「また、ごっそりと減ったね」
「他人事のように言わないでもらいたいものだ」
一晩経ってみると、『金の酒樽』亭でたむろする傭兵の数は、あからさまに減っていた。
昨晩の奇襲が失敗した後、生き残った五人を隔離し、被害状況の漏洩を防ごうと試みたにもかかわらず、
機を見るに敏な傭兵の一部は、早くも姿を消している。
ま、その辺の嗅覚が鈍いようじゃ、傭兵なんてやっていけないからねぇ、とフーケは思う。
一度に三十人が死んだのだ。
何も言われなくとも、生死の間際で生きてきた連中ならば、何となくおかしい事くらいは空気で感じる。
戦場では、その辺りの勘働きが生死を分けるといっても良い。
逆に言えば、ここに残った連中は、腕がないか、運がないか、あるいはその両方ともない盆暗ども。
他人事なら実に笑える話だが、自分がそいつらを引率するとなれば話は別だ。
やれやれ、盛り上がる話じゃないか。
名前とツラを覚えられてなきゃ、あたしだって逃げたいくらいさ。
そんなフーケの胸中を知ってか知らずか、じっと考え込んでいた白仮面が口を開く。
「こうならないためにも、お前をつけておいたつもりだったのだがな」
その言葉に、フーケは肩を竦めた。
「相手は百人からの荒くれだよ? あたし一人で全員を見張れると思わないで欲しいね」
誉めろとは言わないが、だったらもっと人をつけろと言外に匂わせる。
「……まあ、良い。それで、何人残った?」
「逃げたのは、昨日奇襲に行かなかった連中の三分の一ってところだから、四十人そこそこさ」
「様子見のつもりの一戦で半分以下まで減ったか……」
感情の読み取りにくいくぐもった声が、怒りと屈辱でそれと分かるほど歪んだ。
そんな白仮面を、フーケは腹の底でせせら笑う。
だから、あの犬を甘く見るなと言ったんだ。
どれだけ優秀なお貴族様だか知らないが、これに懲りたら、
世の中の全部が全部、あんたの思う通りに行くなんて思わないことだね。
「で、どうするんだい? 戦力はがた減り、士気は最悪だけど。
向こうにゃあの忌々しい犬コロが控えてるんだろう?」
こんな様じゃ、良いように食い散らかされるだけだと思うけどね、と付け加える。
「問題はない。要は今夜の襲撃までもてば良い」
豪気な事で、と鼻を鳴らした。
傭兵の命が安いのは、世の倣いのようなものだが、こうも安売りされると流石に気分が良くない。
――これだから、貴族は嫌いだよ。
「……まあ、スポンサーはあんただ。好きにしな」
まあ、良い。
傭兵たちは、そもそもが自分の命を切り売りして生きているようなものだ。
値を見誤って安売りしてしまうなら、それがそいつの寿命だと割り切るほかない。
ならば、連中の心配をするのは筋違いというものだろう。
問題は、安売り対象が、自分の命にまで及ぶか否かだ。
牢から出してくれたという負い目はあるものの、フーケとてむざむざ使い捨てられるつもりはない。
そろそろトンズラする頃合かね、という言葉は、心の中に仕舞っておく。
ふと、酒場の窓を見上げた。
空が青い。でも、四角い窓に切り取られた空は、あの懐かしいアルビオンの空ほど高くも蒼くもない。
ホント、身許を知られてなかったら、遠慮なく逃げられるのになぁ、と切なく思う。
無性に、妹分が作ったシチューの味が懐かしかった。
いかんいかん。
仕事の前に弱気は禁物だ。
里心なんて出すとろくな事にならない。
「さ、それじゃああんたの作戦とやらを聞こうじゃないか。
一つ景気の良い奴を頼むよ!」
久しぶりに見上げた空は、高く、青かった。
この空が続く場所に、この旅の目的地である、アルビオンがある。
自分は、無事に任務を遂げることが出来るのだろうか?
いや、遂げなければならない。自分がゼロではないと証明するためにも。
自分は、ノワールに相応しいメイジであると証明するためにも。
そのためならば、命だって惜しくはない……。
などと意気込んでいたのも、今は昔。
気がつけば、随分色んな人を巻き込んでしまった。
ギーシュ、ワルド、キュルケ、タバサ。
ルイズだって馬鹿ではない。
ほぼ貴族派の勝利が決したアルビオンの地は、
王党派に組する者にとって危険極まりない地だと、そう理解している。
半ば以上自分の我侭で言い出した今回の一件で、自分以外の誰かが傷つくのは嫌だった。
とはいえ、事は国家の重大事なのだ。
物凄く悔しい話だが、トライアングルメイジや、魔法衛士隊隊長の助力が得られるという以上、
少しでも任務の成功率を上げるためにも、彼らを利用しないわけにはいかない。
ここで、みんなに帰れと迫るのは簡単だが、それこそルイズの我侭以外の何者でもなかった。
ルイズだって、事の優先順位を間違えるほど、馬鹿ではないのだ。
だが、理屈はどうあれ、心は痛む。
誰もが、理屈で感情を割り切れるわけではない。
まったく、ツェルプストーが悪いんだからねっ! 勝手についてきたりするから!
ただでさえ、頭の痛い問題があるのにっ! とノワールの散歩をしながら思う。
学院で恒例となっている朝の散歩。
いつもならノワール一匹で済ませてしまうのだが、周囲に人家のない魔法学院ならともかく、
ラ・ロシェールの街に体高一メイルを越える犬を解き放つわけにもいかない。
大騒ぎになるのはまず間違いないし、下手すると街の警備兵が出てくるような騒動に発展してしまうかもしれない。
密使という立場上、それはよくない。大変によろしくない。
とはいえ、飼い主が一緒にいれば、問題は無いかと言うと、そういう話でもないのだが、
色々と考えたい事もあるルイズとしては、これは一人になるちょうどいい機会のように思えた。
そんなわけで、久しぶりにノワールと一緒に散歩をすることにした。
そこまでは良い。ルイズとしては、何の問題もない。
だが、気がつけば、何故か悩みの種の一つであるところの、ワルドまでついてくるという話になっていた。
護衛が必要とか、なにか色々言っていた気がするが、頭が真っ白になっていたルイズはびた一覚えちゃいない。
なんでついてくるのよ、もー。
ノワールに悩みを聞いてもらおうと思ってたのに。
頭の片隅で、そんな事を考えながら、ちろりと隣を歩くワルドを盗み見る。
峡谷の狭間を、土のメイジが文字通り成形して作り上げたラ・ロシェールの街は日の光に乏しい。
そんな薄暗い街の影を切り取るように差し込んだ日差しが、ワルドの整った横顔を照らし出した。
頭の中から、ワルドへの不満が消え去る。
胸が高鳴り、頬が赤く染まるのが、自分でも分かる。
――格好よくなったよね。
思い出の中の憧れの君は、十年の時を経て再びルイズの前に現れた。
凛々しい眼差しはそのままで、少年期特有の甘さが綺麗に抜け、
それを埋め合わせるように、経験に裏打ちされた重厚な自信を漂わせる大人の男。
頼りがいがあるというのは、こういう事を言うのだと思う。
そんな人がルイズの婚約者で、しかも、彼はルイズに異性として好意を抱いているのだという。
なんていうか、今だ信じられない自分がいる。
前者は、実感が湧かなかっただけで、ずっと前から決まっていた事だ。
納得できない事もない。
でも、後者はまるで信じられない。
自分でいうのもなんだが、自分自身の可愛げのなさには自信がある。
胸はぺたんこ、素直じゃない性格。
顔の良さで辛うじてトントンだと思う……思いたい。
でも、ワルドならもっと良い人がいる筈だ。
自分みたいなチンチクリンなんて問題にならないくらいの人が。
……なんでわたしなの?
ふと、ワルドの眼差しが遠くなる。
ワルドを見詰めるルイズに向かって、その眼差しのまま懐かしそうに微笑んだ。
慌てて視線を逸らすルイズ。でも、多分バレバレだ。
「こうしていると、昔を思い出すな。
拗ねて池の小船に隠れていた君を迎えに行った帰りは、二人でこうして歩いたね」
思いがけない昔話に、釣られてルイズの目が遠くを見つめる。
「もう。昔の話はやめてよ、ワルド」
「あの日の君もこんな憂い顔ををしていたっけ。
何とか笑顔が見たくて、帰り道に色々な話を聞かせたのを覚えているよ」
「……そうね」
「あの頃の君は、ご両親から出来の良いお姉さんに比べられて、泣いている事が多かった」
「そうだったわ。慰めてくれるのは、いつもちいねえさまとあなただったわね、ワルド」
それは、懐かしい記憶だ。
世界が決して自分に優しくない事を、ようやく悟ったあの遠い日々。
情けない事に、今だ自分は、そんな世界と折り合いをつける方法を見つけ出していない。
「幼い君には、辛い日々だっただろうね。
あの頃の僕には、そんな君を助ける知恵も、力もなかった。
だが、今は違う。
今の僕ならば、君を守ることが出来る」
「……」
「今の僕ならば、可愛いルイズ、君にあんな悲しい思いをさせはしない.
僕に、もう一度機会をくれないか?」
話が、何か怪しい方向に進んでいる気がする。
今更のように、ルイズは気づいた。
ノワールを除けば、今、自分とワルドは二人きりなのだ。
「ワルド?」
「ルイズ、この任務が終わったら、結婚しよう」
「え……?」
「僕には、君が必要なんだ」
「ちょ、ちょっと待って、ワルド……」
「いや、良い機会だ。最後まで言わせてくれ、ルイズ。
僕はずっと、君には他の人間にはないオーラ、不思議な魅力があると思っていた。
十年前からずっとだ」
僕以外には、誰も気づいていなかったようだけどね、と真面目な顔で告げる。
え、ここが笑うところなのかしら、と思うルイズ。
だが、ボケを外したはずのワルドは、何時まで経っても真面目な表情を崩そうとしない。
「き、気のせいよ、そんなの」
暫くの間、呆然とワルドの顔を眺めた後、我に返ったルイズは、慌ててその言葉を否定した。
確かに何時か魔法を使えるようになりたい、ならなくちゃいけないとは思うが、
いきなりオーラがどうとか言われても、困る。
「いや、僕だって曲がりなりにもスクウェアクラスだ。
そんな僕だからこそわかることもある。
今は失敗ばかりしていても、何時か必ず君は歴史に名を残すメイジになると、僕は信じているんだよ、ルイズ。
そう。始祖ブリミルに比肩し得るような、偉大なるメイジにね。
……僕は、魔法衛士隊隊長で終わるつもりはない。
この国を、いや、ハルケギニア全体を動かすような貴族になりたいと願っている。
そのためには、君の力が必要なんだよ、ルイズ。
僕の傍で、ずっと僕を助けてくれないか?」
ワルドの事を、嫌いか好きかで聞かれれば、躊躇いなく好きだと答えるだろう。
婚約者云々の事を抜きにしても、だ。
それほどまでに、あの日の思い出は甘く、美しく胸に残っている。
だが、何かが引っかかる。なんだろう、何が引っかかっているんだろうか?
その何かが形にならないうちに、言葉だけが口から滑りでた。
「ごめんなさい。でも、こんな大事な事を、そんな急には決められないわ。
わたし、ずっと立派な魔法使いになりたいって思ってた。
そうすれば、きっとみんなはわたしを認めてくれるはずだって」
一旦言葉を切り、息を継ぐ。
心のどこかに、答えを保留したのはもっと別の理由があるはずだと囁く声がある。
「わたしは、それがまだ出来てない。
それが出来ないうちは、ちゃんと前に進めない気がするの。
だから、お願い。もう少しだけ待って、ワルド」
嘘ではないが、それが理由の全てではない、とルイズは思う。
多分、少し前ならば、喜んでプロポーズを受けただろう。
でも、今は……。
「……どうやら、急ぎすぎて君を困らせてしまったようだね。
この十年間、放ったらかしだった婚約者から、急に結婚を申し込まれれば、面食らうのも当然だ。
ゆっくり考えて、それから返事をしてくれ。僕はもう急がないよ」
会話が途切れる。
街の喧騒が、二人の間に流れる沈黙を通り過ぎていく。
ノワールの眼差しは、じっとワルドの背中に注がれている。
昼下がりの酒場には、気だるい空気が流れている。
ぽつぽつと食事客がテーブルを埋めるホールで、
キュルケとタバサは、散歩に行った二人と一匹の帰りをのんびりと待っていた。
タバサは無言でページを繰り、キュルケはその様を眺めながらちまちまとワインを舐めている。
さて、とキュルケは考える。
あの色男の隊長さんから、どうやって聞きだそうかしら。
具合の良い事に、ちょうどギーシュはヴェルダンデの世話があるとかで席を外している。
今ならば、あの空気が読めない同級生に茶々を入れられることはない。
「あの二人、そろそろ帰ってくる頃ね」
「噂をすれば影」
タバサが指差した先、酒場の入り口に差す一組の人影。
ナイスタイミング。
「あら……おかえりなさいまし、ワルド子爵、ルイズ。
席、空いてるわよ。お昼まだでしょう? 食べていきなさいな」
「では、お言葉に甘えさせていただこう。ルイズも構わないね?」
キュルケの気遣いに感謝するそぶりを見せつつ、さり気なくルイズに椅子をすすめるワルド。
勿論、ルイズが座るのを確認してから、自分も席につく。
本当にそつがないわね、とキュルケは思う。
でも、今はそんな気遣いも胡散臭く見える。
席について、メニューを眺めようとしたルイズの視線が、ふとある一点で動きを止めた。
信じられないものを見たとでもいうように、目を瞬かせる。
「ええと……ところでタバサ、ちょっと見ない間に随分趣味が変わったわね」
「違う。これはキュルケの趣味」
珍しい事に、語尾に被せるように、間髪いれず答えが返ってきた。
しかも、ちょっと語調が強い。
よくよく見れば、雪のように白い頬にほんのりと朱がさしている。
何時ものように本に視線を落としてはいるが、
むしろ、羞恥のあまりこちらに視線を向けられない事を誤魔化しているように見える。
まあ、確かにトリステインでは、こういう装いはまず見ない。
多分、アルビオンでもガリアでもゲルマニアでも見ないだろう。
その分、人目を引くし、恥ずかしがるのも分かる。
だが、ルイズはキュルケを責める気にはなれなかった。
だって、似合うんだもの。
黒と白を基調に纏められたその服は、色味だけ見れば非常に地味なはずなのだが、
ふんだんにフリルを使っているため、むしろ与える印象としては華美とさえいえるだろう。
彩度に乏しいその服をタバサが纏うと、普段は意識する事のない、青い瞳と髪が鮮やかに目に飛び込んでくる。
さすが親友を自称するだけあって、悔しいけどキュルケは良い目をしている。
これは可愛い。
いや、それ以上に、なんていうか、わたしの視線であのタバサが恥ずかしがっているって事に、
何故か胸がドキドキする。
気がつくと、恥ずかしがるタバサを眺めて、キュルケもにやにやしている。
目覚めてはいけない何かに目覚めかけたルイズ、再起動。
あ、危うくツェルプストーと同じレベルまで落ちる所だったわ、と心の中で汗を拭く。
ルイズが落ちかけた場所は、どう考えてもキュルケのいる場所より深くて暗いどこかだが、
そんな冷静な意見は無視無視。
「あー、ええと、本当にツェルプストーは性悪ねー。ちょっとは反省しなさいー」
「心が篭っていない。棒読み」
「そ、そそそそ、そんな事ないわよ」
本当に申し訳無さそうに、ワルドが口を挟んだ。
「……ルイズ、楽しそうな所すまないのだが、そろそろ注文しないか?」
「ご、ごめんなさいっ!」
少し遅めの昼食も終わりに近づき、テーブルでは表面上和やかな会話が続いていた。
ふと思いついたように、キュルケがワルドに訊ねる。
「それにしても、昨日も気になったんですけど、何で船が出ないのかしら。
今日は天気も良いし、風もないし、絶好の航空日和って感じじゃない?」
さり気ない問いかけだった。
先ほどのギーシュとの会話を聞いていなければ、長い付き合いのタバサでさえ聞き流しただろう。
『微熱』のキュルケ、渾身の一言だった。
状況が状況じゃなければ、拍手したいくらいだ。
釣り込まれるようにワルドがその質問に答えた。
緩やかな坂道をボールが転がるような調子。
「今夜は月が重なる『スヴェル』の月夜だろう?
その翌日、つまり明日の早朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づく」
半ば以上確信していた答えが帰ってくる。
だから、動揺は顔に出さずに済んだ。
「なるほど。そんな理由があったの。
それにしても博識ね。
それとも、魔法衛士隊の隊長なら、これくらいは知っていて当然なのかしら?」
流れるように、核心に迫る。
さり気なく、さり気なく。相手にこの気負いを絶対に悟らせてはいけない。
そんなキュルケの内心を知ってか知らずか、ワルドはごく当たり前のように答えた。
「いや、昨日桟橋で乗船を交渉した船の船長から聞いた話さ」
なんだ、そうなの、と力が抜ける。
馬鹿みたいね、あたし、と洩らしそうになるその一瞬前、
デザートのクックベリーパイを突っついていたルイズがひょいと顔を上げた。
無自覚なまま、とんでもないを爆弾を放り込む。
「あれ? ねえ、ワルド、あの船長はそんな話してなかったじゃない。
わたしもノワールも一緒にいたんだから、間違いないわ」
ね、ノワール、と、何も知らないルイズは使い魔に気楽に同意を求める。
だが、その一瞬、ワルドの表情が強張るのを、キュルケは確かに見た。
「あ、ああ。そうだったかな。
昔、仕事でアルビオンに渡った時に聞いたのを勘違いしてしまったようだ」
それもホンの一瞬の事だ。
何事もなかったかのように、語を継ぐ。
でもね、貴方の尻尾は掴んだわよ、とほくそえむキュルケ。
勿論、そんな表情はおくびにもださない。
「そうですわ。ちょっとした思い違いなんて誰にでもあること。
ねえ、貴方もそう思うでしょう、タバサ」
だが、答えたのはタバサではなく、ルイズだった。
婚約者の前という遠慮がなくなり、久しぶりのけんか腰だ。
「あんたの場合は、ちょっとしたどころか、完っ璧に健忘症じゃない。
なんてったって、誰と付き合っているかも覚えてないんでしょ?
だからあんなに一度に大人数と付き合えるのよ。
……男って馬鹿ね、こんなむ、むむむ胸ばっかり大きな女に騙されて」
言い返そうとするキュルケをさえぎる様に、ワルドが声をあげた。
期せずして、いなされた格好のキュルケが、頬を膨らませる。
「手厳しいな、ルイズ。でも、僕は君だけしか見ていないつもりなんだがね」
「それは……もう、意地悪しないで、ワルド」
「ははは、済まない。だが、男にだって、色々な種類がいる事を知ってもらいたくてね」
さて、と言いながら、ワルドが席を立った。
「念のため、今のうちに明日の支度を終わらせてしまう事にするよ。
それでは、また後ほど」
失礼、と優雅に一礼して、部屋へと向かう。
残された三人は、三者三様の眼差しで、その背中を見送った。
「じゃ、わたしもちょっと厨房に行ってくるわね」
「まだ足りないのかしら、ルイズ。とんだ大食らいね」
「ち、違うわよっ! ノワールのために、肉を貰って後で煮てもらうように頼んでおくの!」
「煮て貰う? 生のままじゃだめなの?」
「犬って、肉は火を通した方がよく食べるんだって。
人間の食生活にあわせた結果らしいわ」
「それ、シエスタの受け売り?」
「そうだけど……何よ、その目?」
「別に。あの子もたいがい物知りね」
お陰でわたしは助かってるけどね、と言うとルイズも席を立ち、ノワールもそれに従う。
後には、キュルケとタバサが残された。
「クロ、かしらね」
「恐らく」
「狙いは?」
「情報が少なすぎて、断定は出来ない。
でも、アンリエッタ王女からルイズに託された“何か”だけではない事は確か」
「ルイズ自身も目的の一つなのかしら」
「間違いなく」
少し考え込むキュルケ。
静かな光を湛えた青玉のようは瞳が、じっとその姿を見つめる。
キュルケが結論を出すよりも早く、タバサが口を開いた。
「あの二人には伝えない方が良い」
「そうね……二人とも、嘘が下手だもの。教えると、まず間違いなくワルドに感づかれるわ」
それに、と思う。今ここでワルドを問い詰める事は簡単だ。
だが、何一つ確定的な証拠があるわけではない。
グリフォンをとばしてギーシュを置いていこうとした一件にしても、
ルイズと二人きりになりたかったと言われれば、それまでの話だ。
その他に証拠といえるものは、キュルケの女の勘だけ。
それでは言い逃れられてしまうのが落ちだろう。
つまり、旅の途中に、ワルドに感づかれないようにしつつ証拠を掴む必要があるということだ。
予想されるタイムリミットは、アルビオン到着時。
貴族派に掌握されつつあるあの場所に辿り着かれたら、恐らく何をしても無駄だろう。
勿論、キュルケとしては、そうなる前にルイズ、ギーシュを連れてシルフィードで逃げ出すつもりだ。
ルイズはごねるだろうな、と思う。
だが、キュルケとしては、この機会に断固としてルイズに恩を着せる腹積もりだった。
そして、後で弄るネタにする。
別にラ・ヴァリエールを助けようと思ってるわけじゃないのよ?
自分に素直なようで、変な所で素直じゃない女、キュルケ。
とにかく、チャンスは今日の午後一杯と、明日のアルビオン渡航中の船内という事になる。
正直、やり遂げる確率は低い。だが……
「面白くなってきたじゃない。これでこそわざわざ着いて来た甲斐があるってものよ」
困難であればあるほど、燃え上がるのが、彼女の性。
キュルケの二つ名は『微熱』。
燻り続ける情熱は、格好の燃料を得て、今まさに燃え上がろうとしていた。
しかし、キュルケはまだ気づいていない。
すでにワルドに先手を打たれているという事に。
事態は密かに、しかし想像もつかないスピードで、動き始めようとしている。
王都トリスタニア。
書類の山に埋もれた執務室。
重大な報告を聞く間も、宰相マザリーニは一瞬たりとも羽ペンを止めない。
「なるほど。ワルド子爵はレコン・キスタと通じていたか」
「はい。調査の過程で他にも数名の貴族がレコン・キスタと通じている事が明らかになりましたが、こちらは?」
「後回しだ。ただし、監視は付けておけ。泳がせておいて、頃合を見て釣り上げる事にしよう」
「御意に。それでは、ワルド子爵に関してはいかがなさいますか?」
「手練の竜騎士を三騎選抜して、ラ・ロシェールに派遣し、ワルド子爵と同行者を確保させろ。
人選に関しては君に一任する。
ただ、竜を降りた後の戦闘能力に重点を置くように。
『閃光』のワルドはこの国屈指の使い手だという事を忘れるな」
「は。しかし、ワルド子爵はグリフォンライダーです。
グリフォンならば、ラ・ロシェールまで一日かかりません。
すでに一行はアルビオンへ発ったのでは?」
そこで初めて、マザリーニはペンを止め、秘書官の顔を見上げた。
お気に入りの生徒に教える教師のような口調。
「君、今夜は『スヴェル』の月夜だ。
つまり、明日の朝までアルビオンへの船は出ない。
ワルド子爵たちは、嫌でもラ・ロシェールの街に足止めされているはずだ」
「申し訳ありません。自分の考えが足りませんでした。
それで、殿下へのご報告は如何いたしましょう?」
「それは……私がしなければならない事だろう。
折を見てご報告する。
それよりも、竜騎士の選抜を急げ。
今すぐ派遣すれば、今夜半前にはラ・ロシェールの街に到着するだろう」
「は。では、自分はこれで失礼します」
ドアの閉まる音。
沈黙。
しばしの後、再び羽ペンを走らせる音。
動揺もなく、混乱もなく。それは見事なまでに常と変らぬ執務室の姿だった。
その静けさが、マザリーニにとって、この程度の謀略など、
日常の一幕に過ぎないことを、何よりも雄弁に物語っていた。