ユルの曜日。
リッシュモンと接触を行ったレコン・キスタの手の者を捕らえたと連絡を受けたアンリエッタは、ウェールズの私室を飛び出し執務室へと走っていた。
執務室では先日と同じように、応接用の卓にルイズ、マザリーニ、アニエスがついている。
アンリエッタはアニエスから渡されたレコン・キスタの間者についての報告書を読んでいく。
リッシュモンがばらまいていた七万エキューの裏金の出所はレコン・キスタで間違いないようだ。
間者は首都の劇場を隠れ蓑にして、金貨袋と引き替えに高等法院長にしか入手できないトリステインの資料をリッシュモンから受け取っている。
リッシュモンとレコン・キスタの繋がりは最早疑いようのないものであった。
今すぐにでも高等法院とリッシュモンの屋敷に魔法衛士隊を差し向けることができる。
急いで書類を作成せねば、とアンリエッタが席を立とうとしたところで、アニエスが引き留めるように声を割り込ませた。
「ダングルテールの虐殺をご存じですか?」
突然の問いに対する答えは。
「知っているも何も、アニエス、貴女の雇用条件の一つでしょう。それがどうかして?」
アニエスとアンリエッタの突然のやり取りに、ルイズが不思議そうに目を細めた。
ルイズはアニエスのことを詳しく知らない。いや、そもそも隠密隊という存在すらルイズが気がつかない間に設立されていたのだ。
ルイズが知っているのは隠密はメイジと非メイジが混在する諜報技術者集団で、長であるアニエスは非メイジでありながら多才な能力を秘めているということのみ。
「わたくしとフランソワーズが生まれる前、二十年前の出来事よ。ダングルテールの村で起きた事件。知っているかしら?」
アンリエッタに問われ、ルイズは記憶を掘り起こす。
アングル地方、二十年前、虐殺。
ルイズには思い当たる話が二つあった。
「トリステインのアングル地方のある村で、疫病が発生した。凶悪な感染症であり、村人共々火の魔法で村一つが焼き払われた」
これが一つ目。そしてもう一つ。
「アングル地方では新教徒が多く存在した。新教徒は改革派の現教皇が就任するまでブリミル教徒に強い迫害を受けていた。保守派であった前体制のロマリアはトリステインのアングル地方に新教徒がいることに反発し、粛清を命じた。……このあたりはそこにいらっしゃる枢機卿の方が詳しいでしょうが」
テキストを読み上げるかのようなルイズの言葉。
まさしくルイズはこの事件について本の知識以上のことは知らない。自分が生まれる前の、魔法に関係ない一事件でしかないからだ。疫病の詳細もなく、焼き払うなどというお粗末な終わり方であるため彼女の興味の対象ではない。
ルイズの言葉に、アンリエッタは頷く。
「そう、それが一般の認識ね。でも、実際には疫病なんて発生していなかったの。疫病の処置という名目でトリステインがロマリアに代わって新教徒の粛清を行った事件。それがダングルテールの虐殺」
アンリエッタの言葉にルイズは浮かんだ疑問を解こうと頭を巡らす。
疫病の対処という表向きの理由を用意して新教徒の村を焼き払った。だが、新教徒の粛清が行われたことは隠されていない。
ではなぜ表向きの理由を用意する必要があったのか?
隠そうとしていたのは『粛清を行ったこと』ではなく、『粛清を行うこと』ではないだろうか、とルイズは推測した。
トリステインはロマリアのようにブリミル教保守派の狂信者を多数抱えているわけではない。
新教徒をこれから粛清しますと事前に言っては、粛清を良く思わないものに実行を邪魔され、村人達に逃げる時間を与えてしまう。それを防ぐための建前だったのではないだろうか。
「アニエスはその虐殺に深い関わりがあるの。だから、隠密の立場を使ってその事件を追うことを許可するというのが、彼女を隠密隊の隊長として取り立てる際にわたくしが飲んだ条件」
どうやら、アニエスがアンリエッタに取り入ったのではなく、アンリエッタがアニエスの才を見て己の手元に置こうとした経緯があるようだ。
アンリエッタはルイズに向けていた視線をアニエスに戻す。
「で、それと今回の件が何か関係あるのかしら? リッシュモンがロマリアに裏金を受け取ってその虐殺を指示していたというところまでは以前報告を受けているけれど」
「これを」
アニエスは懐から二つの資料を取り出した。
一つは、以前から何度か報告を上げていた、チュレンヌ徴税官が狙っていたメイジの名簿の最新版。
もう一つは、王軍資料庫の判が押された『魔法研究所実験小隊』と表題にある資料。
その資料をめくると、実験小隊という魔法研究所に存在しないはずの部隊についての概要が書かれていた。
軍部や魔法研究所が表沙汰に出来ない仕事を任せるための秘密部隊。隠密隊にも似た立場のそれだが、ある点が隠密隊とは大きく異なっていた。実験小隊は人体実験や暗殺、異分子の抹殺など、過激な殺しの仕事を多く任されていた正しく『表には出せない』部隊であったのだ。
資料をめくっていく。そこに記載されている日時を拾うに、この資料は二十年前のものであるようだ。
そして、出動履歴にアングル地方の疫病の処置が載っていた。
さらに読み進めると、実験小隊の構成員の名前が書かれていた。
アンリエッタとルイズはその名前を読んでいく。
「これは……」
「チュレンヌに狙われていたものと名前が一致しますわね」
隊長に関するページは何故か破られており見つけることが出来なかったが、他の隊員達はチュレンヌの私兵に殺され、リッシュモンの手で自殺として処分されている者がいた。ジャンヌの父の名も、隊長補佐という役職付で記載されている。
ダングルテールの虐殺を指示したのはリッシュモンである。その実行者はこの魔法研究所実験小隊。
そして今、リッシュモンはレコン・キスタの指示により元実験小隊の者から指輪を探し出そうとしている。
その指輪はレコン・キスタがロマリアに渡りを付けるために必要な物であると、リッシュモンと密会していた男が話している。
「アニエス、指輪に何か心当たりがあるのかしら? そう、貴女のいた村に何か特別な指輪が存在した、とか」
そのアンリエッタの問いに対し、アニエスは、
「ええ、あります。……ああ、ミス・ヴァリエール。言い遅れましたが、わたしはダングルテールの虐殺で焼き討ちにあった村の生き残りです」
そう前置きを置いて、ダングルテールのある村の昔話を始めた。
二十年前。まだアニエスがわずか三歳の頃。
新教徒達の村の近くの海岸に、一人の女性が流れついた。ロマリアから逃げ延びてきた新教徒であるという。その女性は元上流貴族らしい気品があり、指には不思議な輝きを見せる大粒のルビーの指輪をはめていた。
その女性を村に迎え入れてから一ヶ月後のこと。メイジの集団が村に押しかけ、人も建物もまとめて火の魔法で燃やし始めたのだ。
そのメイジ達はこう言っていた。ロマリアの女はどこだ。
女性を見つけてメイジ達はこう言った。ロマリアの女がいたぞ。
そして、その女性は火の魔法で全身を焼かれて倒れた。
「二十年前の事ながらも、しかと覚えています。あの村にロマリアとつながりがある指輪があったとしたら、あの女性……ヴィットーリア様が身につけていた赤い指輪でしょう」
「なら話は簡単ね」
アニエスの言葉に、ルイズはそう言った。
あまりに早い結論に、アンリエッタは目をしばたたかせ、ルイズへ疑問をぶつけた。
「指輪について心当たりがあるの?」
「ええ、物凄く。ロマリアから持ち出され、それ一つで今のロマリアを動かすに足る指輪。それと同じ物をわたしも手にしたことがありますね。そして今は姫さまの指に」
はっとした顔でアンリエッタは己の右手を掲げた。その手の指には、『青く輝く』ルビーの指輪がはめられていた。
始祖ブリミルに由来を持つ神器。トリステイン、アルビオン、ガリア、そしてロマリアに一つずつ存在すると言われている始祖の秘宝。
トリステインにおいては国宝の一つでしかないが、ブリミル教の総本山であるロマリアにとっては国宝以上の価値を持つ大きな交渉材料となる代物であることが解る。
「わたしが知る中では、今の教皇が始祖の指輪を持っているという話を聞いたことがありません。歴代の教皇は確かに身につけていたというのに」
ルイズの言葉に、ロマリアの枢機卿であるマザリーニが頷く。
「実際、わたしが異端審問を受けて教皇と会ったときも、水のルビーと風のルビーに特徴が共通する指輪をつけていた記憶はありませんね」
そう、ルイズはかつて始祖のもたらす四大魔法以外の魔法を使う者として、教会に異端視されたことがある。
ロマリアへと連行、いや、ロマリアに乗り込んだルイズはいつものように大騒動を起こして、どさくさに紛れて教会から異端の指定を撤回させる言質を取ったのだ。そのおりに、現教皇、聖エイジス三十二世とも会っている。
トリステイン、アルビオン、そしてガリアの王家に連なる者と会いそれぞれ始祖の指輪を見てきたルイズだったが、ロマリアでだけは赤い始祖の指輪、炎のルビーを最後までみることがなかった。
「リッシュモンの狙いは、指輪を持参してレコン・キスタに移り、アルビオン内での地位を築くこと」
そうルイズは結論を述べた。
トリステインとゲルマニア、そしてウェールズ元王太子の旗本に集うであろう旧アルビオン王家という、三つの敵を抱えるレコン・キスタは、これ以上の敵を作らないため何としてでもロマリアを味方につけようとするであろう。何よりレコン・キスタが掲げている題目がエルフの手からブリミルの聖地を奪還することなのだ。ブリミル教の中心であるロマリアを敵に回すことは何よりも避けたいだろう。
その鍵がロマリアに伝わる炎の始祖の指輪だ。
逆に言えば、トリステインがレコン・キスタよりも先に炎のルビーを手に入れロマリアとの交渉を行えば、レコン・キスタにロマリアが譲歩する可能性を潰せるのだ。
そこまで確認し、アンリエッタは卓から立ち、執務席で魔法衛士隊の緊急出動要請の書類を用意し始めた。
そんなときである、足音を立てて執務室にアニエスの部下がやってきた。
そう、あの隠密隊の隊士が足音を立てたのだ。隠密隊としての心得を無視して、緊急事態を伝えにやってきたのだ。
隠密から告げられた緊急事態。それは、多数の武装メイジがジャンヌの家に侵入したことを知らせるものであった。