才人はベッドへ倒れ込んだ。
「うふぃぃぃぃ疲れたー」
柔らかな毛布に身体を投げ出す才人。彼は今、黒い礼服を着ていた。
つい先ほどまでアルヴィーズの食堂で行われていたフリッグの舞踏会、それに参加していたのだ。
「もう踊りたくねー。もー無理。腰痛い」
「ダンスを習い始めてたった五日であれだけ踊れれば上出来ね」
きらびやかなドレスに身を包んだルイズが、部屋の真ん中を区切るように設置された厚手のカーテンを引きながらそう言った。
部屋に設置されたカーテン。これは、若い男女が一緒に住むのならこれくらい用意しなさいとキュルケに言われて先日設置したもの。フォン・ツェルプストーのあの娘は性に奔放に見えて意外と考えているのだ。
ルイズはこのカーテンを主に着替えをするときに用いる。
使用人相手なら着替えを隠すどころかむしろ着替えさせるくらいのものだが、才人は使用人ではなく客人。どこの貴族が客人の前で服を着替えるのかというのがキュルケの弁だ。目の前で服を着替えるのが駄目で、目の前で服を脱いで誘うのは良いと言うキュルケをルイズは理解できなかったが、確かにカーテンは必要だ。
カーテンを引き終わったルイズは、一人でドレスを脱いでいく。学院の使用人を呼んで手伝わせることも出来るのだが、舞踏会が終わったばかりで使用人の手が足りておらず順番待ちになっているので、ルイズはそれを待たずに一人で脱ぐことにしたのだ。
才人とカーテン一枚を隔てて、ドレスを脱ぎ下着姿になるルイズ。
隣で美少女が着替えているという年頃の少年には生唾ものの状況だが、才人はそれに対し特に気にする様子はなかった。
ルイズはあまりにも平然としすぎているのだ。会って数日しか経っていない少年と一緒の部屋に住んでいるというのに、自分のペースを崩さず生活するルイズ。それがあまりにも自然すぎて、才人にはよこしまな気持ちがほとんど浮かんでこないのだ。
自分に姉か妹が居て、同じ部屋で生活していたらこんな感じなのかな、と才人は思う。
さて自分も着替えるか、と服を脱ぎ始める才人。
黒ズボンを脱ごうとしたところで、黒く輝く革製の靴が目に入る。
「いろんな人の足ふんじまったなぁ。怒ってないかな」
「ちゃんと始めにサイトは踊れないと説明したから大丈夫でしょう。ふふふ、それなのに皆にもてもてだったじゃない、サイト」
「それはお前が開始早々皆の前で大演説なんてし始めるからだろ。なんだよあの紹介の仕方」
「見知らぬ国の偉大なる賢人だなんて紹介されたら、わたしも一度は踊ってみたくなるわね」
言葉を交わしながら二人は着替えを続ける。
ルイズは寝間着に。才人は絹製の服へと着替える。才人の服は自己主張を抑えつつもどれもしっかりとした素材で作られていた。ルイズ曰くヴァリエール家の客人を演出するためのものらしい。ちなみに始めに着ていたパーカーやスラックスや靴は、貴重な資料と言うことでルイズに奪われている。
「着替え終わった?」
「ああ、もういいよ。しかしまー、こんなのはあまり無しにして欲しいな。普段通りが一番。異世界初心者平賀さんの答えです」
「しかし、そんなミスタ・ヒラガに残念なお知らせがあります」
カーテンを開けながらルイズはそう才人に言った。
「一週間後、虚無の休日が明けた翌日。使い魔品評会があります。それに向けて頑張りましょう」
何かと忙しい使い魔生活である。
□天才達その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
いつもの夜の風景。
ルイズと才人はテーブルの前に座り、軽く一杯ワインを飲みながら話をする。
「その、使い魔品評会ってのはなんだ?」
「二年生が召喚したばかりの使い魔を学院の皆の前で見せ合う行事よ」
「あー、なるほど。幻獣博覧会か。品評会ってことは使い魔MVPを決めたりするのか」
「そんな卑しいことしないわよ。喚び出して一月じゃ使い魔の調教なんて終わってないから、順位を決めたりするなら自然と喚び出した種族の順列ってことになるわ。使い魔の種族で過度に誇ったりするのは貴族として恥ずかしいことなのよ」
ルイズは才人を召喚したときに「人間を喚び出したのだ」と儀式の場で皆に自慢をしていたことをすっかり忘れ、そんなことを言った。
「特にこの学院では学院長のオールド・オスマンが小さなネズミを使い魔にしていることを皆が知っているから。モートソグニルは優れた使い魔だけど、品評会みたいな場ではそのすごさは解らないわ」
才人はオスマン氏の使い魔を見たことがなかったので、そうか、と軽く生返事をした。
「でも順位をつけないまでも、学院の皆に見られるのは気位の高い貴族には十分な刺激になるの。結果としては皆やる気になって自分の使い魔との交流が進むって寸法ね」
「ルイズはどうなんだよ、やる気」
「わたし? 凄いあるわよ。だからこうやって一週間前に言っているのよ」
「意外だなぁ」
「あのね、サイトはわたしが生まれて初めて成功した魔法の成果と言っていいの。それを皆に自慢したい気持ちくらい、わたしにだってあるわ」
「そんなもんか。しかし皆の前でじろじろ見られるだけじゃなくて何か芸を見せるんだろ? おーい、デルフ、一緒に漫才でもするか?」
サイトは部屋の片隅に向けて声を投げかけた。
すると、壁に立てかけられた古剣の刀身から声が響く。
「おいおい、相棒ぉ。俺は大道芸の道具じゃねーぞ。使うなら人か野獣をぶった切るだけにしてくれ」
「む、駄目か」
「それに使い魔を見せる場で俺なんか出したら、おめーより俺っちのほうが目立って品評会の意味なくなっちまうぞ」
「それはないな」
そんな話をする才人とデルフリンガーを横目に、いつの間にか席を立っていたルイズはタンスの中を漁り始める。
そして、中から一つの服を取りだした。
才人が召喚時に着ていた服。青いパーカーだ。
「あのねサイト。わたしは別にあなたに話芸をさせるつもりはないわよ? 他に喋ることのできる使い魔だっているわけだし。人が喋るのは当たり前だけど、犬が喋るのは衝撃的だわ。それより……」
話しながら、ルイズは畳んであったパーカーを両手で掴んで胸の前で広げてみせる。
「異国の賢人として、その知識を披露して欲しいと思ってるの」
「俺に何か講釈でもしろと? 無理無理」
「そうじゃないわ」
ルイズは椅子へと戻り座ると、才人の前へとパーカーを突きつけた。
「知識と言っても、言葉じゃなくて現物を見せるのよ。例えば、この服と同じ素材の大きな布を作って皆に触ってもらうとか。ねえ、これ何で出来てるの?」
「何って……ナイロン?」
「ナイロンね……ちょっと待って」
ルイズはワイングラスをひっかけないようにパーカーを机の上に置くと立ち上がり、棚から紙と四色ボールペンを取り出す。
四色ボールペンはいつのまにかルイズの所有物になってしまっていた。
「なあルイズ、ボールペン使うのは良いけど、そんなに使っていたらインクなくなるぞ?」
「そうなったら仕組みを調べて複製してみせるわ。さ、それよりナイロンって何?」
ルイズはボールペンを右手に持ち、きらきらと輝いた瞳で才人へと顔を向ける。
「えーと、ナイロンは石油から作るんだ」
「石油?」
「海の底にプランクトン……埃みたいな小さな生き物の死骸が溜まって、それが長年かけて油になるんだ。ナイロンはその油を加工して作る」
「なるほど、石は化石って意味ね。海の底なら確かにスクウェアクラスの水のメイジでもそう簡単に発掘できないわ」
「海の底まで行かなくても、大昔に海の底だった場所を深くまで掘れば見つかるぞ」
「大昔に海の底だった場所?」
「化石が解るなら、魚の化石とかも見つかってんだろ? 陸で海の生き物の化石が見つかったなら、人が生まれるよりずっとずっと大昔はそこに海があったってことだ」
「へえ……あ、ごめんなさい話がずれたわね。この服はその石油から作られているのね?」
「そう。地球ではいろんなものを石油から作っていたんだ。柔らかい鼻紙とか、馬のいらない車の燃料とか。ルイズの持ってるボールペンの外側だって石油から出来てるんだぞ」
才人はそう言いながらルイズの手元を指さす。
「これ? この固いのが油から?」
「そう、プラスチックって言うんだ。固くて軽いから、木材とか金属の代わりに色んなところで使われていた」
「なるほどねぇ……。服も油から、ね。じゃあ石油があればサイトはナイロンを作れる?」
「おいおい、何度も言ったけど俺は職人や学者じゃなくてただの学生だっつーの。無理無理」
才人の返答に、ルイズはむうと唸って名残惜しそうな目でパーカーを眺めた。
未知の材料。未知の精製法。
自分が生きている間にこれ以外のナイロンの服を着ることはきっと出来ないだろう。
「じゃあサイトが実現できそうでハルケギニアになさそうな物。何か考えてよ」
「何か、っていきなり言われてもなぁ……」
急な指令に才人は腕を組んで考え始める。
一分ほど椅子の上で唸っていた才人は、膝を叩いて立ち上がると自分のベッドの前へと進み、ベッド下段の引き出しを開けて中から黒ボールペンを取り出す。
そしてテーブルへと戻ると、ルイズから紙を一枚借りてそこに文字を書き始めた。
思いついた物を箇条書きにしていっているのだろう。ルイズは才人が書く複雑で多様な日本の文字に興味をそそられたが、邪魔をするわけにはいかないと無言でワイングラスに口を付けた。
紙の半分ほどを文字で埋め尽くした頃。
「あ」
ふと才人は何かを思いついたように声をあげた。
「自転車だ」
「自転車?」
才人は思い出していた。学校の授業で使っていた国語の教科書を。
その教科書には、単元の一つとして自転車について書かれた解説文章が載っていたのだ。
自転車のおおよその仕組みから始まり、自転車が生まれ現代の形になるまでの歴史について書かれた教養単元。
車輪が開発され馬車の存在するハルケギニアならば、初歩的な自転車ならば作れるのではないか。そう才人は思ったのだ。
「あ、いや、でも一週間か……」
「サイト、詳しく教えて」
期限の短さに考えを取り下げようとする才人に、ルイズは詰め寄った。
ルイズはこの短い間に才人という人物を理解していた。彼は記憶力が悪い。思い出したときに知識を搾り取らなければ、いつそれを忘れてしまうか解ったものではない。
ルイズに迫られた才人は、とりあえず話してみるだけ話してみようと説明を開始した。
「ええと、そうだな。馬とかを使わず人力で動かす車だ。人力と言っても馬車みたいに人が地面を直接走る訳じゃなくて……」
身振り手振りと下手な絵を交えて才人はルイズに自転車のおおよその仕組みを話す。
車輪を人力で動かす仕組み。それを聞いたルイズはぽつりと呟いた。
「クランク構造ね」
「ハルケギニアにもクランクがあるのか?」
「ええ、こういう車輪を動かすためのものじゃなくて、平民の間で何かを回転させる道具として使われているのだけれど」
ルイズはそう言いながら、才人の書いた絵を眺める。
「でもこれ、二輪で倒れないの?」
「進み続けている間は倒れないよ。ちょっとコイン貸してみ」
そう言われたルイズは、棚の中をあさって才人に新金貨を渡す。
「コインを立てようとしても、普通は倒れる」
才人は金貨をテーブルの上で縦に置こうとする。
だが、金貨は倒れ甲高い音を立てる。
「だけど、動いている間、コインは倒れない」
才人は再びコインを持ち、指でコインに縦回転をかけるとテーブルの上にコインを離した。
すると、コインは倒れることなくよたよたとテーブルに置かれた紙の上を走っていく。
コインはやがて失速していき、再び音を立ててテーブルの上で倒れる。
ルイズは両目を開いて、その様子をじっと眺めていた。
「……凄いわサイトあなた天才よ!」
――凄いのは俺じゃなくて国語の教科書なんだけどなぁ。
才人はそう思いつつもそれを口に出すことはなかった。褒められるのは悪い気がしない。無理にそれを放棄することもないだろう。
ルイズはコインを掴み才人と同じように机の上でそれを走らせると、「よし」とつぶやきボールペンを手にとって何も書かれていない紙に絵を描き始めた。
「何かいてんだ?」
「設計図」
「え、自転車のか」
「そうよ。チェーンは難しくてまだ理解しきれてないから、直接車輪を回す方のやつね」
そしてルイズは才人へ質問を投げながら、紙にペンを走らせる。
いつの間にかテーブルの上には定規などの製図道具が置かれており、ルイズは紙の上に正確な線を引いていった。
才人の書いた絵と口頭の説明からルイズは確実に自転車を紙の上で構築していく。
先ほどルイズが才人にそう言ったのとは逆に、才人はルイズを天才なのではないかと思った。
やがて、ルイズのペンを動かす手を止める。
タイヤを直接クランクペダルで回して走る、原始的な自転車の簡略図が紙の上に出来上がっていた。
細かく文字と寸法が書込まれ、素材の指定までされている。
最近文字を習い始めた才人はそれを見て、ふと現実に引き戻された。
「絶対一週間じゃそれ作れねえって。骨組みを木材から切り出すだけで終わっちまう」
「魔法があるわ」
「いや、魔法じゃ細かい物を加工するのは難しいって太ったおばさん先生が言ってただろ。魔法を使った工事も、最後は平民の職人達の技術力が物を言うって」
意外と授業の内容を聞いている才人。
だが、ルイズは才人の言葉に全く動じた様子を見せない。
「大丈夫よ」
口の端に笑みを浮かべながらルイズは自信たっぷりに言った。
「この学院には天才が居るの」
―
あとがき:なんだかもうルイズ様と才人の掛け合いを書くだけでストーリーは進めなくていい気がしてきました。いやそれじゃあかっこいいるいずさまとしての出番が無いんですけどね。
とりあえず正月休みの中にアルビオン編直前まで思いつきの短編連作で書いてそこからペースダウンする予定です。ネタを出し切らないと眠る直前まで頭の中が書きたいネタで埋まってしまって……。
今回の参考資料:学生時代に読んだ国語の教科書。何年か前に見た新製陸舟車復刻のテレビ番組。