ワルドが連れられた先は、船長のためのものと思しき、一際大きな部屋だった。
豪華なディナーテーブルが据え付けられ、
その上座には頭領がどっかと座って、水晶のはめ込まれた杖を弄っている。
周りを囲む屈強な男達が、威圧するようにワルドを睨み付けた。
だが、ワルドはそんな視線を意に介さず、
黒い縮れ毛に、眼帯、更にぼさぼさの髭を生やした頭領に恭しく一礼する。
「お前か。この俺が、ウェールズだと駄法螺を吹いてるのは」
「初めてお目にかかります。
トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵と申します」
丁寧な名乗りも、この状況下では小馬鹿にしているようにしか聞こえない。
現に、空賊の頭領は目に見えて機嫌が悪くなる。
「誰が名乗れといった。
おい、あんまり舐めた口利いてると、甲板からロープなしで飛び降りる羽目になるぞ」
頭領はそう言って凄む。が、ワルドは動じない。
「別人だ、と仰られますが、その手に光る玉は、紛れもなくアルビオン王家伝来の宝重、風のルビー。
三年前、私はラグドリアン湖畔での園遊会で警備についておりました。
その折に、ご尊顔を拝する機会が数度ありましたが、今と変わらず、その指輪をはめておられましたね」
頭領は、参ったとでも言う様に天を仰ぐと、にやりと笑った。
まるで悪戯がばれた悪童のような笑い。
「神のご意思は、正に計り知れない。
まさか、私の顔を知っている相手と行き会うとはね。
ならば、もうこれも用済みだな」
そう言うと、無用の長物となった、鬘と付け髭、そして、眼帯を毟り取る。
その下からは見事な金髪の、凛々しい若者の姿が現れた。
従兄弟というだけあって、青い瞳に、どこかアンリエッタを思わせる雰囲気を漂わせていた。
「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ。
王立空軍大将、本国艦隊司令を務めているが、まあ、こちらはあまり実が伴っているとは言えないな。
何しろ、誇り高き王立空軍も、もはやこの『イーグル』号しか残っていないのだからね」
跪こうとするワルドを、ウェールズは押しとどめる。
「ここでは息苦しいだけの虚礼は無用だよ、ワルド子爵。
それにしても、大した眼力だ。
三年前にちらりと見ただけの、しかも、変装している相手を見分けるとはね。
きみのような立派な貴族が、私の親衛隊に十人もいれば、今日のこの苦境はなかったかもしれないな」
「お褒めいただき、光栄の至り。
一度見た顔を忘れるようでは、魔法衛士は務まりませぬ。
……そして、大変失礼ながら、殿下」
そこまで言ってから、ワルドはやや気まずそうに続けた。
「世間一般では、そういった装いは変装ではなく、仮装と呼ばれるのです」
それ見たことかと言わんばかりに、副官と思しき男がウェールズを見つめる。
ウェールズはそれを受け流しきれず、ゴホンと咳払いをして誤魔化した。
「ま、まあ、知らぬ者が見れば、私がアルビオン皇太子だとは思わないだろう?
それで十分だし、今まではばれる事もなかったのだから、結果的には正しかったんだ」
それは兎も角、とウェールズは表情を改めると、ワルドに向き直った。
「トリステインの魔法衛士が、一体、何用があって、アルビオンへ?
知っての通り、アルビオンは今、微妙な状況にある。
そんな時、安易に干渉すれば、母国へ火種を持ち込む危険がある事くらいは、きみも理解していよう」
「殿下、詳しい事情は、大使であるラ・ヴァリエール嬢からお聞き下さい。
わたしはただ、アンリエッタ姫殿下より彼女の護衛を仰せつかったに過ぎません」
ウェールズは形の良い眉を跳ね上げる。
「ふむ、ならば、何故、今このタイミングでこの事を明かした?
後でも……そう、あの可愛らしい大使殿が目覚めてからでも、良かったはずだ」
「道中の危険を廃するのが護衛の務めならば、
不幸な行き違いを回避するために、あらかじめ誤解の余地を潰しておくのも、その範疇に含まれましょう。
これが一つ。そして、もう一つ……」
「もう一つ?」
「はい。
ラ・ヴァリエール嬢に、もう少し上等な部屋をお貸し頂けたら、と」
ウェールズの瞳に、興味深げな光が灯る。
王族から与えられた待遇に文句をつけるその物言いは、場合によっては、王族に対する不遜、不敬の類とも受け取られかねないが、
ワルドがその事に気づかないほど鈍い相手では無いことを、ウェールズは今までのやり取りで十分に承知していた。
「ワルド子爵、不躾な質問になるが、もしやラ・ヴァリエール嬢ときみは何か、その、特別な関係が?
ああ、勿論、答えたくないなら、答える必要はないよ。
部屋は部下に用意させよう。幸い、使っていない部屋の方が多いくらいだからね」
ただ、君にそこまでさせる以上、ただの同行者というわけではないのかなと思ってね、と付け加える。
ワルドは気を悪くした様子も見せず、隠し立てするつもりはなかったのですが、とそれに答えた。
どこか楽しげでさえある。
「慧眼、恐れ入ります。
実を言うと、ラ・ヴァリエール嬢は私の婚約者なのです」
「はは、なるほど。
了解した。部下には一番良い部屋を空けるように言っておこう。
彼女はアルビオンが迎える最後の大使だ。
であるからに、是非とも今夜の祝宴には出席してもらわねば困る。
そのためにも、十分に疲れをとって貰わないとね」
ウェールズは、得心が行ったというように、一つ頷くと、朗らかに答えた。
だが、その言葉、正確には“最後の大使”という言葉に、痛ましいとでも言うように、ワルドは眉を潜める。
「殿下……やはり……」
そんなワルドとは対照的に、むしろ、淡々とすら言える調子で、ウェールズは答えた。
「取り繕っても仕方あるまい。
ニューカッスルが陥ちれば、もはや退却する先はない。
ああ、この度の戦は、我々の負けだ。
戦力差も三百対五万となると、無駄に希望を抱かずに済む分、返って有難いくらいさ。
だが、ただで負けるつもりもない。
次の攻撃で、奴らは王家の誇りと気概をその身で知る事になるだろう」
場の空気が一変する。
そこにいたのは、先ほどまでの凛々しくも気さくな王子ではなく、
死地を定めた一人の武人だった。
ルイズが目覚めると、そこは船倉ではなく、飾り気のない部屋のベッドの上だった。
上級船員のための部屋なのか、ベッドは割合に良い品を使っている。
枕元には、ノワールがちょこんと座ってこちらを見つめている。
その姿を見て安心し、ごろりと寝返りを打つと、再び眠りの淵に戻ろうとするルイズ。
だが、眠気がその思考を絡め取るよりも一瞬早く、脳が周囲の状況を認識する。
思わず跳ね起きた。
まず第一に確かめたのは、上着の胸ポケットに入れておいた密書の有無。
それがあることを確認したら、今度は何を想像したのか、安堵する間もなく慌てて着衣の乱れを改める。
マントこそ傍の椅子に掛けてあるものの、上着やスカートに変わりがない事を知ると、
ほっとため息をついて、ベッドに倒れこんだ。
事情こそ分からないものの、とりあえずの何事もなかったと認識し、落ち着いたところで、
ようやく部屋の中に複数の人影がある事に気づいた。
一人は、ワルドだ。それは良い。
いや、あまり良くはないのだが、そこは婚約者の誼で許してもらうことにする。
だが、問題の、もう一人の男には全く見覚えがなかった。
金髪に、青い瞳。端正な顔立ちが、高貴な出自を感じさせる。
目を丸くしてこちらを見ているが、たった今演じた醜態に驚いているのであろう事は想像に難くはない。
見ず知らずの異性にそんな姿を見られた恥ずかしさに、真っ赤になって思わず布団を頭まで被る。
ワルドが慌てて何か言っているのだが、パニック状態に陥ったルイズにはビタ一聞こえちゃいない。
暫く布団に包まってうずくまる様に丸まった後、恐る恐るという感じで、ルイズは布団から頭を突き出した。
どうやら、ワルドが見知らぬ男に謝っているようだった。
男は何か苦笑しながら、謝るには及ばないとでも言うように、首を振っている。
「……ええっと、ワルド、そちらの方は?」
「ルイズ……なんというか、色々言い辛いのだが……こちらは、アルビオン皇太子ウェールズ・テューダー殿下だ」
今度こそ、ルイズの思考は完全に停止した。
「……は?」
見ず知らずの男――ウェールズ――は、困ったように笑うと、すまない、間が悪かったね、と言った。
とまあ、そんなわけで、ウェールズとの会見中にも関わらず、現在ルイズは絶賛現実逃避中なのだった。
その証拠に、一見まともに受け答えしているが、目の焦点がいまいちあっていない。
隣では、ワルドが冷や冷やしながらそれを見守っている。
お座りをしながら、この様子を眺めているノワールは実に退屈そうだ。
「そうか、姫は、アンリエッタは結婚するのか。
私の可愛い……、従姉妹は」
だが、ウェールズのその言葉を聞いて、ようやく再起動。
どうやら、殆ど無意識のうちにアンリエッタからの密書を手渡していたらしい。
慌てて頷いて肯定の意を示す。
それを確かめたウェールズは、再び手紙に視線を落とすと、続きを読み始める。
そして、最後まで読み終えると、小さく微笑んだ。ルイズには、その微笑がどこか寂しそうに見えた。
「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。
何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望みは、私の望みだ。そのようにしよう」
ルイズの顔が任務を果たせるという喜びに輝く。
「しかしながら、今、手元にはない。ニューカッスルの城にあるんだ。
姫の手紙を、空賊船に持ってくるわけにはいかぬのでね」
ウェールズは、笑って言った。
「実を言うと、この事が無くとも、きみ達を招待する心積もりだったんだ。
丁度良い。ニューカッスル城まで、ご足労願いたい」