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No.34596の一覧
[0] オールド・オスマンの息子[lily](2012/08/14 19:58)
[1] 001[lily](2012/08/22 21:42)
[2] 002[lily](2012/08/22 01:31)
[3] 003[lily](2012/10/11 17:28)
[4] 004[lily](2012/08/15 19:37)
[5] 005[lily](2012/08/16 16:22)
[6] 006[lily](2012/08/22 23:37)
[7] 007[lily](2012/08/22 23:38)
[8] 008[lily](2012/08/22 23:40)
[9] 009[lily](2012/08/22 23:44)
[10] 010[lily](2012/09/07 02:25)
[11] 011[lily](2012/10/10 00:53)
[12] 012[lily](2012/11/01 22:54)
[13] 013[lily](2012/12/28 20:06)
[14] 014[lily](2013/01/28 20:20)
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[34596] 013
Name: lily◆ae117856 ID:ccc88b49 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/12/28 20:06
未だ暑さが残る第九の月である、ラドの月。
秋の夜と男の心は七度変わるとは言うけれど、彼の心はそれにあらず、寄り添い合うような二つの月を見上げれば自然と彼地の人が恋しく思われ、その地は踏み難くとも文を認めるは容易く、つらつらと筆を走らせる。文を書きたるは水花の二つ名を持つ、齢十七の青年、ヴァレリー・ヘルメスその人であり、送り先は言わずもがな最愛の人、カトレアである。

季節の結びで締めくくり、一読して語句の乱れが無いかを確認するとインクを乾かす為に暫しの間を置く。

「んぅ……うわっとと」

いつの間にか夜も深くなり、凝り固まった体をぐっと伸ばすと机に平積みされた本が崩れそうになる。

最近は部屋の本がより一層増えた。というのも国に認められるにはひたすらに優秀でなくてはいけず、魔法薬学においては既に優秀ではあるもののヴァレリーが目指すのは国付き薬師などではなく、宰相か、それに匹敵する国営を担う存在である。であるからして身に付けなくてはいけない知識を得なくてはならない。無知な者がことに及んでも悲惨な結果しか残せないのは世の常であろう。

現在のトリステインにとって有益性を示すのならば、利潤を上げるのが分りやすい手だとは分かっていても国の規模で何が可能で、どんな制約を受けるのかも覚束ない。ならばと先人達の知恵と経験によって出来た経済学や財政学、農政、法律といった理論書を解くことはなんら不思議なことではないだろう。読み物としてはそういった種の本も今までに読んで来たが魔法薬学と違い、興味が浅かった故に知識も浅い。正直に言ってしまえば将来、職に就くとしたならば薬学の研究職辺りだろうと自分でも予想していただけに、政治の道にどっぷり浸かることになろうとはヴァレリー自身思ってはいなかった。公爵家から戻った後のヴァレリーは弛まず知識の吸収に励んでいる。勿論、全てが書物の引用でうまくいくなどとは思わないが今までの在り方であったり、基礎的な知識を得るには書は大いに役に立つことだろう。


さて、ここで一度ヴァレリーが公爵家から戻った後を振り返り、話を進めたい。
それは夏の長期休暇が終わり、学院に生徒達が戻って来た頃の話である。

ヴァレリーにとってギ―シュという存在は一番の男友達であり、時間としては一年にも満たない付き合いながら、最早親友と言っても過言ではない。だからこそヴァレリーはギ―シュと一席設け、この夏に何があり、どうなったかを全て話した。当然、ギ―シュがそれらのことを今まで知る由もなかったのだから大層、驚いた。
しかし、当初こそ驚けど、事も無げにギ―シュは言ってみせた。

「君が宰相になるんだったら、僕は陸軍元帥になろう」

グラスを傾けながらのその言葉は明日の予定を語るくらいの気軽さだった。

「いや、私は真面目に話しているんだぞ?」
「失礼なやつだな。僕だっておお真面目さ」

酔うほど飲んではいないはずなのだが、如何せん、ひょろりと言うものだから信じていいのか迷うのである。
そんな疑いの目を持つヴァレリーに対してギ―シュは言う。

「あのさぁ、ヴァレリー。君が正直に話をしてくれたことを僕は嬉しく思っているんだ。だって、それは君が僕を親友だと思っていてくれてる明確な証拠だろ?君が文の頂点に立とうと言うのなら、その一番の友である僕が並び立とうとすることの何処に不思議がある?今の僕はへなちょこだ。だけど、陸軍元帥の子である僕にも少しくらいは資質があるはずだ。出来ない事じゃない。トリステインを支える二大支柱、ヘルメスとグラモン……。想像してもみてくれ、最高にカッコイイじゃないか!」

ヴァレリーの顔から自然と笑みがこぼれる。
「わくわくしちゃうね!きっとモテモテだろうね!」などと瞳を輝かせている目の前の男が親友で良かったと心から思える。

「ふっ、そうだな。最高にカッコイイよ。しかも向かう処、敵無しだ。歴史に名を刻む名士に絶対なるだろうな」
「当然さ。僕たちの手で築く新時代!蓮華のように美しく、薔薇のように情熱的な時代!夜空に瞬くどの星よりも僕らは輝くのさ!」

並び立とうとしてくれる友がいること。
それを素直に嬉しいと感じた。そして、そのことがこれ程までに自分に勇気をくれるとは思わなかった。

「まぁ、僕の方が先に元帥になるけどな」
「いや、私の方が先に宰相になるね」

対抗する言葉とは裏腹に二人とも楽しくて仕方がない。
将来を語れる友はその者の人生における素晴らしき宝と言える。

「さて、どちらが先かは一先ず置いておいて、グラスが空いてしまったな」

ヴァレリーは棚から新しいグラスを三つ取るとそれを机に並べる。

「ん?三つ?誰か来るのか……って、あぁ」

一寸、疑問に思ったもののヴァレリーの視線の先を追い、直ぐにその理由がわかったギ―シュ。
窓辺の向こうを見ると隠れきれていないピンクブロンドの頭がちょこっと出ている。

「ギ―シュは何がいい?」
「僕は普通に赤かなぁ~」
「ルイズは?」
「……ポワレ」

自分としては完全に隠れていたつもりのルイズが一寸の間を置いて窓の向こうから答える。
因みにポワレとは洋梨酒の一種である。

部屋のドアを開け、ルイズを招けば、こっそり見守るつもりが見つかってしまい気恥ずかしいのだろう、僅かに頬を朱に染め、どこかたどたどしいルイズである。

「なによ」
「いや、私は良い友に恵まれたなっと思っただけさ」
「な、なんだかむず痒いわね。でも悪い気はしないわ。それにね、恵まれたってのは少し違うと思うわ。貴方が貴方だったからこそ、私達は友達でありたいと思った。つまりは貴方自身に人を引き付ける魅力があったのよ。言うなれば必然ってやつね」
「なるほど、確かにむず痒い。だが……ふむ、悪い気はしない」
「ふふ、そうでしょ?」

面と向かって素直に相手に感謝をしたり、良い処を指摘するのは思いのほか気恥ずかしい。けれどそれを口に出して相手に伝えることは人と人とを結びつけるうえでの大きな助けとなるに違いない。言葉というものの力は強い。力であれば使う者によって辛辣な凶器にもなり得るが、それはまた使う者によってはとても温かく、心を満たす物にもなり得るものだろう。


さて、ルイズを加えて3人でグラスを傾ける。
話題はどうやってヴァレリーが宰相の類までの階段を駆けるかだ。
ルイズは言わずと知れた大貴族であるし、ギ―シュも古くからの名門ではあるが学生である二人がどうすれば宮中で躍進できるかなどは流石に明るくない。ヴァレリーにしても大概ではあるが、一応の参段は用意している。

「今すぐというわけではないが、ある程度学習の区切りが付いたらマザリーニ卿の直下として働かせてもらえないかと思っているんだ」

王宮に使えようとする者は本来ならば学院を卒業し、その後、然るべき采配で各部署に配属されるものだがそれをヴァレリーは良しとしない。それでは時間がかかり過ぎるからだ。カトレアとの約束を果たすべく奔走するヴァレリーは立ち止まるどころか、歩を緩める暇すらない。マザリーニの直属の部下として働くことは政治の世界で活躍しようとするヴァレリーにとっては一番の近道となる。下手な官職に就くよりもずっと間近で卿の仕事を学べ、また、間近故に自身の仕事ぶり次第で卿の憶えをよく出来るからだ。下世話な話かもしれないが立身出世を考えるにあたり、やはり強い後ろ盾の存在は大きい。それが人事を握るマザリーニ卿であったり、王女であれば殊更であろう。

「そうか、でも学院はどうするんだ?辞めてしまうのかい?」

その旨を伝えたヴァレリーにギ―シュが問う。

「うむ、皆と一緒に卒業出来ないのは非常に残念ではあるが……」

眉を下げて儚げな笑みを浮かべるヴァレリー。
続けてルイズが口を開く。

「勿論、私達だって皆で一緒に卒業したいと思っているわ。でも貴方が決めたのなら私達は異を唱えない。学院と宮使え、魔法薬学の講師の仕事、そりゃぁ、貴方は器用になんでもこなすけど、限度っていうものがあるもの。正直、全てに手が回るとは思えないし、仮に出来たとしてもそのうち必ず無理がくる。貴方が倒れたら私も……そして他でもない、ちぃ姉さまが悲しむわ」

幼い頃からの馴染みの男子、ヴァリエールの娘にとって、ヴァレリーという者が与える心の安らぎが如何程のものであるかをルイズも自覚している。学院で一緒に居られなくなることを素直に寂しいとは思うけれども、だからといって引き留めておくことは違うだろうとルイズ。

「ルイズ……。まぁ、どの道、倒れるくらい仕事をしなくてはいけないんだけどね」
「もう、だから倒れたら駄目なんだってば」

腰に手を当てて頬を膨らませるルイズにヴァレリーは笑顔で言う。

「ふふ、なんとか上手くやるさ。なに、ルイズも手伝ってくれるのだろう?なら、大丈夫だろうさ」
「はぁ、頼ってくれるのは嬉しいけど、あまり期待されても大したことは出来ないからね?まぁ、疲れて帰って来た貴方に膝枕くらいはしてあげるわ。小さな頃にエレオノール姉さまがやっていたようにね」
「むむ、不肖ヴァレリー・ヘルメス、俄然やる気が出てきましたぞ」
「ば~か、因みに一回につきクックベリーパイ1ホールね」
「おいおい、そこは善意でやって欲しいんだが」

などとルイズと冗談を言っていると不意にギーシュが椅子を鳴らし立ち上がった。
そして声を高らかに宣言する。

「よし決めた!ヴァレリー、決闘しよう!!」
「「はい?」」

いきなり何を言い出すのかとルイズとヴァレリーの両名が首を傾げる。

「何?そんなに膝枕が羨ましかったの?一回20エキューでならしてあげるわよ?」
「高いよ!暴利を貪り過ぎだ!そうじゃなくてさ、えぇっと、正確に言えば何か揉め事があるわけじゃないから決闘ではないが兎に角、ヴァレリー!一戦、杖を交えよう!」
「いやいや、理由もなしに了承しかねるぞ。君の中で一体何だって急にそんな運びになったんだ?」

ヴァレリーは当然、戦闘狂でもなしにいきなり「戦いましょう」と来て「喜んで」なんて返答はしない。ギーシュが言葉を省き過ぎたせいが多分にあるが仲が良くてもこの時ばかりはギーシュの意図が皆目見当が付かぬヴァレリーである。

「僕は考えたんだ。友である君が目標に向かい確実に一歩を踏み出し始めた。僕は陸軍元帥になると言った。それは嘘じゃない。だから僕も一歩踏み出さなくてはいけないと。目標は美しく、強く、そして美しい元帥になることさ。でも僕だって物の道理を解さぬほど愚かではないつもりだ。火竜山脈の彼方ばかりを見ていては思わぬところで躓いてしまう。それに文人に武人が敗けていてはカッコが悪い。先ずは君を越えるのを目標にして僕は強くなる!その為には今の実力差を知らないことには始まらない。彼を知り己を知らんとするのは戦の常道だからね」

勇むギ―シュ。
美しくを二回言ってしまっているがそこは譲れないのだろう。
ヴァレリーにしてもこの理由とあらば無下に断る事など出来ない。

「なるほど、そういうことなら喜んで相手になろう。いつにしようか?流石に今直ぐにではないんだろう?」
「明後日にしよう。魔法の腕は上げられないが戦い方ぐらいは考えられるだろうからね。構わないかい?」
「あいわかった。当然だが手加減なんてしないからな?」
「当たり前さ。された方が困る。そうと決まればこうしちゃいられない!ヴァレリー、油断していると痛い目見るから気を付けろよ!では!」

グラスのワインを一気に呷るとマントを翻し、意気揚々と部屋を後にするギーシュ。

「張り切ってるわね。さて、キリがいいし私も戻るわ。魔法の練習に勉強に、将来のことはまだ決めてないけど、私も取り残されないように頑張らなくちゃね。それじゃ」

続いてルイズもグラスを呷ると部屋を後にする。
『切磋琢磨』
触発し合い、自身を高めんとする彼らには正しくそんな言葉が似合う。



翌々日は残暑並びに照る太陽。
今一度夏の盛りに戻ってしまったのではと思わせる快晴の空であった。
どかっと倒れ込み、大きく四肢を投げ出し、荒い息を整えるのはギ―シュである。

「これで私の10戦10勝だな」
「はぁ、はぁ。もう一戦!っといきたい所だが流石に限界だ。はぁ、もう少し……善戦出来ると思ったんだけどなぁ」

やはりラインとトライアングルという差は大きく、ギ―シュが魔法で操る、彼の二つ名の由来である青銅の戦乙女ワルキューレはヴァレリーの魔法の前に悉く打ち砕かれた。数で押そうとも、近接戦闘に持ち込もうとも流れる水の如く捉えられず、一手たりとも彼に届かない。それでも諦めず、魔力が尽きるその瞬間までギ―シュは決して杖を納めなかった。

「立てるかい?ギ―シュ」
「んや、疲れて立てない。でもいいさ、暫くこうしているよ。さぁ、もう行ってくれ」
「そうか。それでは先に部屋に戻っているよ」

倒れたまま腕をひらひら振り、見送るギーシュ。
素っ気ないやり取りとも思えるかもしれないがそうではない。そうではないのだ。

ヴァレリーがその場を後にして、一人倒れたままのギーシュ。
眩しい日の光りの中で空を行く雲が流れている。

「くっ……うぅ……」

誰が見ている訳ではないが片手で顔を隠す。
負けて悔しいと言えるほど上等な戦いではなかった。
勝つことはもとより、善戦すら出来ず、惨敗の一言に尽きる。
ただ、そうであっても悔しいものは悔しいのだ。
友であっても、いや、友であるからこそ、真剣に戦って手も足も出ない力の差を見せ付けられるのは堪えるものだ。
幸いしてこの晴れた空、濡れた袖も直ぐに乾くことだろう。


一方、一足先に自室に戻ったヴァレリーにキュルケが言う。

「この暑い中、よくやるわね。あぁ、暑い。ヴァレリー、風よ。涼しい風を私に頂戴な」

シャツのボタンを大きく開けて、はたはたと扇ぐキュルケ。

「暑いなら水浴びでもしてくればいいじゃない。というかその忌々しいモノをしまいなさいよ」

見え隠れするキュルケの豊満な胸を親の仇のように睨み付け、憎まれ口を叩きながらもちゃっかり位置取りを変えてヴァレリーの魔法の恩恵に当たるのはルイズ。

「ギーシュはどうしたの?」

ヴァレリーの研究設備を借りて、なにかしらの魔法薬を作りながら訊ねるのはモンモランシー。
ここにギーシュと訳あって学院を離れたタバサを含めての六人が実験室に集まる常連であり、学院に於てヴァレリーの生い立ちを知る面子でもあった。余談となるがテラスで談笑に耽る様は本人達からしてみれば他愛なくだべっているだけなのだが、眉目秀麗とあって他の者からは「華の集い」などと呼称され、一種の羨望の対象となっていたそうな。

「少し休んでからくるそうだ。あぁ、モンモランシー。ギーシュの傷を癒しに行ってやってくれないか?私がやるよりいいだろうからさ」
「ん?別にいいけど私の治癒魔法は貴方ほど強くわないわよ?」
「あれは真剣な勝負だった。それに私とギーシュは男なのさ」
「そりゃそうでしょ?」

ヴァレリーの意図に気付かぬモンモランシーは頭の上に疑問符を浮かべる。
見兼ねたキュルケは溜め息混じりに言う。

「はぁ、男心ってのをもう少し学ばないとモテないわよ、モンモランシー?兎に角行っておやりなさいな。゛傷゛を癒しにね」
「余計なお世話よ!まぁ、なんか癪だけど取り敢えず行ってくるわ」

なんだかんだ言って最近、ギーシュを気にかけているモンモランシーが部屋を出てギーシュのもとへ向かう。

「流石に愛に生きるヴァレリーとあってなかなか見事な手腕ね?」
「別にそういった意味で言った訳ではないのだがなぁ」

キュルケは理解しているのだろうが敢えての物言い。
ルイズは顔ぶりからして恐らくわかっていない。
要するに男とは面子を大切にする生き物なのだとヴァレリーは言いたかったのだ。


所変わってモンモランシーが向かった先。ギーシュは已然として大地に四肢を投げていた。
既に息も整い、袖も乾いたがぽーっとして目を閉じ、そよぐ風を受けている。

「それ!」

すぐ側まで来たのに気付かないギーシュの額にぽんっと冷えた水が入った瓶を置く、モンモランシー。

「うひゃぁ!?」

勢い剰って瓶に凝結した水がギーシュの胸元に落ちる。

「情けない声を出しちゃって。ほら、傷を見せて。治して上げるから」
「あぁ、悪いねモンモランシー。僕は君の優しさに咽び泣きそうだよ」

体を起こし、モンモランシーの治癒魔法を受けるギーシュ。
大きな怪我は無い故に直ぐ様、傷は塞がっていく。

「はいはい、どういたしまして。全く、ほんと馬鹿なんだから。戦わなくても結果は見えていたでしょうに」
「あはは、そうであっても戦うべき時はあるんだよ。それにね、モンモランシー、男とは総じて馬鹿な生き物なんだよ?」
「あんたは馬鹿でもヴァレリーは違うと思うけどね」
「酷いことを言うなぁ。そりゃぁ、あいつは頭はいいが、でもやはり馬鹿さ。言うなれば馬鹿真面目ってやつかな。聞いた話しじゃ皆の迷惑になるからと一度は学院を出ていこうとしたらしいし、結婚の話にしても普通に生活してれば吸血鬼のことなんか分かりはしないのにわざわざ自分から知らせに行く。関わる人を大切に思い、正しくあろうとするのは良いことではあるがヴァレリーは少し自分を犠牲にし過ぎる所がある。僕は思うんだよ、モンモランシー。周りの人を大切に出来る人間は周りの人から大切にされるべきだ。だから僕は元帥になろうと思ったんだ。あいつに負けたくないという気持ちも当然あるさ、でも、元帥になって多くの人を従えるほどの立場と発言力を持てばヴァレリーの進む道を支えることが出来るだろう?ヴァレリーを大切に思う者は多いがこれは一番の友である僕が担うべきだと自負している。その為に僕は強くなる。今回の戦いはその足掛かりだったんだ。まぁ、この様だけどね」

語るギーシュの横顔は普段の軟派なものと違い、何処か大人びていて、凛々しくもあった。
モンモランシーは思わず目を奪われ、最後に見せた照れた笑みが心までも奪う。
それは正しく彼女が恋に落ちた瞬間と言えよう。

「さて、ここは暑い、実験室に涼みに行くとしようか。モンモランシー、ありがとう」

立ち上がり、モンモランシーに手を差しのべるギーシュ。

「え、えぇ。どういたしまして」

意識してしまうと気恥ずかしく、ただ手を取るだけなのに頬が朱に色付く。それを暑さのせいと自分自身を誤魔化しつつも繋がった手が離れる瞬間には些か残念に思ってしまうモンモランシーであった。



さて、時系列が逆となるがヴァレリーが公爵家から戻った後、ギーシュと杖を交える前の話しをしておこう。この頃、ヴァレリーは王宮で働く為に知識を蓄えている真っ最中であったが、何もそれだけをしていたわけではない。自身の力について、即ち先住の力の行使及び吸血鬼の力についての研究もヴァレリーの課題である。ヴァレリーは今まで人としての生しか知らなかった故に自身のことに明るくない。彼にとって一番に重要な事とはやはりカトレアの病状の回復と繋がる先住の力の行使となるが、血を必要とするとだけはわかっているが未知数な所が多い。必要な血の量はどれほどか?いつまで行使を続けることが出来るのか?扱える力の量の最大値はどれほどか?成長はするものなのか?検証するべき事は山積みだ。

今のところヴァレリーの素性が露呈する可能性が最も高いのはこの先住の力の行使であるのは彼自身も大いに理解しているものの、それを理由に検証を断念することは出来ない。カトレアの病への打開策を見つけることはヴァレリーにとっての生涯を懸けての命題に等しいからだ。現状の彼女の病に対して今後の対処の仕方は二通りある。第一に病の根源を解明し、取り除くこと。ただこれが出来るのであれば苦労はしない。既存の系統魔法では病の根源を見つけることは出来ず、先住の力を感じることが出来るヴァレリーに於いても結果を同じくした。第二に病を抑えること、或いは生命力を増す工夫をすることである。原因は解らなくとも体が弱る、生命力を失っていくという結果は解っている以上、その結果を打ち消せばいいとの結論である。薬の処方もそうであるが、ある種、外付けの命とでも言えようか。第一の対処を捨て去るわけではないが、第二を現実的なものとし、其方に傾倒して研究を進めるのが一先ずの吉かと思える。

手法としては従来の内服に加えて「外付けの命」、例えば絶えず持ち主に生命力を与え続ける何かしらの道具の開発といったところか。ヴァレリーが思い浮かべるのは水の精霊の秘宝足るアンドバリの指輪。トリステインとガリアの国境、ラグドリアン湖には水の精霊が住み、その秘宝、アンドバリの指輪は超高純度の水の力の結晶体と云われている。これに、またはこれと同じような物に手を加えて「外付けの命」とすることを思案している。

実際にヴァレリーが試した結果を記すが結論から言えばすべて失敗に終わった。
結晶化と言われて思い浮かべるのは宝石の類。地という外圧によって圧縮されたものであるが同じ発想で水の精霊の涙に先住の力を足しつつ圧縮する。結果は先に言ったように失敗。水を圧力で固体化出来ないのは承知の事だが、先住の力の凝固も見られなかった。今度は既に結晶化されている自身のサファイアの指輪に力を込める。これは一定量の付加を超えるとそれ以上は付加できなくなってしまった。此処までの結果から一つの答えを得る。先の方法にしろ後者の方法にしろ先住の力を媒体に押し込めるやり方なわけだが、その出力が足らないのではないかということだ。吸血鬼の扱う先住の力は決して強いものではないのだ。

他にも異なった手法を幾つか試した。果して先住の力が塩や明礬のような扱いになるのかはさておき、媒体の水の温度を上げて力を込め、その後冷やしてみたり、熱して水分を飛ばしてみたりと。どちらも失敗に終わり、後者の手法の結果、凡そ一瓶700エキューもする水の精霊の涙が消えて無くなったが。試行錯誤の末、水の精霊の涙に先住の力を追加的に付与、氷結させて圧縮、という手法がヴァレリーの構想に最も近いものになった。ただ、融けない氷の生成は出来なくもないが、絶えず生命力を放出し、それを何年、何十年も続けるとなると物が凄まじい大きさと重さになる試算であり、身に着けるなど到底出来るはずもない。生成期間、費用の面で見てもこれならば全て内服の薬の生成に費やした方が先ず間違いなく効果的だ。

並行して調べていた自身の吸血鬼の面は幾つかわかったことがある。
先ずは一度血を吸ってから先住の力が扱える期間。これは大凡五日間、必要とする血の量は最低で試験管、3/5本。血を多く吸えば長く力が扱えるかと思えばそうではなかった。第二に必要とする血は生血であれば問題なく力を行使できるが、出血し、固まってしまった血では反応はなかった。より詳しく調べた結果、血液に凝固防止処置をし、遠心分離機にかけたもの、つまりは血漿が吸血鬼に必要なものだと判明した。ヴァレリーはその範疇にないが吸血鬼は人の汗で一先ずの飢えを凌げると文献にはある、それはこの為であろう。生血にしろ血漿にしろ保存に関しては『固定化』という魔法があるので腐敗することはないが、見た目が変わるわけではないので後者の方が見つかることもなく安全かもしれない。血を見たことがない者は皆無だが、血漿の実物をそれと認識して見たことある者は極一部の研究者くらいなものであろう。

先住の力が扱える間は腹が減るという感覚は薄いが血に対する渇きは常にある。理性で抑えられぬ程ではないが、薬物中毒の症状に近く、血を見ると犬歯が疼く。研究の為にほとんど吸血鬼化しているせいもあるのだろうが、日中は気怠く、味覚は已然として戻らない。普通の食事も消化出来ないわけではないので不自然にならないように口にはするが量を食べると吐き気を催すので最早、食の楽しみは失ったに近い。夜目は殊更利き、血や人の匂いに敏感になった。先住の力の成長や所謂、精霊との契約については現時点では結論を得ていない。


長らくの説明となったが話を進めよう。
それはある晩のこと。研究と勉強に一区切りを付けたヴァレリーは学院本塔の最上階、学院長室にてチェス盤を挟んでオスマンと対座していた。魔法学院を退学する旨と魔法薬学の講師の辞任及び後任の引き継ぎの話をしに来たヴァレリーを「久しぶりに一局」と呼び止めた事の次第である。

「学習のほうはどうじゃ?捗っているかえ?」

駒を前へと進め、オスマンがヴァレリーに訊く。

「そこそこと言ったところでしょうか。考えれば考えるほどに現状の貴族社会の維持と経済の発展との齟齬を感じざるを得ませんが」

ハルケギニア6000年の歴史に於いて王家を中心とした貴族社会は根強いものだ。魔法という力を持つ故に集団の長足りえ、今や土地と金を兼ね備えた支配階級。貴族社会の発展は経済及び政治での重商主義的なものが全面にある。シュモラーに言わせれば重商主義はその真の核心部分では国家形成に他ならないし、ヒックスに言わせれば重商主義は他の国民に及ぼす影響・威信・権力の追及を含むあらゆる種類の国家目的にとっての一つの手段として利用される。

制度的な秩序の下での独占権は確かに王家や諸侯に有利に働いて来た。ヴァレリーも重商主義を支持する立場に身を置くが独占は癒着を、癒着は腐敗を招くことを見逃すことは出来ないと考えているし、貴族社会の維持の為に為される平民への抑制が経済の発展を阻害していることは理解している。しかし、同時に貴族という者が生まれてから現在まで生き続けてこれたのは平民への抑制をしてきた為であることも事実としてある。少数の貴族で支配出来るように人口を抑制し、政治体制への知的な批判をさせない為に学を抑制し、武力を持たせない為に技術を抑制してきた。

税を課し、余暇を奪い蓄財を難しくさせることによる隷属的な支配。それが初期の貴族社会の国家論。これが既に時代遅れのものであることをヴァレリーは意識せざるを得ない。抑制の最中であっても人口は増加し、学を身に着ける者は出てくるし、自分たちの暮らしが少しでも良くなるようにと技術は発展していく。国家としての規模が大きくなるに連れて旧体制との不和は大きくなるばかり。それこそが今のトリステインの現状だ。

国家の収入を増やすには第一にその国民が富まねばならない。しかし、その結果は現状の貴族社会を揺るがすものになり得るのだ。隣国ゲルマニアに目を向ければ金と実力があれば平民でも貴族の地位を取得できるという。貴族の地位を取得させること、つまりは支配階級に内包させることで緩和させてはいるものの、伝統的な貴族社会から資本家社会への移行が見て取れる。それが本来の流れなのかもしれない。国を発展させる手法などそう多くはない。抑制と維持の為に困窮したハルケギニア、殊更トリステインは発展と自由を課題とする。そのような中で安定した支配体系の維持を望むならば『独占と抑制の中での自由の裁量』を行える平衡感覚が現在の王家には必要であり、それが出来る人物になることがヴァレリーの目指すところである。

「そうか。学問に於いて終わりはなく、政治に於いて絶対的な正しさは無いものじゃ。おぬしが思う最善を整えたなら早めに知らせるのじゃぞ。マザリーニ卿は最早仕事中毒の類じゃからのぉ。なかなか面会の機会を設けられんのじゃ」

一介の学生風情が面会を求めたところで宰相に会えることはない。
機会を与えるのはオスマンの役目、その後に直下として働けるかはヴァレリーの言動次第という事となる。

チェスも終盤になり、今回はヴァレリーの優勢。
起死回生の一手が見えず、手を止めたオスマンが口を開く。

「さて、まっこと劣勢。勝ちの目が見えぬときた。ここで一つ、おぬしに問いを投げかけてみようかの」
「はい、どういったものでしょうか?」
「この盤上の手詰まり、このままでは王が討たれてしまうのぉ?」
「そうですね」
「仮にこの局面が現実のものだとしたらおぬしはどう切り抜ける?」
「この状態からですか?」

ヴァレリーは深く思考し手を探すも、窮地に立つ王を救う手立てが見つけられない。
それもそのはずだ。窮地に追いやったのは彼自身、逃げる手が無い様に駒を進めてきたのだから。

「う~ん、盤上に答えは無いように思えますが……。まさか答えが無いというのが答えなんて落ちではないですよね?」
「助言はしないぞぃ」

再度、盤上を見つめ、眉間にしわを寄せて考え直すもやはり手が見つけられない。

―――徹底抗戦で泥仕合は可能だが、局面を覆すには至らない……。むぅ~、どうしたものか。

「どうした?降参かえ?」
「恥ずかしながら手が見つかりません。父上ならどのような手を?」
「わしか?わしならこうするのぉ」

オスマンが駒に手を伸ばす。
動かしたのは火中の王の駒。
その行方を知るや否やヴァレリーは眉を上げる。
オスマンが動かした駒の行方。
それは自分のポケットの中である。

「分かってはいるが納得がいかないといった面持ちじゃの。じゃがしかし、心に留めておくべきじゃ。おぬしは清く正しい道を選ぼうとする。それは誇らしいことじゃ。しかし、その結果、盤上に答えが無いと知りながら盤上を見つめ、何も手を打てぬまま王を死に至らしめた。何も手を打てない、それではどのように考えを巡らせたとしても結果として無能な者と変わらないのじゃ。清い選択が全てに於いて正しいとは限らない。また、相手が清いとは限らない。ヴァレリーや、現実は時に美しく優しいものであり、時に醜悪で無慈悲なものじゃ。上に登り詰めたくばそれを改めて理解しなくてはならん。心を汚せとは自分の息子に言いとうない。されど美しいものばかりを見てはならないぞ」

利己心を肯定したのは古典派の代名詞たるアダム・スミスであったが宮中に於いては肯定しきれぬそれが渦巻く。
オスマンは心配で仕方がないのだ。温かく優しい色彩を持つ絵は垂らされた黒色によって台無しになってしまうことがある。真っ直ぐで堅い剣はそれ故に修復不可能なほどに折れてしまうことがある。オスマンはヴァレリーにはそのような危うさがあると感じている。未だ17歳の我が子の活躍を信じていようとも尽きることのない不安は親心というものだろう。



さて、オスマンからの言葉を心に留め、実験室に戻ったヴァレリーを待っていたのはタバサであった。

「あぁ、タバサ。すまない、父上と今後の話をしていてね。今開けるよ」

扉を開け、タバサを招くとヴァレリーはお茶とお菓子をタバサに用意し、先住の力の検証に使った際の資材や器具、宮仕えの為の勉強用の本などで散らかってしまった部屋をを片付け始める。タバサは椅子に腰かけると何をするわけでもなくヴァレリーを眺めている。

「可愛い子にそんなに見つめられると私としても照れてしまうよ、タバサ」

分厚い書物を本棚に仕舞いながら、どう見ても照れてはいないヴァレリーの台詞である。

「ごめんなさい……」

俯いてしまうタバサを見ると、尚のことどうしたものかと放ってはおけない。

「ふむ、そうだな。何かを言いたそうな、けれど言うべきか迷っている、そんな顔をしているね?まぁ、今日はもう出かけないからゆっくりしていけばいいさ。君が話したくなったらいつでも聞くよ」
「わかるの?」
「まぁ、なんとなくはね」

そう言うとヴァレリーは淡々と魔法薬生成の準備に入る。
注文が書かれた羊皮紙にはびっしりと依頼品の名目が並んでいる。
来月から表だっての魔法薬生成の依頼は受けない旨を問屋に告げたら普段の月の3倍近い依頼をこなす羽目になった事の次第である。
薬師として仕事をし始めて凡そ10年。この界隈では権威とは言えずとも名の売れた薬師の一人となった。『ヴァレリー・ヘルメスの魔法薬』と言えばそれだけで価格が多少吊り上がる。それだけの信頼と実績があった。それもこれで店仕舞いかと思うと感慨深いものがある。材料の選別、下拵え、調合、一つ一つを丁寧かつ手際良くこなし、色鮮やかな小瓶に閉じていく。

依頼品の幾つかを作り終えた頃。
一息ついたヴァレリーにタバサはようやく口を開いた。

「率直に訊きたい。今の貴方が作る薬はどれほどの効果がある?」

タバサが向ける眼差しから、真剣な話をしたいのだろうと窺い知れる。
無表情なタバサにしても気の置けない仲となった今ならそれくらいはヴァレリーにはわかるのだ。
今のヴァレリーが作る薬とは勿論、先住の力を付与しての物のことである。

「扱う種類は?」
「薬によって失われてしまった心を取り戻したい」
「精神作用か。薬を必要としている人との面識は?」
「私の母」
「そうか……。出来れば症状を具体的に知りたい」

頷き、タバサは語る。

「毒を飲まされたのは2年前、それ以来、母はうわ言を繰り返し、常に怯え、その心は休まるところを知らない。出会う人を……私も含めて全ての人を危害を加えにきた輩と思い込んで拒絶している。認識の区別が出来ず、心が閉鎖状態で固定されてしまったんだと思う」
「もう一つ聞きたい。以前に何度か治療を試みたことは?」
「ある。でも治すどころか状態の改善も出来なかった」

そういうとタバサは一枚の羊皮紙を風に乗せ、ヴァレリーに渡す。
それはタバサが母の治療を試みた形跡、どんな薬を使ったかを記したものだ。
受け取った羊皮紙を見ながら、ヴァレリーは治療に使う薬の選別とその効果のほどを考える。

「ふむ、これらの薬と私が作る薬だが……単純な比較なら最低で倍の効果は引き出せるとは思う。少なくとも人が作るものよりは上を行けるだろうから治せる可能性は大いにある。ただ、これらの薬だって別に効果が低いわけじゃない。むしろ相当、上位の薬だと言える。場合によっては……現段階では治せない可能性があることを否定できない」

今まで使われた薬を見たヴァレリーには懸念事項が浮かび上がる。
更なる説明を求め、タバサが促す。

「場合に因ってとは?」
「二つある。一つは君の母君の心が『喪失』されたものなら今は治せない」

ヴァレリーは硝子の瓶を手に取るとそれに魔法をかけて説明し始める。

「心を失わせる薬と単に言っても幾つかに分類される。『歪曲』、『閉鎖』、『破壊』、『喪失』、大まかには4つだね。そもそもこの薬の定義は『正常な心の状態からの変化』。故に以前に私の授業でも扱った増強剤も興奮作用の面では広義の意味で心を失わせる薬の中の『歪曲』に当たるし、禁制の惚れ薬なんかはこれそのものに該当する」

硝子の瓶を捻じ曲げて視覚的な理解を促すヴァレリー。

「自白剤なんかは抵抗する心を抑える故に一般には『閉鎖』の分類だし、特定の感情を欠如させるのは『破壊』の分類に入る。これは硝子を切ったり、砕いたりっといったイメージが近い。しかし、切ったり、砕いたりしたところでその破片は心に残る。時間さえかければ再構築可能だ。そして『喪失』だが……厳密にはこれを他人が意図的にするには相手を殺す以外に方法は無いとされている」

瓶に蓋をし、閉鎖の説明とし、瓶を砕くことで破壊の説明をしてみせたヴァレリーだが、喪失の説明だけは視覚として説明できない。
消えて無くなるという現象を引き起こせないからだ。

「恋が冷める、物事に対する興味が失せるなどが『喪失』だと言われているが、これにしたって根本は自発的なものだ。自発を促す薬という観点からの研究は行われているが少なくとも現段階では『歪曲』の域を出ていない。故にもし君の母君の心が『喪失』されたものなら、それをおこす薬は私達にとって全くの未知な薬ということになる。『喪失』させる薬が今までなかったのだからそれを治す薬も無いし、『喪失』した結果や過程からの逆算は手法を解明しない限り、出来ない。心を零から作る薬は今のところ無いんだ」

可能性として否定は出来ない。
魔法薬学は常に進歩する分野だ。
故に新しい技術が知らぬところで発見され、使われることもあるだろう。
安易に治せるなどと言う事はヴァレリーには出来ない。

「そう……。もう一つは?」
「もう一つは未知の技術という点で同じだが、エルフなどが高度な先住の技術で作った薬の場合だ。君が試した薬なんだが、先程も言ったように相当、上位の薬なんだよ。実を言うと本来なら、言い換えれば人が作った毒ならば病が既に治っていても不思議ではない。いや、それどころか病が改善すらされないことが不思議なくらいだ。だからこそ、私は『喪失』をおこす薬の可能性を否定出来ないし、先住の独自技術も否定できない。そして私は君の母君が飲まされた薬は先住の技術を以てした作られた物である可能性が高いと考えている。どうやって手に入れたかは分からないが、現に私のように先住の力を使って薬を作る者がいるのだから、多くはなくとも他にもいるだろう。手に入れられないものでは無いと言えない」

ヴァレリーが言ったことをタバサは十分理解できた。
きっと母が飲まされた薬は『喪失』をおこす薬か先住の技術のどちらかなのだろうと。
話を聞き終えて俯き、表情を暗くするタバサ。
そのような表情を友であるタバサにさせてしまったのを心苦しく思うヴァレリー。
だからこそ、ヴァレリーは彼女に歩み寄ると膝をつき、目線を同じくして彼女の手をとった。

「あぁ、ごめんよ、タバサ。必要以上に君を不安にさせてしまったようだ。よく聞いておくれ、先程の私の言葉は飽く迄推論に過ぎないし、実際に君の母君を診察してみなければ確証は得られない。それにもし、未知の技術だったとしても、それなら解明すればいいだけさ。自慢じゃないが魔法薬師としてのヴァレリー・ヘルメスは国内では十指に入ると言われている名だ。私にはその自負があるし、国外だろうとそれは変わらない。誰が作った毒だか知らないが、薬に於いて引けを取るつもりはない。なにより、君の笑顔の為に出来ることがあるのなら私はそれを諦めるつもりもない。だからタバサ、どうかそんな悲しそうな顔をしないでおくれ。私は君が素敵な笑顔を持つ女の子であるのを知っているのだから」

微笑んで見せるヴァレリーを暫し見つめ、決心したようにタバサは言う。

「少しここで待っていて。話したいことが……話さなければいけないことがある」

応の答えと共に頷いたヴァレリーを後にタバサは退出する。
一寸の間を置き、再び実験室を訪れたタバサはキュルケと共にいた。
三者が腰を据えるとタバサが口を開く。

「二人に聞いて欲しいことがある。私は……私の本来の名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン」

オルレアン。それはガリア王弟家の名である。
驚いたのはキュルケだ。身分を偽る為にタバサという名が本名では無いことは気付いていたものの、まさか今まで気兼ねなく付き合っていた友人が大国の姫であることなどは容易に想像できるものではない。ヴァレリーにしても入学手続きを手伝い、知っていたから驚かなかったものの、知らぬとあらばやはり、キュルケ同様に大層驚いていたことだったに違いない。

タバサは語る。
夢だと思いたかった忌まわしき記憶。
王位継承にあたり、実の兄に殺められた父。
自分を守る為に毒を呷ることになった母。そのせいで失われた母の心。
家は辱められ、名を奪われた。母を人質に取られ、王家に隷属することを余儀なくされた。
命の危険を伴う仕事を幾度も押し付けられ、たった独りでそれらをこなして今まで生きてきた。
先の見えない暗雲の中、それでもいつかはとひたすらに耐え忍んできた。
そしてようやく見つけたのだ。母を救えるかもしれない人物に。

話しを終えるとタバサがヴァレリーとキュルケに向かい深く頭を下げる。

「父を殺め、母を狂わせた現王ジョゼフを私は憎んでいる。いつかその報いをと心に決めている。けれども私はなにより先に母を助け出したい。国外逃亡とその加担、まして私は王弟家の娘……。厚かましい願いなのはわかってる。けど、どうか……どうかお願い。私に母を救う力を貸してほしい……!」

一体どれほどの悲しみと苦しみがあったことだろうか。
それはおいそれと理解できるものではない。
隣国の王家の者を国外へ逃亡させる。単純なことではない。
それ自体の罪、まして他国への干渉。問題しかない。危険は満ちている。
けれど、どうして彼女の懇願を拒めようか、いや、拒めるはずもない。
目の前で頭を下げ続けている彼女の体は苦難の道を行くにはあまりにも小さく華奢だ。
今までたった一人で歩いて来たのかと思うと自然とヴァレリーの体が動いた。

即ち、席を立ち、タバサを抱きしめようとヴァレリー。
吸血鬼という瑕疵を持つヴァレリーにとって、わざわざ新たな瑕疵を作るこの選択を選ぶべきではないのだろう。
自分自身でそれをわかっていても、やはり友を切り捨てることはヴァレリーには出来ない。
そうせずにはいられなかったし、そうすべきだと感じた。
故に小さな彼女を強く抱き、ありったけの真心を伝える―――はずだったのだが……。

彼女の温もりを感じようとしたその瞬間、ゴツンという大きな音と共に、おでこに鈍痛が走る。

「うぐっ!?」
「あいたっ!?」

タバサを抱きしめようと体が動いたのはヴァレリーだけではなかったのだ。
キュルケもまた然り。

如何せんタバサは小さい。
二人して抱きしめようとした挙句、ヴァレリーとキュルケは激しく頭をぶつけた。
しかもよろけて倒れた先が不幸だった。
キュルケは本棚に突っ込み、落ちて来た本にのまれ、ヴァレリーは酒が並ぶ棚に激突し、酒浸り。

凄まじい物音にタバサが顔を上げるとそこには見るも無様な二人の友人の姿。

「何事?」

首を傾げるタバサ。

「っつぅ~、こ、こんな状態で言うのもなんだが全力で君の力になろう」
「お、同じく」

びしょ濡れと生き埋めという様ではまったくもってカッコが付かないが、こうなってしまったのだから仕方がない。
言うなれば愛故に二人はその身を散らせたのであろう。



3人がラグドリアン湖の湖畔、ガリア国内の旧オルレアンの屋敷に向かったのは早々のこと。
先ずは現状を見てみない事にはこれからの参段は立てられない。

その屋敷は古く立派な佇まい、日の光に照らされるもどこか暗く感じるのは3人の心象の表れか。
門柱には交差した二本の杖のレリーフは正しくガリア王家の紋章、されど無残に辱められたそれは王家の権利を剥奪されたされた不名誉の印。

3人を迎えに屋内から出てきたのはたった一人の執事となった老僕。これの名をペルスランという。
嘗ては賑わったこの屋敷も今や彼と数人の侍女を残すのみとなり、屋敷内は只管に静かで靴の音だけが大きく響く。
屋敷の一番奥の部屋の扉をタバサはノックする。
返事はなく、一寸の間をあけ、扉を開く。

ベットと椅子、テーブル以外は何もない部屋。
ひどく殺風景なその部屋にタバサの母、オルレアン夫人はいた。
痩身の女性、もとは大層美しかったろうに病が為にやつれ、衰えている。
さして大きくもない扉を閉める音にすら体を強張らせ、部屋へとやってきた侵入者を怯えた目で見る。

「ただいま帰りました。母さま。今日は私の友達を連れて参りました」

実の子の声、それすら認識できないのだろう。
夫人は冷たく言い放つ。

「下がりなさい無礼者!王家の回し者ね?夫だけでは飽き足らず、この子まで奪いにきたのね?あぁ……!なんて恐ろしいことを!恥を知りなさい愚か者!渡すものですか!下がりなさい!」

わなわなと震える夫人は擦り切れて綿が出てしまっている人形を離すまいと抱きしめる。
その人形が今の夫人にとっての我が子シャルロットなのだろう。
タバサはそれでも笑顔を作る。その笑みは痛々しいとしか形容できず、傍に立つキュルケがタバサを抱きしめる。

「ありがとう。でも大丈夫。慣れてるから」

それはタバサの言葉。
それを聞いてヴァレリーは思う。

―――慣れているなど……!なんと酷い仕打ちか!?こんな、こんなことはあってはならない!

キュルケに抱かれるタバサの髪をそっと撫でるヴァレリーは決したようにはっきりとタバサに言う。
必ず治してみせると。


早々に診断を始めたその様子はお世辞にも見ていて気持ちの良いものではなかった。
現状を知る為に特定の刺激や幾つかの言葉を夫人に投げかけ、その反応を確認する。
ただそれだけのことに随分と時間を費やし、それが終わるころには夫人は怯えきり、涙を流しながらヴァレリーを罵った。
次に行ったのは夢からの分析。
魔法薬で浅い眠りに夫人を誘い、魘される夫人の心象を確認する。
最後に深い眠りに誘い、先住の力を使っての確認をし、一先ずの診断を終わりとする。

診断の結果を纏めた羊皮紙を手に大きく息をはき、夫人のもとを離れたヴァレリーにタバサが歩み寄る。

「お疲れ様。傷を見せて」
「ん?あぁ、大丈夫だよ、これくらい」

ヴァレリーの腕や顔を見れば幾つもの引っ掻き傷が残り、血が滲んでいる。
怯える夫人は自らの身とシャルロットと思い込んでいる人形を守る為に激しく抵抗した。
本来ならこのような場合にはある程度拘束し、体の自由を奪ってからするものであるが、そのような姿はタバサに見せたくなかった故にヴァレリーはこれをしなかった。

「これくらいはさせて」

短くそう言うとタバサはハンカチを水の魔法で濡らし、ヴァレリーの傷口を拭う。
固まりかけた血をふき取り、傷を治すべく魔法をかける。

「ありがとう、タバサ。それで診断の結果だが……」

思わず息を呑み、緊張した面持ちのタバサとキュルケ。
一寸の間。全ての音が消え去ったのではないかと錯覚するほどの静けさ。
ヴァレリーが力強く宣言する。

「断言する。これなら必ず治せる」

自信満々で得意げなヴァレリーの顔。
ほっと肩をなで下ろすキュルケ。
安堵が押し寄せてきたのだろう。タバサは力が抜けてよろめいてしまう。

「おっと」

それをヴァレリーは抱き留める。
見上げてくるタバサの瞳は既に潤みはじめている。

「本当に?嘘じゃない?」
「あぁ、本当だとも。私が信じられないかい?」

どこまでも優しい表情のヴァレリー。
タバサは彼の腕に身を預ける。

「うぅん、信じてる。ありがとう……ヴァレリー」

インクと薬と花の香りが微かに混じる彼の匂い。
とても不思議な香りがするもので、けれど何故か落ち着く香り。
自信の気持ちの趣くままにタバサは少しの間、彼の胸を涙で濡らした。


ガリア王室にオルレアン夫人とその実子、シャルロットの死の知らせが届いたのはそれから5日後のことであった。

服毒による自害。その真偽を確かめるべく派遣されたのが現王ジョゼフ1世の娘、イザベラである。タバサと同じ青い髪、体は彼女よりは幾分育ち、女性らしくある。美しいと言えば美しいのだがどうにも口からでる言葉は姫と言うには品がなく、乙女と言うには目つきが悪い。

「ったく、なんだって私が確認に来なくちゃいけないだ。おい、そこのお前、案内しな」

豪華絢爛な馬車を旧オルレアン邸の前に停めて悪態を吐くイザベラは、数人の護衛を引きつれてオルレアン邸に使える老僕、ペルスランに申しつける。

「はっ、此方でございます」

ペルスランの先導の下、イザベラは親子が眠る部屋へと赴く。

そこは二つの棺と小さなテーブルに白い花が飾られているだけで、他には何もない部屋だった。。
棺の中で眠るのは親子。それを見下ろし彼女は呟く。

「とうとうくたばったか……。このような死に方、つくづく惨めなもんだね。経過の報告をしな」
「はい、奥様とシャルロット様がお亡くなりになられたのは三日前の事でございます。トリステインの魔法学院は夏季の長期休暇中、お戻りになられたシャルロット様は奥様のもとに行かれました。幾ら待てどもシャルロット様は部屋から出て来ず、心配になった私はお伺いに参ったのでございます。あぁ……そこで目にしたのはなんと悲しい光景でしょう!あぁ……嘆かわしや。お許しください、私の口からこれ以上のことは……」

悲痛な面持ちで語る老僕と不機嫌そうな面持ちでそれを聞くイザベラ。

「ふん、あの人形娘……シャルロットも限界だったということかしらね。確認は済んだ。とっとと埋めちまいな」
「あの……恐れながら申し上げますがオルレアン公のお側にお二人を眠らせてあげることは叶わぬのでしょうか?死して猶、離ればなれなどあまりにも無慈悲でございます……!」
「はっ、お前は誰にモノを言っているつもりだい、この二人と一緒に死にたいというのならその首を刎ねてやるよ」
「そ、それは……」

押し黙るペルスランを侮蔑すると彼女は花を手向けることすらせず、埋葬を確認すると早々とその場を去った。
碌に葬儀すらされず、王家の墓に入ることも許されず、かといって平民の共同墓地などにも入れるわけにもいかず、親子の遺体はオルレアン邸の庭に埋められた。

イザベラがオルレアン邸から引き去り、日が沈んだ頃。
大翼を持つ幻獣ヒポクリフとグリフォンの二匹が庭に舞い降りた。
それをペルスランと一人の侍女が迎える。

「長いは無用だ。行こう」

ペルスランは埋葬されたはずのオルレアン夫人を、侍女はタバサを抱きかかえ、いそいそと幻獣に跨ると闇夜の空高く昇り、行方をくらませた。程無くして彼らはトリステインの地、魔法学院へ降り立つこととなる。そう、それは魔法薬によって姿を変えたヴァレリー等のオルレアン親子の国外逃亡計画の実行であった。

実際に行われた計画を今、語ろう。

オルレアン夫人を治すことが可能な今、それとは別に一つの問題がある。
それは彼女をどのようにしてガリアから連れ出すかである。
今の状態で夫人をトリステインないしゲルマニアなどの国外に連れ出すとガリアから捜索の手が伸び、見つかってしまえば返還請求は必須。
下手をしなくても国際問題であるのは自明であった。平民が密入国するのとはわけが違う。
ならば捜索の手が伸びないようにするだけのこと。その結果が古典的な死の偽装だ。

治すことの出来ない病に侵された夫人が人質として囚われている現状は、言いかえれば夫人にタバサを縛る人質としての価値がある状態と言えよう。
では夫人の人質としての価値がなくなれば良いとヴァレリーは考えた。
人質としての価値がなくなる最も簡単な方法と言えば縛る者の死、または人質自身の死であろう。
ヴァレリーが用意したのはオルレアン邸に居ても不思議でない人物になる為の「変身剤」。そして「仮死の薬」だ。仮死の薬により死を装い、王室を欺こうとの魂胆である。王室に死を確認させた後であれば墓を暴かれない限り、国外に連れ出したとて捜索は行われないだろう。埋葬に関していえば大陸では土葬が主流、王家と断絶されている親子が王家の墓に入れられる可能性は薄く、葬儀も大々的に開かれることはないと予測できた。監視の目は当然一番に気を使ったところであるがトライアングルの魔法の腕を持つ3人をして見つけられなかった故に無いもの決断した。タバサ曰く、当初こそあったようだが治療の為の薬が悉く効き目がないと知るころには監視すらなくなったという。あの状態のオルレアン夫人を連れての逃亡生活の困難さ、そして何より「王家の為に働けばいつかは治療の為の薬を用意する」との言の一つで従うしかないタバサには監視すら必要ないということだろう。

勿論、死の偽装をしなくても広い大陸で姿を隠していればそうそう見つかることはないが、ヴァレリーやキュルケは状況が異なる。捜索の手順はその者と近しい存在との接触から始まる。隠れ住むことが出来ない二人から情報が出てきてしまう可能性を否定できなかった。口を噤む相手から情報を得るのはこの大陸ではそれほど難しいことではない。夫人だけでなくタバサの死をも偽装したのは先の理由に加えて、その方が流れとして自然であるからだ。夫人の状態は確かに心を病み、衰えていた。けれどもすぐさま死ぬような状態ではなかった。また、タバサのトリステインへの留学は実質的な国外追放、内情を詰めれば再加熱している旧オルレアン派の鎮圧の為にその御旗となるシャルロットを一時的に遠ざける意図があるのだが、それはタバサの状況の深刻化を意味し、タバサの死は現王家にとっての利となる流れであるのだ。

一つだけ疑問に残るのはそもそも何故にオルレアン夫人とタバサが今まで生きてこれたのかだ。
オルレアン公の毒殺を期に恨みをかった現王家がその一派を警戒するのは当然のこと。
正直に行ってしまえばここまでやっておいて生かしておく意味がない。確かに公式に殺してしまえばオルレアン派の反発で内乱の兆しも見受けられるが、タバサに裏で命の危険があるような仕事を押し付けている割には手がぬるい。任務にかこつけて彼女を殺めることくらい容易いもののはずだがそれは行われなかったとタバサは言う。体よく使う為だとタバサは自分の身の上を認識するも、その通りなのか、現王家の僅かばかりの情なのか、加虐思考なのかは想像の域を出ない。




さて、学院に戻って来たヴァレリー等の話をしよう。
闇に紛れ、親子をガリア、オルレアン邸から無事に逃亡をさせてみせ、いよいよ夫人の治療となる。
仮死の薬の効果を切らせ、目を覚ましたタバサも加わりキュルケとヴァレリーの3人で薬の生成に入る。

髪をきつく結び、腕をまくるヴァレリーは滑舌よく説明する。

「現状を説明するよ。夫人の状態は私達の魔法薬で言うところの『歪曲』の特性が一番強く出ている。次点で『閉鎖』。この二つが併合している。そして一番の特徴だがやはり夫人が飲まされた毒は先住の力を使った物のようだ。使っている力が系統魔法か先住魔法かの違いがあるが今から作るのは同じ先住の力を使った薬。効果は充分見込めるだろう。薬の処方についてだが、仮死の薬のせいで夫人の体は弱っている。先ずはそれを回復させる。その後に本命を処方という運びだ。さぁ二人とも、夫人を救おう!手伝ってくれ、大事な下準備からだ。キュルケは竜骨を粉末状に磨り潰してくれ。出来るだけ細かくだ。タバサはベゾアール石を砕いた後、赤の三番の溶液を少しずつ垂らして溶かしてくれ。一気にやると急激に反応して危ないから気を付けるように」

ヴァレリーの指示のもと各々が仕事にかかる。

キュルケが粉末にした竜骨は水の精霊の涙と混ぜ、何度か濾し、それをベゾアール石を溶かしたものに加え、次にそれとは別にマンドレイクと福寿草、ヘリクリサムを刻んだ物を煎じ、濾す。最後に今回の材料の中で一番値の張る(アカデミーのエレオノールに無理を言って手に入れてもらった)ユニコーンの血を円心分離機にかけ、上澄みだけを抽出し、それを適温で温め下準備を終える。

「ありがとう、残りの調合は私が受け持つよ。後は別途に幾つかの薬も用意する必要がある。タバサは夢見の香の調合を、キュルケは栄養剤を作ってくれ」

その他にも必要な薬を作り、全ての薬を作り終えた頃になると夫人は仮死の薬の効果が切れ、静かな寝息を立て始めた。毒を飲んで心を狂わされたことから鑑みるに治療の為の薬であっても「飲む」という行為は夫人にとって不安を掻き立てる引き金になりかねない為に睡眠薬を投与した結果であり、タバサが作った夢見の香で悪夢に魘されていない証拠だ。

ヴァレリーが出来る最大まで先住の力を込めた治療薬を魔法で直接、胃に流し込み一先ずは区切りとする。


一晩経ち、夫人の症状を確認するヴァレリー。
その表情は明るい。

「うむ、夫人から感じられた先住の力は確実に薄れてきている。治療薬がしっかり効いているとみていいだろう」

その言葉を聞いてタバサの顔に安堵の色が見て取れる。
タバサがヴァレリーを信じていないわけではないが、心のどこかで心配が残るのはやはり仕方がないことだろう。

「よかったわね、タバサ。もうすぐ貴女のお母様を本当の意味で取り戻せるわ」

キュルケはタバサをそっと抱き寄せ、優しく言う。
その姿は慈愛に溢れる心優しい大人の女性そのものであった。

「さて、今後のことを話しておこう。私の見立てでは遅くとも今週中には夫人は心を取り戻すことが出来るだろう。ただその前に一時的に一切の感情や思考が表に出ない状態にする必要がある。何故なら今のままで感情に負荷がかかると治りが遅くなってしまう為だ。夫人の心は言わば形を失った硝子の器、それを元に戻すのが治療薬だったわけだが治療薬は仮止めだ。最終的な所ではやはり本来、人が持つ治癒の力による所が大きい。ただ、感情や思考が表に出ないからと言っても五感は働いているからタバサは夫人の側にいて、話しかけていて貰いたい。あのような状態になってしまっても夫人は君を想い続けていた。それだけ夫人にとって君は大切な存在なんだ。だから君の声が、存在が心を癒す一番の助けとなる筈だ」

ヴァレリーの話しを聞いてタバサはキュルケの腕の中でしかと頷いた。

夫人をヴァレリーの部屋のベットからタバサの部屋のベットの移した後、ヴァレリーは先ほど言った措置を施した。程無くして目を覚ました夫人は体を起こしてもただ座っているだけの人形のようであった。
それでもタバサは片時も母のもとを離れずに楽しかったこと、嬉しかったことを母に語りかけた。

それから5日後、今日も今日とて甲斐甲斐しく母の世話をしていたタバサは夜になると母に寄り添いベットで眠りについた。


その日、タバサは夢を見た。
父がいて、母がいて、幼い頃の自分がいる。
花が咲き乱れるオルレアンの屋敷の庭での一時。
自分を抱き上げる父の手は大きく、名前を呼ぶ声は何処までも優しい。
それを側で眺める母の顔は慈しみに溢れ穏やかなもの。

―――あぁ、これは夢なのだ。

何処かでそれを分かっていても安らぐ心は止めようもなかった。
遊び疲れて木漏れ日の下、母の膝で眠る。
髪を撫でてくれる母の手に、語りかけてくれるその声に確かな愛を感じた。

―――まだ覚めないで、私はこの夢の中にもう少しだけいたい。

けれどもタバサの願いは叶わない。
いや、叶う必要がなかったと言うべきか。
タバサが寂しさを胸に目を覚ますとそこには―――

「おはよう、私の可愛いシャルロット。おいで、母に貴女の笑顔を見せてごらんなさい」

この時をどれだけ待ちわびたことか。
一度たりとも母の笑顔を忘れたことはなかった。
やっと、やっと取り戻すことが出来た。

「あぁ……母様!」

タバサの頬を大粒の涙が伝う。
それは悲しみの涙ではない。歓喜に満ちた嬉しみの涙だ。
なぜならばそこには夢と同じように髪を優しく撫でてくれる母の笑顔があったのだから。


さて、ほんの少し場所を変えてタバサの部屋の扉の外側。

「うぅ、良かったぁ。本当に良かったぁ~」

隠れて貰い泣きをしているのはキュルケである。

「あぁ、もうそんなに泣いてしまって。折角の再会なのに君の鼻を啜る音がタバサ達に聞こえてないか私は心配だよ」
「もう、ちゃん気を付けているわよ。私はそこまで無粋なことをする女じゃなくってよ?」

ヴァレリーも大概、目が潤んでいたのでお互い様だろう。

「あぁ、そうだ、キュルケ。今から少し遠乗りでもしないかい?」
「あら?貴方からのお誘いとは珍しい。そうね、そうしましょうか」

タバサにとって待ちに待った再会なのだ。積もる話も有るだろう。
幾ら母にあまえたとて足りはしないことだろう。
気の置けない仲であってもその場に立ち入るのは無粋というものだ。


ローリエに乗ってヴァレリーとキュルケが降り立ったのはトリステインの辺境、ヴァレリーの実の両親が暮らした屋敷であった。

「差し詰め、母が恋しくなったって所かしら?」
「まぁ、そんなところさ」

勿論、キュルケが言ったことも間違いではないが、宝探し以来となる屋敷に来たのは訳がある。
ヴァレリーは両親の弔いをしに来たのだ。

実の父の墓を磨き、花をそえる。
母の絵は墓の隣に埋めた。

「良かったの?」

キュルケが思うのはヴァレリーの母の絵のことだ。
それは唯一、ヴァレリーが見れる母の姿。それを埋めてしまって良かったのかと。

「いいんだ。私には母から譲り受けた指輪とこの髪がある。私があの絵を持って帰ってしまっては父が寂しがるだろう。なぁ、キュルケ。私はタバサが夫人と再会出来て本当に嬉しかったんだ」
「私だって嬉しかったわ。大事な友達のことなんだから当然でしょ?」
「そうだね。でも私はそれだけじゃない喜びがあったんだ。正直、私は自分の生まれが嫌だった。何故、このような体で生まれてこなければいけなかったのか。吸血鬼なんかじゃなくて普通の人間として生まれたかった。今でもそう思っている。けれど、今回のことで少しだけ自分の生まれに、そして私に流れる血に誇りを持てた気がするんだ。今なら母にも、そして父にも感謝出来る。救うと言うと烏滸がましいが、誰かを助けられる力としての吸血鬼ならばそれはそれで恥じることでは無いんじゃないかって思えたんだ」

友に、愛する人に認められてはいてもヴァレリーの中ではどこか吸血鬼としての自分は後ろめたいものであった。わざわざ王家に認められようと彼が思っているのも自分自身を卑しいと感じ、受け入れられていない所があったことを否定できない。
今回の一件はタバサにとって大きな出来事であったがヴァレリーにとっても大きな影響を与えた出来事となったという事の運びである。



その日の夜、タバサは実験室の前でヴァレリーの帰りを待っていた。

「貴方には何てお礼を言ったらいいか。どんな言葉でもこの感謝の気持ちを伝えられそうにない」

困ったようなそれでいて、嬉しそうな顔のタバサは今や人形などではなく、一人の少女だ。
だからヴァレリーは言うのである。

「それじゃぁ、ひとつお願いを聞いてくれるかい?」

タバサが頷く。
一礼して手を差し出すヴァレリー。

「どうか、私と踊ってはくれませんか、レディ」

何をお願いされるのかと思えばこれである。
まったくもって気障な色男である。

「ふふ、はい、喜んで」

タバサは歳相応の可愛らしい笑みと共に差し出された手を取った。
彼女が学院でダンスの申し出を受け入れた相手はヴァレリーが初めてである。
そして最後となる相手。
最早タバサは学院にはいられない。

「あぁー、待って!ちょっとだけ待ってて!!」

慌ただしいのはキュルケである。
きょとんとしているヴァレリーとタバサを余所にキュルケは全力のフライで何処かへ消え、そして直ぐに戻ってきた。
その手にはハープが握られている。

「はぁ、はぁ。ダンスには音楽が必要でしょ?」

頑張って飛んできたキュルケには悪いがどこか可笑しく、ヴァレリーとタバサは笑ってしまった。

「もう、折角素敵な夜を演出しようとしてるのに失礼しちゃうわ」




今宵、奏でるはキュルケ、踊るはヴァレリーとタバサ。
花が咲く庭で月の光りに誘われるままワルツを。




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