「凄い…お城が空を飛んでいる」
「まさか一発で城まで浮き上がるとはな。ハルケギニアの地下には想像以上の風石が蓄積しているらしい。鉱脈が水に浸かっていた事も関係有るのかも知れないが」
ここは両用艦隊旗艦ギヨーム・テル号の上部甲板。ジョゼフの前で食い入るように目の前の光景を見詰めているのはリュティスに帰したつもりが何故か戻ってきた娘、イザベラだ。そのイザベラに向かってジョゼフはまるで人事のように感想を述べていた。鉄製のカプセルを何個も作り、中に火薬樽と風石を満載して坑道の奥まで潜水型ガーゴイルで送り込み、同時に爆発させた。その効果は、命じた本人も驚くものだった。
いくら計算上で大地の重量を浮き上がらせることが出来る量の風石が存在すると言われても、その間には強固な岩盤があるので中々こんな事態が起こりうるなどとは想像しにくい。しかし、ガンダーラ商会で地下の構造について話を聞いたジョゼフは、岩盤というものが一枚板になっていると言うことはなく、断層などにより切れ目が入っていることを理解していた。広範囲で風石を励起させれば大地を持ち上げることが出来るはずだとは思ったが、さすがに連鎖して励起する風石がここまでの事態を引き起こすとは想像していなかった。
ジョゼフとしては何回かに分けて地面を剥がして、最終的にアンボワーズ城の城壁を崩せれば上々のできだと考えていたのだ。最低の場合では城の堀を埋める土砂として利用できれば御の字だと。
地面を剥がしていく過程では工作しようとするジョゼフ軍とその意図を知って防ごうとする城から打って出るシャルル軍との激しい戦いも想定していた。というか、それが元々の狙いだった。シャルル軍を城から引きずり出し、その数を削るつもりだったのだ。
それが今やアンボワーズ城は砂煙と共に上空五千メイル程にまで舞い上がり、まだ落ちてくる気配もない。どう見ても戦争は終了していた。
「ジョゼフ様。北側から回り込んで砲撃を掛けましょう。向こうは混乱の最中、搭載している新型大砲とて威力を発揮できないはずです」
「必要ない。放っておけば撤退もしくは降伏するだろう。あそこにいるのもガリアの民なんだ。無駄に殺生する事はないだろう」
「はっ、失礼しました」
勢い込んで提言してきた士官を送り返してまた目の前の光景を見る。落っこちてきている岩盤もあるが、多くの岩盤はまだ上昇を続けている。岩盤が浮き上がった谷に流れ込んだ水は濁流となって渦を巻き、ラグドリアン湖の水位は随分と下がったようだ。端の方では溢れ出した水に洗い流された村もあるようで、住民を避難させた判断は間違っていなかった。
ジョゼフは盤石な支持基盤というものを持たない。内乱の犠牲者は少なければ少ない程後の治世が楽になるのだから。
「父さま、もう戦争は終わりですか?」
「そうだな。後は籠城兵の降伏を受け入れて、各地のシャルル派貴族共へ降伏勧告、それでも従わない者を一つずつ潰していけば終わりだ」
「せっかく戻ってきたのに何もしないうちに終わっちゃったわ……叔父様達は、どうなるの?」
「シャルルはどうするかな。資金提供の見返りとしてアルビオンから少し離れた洋上の浮遊要塞を手に入れている事は分かっている。おそらくそこを拠点に空賊でもしながら再起を図るんじゃないか?」
「ガリアの王族が空賊なんて……」
「楽しそうじゃないか。なんなら代わって欲しいくらいだ」
「……」
ジョゼフとしては本気で言ったのだが、からかわれたと思ったのかイザベラはジョゼフを睨んで黙り込んでしまった。どうも娘とのコミュニケーションは上手く行かない事が多い。
難しい年頃の娘は放っておいて後ろの部下に指示を出す。
「そうだな、反乱貴族達への降伏勧告はもう出すとするか。生命・爵位保証、領地・年金削減あたりで手を打てと打診してやれ。あ、ビルアルドアーンは別な? 両用艦隊総司令で裏切るなど許せん。あそこの降伏条件は当主の生命保証だけだ」
「は。人質などの要求は?」
「いらん。シャルルがいなくなれば反乱の大義名分など立たなくなるだろう。早期に事態の収拾を図る事を優先する」
続けてド・オルレアンの復興のため、周辺貴族に協力を要請する指示も出させた。ド・オルレアンは結構な広さで大地が抉れてしまい、重要な橋や街道もなくなってしまったので今後の復興は大変そうだ。両用艦隊を総動員して剥離した岩盤を捕捉して埋め戻すべく努力させるつもりだが、全てを元に戻す事は出来ないだろう。とにかくアンボワーズ城の建っていた岩盤にはその地下に兵糧だの武器弾薬など大量に貯蔵したままなので間違ってもトリステインやラグドリアン湖などに落ちないように監視させている。
結局反乱軍は風石の励起後程なくしてほぼ全てが降伏したので、ジョゼフは反乱軍の降伏を受理するとさっさとリュティスへ帰り、そこから改めて全国の反乱貴族に降伏勧告を発した。戦後処理には結構時間がかかるかも知れないが、もう大きな障害も無いので順次解決していけるだろうと確信している。
リュティスでは市民達が大歓迎でジョゼフを出迎えた。無能と呼ばれていた王子が僅かな期間で優秀と言われていた王子を撃ち破ったのだ。戦乱に巻き込まれるのではないかと不安を感じていた市民は口々にジョゼフを褒め称えた。
「大儀であった、ジョゼフよ。シャルルは国外に逃亡したのだな」
「はっ。ラグドリアンからトリステイン国境上を北西に向かい、海に出たところで北方へ進路を取りました。アルビオン方面に向かったものと推測されます。戦力はオセアン号一隻と後から城を発った輸送船が一隻、それに竜騎士四騎程が着いていったようです」
凱旋した息子を、王は静かに出迎えた。大分体調は回復しているようで、ここのところのように病床ではなく、王の私室での接見となった。
「うむ……それならもうガリアにとっては脅威とは言えなくなったな。王などにならなくとも、ガリアを支える事は出来ただろうに。全てはあの子の心に気付いてやれなんだ予の不明が招いた事よ。ジョゼフよお前にも辛い業を負わせてしまった。済まぬ」
「おそらく私達兄弟は並び立つ事が出来なかったのでしょう。シャルルを殺してしまうような結果にならなくて良かったです」
「シャルロットはどうしている? あの子も辛い目に遭わせた。労ってあげたいが反逆者の娘故そうすることもできん」
「父親と別れたのがショックだったのか塞ぎ込んでいますので、マルグリットと一緒にしてあります。数少ない王家の人間です、私の養女にしたいと思いますが、可能でしょうか?」
「それは……難しいだろう。今回の件でシャルルに反感を持っている者達の感情は決定的なものになった。王家に戻すにはシャルロットがシャルルとは違う、ガリアに有益な人間だと証明しなくてはならない」
「そうですか……分かりました、シャルロットやマルグリットとも相談して今後の身の振り方を決めさせましょう」
「うむ、シャルルがまだ生きているのなら二人とも人質として留め置かねばならん。どこかに離宮を建ててやるか…」
シャルロットの取り扱いは今後のガリア政府最大の悩みだ。現状二人しかいない王家の子供の内の一人だが、まだ存命中の反逆者の娘。ジョゼフといえどもどのように扱うべきか、決めかねていた。
「えー、それで、戦後処理ですが、まずトリステインからラグドリアン湖の異変について火の付くような抗議が寄せられましたが、自然現象故致し方なしと回答しておきました」
「自然現象……風石が暴走するのがか?」
「ええ。ガンダーラ商会は危険性をかねてから指摘していました。これまで本気にする貴族はいませんでしたが、今後は違うでしょう」
今回の岩盤隆起ではトリステイン側の船舶にも相当数被害が出たようだ。当然損害賠償を求めてくるものと思われるが、それは拒否する事にした。トリステインが隠然とシャルルに助力していた事について、何かしらのペナルティを支払わせる必要があると判断したためだ。
「風石相場を見て躊躇していた者達も本気で掘り始めるか。確かに、自領が空に飛んでいってしまう可能性があるなら無視は出来ないな」
「ええ。とりあえず街や城の地下に眠る風石を掘り出すまでは戦争を始める馬鹿はいないでしょう。反撃で受ける可能性のある被害を考えたら、とても戦争を始められません」
「そう考えるとトリステインには感謝されてもいいくらいだな」
最近はそれ程ではなくなったとは言え、相変わらずトリステインはゲルマニア貴族から攻略対象として見られている。もし戦争が始まった場合、数だけはやたらといるトリステインのメイジが特殊工作部隊としてゲルマニアに潜入し、風石を励起させる事は可能だと思われる。
通常の破壊活動とは規模が違いすぎる手段を相手が持っている間は戦争など起こせないものだ。
「次にラグドリアンの精霊ですが、結局姿を確認できていませんので、何を考えているのかは分かりません。姿を現したらその時、柔軟に対応するしかないでしょう」
ラグドリアン湖は面積が広がった分水位が大幅に下がってしまったが、これは現在驚異的な早さで回復中だ。流れ込む川の水よりも大幅に多く水が増えているので、どうやら水の精霊が関与しているらしい。ガリア側の方が標高が高いからすぐにまた元の水位に戻るものと思われる。今後埋め立てる場合は出水に注意しなくてはならないかも知れない。
「うーむ。精霊が怒った場合埋め戻すのは不可能だろうな」
「申し訳ありません。思ったよりも派手に岩盤が浮き上がりました。ラグドリアン湖の面積は一割ほど増えたかと思われます」
「まあよい。シャルルが何かやっていたみたいだが、ほとんどは森だ。損失としてはそれ程でもないだろう」
「はっ。次に反乱貴族達ですが、伯爵以上でまだ降伏していないのは五人ほどです。三十五人が現地で降伏、二十人ほどがシャルルと共に逃亡、残りは自分の領地で降伏勧告にサインしました。遠からずリュティスに出頭してきます」
「うむ。ほぼ終わったな。ビルアルドアーンはどうなっている?」
「まだ抵抗している五人の内の一人です。ここは生命保証しかしていませんので降伏は無いものと考えています」
「……当主のジョフルワだけでも助けられんか? 息子はあれだが、予には忠実な臣下だった」
「無理でしょう。両用艦隊総司令の身で反逆したのです。当主としては、あの馬鹿息子が逃げ帰ってきた時に逮捕して差し出すべきでした」
「……いや、無理を言った。予定通り処分してくれ」
一時は随分と増えたシャルル派貴族だったが、爵位の継続を条件として掲示した事もあり、ほぼ消滅した。複数の領地や爵位を保持している貴族からは余剰分を剥奪し、分割できそうな所は分割して削減し、分割できないような所からは罰金を取り立てる。今回の反乱では特に戦功を上げた貴族もいない事からそれらの収入はほとんどが王家のものとなり、王権が強化される事になる。
「えー、ラ・クルス伯爵ですが、息子であるレアンドロが反乱軍に参加したものの本人は王家に変わりない忠誠を示したためその罪は不問とします。レアンドロの所有するデ・ラ・ソラナ伯爵領を没収するのは仕方ないでしょう。その代わりと言うわけではありませんが、デ・ベアレン子爵領をラ・クルス伯爵に与える事にします。シャルルを緒戦で撃退した功績は大きいですので」
「うむ。シャルルを撃破しただけでなくオルレアンの避難民を援助してくれたという。その位は当然だろう」
「それと、跡取りが居なくなりますので、レアンドロの子供達は伯爵との養子縁組を認める、ということでよろしいですね?」
「跡取りが居ない訳にはいくまい。当然認めるぞ」
ラ・クルスにとっては今回の戦争で受けた損失は嫡子であるレアンドロの領地・爵位だけとなった。
他にも個々の貴族の対応やシャルルの抜けた産業省の扱い、ド・オルレアンなど新規編入王領の統治方針など細かな事を相談してジョゼフは退出した。
ラグドリアン湖の戦いから程なくしてガリア全土に及んだ内乱は終息した。その規模の割に死罪となった貴族が一桁という少なさで、この反乱を収拾したジョゼフの器量は驚きを持ってハルケギニア中に伝えられた。
内乱終結から三ヶ月後、キンと冷え込んだ早春のまだ冷たい空気の中、ヴェルサルテイル宮殿のバルコニーに新ガリア王ジョゼフ一世が姿を現した。前王は今回の内乱の責任をとるとして修道院に隠棲する事になり、この日からガリアは名実共にジョゼフの国となるのだ。
勢揃いしたガリア貴族達にブリミル教の神官達、それと新王の宣誓を見ようと集まった大勢の人々の前で、ジョゼフは堂々と戴冠の宣誓を行った。
「予、ガリア王ジョゼフ一世は、次のことを約束しよう」
朗々とした声は魔法で拡大され、集まった人々の一番最後までよく届く。
「予は、始祖から続くガリアの伝統を護り、並びに、ガリアの平穏を妨げる全てのものを排除し、並びに、我が庇護に委ねられた人民を法令に従い治めるものとし、並びに、全てのハルケギニアにおいて、真の全き平和を未来永劫にもたらすものとする。予は、全ての身分及び地位において、窃盗、弾圧及び全ての種類の不正を禁止し、抑止するものとする。全ての裁判において、正義と衡平が例外なく保たれることとなるよう命じ、取り計らうものとする。これらの上述のものごとを、予は、予が厳粛な宣誓により、誠実に約束する」
それは、ブリミルの事にほとんど触れていないという例外中の例外と言える形式の宣言だったが、人々は気にするでもなく新王に喝采を送った。人々が常に求めているのは強い王。シャルルを一蹴したジョゼフはその条件に当てはまる王だった。
強い王に熱狂する人達とは反対に、苦虫を噛み潰したような表情をしているのは元シャルル派の貴族達。貴族としての地位は守られ戴冠式に参列する事も許されたが、財産は減らされ勢力は削がれた。ジョゼフが王である限り栄達の見込みのない彼らにとってこの戴冠式は全くもって面白くないものだった。
「シャルロット様、戻りましょうか」
「……うん」
歓声を上げる人達に紛れて遙か後方からその戴冠式を見ていたシャルロットだったが、それを見てもなんの感情もその胸には沸き上がってこなかった。
今やただ一人の家臣となったバッソ・カステルモールに促されるまま人込みをすり抜け、宮殿の奥に造られた離宮へと戻った。
シャルルに魔法を掛けられて眠らされ、起きた時にはもう全てが終わっていた。顔見知りの騎士も、子供の頃から知っている貴族も全てジョゼフの前に膝を折り、降伏していた。
リュティスに連れ戻され、母の胸で一頻り泣いた後、シャルロットに残っていたのは虚脱感だけだった。
ほんの小さな頃から当然のようにハルケギニア中を飛び回って活動しているウォルフという存在を見てきたシャルロットにとって、自分がまだ子供だと言う事は自分が何も出来ないと思う事の理由にはならなかった。
才能があり、それに見合う努力を続けてきたシャルロットは、当然自分もシャルルの役に立つ事が出来ると信じていた。それが現実には何の役にも立たず、ラグドリアン湖には行って帰ってきただけだ。
何故伯父が気付いた作戦を自分が気付かなかったのかと、後悔ばかりが胸を打つ。もしかしたら伯父はその可能性に気付けと、宿題にメッセージを込めていたのかも知れない。それなのに自分は結局シャルルが勝つ方法ばかりを考えて足下の危険を見過ごした。
「ふー……」
今日何度目か分からない溜息をシャルロットが吐いた。祖父が建ててくれた離宮はこぢんまりとしていて居心地が良いが、そんな事はシャルロットの慰めにはならない。
母は隣のソファーで刺繍をしていて、カステルモールは二人にお茶を入れてくれているようだ。騎士のくせにそんな事まで出来るカステルモールを意外に思いつつ、差し出されたカップを手に取った。
「そういえば、バッソ、パティ先生はどうなったの?」
「リュティスを離れて以来、連絡を取れていません。実家に連絡を入れようかとは思いますが、彼女の実家も大幅に領地を削られていますので帰っているかどうかは分かりませんね」
「そう……ごめんなさい」
「シャルロット様が謝るような事ではないですよ」
シャルルの近侍をしていたカステルモールとシャルロットの家庭教師をしていたパトリシアは恋人同士だ。結婚も近いと言われていたものだが、どうなるかは全く分からなくなってしまった。
「それでも、ごめんなさい。パティ先生も、もう結構いい歳なのに……」
「あの、本人には絶対に言わないで下さいね? それ」
歳はカステルモールの方が下なので年齢の話は二人の間ではタブーだ。プリプリと怒るパトリシアを思い出して、つい笑みを浮かべたカステルモールに、シャルロットの表情も緩む。
「言わないわよ。…そっか、パティ先生は行方知らずか」
「彼女はあれで優秀なメイジです。心配は要りませんよ」
「あれでって……」
教師や使用人など、リュティスの屋敷にいた者達はシャルルが逃亡した時点で全員拘束され、取り調べを受けた後に全て放逐されたと聞いた。当然ド・オルレアンの領地で雇っていた人間も全員だ。多くの人生を狂わせてしまった重みは、まだ十一才の少女の心にずしりとのし掛かる。
自分がこれから何をすればいいのか全く分からない。杖は取り上げられてしまっているし、人質としてただこの離宮で歳を重ねていくのが役目なのかと思うと絶望的な気分になる。この狭い離宮を離れる時でさえ、マルグリットとシャルロットのどちらかは拘束されてしまうのだ。もう、人間としての自由など、無いように感じられた。
「さあ、出来た。綺麗になったわ。どう? 可愛いでしょう」
母が刺繍の終わった布を人形に着せている。その人形はちょっと前に母から贈られたものだったが、今回の事件の最中に着せてある服が汚れてしまっていた。新しい服を着せられた姿は新品のようになったが、杖もなく宮殿から出る事も出来ない今、シャルロットは自分が王家の人形になってしまったような気がして、以前のようにその人形を抱きしめる気にはなれなかった。
「で、お前はこれからどうするつもりなんだ? シャルロット」
思い悩むシャルロットを呼び出したジョゼフは、その胸の内を言い当てたかのようにズバリと尋ねてくる。玉座からシャルロットを見下ろしてくるその姿はまさしく王者の風格だ。気圧されながら答えを探す。
「わからない。でも、わたしには魔法しかない。魔法で何か、人々の役に立つ事をしたい」
「魔法か…下らんな。まあいい、だったら花壇騎士に任命してやる。せいぜいガリアのために役に立つと良い」
「なっ! ジョゼフ様、シャルロット様はまだ十一才になったばかりの女子でございます。花壇騎士団には受け入れられないでしょう」
小声で魔法の事を呟いた時に一瞬ジョゼフの瞳に憎悪が浮かんだが、シャルロットもカステルモールも気付かない。シャルロットのような少女を花壇騎士にすると言う事に驚くのみだ。
「所属は北花壇騎士団だ。あそこは単独行動だからそんな事は関係ないぞ」
「北花壇……馬鹿な……」
ガリア北花壇警護騎士団とはガリアの裏側に存在する非公式な組織だ。ガリア貴族社会において表には出せないような事件の解決を請け負い、幻獣や亜人の討伐から諜報、要人暗殺などの破壊活動まで幅広く活動しているが、日頃人々にその存在を認知される事はない。危険な任務が多く、まだ十一才の王家の姫が働くような場所ではない。
「お前は従騎士だな、カステルモール。お前が付いていれば問題はないだろう。色々勉強できる部署でもある。どうだ、やるか?」
「あなたの命とあらば。わたしの身はガリア王家の物。命に背くつもりはありません」
「シャルロット様、お考え直し下さい、北花壇の仕事は危険なのです」
「ふん……ああそうだ、名前を考えておけ。正式名称はガリア北花壇警護騎士七号になるが、任務中に本名を名乗る事は許されないからな」
やるかと聞かれて答えるシャルロットは無表情で、何の感情も見受けられない。そんな彼女をジョゼフは面白くも無さそうに眺めている。
「一つ、聞きたい。先日の戦いにおいて、伯父上はあの作戦以外にあの城を撃ち破る方策を有していたのか、教えて欲しい」
「うん? なんだ唐突に。あの城を落とす方策か、勿論いくつかは考えていたぞ。一番こちらが安全そうな方法を選んだだけだ。例えば…」
例えばあの魔法防御システムは横からの攻撃には強いが原理的に上からの攻撃には弱い。噴水のように吹き出した風は拡散し、勢いを失うからだ。グライダーならまだしも、上空から真下に向けて撃ちこむ大砲を全て防ぎきれるとは思えない。
上空を守ろうと航空戦力をそちらに回せば、あの貧弱な艦隊では下部の守りが手薄になる。別働隊が城壁を攻撃できる隙は十分に生まれるはずだ。城壁にある魔法装置を一カ所でも破壊してしまえば城の防御力は大幅に下がってしまうのだから、艦隊を下部の守りから外す訳にはいかない。結果として上空からの砲撃を長期間続けたら、そう長く籠城できるとは思えなかった。
他にも港が魔法防御装置の外側にあるという致命的欠陥も存在するし、実は既に工作者のメイジを複数城内に紛れ込ませてもいた。ジョゼフからしたらいくらでも攻略法は考えられた。
つらつらと複数の攻略法を紹介するジョゼフの前で話を聞きつつ、シャルロットは痛切に力を欲した。ジョゼフが目を付けた弱点をあの時父に伝えられなかった自分を責め、それを出来る自分に変わる事を切望したのだ。
目の前の伯父を見る。この人はずっと無能だと言われながらもずっとその牙を研いでいた。見かけ上の戦力に惑わされず、相手の弱点を分析し攻める時に一気に攻める。それは口で言うほど簡単な事ではないはずだ。
シャルルや自分に足りないものが有ったのは確かなのだろう。ならば、この人に付いて、その足りないものが何だったのか、学びたいと自然に思えた。来るべき日までジョゼフの下で牙を研ごうと決意したのだ。
いつの日かシャルルが戻ってくるその時まで、自分はガリアの人形で良い。シャルロット・エレーヌ・オルレアンという人の名は捨て、ジョゼフの忠実な臣下として生きる事を決めた。
「名前を、決めた」
シャルロットが力強くジョゼフを見返しながら答える。ジョゼフは今度は興味深げに続きを待った。
「タバサ。我が名はタバサ。この身はガリアの杖にて王ジョゼフの忠実なる僕。我が忠誠はガリアのもとに。我が信はガリアの為に。王よ、何なりとお命じ下さい」
「ふむ、いいだろう。タバサよ、そちを北花壇騎士七号に任命する。そら、お前の杖だ、持っていけ」
忠誠を誓う姪の事を面白そうに眺めた後、ジョゼフは大振りな杖を投げて渡した。その杖は古めかしい大杖でシャルロットが長年愛用してきたものだった。
シャルロットはそれを空中で受け取り、礼をするとカステルモールと共にその場を辞した。
「シャルロット様、一体どうして! あなたがジョゼフの騎士になったとてシャルル様はお喜びになりません」
「タバサ」
「しかもそんな名前だなんて…シャルロット様のお人形の名前ではないですか」
「私の名はタバサ。あなたもそう呼んで」
離宮に帰る道すがらカステルモールが非難してくるが、シャルロットは一向に取り合わない。自分たちが暮らしている離宮に着くと、真っ直ぐに母の元へと向かった。
「母さま、花壇騎士団に任官しました。任務の邪魔になるので髪を切りたいのですが」
「まあ……父さまが悲しむわね、あなたの髪が大好きだったから」
「父さまが帰ってきたら、また伸ばします。切って下さいますか?」
「ええ。仕方ないわね、こっちにいらっしゃい」
母マルグリットは騎士団に入った事については何も言わず、裁縫箱のハサミを手にとってシャルロットを手招きした。彼女なりに覚悟はしていたのかも知れない。
この日以降シャルロットは北花壇騎士七号・タバサとしてハルケギニア中を飛び回って任務をこなしていく事になる。王家の姫であった時には望めども得られなかった実戦の機会は、シャルロットのメイジとしての能力を確実に磨いていく事になった。
魔法だけで解決できるような事件ばかりではない。一つ一つの事件が彼女の経験となり、力となり、彼女を成長させていった。
任務を解決して報告に行くと、ジョゼフはいつも上機嫌で彼女を出迎えた。食事を共に摂りながら詳しい話を聞き、その事件の背景や解決後の影響などを解説してくれる。
ジョゼフの見識はいつも鋭く卓越していて、シャルロットはいつしか彼との食事を楽しみにするようになった。倒すべき王ではあるが、彼との会話はシャルロットを成長させてくれる実感があるのだ。
敵愾心を抱いていてもジョゼフの事を嫌いではないというのは、ずっと変わらない。
カステルモールもシャルルの兄としてジョゼフが生まれた不幸を嘆くとも、彼の事を憎んでいる訳ではない。むしろシャルロットやマルグリットの扱いは正当で感謝しているくらいだ。
蒼髪の美少女騎士とその従騎士は、心中に相反するものを抱えながら日々を過ごしていった。