ミス・ロングビルは考える。
自分は今幸せなのではないだろうかと。
ふとしたきっかけでなった秘書という職。
嫌いな貴族達が集まる場所。
嫌々始めた仕事だが、何と言うことか連日引き起こされる魔女の事件の処理に追われるうち、ふと充実した気持ちになっていることに気がついた。
まるで、自分がごく普通の人間にでもなったかのような錯覚。
このままでいいかもしれない。そんな思いが沸いてしまい思わず首を振った。
土くれのフーケは考える。
自分はいつまでこんなことをし続けるのだろうと。
憎い貴族達への復讐のために始めた盗賊。
馬鹿な貴族の慌てふためく様を見られればいい。そう思っていた。
だがいつからかこの仕事は故郷の国にいる妹分や孤児達を養うための手段へと変わり、引くに引けない状況になっていることに気がついた。
いつの日か自分は捕まり処刑台に立たされるだろう。自分の魔法に絶対的な自信は持っていなかった。すでに貴族達は警戒の色を強めている。
このままではいけない。そう思うが金のためにやめるわけにはいかなかった。
マチルダ・オブ・サウスゴータは考える。
自分ははたしてどのように生きるのが正しいのかと。
秘書の仕事も学院の宝を盗むために始めたもの。
偽りの生き方だ。そこに未来はない。
盗賊としての仕事も、ただの八つ当たりであることを自覚している。自分と妹分をこんな地の底まで引きずり下ろしたのはあの憎きアルビオン王だ。
トリステインの貴族は何も関係がない。こんなことをしても父の誇りは取り戻せない。
このままどうなってしまうのだろうか。彼女は決断を迫られていた。
□最強の証明~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
土くれのフーケは本塔の外壁へ垂直に降り立つ。
巷を騒がせる貴族専門の盗賊。フーケが次に狙うのは、一年間調査を続けていたこのトリステイン魔法学院の宝物庫であった。
魔法を学ぶために貴族の子供達が集まるこの学院はまさにこの国の貴族の象徴だ。
そこを狙うのは、土くれのフーケとして最重要課題であると彼女は思っていた。
壁を歩き、宝物庫のある位置へと移動する。
熟練の土のメイジであるフーケは、素足で壁や床を踏みしめるだけでその性質を感じ取ることができる。
そして、宝物庫の壁で足を止めた彼女は肩を落とした。
壁の強度が高すぎるのだ。
このままでは自分の力ではどうやってもここを破ることができない。
この魔法学院の宝物庫は、大陸有数の難攻不落の守りを誇ると言われている。
そうなったのは、ごく最近の話。
一年前のことだ。
一年前の宝物庫。その時点でもこの壁はスクウェアクラスの『固定化』がかけられており、容易に中に突破できるようなものではなかった。
学院の教師はそれを自らの成果のように生徒達へと語っていた。
その話は、やがて一人の魔女の耳へと入ることとなった。
「それなら、ただの一生徒の魔法などに破られることなどないのでしょうね」
その魔女は笑いながらそう言い、学院長と秘書に扮したフーケの目の前で宝物庫の壁を爆破した。
壁は、まるで『固定化』などかけられていなかったかのように粉々に粉砕された。
それを見た学院長は憤った。
魔女に対してではない。小さな少女の魔法の力に耐えられなかった宝物庫の守りに対してだ。
偉大なる魔法の権威である学院長は、その知識と魔法の全てを総動員し、宝物庫の造りをより強固な物に変え警備を強化した。
狙い始めたばかりの宝物庫がみるみるうちに強化されるのを見て、フーケは歯がみした。
そして、やがて宝物庫はフーケでは、いや、熟練のスクウェアクラスのメイジの集団ですら突破できないであろう領域にまで強化された。
本塔が根本から破壊されたとしても、宝物庫はその四角い密室を保ったまま瓦礫の中でたたずむだろう。
フーケは考える。
この宝物庫を破るにはどうすればいいのか。扉を開ける瞬間を狙えばいいのか?
いや、駄目だ。トライアングルやスクウェアのメイジ達の見守る中を突破するなど不可能だ。
宝物庫の開閉は学院長、教師五人以上及び衛兵五人以上の同伴が学院の規則で取り決められている。
フーケは決断する。今踏みしめているこの壁を破って中の物を盗み出そうと。
方法は考えている。
魔女の雷を使うのだ。
使い魔品評会を数日後に控えたある日の夜。
才人とルイズは月夜の下、二人で広場に居た。
才人は先日ルイズが開発したばかりのコルベール式自転車一型にまたがり、前輪につけられたペダルをこいでいた。
そして、足をとめるとハンドルにすえつけられたブレーキ用の棒を勢いよく引く。
ゴムの摩擦が木でできた車輪の回転を止め、自転車は急停止した。
「どう、ブレーキは?」
「んー、悪くはないんだろうけどなぁ。なんつーか、ちゃっちい」
才人は自転車に新しくつけられたブレーキを眺めながらそう言った。
「ブレーキは自転車の中でも特に重要な部分なんだ。頑丈で強固で確実な作りにしないと、いざというとき大変なことになる」
「馬車は急には止まれないって言うわよ?」
「それは馬車の抱えている欠陥だろー。急停止さえできていれば轢かれず助かった人がきっとたくさんいたはずだ」
「……まあね。馬車で命を落とす人は毎年多くいるわ」
才人は補助輪の外された自転車を降り、ルイズへと引き渡す。
ルイズは既にブレーキをどう改造しようかと思考の波の中で揺られていた。
そんな時、才人はふと感じた巨大な気配に背後を振り返った。
「んなっ!? ちょちょちょちょちょちょ」
「うるさいわね。考え中よ邪魔しないで」
「そんなことしてる場合じゃねー! ルイズ! 後ろ! 後ろ!」
「あによ……」
振り返って、ルイズは驚愕した。
三十メイルはある巨大な土のゴーレムが、巨体をゆらして歩いていたのだ。
才人はそれを指さしてルイズに向かって叫ぶ。
「るるるるるいず、あれなんだ!?」
「ゴーレムよ。あの大きさ、戦略級のスクウェアゴーレムじゃない。何でこんな場所に……」
巨人は真っ直ぐにある方向へと歩いていく。
その先にあるのは、学院の本塔だ。
ルイズは驚きを思考の奥底に押し込め、状況を把握しようと考えを巡らせる。
「スクウェアレベルの土魔法、本塔……学院長室、いえ、宝物庫。まさか土くれのフーケ!」
「土くれって……前言っていた盗賊か?」
「ええ、可能性は高いわ。あの先には、貴重なマジックアイテムとかが収められた宝物庫があるの」
「おいおいおいそれってやばくね?」
「いえ、今の宝物庫はすごい頑丈だからあの大きさのゴーレムでも……」
ルイズがそう言った矢先、巨大なゴーレムは本塔へと辿り着き人を模した腕を広げ、本塔に抱きついた。
ゴーレムは宝物庫のある壁へ腕と胸を押しつけると、その身を土から鋼に変え始めた。
それを見たルイズは、ゴーレムを操るメイジの狙いに思い至った。
「その方法があったか……! まずいわ、あのゴーレム、本塔を壊して『宝物庫ごと』宝を持ち去るつもりよ」
「なんじゃそりゃあ!」
その大胆な発想に、才人は目を白黒させた。
まるでニュースで見た、重機を使ってお金をATMの筐体ごと奪う手法のようだと才人は思った。
ゴーレムの上半身は徐々に鋼に変わっていく。
才人は腰のデルフリンガーを抜いた。
「デルフ、行くぞ!」
「おいおいおい相棒、あんなでかいのぶった切るつもりか」
駆け出そうとする才人に、デルフリンガーは困惑の声を上げた。
当然だ。
あんな巨大なゴーレムに剣一本で立ち向かおうとするなど前代未聞だ。
「下がりなさい、サイト」
そんな才人に、ルイズは冷たく指示を出す。
「いや、でも放っておくわけには……」
「良いから下がりなさい。そんな短い剣でどうあの巨大なゴーレムを斬ろうというの。何事にも相性というのがあるのよ。そう、この場合は剣ではなく魔法よ」
そう言いながらルイズは才人の肩を引いて下がらせ、逆に自らが前に出た。
その端麗な顔に鋭い表情を浮かび上がらせ、ルイズは本塔にしがみつくゴーレムを真っ直ぐ見据える。
「サイト、あなたにはまだ魔法の持つ本当の『力』というものを見せていなかったわね」
振り返らずに、ルイズは背後の才人へと語り始めた。
「ああいう大きなゴーレムを打ち倒す方法は三つ。ゴーレムを操るメイジを直接狙う、同じかそれ以上のゴーレムをぶつける、そしてもう一つ……。ゴーレムを形作っている素材により強力なゴーレム操作の魔法をかけて支配し、自分の物にしてしまう方法よ」
そう言うとルイズは、両の腕を伸ばしゴーレムへと向けた。
この腕こそ、ルイズの持つ魔女の杖だ。
「見せてあげる。わたしの持つ『力』を」
ルーンを唱える。
長く、唄うかのような詠唱。
そしてルイズは腕を横へ払った。
「弾けろ。『ゴーレム生成』!」
破壊の力がゴーレムを支配する。
土でできた太い足の透き間から光が漏れ、鋼でできた上半身に亀裂が入る。
ゴーレムは身を仰け反らせ大きく震え始める。
そして一瞬止まったかと思うと、大きな衝撃とともにその身を四散させた。
轟音が学院を包む。
土煙が広場を覆い、月の光を遮る。
やがて土煙が消え光を取り戻すと、本塔に寄り添っていたゴーレムは跡形もなく消えていた。
あれほどの魔法だったというのに本塔の壁には傷一つ無い。
ルイズは服の埃を払い後ろへと振り向くと、才人に向けてウィンクを飛ばした。
土くれのフーケは、その一部始終を遠くから眺めていた。
想定外の事態。
本来ならば、宝物庫の壁はあのゴーレムごと崩壊していたはずなのだ。
それがなんだ。爆発など無かったかのように本塔は立派にそびえ立っている。
ルイズの魔法が弱すぎたと言うことはないだろう。巨大な鋼のゴーレムを粉塵になるまで破壊し尽くすその力。これで破れぬはずがないのだ。
おそらく彼女の使う魔法は、フーケが想像するよりも遙かに繊細で奥が深い物なのだろう。
ルイズの操る魔法は、自分の盗賊としての格を遙かに超えた代物だ。そう直感したフーケは、歯ぎしりをしながら夜の闇へと姿を消す。
「おのれ、ヴァリエール。あの化け物め!」
使い魔品評会が終わって数日後の夜、ルイズは部屋で一枚の手紙を読んでいた。
「あれ、それ手紙? 知り合いから?」
そこに、風呂上がりの才人が部屋に戻って来、ルイズの眺める便せんに注目した。
「ええ、屋敷にいる姉から。去年までこの学院で一緒に居たんだけれど、卒業してね。手紙でやり取りをしているのよ」
「へえ、姉貴が居るのか。いいなぁそういうの」
才人はそう言いながら、自分のベッドに腰を下ろす。
ルイズはそんな才人を見ながら、手の中にある便せんをひらひらと揺らしてみせた。
「それでね、面白いことが書いてあって……」
「へえ、どんなの?」
「土くれのフーケ、母さまが捕まえたんですって」
「へえ、なるほど……って、ええ!?」
「どうもフーケはわたしがゴーレムを破壊したのをお気に召さなかったみたいで、ヴァリエールの屋敷に忍び込もうとしたみたい。そこを母さまに見つかって、そのまま母さまに直接叩き潰された、と」
「おいおいあんなでかい土の巨人作るやつが一人に負けたって?」
「わたしの母なのよ、あの人は。そう言えば解るでしょう?」
こうして世間を騒がせた土くれのフーケは捕まり姿を消す。
フーケは世の中にルイズ以上の化け物がいることを知らなかったのだ。
―
一巻終了。次からはアルビオン編です。