始祖の祈祷書を受け取ってから七日ほど経った。
詔は定番の、日本の洋式の挙式で神父さんや牧師さんが言うような。
あの誓いをハルケギニア風に変えただけ。
言う機会はなさそうだが、一応考えておいた。
「惜しい、今のは手前で落とせば……」
中庭でボール遊びに興じるお子様達。
木に吊るされた籠にボールを入れる、バスケのフリースローのような事をしている。
「手を使ったほうが面白いかと思うが……、魔法操作の練習にもなるか……?」
レビテーション、魔法を使って遊んでる他の生徒達。
それを見ながら中庭の一角に有るテーブルに座り、優雅にお茶を飲む。
東方からの輸入品とか何とか、やはり日本の緑茶に似ている感じがして良いな。
足元においてある籠には勿論編み物セット。
不可解な指の動きを克服するために、練習しているのだが……。
「これは無いわね……」
振動幅約2サント、日本語で言えば2センチ。
……怖いなんてモンじゃねーぞ!
ガクガクブルブル、擬音で言えばそんな感じ。
良くルイズはあそこまで編めたな……、輪を作った糸に上手く編み棒が入らないのだ。
裁縫の針の穴に、糸が通らないのは分かる。 穴が小さくて微かに指が震えたりしてな。
だが、これは桁が違う、その10倍以上有る大きさの輪っかに上手く入れられないのだ!
「克服なんて……、できるのかな」
独白するほど呆れる、それほどまでの絶望的な指の動き。
くそ、セーターとか、マフラーですら怪しいぞこれ。
唸りながら、ひたすら穴に通して、別の箇所に編み棒を突っ込んだりして編んでいく。
震える指をひたすら見つめ、動かそうとしていた時に後ろから肩を叩かれた。
「ルイズ、何してるの?」
「これ、何に見える?」
「……なにこれ、ヒトデ?」
分からないといった顔で、隣の椅子に座るキュルケ。
……そう見えても不思議じゃないな、俺もヒトデくらいにしか見えん。
「一応セーターね」
「は? これが?」
嘘でしょ、って言いそうなキュルケ。
俺も嘘だと信じたい。
「編み物してるんだけど、どうも指が上手く動かないのよ」
「幾ら指が上手く動かないからって、こんなのが出切る訳無いじゃない」
「これでも?」
編み棒を取り、糸を通して編み始めようとすれば。
「……それ、何かの冗談? それともわざと?」
「残念ながら、本当のことよ」
どう見ても編み物をしているような指の動きではない。
「それおかしいでしょ、どう見ても!」
「なら止めてみる?」
その言葉に、キュルケがルイズの手をとって抑え付けようと力を込めるが。
「ね?」
「ちょっと待ちなさいよ、本当におかしいわよこれ!」
抑えられない、変わらず震え続ける指、と言うか手。
これは絶望的だな、他の人に押さえつけて貰っても動くのだ。
もはや自律機動の指先、「止めて! 私は編み物なんてしたくない!」とかなんとか。
「克服しようと思ったんだけど、無理そうよね……」
「水メイジに見てもらったほうが良いんじゃない?」
「正常だって」
「……お手上げね」
文字通りお手上げ、弛まぬ努力によってこそ越えられる壁……か? ちょっと疑問が残るが。
「こっちの本は?」
「本は本よ」
「そんなの分かるわよ、題名を聞いているのよ」
「『始祖の祈祷書』」
「ふーん、何でそんな……白紙じゃない」
「そうね」
「そうねって、何でこんな酷い偽者持ち歩いてるのよ」
「それ、一応本物よ?」
「これが? こんな白紙のページしかない本が?」
あははははと笑い出すキュルケ。
メイジなら知らない人は殆ど居ない本、偽者も多いと言う話も知ってるだろう。
「それ、一応『王家』が認めた『国宝』よ?」
「……節穴なの?」
「不敬罪で投獄ね、まぁそう思うような本だけど……」
エキューにすれは数十億位行くんじゃない? もしかしたら百億超えるかも。
「……は?」
資本主義のゲルマニア貴族であるキュルケ、金に換算して言った方が分かりやすいだろう。
それを聞いたキュルケは目を剥いた、少なくともトリステインの国家総予算に近い位の価値はありそうだ。
「トリステイン王家が認めた、本当の始祖の祈祷書。 態々国の宝物庫から取り出してきたんだって」
「……値段の事は置いておきましょう、本物かどうかも置いておきましょう。 問題はなぜルイズがそんな物を持ってるか、って事よ」
一個人が、如何な大貴族でもそんな額は持ち合わせないだろう。
ラ・ヴァリエール公爵家や資産家として有名なクルデンホルフ大公家でも、五分の一にさえ届くかどうか……。
「そうね、置いておきましょう。 私がこれを持ってるのは、今度結婚する姫様の詔を詠み上げるためよ」
「……そう言う事、この前のアルビオン行きもそれに関係があるのね?」
「そうね、私やサイトが死んでたら、同盟はご破算になっていたでしょうね」
キュルケは目を細める。
だが、それもすぐ止め。
「先日、アルビオン新政府が不可侵条約を持ちかけてきたそうよ? 知ってる?」
「いいえ、意味の無いものなんて知る意味ないじゃない」
「意味が無いって、条約よ条約。 そんな簡単に──」
「破ってくるでしょうね」
「……まさか、そんな名誉を貶める事を貴族がするわけ無いじゃない!」
「貴族の名誉で見ればそうよね、だけど奴等が掲げる目的のためなら意味無いわよ」
「奴等の目的って何よ」
「教えると思う?」
少し笑ってキュルケを見る。
対してキュルケは真剣な表情。
「知っても良いことなさそうだから、聞くのはやめておくわ」
「賢明ね」
視線を手元に落とす、ぶるぶると震える指で編み物を再開する。
「……クッ」
「止めなさいよ、見ていて危なっかしいわ」
「こんなチャームポイントにすらならない事は、直しておいた方が良さそうだから」
編み棒がぶつかり、カチカチと音を立てる。
「そこまでして編んで、誰かに上げるの?」
「上手く出来たら……、サイトにでも……、上げよう……、かしら!」
「へぇ、使い魔さんにあげるんだ」
「キュルケも欲しいの? ……上手く出来たなら……、あげるわ……よ!」
「別に要らないわよ、そんな未確認生物なんて」
「……こっちに、通すのね!」
何か凄い事になっているルイズ。
どう見ても編み物をしているような動きに見えない。
「ふぅん、いいのかしら?」
「……こっちね……、なにが?」
「厨房のメイドよ、昨日も何かしてたしね」
「別に良いわよ、あの子なら」
「なんで私は駄目で、あの子良いのよ」
「もう忘れたのかしら?」
「……覚えてるわよ」
「そう? 男遊びを止めた様には見えないけど」
今だキュルケは男を囲っている。
せっかく注意したのに、無駄だったようだ。
「止めたら、認めるのね?」
「駄目よ、サイトを落とした後すぐまた始めそうだもの」
「なによ、最初から認める気なんて無いじゃないの」
「微熱のキュルケらしくない、何時もなら男の彼女に許可なんて取らないでしょ」
「そうね……、ルイズだからかしら?」
「……なにが?」
「そうねぇ、貴方の慌てふためく顔見たいだけかも知れないわ」
悪女だなぁ、キュルケ。
手玉に取る、って言うのはおかしいが。
キュルケが絡んできた時は、大人の対応で返すからなぁ。
「慌てふためく、ねぇ……」
「そうじゃない、タバサほどじゃないけど感情が薄く見えるわよ?」
「アルビオンの時は慌てふためいてたかもね」
「それは見逃したわね……」
心底残念そうに、はぁっとため息を付いたキュルケ。
そんなに残念か!
「そんな事言わないの、人が困る姿見て楽しむのは最低よ?」
他人の不幸は密の味?
「そうねぇ……、本当に良いのね?」
「問題無いわ、サイトが彼女を選ぼうと選ぶまいとね」
「なら、今ルイズの部屋に行ったら、面白い物が見えるかもよ?」
「問題無……」
待てよ、何かあったような……。
考えながら立ち上がる。
「……あら? 問題無いんじゃなかったの?」
「………」
なんだっけ……、ノートに書いてたっけ。
そのノートは部屋の中。
とりあえず行かなければ。
「忘れ物、取りに行ってくるわ」
それを見てキュルケはニヤっと笑っていた。
タイトル「一撃必殺」
『ま、待った! そういうのは不味いって!!』
と声が聞こえてドアを開けてみれば。
そうかそうか、サイトがルイズのベッドにシエスタを押し倒したように見える場面だったか。
見た後はサイトを追い出すんだっけ、ならここは乗っとくか。
「あ」
「……え?」
二人が振り返れば、ルイズが居た。
能面のような、感情が抜け落ちた……顔。
実際は色々考えていて感情が顔に出ていなかっただけなのだが。
二人にはそう見えて、時間が止まっていた。
「……サイト」
「は、はいぃ!」
指で刺す、ドアの外を。
「言いたい事、分かるわよね?」
「えっと……、何がでしょうか?」
「サイト、数日の暇を与えるわ、その間戻ってきちゃ駄目よ?」
ニッコリと、そう言って退けたルイズ。
「な、なんでだよ!」
「何で?」
「そうだよ、なんで──」
「シエスタも出て行きなさい、何時までもそのままで居られると迷惑だわ」
「ルイ──!」
ドン、と押し飛ばされる。
よろけて倒れそうになり、立て直せば。
「早く出て行きなさい」
そう、冷たい声で言われた。
カチンと来た、そりゃあルイズのベッドの上でこんな事になっちまったけど。
一つ位言い訳させてくれたって良いだろ!
「聞こえなかったかしら」
「わかったよ」
何も教えてくれない、ただルイズの良い様だけに進められていく現状にサイトはイラだっていた。
憮然に答え、二本の剣を抱えて出て行く。
「シエスタ」
「あ……あぁ」
「シエスタ、立ちなさい」
俺を見て震えるシエスタ、そういや筋金入りの貴族嫌いだったっけ?
俺は別だとか思ったんだろうな。
「早く!」
「はい!」
ブラウスをはだけさせたまま立ち上がる。
見れば少しだけ震えている。
「………」
無言で近寄り、シエスタは震えて瞼を瞑っていた。
「いくら認めたとは言え、私の部屋でこんなことしちゃ駄目よ?」
出来るだけ優しい声で語りかける。
両手でブラウスのボタンを閉めて、メイド服を正す。
「これで良いわね、おかしな所は無い?」
「あ、有りません!」
「そう、それなら宜しくね」
「……何がでしょうか?」
「サイトの事よ、マルトーに言っておくから出来るだけサイトを世話してあげて」
「あの、ルイズ様は怒ってらっしゃるんじゃ……?」
「そりゃあ怒るわよ、自分のベットでそう言う事されればね。 シエスタは嫌じゃないの?」
「い、いえ! 私も……」
「でしょう? それ以外の事なら別に怒りはしないわよ、いちゃつくのは時と場所を考えて、ってね」
ほら、サイトを追いかけて。
そう言って送り出そうとするルイズ様。
「なら、どうしてルイズ様はサイトさんを……?」
「そちらの方が都合が良いからよ、それともサイトの世話を焼くのは嫌だったかしら?」
「そんなことは……」
「ならお願いね」
背中を押されて、部屋の外に出る。
「多分どこかに行くと思うけど、サイトが守ってくれるだろうから付いて行ってあげて。 あ、私がこう言っていたなんてサイトに言っちゃ駄目よ?」
ルイズの口からすらすらと出てくる言葉に、シエスタは頷くしか出来なかった。