○月×日◇曜日
アルビオンの戦争で何か動きがあったらしい。アニエスさんが俺達にも関係があるかも知れないと言う事で詳しい話を教えてくれた。このまま行けば勝てると思っていた神聖アルビオン共和国とアルビオン・トリステイン連合軍の戦力比が大きく変化しているらしい。深夜の時間帯に黒いもやを纏った剣と鎧を装備して男性の単騎敵襲に遭い、前線で戦っていた軍は壊滅状態に追い込まれて、一時は連合軍を指揮するウェールズ皇太子が駐留している補給部隊まで食い込まれたとか。赤い外套を纏った男性が単騎突撃してきた男性を打ち倒して何とか事なきを得たらしい。そして単騎突撃してきて連合軍を総崩れにした人物の正体は『死霊使い(ネクロマンサー)』と異名を持ち、死者を操る『虚無』であると噂の神聖アルビオン共和国の初代皇帝オリヴァー・クロムウェル本人だった。連合軍はクロムウェルが放った闇の閃光を伝説の『虚無』として『虚無』の恐ろしさを思い知り、クロムウェルが打ち倒された今でも連合軍内部で足並みが揃っていないらしい。それと同時に神聖アルビオン共和国でも皇帝であり、『虚無』という切り札だったクロムウェルが死んだ事で軍内部が荒れていて、アルビオンの戦場は妙な硬直状態を向かえているとか。
ここでアニエスさんが俺達に関係あるかもしれないと推測したのはオリヴァー・クロムウェルが『黒いもや』を纏っていた事。アニエスさん自身、地下水路で『黒いもや』を纏った狂戦士(バーサーカー)と対峙している。『黒いもや』から連想しても可笑しくは無い。ただ、何故オリヴァー・クロムウェルがクラスカードの『正しい使い方』を知っているのか、それも『虚無』が成せる業なのかどうか、俺にもイリヤ達にもわからなかった。
○月×日◇曜日
今日は勇気を出してティファニアさんをお茶に誘ってみた。正直、ティファニアさんはアルビオンの民間人で家柄とかそういう意味では両親に反対されるかもしれないが、俺が初めて異性としての好意を持った人である。なんで惚れたのか、自分でもよくわからない。恥ずかしい話、美人である事も勿論あるがそれ以外に自然と目で追う様になっていて、子供達と遊んでいる時に浮かべる笑顔が一番綺麗に見えた。
たぶん、顔が真っ赤になっていただろう俺の申し出をティファニアさんは少し頬を赤らめて、はにかみながら頷いてくれた。それから先の事はテンションが上がりすぎてあんまり覚えていない。ルビー曰く、物凄い滑稽だったらしい。明日はキュルケにでも頼んで恋のいろはでも教えてもらおう。
○月×日◇曜日
即断即決という事でキュルケに相談してみた。結果、鼻で笑われた。俺の様子を見ていれば誰でも分かる様な態度だったし、ちょっとずつアプローチもしているので大丈夫とか。むしろ、何を教えればいいんだと尋ねられて答えに困った。貴族の女性と違い、ティファニアさんへ女性が喜びそうな言葉を並べた所であまり響かないだろうし、高い贈り物をプレゼントしても恐縮するだけだ。キュルケに指摘されてその事を気付かされた。立場が違えば口説き方だって変わってくる。流石キュルケ、なんだかんだで人の事をよく見ている。ティファニアさんの場合はただそばに居て、ゆっくり絆を深めていけばいい。呆れた様に苦笑しながら、キュルケにそうアドバイスを貰った。これから師匠と呼ばせてもらおうと思ったがキュルケ本人から却下された。俺はなんだかんだいいながら良い友人を持てたかもしれない。
○月×日◇曜日
キュルケに相談してからというもの、訓練と勉強と手伝いを終えて空いた時間は可能な限りティファニアさんの隣に居る事にした。一緒に過ごしていく内にティファニアさんの優しさや強さを見る事が出来て、ますます好きになった。それと同時に一時期収まっていた偏頭痛が再発した。特に子供達と一緒に遊んでいる時が一番酷い。デジャヴというかなんというか、頭の中を全然知らない森の中でティファニアさんも交えて子供達と遊んでいる光景が過ぎる。幻覚か何なのか、頭痛を堪えながらティファニアさんの隣に居た時、その答えを真剣な表情を浮かべたティファニアさん本人から手渡された紙切れ――――俺が書いた日記が教えてくれた。ティファニアさんがいつも帽子を被っている理由、そんな事は関係無いと言えるくらいに強くなると約束した事、弱い自分から目を背けて逃げ出した事。
たかが好きになった相手が『エルフ』だったくらいで俺は動揺してしまった。
だからあの時、俺は大事な場面で動く事が出来なかった。
ジャン・コルベールの記憶
その日の朝は何かが可笑しかった。朝早くからわたしの研究室にも聞こえてくるアルビオンから来た戦争難民の生活音、元気な子供達の挨拶、何があっても守らなければならない命の営みの音が聞こえてこなかった。恐ろしさを感じるほどの静寂が学院を包み込んでいた。わたしは長年培ってきた自慢出来ない勘を信じて杖を腕に忍ばせながら慎重に研究室の外に出た。そして研究室の外に出た時、その空気に触れて嫌な勘を確信へ変化させた。
――――ビリビリとした戦場の空気。
息を忍ばせ、学院に進入してきた襲撃者の数人を声も上げる暇すら与えず、一切の躊躇いを持たず速やかに焼き殺して移動していたわたしはアルビオンから避難してきている民間人が集まる広場へ続く入り口の近くで集まっている見慣れた顔を見つけた。優秀な『火』の使い手であるキュルケ君に優秀な『風』の使い手であるタバサ君、銃士隊の隊長であるアニエス君と数人の銃士だった。
「いったい、何事だ?」
「あんたは捕まらなかったのか。見ての通りだ、襲撃者によってあんたの生徒とアルビオンからの避難民が捕らえられた」
白々しい、そう自分に思いながら尋ねた言葉にアニエス君が忌々しそうに答えてくれた。それはそうだ、アルビオンからの避難民が敵の襲撃を受けて犠牲になる。下手に処理を誤るとアルビオン王国とトリステインの同盟に大きな亀裂を産む事になる。
「一人、孤軍奮闘した生徒がいたようだが多勢に無勢だったようだな」
無言で瞳の奥に怒りを燃やしているキュルケ君とタバサ君の視線の先には広場で生活していたアルビオンの避難民と捕らえられた女学生、無用な殺生が起きないようにわざと捕まったであろうオスマン学院長に対して見せ付けるようにボロボロの姿の彼が襲撃者二人掛かりで組み伏せられて、見慣れた顔の男にその頭を足で踏み付けられていた。メンヌヴィル、わたしの拭いきれぬ過去を知る人物。アニエス君も一見、平気な表情を浮かべているように見えたがよく見ると悔しそうに唇を噛み締めていた。
『よく聞け、人質ども! この餓鬼は恐怖に震えて動けなかった貴様等を守る為に戦い、敗れた敗北者だ! 貴様等もこんな風になりたくなければ大人しくこちらの指示に従え!』
聞こえてきた台詞で大体把握できた。いくら襲撃者でもアルビオンからの避難民全てを監視するのは難しい。それなら分かりやすい『イケニエ』を見せてやればいいだけの話だ。実際、彼に対する殴る蹴るの惨状を見ていた避難民と女学生の瞳からは絶望の色しか見えない。
「…………実際、アイツはいい活躍してるわ。少なくとも人質を取られるまでに襲撃者を七人は倒したようだし、イリヤと美遊が避難民に紛れ込めた。襲撃者のボスはアイツをいたぶる事に夢中で他には手を出していない」
この状況で良いと無理矢理言い聞かせている事が簡単に分かるキュルケ君の言葉通り、襲撃者の興味は仲間を倒した彼を痛めつける事に向いている為に他への被害は皆無である。
『あー、きみたち』
『なんだね?』
『暴力はいかんよ、暴力は。人質が死んだとあってはお互いに退けない所にまで来てしまう』
オスマン学院長の言葉は的を得ていた。もし彼の身に不幸が訪れたならお互いに彼の誇りと名誉にかけて全力の殺し合いに発展するだろう。人質が欲しい彼等にとってもそれは望む物では無い。
『そうとも、殺しはしない。だが、こいつを捕らえるのに部下が七人も犠牲になった。その鬱憤を晴らすのに少しばかり付き合ってもらっているだけだ』
傭兵たちは大声で笑っていた。仲間が死んだ所で動揺するような人間ではない。ただ楽しいから彼に対して暴力を振るっているのだ。
「先生、そろそろ我慢の限界が近いんですけど協力してもらっても?」
「……同意」
彼と親しい友人である二人にとってこれ以上の侮辱は我慢出来る物では無かった。
『もう、止めてください!』
そんな時、中庭の広場全体に声が響き渡る。その場にいた全員の視線が声を上げた帽子を被っている女性に集まる。
『何のようかね? こうなりたくなければ大人しくしていろと言った筈だが?』
メンヌヴィルは面白い物を見つけたと笑う。
『脅迫ですか? 私達を守ろうとして傷付いたあの人の姿を見た所で私は怖くありません』
『だめ……だ。おと、なしくして……』
瞳に強い輝きを宿し、ズンズンとメンヌヴィルに向かって歩いていく女性に向けて彼が首を振って否定する。
『安心してください。今度は私が貴方を守ります』
『面白い、それはどうやって?』
彼に向けて微笑む女性は自分に杖を向けるメンヌヴィルを睨み付ける。メンヌヴィルは笑いながら顔がしっかり見えるように杖で帽子を弾く。
その時、固唾を呑んで見守っていた周囲が別の意味で固まった。
弾かれた帽子に隠されていたどんな宝石よりも美しい風貌、鮮やかな金色の髪、そしてなにより特徴的なツンととがった耳。
『…………エルフ』
誰かが呟いた瞬間、こんな状況にも関わらず周囲が向ける興味の大半を彼女が受け止めた。
「……いまがチャンス」
「ええ、そうね」
『エルフ』、その存在に敵味方関係無く意識を奪われる中でタバサ君が動き、それに追随する形でキュルケ君が仕掛ける。
タバサ君の風が、キュルケ君の炎が、彼を拘束していた二人の傭兵を吹き飛ばす。それに呼応する様に避難民の中に紛れていたイリヤ君と美遊君が飛び出して避難民を囲っていた残りの傭兵を目にも留まらない速度で気絶させる。
「勝敗は決した。無駄な抵抗は止めて大人しくしたまえ」
決定的な好機を作り出してくれた彼女をメンヌヴィルから守る様に立ち塞がる。本来ならこの役目は彼が相応しい。しかし、このメンヌヴィルだけはわたしが戦わなければならない。
「なん……だと……」
メンヌヴィルの表情が驚愕と狂気に歪む。
「この声音、捜し求めた温度、お前は! お前はコルベールか!」
狂気染みたメンヌヴィルの叫びを聞きながら、ボロボロの彼を助けて起こしているキュルケ君とタバサ君の視線を感じた。仕方ない、これはわたしが犯した罪なのだから逃げる訳にはいかない。いつのまにか、生徒達の視線も集まっていた。
「今は教師をやっているのか? かつて『炎蛇』と呼ばれ、任務の為なら女だろうが、子供だろうがかまわず焼き尽くした貴様が!」
メンヌヴィルの言葉に生徒達の間から動揺が感じられた。それでいい。わたしは罪人なのだ。いくら相手が賊とはいえ、人殺しをした人間を英雄視してはいけない。
「ミス・ツェルプストー。『火』系統の特徴をこのわたしに開帳してくれないかね?」
「……情熱と破壊が、火の本領ですわ」
「情熱はともかく『火』が司るものが破壊だけでは寂しい。そう思う。二十年間、ずっとそう思っていた」
だが、大切な生徒を守る為に杖を取ったわたしには破壊する道しか知らなかった。
「だが、きみの言う通りだ」
杖を構えて巨大な炎の玉を生み出す。
「――先生、それは違う」
そんな時、キュルケ君達に支えられた彼から声が聞こえてきた。
「水が命を生み、風が命を運ぶ、火が命を輝かせ、土が命を受け止めて水へ還す。先生の火は命を輝かせる炎だろ。だからっ!」
彼の身体がぐらりと傾いた。いや、違う。支えている二人を自分から引き剥がし、彼はわたしに集中していたメンヌヴィルの背後に踏み込んだ。
「邪魔をするな! 死に損ないがっ!」
「死に損ない? 俺は毎朝もっと地獄を見てんだよっ!」
激昂し、振り返ったメンヌヴィルが放った炎が彼の顔面に襲い掛かる。しかし、迫り来る炎を恐れずに目を開き、首を捻って回避した彼はメンヌヴィルの懐に潜り込む。
「魔法や剣術だけで自分や好きな相手の身が守れると思ってねえよ! 」
渾身の肘鉄がメンヌヴィルの鳩尾に直撃する。下手をすれば死亡クラスの攻撃にメンヌヴィルは狂気の笑みを浮かべて、地面に倒れた。確認すると息はしていた。
「……無手の訓練だってずっと積んできた。オーク鬼や英霊やらと相手が相手で使う機会は無かったけどな」
そう言って彼は地面に腰を下ろすとそのままバタンと倒れる。
「ティファニアさん、いや、『ティファニア』。日記を見たからじゃない、よくわかんないけどティファニアが危ないって思った時、全部思い出したみたいだ」
「っ!」
心配して駆け寄ってきたティファニアと呼ばれたエルフの彼女に彼は笑いかける。
「俺はまだ、強い人間になれたとは思わない。けど、君が好きだってことは理解出来た」
彼の言葉に彼女は涙を溜めて頷いた。その光景を全員が見守っていた。
『これは丁度良い。彼女は人質として連れて行かせてもらうよ』
「え?」
誰も声を出さない静寂の中、男性の声が聞こえた。わたしが気配を感じて杖を構えた時には手刀を受けて気絶したティファニア君の隣に見覚えのある男性が立っていた。
「貴方はワルドッ!」
キュルケ君が叫び、杖を構えたわたしたちに囲まれながらワルド子爵は笑っていた。
「君達の魔法を本当に私へ向けていいのかな?」
その言葉の意味はすぐに分かった。大きな岩の雨が広場の空を覆った。学院の外には巨大なゴーレムとミス・ロングビル――――フーケがいた。岩の迎撃に出なければ避難民に被害が出る。
「君に伝言を伝えておこう。『彼女を助けたければ『カード』を持ってアルビオンへ来い』」
「なッ!」
彼は息を呑みながらワルド子爵を睨み付ける。
「イリヤ! 美遊!」
「はい!」
「いつでもいけます!」
動けない彼の叫びに二人の少女が持っていた杖を輝かせた。
「『みんな』を助けろ!」
『イリヤさん、今回ばかりは真面目にやりますよ』
「当たり前でしょ!」
『私達のどちらかをティファニアさんの救出に向かわせればティファニアさんは助けられたでしょうがその場合、避難民に被害が出たでしょうね…………、良い判断です』
「うん、守ろう。『みんな』を」
学院の空を閃光が包み込む。岩の雨は消し飛んで、青空が見えていた。
しかし、彼だけは悔しそうに地面を何度も殴っていた。
後書き
はい、急展開です。なんとなく察していると思いますが後、数話で完結です。ネタも思いつかないし、ダラダラ続けてもアレなので。完結まで双方の作品に敬意を払いながら頑張っていくつもりなので応援よろしくお願いします。