空の港町ラ・ロシェール。日が空を紅に染めた時間にこの街へ到着したルイズ達一行は、貴族向けの宿、『女神の杵』亭で一泊した。
路銀の浪費を嫌がったルイズだが、ワルド自らが小切手を切り全員分の宿泊費を負担したので結局このラ・ロシェール一の宿を使うことになった。お忍びの任務で小切手もどうなのかと思ったが、よくよく考えると自分たちは目立ちすぎる集団なので今更だとルイズは諦めた。
そして夜が明け朝、ルイズは同室に泊まっていたキュルケと二人で、魔法の儀式を執行していた。
メイジならば誰もが必ず一度は行う儀式。魔法の杖との契約だ。
ルイズは荷物の中に持参していた秘薬に指輪を浸し、そしてぬれたままの指輪をキュルケの指へ通した。
「後は明日の朝になるまでそれを外さずに居れば、契約は完了よ」
「……早いわねぇ。これもあなたが考えたの?」
「違うわ。アカデミーにいる姉さま……カトレア姉さまじゃない方の姉さまが考案した簡易儀式よ。契約は薄いけれど、杖を使い続けることで契約が深まるの」
ルイズは眼鏡をかけた吊り目の姉を思い出しながらそう言った。
「あなたたち、姉妹揃って優秀なのねぇ」
「いえ、これは別に姉さまが優秀というわけじゃなくて……7、8年くらい前かしら。学院を卒業して暇そうにしている姉さまをからかってよく喧嘩になって、そのたびに姉さまの杖をへし折っていたの」
杖とは貴族の誇りだ。
杖を折ることは貴族に対する最大の侮辱とも言われる行為だが、幼いルイズはそれを姉に対し躊躇無く行った。
一方の姉、エレオノールは繰り返し折られる杖に次第に誇りというものを感じられなくなり、杖を折られた後いかに新しく杖を調達するかという効率的な思考を抱くようになった。
杖の儀式は六千年続く神聖な儀式。それを変えようと考える者は少ない。
だがエレオノールはその領域に踏み込み、その全容を解き明かしていった。
「何というかまあ……」
キュルケはヴァリエール家の姉妹のあり方に呆れかえった。
もしかすると彼女達は、自分なんかよりゲルマニアの民としてふさわしいのではないだろうか。
「それで面白いことが解ってね、この儀式、魔法の儀式なんかじゃないのよ」
「え、魔法の杖と契約しているのに?」
「この儀式を行えば平民だって杖と契約できて、杖を振ってマジックアイテムを操れる。証拠に、魔法を使えないわたしでも杖との契約は出来るのよ」
ルイズは自分の腕に仕込んだ杖を皮膚の上から触りながらそう言った。
この儀式が系統魔法かコモン・スペルによるものならば、魔法の使えぬルイズが行えば杖は木っ端微塵に弾け飛ぶはずだ。
そんなことをつらつらとルイズがキュルケに説明していたとき、部屋の扉からノックの音が響いた。
ルイズは立ち上がり扉を開ける。扉の向こうはワルドが立っていた。
「ルイズ、ちょっと来てもらっていいかな?」
「あら、おはようございます。何か用事ですか?」
「ああ、それほど時間は取らせない。中庭の練兵場に来てくれ」
そういうとワルドは何の用なのかも告げず、廊下の向こうへと歩き去っていった。
一方的な誘いに、ルイズは後ろへ振り返るとキュルケと二人で肩をすくめた。
□風雲ニューカッスル城その6~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
練兵場。トリステインとアルビオンの国交が穏やかではなかった時代、このラ・ロシェールの街はアルビオンと正面から向かい合う要塞であった。この宿の中庭にある練兵場も、そんな時代の遺産だ。
そこにワルドに呼ばれるまま訪れたルイズは、その場にワルドと武器を携えた才人がいるのを見て、何事かと眉をひそめた。
「ミスタ・ワルド、何のご用でしょうか?」
「彼の実力を、ちょっと試してみたくなってね」
ワルドが髭に包まれたあごで才人を指しながらそう言った。
ルイズはその意図が理解できずに、どういうことですか、と訊ね返す。
「なに、決闘の介添え人として僕達の戦いを見守っていてくれるだけで良い」
その言葉を聞いて、ルイズはめまいがした。
何を言い出すのだろう、この男は。本当に軍人は脳みそが筋肉で出来ているのだろうか。
「今はそんなことをしているときではないでしょう。これから何があるかも解らないというのに、疲労を自ら溜めるおつもりですか?」
「そうだね。でも、貴族というヤツはやっかいでね。強いか弱いか、それが気になるともう、どうにもならなくなるのさ」
「強いか弱いか、だなんて、何故それをサイトに求めるのですか。彼はただのわたしの使い魔です。凶暴な魔獣ではないのですよ」
「いやいや、ルイズ、僕は知っているよ。彼は鉈で青銅のゴーレムを軽々と切り飛ばしたそうじゃないか」
ワルドのその言葉にルイズはため息をついた。あの決闘が軍にまで伝わっているのか。
ルイズはまだ気付いていないが、トリステインの『賢者』であり『魔女』である彼女が異国の賢人を召喚したという話は、トリステインにいる彼女の信奉者の中ではすでに広く伝わっている噂であった。
「異国から召喚されたメイジ殺し。これはすぐにでも手合わせ願いたい相手だと思ってね」
ワルドは本気だ。ルイズは彼を止めることを諦め、才人の方を見た。
「サイト」
「なんだ、やめろってか?」
「違うわ。ちょっとこっちへ来なさい」
ルイズの手招きに、才人は言われるままに従う。
ルイズは腰の留め金から自分の短剣をはずし側へとやってきた才人へと手渡す。
そして、小さく才人の耳元で呟いた。
「サイト、わざと負けなさい。そうすれば彼につきまとわれなくなって済むわ」
「えっ」
「いいから従いなさい。下手に勝ったら道中面倒なことになるわよ」
そこまで言ってルイズは才人の耳に寄せていた顔を離し、才人の背後に回って両手で彼の背中を押した。
「お待たせしました、ミスタ・ワルド。グリフォン隊隊長との相手は辛いと思い、彼には必勝を願ってわたしの剣を貸しました」
「おやおや、仲睦まじいことだ。きみの心を射止めるにはここは是非とも勝たなければいけないね」
こうして決闘は開始された。
決闘はあっけないものだった。
ワルドの振るった杖剣に才人は短剣を大きく吹き飛ばされ、そして返す刃で放たれた『エア・ハンマー』の魔法に才人は練兵場の端に積まれた樽の山へ弾き飛ばされた。
ワルドは冷めた表情でその様子を眺めると、ルイズの方へと振り返りしんみりと言った。
「解ったろうルイズ。例えメイジ殺しの力を持つ使い魔と言えど、彼ではきみを守れない」
ルイズはそのワルドの言葉を無視して才人の方へと歩いていく。
そして才人の額から血が流れているのを見ると、ポケットからハンカチを取り出し、額の血をぬぐおうとする。
だが、その手をワルドに掴まれ止められる。
「行こう、ルイズ」
そのワルドの促す声に、ルイズは振り返らずに答えた。
「怪我人の介抱が先ですわ。ミスタ・ワルドは一人で勝利の祝杯でもあげていてくださいまし」
そう言って、ルイズはワルドの手を振り払い、才人の額をぬぐった。
そのルイズの態度に、ワルドは語りかけた。
「彼は弱い。足手まといを連れたままアルビオンに行くつもりかい?」
ルイズは答えない。ワルドは肩をすくめてやれやれと頭を振ると、杖剣を鞘に収めて練兵場から去っていった。
練兵場にはルイズと才人の二人だけが残される。
「いつつつつ……」
ずっとだんまりだった才人が、ワルドが去ってようやく声をあげた。
ルイズはそんな才人の様子に安心して、腰のポシェットから応急手当の道具を取り出すと才人の額の治療を始めた。野外を歩き回ることの多いルイズは、魔法を使わない治療についても熟知していた。
「まったく、修練が足りないわね。受け身を取り損ねるなんて」
「おいおい、樽の山の上でどうやって受け身を取るって言うんだよ」
「わたしは取れるわ」
淡々と言うルイズの言葉に、才人は苦笑をした。
これはこれで、ルイズなりの友人への親しい接し方なのだ。彼女と会ってまだ一月弱しか経っていないが、何となく才人はその距離感を理解していた。
額に血止めを塗りおえたルイズに、ふと才人の背から声が上がった。
「まったくよー。なんだよわざと負けろって。俺にかかればあんな細っちい杖なんてへし折って見せたによぅ」
才人の相棒を自称する剣、デルフリンガーだ。樽に当たった衝撃で鞘から刀身がわずかにはみ出たのだろう。
「良いのよ、これで」
「わっかんねーなー。一緒に任務するってんなら実力を見せつければいいじゃねーか」
「彼の意図が解らないのよ。実力を知りたいというなら正直にそう言えばいい。決闘がしたかったなんて本気で言うなら……それこそわたしは軍の質を疑うわ。魔法衛士隊隊長ともあろうものが任務中に同行者と決闘? 馬鹿げてるわ」
才人の治療を終えたルイズは才人の手を取り彼の身を起こすと、キュルケの待つ部屋まで帰っていった。
その日の夜。
ルイズ達一行は翌日のアルビオンへの渡航を前に、夕食を食べながら英気を養っていた。
とは言ってもさして日常と変わることなく、才人とキュルケはワインを片手に談笑をし、タバサは一人本を読み、ギーシュは貴族の他の客へ色目を使い、ルイズはワルドの言葉を聞き流しながらデルフリンガーを両手でいじって調べていた。
戦場へ行く前夜とも思えない穏やかな時間。
そこに、突如闖入者が現れた。
武装した傭兵の一団が、宿の中に踏み込んだのだ。
突然のことに、酒を交わしていた貴族たちが叫びを上げ酒場はパニックに包まれる。
咄嗟に反応したのはキュルケとルイズ。互いに魔法を放って宿へ踏み込んできた傭兵達を沈黙させる。
そして宿の外を眺めると、外は大量の傭兵達に囲まれていた。
「拙いわね、戦場に行く前に戦争に巻き込まれたみたい」
ルイズは降り注いだ矢の雨にテーブルを蹴り上げ、それを盾にしながらそう言った。
そして、酒場内に居る貴族たちへと声を投げかけた。
「皆様、この騒動に心当たりのある方はいらっしゃいますか?」
答えは返ってこない。
「……どうも一番心当たりがあるのはわたし達みたい」
「どうするのよルイズ。外の傭兵、百はいるわよ」
そう言葉をかわすルイズ達の横に、突然上から何かが落ちてきた。
荷物。ルイズ達が学院を出るときに持参していたものだ。
そして次の瞬間、誰からまた上から落ちてくる。
タバサだ。壊した扉を矢よけ代わりに抱えている。
いつの間にか二階へと上がり、荷物を取ってきていたようだ。腰には鞘に入った短剣がささっていた。
「あら、気が利くじゃない」
そう何でもないようにルイズが返す。ルイズ達三人にとってはこの程度の荒事は慣れたことのようであった。
「るるるるるるいず、これは一体どういうことだい!」
ギーシュが机の下で震えながらそう言った。
「知らないわ。でも、これはわたし達を狙ったものだと考えたらだいたい予想が付かない?」
ルイズはそう言いながら、荷物をあさり中から一枚の紙を取りだした。
今朝ワルドから受け取った、マザリーニの署名が入った書状だ。
それをルイズは矢を腕に受け、水のメイジであろう貴族から治療を受ける店主へと投げつけた。
「店主のおじ様。この騒動で負った店の被害はその書状を添えてトリステイン王国に請求してくださいまし」
「へ、へえ……」
お前のせいかと激昂しかける店主だが、書面に書かれたマザリーニの名に吐き出しかけた言葉を飲み込み、軽く返事だけを返した。
「さて、こういうときに傭兵や盗賊が取る行動と言えば、精神力が尽きるのをひたすら待つって感じだけど……」
杖を構えたまま応戦せず机の陰に隠れたキュルケはそう言った。
その言葉に、ギーシュは懐から杖である薔薇の造花を取り出してキュルケに言う。
「ぼ、ぼくの『ワルキューレ』で蹴散らしてみせるさ」
「そういうことは今の三倍の大きさのゴーレムを作れるようになってから言いなさい。人の大きさしかない青銅のゴーレムなんて、サイトの時みたいに叩き壊されて終わりよ」
さてどうしたものか、とキュルケがルイズとタバサに目配せをしようとしたところで、ワルドが声を放った。
「いいか諸君」
ワルドの言葉に、一斉にキュルケ達が彼の方を見る。
「このような任務は、半数が目的地にたどりつければ、成功とされる」
この言葉の意味するところは、囮を使えということだ。
彼の言葉にキュルケは神妙な顔つきになる。
任務を任されたのはルイズ。となると囮になるとしたらまず自分だ。
ワルドは隊長を任されるほどの手練れ。この場で囮として切り捨てるのは得策ではない。
覚悟を決めようと、杖を強く握ったその瞬間だ。
「あはははははははははは!」
突然、ルイズが大笑いを始めた。
皆が唖然とした顔でルイズを眺める。
「何を言い出すのかと思えば、囮? 馬鹿にしているのかしら」
「ル、ルイズ?」
「ねえ、ミスタ・ワルド。これからわたし達が行くのはどこ? 戦場でしょう? それが何? たかが傭兵の集団に襲われた程度で半分を切り捨てる? なるほど、姫さまが軍は無能だとしきりに言っているのが良く理解できるわ」
外にいる傭兵の数は集団で済まされる数ではない。だが、ルイズは胸を張りながらそう言った。
そして、笑いを止め、ルイズは真剣な顔でキュルケの方を見た。
「キュルケ! 敵陣に火を放ちなさい。生物が本能的に恐れる炎を」
言葉の意味するところは、撤退ではなく応戦。
あの傭兵の軍勢を魔法を用いて応戦しようというのだ。
「タバサ! 風を呼びなさい。火を舞い上がらせ、矢など吹き飛ばす風を」
タバサはただ頷いた。
矢返しの魔法は存在する。先日、風の教師であるギトーは矢どころか燃えさかる巨大な火球すらも吹き飛ばして見せた。
「ギーシュ! 道を開きなさい。わたし達が進むための青銅の道を。敵を食い止めるための油の道を」
突然のルイズの指示にギーシュは困惑する。
だが、即座にその言葉の意味するところを理解し、彼は薔薇を構えた。
「サイト! 剣を握りなさい。剣は人を斬って初めて剣になる。あなたはわたしの使い魔。わたしのために血の道を作りなさい」
才人は従うままに肩の剣を抜いた。
磨き上げられた刀身を輝かせながらデルフリンガーがルイズの言葉に応、と答える。
「ここにいる貴族の皆様! 杖を構えてくださいまし。外にいるのは魔法も使えぬただの人。杖を振るうだけで彼らはただの家畜の集団となりましょう」
その言葉を聞いて、カウンターの下で身を屈めていた貴族たちの震えが止まる。
そうだ、何を恐れているのだ。自分は貴族。剣や矢に頼らざるを得ない平民どもとは違う選ばれた血族。何を恐れる必要があるというのか。
「ミスタ・ワルド。あなたはそこで見ているが良いわ。あなたが囮として切り捨てようとした者の破壊の力を」
ルイズは拳を強く握る。
ラ・ロシェールの全傭兵と貴族達の少年少女達との戦争が始まった。