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No.5421の一覧
[0] イ吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:21)
[1] 吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:22)
[2] い魔[ドジスン](2008/12/21 23:24)
[3] おまけ[ドジスン](2008/12/21 23:32)
[4] おまけ2[ドジスン](2008/12/21 23:33)
[5] おまけ3[ドジスン](2008/12/21 23:35)
[6] おまけ4[ドジスン](2008/12/21 23:38)
[7] おまけ5[ドジスン](2009/01/01 23:48)
[8] おまけX(本編ではなく、ネタバレを含みます)[ドジスン](2008/12/21 23:44)
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[5421] イ吏い魔
Name: ドジスン◆bcd22b31 ID:31a83a6e 次を表示する
Date: 2008/12/21 23:21




 ルイズが死んだ。

 トリステイン魔法学院恒例、〝春の使い魔召喚の儀式〟に最悪のケチがついた。そもそも教師立会いのもとで行われる儀式に、滅多なことで危険などあるはずもない。誰もが滞りなく、それぞれの適性に見合った使い魔を召喚した。例外は学院随一の劣等生ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだけだ。名門ヴァリエール家の裔ながら魔法の才能に致命的に恵まれなかった彼女は、ほとんどの生徒が召喚を終えたあとで、ようやく「サモン・サーヴァント」の呪文を成功させた。
 この時点で彼女をよく知る生徒たちは驚愕した。ルイズ。「ゼロ」のルイズ。あのコモンマジックさえ成功したためしがないド・ラ・ヴァリエールの末娘が、とうとう魔法を使った。
 やりやがった。でもなんか嫌な予感しない? 天変地異の前触れじゃないか……。
 さざなみ走る生徒たちの動揺を目線で抑え、担当教官のコルベールはどこか自分でも目前の光景を信じ切れていない様子のルイズを促した。草原をくり貫く人垣の環の中で、輝くゲートに少女の眼差しが注がれる。期待に溢れた瞳は、しかしすぐに曇ることになった。
 ゲートを通って現れたのは人間だったのだ。
 何の変哲もない少年。変わっているところといえばその格好と、ハルケギニアではあまり見かけない黒髪黒目の容貌くらいのもの。奇異ではあるが、平凡だ。わけもわからない様子で右往左往する彼は、明らかに尊い血を持つメイジではない。平民だ。
 前代未聞にして恐らく絶後であろう召喚対象。この時点で周囲の生徒達にしてみれば最高のネタだった。やっぱりあいつはルイズだ。今回もやらかしてくれた。いやあ笑った笑った。でもあれどうすんだ。え、ほんとに契約すんの? 平民と?
 ルイズ・フランソワーズも同じ思いでコルベールに儀式のやり直しを訴えた。
 コルベール先生の返答はすげもなかった。否である。「だいたいここまで何回失敗したと思ってんだ。授業押してるんだよ。次成功する保証もないし、とにかく契約したまえミス・ヴァリエール」というくらいのものだった。
 しぶしぶ、ルイズはルーンを刻むための粘膜接触を試みた。召喚された少年はされるがままである。左手にコントラクト・サーヴァントの証であるルーンが浮かび上がるのを見て、ひそかにコルベールは安堵した。こちらもひょっとすれば成功するまでちゅっちゅちゅっちゅと何度もガキどものキスシーンを見せられる羽目になったかもしれなかったのだ。男やもめの彼には酷な仕打ちである。刻印の熱に苦しみ悶える少年を見下ろすコルベールの目は平坦だ。そして事件はその直後に起きた。

 ルイズが吐血した。

 喀血かもしれない。どちらもかもしれない。実際は複雑な顔で使い魔を眺めていた彼女の鼻から一筋の血が落ちたのが先触れだったが、誰もそれに気づいていなかった。彼女自身もだ。ただのたうちまわる少年に向けて口を開いた瞬間、冗談のような量の血が飛び出して大地の草を黒く紅く染め上げた。
 はやし立てていた生徒たちの声が水を打ったように静まった。
 ルイズは跳ねて手と足を汚した血を見て、アンバランスなほどひそかに眉をひそめた。

「え? なにこれ。血?」

 そしてもう一度血を吐いた。ごぼごぼ、と口元を押さえた指の隙間からどす黒い血があふれ出す。パニックに陥る暇もなく、ルイズは白目をむいて膝を折る。がくがくと肩を震わせ、けほっ、とまた血を吐く。右手をお腹に添え、額を地面にぶつけて一言、

「痛い。いたい……」

 それが最期の言葉になった。ルイズの口は呼吸を止め、瞳は閉じられ、心臓も脈を止めた。桃色の長い髪が血だまりに沈んで薄汚れていくのを誰もが呆然と見守っていた。
 いや、一人だけ例外はいる。
 今しがたルイズにキスされた使い魔の少年である。
 彼は全身がこむら返りを起こした挙句両手の爪を順番に引き剥がされてそこに画鋲を刺された場合とトントンの痛みを味わい、はたからみるとウケを狙ってるとしか思えない面白い動きで痙攣していた。左手の甲から駆け巡る感覚たるや、彼が今まで生きてきた全ての痛みを結集してドモホルンリ○クルの抽出方式みたいにじっくり熟成してもこうはならないであろうという痛さであった。
 でも誰も見てなかった。彼の目も誰も捉えていない。そんな余裕はない。
 色を失ったコルベールはぐったりとしたルイズの体を持ち上げ、生徒たちに解散を命じるとすぐさま学院へ飛んだ。ある意味問題児とはいえルイズは栄えあるヴァリエール家の娘。彼女になにかあれば学院も沙汰なしで済むかどうかわからない。何より目の前で失われていく命を見過ごすことが、コルベールには耐え難い。彼は自分でもよくわからないほど必死になって、学院にいる水属性メイジの名手を片っ端から捕まえた。

「ミス・ヴァリエールをどうか!」

 ヴァリエール家令嬢に対する治療は総力を尽くして行われた。無駄だった。ルイズは結局息を吹き返すことなく、二時間後にオスマン学院長によって彼女の死が宣告された。後には物言わぬうら若い少女の亡骸と、公爵家に対する言い訳を考えて頭を抱える教師と、ひたすらにあたら散った命を悼むもの、そして白昼夢のような沈黙に覆われた生徒たちが残った。
 召喚された使い魔こと平賀才人は、誰からも忘れられて、いまだに草原にいた。
 痛みは峠を越えたが左手はまだじんじんと疼いている。放心状態でも痛覚はここが現実であると彼に教えている。草葉に凝固しつつある血痕を見るともなしに見ながら才人は呆然と呟く。

「どこだよここ」

 誰も答えられないし、答えるべきご主人さまはもう死んでいる。



 000 マギカ・スカパラダイス・オーケストラ 前編 000



「どうしたもんかのう」

 白髯を撫で付けて、オールド・オスマン学院長は悩ましげに呟く。マジでどうしようという心境であった。これまでに学院生徒に死者を出したためしがないわけではない。しかしトリステインでも一ニを争う大貴族の身内が血をブチ撒けて死んだなどという猟奇事件のためしは皆無だ。
 こうなると事態は公爵家と学院だけの問題に留まらない。教育態勢そのものの見直しが叫ばれる可能性は充分にある。
 貴族にとって子弟とはそれほどに重い。情云々ではなく、ただ存在するだけで家の資産なのである。もちろん相続争いの危険性を抱えた家や、また食い詰め貴族にとってはいるだけで邪魔な場合もあるし、そんな生徒だっていないことはない。だがその場合は学院としても内々に彼らの「怪死」を処理するし、何よりルイズはそうではない。彼女は成績こそ振るわなかったが、魔法以外の面ではまったく名門に相応しい子女だったのだ。

「若いモンばかり、先に逝ってしまう……なあ、モートソグニル」

 鼠の使い魔をそっと撫でて、オスマンは気分を切り替えた。感傷の時間は終わり。ここからは組織の長として現実的に行動せねばならない。

「いかがなさいますか、学院長」

 泡を食う教師陣をよそに、平静を保って指示を仰いだのはミス・ロングビル。学院長が適当に町でひっかけてきた秘書である。しかしその美しい見た目とは裏腹に胆力は意外なほどあるようで、降って湧いた生徒の死に対面しても動揺はないようだった。あるいは、完全に他人事だと割り切っているのだろう。

「そうじゃな。まずは死因じゃが。これは一応病死ってことになるのかの」
「ほかに考えられないでしょう。件の生徒は矜持が篤く、しかし実力が追いついていなかったとのことです。周囲にそうと気づかせなかっただけで、相当な心労がかさんでいたのではないでしょうか」
「ふむ。悪くはない」

 ストレス性胃炎転じて胃潰瘍高じて胃穿孔により死亡。
 というケースがハルケギニアではっきり成立しているわけではないが、悩みまくると毛が抜けたり腹にキたりするということはよく知られている。その末に血を吐いて死んだ人間も相当数いた。主に宮中に。
 とにかく、使い魔召喚の儀式自体に問題があるなどと勘ぐられてはことである。オスマンは一個の教育人であった。老いてなお青少年を育成しようという気概も志も萎えてはいない。魔法学院の縮小や、取り潰しなどという憂き目だけは絶対に避けなくてはならない。言い方は悪いが、不慮の死のひとつにトリステイン魔法学校の鼎、その軽重が問われるようなことはあってはならないのだ。オスマンは重々しく頷いた。

「では公爵家に使いを」
「すでに手配済みですわ、学院長」ロングビルは折り目正しく一礼した。

  000

 一時的混乱による静寂から回復すると、学院は怒涛のような噂話が飛び交う場所となった。学生なんて基本的に無責任で不謹慎な生き物である。とりあえずショックから友達同士で泣きまくる少女たちがいれば、青ざめた中にも興奮をたたえてあれゼッテー死んでるよだって血ィ超ドッバー出てたもんと吹聴する少年たちもいた。
『微熱』のキュルケことキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは常よりも生彩と色気を欠いた顔で寮から中庭を望む回廊を歩いている。背後をぺったんぺったんとついてくる召喚したばかりの使い魔フレイムにも目もくれず、頭の中ではワンフレーズが連続再生されていた。
 ルイズが死んだ…ルイズが死んだ……ゼロのルイズ、ヴァリエールの娘が死んだ……死んじゃった……嘘みたいだろこれ。ぺったんこな胸してるけど、死んでるんだぜ……?
 今しがた教官のコルベールにその事実を確認してきたところだった。寝台に横たわりぴくりとも動かなくなったルイズ・フランソワーズの顔さえ見た。だが人の死に慣れぬ若者がだいたいそうであるように、彼女のなかでその死はまだ処理しきれていない。

「参ったわね。ルイズ。こんな簡単に死んじゃうなんて。ヴァリエールの名折れじゃないの……」

 ツェルプストーとヴァリエールは仇敵とも言える家柄である。事実普段のキュルケとルイズは犬猿の仲でもあった。それだけに片割れが突然いなくなった衝撃は、学院の誰よりキュルケにとって重い。
 好きだったわけじゃない。
 侮っていたことも否めない。
 けれど、魔法が使えず誰からもからかわれていながら決してめげずにいたルイズを、キュルケは嫌いじゃなかった。キュルケが彼女と同じ境遇だったら、きっと魔法学院になんて来ようとも思わなかっただろう。
 魔法ない男いない胸ない。確かに嫌いじゃないけど――キュルケはぞっとする。立場入れ替わったらあたし死んじゃうかもしれない。そしてルイズは死んでいた。死因は胃らしい。あーやっぱりねという感じであった。
 そういう意味でルイズは尊敬に値する。時代とともに今ではすっかり意味が変わってしまったが、さすがはヴァリエール公爵家、貴族のなんたるかを知っているというわけだ。そんなふうにさえ思っていた。もちろんルイズの場合は、そうでもして支え棒がなければ押しつぶされてしまうという側面もあったのだろうけれど。
 長身に波打つ赤毛。豊かな乳房の谷間を強調しながらも、キュルケは切なげにため息を吐いた。願わくは、あのルイズの魂に始祖プリミルの加護のあらんことを。お願いだから化けては出ないでね。
 初春の空は蒼い。無窮の天よ天、どうしてそうまで青を誇る。キュルケは涙は流さなかったが心で哭いた。完。
 とはならなかった。キュルケは中庭でなにやら不穏な気配を察知する。
 生徒のほとんどは自習となった教室でルイズについて話すか、偶然の休講を喜んで食堂で適当に時間を潰しているはずだ。いったいなにかしら。キュルケは持ち前の好奇心を発揮して交わされる会話の方向へと歩き出す。

「あの、だからここどこですか」
「えっと、ですからトリステイン魔法学院です。貴族さまが魔法を学ばれるところで……」
「いやだからさ、そのトリステインって何? 地図で言うとどこの国?」
「地図ですか? ハルケギニアの……ごめんなさい。わたし学がなくってよくわかりません」

 男と女。すわ修羅場かとキュルケはにんまりしかける。キテレツな格好の男が、学院で何度か見かけたことのある給仕の娘に詰め寄っていた。男のほうは見ない顔ね。田舎から幼馴染を追いかけてきたってところ?
 違うようだった。メイドは困惑しており、少年はそれ以上に混乱している。雰囲気は初対面のそれだ。ついでにキュルケの経験上、少年の顔は酔って前後不覚になった次の日の朝ベッドで目覚めた妻子もち男にそっくりだった。その心境を意訳するとこうなる。
 はわわ。そして少年はまさにはわわであった。

「すみません、仕事がありますので……あの、お困りのようでしたら誰か他の方にお取次ぎしましょうか」
「いや、いい。ありがとう。……マホウ? マホウって魔法? マジかよ。そういえばさっきみんな飛んでたような、でもなんでいきなりこんなところに……いやいや夢だろこれ。ていうかまだ手いてえ!」

 そそくさと離れていくメイドをよそに少年はうろうろとあたりを歩き回り、頭を抱え、しまいにはどすんと地面に倒れこんでうがーと叫んだ。なにあれなんか面白い生き物ね。キュルケは物珍しさも手伝い接触を試みた。

「ちょっとそこなあなた。なにかお困りのようね」
「うわパンツが喋った!」

 がばっと起き上がり、少年は緊迫した顔でキュルケの姿を認める。まず彼女の胸に目が行きそれから顔を見、最後にスカートから伸びる褐色の脚を見る。
 少年は仕切りなおすように寝転んで位置を調整しはじめた。

「欲望に素直な平民ねえあなた。嫌いじゃないけど」出血大サービス精神を発揮して、顔の真横で屈んで見せる。
「うう、それでも隠そうともしないアンタに軽く礼拝したいけど今は前かがみで勘弁してください。ところで平民ってなんだ?」
「あら? あなた平民じゃないの。メイジ?」
「メイジってなんだ?」
「……」
「……」

 キュルケは思った。参ったなあコイツひょっとして頭おかしい系かしら。一応通報したほうがいいの? でも無害そうではあるのよね。さてどうしようかしら。
 敏感にその感情を読み取ったのか、少年はこほんと咳払いすると体を起こし、気持ち前傾姿勢でキュルケに向かい合う。それから質問があるんですがと低い声で切り出した。

「え、エエ。わたしに答えられることならどうゾ?」
「ここがまほー学院とかっていうのはマジ?」
「マジ」
「それはつまり何をするところ?」
「魔法学院で魔法以外の何を学ぶっていうのよ」
「人生の厳しさとか」
「それは人生の基本カリキュラムじゃない?」

 意外と生々しい人生観を持つキュルケである。

「オーケー落ち着け。まだ慌てる時間じゃない。次の質問だ。この国の名前…なんだっけ?」
「トリステイン。ちなみにわたしはゲルマニアの女よ」

 キュルケを見つめる黒い瞳にかすかに希望が宿った。

「ドイツの人か! イヒリーベディッヒ!」
「いやだからゲルマニア人だって」

 輝いた目が即座にしなびる。

「えっと、じゃあプロイセンとか神聖ローマ帝国とかそういう方向?」
「ロマリアじゃないわよ。新興だけど、まさかゲルマニアを知らないなんて言う気じゃないでしょうね。ハルケギニアでいまもっとも勢いのある国家よ?」

 少年は空笑いで答えた。とりあえずキュルケも笑った。
 少年は両手を地面について慟哭した。

「なんじゃそりゃァあああああぁッ!!」
「うるさいわね」

 耳を塞いで顔をしかめたキュルケは、少年の左手に見える青黒い痣のようなものを目に留めた。
 似たようなものをつい最近見た覚えがある。
 使い魔のルーンだ。自分のフレイムとは形状が違うが確かに似てる。
 息を詰めてキュルケは思考に没頭した。でもなんで人間にルーンが? ん。人間にルーン人間にルーン。なんだかこれも聞き覚えのあるフレーズじゃない。そういえばあの可愛そうなルイズは召喚の儀式の最中に死んでしまったのだっけ。何度も何度もサモンサーヴァントに失敗して、ようやく成功したと思ったらそれが平民で、……平民?
 今度はキュルケが叫ぶ番だった。

「あー! ああ、あなた!」
「うるせえなあ。なんだよ」

 捨て鉢な少年の襟首をつかむ。

「あなたでしょ! ルイズが召喚した平民って!」
「ルイズぅ?」

 誰それと少年は言う。キュルケは一瞬拍子抜けする。だが、すぐに思いなおした。コントラクト・サーヴァントの直後にルイズは倒れたのだ。名乗る時間があったとは思えない。

「知ってるはずよ。ちょっと色合い的にどうかなって思う桃色の長髪の女の子。胸の厚さに反比例して態度がでかくて釘宮声の娘よ!」
「あー。いたようないないような。それがなんだよ」
「なんだよって、あなたの主人でしょう? ルイズがあなたをこの魔法学院に呼んだのよ、使い魔として!」

 なにぃと少年の顔が歪んだ。

「そいつが主犯か。黒幕か。一体何が目的で人をこんな、こんな……ああわかんねーけど、こんなところに!」
「だから使い魔として使役するためにだってば」
「使い魔ってなんだよ」

 仏頂面の少年の無知に、キュルケはほとほと呆れる。弟がいたらこんな感じかしらねと思いつつ、フレイムを呼び寄せ、火竜山脈仕込みの勇壮な体を少年に示した。

「こういうのよ。この子はフレイム。本来は人間なんて使い魔になるものじゃないんだけどね。まあ、なんてったってゼロのルイズだから……」
「ななな、なんだよそいつ。燃えてないか。っていうか熱っちィ! うおお擦り寄ってくるんじゃねえ! キモい!」

 フレイムをけしかけてやると、少年は思い切りびびっていた。キュルケは暖かい目で使い魔同士の交友を見つめる。

「だからあなたも使い魔なの。……まあ、今となってはそれも過去形か。どうやらよっぽどの田舎から呼び出されちゃったみたいだけど……災難の上に無駄足だなんて、ホント散々ねあなた。言い換えるとトホホね」
「いいからこいつどけてくれよ!」
「あらゴメンなさい」

 ようやくマウントポジションから介抱された少年は疲労困憊という表情だった。そういえば会話の途中でも何度か左手のルーンをさすっていた。

「そのルーン、まだ痛むの?」
「ルーン? ああこれか。こんなのまで勝手にくっつけやがったんだな、そのルイズとかってやつ。見つけたらただじゃおかねえ」

 変ね、とキュルケは呟いた。ルーンを刻む際には確かに痛みや熱がともなうらしいが、それは一過性のものであるはずだ。フレイムも最初は暴れたが今ではすっかり大人しいものである。
 ひょっとしたらルイズが死んでしまったことに関係あるかもしれない。そうなら哀れなことだ。だがキュルケにはどうすることもできない。
 あれ、だけど……。
 不意にキュルケの胸に引っかかるものがあったが、彼女はまず少年の誤解をとくことを優先した。

「あいにくだけど、ルイズに会ってもどうにもできないわよ」

 少年は剣呑な目つきでキュルケを睨んできた。

「あ? なんでだよ。貴族だとか魔法使いとかそんなの関係ないぞ。ここ、怖くなんかないからな。こちとら日本人だ。いいか、日本国憲法には基本的人権の尊重というものがあってだなぁー」
「ニホン? 聞いたことない国ね。どっちにしろ国外じゃ法律なんてどうしようもないわよ。それにそういうことじゃないの、あたしが言ってるのは。あなたがどんなに頑張っても、ルイズをとっちめるなんてことはもうできないのよ」
「……どういう意味だ」

 キュルケはここまで来て迷う。
 真実を自分の口から彼に告げるべきか否か。
 先送りできる問題ではない。だがそれを他人に対して口にすること、それ自体が、キュルケの中で特異な意味合いを持っていた。
 だがキュルケ・フォン・ツェルプストーは即断の女。憂鬱を流し目に乗せて、戸惑う少年にもはっきりと言ってのけた。

「あなたのご主人さまはね、もう死んでしまったからよ」
「え」

 硬直する少年をよそに、キュルケの内部でようやくルイズの死が消化される。ルイズ・ラ・ヴァリエール。隣人であり宿敵であった貴女。あなたの死を経て、わたしは成長するわ。あなたのことは忘れない。たぶん三年くらい。もしかしたら一年。うーん、とにかくまあ、先週別れたベリッソンよりは覚えておくと思う。
 大人の階段上るキュルケの肩を、そのとき杖が叩く。
 振り返った先には寡黙な瞳が待っていた。

「あら。タバサじゃない」

『雪風』のタバサはこくりと頷く。属性も性格も放課後電磁クラブのS極とN極くらい離れている二人だが、だからなのかなのになのか、一度の喧嘩を経てからはしごく良い友人関係を築き上げている。

「てっきり図書室で本でも読んでいるかと思ったけど、なにか用?」

 タバサは首を傾げる。肯定でも否定でもない。あなたにではない、という意味だろう。では誰に用なのか?
 二人の視線は固まったままの少年へ向かう。タバサは彼の左手に刻まれたルーンを確認すると、改めて頷いた。

「呼んでる」

  000

 まず胸がない。そして血の気がない。脈は当然ないし、体温も今ではどんどん下がっている。そして胸がない。死顔はとても安らかとはいえない。だいたい普段、自意識を保った人間の顔というものは表情筋によってかなり維持されているものだ。そうした力の一切がなくなるとどうなるか。
 こうなる。
 生前は大した美少女だったのだろうと思わせる顔も、死ねば死人の顔になる。
 切なくも悲しい万物の摂理だ。あと胸がない。
 老いるくらいならば死にたいと、キュルケは常々思っていた。だが今ならその宗旨を改めてもいい。美しく老いる。美しい死体になる、なんて目標よりはずっと健全だ。

「彼女がルイズよ」

 まんじりともせず黙して寝台の元ルイズを見つめる少年の背に言ってやる。ぴくりと肩が震えた。
 救護室は静かだった。キュルケ、タバサ、コルベール、そして少年が、室内で生きているにもかかわらず。
 物言わぬひとつの死体が、言葉を奪う。
 死とはそれほど圧倒的だ。少なくとも日常ではそうだ。
 タバサはいつも通りであり、コルベールは沈痛ながらも哀悼以上の異変は見受けられない。
 しかしルイズの死を一度受け止めたキュルケでも、やはり見知った人間の死体を前にすれば萎縮する。少年に至っては、驚きもあるのだろうが、それ以上に途方に暮れているようにも見えた。
 それはそうでしょうね。キュルケは同情を禁じえない。死人を謗るのはどうかとも思うが、これはあまりにルイズが無責任だ。どうせ逝ってしまうのならば、使い魔など召喚しなければよかった。
 メイジと使い魔は一心同体。それは主人がしもべに対してあらゆる責任を負うことに繋がる。ゼロはやはりゼロだったのだと……少年が平民でさえなければ、苦言を呈されてもしかたない。

「君についてだが」

 沈黙を打ち破ったのはコルベールだった。少年の反応は芳しくない。彼の目を横から盗み見て、おやとキュルケは思う。ショックを受けている様子ではない。ただ焦点がどこかに行ってしまっていた。

「召喚者であるミス・ヴァリエールが鬼籍に入った以上、平民とはいえ一個の人間である君を拘束する必要はなくなった。君にしてみればとんだ迷惑だったろうが、故郷までの路銀くらいは用意できると思う。無論、返す必要はない」

 そんなところだろう。妥当な処置だ。とりあえず学院に彼を置いておくという選択肢はない。キュルケでもそう判断する。
 何しろタイミングがまずい。コントラクト・サーヴァントの直後にルイズは死んだのだ。これでは使い魔がなにかして、それを学院が隠しているのだと勘ぐられてもしようがない。
 結果的に、ルイズのサモン・サーヴァントは成功せず、急病で彼女は身まかった。ここにいる平民は『偶然』迷い込んだだけ。カバーストーリーとしてはそんなところだろう。人間を召喚した前例がないのだから、ある意味現実よりももっともらしい。そしてそう仕立てることで、学院は痛くもないハラを公爵家に探られずに済む。
 何しろ『ゼロ』のルイズは高名だ。ラ・ヴァリエールの瑕疵とまで言われた娘なのだから、彼女が心痛を病み憤死したといっても、自殺を勘ぐりこそすれ使い魔の存在を疑う者はいまい。素性の知れない平民をかばうというわけでもないが、余計な波風を立てないというのが、学院の方針なのだ。

「政治」

 タバサが呟く。

「しょうがないわよ。死人に口はないもの」
「不謹慎だが、まあそういうことだ」

 コルベールも重々しく頷いた。
 本来、平民とは在住する領地に帰属する。いわば領主の資産だ。それを勝手に持ち出すと、いろいろと弊害が生じる。現実の日本でも、農民が勝手に土地を捨てて流民となることは基本的に認められていなかった。それは西洋でも同じだ。封建制においての大原則に反するからである。
 領地とは税金で運営される。私兵、裁判、普請、社交、道楽。貴族も暇ではない。それを回すのが領民から回収する税なのだ。
「なんか住みにくいし」という理由で離散されては、制度自体が立ち行かなくなる。
 そうした基本事項を押しのけるとすれば、ヴァリエール公爵家の人間であるルイズの専属、という形式に則った場合のみだ。変則的に召し上げられるようなもので、これならばカドも立たない。
 けれどそれも、少年がトリステイン、ないし歩いて帰れる範囲の住民だった場合である。
 勘だが、恐らく少年が地力で故郷に帰ることは難しい。キュルケはそう考えている。使い魔やメイジのことさえ危うげな知識程度しか持っていなかったのだ。恐らく地図も読めまい。自分の村さえ、『村』だということ以上の情報は持っていない可能性もある。必要ないことは知らない。人間はそれで充分生きていけるのだ。
 これは特に戦乱期の欧州でよく見られた事例である。三十年戦争を生きたグリンメルスハウゼンの『阿呆物語』の主人公などは、まさにそんな人生の体現者だ。彼、ジムプリチウスは『阿呆』という意味だが、物語の冒頭で彼はまさしくただのアホであった。羊飼いが世界でもっとも尊い仕事だと信じ込み、父と自分とが暮らす領域が世界のすべてだと思っていた。傭兵に家を荒らされ自身も連れ去られるまでそう信じていたのだ。
 そしてここハルケギニアの平民のアベレージも、それよりいささか高い程度にすぎない。
 信仰と労働。
 あとは日々の糧。
 それで十二分。
 政を敷くものは、被支配者に余計な知恵をつけさせてはいけない。生かさず殺さず、それでいて厚遇していると思わせる。トリステインの貴族はそのあたりが最高に下手くそだ。だから今じゃ小国なんぞと蔑まれてガリアにゲルマニアにと、及び腰の外交を強いられるはめになっているのだ。
 少年もその例には漏れないはずだ。だから、学院から適当に追い出されたあとは、どこかで職にありつくか、もしくは野垂れ死にが関の山。今日びそんな人間は貴族にさえいる。そして誰もがゼロのルイズの召喚した使い魔のことなど忘れてしまうだろう。

「ともかく、学院に残る必要はない。折を見て、といってもあまりゆっくりとはしていられないだろうが、帰途につきたまえ。……済まなかったね、君、名前は? わたしはコルベールという。この学院で教師をしているものだ」

 平民に対して腰の低い貴族もあったものだ。やや白けた目でキュルケはコルベールを見つめた。
 少年は乾いた目をルイズの死体から引き剥がし、コルベールを見返した。

「ヒラガサイト」

  000

「参ったなぁ」

 窓越しの月を見て、才人がしんみりと漏らす。

「月が二つあるんだもんなぁ」
「あなたの田舎では三つだったとでもいうの?」
「そんなわけねーだろ」

 忍び笑いのキュルケに半眼を送ろうとして、その首が強張る。初心な反応だ。キュルケは笑みを深めた。

「だいたい、なんで俺、ここにいるんだ?」
「ほかに泊まるアテがあるんだったらそっち行ってもいいけど?」
「ないってわかってていってるだろ」

 憮然として才人。堪えきれずにキュルケは吹き出した。
 場所はキュルケの私室である。位置は故人となったルイズの部屋の真向かいにあたる。なぜ救護室の帰りに才人を招いたのかといえば、単に気が向いたからとしか言いようがない。今のところ彼に魅力は感じていないが、見知ったのも何かの縁。さすがにあの場に放り出すのは気が進まなかった。
 まあこれから辛い目にあうんでしょうけど、わたしと同じ部屋で一晩過ごせるんだもの。それで帳消しじゃない? ルイズのことを胸に反比例して高慢ちきだとか評しながら、キュルケも割りと大概な女だった。べつに貴族全般がこんな性格なわけではない。むしろ女性は控えめなものだ。あくが強い女は結婚相手に不自由するからである。ゲルマニアの気風というものもあるが、なんだかんだいって故ヴァリエール嬢とツェルプストー嬢は相通じるところがあった。
 先ほどからこちらを見ようとしない才人に、キュルケは笑いかける。

「ねえサイト?」
「あんだよ」
「そんなに空が面白いかしら」
「わりと」
「あなたの故郷には月がないから?」
「ないとはいってねー」

 首が振り向きかけ、また戻る。ランプの明かりの元でも、上気した耳が見える。キュルケは微笑を崩さず香に火を灯した。

「不安なら不安って言えばいいじゃない。あなた、帰り道わからないんでしょ」
「言えるかよ。だいたい、だからってどうしようもないし」
「そんなに遠いってこともないと思うのよね。言葉だって通じてるし。トリステイン語圏よ。訛りもあまりないみたい」
「そこなんだよな……」

 わからんとぼやく声が聞こえる。ベッドに身を埋めて、キュルケは目を伏せた。

「本当はあなたをここに置いたのには理由があるのよ」
「ふーん」
「ルイズのことを話そうかと思ってね。わたしたち、どちらかというと仲は悪かったけど、たぶん学院じゃ一番あの娘とよく話してたから」
「ルイズって、あの死んだ子だろ」
「ええ。胸のない子だったわ」
「おまえも遠慮ないね。だいたい、そんなの聞いたって、俺にどうしろっていうんだよ。そいつは死んで、俺はほったらかし。おまけに明日からの行き場所もないときた。なんなんだよ、本当……」
「無礼な平民だこと」

 月光。星明り。窓際でそれらに照らされる才人は、身の置き場もなく、はかない。少しだけキュルケの胸が切なくなる。そのつもりはなかったが、まあ、思い出作りに協力するくらいは構わないかもしれない。そんなことを思う。

「俺は平民じゃねー。貴族でもないけど」
「よほど暢気な田舎だったのねえ」

 くっと、鼻で笑うような音がキュルケの耳に届いた。才人のものだ。おかしくもないのに無理やり笑って見せた。そんな自嘲的な笑いを唇に張り付かせている。

「この国でいちばんの街より、百倍は大きくて狭い田舎だけどな」
「なにそれ。謎かけ? それに貴族がいなかったって、よくそんなところであんたみたいな子が生きてこれたわね。見たところそんなに痩せてもいないし、意外といい体してるわ」
「この国で一番偉いのは誰だ?」

 不意に、才人はそんな質問をしてきた。さて。キュルケは考えてみる。どうやら積極的に話をする気になったらしい。

「今はいないけど、国王でしょうね。わたしの国では皇帝。ロマリアでは教皇。生きていなくてもいいなら、始祖プリミルだわ。もしかしたら、強力なエルフだって言う慮外者もいるかしら」
「じゃあ、一番偉くないのは?」
「……やっぱり、平民かしら。いや、漂白の民かも」
「俺の世界にはそういうの、ないんだ。いや、あるかもしれないけど。ほとんどの人が気づかないくらい複雑で、難しく混みあってる。ごちゃまぜで、とりとめなくて、そもそもがわかりにくい」
「聞いてるとなんだか面白そうね」
「面白くはねえよ。俺はそれが普通だったんだもん」

 会話する内にわかることがあった。
 キュルケは才人を典型的なもの知らずの少年だと思っていたが、それは違う。少なくとも政治に関してかなり高度の認識を持っている。「社会」という概念を理解しているのがその証拠だ。
 才人には教養があり、共同体の形態にも知識がある。
 キュルケはぼけっと夜に向かい合う少年に俄然興味が湧いてきた。

「ねえサイト。ここに残ったら? ほとぼりが冷めるまで隠れていて、あとで学院長に頼み込めば、使用人としてなら置いてもらえるかも」
「はあ? なんでだよ」
「平民も貴族も、働かなきゃ生きていけないのよ」
「……そうだな。それは知ってる」
「何なら、わたしの実家を紹介してあげてもいいけどね。意外と使えそうだし」

 望外の誘いといえた。キュルケ・アウグスタ・フレデリカがこうまで言っている。分際をわきまえた平民なら一も二もなく飛びつくべきだ。
 だが、才人は静かに首を振った。

「それで、使い走りとして生きろってのか」
「ルイズが生きていたら、否応なくそうなっていたのよ。どれほどの違いもないわよ」
「でも、そいつは死んだ。なら俺はまだ奴隷じゃない」

 キュルケは冷たく目を細めた。分からず屋ね。やっぱりバカだわ、こいつ。

「奴隷の幸福を知らないの?」
「押し着せられた幸せだろ。それは幸福って呼ばれてるだけのニセモンだ。俺はだまされねー」
「――サイト。あなたってルイズに似てるわ」

 ため息とともに、キュルケはある事実を認めた。ねえルイズ。あんたの使い魔、きっと「当たり」だったのよ。だってあんたにそっくりだもの。なんで死んでしまったの?
 いつの間にか目を閉じて身を丸めていた才人は、キュルケが与えた毛布にくるまれている。まだ眠ってはいない。静まった表情は、何かしらの覚悟を感じさせる。
 眠る前にキュルケは問いかける。

「あなたどこから来たの?」

 才人は憂鬱そうに答えた。「月より遠い」
 キュルケは笑った。

「なら、帰ったらルイズと会うかもね」
「手がいてえ」と才人がぼやいた。

  000

 ……しくしく……くすん。ぐず、うぅ、どうしてぇ……

 深夜、眠りについていたキュルケはすすり泣く声を聴く。布団の中で目覚めた彼女は、まどろみ半分に、あららとほくそえんだ。サイトったら泣いてるの。まあ無理もないわね。でも強がっていたくせに、ちょっと可愛いじゃない。どれ、このわたしの微熱で慰めてあげようかしら。すすす、と態勢を入れ替え、ベッドの下で横たわる才人の寝顔にたどりつく。

「あれ?」

 少年は大口をあけて眠っていた。
 まったくのんきな表情である。一瞬大物かと勘違いしそうになるほどだ。
 しかし、泣き声は続いている。

「アレ?」

 しかも、耳を澄ますとわかる。
 この泣き声は、女の子のものだ。
 しかもどこかで聞き覚えがあるような。
 キュルケの微熱が一気に冷えた。
 毛布を被り、枕に顔を押さえつける。目をぎゅうっと閉じて、なかば悲鳴のように叫んだ。

「だだ、だから化けて出ないでっていったのに!」

  000

 やはり同じ夜のことである。ケティ・ド・ラ・ロッタ、字は「燠火」。魔法学院一年生の彼女は、見てしまった。
 幽霊ではない。入学したばかりの彼女に色々と優しくしてくれた上級生、ギーシュ・ド・グラモンが、別の女生徒と逢引するシーンをである。それは以下のようなものだった。
 望楼のふもと。入浴後のひととき。かたらう少年少女は、その場をよく選ぶ。
 通りすがったケティは、ギーシュの姿を見つけた。声をかけようと思った。だが止めざるを得なかった。
 彼の隣には、巻き毛の女子が既にいたのだ。不安げに、心細げに、ギーシュに寄り添う上級生。
 ケティは息を呑んだ。

 ねえギーシュ。ルイズが死んでしまったのよ。わたしたち、あまり仲良くはなかったけれど、でもあんなに血を吐いて死んでしまうなんて……ひどいわ。悪い子じゃなかったのよ。
 ああ、モンモランシー。君が泣いているとぼくまで悲しくなる。けれどその涙もまた美しい。月さえけぶる。星さえおののく。ぼくの指は君の涙をぬぐうためにあるというのに、その涙が美しすぎてそれをためらってしまうんだ。まるで宝石のようだよ、モンモランシー。ルイズのことは、残念だった。けれどそれでも愛し合っていかなくてはならない。それがぼくらの、生きるものの務めだ。

 それ以上聞いていられず、走って部屋に取って返し、ベッドにダイブした。
 ショックだった。
 それ以上に屈辱だった。
 女性が浮気を嫌うのは、普通独占欲からではない。独占欲から男をいちびる女というのは、実はとても情が深いのである。大抵は浮気をされた瞬間ナニかが冷める。そのさいの感情たるや、化学変化にも等しい。浮気してもまだ見切りがつけられないパターンには、ほかに「今さら探すのはちょっと」というものもある。これは色々末期なので割愛するが。
 それなのになぜ激怒するのか。
 それはメンツを傷つけられたためである。
 自尊心、と言い換えてもよい。
 あの女に負けたー、とか、よりによってあの女に寝取られたー、とか、あたしあんなのより下なの? 違うでしょ!?的な思いが湧いて湧いて止まらなくなるのだ。
 だから浮気を嫌う。ふられるのも嫌う。それをされくらいならこっちからやってやるぜ、などと考えることさえ普通にある。
 いわゆる見た目がいい女に狭量が多いのは、それが許される環境で育つためだ。かわいいかわいいと当たり前のように賞賛を受けて育つと軽いジャブでもてんぱったりする。
 あの娘に比べるとちょっと、な女性が恋の鞘当に往々にして勝利するのは、彼女が前者よりはいくらか広い懐を持っているためだ。男のほうも負い目を感じずに済む。優越感さえ抱ける。万々歳だ。
 結果、美人があぶれるという不可思議な事態が生じるのである。
 それはともかく、ケティは美少女である。正直自分でもいけてると思っている。あの巻き毛の上級生も綺麗ではあったが、彼女が素直に負けを認めるほどではない。
 舐められたら終わり。それが女の渡世だ。
 ケティもその例外に漏れなかった。これはまだギーシュとの付き合いが浅いせいもある。
 そうだ、みんな言っていたではないか。ミス・ロッタ、あのかたはちょっと…どうかと思います。ねえケティ、あの先輩と最近親しいみたいだけど…。うわー、そういう趣味だったんだ。などなど。
 だがケティは取り合わなかった。不慣れな自分に優しく接してくれたギーシュの誠意を疑うことなど、箱入りの彼女には到底できない。
 愚かだった、わたし。
 ケティは泣き濡れた。漢泣きだった。
 きっとみんな知っていたんだわ。わたくしがもてあそばれていること。それで陰で笑っていたのよ。ああなんてこと。明日からもう授業になんて出られない。どんな顔をして生きていけばいいの? 枕を噛んでいたら中の羽毛が飛び出してきたがそれでもケティは歯軋りをやめない。彼女の癖だった。ぎぎぎ……悔しい……でも……! (怒りを)感じちゃう! 
 どったんばったんとベッドの上で暴れる。昨日までの自分はなんてバカだったんだろう。クッキーなんか作っちゃって。それをあんなひとに渡して勝手に舞い上がっていた。なによ、ギーシュさまなんて、ひょろいし、なよいし、ぶっちゃけドットだし、家柄はいいけど、でも貧乏って話じゃない。
 だがしかし、ケティはそんなギーシュにお熱だったのだ。
 痛烈な恥辱が彼女の体の中で荒れ狂う。とりあえず一発お見舞いしてやらねばなるまい。そのあと、そのあとは……。
 考えたくなかった。ほら見ろと、学友たちは自分を指差して笑うに違いないのだ。
 過去を抹消したい。タイムマシンほしい。助けてドラえもん。このさいキテレツでもいいから。どうでもいいけどキテレツとかブタゴリラとかひどいあだ名だと思うわ。いじめじゃないかしらどう考えても。わたくしだったらもっと典雅なあだ名がいいわ。そう、たとえばハローケティ。体重をりんご換算してしまうような、そんな奥ゆかしさが必要だわ。(甲高い声で)こんにちは! わたしケティ! 心の広さは東京ドーム七個分! 好物はモルヒネ。夢を売る商売だからよー。
 ちょうどその時隣室の女生徒が騒がしいケティの部屋を叩こうとして、その一人芝居を聞いてノックを取りやめていた。
 かように彼女の精神はもういっぱいいっぱいだった。
 目じりに涙をためて、ケティは始祖プリミルに祈った。どうかどうか、この事実を知るものたちをわたくしから遠ざけてください。いっそのこともうこんな学院なくしちゃってください。ギーシュさまもろともどっかにふっ飛ばしちゃってください。お願いします。けっこう本気ですわたし。

 結論から言うと、この願い。
 十五時間後に叶う。
 トリステイン魔法学院最後の一日が始まる。











 ―――

※作者のミスで、掲示板を移転させたと思ったら、削除していました。
※感想欄にいただいたコメントには目を通しましたが、もろともに消去してしまい大変申し訳ありません。


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