「なぁ、いつまで座ってりゃいいんだ?」
「………」
日はすでに落ちた、空には双月が光りを放っている。
……拙い、スカロンが通らなかった。
いや、通り過ぎたのかもしれない。
もしかしたらまだ通っていないかも。
どれにしろ、この時間帯はやばい。
間違えた所は何処だ? 歩きじゃなくて馬か馬車で来たのか? 歩きでも到着したのが早すぎたのか?
いや、カジノに行けなかったのが……。
「………」
座ったまま頭を抱える、カジノの位置なんて調べようと思えば調べられた。
楽観してた、原作通りにアンアンからの命令書が来たからそうなるだろうと。
……こんなのは何回目だ? 馬鹿すぎて話にならん。
何でこんな簡単な事を忘れるんだよ……。
「……ルイズ? 大丈夫か?」
「……ええ」
こめかみを人差し指で突付きながら立ち上がる。
……魅惑の妖精亭に行かなくては。
「行きましょ」
「ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫、自分の馬鹿加減に呆れてるのよ」
生かしきれていない、色々と。
「……なぁ、俺ってそんなに頼りないか?」
「……何がよ」
「これからの事だよ、大事な事だから教えてくれないってのは分かるよ。 でも少し先の事ぐらいは良いだろ? ルイズばっかり苦労してるようで嫌なんだよ」
またその事か。
大きく溜息を吐いて、才人に向き直る。
「前にも話したけど……知って、先の事を知って手心を加えないって自信がある?」
「あるに決まってるだろ!」
即答する才人、口先だけじゃ駄目なんだよ。
「……目の前に一人の女の子が居ました」
「……?」
「この女の子は傷つき倒れて居ます、放っておけば数分と経たずに死んでしまうかもしれません」
「何だよいきなり」
「でも目の前に居るサイトは今すぐにでも助ける事が出来ます、……サイトならどうする?」
「助けるに決まってるだろ!」
「その子がいずれ貴方の大切な人を殺す事を知っていても?」
「ッ!」
例えば、その傷付いている子が才人の大切な人を殺す事にでもなったら?
そんな設定をつければどう出るか。
「大切な人じゃなくてもいいわ、他の、例えば何百何千何万と言う人が死ぬ事になったとしたら?」
「………」
「どうする? それを知ってて助ける?」
苦渋の表情、悩み苦しみ出し難い答え。
……分かりきった答えだ、才人ならきっと──。
「……助ける」
「………」
「その子を助けて、誰も死なないようにする」
ほらな。
「だから教えられないのよ」
「何でだよ!」
「それじゃあサイトの言う通り、その子を助けて誰も死なせない様にしました。 その次は?」
「その次?」
「そう、助けて諭して、これから起きるはずだった、知っている出来事が全て無くなったら?」
「………」
「その子を助けた所為で、もっと多くの人が死んだら? 大切な人がより多く死んでしまったら? そうなってしまった原因がその子を助けてしまった事なら?」
どうだろう、冷静で居られるだろうか?
罪の意識に苛まれたりしないだろうか?
心が壊れたりしてしまわないだろうか?
「そうならないと絶対の自信を持って答えられる? 今回は上手く行って、次も上手く行くって保証出来るの?」
「それ……は」
「ご都合主義なんて毎回起きないのよ、奇跡なんて起きないから奇跡って言うのよ? 未来予知なんて人間は持っていない、今ある情報だけでやっていかなきゃいけないの」
如何に変化させないか。
今更に気づいて、才人じゃなく自分に言い聞かせるように。
「分かってる? 失敗すれば死ぬのは私だけじゃない」
「……皆、死んじまうのか?」
「私や知人だけで済むなら軽い方よ、最悪何万何十万と関係無い人まで死んでしまうのよ」
「………」
「たった一人だけでもとても重いのに、そんな数の人を背負えるの?」
俺は背負えない、たった一人だけで精一杯なのに見ず知らずの人まで背負えない。
「私はそれが怖いのよ、だからサイトには教えてあげないの」
知っている事は悪くない、手心を加えてしまうのが駄目なのだ。
そして先に通じる出来事が消えるのが駄目なのだ。
だから俺は、アンアンが泣く事を理解してウェールズを切り捨てた。
今才人に求めるのは誰かを助ける為に誰かを見捨てると言う決断力。
それが出来ないなら教えられない、今も、これからも。
「サイトにはサイトの、何も知らないでサイトが思うように動けばいいの。 誰も気にする必要はない、その時にサイトが好きなように動けばいいのよ」
そうであった方がとても楽だ。
最初から『気位とプライドが物凄く高く、扱いにほとほと手を焼くような性格』のルイズで行っていれば、ここまで悩まず済んだだろうが。
「わかって、サイトが頼りないんじゃないの。 私が駄目なだけよ」
「………」
口を開き、何かを言おうとするが声が出ない。
反論しようとして何を言えば良いかわからない、そう言った感じの才人。
「行きましょう」
この話はもう終わり、そう示すように歩き出す。
一歩、二歩、三歩と進んで振り返る、立ち止まったままの才人は口を閉じ、ただこっちを見つめてくる。
「………」
進んだ分だけ戻る、才人の前に立ち手を取り繋ぐ。
「今はそんなに時間が無いの」
「……わかった」
渋々だ。
言うべき言葉が見つからないから口を閉じているだけ、あればすぐにでも開いてるだろう。
才人を引っ張って歩いていく。
……才人じゃない、俺が頼りないんだ。
タイトル「看板娘見習い」
道すがらに魅惑の妖精亭の場所を聞いて歩く。
リピーターが多いのだろうか、行った事がある、通っているという人が多く、すぐに場所が分かった。
「お、お嬢さんもあそこで働いたりしないのかい?」
「働きたいと思ってます、雇ってもらえるかは分かりませんが……」
「そうかそうか、お嬢さんのような綺麗な子が入るならまた楽しみだなぁ」
などと言った会話を繰り返し、魅惑の妖精亭に辿り着いた。
もう営業しているだろう、正面から入るのは憚られるから裏口へ。
コンコンと何度かノック、数秒後にドアの覗き穴が少し開いて視線が合う。
「何か用?」
防犯対策だろう、気に入った女の子のストーキングとかもありそうだし。
とりあえずちょこちょこと事情説明。
お金が無いとか、雇ってもらえる所を捜しているとか。
「雇って欲しい?」
「はい」
覗き穴が全開、視線を左右にやって他に誰も居ないか確認。
そうして覗き穴が閉じられ、内鍵が外れる音がした。
裏口のドアが開けられ、出てきたのはスカロンの娘『ジェシカ』
艶やかな黒目黒髪の、シエスタと同じ日本人の血を引く少女。
やはりどことなくだが似ている、目元とか結構な。
そしてと言うかやっぱりと言うか、可愛い。
これで辛うじて手が届きそうな女の子? 冗談は休み休みに言え。
「うちがどう言う店か知ってて言ってる?」
「はい、飲食店ですよね?」
「そうね、飲食店だけどスキンシップもある店よ?」
「知っています、ここで働かせてもらいたいんです」
「……ふぅん、ちょっとゴメンねー」
と俺の顎に手を当て、顔を近づける。
「……へぇ、これなら十分すぎるわね。 肌も綺麗だし、髪も……、なるほど……」
もう気づかれたっぽいな、働ければ良いんでどうでも良いが。
詮索して言いふらすような性格じゃなかった気がするし。
「……あの、どうでしょうか? 雇ってもらえるんでしょうか?」
少し声を抑える、これポイント。
「そうね……」
視線を俺から、後ろに居る才人に移す。
同じ様に値踏み、そうして頷く。
「うん、良いわ。 これなら文句でないと思うわ」
「ありがとうございます!」
と喜んでおく、断られたら困るので本気で嬉しいのだが。
そんな俺とは対照的に、くらーい感じの才人。
まださっきの話を根に持ってるのか。
つぶやく様に「よろしく」と言って軽く頭を下げた。
「じゃあ入って、今お父さん呼んでくるから」
お父さん? ここの店主の娘さんなのか。
と思い、数十秒待っていればごっつい、男が着ないような服着た気持ち悪い中年のオッサンが現れた。
「この子達?」
「うん、悪くないと思うんだけど」
腰をくねくねと動かし歩くジェシカの父。
それを見て才人は気持ちが悪くなった、何とか我慢するが表情が半笑いと言ったようなものになっていた。
なんとか、本当に何とか我慢して表情を戻してルイズを見てみれば、何時もと変わらぬ表情。
さすが、と思った才人だったが、良く見るとルイズの口端がピクピク震えていた。
ルイズでも無理だったらしい、結構我慢していたのが見て取れた。
「お名前は?」
「ルイズです」
「サ、サイトです……」
声が震えてないだろうか、我慢してるのがばれないだろうかと冷や汗を掻いた。
「わたくしの名はスカロン、この店『魅惑の妖精』亭の店長よ」
くねくねっ。
顔を背けたくなった、だが背けたら絶対に印象が悪くなる。
そう思い我慢。
と言うかこんな可愛いジェシカが、こんな気持ち悪いスカロンから生まれるとか遺伝子おかしくね?
勿論産んだのはスカロンじゃない母親の方だけど、遺伝子無視してるだろこれ。
「……そうね、ルイズちゃんはとても良いわね!」
「あ、ありがあとうございます」
ルイズの口調が可笑しい、我慢している、我慢している事が確定した!
「ルイズちゃんは接客をして貰いましょうか、サイトくんは皿洗いで良いかしら?」
「は、はい」
「それじゃあジェシカ、ルイズちゃんを着替えさせて」
「分かった」
「サイトくんはあれ、皿洗い宜しくね♪」
「う、うう、はい……」
トイレに駆け込みたくなった才人であった。
注文され出来た料理を運ぶ、所謂ウエイトレス。
制服は白を基調としたコルセットに近いキャミソール、指先を出し肘まで覆うグローブと丈の短いスカート。
頭にはメイドが付けるようなカチューシャ、キャミソールの背中は大きく開き、露出度はかなり大きい。
視線を集めるように作られた制服、劣情を催すと言って良い。
それは触ってくれと言っているようなもの、ところがどっこいそうはさせないとウエイトレスの女の子達は巧みに避ける。
物理的な回避ではなく、触ってこようとすればその手を握り返したりして防ぐ。
男女の恋人が手を繋ぐような握り方、それに笑顔をプラスすれば落ちる。
どれだけこいつ等弱いんだと思わなくも無い、プラス美少女だから仕方がないと言えなくも無い。
「ご、ごめんなさい……」
つい掴んでしまった服の袖を離した。
それを見た男は何度か小さく唸る、良いのか? ここで帰ってしまって良いのか?
まだ一緒に居て欲しいみたい、でもそんな事言えない。
勇気を振り出せない、そんな時に俺が立ち上がって帰ろうとしたからつい掴んでしまったんじゃないのか?
ここでまだ一緒に居れば俺に対しての好感が上がるんじゃないのか!?
「とか考えてるのか、考えていそうだよなぁ」
お客を見送りながらそう呟く。
まだ残ろうとした客に、そのお金で今度また来てくださいと上目使いで言った。
うんうんと何度も頷いて帰っていった。
正直これで良いのかと、普通裏と言うか金を儲けたい為だけにそう言ったのだとか考えないのか?
……単にそう考える俺が捻くれているだけだろうか。
「……遠いわね」
何がって、目標まで。
目的の時が来るまで数ヶ月、進級の前だったか後だったか。
とにかく長い、それまでやって行けるかどうか不安になってきた。
下手に考える時間が有るとネガティブの方に行きやすくなってる様な……。
また疲れた、なんてなぁ。
戻るか……。
「ぷっ」
戻ろうと振り返れば何かにぶつかり、真後ろに何かが有った。
見上げれば分厚くてボリュームがあって、結構堅い……スカロンの胸。
「……ルイズちゃん、中々やるわねぇ」
仁王立ちのスカロンが居た。
何だこの圧倒的なボリューム。
筋骨隆々のくせにくねくね動くなよ、おぼろげの記憶にあるアニメの動きより気持ち悪いぞ!
「周りの方々を見てて、同じ様にしてみたんですけど……」
「観察力もあるのね」
「えっと……、無いと生きて行けなかったので」
主に精神的な意味で。
公爵家の家名狙って寄って来る男どもがうざったらしかった。
……来る度にスルーしてたから関係ないか。
「……辛い人生だったのね」
「そんな事ありません、両親は私の事大切にしてくれたし、サイトも居るんで……」
「健気ね!」
とか言ったら一瞬で泣き始めて、腕を広げ立ち上がった熊が目前に現れた。
それは暴虐、避ける事も防ぐ事も叶わぬ。
この身は矮小で、どうにも出来ない手詰まり状態。
つまり……。
やめっ! 抱きついてくるな!
く、苦し、胸毛がァッー!
スカロンに連れられ店内に戻ってくる、少し青い顔したルイズを睨む様に見る才人。
皿洗いしながらガン付け、恨みがましい視線は物理的な力を持ちそうなほどだった。
「………」
才人に与えられた仕事は皿洗い、こういった職業の殆どは掃除から始まる。
次々と運ばれてくる汚れた皿、洗っても洗っても切が無い。
そんな状況なのに手は止まり、意識の全てをそちらに回す。
ルイズが憎い、という訳ではないが、そう言った感情が込められているかのような視線。
分かっちゃ居るんだけど納得できない。
あの説明だって『例えば』の話だって事も分かってる。
なら断言出来たんじゃないのか?
出来る、やってみせるって。
そう言えた筈なのに、ルイズの顔見たら声が出なくなった。
「………」
何でだろうと考える、言えた筈なのに言えなかった。
どうしても腑に落ちない、言えないのは喉に何かが引っかかったから。
その引っかかった物が分からない、考えるけど何なのか全く分からない。
「………」
モヤモヤする、スッキリしない。
どうしても気になり、胸や頭を掻き毟りたくなった。
「こら! 手が止まってるわよ!」
と怒鳴り声。
「す、すみません!」
と現実に戻され、反射的に謝る才人。
急ぎ手を動かし、皿を洗っていく。
怒鳴りつけた子、ジェシカがその隣に立って才人が洗った皿を拭き始める。
「さっさっさっと! 一つ一つに時間掛け過ぎよ、油が付いてるものは後に回して汚れの少ない奴から洗うの」
「そうなんだ」
言われた通り、ベトベトの油が付いた皿を後に回し、見た目汚れの少ない奴を洗い始める。
「後ね、出来るだけ大きい物からだと重ねられて洗い易くなるわ」
「うん」
とまたも言われた通り実践する。
すると洗った皿の枚数が時間当たりに比べ増え始める。
それでもジェシカが洗った皿を待つ時間が結構有った。
暇な時間、数秒だがやる事が無い時間。
となれば口を出したくなるのがジェシカだった。
「ねぇ、聞いてなかったんだけど、ルイズとの関係って何?」
「か、関係?」
「うん、関係」
そう聞かれ、うーんと唸る。
言って良いものだろうか、ルイズは教えちゃいけないって言ってなかったし。
「ね、どんな関係?」
好奇心に満ち溢れた表情のジェシカ。
「あー、うーん……」
歯切れの悪い才人、それを見たジェシカは更に好奇心を掻き立てられた。
「ここに居る子達は皆訳ありなの、誰だって聞かれたくない事だってあるし、それが分かってるから誰も詮索しないわよ」
「なら余計に駄目じゃん、店長の娘さんだからって」
「だって気になるじゃない? 兄妹って言うには似て無さすぎるし、サイトはでっかい剣を背中に二本も担いでさ」
「………」
「ルイズって貴族なんでしょ? で、サイトがそのお守り?」
ドンピシャすぎてぐうの音も出ない。
「ルイズって綺麗すぎるのよね、髪はさらさらで、肌もつるつるで、普通に暮らしてたらあんな風にならないわよ」
「むぅ……」
「……うーん、でもねぇ」
と、核心を突いたって言うのにジェシカは唸り始める。
「貴族にしてはあれなのよね、……慣れ過ぎてる?」
「慣れ過ぎてる?」
「うん、手馴れてるって言うか。 それっぽくないのよね……」
すげぇ、そこまで分かるモンなのかと才人は感心する。
「ほら、貴族ってプライド高いでしょ? 平民相手にあんな風に出来る貴族なんて居ないわよ」
と、視線をずらせば厨房の向こう側。
お客とお客を相手にする女の子が居るフロアがあった。
その中、お客と女の子達に混ざって働くピンクブロンドの、背の小さな女の子が見えた。
「あ、チップ貰ってる。 やるわねぇ、初日でチップ貰う子なんて久しぶりだわ」
「………」
それを聞きながら、才人はじぃーっとルイズを見つめる。
枯れ枝のような男、線が細いお客の隣に座って笑顔で口を開いている。
ワインを注いであげたり、切り分けた料理をフォークにさして、それを男に向けて食べさせたり。
ましてやて、てて手を繋いでいるとな!?
俺だってそんなに手を繋いだこと無いのに! あーん、なんてされた事無いのに!!
「あんな状態よ、貴族っぽいけど貴族じゃないって感……サイト?」
視線が鋭くなっている才人、それは戦いに赴いているような表情だった。
「……ははぁ~ん、サイトってば……」
ジェシカは才人の顔を見て、怪しい笑みを作る。
才人はフロアのルイズを見る事に全力を注ぎ、ジェシカの事を見ていなかった。
「ふぅーん、貴族じゃなくて貴族だった? どっかのお嬢様だったけど、没落して平民に? で、サイトはルイズに惚れてるからルイズについていくって訳かな?」
それなら多少納得がいく、没落したのが最近でここに来る前に他所で働いていたからこういう風に出来る。
生きる為に何とかプライドを押し込め、働いている内に平民と普通に接する事が出来るようになった、ってとこかな。
中々面白いじゃないの、結局は他人の不幸話だけど、貴族となれば様見ろと思ってしまう。
そんな没落貴族に付いていくなんてより興味が出てくる、才人と、その才人を惹き付ける何かがルイズに有るんだろうと興味を持つ。
「ねぇサイト、教えてくれても良いでしょ?」
「……駄目」
ルイズを見ている才人の手が止まっていた為、活を入れると何とか動き出した。
「誰にも言わないから、ね?」
「だーめ、誰だって他の人に聞かれたくないことが有るだろ」
ごしごしと皿を洗う。
「良いでしょ? 本当に誰にも言わないから」
と前屈みになって、才人を上目遣いで見るジェシカ。
そして強調される胸、どう見てもルイズより上、シエスタにも勝っている胸囲。
特殊な性癖でもなければ注視してしまうだろう、男の性とでも言うべきか。
「………」
才人は息を、唾を飲み込んだ。
そしてジェシカは掛かったと確信する。
「ね? 良いでしょ?」
追い討ちと言わんばかりに才人にしなだれ掛かった。
才人の胸にジェシカの肩、視線は見事に胸を追尾している。
もう一つ二つ、追い討ちをかければ落ちるとジェシカは予感。
「サイト、ね?」
才人の手を取り、自身の胸へと押し当てようとした時。
「そう言うのは人目が無い所でやってもらえないかしら」
と間に割って入ってきたルイズだった。
それを見て才人が大慌てで手を引っ込めた。
「ちょっと、接客はどうしたのよ」
「店長が休憩して良いって」
「……それなら」
父である店長の言葉ならしょうがないと、この場は諦める。
次はルイズに聞いてみようかしらと、目標を才人からルイズへと変える。
「ルイズ、サイトと貴女の事で話してたんだけど。 貴女って貴族よね?」
「……貴族? 私が?」
「ええ、勘だけど、そうにしか見えないのよね」
ダイレクトにアタック、遠回しに聞いても同じ様に遠まわしではぐらかされない。
ここは肯定か否定か、直接答えてもらった方が良いとジェシカは考えた。
「……そうですね」
と、呟きながら流し台に立つルイズ。
置いてあった、今だ洗っていない皿を洗い始める。
「貴族だったら問題が?」
この子……。
平民にやらせるような仕事を自分から?
先に考えた『貴族だった』説が信憑性を増す、それとは別に『やはり貴族じゃない』説も持ち上がる。
「無いけど、どうしても平民に見えなったから」
「………」
才人より断然早く皿を洗い続けるルイズ。
差し出される洗った皿を、ジェシカは素早く布で水滴をふき取っていく。
そうしてドンドン積み上がって行く洗った皿。
「……やっぱり貴族じゃないの?」
「さぁ、どうでしょうか」
手際が良い、こう言った事にも手馴れているのはどう言う事だろう。
やっぱり貴族じゃないのかな。
「サイト、そっちのお皿お願い」
「あ、ああ」
と止まって会話を聞いていた才人も皿洗いに参加。
才人が加われば、洗った皿を拭くより早く洗った皿が増えていく。
「教えてくれない?」
「………」
答えない、そうしてやはり何か有ると考える。
「一つ、面白い言葉があります」
「……何?」
突然、この話の流れからは出ないような言葉。
振るだけの意味があるのだろうと、ジェシカはルイズを見つめる。
「……女は秘密を着飾って女になる、そう思いません?」
そう言って皿を洗う手を止め、鳶色の瞳をこちらに向けてきた。
「……っぷ、アハハハハ! いいね! 面白い事聞いた!」
自分の素性を聞かれたくないからって、こんな言葉が出るとは思いもしなかった。
馬鹿にしてるわけじゃないが、つい笑いが出てしまった。
「ルイズの言うとおりね、うん。 気にはなるけど、聞かないことにする」
と言っても興味が無くなった訳じゃない、それどころかもっと知りたくなった。
「これ位なら出来るでしょ」
そう言ったルイズ、溜まっていた皿が半分にまで減っていた。
休憩時間を才人の皿洗いに費やすなんてねぇ。
「時間だわ」
濡れた手を乾いた布で拭いた後、何度か手を振ってフロアへと戻っていくルイズ。
うん、おかしいわね。
「ルイズって面白いわね、雇って正解だったかも」
「うん」
「サイトが頷くのは可笑しいわよ」
「あー、うん」
「あはははは!」
二人は皿を片付けながら、ルイズのことを話し合うようになっていた。
「はい、皆。 お疲れ様!」
と閉店した店のフロアでスカロンが労いの言葉を掛けた。
時間はあと一時間もすれば、朝日が昇るくらいの時刻。
ルイズはあれからずっと接客、才人はずっと皿洗い。
フラフラで瞼がすっごく重い、まるで重力が何倍にも増えたかのような重さ。
それでも背筋を伸ばしてスカロンの言葉を聞く。
「今日は皆楽しみにしていたでしょうお給金日、もう一生懸命頑張ってくれてたから今月は色を付けておいたわ!」
女の子や厨房のコック達が歓声を上げる。
いいねぇ、何時もよりお金が貰えるのは本当に嬉しいよねぇ。
とか思いながら給金が入った袋を手渡していくスカロンを見るルイズ。
「はい、ルイズちゃん、サイトくん」
「え? 俺たちも?」
「ええ、ルイズちゃんが頑張ってたからね」
チップ幾ら位貰ったっけ。
瞼どころか思考すら重くなっていく、早く寝たいとそればかり考え始めていた。
「……こんなに?」
「殆どルイズちゃんのチップだけどね、初日でそれだけ貰えるってのは凄い事なのよ!」
才人が袋の中身を確かめると、金貨や銀貨が何枚も入っていた。
才人の手に乗ったお金を見て、すごいすごいと他の女の子達が褒めてくる。
一人の平民が何もせず一月暮らせる位の額、一日でこんなに稼げばかなり良い方じゃない?
噂話も結構聞けたし……。
「期待の新人よ! これからも頑張ってね!」
スカロンによるお給金配りと閉店の挨拶が終わればあとは休むだけ。
宛がわれた部屋は二階の客室、が並ぶ廊下の突き当たりにある梯子を上った先にある屋根裏部屋。
「……楽しそうだったな」
「何が」
屋根裏部屋の窓を開け、入り込んでこようとした蝙蝠を全力で追い払いながら聞き返す。
「接客」
「……まだ子供ね」
その言葉に才人がむくれる。
「どういう意味だよ」
「アルバイト、した事無いの?」
「有るよ、その金でパソコン買ったし」
「なら分かるんじゃないの?」
「……何が」
ベッドの毛布を取り、窓の外で振って埃を落とす。
「……子供ね」
「だからッ!」
「愛想よ、相手を喜ばせる為のおべっか」
接客業、お客に対して不快感を持たせるのはマイナス。
好感を持たせ、また来たくなる様、嫌がられない程度に愛想を振りまく。
来店するお客の数は利益に直結する、まして魅惑の妖精亭は客から貰うチップがあるため接客する女の子はそれを良く分かっている。
「社会人なら誰だって分かると思うわ、サイトもアルバイトした事あるなら人間関係の大事さ、分かるでしょ?」
「………」
「確かにな」
とかデルフ、意思があるったって剣だろうが。
人……じゃない剣付き合い? そんなモン全くねーよ。
「分かったなら……、いや、分かってそうね」
「いやーな空気があるってのは分かるぜ」
人間関係の悪い、ギスギスした職場なんぞで働きたくは無い。
修復できないなら転職何なりした方が良いと思う、転職できる仕事かどうかの問題はあるが。
愛想笑いの一つでもしてれば大体は悪くはならない、尤もここはポジティブな人たちばかりだからそうはならないが。
お客を取られたら自分の魅力が足りないからだ、と言わんばかりに自分を磨くのだ。
ギスギスした関係になるわけが無い、健全とした客の奪い合いみたいになっている。
貴族の社交界でも愛想やおべっかはごく当たり前だ、隆盛を誇る公爵家でも常にふんぞり返れる訳じゃない。
爵位が公だからと言って、誰もが頭を下げてくるわけじゃないし。
侯爵、伯爵相手にもおべっか使って機嫌を取っておかなくてはいけない。
初めて社交界に出てみて、そういった物があるのかと驚いたものだ。
てっきり、『私に付いて来れば良い』と言って終わりそうだと思っていたからだ。
一国の王ならそれで良いのかもしれんが、国で序列一桁台の力を持っていてもそれはそれ、これはこれ。
内政頑張るにしても隣り合った領地の貴族やら、生産した物の物流通すならもっと広い範囲で交友を築いておかなければならない。
そう言った不和協和の良し悪しで儲かったり儲からなかったり、力で押し通すだけじゃ進まないと言う難しさがある。
勿論それを上手くこなし、領地を栄えさせれば間違いなく名領主と言われるようになるだろうが。
「はぁ……、疲れた」
そんな事を理解していれば、不和なんて起こそうとは思わない。
そうじゃなくとも和気藹々、そう言った職場でも初日となれば居心地が悪い。
気遣いもしなければいけないし、自分は一番下なのだから。
更には見ず知らずの男にお酌したり、手を握ったりしたから余計に疲れる。
「寝るわ」
とベッドの上に乗れば、ベッドの足が折れ、大きく傾いた。
予想外の事に体勢を崩し、ベッドから転がり落ちた。
才人は反射的に手を伸ばし、ルイズの体を支える。
形としては尻餅を着きそうになり、俺の背中を才人が支え、その才人の肩に頭が乗った状態。
「……あー、これじゃあ寝れないわね」
「……だな」
ベッドの足が折れたことにより、見事に斜めってる。
むかーしに見た『ドリフ』みたいな、体を張ったギャグっぽくなっていた。
寝れない事は無いだろうが、確実に転げ落ちそう。
しょうがないからベッドの毛布を床に敷く。
「……どうにもならないのよ」
横になりながらそう一言、それは心に圧し掛かる言葉であった。