ルイズがテオの姿を見た時。
彼女の心のなかはめまぐるしく動きました。
突如としてテオに対する思いが大きくなり。
好きであるという感情が押さえ込めなくなっていました。
自分は。自分はテオのことがこんなに好きだったのか?
ルイズは戸惑いながら思わず頬を両手で覆いました。
「…ルイーズ?どうかしたのか?」
テオがそう言ってルイズの顔を覗きこむと。
ルイズの心のなかは何かに満たされるのでした。
ただ名前を呼ばれ声をかけられただけ。
ただそれだけで、ルイズはとても嬉しくなってしまったのです。
「…どうか?別にどうもしないわよ?よく考えたら使い魔のことなんてどうでも良いことだったわ」
そう言ってルイズはテオに駆け寄りました。
「使い魔なんて放っておいて、行きましょう?ね?ね?」
そう言って彼女はテオの腕を掴みました。
自分に寄り添うように立つルイズを前にして。
テオは今自分の目の前の状況に混乱をしました。
そして、少しの時間をかけて。彼は目の前のそれが、自分の知識の中にあるものだということに気が付きました。
ルイズのその態度。
この状況。
突然のルイズの様子の変化。
さっきまであんなにご執心だったサイトに対する関心が、完全に消え
そして自分に向かってこんなにも熱い視線を向けている。
それはまさしく。
『惚れ薬』の症状でした。
惚れ薬。
それは人の心を強制的に誰かに向かせる薬です。
薬を飲み最初に見た異性をたまらなく好きにさせる。そんな薬です。
人の心を作り替えてしまうそれは、その強い効き目と倫理に外れた効果から、トリステインでは作ることは勿論所持することすら禁じられています。
しかし、人間誰しも他人の心を自分に向かせたいと思うことはあるもので。
ご禁制でありながらもその薬を求めるものは多く。そしてまた、それを実際に作ってしまう者も居るのです。
サイトの逃げこんだ部屋の主。モンモランシーもまた、そんな人間の一人でした。
モンモランシーは浮気がちで自分以外の女性にふらふらとしているギーシュの心を自分一人に縛りつけたいと。禁じられていることを知りつつその惚れ薬をつくりだしてしまったのです。
彼女はその惚れ薬をワインに混ぜ、ギーシュに飲ませようとしていました。
そう。
ルイズが一気に飲み干したあのワインこそ正に惚れ薬の入ったそれだったのです。
そして、ルイズはテオに恋してしまうのでした。
本来であればルイズは最初にサイトを見て、ルイズはサイトに恋するはずでした。
なのに今目の前にいるルイズは、テオに向かってその瞳をまっすぐに向けています。
その瞳を向けられて、テオは戸惑っていました。
目の前のルイズの様子が何かの間違いで有って欲しいと。そう思いました。
ですから。僅かな。
ほんの僅かな希望を持って。
テオは口を開きました。
「薬か?」
そのテオの言葉に。
ピクリとモンモランシーが反応しました。
反応してしまいました。
そして、その反応でテオが望んだ万が一の希望、『自分の勘違いである可能性』は完全に潰えてしまいました。
疑いようもなく、
眼の前のルイズの異常な様子は『惚れ薬』によるものなのです。
そして、それを理解した途端。
テオの心の中の怒りは、もう自分ではどうすることも出来ない程に大きくなっていました。
「…下衆が、貴様自分が何をしたか解っているのか!?」
テオがそう叫びました。
それは明確な怒気でした。
未だかつて誰もテオが怒るところを見たことがありません。
不機嫌そうに大きな声を出したり、いらただしげな彼の姿はよく見られますが。
明確に彼が怒りを顕にすることは今までに一度もなかったのです。
たしかに惚れ薬を作ることは褒められたことではありませんしハッキリと犯罪です。
しかし、それにしても彼の怒りは異常でした。
皆がテオの剣幕に戸惑いました。テオ本人でさえ、自分の中に生まれた怒りの大きさに自身で戸惑っていました。
「な…何よ!その娘が勝手に飲んだのよ!悪いのはその子よ。だいたい、人の部屋に入ってきて勝手にワインを飲むなんて。普通に考えて…」
「 黙れ! 」
それは絶対の言葉でした。
その場に居る全ての物を黙らせる、殺気を含んだ威圧的な言葉でした。
「解毒剤薬を出せ、今すぐだ、グズグズするな!」
「…いわよ」
「…ああん?」
「無いわよ!まだ作ってないのよ」
モンモランシーがそう答えると。
次の瞬間部屋の中央においてあったテーブルが吹き飛びました。
「危な!」
テーブルはベット脇の壁にぶつかり四散しました。
ベットで丸まって居たサイトは突然の状況に目を白黒させながらテオと壊れたテーブルを交互に見ていました。
ギーシュも突然の出来事に混乱していました。
なにせ二人はモンモランシーが惚れ薬を作っていたことも、それをルイズが飲んでしまったことも知らないし気づいていないのです。
ですから突然テオに寄り添ったルイズの様子も理解できませんでしたし。
突然怒り出すテオの様子にも戸惑うばかりで何も出来ませんでした。
ただ、当のモンモランシーは目の前で異常なほどの怒りを見せるテオに対し、大いに恐怖を感じていました。
「…無いなら今直ぐ作れ」
「わかったわよ!作る、作るから待ってて!」
「待つ?オマエ今の状況が解っているのか?時間を掛けるのであれば吾が自分で解毒薬を作るぞ。貴様に解毒剤を作れと言っているのはな、そもそもこの事の発端となる惚れ薬を作った貴様ならば早急に解毒薬を作れるはずだからだ。一刻も早く必要だからだ。そんな吾に対して貴様は『待て』と。本気で、本気で『待て』と言っているのか?」
サイトとギーシュは今までに無いテオの様子に驚いて居ましたが、それより驚いたのはテオの口から出た言葉です。
彼は今モンモランシーに対して『惚れ薬を作った貴様』と言いました。
それすなわち。このルイズの豹変と、テオの豹変の原因はモンモランシーの作った惚れ薬に有ると言うことなのです。
驚く二人とは別に、モンモランシーは驚く余裕すらありません。
その怒りの視線を一点に浴びるモンモランシーは、テオの剣幕に今にも失禁せんばかりに恐怖しています。
「ざざ、材料が無いのよ!高価だし!直ぐには手に…」
ドチャリと音がしました。
おおきな袋がモンモランシーの目の前に置かれます。
「今直ぐに買ってこい」
最早如何なる言い訳もできなくなりました。
テオの出した袋にどれほどの物が入っているかは明確にわかりませんでしたが、袋の大きさと音からかなり大量の金貨が含まれているであろう事は予想できました。
「直ぐに作り始めろ、少しでもサボタージュをしようなどと考えるなよ。そうだ…監視をつけよう…エンチラーダ!エンチラーダはおるか!!!」
テオはそう叫びました。
するとどうでしょう。
「はいここに」
そう言ってエンチラーダが…窓から入って来たのです。
「うわ!」
窓の横に居たギーシュが思わず叫びました、まさか人がそんなところから入ってくるとは思わなかったのです。
「エンチラーダさん、なんでそんなところから…」
「御主人様居るところに私の影あり。常に御主人様のお邪魔にならぬように、気取られないよう後を付けていたのです。勿論この一連の騒動もしっかりと見せていただいていますよ」
さもそれが当然のことであるかのようにエンチラーダは答えました。
「それ…ストーカ「御主人様如何なご用件でございましょう」」
「エンチラーダ、こいつを見張っておけ、もしサボるようなことがあれば殴りつけて構わん」
そう言ってテオはモンモランシーを指さしました。
一人の女性を指さし、殴りつけて構わないと言う彼の言動に、さすがにモンモランシーの恋人であるギーシュが口をはさみました。
「ちょっと君!それは聞き捨てならな…ブベラ!!」
「てめえは黙ってろ」
「ギーシュ!?」
あまりの言葉に、抗議しようとしたギーシュは、次の瞬間にはテオに殴り飛ばされてしまいました。
ギーシュはまるで裏返されたコメツキムシの如くはね跳ばされ壁へとぶつかりズルズルと落ちていくのでした。
その様子を見てサイトは驚きました。
純粋な驚きとは別に、テオと言う人間がそういう行動に出たことに驚いていたのです。
人を殴る。
怒りに身を任せ人を殴りつける行為は別段不思議な事ではありません。
確かに短絡的行動に過ぎますが、それでも人間であれば人を殴ることぐらい有るでしょう。
しかし、何だかその直情的行動が如何にもテオの人格からかけ離れているような気がして、サイトは驚いたのです。
何処かでサイトはテオの事を人間とは違うベクトルで見ていたのかもしれません。
まるで、英雄か、超人か、或いは物語の主人公のような、どんな状況でも余裕を崩さない、自分とは明確に違う精神を持った存在と認識していたのです。
しかし、目の前で怒りに身を任せるテオフラストゥスはまるで普通の人間でした。貴族やメイジである仮面を剥ぎとった、素のテオフラストゥスと言う人間を見たような気がして、だからサイトはその状況に驚きながらもやはりテオもまた血の通った一人の人間だったのだと、何処かで安心感を感じていたのでした。
そんなサイトとは対照的にモンモランシーの心の中には怒りが混ざり込みました。
恋人を殴られる。
そんな理不尽な状況にモンモランシーは思わずテオに対してヒステリックに怒鳴ってしまいました。
「ちょ!わけ分かんない!なんでギーシュを殴るの!たかが惚れ薬で!!」
モンモランシーのその叫びが部屋に響き渡ると、
途端。
部屋が静かになりました。
まるで部屋の気温が低くなったようでした。
ふと、テオが一歩前に出ました。
何気ない一歩。
ただ、歩くだけの。
非常にシンプルな一歩。
しかし、その一歩に対して、
大きな声が響き渡りました。
「お待ち下さい!」
それははたしてエンチラーダの声でした。
彼女は突如としてテオの前に立っていました。
「どけ」
一言。
それはドスの利いた声。
今までテオの口からは出たことのない、先ほどまでの声よりも更に怒りに満ちた声でした。
「申し訳ありませんがそれはできかねます」
普段定順なエンチラーダが珍しく主人の命令を拒否します。
サイトもモンモランシーも混乱していました。
一体目の前の主従は何をしているのだろうか?
テオは何をしようとして、そしてエンチラーダはなぜそれを止めようとしているのか。
全く理解できず、ただその様子を見ていました。
「もう一度いう、どけ」
「恐れながら言わせていただきます。此処でモンモランシー様を殺せば解毒剤が作れなくなります」
それは衝撃的な言葉でした。
エンチラーダは『殺せば』と言ったのです。
言い換えればテオはモンモランシーを殺そうとしていたということです。
その場の皆は驚きのあまり口を大きく開けました。
テオはエンチラーダの一言に、舌打ちを一つしました。
「明日まで、明日までだ。それ以上かかるようならば、自分で解毒剤を作る。そうなれば…吾は自分で何をするのか、吾自身でも判らん」
そう言ってテオは部屋を後にしました。
ルイズは無言でテオと一緒に部屋を出ます。
そして、サイトも少し思案した後、テオとルイズを追いかけて部屋を出ていきました。
部屋にはモンモランシーとエンチラーダ、そして気絶したギーシュが残されました。
「…何なのアイツ。意味分かんない」
そう言いながらモンモランシーは膝から崩れ落ちました。
それも無理からぬことでしょう。
文字通りの殺気を浴びせられ、もしかしたらテオに殺されていたのかもしれないのです。
彼女にはなぜテオがああまで怒るのか、全くもって理解ができませんでした。
「無理もございません。あのお方がこの世の中で一番に嫌いなものの中に、惚れ薬があります。偽りの愛を強制的に与えるそれは、あの方にはとても不愉快なものなのです。それを『たかが惚れ薬』と断ずれば御主人様の心は冷静では居られないのでしょう」
エンチラーダがそう言いますが、それこそモンモランシーには理解できませんでした。
なぜそうまで惚れ薬を嫌うのか。
確かに良い薬ではありません。モラルに反した薬だという自覚はモンモランシーにもあります。しかし、テオのあの様はあまりにも異常でした。
「何よ、どうせアイツ恋人なんてできそうもないんだから、ゼロのルイズとはいえ女に好かれるんだもの、喜びこそすれ、怒るなんてどうかしてるわ!」
「……………もしあのお方が今のルイズ様の気持ちに応えたとします。二人は愛しあいそれはそれは素晴らしいバラ色の時間が待っているでしょう」
「いいことじゃない」
「しかし惚れ薬は永遠の愛は与えません。何時か消えるべき愛です。薬の効果はいずれ消え。その時、ルイズ女史は簡単にご主人様を捨てるでしょう。いや、捨てなくて、慈悲の心で以て関係を続けるかもしれません。しかし、そこにはもはや愛など存在しないのです。ご主人様向けられていた愛は綺麗サッパリと霧散してしまいます」
「…」
そう言われてモンモランシーはだまりました。
恐らく、エンチラーダの言うことはただしいでしょう。
惚れ薬の効果は一生ではありません。
早ければ数日、遅くとも数年で効果は消えてしまいます。
そうなればどうなるでしょう。
ルイズが元からテオの事を好いていたならばともかく、そんな素振りが見えなかったルイズがその後もテオと付き合い続けるとはモンモランシーにも思えませんでした。
「そうなれば…かつてあの方が周りの人間にされたように。ご主人様が足を無くし、ご主人様に向けられていた愛を亡くした時と同じ絶望を、ご主人様は再度味わうことになるのです」
「…」
「ですから御主人様は惚れ薬という存在を許せないのです。そして、それを創りだした貴方もおそらくは許しはしないでしょう」
「…」
そう言われて。
モンモランシーは何も言い返せなくなってしまいました。
惚れ薬は本当の愛を与えない。
それはモンモランシーも理解していたことでした。
人を振り向かせたいと思うことは、年頃の女性としては決して不思議な事ではありませんが、それでも、自分のしたことが、如何に非道なことかを口で言われ。モンモランシーは羞恥の気持ちでいっぱいになってしまいます。
「ちなみに言わせていただくなら、私も同じ気持ちです」
「は?」
「御主人様の苦しみは私の苦しみ。御主人様の怒りは私の怒り。解毒薬の作製ですが、できるだけ早急に事を終わらせることをおすすめします。私、正直今すぐにでも貴方をぶち殺したい気持ちを抑えつけるのに必死なのですから」
そういうエンチラーダの右腕には、
いつのまにやら『バールのようなもの』が握られていました。
それを見てモンモランシーは、早急に解毒剤を作らないと本当に自分の命が危ないと理解するのでした。
◇◆◇◆
部屋から出て、テオは大きなため息をつきました。
テオ自身、自分の怒りように驚いていました。
自分が惚れ薬のように人の心を操る物を嫌う事は自覚していましたが、よもやこうまで自身が激高するとは思っていなかったのです。
或いは、ルイズが惚れ薬で惚れる相手がサイトであったのならば、テオもこうまで怒りはしなかったかもしれません。
なにせルイズはそもそもサイトに対して好意を抱いているのです。
薬の影響とは言え、元々あった心を更に強めるだけであれば、テオもさほどの不快感は感じなかったはずです。
しかし、今のルイズは元々の感情をねじ曲げられ、無理矢理にテオを好きになっている状態なのです。
無理矢理に作られた愛。
しかも、それを向けられているのが自分であると思うと、それだけでテオは気が狂わんばかりに怒りがこみ上げてくるのです。
ふと、冷静になったテオは、自分の利き腕が何時もより重いことに気が付きました。
一体どうしたのだろうかと、腕を見ると。そこには今回のテオの怒りの原因そのものが絡み付いて居ました。
そして、その原因ときたら。不機嫌極まりないテオに対して怯えずに。
「テオ、格好良かったわ!」
この始末です。
先ほどのテオの豹変ぶりにさえ、恐怖を感じるどころか『カッコ良い』と評する。
あばたもえくぼとは言いますがこれは度が過ぎています。
先程にしても、部屋の誰もが怯える中、ルイズだけはキラキラとした眼差しをテオに向け、テオの行動に酔っている様子でした。
そんな様子のルイズを見てテオは大きなため息を一つつきました。
愛のこもった眼差しを向けるルイズと。
悲しみのため息をつくテオ。
いまその廊下に置いて。二人の様子は見事に対照的でした。
そしてそんな対照的な二人を目にして。
その後ろに立つサイトは考察をしました。
ルイズの異常。
先程のテオとモンモランシーの会話を聞く限り、どうやら『惚れ薬』なる物が原因のようです
惚れ薬がどのようなものなのかの詳細はわかりませんでしたが、その名前から文字通り人を誰かに惚れさせるものなのは間違いないでしょう。
サイトは悩みます。
はっきり言ってサイトはルイズを好いていました。
どんなに邪険に扱われようと、どんなに理不尽な目に合わされようと、好きであると言う気持ちはごまかしようがありません。
ですからこの状況に本当ならば嫌な気分がするべきところでしょう。
実際、嘗てワルドがルイズの婚約者として現れた時、サイトは非常に不愉快な気分になりました。
しかし、不思議なことに相手がテオであると、ワルドの時ほどの嫌悪感を抱きはしなかったのです。
なぜ自分が嫉妬を覚えないのか。
その理由をサイトは自問して、
そしてサイトは結論に至りました。
つまり。
サイトは信用していたのです。
テオと言う人間が、あの時に見せたアノ怒り。
ルイズの飲んだ薬に対して、アレほどの怒りを見せたテオならば。決してルイズに不埒な事はしないと。
しかしそれでも、それでもサイトはテオに質問をしました。
自分のその安心感が確実なものであるという保証を、彼の口から聞きたいと思ったのです。
「テオ?まさかとは思うが、ルイズの事…」
「ルイズのことが何だ…」
相変わらずのドスの効いた声。
正直、サイトは震えるほどにそれを恐ろしく感じました。
しかし、それでもサイトは聞きました。
その質問をしなければ一抹の不安が拭えないからです。
「その…そのさ、手を出したりしないよな」
次の瞬間サイトの視界は反転します。
サイトが自分が殴られたことに気がついたのは自分の体が地面にぶつかってからでした。
「貴様!吾を侮辱するのか」
「????!?!?!?」
何が起きたのか、今ひとつ理解出来ないサイトは目を白黒させながらテオのほうを見ました。
「吾が、吾が、他人が惚れ薬を飲んだことを、これ幸いと、それを利用して肉体関係を結ぶような下衆だと、そう言っているのか」
「いや!ただ、俺は…」
「そんなことをするならば娼婦を買ったほうが何万倍もマシだ!!貴様それ以上吾を侮辱するならば、縊り殺すぞ!」
「その…悪かった」
恐ろしい剣幕で怒るテオを見て、サイトは恐ろしく感じつつも一先ずの安心をしました。
この様子ならばテオはルイズに対して性的な関係を結ぶような事は無いのでしょう。
そして、そんな雰囲気にはそぐわない声が響きました。
「テオ!別にいいのよ!何が理由だろうが、これ幸いと利用すれば!」
そう言ってテオに抱きつくルイズの様子を見てサイトは焦りました。
「ば!バカ!」
今のテオに抱きつく。
まるでテオの神経を逆なでするようなその行動。
ルイズもテオに殴られるのではと思いサイトはとっさに二人の間に割り込もうとしましたが、
サイトの予想に反してテオがルイズに対して暴力を振るうことも怒鳴り散らすこともありませんでした。
テオはそっと優しくルイズの体を掴むと、そのまま自分の前に立たせ、そして諭すようにこう言いました。
「ルイズ、悲しい事を言わないでおくれ。人を好きになる理由が肉欲であるのは、とても悲しいことだよ」
そのテオの見せる表情。
それは今までサイトが、いえ、サイトを含め、学院の何者も見たことがない。慈愛に満ちたものだったのです。
その優しい声色と、慈愛に満ちた笑顔に。
正面に居るルイズはポウっと顔を赤くしてしまいました。
「うん」
ルイズは顔を真赤にしたまま頷きました。
「……………」
サイトはとても意外そうな表情でその光景を見ていました。
その光景は、サイトの想像を大きく外れていたのです。
まるでさっきまでの怒りが嘘のようなそのテオの様子に、サイトは小声で彼に言いました。
「お、おい、どうしたんだよ。ルイズには…怒らないのか?」
そのサイトの質問に対して、テオはルイズに聞こえないよう小さな声で答えました。
「はっきり言ってこの状況は大いに不満だ。腸が煮えくり返る。しかし、今回のこの件にかんしてはルイーズにさしたる罪は無い。いわば彼女は被害者でもある。好きでもない男を、無理やり愛させられることは。恐らく吾には理解出来ないほどにつらいことなのだろう、正直…どう接すればいいのか判らん」
何処か苦悩に満ちたその声色に。
サイトはどうしていいかわからなくなってしまいました。
いえ。本当にどうしていいかわからない立場なのはテオでしょう。
ルイズに絡みつかれ、それを不満に思いながらもルイズにはその不満をぶつけられません。
なにせルイズは薬の被害者でしか無いのですから。
テオはチラリとルイズを見ると、再度憔悴したため息を吐きました。
「とりあえず吾はもう部屋に戻る…疲れた。もう寝たい」
そう言ってテオは部屋にもどろうとします。
しかし。
「…」
「…」
「あの、ルイーズさん?」
「な~に?」
「なんで吾の腕を掴んでるの?」
そういうテオの右腕にはルイズがしがみつくようにして掴まっていました。
「掴んじゃダメなの?」
「吾帰りたいんだが?」
「帰ればいいじゃない」
「離してくれない?」
「ヤダ」
「ヤダって…それじゃ吾が帰れないじゃないか。ルイーズ、離れてくれないか?」
「やだ!」
ふりふりと首を振りルイズは駄々をこねます。
「頼むから離れてくれ」
そう言ってテオはルイズを振りほどこうとしますが、
「ヤダヤダヤダ!絶対に離れないんだもん!」
ルイズはテオにしがみつく力を強め離れようとしませんでした。
「いだだだ、なんという握力。かくなる上は…坊主、そっち引っ張れ」
「よしきた」
そう言ってサイトが力ずくでルイズを引き離そうとしますが、
「うに~~~!!!」
「あだだだだ、腕が、腕がちぎれる。何この子、前世すっぽん?」
ルイズは意地でもテオを離しませんでした。
「こりゃだめだな」
「…勘弁してくれ。貴様こいつの使い魔だろ。使い魔なら主人を何とかせんか」
「そう言われても、俺にだってどうしようも無いよ。これ以上強く引っ張ったらルイズの背骨が外れちゃうじゃないか。この年でヘルニア持ちとかになったら大変だろ?」
「なんか…こう、無いのか?使い魔にだけ使える、主人を眠らせるビームとか…」
「ねーよ。あったらもう使ってるよ、そういうテオこそ眠らせる魔法とか使えるんじゃないか?」
「確かに吾は眠りの魔法を使える……ルイーズが杖ごと掴みこんでいる腕を開放してくれたらな。ルイーズ、腕離して、ちょっと、一瞬で良いから」
そう言ってテオはチラリとルイズを見ますが、
「ダメ」
そう言ってルイズは首を振りました。
「そうだ…こんな時はエンチラー………ダはいまモンモランシーの監視してるし…。どうしよう八方ふさがりだ」
「もう諦めて一緒に生活したら?」
「そうよ!そうするべきだわ!そうなんだわ!」
そう言いながらルイズはテオを掴んだままぴょんぴょんと飛び跳ねました。
「嫌だよ!なんで吾がコノ女と一緒に生活しなきゃいかんのだ!?」
「テオ私の事嫌いなの?」
ルイズが泣きそうな声でそうテオに尋ねました。
そしてその質問に対して。
「ええっと…わりと嫌い」
テオは素晴らしくはっきりと。その本心を言ってしまったのです。
テオはその言葉を発した瞬間、自分がまずい事を言ってしまったと思いましたが、口から出てしまった言葉を元に戻すことは出来ません。
ルイズはテオのその言葉をばっちりと聞いてしまいましたし。
そして、
「……うわーん」
ルイズは鳴き出してしまいました。
「あーあ、泣いちゃった」
サイトがテオを指さして言いました。
「まて、これ、吾が悪いのか?」
「悪いかどうかは別にして、テオが泣かせたのは間違い無いだろ?」
「うぐぐぐ…ルイズ泣き止め」
「わーん」
「ほら…アメちゃんあげるから」
「うわああああん!!」
テオの言葉に鳴き声を強めました。
「なぜ!?」
「なにしてるんだよ、そんな子供扱いしたらダメだろう!」
つくづくテオは女性の扱いが下手なのだと、サイトは呆れました。
泣き止まないルイズの様子に困り果てたテオは、とうとう直接的な行動に出ることにしました。
「くそう、こういう事はしたくなかったのだが…かくなる上は」
そう言うとテオはルイズに掴まれていない方の腕をピンと上げると。
勢い良くルイズの首筋に向かって振り下ろしました。
「ウゴ!」
テオの手刀は見事にルイズに当たり、ルイズはその場にドチャリと崩れ落ちます。
まるで武術の達人のような当身。
よもやテオはこんなことも出来るのかと、サイトは感心した視線を彼に向けたところで。
床に倒れたルイズが頭を抱えながら起き上がりました。
「あいたたたた」
「気絶してねえ!」
「気絶?するわけ無いだろ?」
「え?こういうのって、叩いたら気絶するもんじゃないの?」
「気絶するような強さで殴ったら危険だろうが…とにかくこれで吾の腕は自由になったわけで…」
そう言って彼がモニュモニュと呪文を唱えると。
「いったい何が…グウ」
ルイズはそのまま眠ってしまいました。
テオは眠っているルイズの襟を掴むとそのままサイトの方へと彼女を投げわたしました。
「うわ、危な!」
サイトは飛んできたルイズを力いっぱいキャッチします。
「そいつを部屋に連れて行け。解毒薬ができるまで何処かに縛っておいたほうが良い、起きたら暴れだすだろうから、貴様がしっかりと監視しておけ…頼んだぞ」
ビシッとサイトを指さして。
テオはそう言いました。
指さされたサイトは大層に驚きました。
テオが今言った言葉。
『頼んだぞ』
よもやテオの口からそんな言葉が出るとは思いませんでした。
特にサイトに対してそれが言われるなんて。
そんな言葉が出てくる程に、テオはその状況に疲れており。
それは、疲れ果てたテオがつい言ってしまっただけの言葉でしたが、それでも。
サイトは嬉しくなりました。
テオに頼られる。
それは、ある意味で、サイトが認められたということでもあります。
それが兎角嬉しくて、ルイズを縛り付けるというとんでもない要求にも、サイトは。
「任せとけ」
その期待に答えるべく、真面目な表情でそう答えました。
◇◆◇◆
サイトの監視故か、それともテオの魔法が強力すぎたのか。
ルイズはその日テオの部屋に現れるような事はありませんでした。
それでもテオはいつ何時、ルイズが自分の部屋に訪れるかと不安でした。
ですから、彼は自分の部屋のドアに何重にも固定化とロックの呪文をかけました。
そして、その魔法がかけ終わると同時に飛び込むようにベットに入り込みました。
テオの精神はもう限界でした。
とにかく現実から逃げて夢の世界へと入ろうと彼はそのまま眠ってしまいます。
次起きた時、少しでも事態が好転していますようにと。
淡い期待を抱きながら、彼の意識は落ちて行きました。
腕に重みを感じてテオの意識は夢のなかから半ば現実の世界へと戻されました。
窓から聞こえる鳥の声から、テオは自分が長いこと寝ていた事を悟ります。
「…こら…エルザ…くすぐったいぞ…」
テオは目を閉じたまま気怠そうにつぶやくと、手を伸ばして自分の隣にあるその小さな体を抱き寄せます。
そして、テオはその感触が、いつものエルザのそれと違うことに気が付きました。
「…!!…誰だ!貴様!」
テオは意識を覚醒させ、大声でそう叫びながら両目を開けました。
そして、彼の両目に入ってきた人物。
その傍らにいたのはルイズでした。
「ル…ルイーズ?」
テオは兎角混乱しました。
目の前にはルイズ。
それも、テオの胸に顔をうずめるように寄り添っています。
それもそのはず、ルイズを抱き寄せたのは他でもないテオ自身なのです。
薄衣の寝間着姿の彼女はテオを見ながら笑っていました。
「おはよ、テオ」
「ルイーズ…どうやって忍び込んだ?」
「忍びこむ?普通にそこの扉から入ったわ?」
「扉?ひょっとして鍵を開けたのか?鍵はエルザとエンチラーダしか…アンロックの魔法?しかし何重にもロックをしていたはず…」
「アンロック?違うわ、そんな魔法使ってないもん」
そう言ってルイズが部屋の入口を指さすと。
何ということでしょう。そこには見事に瓦礫と化した扉がありました。
「扉にディテクトマジックを使ったら『なぜか』ああなっちゃったの」
ペロリと舌を出しながらルイズはそう言いました。
「…なんて大胆なリフォームをしてくれたんだ君は」
「ごめんねテオ、でも、テオって少しばかり開放的になったほうがいいと思うの。テオっていつも自分の世界に入り込みがちなんだもん。ちょっとは周りに目を向けないと。特に私とか、私とか、私とか、私とか。…あと私とか」
「…そもそも君はなぜ吾の部屋にいるのだ?」
「いちゃダメなの?」
「ダメではないが……いや…ダメだ…ダメだろう。ダメなんじゃ…ないかなあ。年頃の男の部屋に忍びこむなんて淑女的では無いこ…」
「ああああ!!!」
突然大きな声が部屋に響き渡りました。
「テオが…起こされている」
「エルザ…」
声の主はエルザでした。
朝、テオを起こすのはエルザの大切な日課です。
今日も今日とてその日課を果たそうと部屋に来てみれば、そこにはすでに起きているテオと、テオに寄り添うピンクの髪がありました。
自分の仕事と居場所を奪われたエルザの心中は穏やかでは要られません。
エルザ怒りの形相でルイズを睨みつけるとこう叫びます
「この泥棒猫!」
「お前、何処でそんな言葉覚えた?」
「テオは私が起こすの!頭ピンクの小娘は引っ込んでなさい!」
そのエルザの言葉にゾクリ、とテオは不安を覚えました。
惚れ薬の症状。
惚れ薬は理性を無くします。
正確には理性を消すわけではありませんが、理性以上に感情を優先させるようになるのです。
昨日のルイズの様子が良い例です。
そしてその優先される感情とは恋愛感情だけではありません。
恋愛感情に付随する色々な感情もまた、抑えることができなくなるのです。
例えば嫉妬。
特に惚れ薬で増幅された恋心が呼び出す嫉妬は常軌を逸したものになりかねません。
そんな惚れ薬を飲んだルイズに対しての、エルザの発言は正に挑発とも言えるものでした。
嫉妬を覚えた人間の行動は短絡的になりがちです。
例えば暴力。
嫉妬に心を任せ、人に暴力を振るうと言う事例は古今東西多々あるのです。
いえ、暴力で済めばまだ良い方で、
或いは殺してしまいたいとすら思うかもしれません。
そして、
虚無に目覚めた今のルイズにはそれが可能なのです。
「ルイーズ!」
テオは慌てて、ルイズの方に振り向き、彼女の反応を見ました。
そして、テオが見たそのルイズの表情は。
微笑みでした。
しかもそれは、本当に、心から微笑ましいものを見るような。
そんな微笑みだったのです。
「え?」
「ふふふ、ごめんなさい、エルザ。でも私もテオを起こしたかったの。別に貴方のことが嫌いで意地悪したわけじゃないのよ?」
笑いながらルイズはそう言いました。
その言葉には挑発めいたところは無くて、本当にエルザに対して好意を向けている風でした。
そのルイズの反応に、テオとエルザは唖然としてしまいました。
「あの…ルイーズさん?怒ったりしないの?」
テオがそう尋ねました。
「怒る?なんで?」
「いや、エルザの言動に…」
「だって子供のすることじゃないの。テオがこの子を好きだってことは知ってるけれど、それはあくまで『家族』として好きなんでしょう?」
「…そうだが」
ルイズの言うとおり、テオがエルザに対して抱いている好意は、異性としてのそれとは別物でしたが。それをルイズが理解し納得出来るとは思っていなかっただけに、テオはルイズの様子に困惑しました。
「もし、これがキュルケとかタバサだったら私も怒ったり、ワガママを言ってテオの気を引いたかもしれないけど…、テオの家族に掴みかかるような事はしないわよ」
「そうか」
「だって、テオの家族は私の家族でも有るんですもの」
「「え?」」
そう言うと、ルイズはエルザの方を見て、こう言いました。
「エルザ…私のこと…『ママ』って呼んでも良いのよ?」
エルザは口を大きく開けて絶句しました。
「ね?『パパ』」
テオは口を大きく開けて絶句しました。
「素敵ね。愛しあう二人の夫婦と、小さな一人娘に貞順なメイド。それって理想的な家庭だと思わない?」
そう言ってルイズはニコニコと笑うのでした。
そのルイズの調子に。
エルザは得も言われぬ恐怖を感じます。
それは今まで戦ってきた如何なるメイジにも如何なる幻獣にも感じたことのない恐怖でした。
嘗てエンチラーダに抱いた恐れとは違う。それでいてそれと同等の恐ろしさを感じたのです。
そして、そんな恐怖に対してエルザがとった行動は至極単純な物でした。
それは逃走です。
「テ…テオ、私急用を思い出したのでおいとまするわ!」
そう言ってエルザはその場から逃げようとします。
「あ、エルザ、逃げるな!吾を一人にしないでくれ!」
そう言ってテオはエルザを引きとめようとしますが彼女はそれを聞き入れません。
「じゃあねテオ!その人が正気に戻ったらまた会いましょう」
そしてエルザは振り向かずにその部屋から走って出ていってしまいました。
「まあ、あの子ったら、私達に気を使ったのね?」
そう言ってルイズはクスクスと笑いました。
そんなルイズの様子を見て。
テオはため息をつくと、ルイズに向かって言いました。
「ルイーズ」
「なあに?テオ」
「色々と注意したいことがある。
扉を壊すなとか、
吾の部屋に勝手に入らないで欲しいとか、
吾をパパと呼ばないでとか、
色々あるが、まずは何より絶対に改めて欲しいことが一つある」
「何?」
「下着は履いてくれ」
◆◆◆用語解説
・早急に解毒薬
解毒薬を作るには、そもそも使われている毒、つまりこの場合は惚れ薬がどんなものであるかを解明しなくてはいけない。
惚れ薬と一言に言っても色々な種類が有るだろうし成分は様々だろうから、解明は並大抵のことではないだろう。
だからテオは自分で解毒薬を作らずモンモランシーに作らせることにした。
・コメツキムシ
裏返すと飛び跳ねる楽しい虫。
・バールのようなもの
しばしばフィクションに登場する架空の武器の一つ。登場頻度から、恐ろしく強力な武器であることが想定される。
その独特の名前から、ソロモン72柱の魔神の1柱である「バアル」と何かしらの関連を示唆する研究者もいる。
・あばたもえくぼ
電子妖精。ちなみに父親はアタルモハッケ、母親はリョーサイケンボ、姉にヒクテアマタ、弟にケンモホロロが居る。
…と言うのはまあアレで、実際は好きになった人なら、あばた〈顔の出来物やその跡〉があってもえくぼのように見えることから、他の人が見ると欠点でも、好きになったらとことん良く思えるということ
・すっぽん
トイレのあのアレのこともスッポン〈正式名はラバーカップ〉というが、この場合のスッポンは爬虫綱カメ目スッポン科キョクトウスッポン属に分類されるカメ。
直ぐに噛み付く習性と、一度噛み付いたら中々離さない習性を持つ。
主にアジアに生息し、スッポン自体はヨーロッパにはいないが、スッポン科の亀は世界中に分布している。
・当身
本来古武術や武道で急所を「突く・殴る・打つ・蹴る・当てる」などのことを当身と言っていたが、近年では、映画や漫画などで相手を気絶させるシーンなどにより、当身=相手を気絶させる技と思われている節がある。
勿論当身の中にはそういう技が有るらしいので必ずしも間違いと言い切れないのだが。
ちなみに首の後を叩いて相手を気絶させることは、可能ではあるが非常に危険で難しいのでお勧め出来ない。
・大胆なリフォーム
なんということでしょう匠は大胆にも扉を吹き飛ばし部屋は見違えるような開放感に包まれています。
・この泥棒猫!
パートナーを寝取られた女性が、その浮気相手の元に行き、対面する間もなく噛みつくように言う言葉。
なお、言葉を発する際には、『ビンタ』『胸ぐらをつかむ』『包丁持参』等のオプションが付く場合が多い。
・パパと呼ばないで
独身男のテオは吸血鬼のエルザを引き取る。子供の扱いがわからず、とまどうテオだったが、次第に情が通い、エルザはかけがえのない存在になっていく。そんなハートフルストーリー。