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No.4677の一覧
[0] 過去という名の未来へ(ゼロの使い魔 才人逆行)[歪栗](2009/01/22 21:00)
[1] プロローグ[歪栗](2010/11/07 08:49)
[2] 第一話[歪栗](2009/01/29 20:54)
[3] 第二話[歪栗](2010/11/07 08:50)
[4] 第三話[歪栗](2010/11/07 08:51)
[5] 第四話[歪栗](2010/11/07 08:47)
[6] 外伝:初めて人を殺した日[歪栗](2009/02/11 02:33)
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[4677] 第四話
Name: 歪栗◆970799f4 ID:a9d0bd55 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/07 08:47
 何か、得体の知れない怪物が自分の体を食らおうとしている。
 そんな不快な夢を見たような気がして、才人は上半身だけ起こしたままベッドの上で大きく欠伸をした。
 事実は小説よりも奇なり、とでも言おうか。ハルケギニアに生息する幻獣どもの姿の多くを知って、その内の幾つかを相手に戦った事もある才人だ。悪夢の中の正体不明な化け物なんて怖がれるわけも無い。
 ただ、本当にそうなのか、とも思った。夢の中の正体不明の化け物は、いやどうにも見た事のある化け物じゃなかったろうか。
 眠たげに細められた目を更に細めて、彼は一体あれは何だったのだろうかとぼんやりと考えた。
 起きた直後にその日見た夢を反芻するなんて、ハルケギニアに来てからは殆ど経験した事が無い。
 彼の過去を再現した夢ならば話は別だが、今日のそれは悪夢とはいえどう考えても他愛の無い夢に過ぎず。
 しかし、今の生活はそれを簡単に許すくらいには平穏だったのだ。
 夢の中、自分に迫ってきた巨大な影を思い浮かべる。
 ぎざぎざとした鱗、細長い独特の虹彩。ちろちろの細長い舌が不気味に揺れて、びっしりと鋭い牙の並んだ大きな口が己を飲み込もうとしていた。
「――あ」
 ぽん、と手を打つ。
 あれは大蛇だ。
 そういえば、才人の体はやけにふわふわと黒く毛深かった。
 何だか初めのうちは、自由に蒼穹を飛ぶ愉快な夢だった気もする。ラッキーな夢だと思っていたものだ。
「下らねぇ……」
 本当に下らないが、夢の中身が判明した事に少しだけすっきりして、才人はベッドから降りた。
 彼が居るのは、随分と暗い部屋だった。今が早朝である事をある事を差っぴいても、暗すぎる。
 だが、それもやむなき話。
 使い古されて染料が落ちかけている薄茶色のカーテンを引いて、才人は外を眺めた。
 眼下には学院の裏手の大部分を占める広大な森林。逆に言えば、それ以外には何も見えない。空には未だ仄かに黒味の勝った群青の空。窓を開ければ冷たい風がひょおっと吹き込んで、森に住む獣のだろう遠吠えが微かに耳朶を振るわせる。
 春先だというのに全く春の訪れの感じ取れぬ、どこまでも寒々しい風景。
 朝も早い時間帯に、西向きの窓から見える景色などそんなものだ。
 うーん、と特に気持ち良くない朝の光景を眺めながら、大きく伸びをした。
 今日で、才人が再びルイズに召喚されてから丁度一週間。と言っても、地球の単位で表せば、だが。ハルケギニアの基準に従うのなら、明日で丁度一週間という事になる。
 そして、才人は彼女に召喚された翌日から、今彼の居る彼のために用意された部屋で生活していた。
 清潔そうなシーツに柔らかそうな毛布が被されたシングルベッド、一冊だけ本の入っている木製の本棚に、数着、定期的に学院を訪れる行商から買った真新しいシャツやパンツが入っている洋服棚。
 黒塗りのテーブルには、ぼろぼろの鎖帷子や皮の鞘に収まった短剣の他にも水差しとバスケットが置かれて、そのバスケットには無造作に夜食用の黒パンが数本突き刺さっている。
 広さは、部屋の奥から扉まで、大体才人が歩いて八歩というくらいだろうか。
 一所に長く留まるといった経験の少ない彼は、私物を部屋に置こうという意識が薄い。必要最低限のものしか置かれぬがらんとした部屋は、ぱっと見には誰も住んでいないと勘違いしてしまいそうでもある。
 その事が、部屋を実際のそれよりも随分と広く感じさせていた。
 事実として、ルイズの部屋に比べれば確かに狭いが、平民に与えられる部屋としてはそれなりに広いし、内装も才人には区別がつかない程度には整っているのだけれど。
 寝起き特有の口中の粘つきに、才人は水差しから水を口に含んで傍らの桶にぺっと吐き出す。
 そのまま水差しをテーブルに戻そうとして、才人はそれに気づいた。
 テーブルに、いくつもの円が描かれている。大きさは一定で、色は黒。外周は白く、そしてそれらの円が重なり合ってさながら幾何学模様を呈していた。
 何の事は無い。黒はテーブルの色で、白は埃。テーブルに薄く埃が積もっていて、それが丸い水差しに切り取られながらもその領域を広げようとしているという、ただそれだけの話。
 考えてみれば当たり前の事だ。才人がこの部屋に住むようになって一週間。掃除をした記憶は初日の一回のみである。
 その時の記憶が頭に蘇って、才人は苦笑を浮かべて雑巾を探し始めた。




 当たり前の話ではあるが、生徒や教師の住む寮塔に比べると平民用の寮の部屋は相当に質素である。
 狭い、暗い、汚いの三重苦。
 階段を上って、最奥の突き当たり。自分がこれから住むことになるその部屋に案内された才人は、思わず声を上げてしまった。
「うわぁ……」
 扉を開けた瞬間、隙間から濛々と噴き出したるは灰色の埃。
 それを払い咳き込みながら中を覗くと、西向きの窓から殆ど沈みかけた夕日が最後の抵抗とばかりに眩しく輝いているのが目に映る。
 天井からは、びっしりと張り巡らされた蜘蛛の巣が無数に垂れ下がり、扉を開けたことで回り始めた気流になびいて室内に射し込む夕日を反射させていた。
 ゆらゆらと揺れる蜘蛛の巣の動きに合わせて、反射された赤い光が踊っている。
 その、まるで炎に包まれているかのように幻想的な光景も、埃の匂いとともにあっては全く温かみというものを感じさせず、ただただ不気味だった。
 一体、この部屋は使われなくなってからどれほどの間放っておかれていたのだろうか。あまりにも壮絶な光景に、開かずの扉を開いてしまったんじゃ、などと益体も無い考えすら浮かぶ。
「い、一応、いいお部屋……なんですよ?」
 彼を此処まで案内したシエスタの声も硬い。
 本当に、一応この部屋はいい部屋のはずなのだ。シエスタの知る限りでは。
 貴族の部屋に比べれば確かに狭いが、平民の部屋としては十分すぎる程。
 西向きとはいえ平民用の寮塔でも最上階にあり、三つ隣の部屋はコック長のマルトー、その向かいは給仕長の部屋と、平民のお偉方が住んでいる。
 そんな並びの部屋に才人が住めることになったのは、公爵家令嬢ミス・ヴァリエールが従者にはそれなりの部屋に住んでもらおうという、学院側の厚意の結果だ。
 置かれている家具だって、高級と呼べる程の物ではないにしろ、決して粗悪なものではなかった。古臭いが、瀟洒とすら言える代物だ。
 狭い部屋を二人組みで使っている、シエスタを初めとした下っ端の平民たちに比べれば別格の待遇。
 それに。
「まずはお片付けをしないと、住めそうに無いですけど……」
「まぁ結構広いし、造りもしっかりしてるからいい部屋ってのは納得だ。……でも、うーん、いくらなんでも此処まで汚いと眠れそうに無いな」
 シエスタは知らぬが、才人もハルケギニアに来てからはそれなりに酷い生活を送って来ている。
 野宿なんてざらだし、屋根があってくれるならきこりのあばら家だろうが場末の安宿だろうが構っては居られない。
 勿論ツェルプストー邸やアンリエッタが匿われていた屋敷に泊まった時などは、向こうの厚意で殆ど貴族の部屋と変わらぬ豪華な私室を貸して貰っていたが、それはむしろ貴重な経験である。
 不満は無い。ちょっとどころじゃなく驚かされたのは確かだが、汚ければ掃除すれば良いだけの話だ。
「案内ありがと。こりゃちょっとやそっとじゃ住める環境に出来そうにないし、頼んでいた件は……今日は無理かな。明日からよろしく」
 肉体的にはともかく、精神的には、今日一日色々あった疲れがずっしりと才人に圧し掛かっていて、どうにも気が進まなかったが。
 そんな気持ちが、声に滲み出てしまっていたのだろうか。
「お手伝いしますよ」
「え……?」
 シエスタの提案に、才人は困ったように固まった。
「……? どうしたんですか?」
「あ、あー、その、何で?」
「何でって……、私、そんなにおかしな事言いましたか?」
 おかしい。ただ、心底不思議そうな顔で問い返してきたシエスタにそう言うのは、何故か間違ってる気がした。
「俺、別に疲れてないから」
「はい? えっと、それは何よりです」
「……」
「…………?」
 冷や汗が一筋、才人の背中を伝う。認めざるを得なかった。
 シエスタは、彼女にとって当然の提案をしただけに過ぎず、そこには何の思惑もありはしないらしいと言う事を。
「二人でやればすぐ済みますよ。さ、手早く片付けちゃいましょう」
「う、うん」
 ハルケギニアという過酷な世界に揉まれ、すっかり汚れきっちまった気で居る才人には彼女の在り方はそりゃもう眩しかった。
 シエスタは、才人よりも遥かに長い期間平民としてこのハルケギニアに暮らしているはずで、それでも尚てらい無くただ善意を持って人に対する事が出来るのだから。
 少しは相手を選んだほうがいいと思う、と偉そうな考えも頭に浮かんだが、それを口にするのはやめておく。
 才人にその気は無いし、そもそも選んでいないはずが無い。
 ただ、高々出会ってまだ数時間にもならぬ自分が、その対象になるくらい信用されているのだというその事実が妙に気恥ずかしい。
「とりあえず、用具は俺が持ってくるから。シエスタは手順を考えておいて」 
 一体これでいくつ目の借りなんだろうか、これを返すのは大変だなぁとため息を吐いて、才人は歩き出した。
 もしこの場を、かつて彼の相棒であった女性が見ていたとしたら、ため息とともにこう言っただろう。
 そんな、向こうも求めていないだろうお返しを態々馬鹿正直に考えているお前も十分にお人好しだと。
 そして、そんな彼女のため息も、才人のそれに似ていると誰かから評されるものだったのだろうが。


 そんなこんなで、才人はシエスタとともにこの部屋の掃除に奮闘したのだが。
『もういいじゃん』
『いえ、まだこことかそことか汚れてます。あ、カーテンも用意しないといけませんね』
『なぁ、俺としては寝れるだけでいいんだからさ、そこまで細かく……』
『駄目ですよ。ほら、早くバケツの水を替えてきてください』
『……わかった。でも後は俺一人でやるから、シエスタは戻りなよ。いい加減疲れたろ?』
『え?』
『もう日も沈んじゃってから結構経ってるし、相部屋の子も心配してるんじゃないか?』
『でも……』
『感謝はしてる。俺一人じゃここまで手際よく出来なかったろうし。そういえば今日は一日、迷惑掛けっぱなしだったな。ありがとう』
『いえ、迷惑だなんてそんな』
『送ってくよ。行こう』
『あ、はい。……ヒラガさん?』
『何?』
『バケツ、忘れてますよ?』
『え? バケツ……?』
『…………』
『あ、ああ! そうそう、バケツ、バケツね。うん。この後シエスタが部屋戻っても俺は掃除を続けるんだから、そりゃあ水替えのバケツを持たなくちゃ駄目だよな! いやー、うっかりしちゃったなー、はは……』
『ヒラガさん』
『……はい』
『お掃除、お手伝いします』
『……はい』


 言い訳をさせて貰うのならば、根無し草の才人は自室の掃除と言うものの必要性をそもそも理解出来ていないのである。
 根無し草になる前だって、彼は何処にでも居る普通の(多少だらしない)高校生だった。精々、年末に一回親に強制されて自室の大掃除をするくらいで、定期的に部屋の掃除などという習慣など持ち合わせては居ない。
 ルイズの部屋を掃除するのはまた別の話だ。いつかの習慣の中で、数少ない彼が定めた一線に抵触しない行為。彼にとっては進んでやって当然の事。
 だがそんな理屈が才人の過去を知らぬシエスタに理解できるわけも無い。
 シエスタの才人への評価には見た目のわりに誠実で真面目そうな人の他に、見た目どおりにだらしない、いい加減な人、と言う間逆の項目が新たに付け加えられ。
 翌日に行われたシエスタの講義において、その評価はダイレクトに才人に跳ね返ってきた。
 元々才人は従者として必要な知識、技能を教えてもらうだけのはずだった。
 なのにシエスタは開口一番、自分の部屋の掃除も満足に出来ない人が主人の部屋の掃除をきちんと出来るわけが無いでしょうなどと言って、以降も才人はシエスタに従者と言うかもてなす側の人間としての精神論を叩き込まれたのだ。


「ま、こんくらいかな」
 そう言って、本棚の上や窓枠等を見えない振りして雑巾をバケツに放り込んだ才人を見ると、彼女の講義は全くの無意味であったようにも思えてならないが。




 平賀才人の朝は早い。殆ど夜明けと共に彼の一日は始まる。学院に働く平民たちの朝も早いが、彼はそれよりも少し早く起きるようにしていた。
 食事前に、鍛錬をする為だ。
 他にもいくつか理由はあるのだが、それが一番の理由だろう。
 ガンダールヴの力は才人に己の力への自負をもたらしたが、初め、彼はこの大きな力を持て余していた。
 才人が、三年にも及ぶ年月をかけてそれこそ死に物狂いで身に着けた戦術は、非力な平民がメイジや、凶悪な亜人、怪物たちを相手に何とか戦いの格好を取り繕うためのものであって、決してそれらを真っ向から打ち破るためのものではないのである。
 体に染み付いた技術と、ガンダールヴのルーンが上手く噛み合わない。
 だからといって身体能力の向上のみに満足して、戦術は以前どおり、という訳にもいかない。それは余りにも勿体無いというのもあるし、それ以上に、彼の目的はルイズを護る事なのだ。奇襲暗殺が基本の“メイジ殺し”は、人を護る事を想定していない。
 それでも、ルーンを宿してもう一週間が経つ。今、自分には何が出来て、何が出来ないのか、それを彼は連日の鍛錬で大方把握出来ていた。
 服装は何時もの通りに、擦り切れた麻の衣服の上から鎖帷子を着る。昔の日本などでは、鎖帷子は別名着込み等とも呼ばれ、その名の通りに衣服の下に着込むのが通例であったが、ハルケギニアにおいては別に上に着ていてもそこまで不自然なものではない。
 勿論、平時において今の彼の姿は他の者から見れば示威的とすら受け取られかねないのは、先日のシエスタとのファーストコンタクトの例を見ても明らかだ。ただそれを避けるためのマントは生憎消し飛んでしまっている。
 結局破けていたらしいズボンの尻は指を血だらけにしながら不器用に繕ったのだが、首に巻きつけた部分しか残らなかったマントはどうやって補修すればいいというのか。
 まぁ、ルイズを守る為の代価としては安いものだし、いい加減才人の姿も学院の者たちに見慣れられて、初めの頃のようなトラブルを冒す心配も無くなってきているのだが。
「……?」
 鎖帷子を着る途中、指にちくりと痛みが奔って、才人は不思議そうに右手を眺めた。
 人差し指に血の玉が浮かんでいる。
「げ……」
 鎖帷子の、肩の辺りのリングのリベットが外れて、おまけに思いっきり歪んでいた。初めての経験では無いし、材料も手元にあるとはいえ、補修には三十分はかかるだろう。
 朝食と鍛錬の時間。どちらかは確実に潰れてしまう。
 急げばどうにかなるだろうか。いや、難しい。
 それに、ルイズを起こす時間を昨日よりも早くしなくてはならない理由もあった。
「っち」
 思わず、舌打ち。がるる、と腹の虫がうなり声を上げる。
 それでも、出来れば、鍛錬の時間は削りたくなかった。
 才人は数日で、ガンダールヴの力をほぼ理解することが出来た。それでも、彼は決してその事に満足せずに朝の鍛錬を続けている。
 デルフを手に入れるまでは、この短剣を用いた鍛錬にはこれ以上さして意味はないと悟った後もだ。
 習慣というのも無論あろう。その習慣は、自身の無力さに泣いた経験から来るもので。疎かに出来よう筈がない。
 だが、ただ使命感に突き動かされているだけではなく、それと同じくらいには、今の彼は鍛錬を楽しんでもいたのだ。
 自身の限界を、ぶつかっていた壁を容易く打ち壊したルーンの力。
 単純に、男として心が躍る。



 補修には思ったより時間がかかった。補修を始めようとしたところで、何と杭打ちの頭部が柄からすっぽ抜けてしまったのだ。
 こう言うのを泣きっ面に蜂って言うんだっけか、とため息を吐いて友人である衛兵ブラーシェの部屋の扉を叩き、夜通しの見張り番で疲れ果ててこれから寝ようか、という所だった彼を相当に不機嫌にさせながらもどうにか杭打ちを借り受けて自分の部屋に戻り、不器用な手つきでやっとこさ補修を終わらした。
 もしかしたら軽く朝食を食べる時間があるかも、という儚い望みは簡単に打ち砕かれた訳である。
 一食抜いた程度で十全の力を発揮できない等と言うつもりは無いが、一応健康な青年男子、食えるなら食っておきたかった。
 補修された鎖帷子を身に着けながら才人ははぁ、とため息を吐いて、扉を開けた。
 廊下に出る。そこで、ガチャリと左の方から音がしたのに目を向けた才人は、気まずげに顔を強張らせた。
 何ともまぁ、悪いことは続くものだ。
「……ども」
「ああ」
 そこに居たのは、マルトーだった。彼は才人とは対照的に上機嫌そうに笑みを浮かべている。
「よく会うな」
「そうっすね。俺もマルトーさんも朝は早いほうですから。むしろこれまで会わなかったのが不思議な話で」
 仕込みなど色々と忙しいのだろう。とは言え、彼の朝は他の平民と比べて特別に早いと言う訳ではない。
 ここで会ってしまったのは、才人が何時もより遅くに部屋を出た為である。
「お前が俺の事を避けてたんだろーが」
 苦笑しながらのマルトーの言葉に、才人は小さくすいません、とだけ返した。
 それだけが理由ではない。ただ、一因ではあった。
「何だ、まだ気にしてるのか?」
「まあ……。昨日の今日じゃそうそう切り替えられませんよ。今は、どっちかっていうと恥ずかしさが先に立ってますけど」
「フーローたちとは普通に飯食ってるんだろ?」
「あの人たちは、特にフーローさん最初からは全く俺の立場を気にしませんでしたからね」
「俺だってそうだ」
「そうですよ。だから恥ずかしいんじゃないですか」
 難儀な性格だな、とマルトーは笑って、才人もそれに合わせるように軽く笑った。
 いつかのように、愛想笑いでは無かった。

 ぶっちゃけ、自意識過剰だったのだ。ついでに、偏見を持ちすぎても居た。
 良かれと思っての行動が、たった二つの認識のズレでイタい勘違い野郎になってしまった。
 ああ、今思い出しても頬が熱い。穴があったら入りたい。いや、むしろここで掘る、掘らせてくれ。
 平賀才人20歳前後の偽らざる本音であった。



 
 あのギーシュとの決闘を境に、才人は学院内における自分の立場を改めた。
 具体的には、我らの剣と言って歓待するマルトーを筆頭としたアルヴィーズの食堂の面々に俺はあなた方の剣ではなく、ルイズの剣であるとはっきりと言い(ああ恥ずかしい、何であんな言い回しをしたのか)、他の平民たちにも自分は平民ではあるがルイズの味方、貴族側の人間だという事を明確に表明し。
 それが原因で、彼は数日間マルトーやその他平民たちとの関係を(一方的に)ギクシャクさせていたのだ。
 先日の夜までは。




 お茶の淹れ方というのは、従者にとってもある意味基本中の基本といえる。
 という訳で、いや、どういう訳か才人はいまいち理解しきれて居なかったのだが、その日の才人はシエスタに何度目かのお茶の淹れ方についての講義を受けていた。
 場所は平民用食堂の厨房。時刻は夜。扉の向こうからは酒の入っているらしい男の叫び声が聞こえるあたり、そう遅くではないようだ。
 椅子に腰掛けたシエスタを前に、才人がティーポットからお茶を注ぎいれた。
 それを見て、シエスタが問う。
「何ですか? これ」
「今日はブラックティー風に淹れてみた」
 才人の大きな手のひらにすっぽりと収まってしまうほどに小さなティーカップには、成る程彼の言葉も頷けるような黒い液体が注がれている。
「あ、あのですねぇ……」
 が、シエスタが上げたのは呆れたような苛立ったような声。だがそれも当然の事。こんな黒いお茶があるわけが無い。
 明らかに茶葉の入れ過ぎである。
 男の料理は豪快というのはハルケギニアでも通用する定型句だが、そうですかヒラガさんもそうなのですか、とシエスタとしてはため息を吐くしかない。
 シエスタの勤めている場所にはその定型句が通用しない男が複数人存在するが、そもそも自身の父親がばっちし当て嵌まる人だったので、彼らの方が例外だと彼女は思っている。
 まだ幼かった頃。とある冬の日。病気で寝込んだ母の代わりに父が作ったオートミールのあまりの玉葱臭さに弟妹たちとともに泣いた日を思い出して、シエスタは大きくため息を吐いた。
 何度言っても聞き入れてもらえない所も同じなのだ。
 いやはや、まさかこんな所で幼少の頃のトラウマを刺激される事になるとは、彼の頼みを聞き入れた時には予想もしていなかったなぁと。
 これでもかというくらいに私呆れていますという態度を示すシエスタに、流石の才人もちょっとあわてた様だった。
「いや、でも今回は違うんだって」
「何が違うんですか?」
「さっきも言ったとおり、これはブラックティー……」
 ブラックティーなんて、この国ではかなりマイナーな言葉だ。お茶といえばミルクティーが主流のアルビオンにおいて、素のままのお茶を示す為に作られた言葉であって、トリステインでは殆どの人はそんな言葉聞いたこともあるまい。
 シエスタだって、ずっと前に読んだ本に書いてあった記述を偶然覚えていただけで、少なくとも他人の口からそれを聞いた事は無かった。
 彼もまたシエスタと同じように本に載っていた言葉を見つけて、きっとそれが何を意味するかも分からないのに使っているんだろう。
 そもそも、当の本を才人に貸したのはシエスタである。それくらい、訳も無く理解できる。
 因みに、上記したとおりブラックティーとは素のままの紅茶、つまりストレートティーを指すわけであって、決して字面通りのブラック(黒い)ティー(お茶)を意味するものではない。
 何やら言い訳をしているらしい才人の声を右から左に聞き流し、シエスタは彼を見つめた。
 貴族を倒した時の彼はあんなに格好良かったのに、どうして普段はこうなんだろうかと思いながら。
 公爵家令嬢の従者、ゼロのルイズの使い魔、ギーシュを一蹴した平民の剣士、平民の剣(違)、ラ・ヴァリエールの剣(笑)。ちなみに括弧内は、前者は才人の、後者は才人の友人だという衛兵たちの感想だ。
 ともかくも、学院における現在の才人の評価は貴族と平民、そしてそれぞれの中でも好意悪意180度違う考えがあったりしていまいち明確ではないのだが、これだけははっきりと言える事がある。
 少なくとも、一目置かれて居るという事。召喚された翌日にあんな騒ぎを起こしたのだから当然と言えるだろう。
 だが。
「一々屁理屈を言わないで下さい」
 ばっさり。
 シエスタは、そんな色眼鏡をとっくのとうに外している。
 いくらなんでも、普段のヒラガさんは子供っぽすぎです。

 
 だんだんシエスタの態度から遠慮が無くなって来たなー。才人が最近とみに感じる事の一つである。
 不満は無い。そもそも構えた関係というのは苦手なのだ。かつて、それはそれは酷かった彼の演技力は、今や戦闘中に限れば見破られることはありえないとばかりまで向上したが、普段の生活でそれは疲れる。
 自分で飲んでみてください。そうシエスタに突っ返されたカップを強がって呷った。こちとら洒落ではなく毒杯を呷ったこともある。舌が痺れる程に濃い紅茶でも、才人にとっては表情を取り繕う必要すらない。
 少し目を丸くして、でも呆れたままの表情でどうですか? と問うシエスタに、才人はこう答えた。
「昨日よりはマシだと思う。明日はもっとマシになってるんじゃないかな。シエスタのおかげだよ、ありがとう」
「……」
 本音だったのだが、なぜかシエスタは押し黙ってしまった。
「? どうかした?」
「何でもありません」
 ちょっと怒った風にそう言って、シエスタはポットに手を伸ばす。何が何でもないのか、というか何をする気なのか、と首を傾げた才人を尻目に、新しいカップに紅茶を注ぎ入れる。
 そして、才人が止める間もなく、その、先ほど突っ返した筈の才人の紅茶を口に運んだ。
 一口。顔を顰める。才人が口を開き何かを言おうとする前に、更にぐいっと、一気に残りを喉に流し込んでしまう。
 そして、顔を顰めたままカップをテーブルに戻した。
「シエスタ?」
 才人には、彼女の行動は完全に理解不能だった。一度は突っ返した紅茶を、何でわざわざ飲んだのか。元々淹れた本人からして絶対に美味しくないだろうと思っていた紅茶である。
 突っ返されて、実はほっとしていたというのに。
「渋すぎます」
「え? ああ、うん。確かに……」
「こんな紅茶で、教えた事のお礼を言われてもうれしくありません」
「……う」
 きつい。ブラックティーの下り、教えてもらっている立場でふざけすぎただろうか。いや、下手糞過ぎる腕前を自嘲気味に茶化しただけであって、決して淹れる時もふざけていた訳ではないのだけれども。
 冷や汗を浮かべる才人に、シエスタはちょっと笑った。
「もう一度。今度は私の前で淹れて見て下さい」
「わ、わかった」
 誰にでも経験のあることだろうと思う。教師に見つめられながら成果を示すのはとても気まずく、やり難い。自信が無いのなら尚更だ。
 だが、あんな不味い紅茶を淹れた後では、そんな言い訳を口に出来る筈も無いのだった。



 夜女性の一人歩きが危険なのは地球もハルケギニアも同じことだが、その危険度は格段に違う。
 とは言え、それは街中や街道での話である。平民だろうが貴族だろうが、住んでいる者、勤めている者の身元どころか所在すらしっかりと把握されていて、更に至る所に衛兵が配置されているこのトリステイン魔法学院内において、たかだか食堂から寮に戻る道中を女性一人で歩くことにどれほどの危険性があるというのか。
「しっかしごめんな、こんな毎晩毎晩」
「いえ、お給金ももらってますし、それに人に自分の仕事を教えるというのも楽しいですよ? それに私にとっても勉強にもなってます」
 だから、これは礼儀だった。才人もシエスタも、昼日中は己の仕事があってなかなかに忙しい。夜、下手したら深夜になってからの講義の帰りに、シエスタを寮まで送っていく。
 いくら平民の人権に対する意識の薄いハルケギニアと言えど、いや、それでもその事実を知った時才人は結構驚いたのだが、男性と女性の寮は基本的に分けられていて、更に幾つか建っている平民用の寮の中で、才人の住む寮とシエスタの住む寮は一番離れていた。お堅いトリステインらしいとも言えるのだろうが。
「へぇ、そういうものなのか?」
「はい、そういうものなんです」
「人にものを教えるのは、自分にとっても勉強になる……か。どっかで聞いた言葉だな。あれ? 人にものを教えるには自分はそれに何倍も詳しくなくちゃいけない、だったかな」
 十分にも満たない短い時間だが、才人はそれなりにこの時間を楽しんでいた。明かりといえば空に浮かぶ二つの月と、後はまばらに建つ建物の窓から漏れるランプの光だけ。それらは弱々しく、だが足元が見えるくらいにはしっかりと、夜のトリステイン学院を仄かに照らしあげている。
 風情、といった面で言えば日本のコンクリートジャングルなんぞハルケギニアの足元にも及ばないだろう。
 その事に郷愁を感じるには、才人はハルケギニアに長く暮らしすぎていた。ただ、こんないい雰囲気の中を容姿可憐器量良しと三拍子揃った女友達と、取り留めのない事を話しながら歩くのを楽しんでいるだけだ。 
 貴族のお嬢様に亡国のお姫様に銃士隊の隊長以下の面々に後は馴染みの娼婦たち。このハルケギニアに来てより色んな女性と知り合い、ある者とは行為を交わし、ある者とは共に戦った。彼の女性の知り合いはかなりバリエーション豊かなものだったが、シエスタみたいなタイプは居なかった。
 性格だけを見ればアンリエッタか。立場が違うので、こんな気軽に言葉を交わす関係では決してなかったけれども。
 現時点では深窓のお姫様とメイドな平民。まさしく天と地ほどに身分の離れた二人を並べ立て、似たタイプだと思ってしまうのは、……果たしてどちらが変わり者なのやら。
「そう言えば、あの話はどうなりましたか?」 
「あの話?」
 ふと、シエスタが振ってきた言葉に、才人は首をかしげた。
「ミス・ヴァリエールの事です」
「あぁ……」
 生返事を返して、空を見上げる。
 あからさまな誤魔化しに、シエスタが目を吊り上げた。雰囲気でそれを察して、才人は慌てて口を開く。
「恥ずかしいんだって。今更そんな」
「駄目です。平賀さんはミス・ヴァリエールの従者なんですから、私たちとは違うんですよ?」
「でもなぁ」
「とにかく、明日の朝一番で言ってみて下さい。時間が経てば経つほどもっと恥ずかしくなるでしょうし」
「努力する……と」
 楽しいお喋りに、気を抜いてしまったのか。
 いや、気を抜くも何も、平和な学院内で何に警戒というのか。だからこれは、不運なだけだ。
 恐らくはお互いに帰り道。
 だが、朝の早いはずのコック長がどうしてこんな深夜に出歩いていたのだろう。珍しい事もあるものである。
 本当に不運だと、才人は深くため息を吐いた。
 避けて避けて明日でもう一週間。予想もつかない場所と時間に、ばったりと出会ってしまったのだから。
 向こうもこちらに気づいたらしい。僅かに目を見開いて才人を見やり、そして横のシエスタに視線を走らせ、また才人に戻した。
「…………」
 別に、気まずく思う必要など無い。才人は自分の思うところを言っただけである。勝手に期待されたのを否定しただけで、裏切ったつもりも無ければ裏切られたと思われる謂れも無い。
 もしあの時逃げ出さなかったら、そうやって胸を張れたんだけどなぁ……。
 そう、才人は逃げ出してしまったのだ。あの時、自分を歓待しようとするマルトーらに対して自分の立場を表明した直後に。
 予想は付いていた。以前も似たような事があったから。才人は以前と同じ行動を心がけてなど居ないが、ギーシュとの決闘を繰り返してしまった以上、それもまた繰り返されるのは必然ともいえた。
『俺は、俺の剣はミス・ヴァリエールの為にのみ振るわれます。我らの剣なんて呼ばれるのは、……その、正直迷惑です』
 そう言った時の、食堂内の雰囲気の悪さは、今思い返すだけでも顔を顰めたくなるほどには最悪だった。そして、それに耐えられずに、才人は逃げ出したのだ。
「…………」
 だからこそ気まずくて、でもここでまた逃げ出すのはいくらなんでも失礼で。故に才人は沈黙することしか出来ない。
 貴族寄りである事へであったら、罵声も侮蔑も才人は覚悟の上である。堂々と胸を晴れる。自分はルイズの従者兼使い魔なのだから。
 でも、逃げ出したのはどうにも胸の張りようが無い。
 どっちつかずで宙ぶらりんなまま固まった才人は、故にマルトーの目が笑っている事に気づけなかった。
「なぁ、ヒラガ」
「……なんすか?」
「いい加減、俺に言うべき言葉があるんじゃないか?」


 本当に、自意識過剰。偏見を持ちすぎ。
 そして何より、思い上がっていた。早めに気づけたのは幸いだったろう。
 ここは、才人にとっては未来だが、同時に過去でもある。他の誰もが知らぬ事を才人は知っていて、そして逢ったことのある見知らぬ相手の人となりすらある程度理解できている。
 だからこその失敗。才人にとって、マルトーは貴族嫌いで腕のいい学園のコック長という、それだけでしかない。
 そして、それが全てだと思っていた。以前は知らなかった人の一面なんて、シエスタで散々理解させられていたというのに、だ。
 これは後に知った事だが、聞けばマルトーは学院の教師で当然貴族であるコルベールとそれなりに親しい間柄だという話ではないか。


「その、いきなり立ち去ってすいませんでした。俺の為に用意してくれた席なのに……」
「おう、そうだな。ただで許せる範囲を超えてるぜ? 何でいきなり出てったのか、詳しく聞かせてもらおうじゃねえか」
 何故立ち去ったのか。それを問われても、あの時言い放った言葉の真意は問われない。
 それが、全てを示していた。


 早めに気づけてよかった。自分の思い上がりを。
 以前の知識だけで判断する。それが過ちを招くという事を。
 取り返しのつく過ちで気づけたことは、本当に幸いだった。




 ほんの少しの気まずさを残しながらもマルトーと友好的に会話した後、才人はその足で学院の門へと向かった。
 無駄に荘厳な(才人にとってそう感じるだけで、トリステイン魔法学院という歴史と権威のある学院の門としてはむしろ相応なのだが)正式の門ではなく、平民や教師がちょっとした用事で外に出る時に使う勝手口のような門だ。
 ここ一週間で随分と増えた顔見知りの衛兵、そのうちの一人と軽く挨拶を交わして、外に出る。
 軽く体をほぐし、そして右手に聳え立つ高い塀沿いに走り始めた。
 傭兵にとって体力は大きな比重を占める。常に十全の力を出せて当然。その為の体力作りは欠かせない。
 その為の手段として、ランニングはもっとも手軽だ。
 そして、体力作り以外にも、これは役に立つ。
 とんとん、と固定化のかけられている古びたスニーカーのつま先で軽く地面を叩き。
「さて」
 今日は何周しようかな。
 朝飯を抜いた事による空腹感を慣れ親しんだものとして、やはり手馴れた調子で無視しつつ、才人はぐるりと三十分ほどで学院を一周してのけた。
 この時点で、ルイズを起こす時間まで後残りは二十分ほど。いや、ルイズを汗臭い体で起こすわけにも行かないので、その前に身づくろいをする時間も含めれば鍛錬に使えるのは後精々十分程度しかない。
 当然、後何周も、どころか一周すら難しい時間だ。
 普通なら。
 そして、少なくとも今の才人は普通ではない。
 腰に下げた短剣を抜いて軽く息を整えると、彼は再び走り始める。
 抜き身の刃を光らせながら全力疾走する男の図はどう考えても異常だが、才人は特に気にしなかった。少なくとも、才人が走る速度は手に持つ短剣を視認できるほど鈍い動きではないのだ。
 精々後十分しかない。さて、後何周しようかな。
「く」
 以前は気づかなかった、ガンダールヴの齎すある種全能感のようなものに酔いしれながら走り続ける才人は、知らず口の端を軽く吊り上げていた。




 がちゃり、と扉が開く。その時には、既にルイズは支度を全て済ませていた。
 朝も早くの、寮塔の自室。カーテンの開かれた東向きの窓から差し込む暖かい朝日を背に受けて、開かれた扉から入ってくる男に顔を向ける。
 急いで準備をした為に、軽く息を切らしているのを、ゆっくりと落ち着けながら。
「失礼します、ミス・ヴァリエール……って」
「あら、お早うヒラガ。今日も随分ゆっくりね?」
 そして、もう三日目だというのにいちいちびっくりしたように動きを止める己の従者に、ルイズは勝ち誇ったような笑みを浮かべて迎え入れた。
 何をしていいのか分からなかったが、どうやらこの思いつきは成功しているらしいと。
錯覚かも知れないが。
 何せ、何をどうしたら良いのかすら分からない手探りの段階である。常に落ち着き払っている才人の驚いた表情を見れるだけでも、ルイズには軽い手ごたえを感じさせてくれる。
 無論、ルイズは別に才人の驚いた、戸惑った様子を見たいわけではない。いや、100%ない、とまでは言い切れないけど。
 とにかく、違うのである。ルイズの目的はそんなものではない。
 彼女の目的、それは立派な主人の姿を己の従者兼使い魔に見せる事だ。
 ルイズは元々、自分を立派な貴族だと思っている。魔法こそ使えないものの、それ以外の立ち振る舞いについてはその自負があるし、その為の教育も厳しい母と姉等からしっかりと受けて、それを十全に実践してきた。
 だが、だからといってこれまでどおりで良いのか、それにルイズは首を傾げてしまうのだ。
 故にこその試行錯誤、その一環として始めて今日が三日目となるこの行動。
 ぶっちゃけ、才人を召還する前は普通にやっていた事を再開しただけなのだが。
 ただ、感じられるのは軽い手ごたえという頼りないもので、明日以降も続けるかどうか迷っても居た。
 別に、朝起きるのが辛いというわけではない。いや、低血圧なルイズとしては正直辛いが、前述したとおり才人が来る前は普通にやっていたことだ。
 つまり、他に問題があるという事で。
「……失礼しました。昨日よりは早めに来たつもりだったのですが」
「そうね」
 初日なんかは何か至らぬ点があったでしょうかとか随分と焦った様子を見せた才人だが、三日目とあっては入るときに一瞬驚いただけですぐに平静に戻ってしまう事。いや、何度も言うが別にルイズは才人の驚いた様子を見るのが目的では無いが。
 そしてそれ以上の問題。それは、彼女の行動がヒラガとのチキンレースの様相を呈し始めてきた事である。
 初日は不意打ちで才人を驚かせる事が出来たが、この出来た従者が二日目以降も何時もどおりの時間に起こしに来ると思うほどルイズは才人の事を甘く見ては居ない。
 二日目は安全に安全をとってかなり早めに起きたが、それでも割りとぎりぎりだった。
 そして三日目の今日。ルイズはついさっき準備を終えたばかりである。というか、扉がひらく直前に慌ててマントの前を留めたくらいだ。
 このまま行くと、果たして明日はいったいどれだけ早く起きる必要があるのか。
 どうしよう、と考え込むルイズを尻目に才人は何故か失礼、と一言言うと、彼女に背を向けて今後ろ手に閉めたはずの扉を開いた。
「ヒラガ?」
 そしてすぐにルイズに振り返る。手には、ティーカップとポット、それに茶菓子を乗せた銀盆を持って。
 才人の体越しに、扉が再び閉まる直前に一瞬だけ、腰を曲げて一礼するメイドの姿が見えた。
「それでは朝食まで時間もありますし、朝のお茶でもどうぞ」
 チキンレースなど、とんだ勘違いだった。才人は既に、そんな馬鹿げた競争など放り捨てて、別の手段で己が職務を全うしようとしていたのだ。
 連日の訓練でそれなりに自信がついているのだろう颯爽とした仕草でお茶の準備に取り掛かる才人を見ながら、ルイズは軽く下唇をかみ締めた。


 切り出しにくい。何処か不備でもあっただろうか。いや、不備があったらその場で言ってくれるからそれは無いか、でもだとしたら何でだろう?
 主の心情を理解し得ない無能な従者は、首を傾げながらシエスタから教えられたとおりにルイズへお茶を振舞った。
「その、こちらは木苺のパイです」
「そう」
 切り出しにくい。つっけんどんな仕草に腹の下を冷たいものが流れ落ちる。この雰囲気の中でどうしろっていうんだ。
 才人は逃げ出したくなったが、扉の向こうからのプレッシャーは収まらない。というか、先ほど盆を受け取る時よりも強くなっている気がする。扉越しなのに。
「これはあんたが淹れたの?」
 ふと、ルイズが話しかけてきたのに思考を中断させられた。彼女が掲げたのは白いティーカップ。その中に、湯気を立てて赤みがかった褐色の液体が入っている。
 ルイズの表情は変わらない。お茶の準備をするまでは上機嫌に見えたのに、急に不機嫌、というか落ち込み始めた。そのままである。
 声だって暗いもの。話題に窮したから唯なんとなく聞いてみた、そんな感じだ。よりによってそれを選ばないでくれ! と才人としては悲鳴を上げたくなったが。
 とはいえど、流石にこんな事で嘘をつくわけにもいくまい。
「えーっと、……いえ、違います」 
「……ふうん?」
 だが、それに渋々否定を返すとルイズの雰囲気が変わった。おや? と才人は思う。
「ねえヒラガ、あんたメイドにお茶の淹れ方を習い始めてどれくらい経ったのかしら?」
 何故に、急に上機嫌なんだろうか。弾むような声。対して才人は、ついさっきまでのルイズのような声で返す。
「そろそろ、……週が一回りするくらいですか」
「ならそろそろあんたの淹れたお茶が飲みたいのだけれど。ねぇヒラガ、主人として、いい加減従者の腕前を見てみたいわ」
 俺の淹れたお茶ってあれか。あの希釈前のカルピスみたいなあれなのか。
「ごめんなさい勘弁してください」
 平謝りする。幾らなんでもあんなものをルイズに飲ませるとか無理である。才人の従者としての自己評価は底辺もいい所であるが、そんな底辺にもちっぽけながらプライドというものがあるのだ。
 出来たら、初めて主人の為に淹れるお茶、美味しいと言って貰いたい。
「もう週が一回りしそうだというのにそれ? いったいわたしは何時になったら従者の淹れたお茶を飲みながらゆっくり出来るのかしらね」
 何かもうルイズはノリノリである。全く以って意味が分からない。何がルイズをここまで上機嫌にさせたのか。
「……。……。…………フリッグの舞踏会までには、何とか」
 搾り出すようにして応えた。期待してるからね、そう口の端を吊り上げるルイズを死んだ魚の目で眺めつつ、今がチャンスではないのか、と才人は思った。
 扉越しに伝わるプレッシャーも、そろそろ物理的な力を持ちそうな具合になってきているし。ルイズの上機嫌の理由も分からないが、どうしてあそこまでシエスタが張り切っているのかもさっぱり分からない。
 才人がこれまで接してきた女性たちは、それ以前に同類か戦友といった関係ばっかである。女心は神秘でいっぱいだ。
 すー、と息を吸って気合を入れる。言うか、よし、言うぞ、俺。
「ではそろそろ時間ですし朝食に向かいましょうか、……ぉ、お嬢様」
 貴族のお嬢様らしい慎み深い仕草で上品にお茶を楽しんでいたルイズは、ぶほっ、と貴族のお嬢様らしからぬはしたない仕草で下品にもお茶を噴出した。


「それで?」
 わざわざ早起きして済ませた準備の悉くを台無しにしてくれた己の従者に、ルイズは怒りを押し殺した低い声で問う。
「申し訳ない。その、まさかあそこまで驚くとは思わなかったので。あ、腕を上げてください」
「そ・れ・で?」 
 顔を洗うための水を大急ぎで汲んできた才人は僅かに息を切らしており、顔も赤かった。
「その、シエスタ、あー、俺の先生なメイドの子なんですけど、その子が何でヒラガさんはミス・ヴァリエールの従者なのに他人行儀な呼び方をするんですか、と言ってきまして」
 ルイズの顔も赤いが、これは怒っているためだ。決して、常に他人行儀だった従者兼使い魔からいきなりお嬢様、などと呼ばれて照れているわけではない。
「そ、そう。……ま、確かにそのメイドの言うとおりね。わたしに雇われた以上、あんたはヴァリエールの人間なんだし」
 ラ・ヴァリエール領内に、ルイズをミス・ヴァリエールなどと呼ぶ者は居ない。考えてみれば当然の事だ。
「そですか、じゃあやっぱりこれからは、……お、お嬢様、と呼ぶべきですかね。っと、動かないでください」
「……」
 お嬢様、それだけの言葉を実に言いにくそうにしている才人を見て、ルイズは才人の顔が赤いのが急に運動をしたからだけでは無いらしいと直ぐに気づいた。
 ふと、そしてむくむくと悪戯心が沸きあがる。
 この男、メイドどころかあのキュルケにすら(!)まるで興味の無いそぶりで接しておいて、ルイズに対してだけは指の先が触れたとかちょっとした事ですぐ照れるのである。
 その割に着替えの際などには一切が事務的なのがアンバランスではあるが、その為ルイズは才人を特に警戒していない。
 自分の体が男の獣性を刺激し得ないモノだということぐらい理解しているというのもある。……実に業腹だが。
 今ルイズは着替え中だが、やはり才人が照れている原因は違うだろう。……本当に業腹だが。
 いくら才人でも例えばキュルケの裸などを見たら流石に照れると思う。ああもうホンットウに業腹よ!
 とにかく、悪戯心が沸いたのである。黙り込んだルイズにその、お嬢様? と蚊の鳴くような声で問いかけてくる才人に向けて、ルイズは若干頬を染めながら口を開いた。
 無論、これは照れているわけではない。先ほどの怒りがまだ引いていないだけだ。
「お嬢様、じゃ誰を指しているか分からないわね」
「ぅえ!?」
 取り乱した様子は愉快だったが、タイを締めている途中だったので首が絞まった。
「す、すみません!」
 けほ、と咳き込んだが敢えてその事への叱責はせず(これに怒ったら先ほど紅茶を噴出させられた事に対する叱責は間違いという事になる)、ルイズはにやにやしながら三度それで? を繰り返した。
「えっと、じゃあやっぱりミス・ヴァリエールで……」
「却下」
「ですよねー……。えーと、じゃあヴァリエールお嬢様?」
「却下ね」
「ミス・ヴァリエールお嬢様?」
「訳が分からないわ。却下」
「ミス・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールお嬢さ――」
「あんた、もしかしてふざけてる?」
 半眼になってそう言ったルイズは、思わず息を呑んだ。俯いてごにょごにょと訳の分からぬ事を言っていた才人が、急に顔を上げたからだ。
 トリステインには珍しい黒色の瞳が、ルイズを見つめている。
 その顔には、おふざけの欠片も見られない。それどころではない。羞恥も、困惑も、その表情からは抜け落ちていて。
「ルイズ――」
「……え?」
「――お嬢様、というのはどうでしょうか」
「……ごめんなさい、聞こえなかったわ。もう一度お願い」
「ルイズお嬢様」
「…………」
 その言葉を、才人がどれ程の葛藤を以って引きずり出したのかは、ルイズには決して理解できないだろう。
 ただ、その黒い瞳に、ルイズ以外の何者をも映していないその瞳に、彼女はただ呑まれていた。
「それで、ですね。一つだけお願いがあるんですけど」
「……言ってみなさい」
「俺のことは、才人、って呼んでくれませんか」
「サイト? あんたの名前はヒラガでしょ?」
「それはそうなんですけど、俺の本名は平賀才人、えっと、才人平賀、かな? とにかく、平賀はファミリーネームなんです」
「そ、そうなの。えっと、じゃあ……」
 また一つ、前に進めた。そんな才人の思いを理解し得ぬままに、
「……サイト?」
「なんでしょうか、ルイズお嬢様」
 ちょっと頬を赤らめてのルイズの言葉に、才人もまた顔を赤らめて、笑顔で応えたのだった。






あとがき
 とりあえず、一巻分終わるまではsageでいきます。超々不定期更新にも程があるので。
 こんなに間を空けたのに待っていて下さっていた方、有り難うございます。


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