才人は記憶力を総動員してヨーロッパの地理を思い出していた。
「ここがイタリア」
「ロマリアですね」
「ロマリア……ドラクエ3? いや、違うなローマか。ローマって首都がある国だ。こっちはフランス。芸術が盛んで、あと料理が凄く美味しい」
「そこはガリアですね」
「ガリア……聞いたこと無いな」
「ここはどうかしら? 私の出身地のゲルマニアなんですけど」
「そこはドイツだったかなぁ。ゲルマニアか。ゲルマニア……ああ、このあたりにはゲルマン民族っていうのが居たはずだ。ドイツは技術と医療と車とソーセージが発達している国」
「あら、やっぱり異世界でもゲルマニアは素晴らしい国なのね。今居るトリステインはどうですか?」
「うーん、ごめん、どの国があったか思い出せない」
才人は並行世界とはなんぞやと訊ねてきたキュルケに、並行世界について説明した。
もし歴史のあの瞬間あの事件が起きていなかったら。もし人類が人ではなく他の動物だったら。そんなifの可能性の先にある分岐世界。
そして才人は自分の知っているヨーロッパについて地図を使って一つずつ確認していった。
ちなみに才人が初めに指さしたのはイタリアではなく、地球でいう東ヨーロッパの位置。ルーマニアがある場所だった。
悲しいかな、変形したヨーロッパ地図から正確な国名を割り出せるほど、才人の地理と世界史の成績は良くなかった。
□デカとヤッコサンその4~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
「では、ミスタ・ヒラガは遠い異国ではなくこの世界に酷似した異世界からやってきたというのですね」
会話をキュルケに任せ才人の言葉を黙々と書き留めていたルイズが、ペンを止めて才人に任せた。
「ああ。小説とかでは並行世界って呼ばれてるやつだと思う。何でこんなところに来てしまったかは教えてくれるんだろ?」
「ええ、これから説明しますわ」
ルイズは意図的に使い魔の召喚についての話よりハルケギニアについての説明を先に行っていた。
現状を認識していない才人に、異国に呼び出されたということをはっきり理解して冷静になって貰うこと。この場は使い魔になってもらう交渉の場ではない。異国に喚び出されたことを許してもらう説得の場だ。
そして、使い魔の話を後回しにした理由がもう一つ。ルイズには説明を躊躇してしまうほどの罪悪感があった。遠くの地から才人を攫い、一方的に使い魔にしてしまった罪悪感だ。
使い魔は契約を了承した獣が喚び出されると言われている。
それがなんだ。彼は魔法も知らず、使い魔として喚び出された状況を夢だと言って目を背けようとした。
魔女とまで呼ばれるルイズは、唯我独尊な性格であり他者に迷惑をかけることを気にもとめない。
しかし、貴族として人として、他者を不幸にして人生を狂わせるのを良しとするような外道ではなかった。
ルイズは怖かった。遙か遠い国で人生を歩むはずだった才人の将来を狂わせてしまったのではないかと。
異国への、異世界への興味が膨らむにつれ、その罪悪感もどんどんと膨らんでいった。
ルイズは本日何度目かになる覚悟を決めた。
罵倒を受け入れよう。怒りを全て受け入れよう。そのうえで、彼に使い魔になって貰うのだ。
「わたし達メイジは、一生の友として使い魔……他生物の従者をハルケギニアから魔法を使って喚び出します」
「え、今一生って言った?」
すでに使い魔についておおよそながら予測を立てていた。
だから、今までになかった新しい情報。「一生の友」という言葉を聞き逃さなかった。
「メイジと使い魔との契約は、どちらか片方が死ぬまで……ですわ」
「なんだよ、それ」
才人は愕然とした。
異世界へのちょっとした小旅行、そう楽観的に考えていたものが一瞬で崩れ去った。
死ぬまでだと? こいつらは自分が死ぬまで使い魔なんてものにしてこんな場所につないでおくつもりなのか。
「じゃあ、まさか俺に一生死ぬまでここにいろっていうのか? ……なあ、喚び出せるなら送り返すこともできるんだろ? ゲームの召喚獣は戦闘中だけしか喚び出してないぞ」
「……申し訳ありませんが、喚び出す魔法はあっても、送り返す魔法は知られていません」
「ふざけんな!」
「ですが!」
拳を机に叩きつけて憤る才人。それに対し、ルイズは彼にすがるような目を向けた。
「ですが、もしかしたら送り返す魔法が世界のどこかにあるのかもしれません。使い魔は主と一生を共にするもの、だから誰も送り返すなんてことを考えたことがなかったんです。わたしの姉は魔法研究所の所員です。送還の魔法が研究されているかもしれません。それに、わたしも送還の魔法を見つけるのに努力を惜しむつもりはありません」
ルイズは本気だった。
彼をだましたり懐柔したりするために今の台詞を言ったわけではない。
「言い訳になりますが、わたしはあなたを異世界から攫うために召喚の魔法を使ったわけではありません。これはメイジとして未熟なわたしの過失です。わたしの手であなたの人生を狂わせてしまったというなら、わたしの全てをかけて償わせていただきます」
そのルイズの本気を理解してしまった才人は、机に叩きつけ強く握りしめたこの拳をどうすればいいか解らなくなってしまった。
怒りはある。悲しみもある。理不尽な状況に巻き込まれてしまった言葉では言い表せない暗い感情が心の奥で渦巻いている。だが、それを目の前のブロンドの少女にぶつけるわけにはいかなかった。
「俺はどうすれば良いんだよ……」
才人は頭をかきむしりながらルイズに向けていた視線を窓の外にそらした。
すでに日が落ち夜の闇で埋め尽くされた空には、地球のものとは違う二つの月が浮かんでいた。
――本当に異世界に来ちまったんだなぁ。
見覚えのない月の姿に、才人が驚くことはなかった。
遠くの地にいきなり飛ばされて、そこが偽物のヨーロッパで、住人は空を飛び、巨大なトカゲを従わせている。
月が一つ二つ増えようが今更
「ミスタ・ヒラガ。わたしはあなたを我がヴァリエール家の客人として迎えようと思います。家の自慢になってしまいますが、ヴァリエール家はこの国でも最も格式の高い貴族である公爵の家柄です」
才人の知っている貴族の爵位はあの有名なドラキュラの伯爵の位だったが、ルイズの説明に公爵とは伯爵よりも上なんだろうな、と何となく思う。
その公爵に客人として扱われるのだ。悪いようにはされないだろう。
「そして、失礼ですが、その、わたしの使い魔となるようお願い致したく思います」
「え……?」
客人にすると言われた才人は、自分は使い魔として扱われないだろうとばかり考えていた。
だが、金髪の少女は自分に使い魔になれと言ってきた。
――使い魔ってゲームとかじゃ奴隷みたいなものだよなぁ。嫌だなぁ。俺SMは嫌いなんだよな。
先ほどよりもいくらか心の平安を取り戻した才人は、そんな脳天気なことを思った。
「この学院のメイジは使い魔との契約をできないと留年するという取り決めになっているのです。恥ずかしながら、わたしはまだこの学院に留まりたいと願っています」
「あー、そういうこと……」
才人も学生だ。留年は学生生活を送るうえでの退学と並ぶ最大の恐怖。
それを回避するためなら少しくらいなら妥協しても良いと才人は考えた。
才人は異常なほど新しい環境への順応性が高い。既に異世界でどう生活するかを考え始めていた。
一方、ルイズの隣で口を出すことなく彼女の告白を聞いていたキュルケも、ルイズの言葉に嬉しくなった。
自分の居る学院を辞めてアカデミーへ行くと昨日ルイズに言われて、内心傷ついていたのだ。魔女のルイズとはこの学院で一番親しい悪友だという自負があったのだ。
「なあ、使い魔ってのはどんなことをすればいいんだ? 馬車馬のごとく働けとか言うなら俺は逃げるぞ」
「本来ならば、使い魔はメイジの目となり耳となる能力を与えられ、その能力を持ってメイジの利となる働きをします」
「どういうこと?」
「この使い魔のフレイムが見ているものをわたしも見ることができる、ということですわミスタ・ヒラガ。ふふ、火トカゲの視界というのもなかなか面白いものね」
横からキュルケが小難しいルイズの説明に解説を行った。
「ルイズさんも俺の見ているものが見えるのか?」
そうなったら大変だ、と才人は思った。
こんな可愛い女の子に自分が用を足している瞬間なんて見られた日には、自殺すら検討してしまうだろう。
「残念ながら無理なようですね。わたし、メイジとしては落ちこぼれですの」
「君も大変なんだなぁ」
自分の全く興味のない教科で赤点との戦いを繰り広げる才人は、同情の混じった視線をルイズに向けた。
「他には珍しい草や鉱物を見つけたり、メイジの身を守ったりするのですが、流石に客人にそこまでさせるわけにはいきませんわ。使い魔というのは肩書き上のことでかまいません」
「そうかー。……解った、俺君の使い魔やるよ」
才人はあっさりと答えを出した。
異世界に来て行く当てもない。手に職を持てるような技術なんて持っていない。
それなら可愛い女の子の従者をやるのが一番素敵じゃないか。
楽天家の才人はそう結論づけた。
「本当ですか! それなら、いや、それならではなく、ええと、こちらは使い魔としてではなくミスタ・ヒラガ個人へのお願いなんですけれど」
才人の解答を聞いたルイズは、心の中で喝采を上げた。
人間の使い魔を得ることが出来た。彼は自分に悪い感情を抱いていない。全ては上手く行った!
歓喜と共にルイズの中でくすぶっていた罪悪感は薄まっていき、代わりに押さえつけられていた知的好奇心が爆発した。
「あなたの世界、チキュウについて詳しくお教えいただけないかしら。未知の世界に興味がありますの」
「ああ、話すだけで良いならいくらでも話すよ」
「それでしたら、お話のついでに極上のワインを用意いたしますわ」
「ええ、俺二十歳超えてないからお酒は飲まないよ」
「あら、ニッポンではお酒を飲むのに年齢の制限があるのですね」
ワインの瓶を出そうと立ち上がったルイズは、才人の言葉を聞いて立ったまま机の紙にメモを取った。
そして羽ペンをペン立てに突き刺すと、部屋の隅まで歩いていき戸棚を開けた。
「でもご安心ください。トリステインではお酒を禁じる法はありませんわ。これはわたしのヴァリエール家の領地で取れた葡萄から作った最高級のワイン。初めての飲酒でもきっと気に入っていただけますわ」
ルイズが取り出したのは美しいストロベリーブロンドの女性の横顔が描かれたワインの瓶。
彼女の名を冠したロゼワイン、ワイズ・フランソワーズであった。
ルイズの指摘通り、才人は飲酒をするのが初めてだった
実はワインのアルコール度数は高い。サワーやチューハイのような初心者向けのお酒ではけっしてない。
アルコール慣れしていない才人は一気に上機嫌になり、異世界に連れ去られたことを誰にも体験できない旅行をしにきたのだと前向きに解釈しだして鬱屈としていた感情を全て吹き飛ばした。
初めに才人が言ったのは「いーよいーよそんなにかしこまらなくていーよ。俺、敬語とかで話すのも話されるの苦手だし」だった。
わずかに上気した顔のまま、才人は故郷の話をする。
彼がまず話題に選んだのは、『魔法』と対になるであろう『科学』を用いた、機械についてだった。
「デンキってどんな燃料なの? ハルケギニアでも発掘できるものなのかしら」
「電気というのは……そうだな、雷の力を利用したものだよ」
「雷の力ですって?」
ルイズは己の心の奥底に眠る雷への探求心を刺激され、思わず机の上に前のめりになった。
「すんげー弱い雷を作って、そのエネルギーでいろいろなものを動かしているんだ」
「それ、どうやって作っているの!?」
「ええと、例えば石油を燃やしてすごい規模の火を燃やして水を蒸発させてだな……」
火を使うと聞いて、火のトライアングルであるキュルケも才人の話に注目した。
キュルケは手に持っていたグラスを机の上に置き、両の腕を机の上にのせわずかに前へと身体を傾ける。
美女二人に身体を寄せられた才人は、鼻の穴をわずかに広げながら物理の授業で習った火力発電の概要について説明していく。
才人は嬉しかった。
自分が好奇心で普段集めていた知識、そして毎日のように学校で詰め込まれていく知識。それが役に立つ日が来るとは全く思っていなかった。勉強は将来何の役にも立たない。そう思い続けていた。
それがなんだ。何の意味もないと思っていた知識が、こんな可愛い女の子達を喜ばせることが出来るなんて、そんなこと先生は誰も教えてくれなかったぞ!
「で、タービン……風車を回す。ここがミソなんだけど、フレミングの左手の法則っていうのがあって……」
ルイズは才人の話を聞きながら、ものすごい勢いで紙に文字を走り書きしていく。
そんなルイズの姿を見て、才人はまるで刑事ドラマの取り調べの風景のようだと心の中で笑った。
カツ丼くださいと言えば出てくるだろうか。
とりあえず才人はカツ丼の代わりにワインを一口のみ、バスケットの上にのったパンを一つ掴んでかじりついた。
ニンニクのペーストが表面にうっすらと塗られたパン。どうやら異世界であってもパンはちゃんとパンであるようだった。
ワインの酌をかわしつつ才人の電気についての講釈は続く。
三人の会話は、バスケット一杯に積まれたガーリックパンが全てなくなるまで続けられたのだった。
□デカとヤッコサン 完□
―
こんなるいずさまにわたしはしょうかんされたい。
容姿描写の参考ワード:ストロベリーブロンド