ルイズは遠い遠い日の思い出を夢として見ていた。
それは、十年以上も前のこと。ラ・ヴァリエールの屋敷で母に何故魔法が使えないのかとしかられ、毎日のように一人庭に逃げ出していた過去。
夢の中のルイズも、その過去をなぞるように説教の最中庭に逃げ、池に浮かべた小舟の中へと隠れ一人泣いていた。
ルイズの夢。それは、幼いルイズの視点ではなく、空の上から幼い自分が泣く様子を見下ろす物であった。
夢の中。しかし、ルイズははっきりと自分が過去を見ているのだと認識していた。
「なんでわたしだけがこんな目にあわなければならないんだろう……」
泣きながら、幼いルイズはそう嘆いた。
これはあの嵐の夜より以前の光景。眼下のこの幼子は、魔法が使えぬと嘆き、皆に蔑まれ、ただただ心を歪め続けている。
それを見て、ルイズは叫んだ。
――顔を上げろ! 目を見開け! 自分の魔法を見ろ! お前は破壊の力に愛されている!
だがその声は届かない。
代わりに、幼いルイズへと語りかける声があった。
「泣いているのかい? ルイズ」
それは、銀髪青目の美しい少年だった。
誰だろう。そう一瞬思い悩む空に浮かぶルイズだったが、すぐに思い出した。
ラ・ヴァリエール領の隣、ワルド領を預かる子爵家の若き当主、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。
もう十年も会っていないその少年を見て、ルイズは当時のこと思い出していた。
何故魔法が使えぬと叱られ、ただただその現実から逃げ続け、一人で泣き、そしてこの少年に慰められるのだ。
今のルイズにとっては恥ずかしく、そして忌まわしい過去だった。
ルイズの見守る中、少年は幼いルイズを優しい言葉でなだめていった。
そして少年は幼いルイズの手を取り、共に屋敷へと向かい歩いていく。
ルイズはそれを見て、再び叫んだ。
――そっちへいくな! 逃避はお前の行くべき道じゃない!
声は響かない。
だが、その叫びに幼いルイズはゆっくりと振り返り空を見上げた。
「ほんとうにそれでいいの?」
幼いルイズは、空のルイズへと向けてそう呟いた。
「あなたはそれでほんとうにいいの? まじょでいいの? わたしは……」
気がつくと、夢の中の幼いルイズは、現実の自分と同じ少女の姿へとなっていた。
そして、こちらに背を向ける少年の手を握りながら夢のルイズは言葉を続ける。
「わたしはおうじさまに救われ愛されるおひめさまでいたい」
そう告げた夢のルイズは、少年と二人屋敷へと消えていった。
□風雲ニューカッスル城その5~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
ルイズは朝に弱い。
二度寝は当たり前のことで、朝食を抜くことも多い。
ハルケギニア中を冒険したり、格闘の腕を鍛えたりなど健康極まりないルイズの体。
それでも小さく細い彼女の体はやや低血圧気味であった。
任務初日の朝、ルイズは才人に起こされ寝ぼけ眼で窓の外を眺め、そして朝食に起きるには早すぎる時間に起こされたことを怒り才人を蹴りつけようとした。
だが、そこで才人に任務のことを指摘され、大慌てで荷造りを始めた。
そして昨晩ワインのつまみとして用意して結局手をつけなかったパンを朝食としてかじりながら、ルイズと才人は学院の外へと向かう。
朝番の衛兵が守る門の外、そこには既にキュルケ、タバサ、ギーシュの三人がそろっていた。
彼らの傍らにはそれぞれの使い魔が同行しており、キュルケの使い魔フレイムと、ギーシュの使い魔のジャイアントモールがきゅるきゅるもぐもぐと挨拶を交わしていた。
その様子を眠そうな目で眺めていたキュルケが、ようやく姿を見せたルイズを見つけて声を上げた。
「ルイズ、遅いわよ。……またその格好なの?」
キュルケが眉をひそめながらそう言う。
ルイズの格好は、普段の魔法学院の制服ではなく、平民が着るようなデザインの動きやすくそれでいて頑丈な服であった。動きの邪魔になるマントは背に負った皮袋の中に入れてある。
そしてウェーブのかかったストロベリーブロンドの長い髪は頭の後ろで結び上げポニーテールにしていた。
彼女と共に現れた才人も、いつもの絹で出来た服ではなく、傭兵が着るような厚手の服に身を包んでいた。
ルイズの腰には短剣。才人の背にはすっかり話が合い相棒となった長剣のデルフリンガー、腰にはソードブレーカーを下げている。
二人とも、どこからどうみても平民そのものの格好であった。
「動きやすさ優先よ。これから行くのは観光地じゃなくて戦場なの」
そう言いながらルイズはポケットに手を入れ何かを取り出すと、キュルケにそれを放った。
「指輪? ルイズ、これは?」
「杖よ。いつもの杖を手放したときの切り札にでも使って。それ一つで王室ブランドの杖が三本買えちゃうから、大切にしてね」
そうルイズは言い、そして今だお辞儀を続けるサラマンダーとジャイアントモールの姿に目をつけた。
「使い魔、連れて行くの?」
「あなただって連れているじゃない」
「フレイムも主人の言いつけを無視して付いてきたいと言うような単純馬鹿な使い魔なのかしら」
「おいおい、心配してやったのに単純馬鹿はねーだろう」
ルイズの思わぬ評価に才人は苦笑しながらルイズに言う。
ルイズはそれを黙殺し、フレイムの傍らでふごふご鼻を鳴らすジャイアントモールを見た。
「ねえギーシュ、モールを竜の背中に乗せるつもり?」
「駄目なのかい? 秀才のルイズ」
「モグラを空に浮かべた話なんて聞いたこと無いわ」
その言葉にギーシュは自分の使い魔に大丈夫かいと聞くと、ジャイアントモールはもぐもぐと頷いた。
そんな様子をルイズは眺め、一人計算していた。
――五人にサラマンダー、ジャイアントモール。追加で一人とグリフォン。隊長格のグリフォンなら三人は乗れるから……。
行程の計算。この任務はただアルビオンに行って帰ってくるだけのものではない。
ウェールズ皇太子の居るニューカッスル城へ辿り着くには反乱軍との戦闘も予想され、可能な限り体力と精神力を温存しなければならない。
疲労の溜まる馬を使うのは論外で、いかに空を飛ぶ風竜とグリフォンで楽をするのかが重要となるのだが、その風竜とグリフォンの疲労も考えなければならない。
ルイズはとりあえずの目標をアルビオンへの便がある港町ラ・ローシェルに定め、一日の飛行を考えた。
風竜ならば半日とかからず飛べる距離だが、大所帯を考えると急ぎすぎるのも駄目だ。
ルイズは今更になってアンリエッタから追加でグリフォンを用意してもらうのだったと後悔した。
そんなことを考えていると、ルイズの視界にふと影が差した。
グリフォンが空から降りてきたのだ。
「やあ、待たせてしまったかな」
そう、グリフォンの背に乗る騎手がルイズへと語りかける。
グリフォンはゆっくりと地へと降り立ち、その背から羽帽子の貴族が飛び降りた。
ルイズ達の前に立ったその貴族は、優雅な仕草で帽子を取り彼女達に一礼した。
「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。姫殿下の命により参上した」
髭面の貴族は凛とした表情でそう告げると、やがて彼は表情を崩し笑みを作った。
「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」
そう良いながら髭面長身の貴族、ワルドはルイズへと駆け寄った。
「お久しぶりでございますミスタ・ワルド。隊長になられたようで、おめでとうございます」
「ああ、本当に久しぶりだ! 十年ぶりかい!」
そう言いながらワルドは、まるで幼子をそうするかのようにルイズを抱きかかえ持ち上げた。
「相変わらず軽いなきみは! まるで羽のようだね!」
「お恥ずかしいですわ。ミスタ・ワルド。わたしはもう六歳の子供ではないのですよ」
「おお、これは失礼。きみもすっかり可愛らしいレディに育ったものだね」
ワルドは笑顔のままルイズを地面に下ろし身体を離した。
「いや、懐かしい再開に浮かれてしまったようだ。ルイズ、同行する彼らを紹介してくれるかい?」
そんなワルドの言葉に、ルイズは薄い笑みを顔に貼り付けたまま答えた。
「道中でお教えしますわ。急ぎの任務、まずは日が昇る前に出発致しましょう」
ラ・ローシェルに向けて二匹の魔獣が空を行く。
ワルドが操るグリフォンにはルイズが乗り、シルフィードの上にはキュルケ、タバサ、才人、ギーシュが狭そうに乗り込んでいた。
キュルケは竜の背の上で爪の手入れをし、タバサはいつも通り本を手に一人黙っている。タバサは本を読みつつも指につけた魔法の指輪に微弱な精神力をこめ、風よけの魔法を使っていた。風で本のページがめくれるのを嫌ったのだ。
そして才人とギーシュはそわそわと先頭をいくグリフォンの姿を眺めていた。
「なに、気になるの?」
キュルケは爪にかけていたヤスリを動かす手をとめ、二人の少年に語りかける。
「い、いやなに、ずいぶんと魔女と親しそうな美男子だなと思ってね……」
とギーシュ。
「ああいうキザヤローはどこか気にくわないんだよなー。ほら、見えるか? 何だかルイズと身を寄せ合ってくっちゃべってやがる」
と才人。
「ふうん、気になるんだ」
キュルケはそんな二人の様子を見てにやにやと笑った。
「ま、わたしもちょっとあの二人の関係が気になるわね。ルイズからあんな知り合いが居るだなんて聞いたことないもの。だからね、あのグリフォンにはフレイムを乗せたわ」
そのキュルケの言葉に、ギーシュはおや、と呟きそしてにやりと笑ってみせた。
一方の才人は、何のことやらと首をひねる。
「フレイムが乗っているから何なんだ?」
「おやサイト、ルイズから聞いていないかい? 使い魔は主の目となり耳となると」
「そ、だから今からちょっとフレイムの耳を借りて二人の話を盗み聞きしてみるわ」
キュルケの言葉を聞いて、才人もにやにやと笑い始めた。
本を読みながらその話を聞いていたタバサは「悪趣味」と言おうとしたが、ルイズにまとわりつくあの男のことが気になったので口に出すことを止めた。
キュルケはフレイムに感覚を飛ばし、伝わってくる声を才人達へとそのまま話す。
『ルイズ、きみとはすっかり疎遠になってしまったね』
『仕方が無いことですわ、ミスタ・ワルド。あなたが軍に居る間もわたしは王宮へは訪れていましたが、流石に軍と接触を持つ機会はありませんでしたわ』
『おや、そうかい? この前は騎竜を見に魔法衛士隊に訪れたと聞くし、それに僕の隊にもきみの信奉者はいるんだよ、賢者にして魔女の愛しいルイズ』
『彼らとは軍人としてではなく個人的な友人としての付き合いですわ』
キュルケはルイズ達の言葉をそうシルフィードの上の面々に伝えると、口元を歪ませ笑った。
「ははーん、ルイズ、これはちょっとご機嫌斜めね」
「そうかい?」
「そうよ。あの子、平民とか貴族とか気にしない癖に、自分が敬意を払った相手に見下されるのが嫌いなのよ」
なんのこっちゃ、とギーシュと才人は二人仲良く同時に首をひねる。
「公爵家の娘のルイズが相手を『ミスタ・ワルド』と呼び、子爵が自分を『ルイズ』と呼び捨てにする。雰囲気を読まない馴れ馴れしさに結構むきむききているみたいねぇ」
「ああ、なるほど。彼女、いまいちどこを向いているか解らないプライドを持っているからね」
そんな会話を交わしてから、キュルケは再び盗聴を開始する。
『彼らはただの級友とヴァリエールの客人ですわ』
『そうかい。婚約者だった身としてはきみの恋の行方が気になるものでね』
『あくまで元婚約者、ですわ。僕のルイズ、という言葉もやめてくださいまし。もうミスタ・ワルドはわたしの婚約者ではなく、カトレアお姉様の婚約者なのですから』
『公爵殿との酒の席での口約束さ。いまの時代は貴族ももう許嫁などではなく恋で伴侶を決めるものだ、そう思わないかい?』
『そうですわね』
ここまで聞いて、キュルケ、ギーシュ、そしてタバサは目を見合わせた。
「姐さんに婚約者がいただなんて……」
そう驚きの声を漏らすキュルケ。
「おお、何てことだろう。麗しのフォンティーヌに許嫁だなんて……」
そう薔薇の造花を片手に身をよじるギーシュ。
「…………」
本を閉じふるふると頭を左右に振るタバサ。
そんな三人の様子を才人は不思議そうに眺めていた。
「おいお前ら、どうしたんだ」
「……ああ、そうね、教えないと駄目ね。ねえサイト、ルイズに姉がいるのは知ってる?」
「ああ、何やら手紙でやり取りをしていたな」
「そう、ルイズには八歳年上の姉が居てね、去年までこの学院に通っていたの」
「らしいな……って、え? 八歳年上?」
予想していなかったルイズの姉の年齢に、才人は驚きの声を上げた。
確かルイズ達の学院は三学年までしかないはず。八歳年上と言うことはルイズの姉は二十四歳。どういうことだろう。
「ルイズのお姉さん、カトレア姐さんは、幼い頃から病を患っていたの。それが最近になって完治して、二十歳になってようやく学院に通うことが出来たの」
「うむ、ミス・フォンティーヌの姿は周りの幼い少女達とは違い、まさしく大人の魅力を放っていた。僕ら年下の男達は、皆彼女の虜になったものさ」
「ルイズの面倒も良く見ていてね、わたしとルイズとタバサの三魔女が問題を起こして彼女がそれをそれとなくフォローするという関係だったの。だから、わたしたちにとっては頼りになる姐さん」
「姐さん」
キュルケの言葉に、タバサも追従するようにそう言った。
ずいぶんと皆に慕われた人物であったらしい。
「今年は姐さんがいないからそのフォローの役割をわたしがしなきゃいけないんだけど……。それにしても、婚約者かぁ。彼がそれに釣り合うかと言われると、魔法衛士隊の隊長と考えてもどうかしらね」
「しかしだね、彼女も今年で二十四。そろそろ身を固めても良い頃だよ。残念な話だがね」
「…………」
本当に残念そうに言うギーシュと、首を振ってそれを否定するタバサ。
そしてキュルケは一人、考え込むように口元に手を当てていた。
「……まあ、詳しいことはもっと盗み聞きして調べましょう。町に着くのは夕方近くですもの。きっと話題にはたくさんでてくるはずよ」
そう言ってキュルケは再びフレイムへと感覚を送った。
こうして一同はラ・ローシェルの町へと到着する。
―
ワルドが領地を離れた時期:十年前
ルイズ様が落雷を見た時期:十年前
ルイズ様に関わり合いのない人物はだいたいそのまんまです。