□風雲ニューカッスル城その2~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
机を囲むようにして一同は座る。
思わぬ人数超過に、ルイズはクローゼットの奥から野営用の折りたたみ椅子を持ち出して自分はそこに座っていた。
そしてルイズは座ったまま傍らの老人を皆へ紹介する。
「こちらはマザリーニ枢機卿。サイト以外は知っていると思うけど、この国の宰相よ」
「ふむ、宰相では無いのですがまあ良いでしょう」
「わたしがトリステインの王宮でお世話になっていた頃の、ええと、上司? 違うわね。とにかく、お世話になった方よ」
「はは、世話になったのはこちらの方ですよ『賢者』殿」
マザリーニはあごひげを手で撫でながらそう笑った。
キュルケとタバサは目の前の人物を知っていた。
いや、トリステインに住む者なら皆知っているであろう人物だ。彼は、実質的なこの国の最高指導者であった。
「そしてマザリーニ様。ここにいるのは学院での友人達ですわ。こちらがゲルマニアからの留学生、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」
ルイズの紹介に、キュルケは優雅な会釈を返す。
「こちらがガリアからの留学生、タバサ」
いつの間にか本を閉じていたタバサは、キュルケに習うように頭を下げる。
普段は周りなど知ったことではないという態度を取るタバサだが、これでも元王族。正しい態度を取るべき状況というものは重々理解していた。
そんなタバサを見て、マザリーニは「ほう、あなたが」と小さく呟いた。
彼は外交にも深く関わる人物。当然のことながらこの学院にガリア王家に連なる者が留学してきていることは把握していた。
「そしてこちらがわたしの使い魔、ヒラガ・サイト。地図にも載っていない遠い遠い異国の地からお越しいただいた賢人でございます」
「遠い異国の賢人ですとな? はは、それはまた『賢者』の名にふさわしい者を召喚したものですな」
笑いながら才人を見るマザリーニ。
その笑いに嫌みは全くなく、心から『賢者』のルイズを讃える言葉として放たれていた。
そしてひとしきりルイズの友人達を眺めると、マザリーニは椅子に深く座り直して語り始めた。
「まず、皆様には私が何故夜分に賢者殿の部屋まで訪ねてきたのかをご説明しなければなりませんな。なに、やましい目的などございませんぞ。実はですな、トリステイン一の知識を持つ賢者殿に、まつりごとの相談に参ったのです」
まつりごと、と聞いてキュルケは眉をひそめた。
目の前にいるのはこのトリステインの政治の全てを牛耳っているような人物だ。
それが、この小さな桃色の魔女に相談だと?
「賢者殿には昔から様々な御知恵をお貸しいただいていましてな。……例えばそう、皆様は城下町、王都トリスタニアに訪れたことはございますかな?」
「ええ、水の街の名にふさわしい美しい街並みでしたわ」
キュルケは髪の毛をかきあげながらそう言った。
トリスタニアは美しい都だ。ゲルマニア、トリステインと様々な都市を見てきたキュルケだが、トリスタニア以上に美しさにあふれた街を彼女は見たことがない。
「そう言っていただけると治める甲斐がございますな。では、そこにいる清掃を行う水メイジを見たことは?」
「ありますわ。他の町ではなかなか見ない光景ですわね」
「そう、この水メイジこそ賢者殿が考え出した疫病を防ぐための方法なのです」
マザリーニは手を打ち合わせてそう言った。
「あれは八年も前のことでしたかな。アカデミーの所長が私に進言したのです。王都に水のメイジを使わし徹底的にゴミを無くせと。何故か、と聞いて驚きました。汚物と衛生の関係と、王都を清掃することによる効果を詳しく、そして解りやすく書かれた資料を渡されたのです。そして、私はさらに驚きました。この資料を作ったのは普段姫殿下と一緒に王宮内を走り回っている、あのヴァリエール家の三女殿だと」
マザリーニの口は止まることなく動く。
まさしく政治屋の口。早口だというのに、その言葉はキュルケの頭にすらすらと入ってきた。
「傭兵やごろつきに身をやつした平民のメイジを集め、早速町の清掃を始めました。するとどういうことか、一年もする頃には清掃区画から病人が一気に減少したのです」
汚れは病へと繋がる。その概念は、ハルケギニアにも存在する。
だがその概念を適用されたのは医療の現場だけであり、市街地の汚物処理には繋がっていなかったのだ。
「町の景観をよくするという理由もあり、貴族からも水のメイジを集めて王都の清掃に当たらせました。それが今日、水の都と呼ばれるトリスタニアになっているのです。病人が減れば働く者も増え、町が潤い税も集まる。見事な賢者の采配ですな」
そこまでマザリーニは言うと、語り口を止めあご髭をいじりながら軽快に笑った。
話をずっと聞いていたキュルケは、少し驚いた顔でルイズの方を振り向いた。
「ルイズ、そんなことやってたの?」
「アカデミーの人に見せたのは穴だらけで稚拙な論文以下の紙切れよ。わたしはただあの頃、病気がちなちいねえさまが過ごすには世界は汚すぎる、と思っていただけ」
「はっはっは、謙遜なさるな。それは今日に続いている確かな思い。ミス・フォンティーヌはあなたの手で病を克服したと聞き及んでおりますよ」
そう笑うマザリーニの様子を見て、国のトップにずいぶんと気に入られたものだとキュルケは思った。
「ねえルイズ、この前留年したときのための論文なんて書いていたけど、そんなことしなくてもこの方に言えばいくらでも働き口はあったんじゃないの?」
「嫌よ。マザリーニ様になんて頼んだら、国の中枢入りは確実。わたし政治には興味ないの。領地も領民もいらない。一人のんきに研究員をしたいわ」
「私としては今すぐにでも学院を辞めて王宮へ来て欲しいものですがなぁ……」
そんなマザリーニの言葉に、肩をすくめ頭を振るキュルケ。
ただの同級生の悪友が国を動かす重鎮に招かれる。スケールが違いすぎる話だ。
「ま、このように賢者殿は自分からまつりごとに関わるのを良しとはしませんが、まつりごとに関わる知識が膨大なのは確かなこと。ですから以前からこうやって相談に乗ってもらっていたのです」
「なるほど……あ、でもトリステインの国政に関わることを話すなら留学生のわたし達は席を外した方が良いのかしら?」
「いえ、かまいませぬよ。どちらにしろこのような王宮から遠く離れた場所での相談事。そこまで重大なことは話しませぬ」
そう前置きをしてから、マザリーニはルイズに質問を投げかけ始めた。
上下水道の整備、飢饉の対策、新法の正当性。おおよそこの小さな魔女にはふさわしくない話ばかりであった。
ルイズはそれにすらすらと答えていった。
この知識を持ってかつて『賢者』の二つ名で呼ばれたルイズだが、今の彼女はその当時よりも内政について強みを持っていた。それは、トリステインよりもはるかに進んだ異国日本の話を才人から毎日のように聞いているおかげであった。
例えば、こんな話。
「アルビオンの内乱が激しく、このままでは王家が倒れるのも時間の問題でしょう。となれば、国際法で定められた国際共通貨幣法のエキュー法も危うくなるところ。しいては、トリステイン独自の貨幣を用意しようと思うのですが、深刻な問題が……」
「偽造、かしら?」
「そうなのです。最近の賊どもは金の錬成を可能にする土のスクウェアメイジをトップに抱えているらしくてですな。水のトリステインでは彼らの偽造を防ぐことが難しいのです。これが土のゲルマニアなら偽造のできない貨幣を用意できるのでしょうが……」
「あら、アカデミーの方々はそんなぼんくら揃いではありませんわ。……サイト、ちょっと財布の中身を借りるわよ」
「あ? ああ……」
ルイズは才人にそう言うと、才人の小物入れから彼の財布を取り出すと、中から五百円玉を取りだした。
「これは賢人ヒラガの居た異国ニッポンで広く流通した貨幣です」
「む、これは……おお、まるで装飾細工のようだ!」
「それをアカデミーお抱えの職人に見せて再現させれば、偽造は困難になりますわ。偽造がはびこるのも、貨幣の価値を中の金属に頼り切っているからです」
「ふむ、すばらしい。これはお借りしても?」
「サイト、いいかしら?」
「ああ、かまわねえよ。どうせ五百円だし、この国じゃ使い道ねえし」
これが財布に入った虎の子の一万円札なら躊躇したところだが、才人は五百円玉と聞いてまあ良いかと軽く了承した。
「だそうです。ふふふ……マザリーニ様、その貨幣がわずかパン五つ分の価値しかないと言ったら驚きますかしら?」
「これがですとな!? むう、これは素材の価値を考慮したとしてもエキュー金貨をはるかに超える代物ですぞ」
「ちなみに彼の国では、高価な貨幣は全て国の発行する小切手のようなものだそうです。トリステインでそれをやるのは難しいですけれど」
「ふむなるほど。今度また時間のあるときにでもその異国の政治の話を聞いてみたいものですな」
そのような話を繰り返しながら、ルイズとマザリーニは二人で会話をかわしていく。
そして、やがてマザリーニのその言葉は愚痴に変わっていった。
やれ王妃は政治に全く興味を示そうとしない、やれ姫は王族の義務である他国の者との結婚を自分から言い出したというのに嫌がる。
横でその話を聞いていたキュルケは嫌われ者の鳥の骨にもいろいろあるのだと実感した。隣のタバサはいつの間にか読書を再開していた。
そんなマザリーニの愚痴にルイズは。
「いやまーそうでしょーねー」
と虚空を見上げながら言った。
「昔、姫さまに『帝王学の成績も悪いしこのままだと将来は政略結婚の駒ですね』って言ってから、なんだかあくどい施政者と夢見るお姫様の二面性を持つようになっちゃって……」
「なんと! まあ賢者殿には困ったものですな……」
呆れたように眉をハの字にするマザリーニ。
彼は別にルイズの信奉者というわけではなく、彼女が様々な面倒事を引き起こす魔女であることも知っていた。
と、そんなことを話していると、突然扉の方からノックの音が響いた。
「あら、今度は誰かしら?」
キュルケはルイズを促した。
ノックは規則正しく、一定のリズムを刻むように部屋に響く。
その音に、ルイズは何か心当たりがあったのか目を見開いた。
「これは……いえ、そうだわ、予想してしかるべきだった……」
そう呟いて立ち上がると、ゆっくりと扉を開き、どうぞと来訪者を部屋へと招いた。
その人物に、キュルケ達は眉をひそめた。
またもや怪しい人物が部屋に入ってきたのだ。マザリーニと同じように漆黒のマントに身を包み、頭巾を目深に被っている。
頭巾の人物は部屋の半ばまで進むと、懐から魔法の杖を取り出した。
ルーンを唱えて杖を振った。
杖の先から光の粉が生まれ、部屋に降り注ぐ。
「ディテクトマジック、ね……」
どこかで見たような光景にキュルケそう呟いた。頭巾の人物はその言葉に頷く。
「どこに耳が、目が光っているか解りませんからね」
ディテクトマジックは部屋のあらゆるところからマジックアイテムの反応を探知した。
その反応に、頭巾の人物はあわあわと左右を見渡した。その様子を見ていたルイズは、小さく「大丈夫です」と語りかけた。
それを聞いた頭巾の人物は、ゆっくりと頭に被った頭巾を取った。
そしてルイズへと話しかける。
「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」
「姫殿下!?」
ルイズ達の誰のものでもない、マザリーニの驚きの声が部屋に響き渡った。