ルイズは才人に詰め寄り、左の手首を両手で掴み顔をまじまじと近づけた。
不意に近づいてきたルイズの顔、ふわりと舞った髪と共に漂ってきた香水の香りに、才人の心臓は鼓動を速めた。
「えと……、あ、これもいいけど授業は行かなくていいのか」
「それよりももっとそのルーン見せて。何かを思い出しそうなのよ」
才人の左手を上下に振り、様々な角度からルーンを眺めるルイズ。
そして才人の右手から鉈を奪い取り、今度は左手に持たせる。
その一連の動作で左手のルーンが点滅した。
「ああーもうー! 何なのよ一体ー!」
才人の左手を解放したルイズは、突然頭を掻きむしり始めた。
「お、おい?」
「何で調べたいことが一度にこんなにやってくるのよもーっ!」
晴天の空に向かってルイズは絶叫する。
それはルイズの「嬉しい悲鳴」であった。
□三人の魔女その6~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
結局、ルイズはサボらず授業に出席した。
サボる気満々ではあったのだが、鉈片手に才人を引っ張っているところをキュルケとタバサに見つかり、教室へと連行されたのだ。
授業の最中もずっとそわそわし続けるルイズ。
それを見た周りの生徒達は、ルイズが何かをしでかすのではないかと気が気でなかった。
授業が終わると、ルイズは才人の手を引き寮の自室へと走っていく。
無事何事もなく授業を終えられた生徒達は胸をなで下ろし、そして始祖ブリミルに祈った。
あのヴァリエール家の客人が無事に明日を迎えられますように。
彼を魔女の魔の手から救い出そうとする勇者は当然のことながら誰もいなかった。
寮の部屋に戻ったルイズは、才人を椅子に座らせると、クローゼットの中をあさり始める。
そして、中から使い古された革の鞘に収められた短剣を取り出した。
魔法の杖を誇りとする貴族のメイジが精神力の通らぬただの刃物を持つことは、美しくないことだと言われる。
だがルイズは、例えメイジでも刃物は野外で必要な道具だと考える。
彼女は見聞を広めるため、ハルケギニア中を練り歩く。村など無い未開の地で野営をすることなどいつものことだ。
その最中、この短剣は非常に役に立つのだ。「武器」としてではない。「道具」としてだ。
そんな様々な「道具」がクローゼットの中に詰め込まれている。ルイズは他にも小振りのナイフも取り出した。
さらに、勉強道具が入った部屋の棚の中から豪華な彫刻が彫られたペーパーナイフを取り出し、机の上にそれらを並べた。
ルイズはそれらを順に才人に持たせると、ふむと一人納得して部屋の壁に置かれた大きな本棚の前に向かう。
そして、ものすごい勢いで本棚をあさり始めた。速読を覚えるルイズがさらに本を「流し読み」し、本棚の本を消化していく。だらしのないことに読み終わった本は床の上に投げ出されていた。
ひとしきり本を読み終わると、今度は紙の束が積まれた棚の前へ行き、先ほどと同じように紙の束を高速で読み始めた。
ときどきルイズの手が止まり、何かをぶつぶつつぶやいたり、本棚と棚の間をうろうろ歩いたりする。
その間、才人はずっと放置され続けていた。
やがて陽が傾き初め、夕食をしらせる鐘の音が部屋まで届いた。
「お腹がすいたんだけど……」
そういう才人に、勝手に行ってきなさいもう席に座って食べてもいいから、と目の前のノートから視線すら外さずにルイズは返した。
才人は何なんだ一体とあきれながら部屋を後にし、部屋の中が静寂に包まれた。
やがて陽は落ち、薄暗い部屋の中で紙をめくる音だけが響いていった。
ルイズがそろそろランプを照らすかと本を閉じ指をならそうとすると、ノックの音が響き部屋の扉が開く音が聞こえた。
才人が帰ってきたか、そう思い扉へと振り向く。
「うわ暗っ。はあーい、ルイズ、また晩ご飯食べてないだろうから食事持ってきてあげたわよ」
「……お話、聞きに来た」
才人をお供に引き連れたキュルケとタバサが、まるで我が家であるかのように部屋の中に踏み込んできた。
才人が机の上の紙に、ペンを走らせる。
才人が持つのはルイズがいつもつかっているような羽ペンではなく、彼の世界では『四色ボールペン』と呼ばれるハルケギニアには存在しない貴重なペンだ。才人がハルケギニアに持ち込んだ荷物の中にはこのような小物がいくつか混じっていた。
紙の上に書かれていくのは、一筆書きの絵。
才人は地球の世界地図を描いていた。
「俺あんま地理得意じゃないからそんなに正確じゃないけど……」
そう言いながらも、それなりに形になった大雑把な世界地図が紙の上で完成した。
日本を中心とし、その左に巨大なユーラシア大陸、右には太平洋をまたいでアメリカ大陸。ハルケギニアに相当するヨーロッパの下にはアフリカ大陸、そして日本の下の適当な位置にオーストラリア大陸が描かれていた。
「うーん、やっぱり微妙だな。形とかかなり適当だ」
「いえ、十分よ。もしチキュウが本当にハルケギニアの並行世界だとして、この地図がハルケギニアの地理と一致するなら、この紙一枚が無数の宝石に彩られた国宝に匹敵するわ」
聖地を越えた東方の領域は前人未踏の地。
『世界地図』などというものはハルケギニアには存在しない。
「……これ、ハルケギニア?」
先ほどルイズから才人は異世界から来たと説明されていたタバサは、才人の描いた世界地図の小さな一角を指していった。
「ああ、ヨーロッパって言われてる」
「小さい……」
「チキュウでは、世界にどんな陸があるか全て解ってるのかしら。この地図で全部?」
タバサに続いてキュルケが才人に疑問を投げかける。
「ああ、空のずっとずっと高いところから世界を見下ろせるから、全て解ってるよ」
「世界の果てには何があるの?」
今度はルイズだ。相変わらずメモの手は止まらない。しかも、いつの間にか羽ペンではなくボールペンを使っていた。
世界の果て、と聞いて才人は軽く笑った。
そうか、そうだよな。世界が丸いなんて想像できるはずがないよな。ガリレオは偉大だ。
「実は地球の正しい姿はこうじゃないんだ。地球はもっとこう……」
そう言いながら紙を持ち上げる才人。
彼は紙の端を掴むと、国宝級の紙を丸めて四つの角を一箇所に合わせた。
「球体。それが俺の世界、地球の正しい姿だ」
「待って、待ってサイト!」
そんな才人に静止の声を上げるルイズ。
説明が唐突すぎたか? そう後悔する才人を尻目に、少女三人は何かを話し始めた。
「ねえ、今……」
「……急に変わった」
「やっぱりそうよね……」
「……わたしもそう聞こえたわ」
二人と会話し何かの確認を取るルイズ。
そして、ルイズは才人の方へ向き直った。
「ねえサイト、あなたの世界の名前、もう一度言ってみて」
「え、地球だろ?」
「チキュウじゃないの?」
「いや、だから地球だって」
ルイズは再びキュルケとタバサの方を見る。
二人はルイズに小さく頷きを返した。
「あのね、サイト。わたし、いえわたし達にはあなたの世界の名前が二通りの響きで聞こえるの」
「は? どういうことだ?」
「チキュウと地球。そう聞こえるの」
「いや、だから地球だろ?」
「そうじゃないのよ。えーと……そうだわ」
ルイズは新しい紙を一枚机の上に載せると、手に持ったボールペンを紙の上で走らせる。
「こっちがチキュウ」
ルイズはハルケギニアの共通語の文字を書いた。
C H I K Y U .
「そしてこっちが地球」
Earth sphere .
「……全然違う文字だな」
「文字だけじゃなくて、発音も違うように聞こえているわよ」
ルイズは生き生きとした顔で、サイトに言う。
「ねえ、サイト。昨日、わたしが契約のキスをするまでにわたし達が喋っていた言葉、理解できていたかしら」
「召喚されたばっかりのときのことか? えーと……うん、何て言ってるか解ってた。教室の時みたいに魔女がどうこうって言われていた」
「ということは、『サモン・サーヴァント』にただの動物の使い魔が知恵を持つ秘密が隠れていそうね。うふふふふ……」
ルイズは思わぬ発見に、笑いを止められなくなった。
「あは、サイト。あなたの喋っている言葉、あなたがどうその単語を認識しているかによって、きっとわたし達に伝わる意味は変わるわ。わたしとあなたはきっと言語で会話をしているのではないわ。意思で言葉を交わしているのよ」
ルイズは指で才人の左胸を軽くつついた。
「話がそれたわね」
ルイズはひとしきり喜んだ後、椅子に深く座り直して咳払いを一つした。
「で、サイト。世界がなんで地球なんて呼ばれているか、説明の続きをお願いできるかしら」
「え、ああ、そうだったな……」
ルイズにうながされ、才人は再び世界地図を手に取った。
「世界はこうなっている。つまり、平らじゃなくて、丸い。地球だ」
才人は地図を丸めながらそう言った。
紙で作った粗末な地球儀。だが、地球について説明するにはこれが一番だと才人は自信を持っていた。
そんな才人に、ルイズ達が言葉を口にし始める。
「地球はボールなのね?」
「ああ、そうだ」
「ハルケギニアもそうなのかしら?」
「ああ、ちゃんと月があるし間違いないと思うぞ」
「……下にいる人は落ちない?」
「ああ、大地に足をつけてしっかり生活してる」
一人一つずつの質問。
あれ、意外と反応が薄いな、と才人が思った瞬間だった。
「なんじゃそりゃあああああ!」
「うっそぉ!?」
「…………!?」
三人の驚愕が広い室内を揺るがした。