三つ編み眼鏡の書生ファンションは、ジャンヌの実家に通されるや否や、いきなり興奮し始めた。
突然のことに呆然とするジャンヌ。
『魅惑の妖精』亭と表通りでの会話では、理性的な人だという印象をファンションに持っていた。
ジャンヌはどうすればいいのかとアンに視線を向ける。
「ああ、いつものことだから気にしないで」
「いやいやいや気にしますよ」
ファンションが興奮している原因は、どうやらジャンヌの父が居間の机の上に広げていたマジックアイテムにあるらしい。
居間に無造作に置かれたそれを前にファンションは様々な角度からそれを眺めていた。
焼却担当の清掃員として働くジャンヌの父であるが、本業とは別に家でマジックアイテムの研究を行っていた。
昔、父は医の道を志していた。だが、得意な魔法の系統は火であり、下流貴族ながら軍上層部からの誘いもあった。
火で人を傷つけることを嫌う彼はその誘いを断り、平民のメイジがするような簡単な魔法の仕事を続けながら医療用のマジックアイテムの研究を続けていた。
ジャンヌは幼い頃を思い出す。貴族の家ならばありえないほどの貧しい生活だった。
母は、ジャンヌが物心ついたときにはすでに病で床に伏せっていた。元々病弱だったらしく、ジャンヌを産んだ後に患った病で満足に動くことさえできなくなっていた。
貴族の年金は全て母の治療費に消え、母の病死の後も収入の多くは秘薬を買うために作った借金の返済に当てられていた。
そんな生い立ちであったため、ジャンヌは自分を貴族の娘であると思ったことはない。
魔法を父に習ったこともない。生活のために小さな娘に出来る仕事を探し回るのに忙しかったからだ。
彼女が『魅惑の妖精』亭で働き始めたのは、父が首都の清掃局という仕官先を見つける少し前のことであった。
医の道を志し、マジックアイテムを研究していたのも、病弱な母がきっかけであったとジャンヌは父から聞いたことがある。
そんな彼女の父は、マジックアイテムを手に興奮するファンションに己の研究について話していた。
「私は火に偏ったメイジでしてな、医者になろうにも水の魔法がろくに使えないのです」
その言葉を横から聞いていたアンが頷く。
彼の傷が癒されずにそのままだったのを見ても解る。医のメイジには必須であるはずの治療の魔法が不得手なのだろう。
「しかし、火が破壊しかもたらさないというのは平和に暮らすうえでとても悲しいものです。ですので、城下町の清掃に火のメイジが求められてると聞いて真っ先に志望したのですよ」
城下町の清掃が始まった理由は、首都の景観を保つためといったものではない。
街全体を清潔な環境にすることで、疫病の発生を未然に防ぐためだ。
医療の現場にも通ずる考えだ。そこに火のメイジが求められていると聞いて、彼は歓喜したものだった。
「ただ医の道は捨てきれませんで。このように医療に役立ちそうな道具を片手間で作っていたのですよ」
「完成度はどうなのかしらファンション。……聞かなくてもその顔を見ればわかりますわね」
「火という現象ではなく熱に着目したのが素晴らしいですね! 特にこの熱線を出す魔導具は、外科手術用に今すぐ魔法研究所に持ちこむのをお勧めするくらいです。出血を抑えつつ精密な切開を行える上に、細かな力の調整で刃物では届かない部分まで熱の刃を伸ばせるのですね。素晴らしいです!」
「おや、それはそれは。ありがとうございます」
興奮しながらマジックアイテムの熱の刃を出し入れするルイズに、ジャンヌの父は笑いながら礼を返した。
「お世辞ではありませんわよ、ミスタ。このファンションは魔法は使えずとも魔法と魔道具の知識に関しては、今すぐ魔法研究所に仕官しても良いくらい優秀な書生なのです」
ファンションとジャンヌの父の会話を聞いていたアンが、横からそんな言葉をかける。
「それはまことで?」
「ええ、わたくしから今度清掃局長に掛け合って、研究所への推薦状を書いていただくこともできますわ」
「是非魔法研究所に持ち込むべきです!」
アンの言葉に、ファンションも追従する。
「はは、いや、折角のお話ですがお断りさせていただきます。魔法研究所とは昔少々問題を起こしましてな」
しかし、ジャンヌの父はそう言って彼女達の誘いを断った。
そんなやりとりを横から見ていたジャンヌは、何やら話がすごい方向へと飛んだものだと驚いていた。
「はあ、やはりアン殿は局長につてがある優秀なメイジ殿なのですな」
「アンさんはコネがあってもそれを帳消しにしちゃうくらい不真面目な人ですよ、お父さん」
そうジャンヌは彼女達の会話に初めて割り込んだ。
今までの盛り上がりを台無しにするような突っ込み。だが、それはジャンヌが『魅惑の妖精』亭で見てきたアンの嘘偽りのない姿であった。
「あらあら、これは言い返せないわね」
まったくもってその通りなので、アンは笑って返すことしかできなかった。
国が戦時の空気に切り替わりつつある中でも、大衆が娯楽を忘れることはない。
そして様々な人が集まる首都トリスタニアには、平民から貴族までまとめて受け入れる一つの娯楽があった。
演劇である。
劇場はトリスタニアの随所に存在しており、その立地に合った演目が披露されていた。
トリステインで最も美しいとされる噴水が存在する中央広場の近く、タニアリージュ・ロワイヤル座もそんな劇場の一つである。
この劇場は特定の客層を狙わず、その立地の良さと建物の大きさで人を集めることを目的としたもの。
虚無の休日である今日、この劇場ではトリスタニアの若い女性に人気の恋愛劇、『トリスタニアの休日』を上演していた。
設立して間もない劇団が行うこの劇は、若い劇団にありがちな未熟さがそこかしこに見られた。
一言で言ってしまうと、彼らの演技は下手だった。
だが、演劇というものに慣れていない、休日に合わせてトリスタニアの外から来た者にとってはそれでも十分。
また、役者は若手が多く、劇には興味がないが美形や美人には興味があるという客は、音程の外れた歌を聞き流して役者の顔に見入っていた。この劇がトリスタニアの若い女性に人気というのも、演目の内容ではなく主役の男性の美貌によるものであった。
そんな劇を劇として見ていない客達に紛れて、客席の外れに一人の初老の男が座っていた。
リッシュモン高等法院長である。
彼の隣には商人風の男が座っており、リッシュモンと小声で言葉を交わしていた。
「劇場での接触とは考えましたな」
「高等法院の仕事には大衆娯楽の検閲がありますからな。私がこうして劇場に来ても不思議に思う者はいないのですよ」
会話の最中にも、二人の間では荷物のやり取りが行われている。
商人風の男からは金貨の入った袋を。リッシュモンからはトリステインの機密が書かれた資料を。
「最近はアルビオンに対する王室の目が邪魔でしてな。以前のような密談はもう無理でしょうな」
「ええ、私どもも聞いております。何でもこの国の姫は自らレコン・キスタの者の首を刎ねに行くと」
「斬首だけではありませぬ。己の腹を切れなどという侮辱的な行為を強いることもあります。全く持って暴君。生きた心地がしませぬな」
金貨の袋の中身を確認しながら、リッシュモンは忌々しげにつぶやく。
そんなリッシュモンに対して、男は小さな声でささやく。
「して、ブリミルの指輪はいかがか?」
その言葉に、リッシュモンは首を小さく横に振った。
「まだ見つかってはおりませんな。しかし、あの村から隊の者が持ち出したのは確かのようですぞ」
「いち早く見つけてください。ゲルマニアは敵に回りましたが、ロマリアはまだ態度を決めかねています。手遅れになる前にお願い致します」
自らが新アルビオン政権の使者であることを端から伺わせる男の言葉。
彼の声は、壇上から響く弦楽器の音色と役者の歌声、そして客達の喧噪にかき消されリッシュモン以外に届くことはない。
だが、そんな聞き取れるはずのない二人の会話をしかと耳にしている者がいた。
彼らの三列後ろに座る二十代前半の女性。どこにでもいそうな金髪の平民。
リッシュモンの監視を陰ながら続ける隠密の長、アニエスであった。
□暴れん坊君主□