07/13 01:07 初版
07/13 11:57 “共産主義陣営"に関する記述を追加
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ルイズがアンリエッタの密書をウェールズ王太子に届ける任務はあっけなく達成された。
ラ・ロシェールを発って3時間後、『マリー・ガラント号』は空賊船の襲撃をうけ、拿捕されたのであるが、空賊の頭というのが、じつは王立空軍大将、本国艦隊司令長官にしてアルビオン王国皇太子であるウェールズ・テューダー殿下その人だったのである。
もうひとつの任務の対象である、アンリエッタがかつてウェールズに送った書簡だが、ウェールズは、いま手元にはなく、王党派の最後の拠点ニューカッスル城にあると述べた。
そのような次第で、ルイズ、禅師、ワルドの一行は、ウェールズの座乗艦『イーグル号』に移乗し、ウェールズとともにニューカッスルに向かうこととなった。
※ ※
ルイズたちは、ウェールズに付き従い、城内の彼の居室へと向かった。城の一番高い天守の一角にあるウェールズの居室は、王子の部屋とは思えない、質素な部屋であった。
木でできた粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組。壁には戦の様子を描いたタペストリーが飾られている。
王子は椅子に腰掛けると、机の引き出しを開いた。そこには宝石が散りばめられた小箱が入っている。首からネックレスを外す。その先には小さな鍵がついていた。ウェールズは小箱の鍵穴にそれを差込み、箱を開けた。蓋の内側には、アンリエッタの肖像が描かれていた。
ルイズたちがその箱を覗き込んでいることに気付いたウェールズは、はにかんで言った。
「宝箱でね」
中には一通だけ、手紙が入っていた。
それが王女からのものであるらしい。ウェールズはそれを取り出し、愛しそうに口づけたあと、開いてゆっくりと読み始めた。何どもそうやって読まれたらしい手紙は、すでにボロボロであった。
読み返すと、ウェールズは再びその手紙を丁寧にたたみ、封筒に入れると、ルイズに手渡した。
「これが姫からいただいた手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」
「ありがとうございます」
ルイズは深々と頭を下げると、その手紙を受け取った。
「明日の朝、非戦闘員を乗せた『イーグル』号が、ここを出港する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」
ルイズは、その手紙をじっと見つめていたが、そのうちに決心したように口を開く。
「あの、殿下……。さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」
さきほどこの城に到着した際、ウェールズは出迎えにきた侍従バリーと次のような会話をかわしていた。
(喜べ、パリー。硫黄だ! 硫黄!)
ウェールズが、『マリー・ガラント』を示しながら言った。
(おお! 硫黄ですと!火の秘薬ではござらぬか!これで我々の名誉も、守られるというものですな!)
ウェールズはにっこりと笑いながら答えた。
(王家の誇りと名誉を、叛徒共に示しつつ、敗北することができるだろう)
(栄光ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。して、ご報告なのですが、叛徒どもは明日の正午に、攻城を開始するとの旨、伝えてまいりました。全く、殿下が間に合ってよかったですわい)
(ははっ! してみると間一髪とはまさにこのこと! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!)
ルイズは躊躇うように問うたが、しごくあっさりと、ウェールズは答えた。
「ないよ。我が軍は三百。敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ」
ルイズは俯いた。
「殿下の討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」
「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」
明日にも死のうというときなのに、王太子にはいささかも取り乱したところがない。
(この王子どのは、王朝と命運をともにするつもりだ……)
いささか感銘をうけながら、禅師はふたりのやり取りを聞く。
禅師はものごころ着いて以来、欧州で、アフリカで、アジアで、多くの王朝が瓦解するのを目のあたりにした。その多くで王や王族たちは祖国を脱出して、異国で生命を永らえている。
(この王子どのには、国の上にたつ者としての気概も責任感もある。人柄もよく、能力もたかそうだ。そんな王家に率いられた王国が、なぜ城ひとつにまで追いつめられるまでになってしまったのだろう……)
ルイズは深々と頭をたれて、ウェールズに一礼した。言いたいことがあるのだった。
「殿下……、失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」
「なんなりと、申してみよ」
「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは……?」
ルイズはきっと顔を上げ、ウェールズに尋ねた。
「この任務をわたくしに仰せ付けられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで、恋人を案じるような……。それに先ほどの小箱の内蓋には、姫さまの肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げなお頭といい、もしや、姫さまとウェールズ殿下は……」
ウェールズは微笑んだ。ルイズが言いたいことを察したのである。
「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」
ルイズは頷いた。
「そう想像いたしました。とんだご無礼をお許しください。そう考えると、この手紙の内容とやらは……」
ウェールズは、額に手をあて、言おうか言うまいか、ちょっと悩んだ仕草をしたあと、言った。
「恋文だよ。きみが想像しているとおりのものさ。確かにアンリエッタが手紙で知らせたように、この恋文がゲルマニアの皇室に渡っては、まずいことになる。なにせ彼女は始祖ブリミルの名において、永久の愛を私に誓っているのだからね。知ってのとおり、始祖に誓う愛は、婚姻の際の誓でなければならぬ。この手紙が白日のもとにさらされたならば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまうであろう。ゲルマニアの皇帝は、重婚をおかした姫との婚約は取り消すにちがいない。そうなれば、なるほど同盟は相ならず、トリステインは一国で、あの恐るべき貴族派に立ち向かわねばならない」
「とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であらせられたのですね?」
「昔の話だ」
ルイズは熱っぽい口調でウェールズに迫る。
「殿下!亡命なさいませ!トリステインに亡命なさいませ!」
ワルドがよってきて、すっとルイズの肩に手を置いた。しかし、ルイズの剣幕は収まらない。
「お願いでございます!わたしたちと共に、トリステインにいらしてくださいませ!」
「それはできんよ」
ウェールズは笑いながら言った。
「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼き頃、恐れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変良く存じております! あの姫さまがご自分の愛した人を見捨てるわけがございません! おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっているはずですわ!」
ウェールズは首を振った。
「そのようなことは、一行も書かれていない」
「殿下!」
ルイズはウェールズに詰め寄った。
「私は王族だ。嘘はつかぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」
ウェールズは苦しそうに言った。その口ぶりから、ルイズの指摘が当たっていたことがうかがえた。
「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」
ルイズはウェールズの意思が果てしなくかたいのを見て取った。ウェールズはアンリエッタを庇おうとしているのだった。臣下のものに、アンリエッタが情に流された女と思われるのがイヤなのだろう。
ウェールズは、ルイズの肩を叩いた。
「きみは、正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで、いい目をしている」
ルイズは寂しそうに俯いた。
「忠告しよう。そのように正直では大使は務まらぬよ。しっかりしなさい」
ウェールズは微笑んだ。白い歯がこぼれる。魅力的な笑みだった。
「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰よりも正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」
それから机の上に置かれた、水がはられた盆の上に載った、針を見つめた。かたちからいって、それが時計であるらしかった。
「そろそろパーティーの時間だ。きみたちは、我らが王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」
禅師たちは部屋の外に出た。しかしワルドは居残って、ウェールズに一礼した。
「まだ、なにか御用がおありかな? 子爵殿」
「恐れながら、殿下にお願いしたい儀がございます」
「なんなりとうかがおう」
ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはにっこりと笑った。
「なんともめでたい話しではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」
※ ※
パーティーは、城のホールで行われた。簡易の玉座がおかれ、はアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っていた。
明日で自分たちは滅びるというのに、随分と華やかなパーティーであった。王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のためにとって置かれた、様々なごちそうが並んでいる。
禅師たちは、会場の隅に立って、この華やかなパーティーを見つめてた。
破滅の予感をまえに、精一杯、明るく、華やかにふるまう。
禅師も、ほんの数ヶ月まえ、ジェームズ王と同じ立場で、みずから体験してきたことである。
彼らの様子を、ことばもなく、立ち尽くしながら眺める。
ウェールズが現れると、貴婦人たちの間から、歓声がとんだ。若く、凛々しい王子はどこでも人気者のようだった。彼は玉座に近づくと、父王になにか耳打ちした。
ジェームズ一世は、すっくと立ち上がろうとした、が、かなりの年であるらしく、よろけて倒れそうになった。ホールのあちこちから、屈託のない失笑が漏れる。
「陛下! お倒れになるのはまだ早いですぞ!」
「そうですとも! せめて明日までは、お立ちになってもらわねば我々が困る!」
ジェームズ一世は、そんな軽口に気分を害した風もなく、にかっと人懐っこい笑みを浮かべた。
「あいや、おのおのがた。座っていて、ちと足が痺れただけじゃ」
ウェールズが、父王に寄り添うようにして立ち、その体を支えた。陛下がこほんと軽く咳をすると、ホールの貴族、貴婦人たちが一斉に直立した。
「諸君。忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に反乱軍『レコン・キスタ』の総攻撃が行われる。この無能な王に、諸君らはよく従い、良く戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう、戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇な諸君らが、傷つき、倒れるのを見るに忍びない」
老いたる王は、ごほごほと咳をすると、再び言葉を続けた。
「従って、朕は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、巡洋艦『イーグル』号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らもこの艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるがよい」
しかし、誰も返事をしない。一人の貴族が、大声で王に告げた。
「陛下! 我らはただ一つの命令をお待ちしております! 『全軍前へ! 全軍前へ! 全軍前へ!』今宵、うまい酒の所為で、いささか耳が遠くなっております! はて、それ以外の命令が、耳に届きませぬ!」
その勇ましい言葉に、集まった全員が頷いた。
「おやおや! 今の陛下のお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」
「朦碌するには早いですぞ! 陛下!」
老王は目頭を拭い、ばかものどもめ……、と短く呟くと、杖を掲げた。
「よかろう! しからばこの王に続くがよい! さて、諸君! 今宵は良き日である! 重なりし月は、始祖からの祝福の調べである! よく飲みよく食べよく踊り、楽しもうではないか!」
あたりは喧騒に包まれた。こんなときにやってきたトリステインからの客が珍しいのか、王党派の貴族たちが、かわるがわるルイズたちの元へとやってきた。貴族たちは、悲嘆にくれたようなことは一切いわず、三人に明るく料理を勧め、酒を勧め、冗談を言ってきた。
「大使どの!このワインを試しなされ!お国のものより上等と思いますぞ!」
「なに!いかん!そのようなものをお出ししたのでは、アルビオンの恥と申すもの!このハチミツが塗られた鳥を食してこらんなさい!うまくて、頬が落ちますぞ!」
アルビオン貴族のなかには、ハルケギニアにはめずらしいえんじ色の僧衣に興味をしめし、禅師にいろいろ話しかけてくる者もおおい。
たいていの者が、飲み物や食べ物を一切手にしない禅師に、理由をたずねてくる。禅師が、正午以降の飲食を許さない「律」の規定を説明してやると、儀礼的にではあろうが興味深げに聴き入り、納得した様子をみせる。
そして最後に、アルビオン万歳!と怒鳴って去って行くのであった。
禅師の気持ちは沈んだ。死を前にして明るく振る舞う人々を見ていると、禅師を国境まで護送してくれたカムパ族の義勇軍「チュシ・ガンドゥク」や「護教軍」の勇士たちを思い出す。勇敢で、陽気で、無鉄砲な連中だった……。
ルイズはもっと感じるところがあったらしい。顔を振ると、この場の雰囲気に耐えきれず、外に出て行く。
禅師が後を追おうと歩みだそうとしたとき、ウェールズが話しかけてきた。
「異国の修道士どの!」
興味津々といったおもむきで禅師に近づいてきた。
「ヴァリエール嬢の使い魔としてハルケギニアに参られたとか?」
「ええ。ロバ・アル・カリイエはボティア(チベット)国の者です」
ウェールズは、ボティア国やサンギェ神の教え(=仏教)、ボティア(チベット)の風俗・習慣などについてつぎつぎと禅師にたずね、最後に述べた。
「それにしても、人が使い魔とは珍しい。トリステインはまこと変わった国でありますな」
「いや、トリステインでも希有(けう)なことだと聞いています」
禅師は、眼前でくりひろげられている最後の晩餐の光景について、平成日本の平均的少年が持つようなそれとはまったく別の感慨を持つ。
明日、死なねばならない戦いを前に、飲み、食い、歌い、踊る人々。
必敗の状況で、にもかかわらず明るくふるまい、敢然とそれに立ち向かう武人の姿は、禅師が祖国チベットにおいて、ここ数年、慣れ親しんできたものである。
それよりも禅師は、そのような戦士たちの先頭に立とうというジェームズとウェールズの父子が、興味ぶかい。
禅師は、ものごころついて以来、ヨーロッパで、アジアで、アフリカで、多くの王国がバタバタと崩壊していくのを目撃してきた。欧州のユーゴスラビア(1941)、ルーマニア(1945)、イタリア・ブルガリア・アルバニア(1946)。アフリカのエジプト(1953)、チュニジア(1957)。東南アジアのベトナム(1955)。中東のイラク(1958)。革命政権が王家の一族を皆殺しにしたイラクを除く各国では、政権を失った王家のものたちはみな祖国を脱出して亡命した。禅師自身も、ルイズから召喚されたのは、今年(1959年)の三月、亡命のためインドとの国境を越えようとしていた、まさにその瞬間であった……。
「ウェールズ殿下は、なぜ亡命なさらないのですか?」
「叛徒どもに対し、せめて勇気と名誉の片鱗を見せつけ、ハルケギニアの各王家が、弱敵でないことを示さねばならないからね。これでやつらが「統一」やら「聖地の奪還」などという野望を捨てるとも思えないが、それでも我らは勇気を示さねばならない。それが我らの義務だ。王家に生まれたものの義務なのだ。内憂を払えなかった王家に、最後に課せられた義務なのだ」
“レコン・キスタ”を名乗るアルビオンの反乱者たちは、たんにアルビオンの反乱者なのではない。「始祖ブリミルより託された聖なる使命を忘れハルケギニア内部での抗争にうつつを抜かす、不甲斐ない各国の王家を打倒し、ハルケギニアを統一して聖地奪還を目指す、国の枠を越えた貴族の連盟」を標榜している。彼らの主張からすれば、アルビオンを手中にしたならば、次には大陸諸国に手を伸ばしてくるのは必定。地理的にはまずトリステインがその標的になる可能性が高い。あるいはすでに近隣諸国に対し、なんらかの工作に着手しているとしても、まったく不思議はない。
このアルビオン行に旅立つ以前、禅師はレコン・キスタについて耳にし、まっさきに“共産主義勢力”を連想した。
“共産主義勢力”が、実体を持った国際的勢力となったのは、1917年。
ロシア帝国の解体によって成立した諸国のうち、ロシア・ウクライナ・ベロルシア・ザカフカスの4共和国が、ソビエト同盟(連盟)を結成したことにはじまる。“共産主義勢力”はほどなく旧ロシア帝国領の残る全ての諸国を掌握し、さらにはモンゴル、東欧諸国、北朝鮮、中国を飲み込み、近年、さらに勢力を拡大しつつある。
ドイツ人のマルクスとエンゲルスの理論にもとづき、ロシアのレーニンがはじめて一国の支配に成功した勢力。
「労働者と農民」が主人だと自称する「ソビエト」政権を世界中で樹立し、「世界の全人民」を「自由の意思の、不滅の同盟」により組織することを目指す運動。
チベッットの宿敵・中国共産党は、このような「国際共産主義運動(コミンテルン)」の中国支部として1921年に設立された。
しかし彼らは、ひとつの国や社会を軍事的・経済的・政治的に支配するだけでは満足しない。人間ひとりひとりの心を、彼らの奉ずる「理想」によって支配しなければ満足しない。
1913年、チベットとともに手を携えて「清朝」からの独立を宣言したモンゴル。大変熱心なチベット仏教の国で、チベットに倣い、ジェプツンタンパ八世という化身ラマを「禅師国王」に擁する君主制によって近代国家として歩みはじめた。1920年から22年にかけて、モンゴルの再併合をたくらむ中国の圧力をはねのける戦いのなかで、ソビエトの支援をうけた「モンゴル人民党」が政権をにぎり、1924年、ジェプツンタンパの死去とともに、モンゴルは「人民共和国」制へと移行した。
モンゴル人民党を設立した7人の若者(「最初の7人」)は、国難をうれい、近代的な世界認識をもつ真の志士であったが、「党」の性質はソビエトの支援を受け続けるにつれて変容していき、彼らは夭折したスヘ・バートルをのぞき、全員が党または国家に対する裏切り者として、逮捕・投獄・処刑された。
1938年から1939年にかけて、モンゴルの人民革命党政権は、ソビエトの指導者スターリンからの強い示唆をうけて、自国の仏教僧およそ2万人を逮捕・投獄し、そのほとんどを処刑した。当時のモンゴルの人口は約80万人。伝統文化を身につけ、識字人口の圧倒的多数を占めていたえり抜きのエリートたちを、文字通り、物理的に消滅させたのである。「共産主義」とは異なる独自の「世界を認識する体系」を持ち、モンゴル全体をカバーし、さらにその外部へとひろがる人脈・組織を有する仏教が、共産主義の理想にもとづく国づくりの障害となるとみての暴挙であった。モンゴル社会の隅々に影響力をもっていた僧侶たちは、首都ウランバートルのガンデン・テクチェンリン寺の十数人を除き、まったくモンゴルから姿を消した。そして20年後の1959年、モンゴルを襲った悪夢がチベットの全土を覆いつつある……。
禅師には、王党派が今ここで勇ましく滅亡することに、あまり意義をみとめられなかった。
「そうであればこそ、亡命なさって、再起を期すべきなのでは?トリステインの姫君も、殿下を想っておられるご様子。先ほどの書簡も、殿下に亡命をお勧めするものだったのでしょう?」
禅師がそういうと、ウェールズは何かを思い出すように、微笑んで言った。
「想うがゆえに、知らぬ振りをせねばならぬときがあります。想うがゆえに身を引かねばならぬときも。私がトリステインへ亡命したならば、叛徒どもが攻め入る格好の口実を与えるだけです」
「殿下が亡命しようとしまいと、レコン・キスタはいずれトリステインを攻撃するのでは?」
チベットが1913年にモンゴルと締結した「相互承認条約」では、「内乱や外敵の侵入に対しては互いが互いを援助する(第4条)」と定められていた。しかし、1919年から22年にかけてモンゴルが中国やロシア白衛軍など外敵の侵入に苦しんでいたとき、チベットはこれを救う力がなく、共産主義勢力がモンゴル支配を確立していくのを、なすがままに傍観した。そして数十年後の1959年。ソビエトの完全な衛星国と化したモンゴルは、チベットを「援助」するどころか、中国によるチベットの完全制圧を、同意・承認する側に立っている……。
「ならば王党派のご一党は、トリステインと合流して、彼らに立ち向かうべきでしょう?」
「……いや、それを行うには、我々の勢力は小さくなりすぎた。いまや我々は総勢わずか300名。いまさら他国へ落ち延びたところで、ささやかな役にしかたてない。叛徒どもに口実をあたえるという害とは、とても比べられるものではないよ」
ウェールズの決心は固く、どうしてもここで死ぬつもりのようだった。禅師は思った。
(この王子どのには、国の上にたつ者としての気概も責任感もある。人柄もよく、能力もたかそうだ。そんな王家に率いられた王国が、なぜ城ひとつにまで追いつめられるまでになってしまったのだろう……)
たずねてみた。
なぜ王党派はここまでおいつめられたのか。レコン・キスタはよほど善政をしいているのか。レコン・キスタと比べて、テューダー王家の統治の何が劣っていたと考えるか。
ウェールズは、しばらく考えたのち、答えた。
「彼らの統治が、我らとくらべて格別すぐれているなどとは考えられない」
ウェールズは、ここ数年の、レコン・キスタとの戦いの概要を、禅師に語って聞かせた。
王立空軍の旗艦となるはずだった巨大戦艦『ロイヤル・ソブリン』号の反乱。
戦力・布陣とも、王党派に圧倒的に有利なはずの「レキシントンの戦い」で生じた、ありえない敗北。
王家への忠誠心が篤く、能力も高いはずの指揮官たちが、たてつづけに、ここぞという場面でレコン・キスタに寝返ることにともなう、奇ッ怪な敗北の連続……。
「やつらが、我々より人格や能力ですぐれているということはありえないね。なにか邪悪な未知の力が働いているとでも思いたくなるほどだ」