(2012/10/01 03:29初版,10/03 15:19改稿)
「私はダールミカ・サッタールーハ・サムドゥラ。一介の比丘です」
おもわず英語で答えたあとで、彼はおどろいた。
国境のヒマラヤ山中にいたはずが、いつのまにかインチー(=ヨーロッパ)風の建物が近くにたっている、起伏のなだらかな場所にいる。ふりむけば、彼が踏みいってしまった鏡状の枠はもうない。そして自分の護衛や侍従たち、インドの国境警備兵らと入れ替わるように急にあらわれた少年少女たち。
さらに目の前の少女がチベット語で「キョ・スーイン?」とたずねてきたこと。
チベット語は、日本語よりもさらに複雑な敬語表現を持っている。
現代日本語の敬語は、身分制の消滅によって淘汰され、尊敬・謙譲・丁寧の三種に整理されたが、この時期のチベットはまだ身分制社会であり、かつては日本語にもあった、身分の高い者が低いものに対して用いる「尊大語」というものが存在している。
少女は、その「尊大語」を用いて自分に話しかけてきた。「尊大語」でよびかけられるなんて、6才のときに、「チベット国の国王を300年間にわたりつとめてきた化身ラマ(=活仏)の名跡」の継承者に選ばれて以来、絶えてない経験である。
彼は、親政する以前、首都にやってきた冒険心あふれるインチー(=ヨーロッパ人)を謁見し、そのうちの数人と親しく交流したが、彼らはチベット語ができないか、できても敬語表現をまともに使いこなせるものはひとりもいなかった。いかなる場面でも尊敬語・丁寧語の単語を用いて話してくる。しかも表現が過剰であったり重複したり、使いどころを誤っていたり。たぶん彼らにチベット語を教えたチベット人たちが、無礼な表現をそうとしらずに弟子が使うことがないよう心を配ってきた結果だろう。ひとりだけ、おぼつかないながらも尊敬・丁寧・謙譲を使い分けることができる者がいたのが、彼が直接に知るインチーとしては唯一の事例だった。
彼は、インチーをふくむ外国人にとっては、チベット語の敬語表現はとても難解なのだろうと考えていた。
しかるに、このインチー少女は尊大語をつかってきた。
そして、彼の答えに対しても、さらに尊大語でつっかかってきた。
「そんななりして、どこが”一介の比丘”なのよ!」
さらに、彼女の尊大語におどろいてよくよく耳をすませてみれば、少女の背後に群れているインチーの少年少女たちも……。
「ルイズ、"勧請の儀"(カンジョウ ノ ギ)で、平民を呼び出してどうするの?」
「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」
「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」
「さすがは”無”のルイズだ!」
「「「あはははは!」」」
敬語抜きの表現や、尊大語、多彩な罵倒表現など、まったく不自然なく、たいへん流暢にチベット語を使いこなしている。
国境のヒマラヤ山中にいたはずがいつのまにか見知らぬ場所にいるのもおどろきだが、インチーらしき少年少女たちがそろいもそろって流暢にチベット語をしゃべっているのは、いったいどういうことか?
※ ※
ルイズはおどろいた。
召喚ゲートから、人間が、しかも疲れた様子のみすぼらしい青年がよろよろと歩みでてきたのである。おもわずたずねた。
「あんた誰?」
青年は、深く疲労した様子の、うつろな表情で答えた。
「私は”オシエ ヲ ホウズル ウミ”。サンゲ神のごく普通の神官だよ」
青年は、みじかいひさしの帽子をかぶり、平民の作業着のようなシャツとズボンを身につけ、その上に、すそのほつれかかった、くたびれた外套をはおり、重そうな背嚢をひとつ背負っている。どれも、もともとが祖末なうえに、洗濯もせずに着の身着のまま半月以上あちこちをさまよっていたかのように薄汚れてみすぼらしく、すえたにおいもする。とても”神官”の服装とはおもえない。それにサンゲなんて名前の神様なんか聞いたことがない。
「そんななりして、どこが”普通の神官”なのよ!」
こいつはウソをついている。それに人間が召喚されるなんて、聞いたことがない。
級友のだれかがからかってきた。
「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」
「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」
言い返したら、さらに火に油をそそいでしまった。
「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」
「さすがはゼロのルイズだ!」
「「「あはははは!」」」
自分の呪文できちんと召喚ゲートが形成されたけど、そこからは人間がでてきた。みすぼらしい平民が。
サモン・サーヴァントで人間が召喚されるなんて聞いたことがない。
こんなの、何かの間違いにきまっている!
「ミスタ・コルベール!」
「なんだね。ミス・ヴァリエール」
「あの!もう一回召還させてください!」
※ ※
少女が、教師らしき男に必至に懇願するのを、男はすげなく拒否する。
とりまく級友たちは、その様子をみて、いっそう少女をあざける。
疲労でもうろうとしながらそんな様子をながめつつ、彼は思った。
自分はなぜ、どうやって、ヒマラヤ山中からこんな場所へきたのか。
ここは、インチーの一角にあるトリステイニアという国の、国立の、”神通力修行学堂”だそうな。
教師らしき中年の男はその”導師”、少女を含む子供たちは"弟子である修行者”だという。
神通力を修行するということは、密教の修行であるな。
神通力という概念自体は、チベット人にとっては慣れ親しんだものである。仏・菩薩・守護尊・護法神が一切衆生(イッサイシュジョウ)を済度(サイド)するため行使する不可思議な力のことであり、また人間であっても、行者であれ比丘であれ、すぐれた宗教者は高度な神通力を有しているとされる
ただし、「比丘としての修行」にとっては、神通力そのものは枝葉末節にあたり、彼自身にもそのような力はそなわっていない。
桃色髪の少女や"導師"たちの話を総合するなら、自分は「勧請と調伏の儀」のために、この少女の"神通力"によってヒマラヤ山中からこの場所に呼び出されたらしい。
なんという恐るべき通力の強さであることか……。
トリステインという国の名前は初めて聞くが、国立の密教道場があるなんて、仏教がさかんな国なのだろうか?
しかし先代国王の時代に、世界の仏教徒の状況はあらまし把握されたはずで、そんな国があるなら、とっくの昔に自分の耳に届いていなければおかしい。
そもそも、インチー諸国は、世界を作ったと称する”自ずから生じた神”や、全人類の罪を背負ったとされる、その神の息子を信ずる宗教への信仰を主としているはずだ。
インチー諸国と仏教の関係でいえば、インチー諸国の中でもっとも東方に位置するオロス国が、モンゴルと境を接し、モンゴル人が暮らす土地の一部を領土とし、モンゴル人を国民の一部に含んでいる。モンゴルは、ギャナク国から西に細長くのびた河西回廊という土地をはさんでチベットの北に位置する隣国で、380年ほどまえ「黄金の王」という人物の入信をきっかけにして、チベットの仏教を大々的に信仰するようになった国である。そんなオロス国は、チベットの先代国王の時代、かつて首都に小さな国立の仏教学校を立てたことがあり、チベットにいたオロス国籍のモンゴル人高僧たちが何人も、チベットの僧院における地位を捨てて、よろこび勇んでその学校に赴任していったものだが、その学校もいまは廃止されて無い。
密教の教えについては、いま全ギャナクの”仏教徒協会”の会長となっている比丘ファーツンから、かつて「いま密教の伝統は、仏教のふるさと天竺インドでもギャナク国でも早くに途絶えてしまい、西のチベット仏教と、東のジャルパン国のいくつかの宗派の中にしか残っていない」と聞いたことがある。
チベットの仏教を信奉するチベットとモンゴル。
ギャナク国の、今は無き密教の伝統を受け継いだジャルパン国。
それ以外にも密教を伝える国が、しかもインチーにあるとは?
さらにはそんな国の情報が、いままで自分の耳に入ってきたことがないとは?
これはいったいどういうことなのだろう?
※ ※
どうやら自分は求められてここに来たのではないらしい。自分を呼び出した少女はたいへんに不本意そうだ。
ならば、もとの場所にもどしてもらいたい。自分は祖国のために果たさねばならない使命がある。
彼は、少女と"導師"にそう問いかけたが、”導師”は少女に「勧請と調伏の儀」を完成させることにしか関心がなく、少女は人間を勧請したこと自体への不満・嘆きに頭がいっぱいで、彼が何者であるのか、どこからきたのかについてはろくに興味も示さず、彼の問いにまともに答えようともしない。他の少年・少女たちはいわずもがなである。
有無をいわせず「調伏の儀(チョウブク ノ ギ)」は進められ、”導師”は彼と少女を放置して、他の”弟子”たちとともに学舎のほうへ飛びさっていった。
少女は癇癪を爆発させながら、それでも彼を導いて学舎へ向かった。