ルイズの手元には、王女アンリエッタの直筆の命令書がある。
街道に5リーグおきに設置されている駅站(えきたん)の長たちにあてたもので、
始祖ブリミルと神々の加護のもとに
女王陛下の大御稜威(おお-みいつ)のもとに
アンリエッタ・ド・トリステインのことば
駅々の長たちにつげる。
本状の所持人とその一行を金字パイザの所持人と同様に待遇すべし。
(発令年月日・王女サイン・王女御印)
という文面である。「金字パイザ」は王勅をつたえる使者に貸与される金メッキされた銀製の身分証で、その所持人は、王室経費からの負担で駅站を利用することができる。この身分証をもつものは出立してから使命を果たして復命するまでの間「金字使」とよばれ、指定されたルートの街道の駅站で、必要に応じて馬を乗り換えたり、食事をとったり、休息することができる。
ルイズと禅師、ギーシュの一行は、月明かりのもと、駅ごとに馬を交換し、ときに軽く休憩をとりながら、ラ・ロシェールにむけてひた走った。
ルイズが与えられたのは金字パイザそのものではなく羊皮紙にかかれた紙片であるが、王女殿下のサインと王女印があり、そのうえ所持者のルイズも同行者のギーシュもトリステイン有数の大門閥の宗家の子弟であることから、駅站の役人たちは疑いを示すこともなく、ルイズ一行を精一杯接待した。
ただし駅站の役人たちは、当然のことながら、念のため王室に照会する。
「王女殿下の令旨(りょうじ)を提示する、ミス・ヴァリエールを名乗る少女の一行に駅站利用の便宜を計っているが、殿下の令旨は真筆か?令旨はミス・ヴァリエールに発行されたものか?少女は本物のミス・ヴァリエールであるのか?」
照会は王宮を経由して、アンリエッタと宰相マザリーニが滞在する魔法学院にまでとどく。
王女と宰相は「令旨はホンモノで、ミス・ヴァリエールに発給されたものである」と回答する。
その結果として、ヴァリエール家のお嬢さまとグラモン家のお坊っちゃまが王女殿下に何か命令されて北へむかっているという情報は、街道沿いの駅站の役人たちの間に速やかに広まって行く。
これでは秘密任務もなにもあったものではない。
※ ※
「おーい、おーい!」
ルイズ・禅師・ギーシュの三人が深更(しんこう)に魔法学院を出立してから十数時間、背後から呼びかける声がきこえる。
魔法で拡声された大声である。
振り向けば、グリフォンにまたがり、魔法衛士隊の隊長服を見にまとった人物が。
グリフォンは、鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。立派な羽も生えている。
昨日、アンリエッタの護衛の中に彼の姿を見いだしていたルイズは、手綱を引き、馬の歩みをとめた。禅師とギーシュも、ルイズにならって手綱をひく。
グリフォンにまたがった男は、待ち受ける3人のもとにたどり着くと、グリフォンを降りてあいさつをした。
「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。王女殿下より、諸君らに同行するよう命じられた」
ジャン・ジャック・ド・ワルドは、マンティコア・グリフォン・ヒポグリフの3隊からなる魔法衛士隊の、一隊の隊長をつとめる優秀な風メイジである。
若い青少年貴族にとってはあこがれの魔法衛士隊。その隊長の1人を前にして、ギーシュは緊張のあまりカチコチに固まっている。
ルイズにとっては、また格別なゆかりのある人物である。
ルイズの父ピエールと先代のワルド子爵との間で、ルイズとワルドを婚約させるという口約束が交わされた。
以来、ルイズにとってワルドはほのかに憧れる人物であり続けている。
公式の堅苦しいあいさつをおえると、ワルドは手を広げてルイズにかけよりながら言った。
「久しぶりだな!ルイズ!ぼくのルイズ!」
ワルドは人なつっこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱え上げた。
「おひさしぶりでございます」
ルイズは頬を染めて、ワルドに抱えられている。
「相変わらず軽いなきみは! まるで羽根のようだね」
「……お恥ずかしいですわ」
「彼らを紹介してくれたまえ」
ワルドは地面にルイズを降ろすと、再び羽帽子を目深くかぶって言った。
「あ、あの……、ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔の禅師さまです」
ルイズは交互に指指して言った。ギーシュは深々と頭を下げた。禅師は手のひらに数珠をかけ、合掌して点頭(てんとう)する。
ワルドは、自身の使い魔に敬語を用いているルイズを、そして禅師を、交互に、奇異の目で眺める。その様子をみてルイズが補足した。
「禅師さまは、アル・ロバ・カリイエはグラン・ボティア国の修道士さまです。わたし、ボティア国で伝えられている「宇宙の理(ことわり)」について教えていただいています」
ワルドは興味深そうに禅師を眺めたあと、言った。
「貴殿がルイズの使い魔ですか?人間が使い魔とは、まことに珍しいことです」
「そのようであると聞いています」
「ぼくの婚約者が、お世話になっています」
あいさつをかわしながら、禅師には非常に気になっていることがある。
さきほどこの子爵は、「王女殿下より、諸君に同行するよう命じられた」と言わなかったか?
「子爵、さきほど貴殿は、我らに同行するよう命じられたとおっしゃったが……」
「そうです。ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンの身の安全に、細心の注意を払うべし!と」
禅師の不審げなようすに、ワルドはたずねる。
「それが何か?」
「トリステインが国家として、貴殿を我らの護衛につけたのですか?」
ワルドはなぜ禅師がそのようなことを聞くのか、そもそも答えてやる必要があるのかどうか、などについて一瞬考えたのち、親切にも禅師の好奇心に応えてやろうと判断したようだ。
「そうです。直接には、宰相マザリーニ猊下のご判断です。最終的には、姫殿下のお名前で命令を受けました」
「なるほど……」
アルビオンへの任務に魔法衛士隊の隊長をつとめるほどの手だれを使うことができるのであれば、ワルドにも単独での書簡回収を命じたほうが、よほど任務成功は確実になる。
学生ふたりと東方の修道士からなる素人3人の一行を護衛させるなんて、人的資源の無駄遣いもいいところだ。
すなわちアンリエッタ姫はともかく、マザリーニ宰相のほうは、任務の成功よりも、ルイズとギーシュの身の安全のほうが重要だと判断していることになる。
これはいい兆候だ。
禅師は、アルビオンに入っても、むりに王党派と連絡しようとしたり危険な戦闘地域に入りこもうとしたりはせずに、貴族派(=レコン・キスタ)が完全に制圧している地域を適当にうろうろしてお茶を濁したら、安全無事にトリステインに戻ればいいと考えているからだ。
「それでは子爵、我々の安全を確認しながら先行していただけまいか?」
ワルドは表情で何故?と問いかける。
禅師は、ルイズに頼み、アンリエッタから受けた「令旨(りょうじ)」をワルドに提示させた。
「我々は、すでに5、6度ほど駅站で馬をかえています。駅站の長たちには、我々が姫殿下から何かの密命をうけ、北に向けて移動しつつあることがすっかり知れわたっているでしょう。我々の旅のことが、駅々から誰にどこまで広まってしまっているか、もはや見当もつきません」
禅師の説明を聞いたワルドは、しばらく酢を飲んだような渋い表情をみせていたが、やがて表情を消して、言った.
「わかった。先行しよう」
※ ※
ルイズ・禅師・ギーシュは、ワルドを先行させ、駅々で馬を替えながら疾駆しつづけた。
やがて視界がせばまり、街道は、険しい岩山の中を縫うように通るようになった。
いよいよラ・ロレーシュの入口がちかい、というところで、前方から黒煙があがっているのが見えた。
黒煙のあがる場所についてみると……。
やや疲れた表情のワルドに、焼けこげて縛り付けられた平民の傭兵たち。
そして空竜のシルフィードとその主タバサ、そしてキュルケが一行を待っていた。
キュルケがルイズにむかってにやりとほほえみ、あいさつする。
「はぁい」
ルイズが叫んだ。
「ちょっとキュルケ、何しにきたのよ」
「昨日の夜、窓からそとを見てたら、あんたたちが馬に乗ってでかけるのを見かけたから、急いでタバサを起こして後をつけたのよ」
「あのねえ、これはお忍びなのよ?」
「お忍び?だったらそういいなさいよ。言ってくれなきゃわからないじゃない。とにかく感謝しなさいよね。あなたたちを待ち伏せしてた連中を捕まえたんだから」
疲れた表情のワルドが、縛られた連中を指差しながら言った。
「連中、ただの物盗りだっていっている」
「じゃあ、彼らは捨て置いて、先へすすみましょう」
※ ※
ラ・ロレーシュでいちばん上等な宿『女神の杵』亭に泊まることにした一行は、一階の酒場でくつろいでいた。いや、一日中馬に乗っていたので、クタクタになっていた。
この宿は貴族を相手にするだけあって、豪華なつくりである。テーブルは、床と同じ一枚岩からの削りだしで、ピカピカに磨きあげられていた。顔が映るくらいである。
そこに、『桟橋』へ乗船の交渉に行っていたワルドとルイズが戻ってきた。
ワルドは席につくと、困ったように言った。
「アルビオンに渡る船はあさってにならないと、出ないそうだ」
「急ぎの任務なのに……」
キュルケがたずねる。
「あたしはアルビオンに行ったことがないからわかんないのだけど、どうして明日は船がでないの?」
「明日の夜は月が重なるだろう?『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づく」
浮遊大陸アルビオンは、風石による浮力の重心と二つの月との位置関係によって、一定の周期でハルケギニア大陸の北西海上を複雑な経路をたどりながら季節移動しているのである。
「さて、じゃあ今日はもう休もう。部屋をとった」
ワルドは鍵束を机の上に置いた。
「キュルケとタバサは相部屋だ。そして、ギーシュと禅師どのが相部屋。そして僕とルイズが同室だ」
一同、ぎょっとしてワルドの方をむく。
「婚約者だからな、当然だろう?」
いやいや、全然当然ではない。
結婚前の家族でない男女の同室なんて、ハルケギニアは中世〜近世期のヨーロッパと同様に、大変に厳しい。
「そんな、ダメよ!まだわたしたち結婚してるわけじゃないのよ!」
ワルドと、ハルケギニア事情にうとい禅師をのぞく全員がうなずいている。
「大事な話があるんだ。ルイズと二人きりで話したい」
※ ※
貴族相手の宿『女神の杵』亭でいちばん上等な部屋だけあって、ルイズ・キュルケ・タバサの三人が泊まる予定の部屋は、かなり立派なつくりであった。誰の趣味なのか、ベッドは天蓋付きの大きなものだったし、高そうなレースの飾りがついていた。
ベッドの脇のソファーに座ると、ワルドはワインの栓を抜いて、グラスに注ぎ、飲みほした。
「きみも腰掛けて、一杯やらないか?ルイズ」
ルイズは言われるままに席についた。ワルドがルイズのグラスにワインを満たしたのち、自分のグラスにも注いで、ワルドはそれを掲げた。
「二人に」
ルイズはちょっと俯いて、グラスをあわせた。かちん、と陶器のグラスが触れ合った。
「姫殿下から預かった手紙はきちんともっているかい?」
ルイズはポケットの上から、アンリエッタから預かった封書を押さえながら答えた。
「……ええ」
「心配なのかい?無事にアルビオンの皇太子どのから姫殿下の手紙を取り戻せるのかどうか」
「そうね。心配だわ……」
「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだからね」
「そうね、あなたがいれば、きっと大丈夫よね。あなたは昔からとっても頼もしかったもの。
で、大事な話って?」
ワルドは遠くを見る目になって言った。
「覚えているかい?あの日の約束……。ほら、君のお屋敷の中庭で……」
「あの、池に浮かんだ小舟?」
ワルドはうなずいた。
「きみは、いつもご両親に怒られたあと、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいに、うずくまって……」
「ほんとに、もう、ヘンなことばっかり覚えているのね」
「そりゃ覚えているさ」
ワルドは楽しそうに言った。
「きみはいつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、デキが悪いなんて言われていた」
ルイズは恥ずかしそうにうつむいた。
「でも僕は、それはずっと間違いだと思っていた。確かに、きみは不器用で、失敗ばかりしていたけれど……」
「意地悪ね」
ルイズは頬を膨らませた。
「違うんだルイズ。きみは失敗ばかりしていたけれど、誰にもないオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、きみが、他人にはない特別の力をもっているからさ。僕だって並のメイジじゃない。だからそれがわかる」
「まさか」
(まさか)
ルイズは内心冷や汗を流す。
ルイズの系統が伝説の"虚無"である可能性は、魔法学院の少数の教師とヴァリエール家の間の厳重な秘密とされたのではなかったか?
ワルドはいったい、何を感づいたのだろう?
「まさかじゃない。例えば、そう、きみの使い魔……」
「禅師さま?」
「そう、その東方の修道士どの。人間を、しかもはるかアル・ロバ・カリイエから召喚するなんて、並のメイジにできることじゃない。誰もが持てる使い魔じゃない。きみはそれだけの力を持ったメイジなんだ」
「信じられないわ」
そうワルドに言いながらルイズは思った。
自分の力のこと。自分の可能性のこと。
誰に、どれだけ広まってしまっているのだろうか?
ワルドは首を振っていった。
「きみは偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような、すばらしいメイジになるに違いない。僕はそう予感している」
ワルドはルイズの系統について、どうやら何か感づいているらしい。
学院の宝物庫の破壊は怪盗フーケの仕業だとおもわれていて、その前にルイズが硬化と固定化を解除していたことを知る者は、学院の中でもごくわずかである。しかしギトーの魔法の杖の契約と固定化を解除したのはクラス中に見られている。
あるいはヴァリエール一門の子弟たちとギーシュ、キュルケ、タバサ、モンモランシーたちで行ったいろいろな魔法実験。
これらは、べつに口止めが行われたわけではない。
ワルドは、ルイズに関する情報を集め、分析に怠りなかったようだ。
親同士の間で「婚約者」という話がでていながら、7年間、ずっと音信不通だったくせに。
「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ」
「え……」
いきなりのプロポーズに、ルイズははっとした顔になった。
「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」
そのあとも、ワルドはなにかペラペラと熱っぽく語り続けているが、その内容はちっともルイズにはとどかなかった。
魔法の才能がないととっても悩み苦しんでいたとき、ずっとわたしを放置していたくせに。
わたしに“虚無”の可能性があると知ったとたんに、この手のひらの返しようってなによ!
「アッハッハァ!コリャァ、ケッサクダゾ、子爵!」
とつぜん部屋に金属的な女の声が響いた。
ワルドとルイズが振り向くと、異様な姿の、ほぼ全裸の女がいた。
容姿端麗だが、全身の皮膚はどぎつい原色の赤。額には第三の目。口元からは長い犬歯の先がのぞいている。黄金の冠に黄金の耳飾り、腕輪、足話。首と腰に、黄金製の装身具。ドクロを連ねた首飾り。ただし両の乳房も局部もむき出しの、なんとも猛烈な姿である。
「子爵ヨ、ココナるいずハ、オ前ゴトキニハ手二余ル娘ゾ。カナワヌ恋ジャ。アキラメヨ!」
ワルドがルイズをかばいながら杖を向けて叫ぶ。
「この、化け物!」
風の矢を放つと、ぶすぶすと妖女の身体に突き刺さっさっていくが、平然としている。
妖女はしばらくの間、ワルドの攻撃を受け止めつづけたのち、右手をひょいと振った。
小さな棒状のものがワルドにむかって飛び、ワルドの喉に突立った。
ワルドは苦悶のうめき声をあげながら、床にうずくまる。
手で首に触れてみても、なにもない、しかし喉には、何かが突き刺さっている感触がある。そして喉に開いた「穴」から全身の力が抜け落ちて行くような脱力感!精神力も、体力も・・・・・。
(なんだ!これは・・・・・・)
体中に力が入らない。立ちあがることはおろか、手で体を支えることもできない!
うめきながら両膝と両手を床についていたワルドは、やがてごろりと倒れた。
ルイズが悲鳴をあげた。
「ギャ~~~~~~~~~~~~!」
ルイズの叫び声は、食堂で飲み食いをしていた禅師やギーシュ、キュルケ、タバサらの耳にも届いた。
部屋に駆けつけた一同は、ワルドが床にうつぶせて苦悶し、ルイズが真っ赤な皮膚の半裸の妖女に杖をかざして対峙しているのを見た。
禅師がすすみでて、妖女とルイズの間に割ってはいり、いった。
「ルイズ、これは敵じゃない!」
禅師は数珠を取り出して手のひらに巻き付け、妖女に合掌して点頭した。
すると妖女も禅師に同じく合掌、点頭してこれに応えた。
その様子をみて、ルイズとギーシュ、キュルケ、タバサらは構えていた杖をさげた。
この妖女、ハルケギニアの人々にはどうみても化け物にしかみえないだろうが、実はそうではない。
その名もカンドーマ。
サンスクリット名はダーキニー。元はインドの人食い悪魔だったが、仏法に帰依して女神となった尊格である。
ただしその姿といえば、チベット人だけが「仏法を守護する女神さまのカンドーマ(ダーキニー)」と識別できる、なんとも猛烈な姿である。
他の文化圏の人々には、バケモノにしか見えないだろう。
ダーキニーを祀っている日本の伏見稲荷の神官や豊川稲荷の僧侶たちだって、この姿をみたら自分たちのご祭神・ご本尊だとは認識できないだろう。
日本では、この女神は、中国風の衣装を着て狐にまたがる、もっと穏やかな姿で知られている……。
カンドーマが身をかがめ、ワルドのうなじに手のひらをあてた。ほどなく、ワルドがうめき声を止める。
カンドーマに促され、禅師とギーシュがワルドをささえて、身を起こさせた。
「さて、」
禅師がカンドーマにむかって言った。
「カンドーマよ、あなたのお姿は、この地のものどもには刺激的すぎる。いま少し穏やかな装いに改めてはいただけまいか?」
「フン。見カケナド、ワガ本質トハ関リノナイモノヲ」
カンドーマはそういいつつも、身をぶるるんとふるわせた。するとカンドーマの姿はインド風の鎧兜を着用した女兵士に変わった。
額には赤いルビーをはめた飾りがぶらさがり、第三の眼を隠している。唇の両端からのぞいていた犬歯はひっこみ、肌の色も人肌の色に変わっている。
「これでどうかな、禅師どの?」
牙がひっこむと、しゃべり方まで変わった。
「結構でございます」
禅師がたずねる。
「それで、貴尊はどなたの召喚でハルケギニアの地に?」
「そこなルイズの召喚によってじゃ」
カンドーマは尊大な態度でルイズを指差した。
「ええ!」
やや立ち直っていたルイズが、叫び声をあげる。
「わたしあなたを呼んだ覚えなんかないわよ!」
「うむ。そなたにはまだ呼ばれておらぬ。しかしそなたはこれより数ヶ月ののち、仏法の奥義をきわめ、いずれ我らを召喚することになるのじゃ」
ルイズは目をぱちくりする。
「“いずれ、なるのじゃ”って……。あなた、未来のわたしが召喚したってこと?」
「その通り」
答えると、カンドーマは口をつぐみ、ルイズの顔をじっと見つめる。
ルイズははじめ呆然としていたが、カンドーマの答えの意味が心に沁みとおるにつれ、笑みが浮かんできた。
自分はいずれ、カンドーマを召喚できるような、神通力を身につけることができる、ということではないか。
しばらくそんなルイズの様子を眺めていたカンドーマが、ふたたび口をひらく。
「今のそなたはまだ魔法も使えず、神通力も身につかず、にもかかわらず戦乱の地アルビオンへ往く。そなたはアルビオンにて任務にいそしんだのち、トリスタニアに戻る。
そなたの生涯において、この道のりが最も危険な時期じゃ。
それゆえにそなたは我らを招き、我らに誓願した。時をさかのぼり、今のそなたと禅師を守護するように、と」
カンドーマの言葉を聞いて、禅師は顔色を変える。禅師は、アルビオンでは決して戦闘地域には踏み込まず、レコン・キスタの勢力圏内を適当にうろうろしてお茶をにごしたら、「任務は達成できなかった」としてトリスタニアに引き返すつもりだったのだ。
「我々に、危険が及ぶと?」
「うむ。これよりそなたらには、落命の危険がある危機がいくども襲いくるであろう」
神通力が身に付くという将来を予告されて嬉しさを噛みしめていたルイズだったが、ほどなく気がついた。
このカンドーマが未来からやってきたということは、姫様から命じられた任務の、今後の成り行きを見届けているということではないか。
この任務、これからいったいどのように進展するのだろうか?
「それじゃあね、……」
ルイズが質問しようとすると、カンドーマはこれをさえぎって言った。
「ルイズに禅師、それからその他のものどもよ。我はここな子爵に話がある。外せ」
禅師に促され、ルイズやギーシュ、キュルケ、タバサらはしぶしぶ部屋を出た。
一同が退出し、足音が遠ざかると、カンドーマはワルドにずい、とにじり寄って言った。
「子爵よ。我らはそなたが、何をたくらみ、そして何を行ったか、つぶさに存じておるぞ」
ワルドは、内心おびえながらも考える。
たしかにこのバケモノが強力な力をもっていることは間違いない。しかし未来から来たというのは本当だろうか?
ハッタリではないのか?
いや、ハッタリであろう!
精一杯、虚勢をはって答える。
「ぼくが、なにを企んでいるというんだ?」
カンドーマは答えた。
「レコン・キスタ。白仮面。盗賊フーケの脱獄幇助。傭兵どもの雇用」
ワルドは青ざめた。カンドーマは歯を剥きだし、ギシギシと笑い声を出しながら続けた。
「いまのそなたは、ルイズと禅師の、味方のフリをした敵じゃ。そしてほどなく正体を顕(あらわ)にし、真の敵となる」
言い終えると、カンドーマは腕を組み、ワルドの顔をじっと見つめた。
※ ※
カンドーマから部屋を追い出されたルイズたちは、下の食堂におりるフリをしたのち、足音をしのばせて部屋のまえにもどった。
ギーシュとルイズが扉に耳をあて、部屋の中の声をさぐる。
と、扉の左右の脇の壁から、真っ青なカンドーマと緑色のカンドーマがにじみでて来て、ふたりを背後から見下ろした。
その様子をみていたキュルケとタバサは、声もなく固まる。
異様な雰囲気に、ふと振り向いたギーシュは思わず叫んだ。
「うわぁ、こいつら何人もいるのか!」
緑のカンドーマは身をかがめて自分の顔をギーシュの間近まで近づけると、ニヤリと笑った。
青いカンドーマはギーシュの “こいつ” を聞きとがめ、
「無礼者メガ!」
と叫び、右手にもっていたプルバ(黄銅製の宝具)でギーシュの頭をはたいた。
ギーシュの頭はゴチン!といい音をたて、プルバはチーンと澄んだ音を響かせる。
周囲の騒ぎに、扉から耳を話して振り返ったルイズは、自分とギーシュを囲むようにして歯をむき出す二人のカンドーマに気付き、硬直した。
カンドーマたちは一同を見回して言った。
「コレ!ソノ方ラ、ハシタナイゾ。盗ミ聞キナドスルデナイ。サァ、行ッタ、行ッタ!」
追い払われた。
一同が食堂に戻り、だらだらと飲み食いをしながら時間を過ごしていると、ワルドがひどく消耗した様子で降りてきた。心配したルイズが声をかけた。
「ワルドさま?」
「ああ、大丈夫だ」
そうはいっても、顔色がひどく悪い。
「どんな話をなさったのですか?」
「いや、決して手抜きをせず、君たちの護衛をしっかりつとめろ、と釘をさされたよ」
「彼女たち、まだお部屋に?」
「いや、みんないきなり、すっと姿を消して、見えなくなった」
ルイズやギーシュ、キュルケらが、ワルドのためにワインをつぎ、つまみの残りのなかから大きさや形のよいものをひとつの皿にまとめてワルドに勧める。
(食欲はないが、無理にでも、何か腹に入れておかねば……)
これからほどなく、白仮面(=ワルド自身)とフーケが傭兵団を率いてこの『女神の杵』亭を襲撃する手はずになっているのである。
ワルドが、もそもそとつまみを口の中に押し込みだしてから、一刻、とつぜん『女神の杵』亭の壁が轟音を立てて振動した。
即座に反応したタバサが扉の隙間から外を眺めてみれば、岩でできた巨大ゴーレムが。
その背後には弓や鉄砲を構えた傭兵たち……!