだが、ただで食事を貰う立場だ。文句は言うまい。
扉の付いていない入り口から、才人は厨房へと入る。
この厨房であの長机一杯に座る貴族達の食事を作るのだろう。大きな鍋やオーブンがたくさん並んでいる。
「マルトーおじさま、いるかしら?」
厨房の奥に向けて、ルイズが叫んだ。
すると、奥から「おーう」と威勢の良い野太い声が返ってきた。
そして、四十ばかりの太った親父が厨房の奥からのっしのっしと歩いてくる。
「どしたー、魔女のじょーちゃん。今日は頼まれてもベリーパイは増量してやれんぞ。残念ながら今日のデザートはケーキだ」
「そうじゃないわ、おじさま」
召喚したばかりの使い魔の前で自らの食い意地を暴かれたルイズは、わずかに顔を赤くしながらマルトーに声を返した。
そして、簡単に才人を召喚したことを話し、食事を賄ってくれるよう頼んだ。
「がっはっは! 行動も規格外なら喚び出す使い魔も規格外だな『魔女』さんよ!」
「褒め言葉ね。ああ、賄いは今日の昼だけで良いわ。代わりに、今日の夜から彼用に一人分食堂に運ぶ食事を増やして。上には私が言っておくわ」
「おお、解った。よし、坊主。こっちにこい」
貴族嫌いのマルトーだが、彼は学院に名だたる三人の魔女のことは好ましく思っていた。
彼女達は平民も貴族も関係なしに行動し、時には平民のために危険を省みることなくその杖を振るってくれると知っていた。
「トリステイン流の最高の飯を食わせてやる。賄いだがな!」
大口を上げて笑うこの中年のことを、ルイズも好ましく思っていた。
自分の部下を大切にし、その明るい性格で厨房に活気をもたらす。それに何より、彼の作るクックベリーパイは極上の味だった。
新年度となり、ルイズ達二年生は食堂の座る場所が端から真ん中の机に変わった。
ルイズは貴族の女子達と談笑を交わしながら食事をとっていた。
意外なことに、ルイズには友人が多かった。
魔女と呼ばれるほど問題行動が多く多数の生徒達に迷惑をばらまいているルイズだが、その性格は明るく前向き。さらに彼女にはハルケギニア中を駆け回るうちに身につけた、多くの人を惹きつける話術があった。
一年生の初めはゼロと馬鹿にされていたルイズだが、いつの間にやら女子達の中心のリーダー的存在にまで上りつめていた。
恐れつつもルイズに向かって魔女と罵声を向けることができるのも、何だかんだで彼女達は仲がよいからであった。
小難しい魔法の知識など忘れて年相応の少女の笑顔を見せるルイズ。
そして、それを取り巻く貴族の子女達。
その貴族達の中に、『香水』の二つ名で呼ばれるメイジ、モンモランシーの姿があった。
モンモランシーとルイズはそれなりに深い仲である。
それは親友と呼ぶより共犯者と呼んだ方が相応しい。
モンモランシーの実家、ド・モンモランシ家は水の精霊と関わりの深い一族である。
水の精霊と対話し、益を授かる。精霊と話す技術だけではなく、「精霊とは何か」「水とは何か」を研究し代々伝えてきた。
先住魔法とは万物に宿る精霊の力を引き出すものである。ド・モンモランシ家は気付いていなかったが、水の精霊を詳しく知る彼らは先住魔法の「真理」にほど近い場所にいた。
万物から精霊の力ではなく「性質そのもの」を取り出す四大魔法のメイジ達とは違い、ハルケギニアに住む魔獣・亜人達の多くは精霊の力を使う先住魔法を巧みに操る。それは、聖域に座するエルフも同じであった。
四大魔法における「水」は癒しの力。先住魔法の「水の精霊」の力も同じく癒しをもたらす。
ルイズはエルフの毒に侵されたオルレアン公爵夫人の治療のために、ド・モンモランシ家の子女モンモランシーを巻き込んだ。
香水と秘薬作りが趣味であるモンモランシー。禁制の薬を調合したことは何度もある。
だが、ガリアの王族を誘拐してそれを勝手に治療するなんて、そんな大それた事が出来るわけがない。
しかし結局モンモランシーはルイズの説得の前に折れた。
水のメイジとしてエルフの魔法を打ち破ることがどれだけ偉大なのか、と始まり、国境は違えど同じラグドリアン湖に面する家の者同士助け合わなくてどうするか、自分に任せれば水の精霊のご機嫌取りなど余裕でしてみせる、などなど、軽快に回るルイズの言葉の前にモンモランシーはついつい首を縦に振ってしまった。
モンモランシ家の秘蔵の精霊研究資料をルイズに渡したときの彼女の笑みは忘れることはできない。あれは間違いなく魔女の笑みだ。
そんなことがあっても、モンモランシーはルイズのことが嫌いにはなれず、結局こうやって友人としての関係を続けているのだ。
恐るべきは公爵家のカリスマの血か。少女達の中心で洒落の効いた平民の小話をするルイズを見ながらモンモランシーはそう思った。
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作品タイトルについて:私の心からのこの作品とゼロ魔への想いがこのタイトルに詰めこまれています