ガンダーラ商会護衛部隊隊長ハリー・ジョンソンは焦っていた。想定していなかった規模の襲撃を受けて徐々に戦力を減らされてしまい、今いる護衛部隊は自分を含めたメイジ十人平民十五人とウォルフの父ニコラスだけだ。もう一人、輸送している平民達の中にいるウォルフの乳母だったという女性がメイジとの事だが、戦闘力は期待しないで欲しいとの事だ。三回目の襲撃の時にトラックを止めるべきだったのかも知れないが、あの場所は特に道が狭くて止める事を躊躇ってしまった。トラックを止めてマチルダ達を待つべきか、止まったところを襲撃される事を避けるために走り続けるか、悩みながら周囲の気配に神経を尖らせていた。
しかし決断が出来ない内に道はまた細くなり、周囲の森がより一層と深くなった頃、トラックのライトが前方の街道を塞いでいるバリケードを映し出した。
「隊長、前方で街道が封鎖されています」
「ちっ、全車停止! なるべく小さく纏まれ! 襲撃があるぞ!」
「はっ、各自武器を持って展開しろ」
狭い街道で無理矢理三列になって停車する。それでも十四台あるので結構な長さだ。護衛部隊はトラックを降り、左右に展開しつつ襲撃に備えた。
待ちかまえる護衛隊に側面両側前方の森、バリケードの両側から湧き出てきた襲撃者達が襲いかかる。数はおそらく護衛隊の倍程、メイジと平民の傭兵との混成部隊だ。
「くそっ、ニコラス殿、こいつらは我々が引き受けます! バスの人員の護衛をお願いします」
「了解した! 《エア・カッター》油断しないで、こいつ等結構メイジの数が多い」
「メイジならメイジに対する戦い方があるものです。ご心配なさらぬよう」
「心強い。では任せます。《エア・カッター》」
「頼みました。鉄砲隊、前へ!」
都合四度目の戦闘が始まった。
更に二、三発護衛部隊を援護する魔法を放ってからニコラスは後方に向かい、トラックの運転手達を降ろしてバスの間に停めた二台のトラックの荷室に押し込んだ。バスに乗っている人員を併せて六十人以上いるが、このトラックはいざというときのために荷室を空にしていたので全員入る事が出来た。この大人数をニコラスとアンネの二人で守る事になる。しかもアンネはメイジとして最低限のドット、その中でも能力は低い方だ。
ウォルフからは戦闘の可能性があるのでフネで移動する事を勧められていたのだが、フネに乗りきれなかった平民の工員達が陸路で移動する事を聞いたアンネが自ら志願して今ここにいる。けが人の治療などを想定していたのだが、まさかアンネまでも戦闘にかり出される羽目になるとは思っていなかった。
不安ではあるが、アンネはメイジである以上力のない平民を守るのは義務だと思っている。平民達を労り、励まし、気丈に振る舞っていた。
そんなアンネの様子をニコラスは心苦しく見ている。アンネとのつきあいの長いニコラスには彼女が戦闘に向いていない事など分かりきっている。それなのに、こんな状況に陥っているのが辛い。
ニコラスが何を思おうが関係なく敵は来る。トラックの後ろにアンネと別れて立ち、森からの気配を探っていたニコラスの感覚が、右側の森から敵が接近してくるのを感じとった。トラックが街道一杯に停まっているために狭くなっているこの場所では一人で多人数を相手取るのは難しい。ニコラスは撃って出る決断を取らざるを得なかった。
「アンネ、右から敵が来る。すぐに倒すから、その間敵が来たら何とか時間を稼いでくれ」
「は、はい。出来るか分かりませんが、やってみます。大丈夫、私だってウォルフ様に魔法を習ったんですから、少しくらいなら持ちこたえられますよ」
「頼む。いざとなったら平民達と一緒にトラックに籠もってくれ。中から鍵を掛けたら外からは開けないようになってある。この荷室はチタン合金の二重壁になっていて、魔法防御も固く掛けてあるそうだから暫くは持ちこたえられるはずだ」
右から来る気配は十人以上だ。トライアングルのニコラスにとってもすぐに全滅させるのは難しいかも知れない。胸を張って答えるアンネから目を逸らし、森の中へ飛び込んだ。ウォルフがアンネに教えた魔法なんて『ウォーター・シュート』という水鉄砲の強力版みたいなものだけだ。それを顔目掛けて撃ち続ければ呼吸と詠唱を妨害できますよ、という程度で、水かけ祭りなら結構な戦力になりそうではあるが殺傷力はきわめて低い。しかし、アンネに使える魔法などその程度なのだ。
ニコラスが森へ消えるとアンネの周りは急に静かになり、遠くで戦いの音が絶え間なく響いくようになる。その音を聞いているだけの時間は、平民達にとって恐怖を感じさせるのに十分だった。
「アンネさん、あたし等大丈夫なのかね……何で山賊がこんなにしつこいんだい?」
小さく開けた扉の隙間から外に立つアンネに顔見知りの工員が不安そうに尋ねてきた。普通山賊などは軽く襲ってみて、相手が存外に強かった場合すぐに撤退するものだ。彼らは生業としてやっているだけだし、大きく損耗したりするとその後組織を維持するのが難しくなるからだ。
それがこんなに何度も執拗に仕掛けてくるなど聞いた事が無い。既に延べ人数で襲撃者の数が百人を超えているらしい事と合わせ、工員達の顔は恐怖で引き攣っていた。
「大丈夫ですよ。ニコラスさんがいますし、マチルダ様も直ぐに戻ってきてくれるでしょう。心配は要りません」
平民達を安心させるために力強く言うが、その声は少し、弱くなった。アンネ自身も恐怖を感じており、何で襲われているのかなんて分からないからだ。何とかやり過ごしたいと願っていたその時、アンネが念のために森に撒いておいた水を伝って、森から出てくる敵の気配を感じ取った。ニコラスが向かった森とは反対側だ。
「扉を閉めて。合図が有るまでは決して開かないで下さい」
「あ、ああ。でもあんたも危ないと思ったらすぐに逃げるんだよ」
「大丈夫です、いざとなったら森に逃げますよ。セグロッドもありますし、時間さえ稼げばいいんだから」
ここにはメイジはもう自分しかいない。アンネはバスの間から出て、襲撃者達に向かい合う。恐怖で足が震えるが、何とかニコラスが戻ってくるまで時間を稼ぐつもりだ。相手が何を目的に襲ってきているのか探るため、自分から声を掛けた。
「こんばんわ。何の御用でございますでしょうか。ご入り用のものがございましたら用意いたします。出来ましたらそれを持ってそのままお帰り願いたく存じますが」
いきなり襲いかかってくるかもと思っていたが、相手の反応はアンネの想像とは別のものだった。ぼそぼそと仲間内で話し合い、まるで彼らの方が怯えているかのようだ。
「……おい、こいつじゃないのか? 情報通りだろう」
「確かに。パツキンの巨乳で年の頃もぴったりだ。胸は常識の範囲内だな」
「ちょっとまて、常識外れだって言う娘がいるんじゃなかったか? 今、オレの使い魔のカエルが後ろの平民達を探ってくるからまだ手は出すな」
「待て待て、耳が普通だぞ、違うんじゃないのか?」
「馬鹿、そんなのいくらでも誤魔化せるだろ。カエル、どうだ?」
「ダメだ、荷室に引っ込んじまっている」
「仕方ねえ。こいつだけでも確保するしかねえか」
彼らの話し声がアンネまで漏れ聞こえるが、意味は分からない。金髪で胸がでかいから何だと言うのか。娘のサラも狙っているらしいのは母として聞き逃せない。
「確かに美人だが、悪魔のように美人だって話ほどじゃあないな」
「そうか? オレは全然いけるぜ、はあはあ……」
「いけるかどうかって話じゃねえ。情報と比べてどうかって事だ馬鹿」
「オレの人生を狂わせたスザンナに似ている……垂れ目の女はみんな悪魔だ」
ますます訳が分からない。段々腹が立ってくるが、時間を稼げているようなのでアンネは何も言わずにいた。更に何だかんだと相談したあげく、男の一人が進み出て話しかけてきた。相変わらずおっかなびっくりと言った感じだが。
「おい、姉さんよ。あんた、娘がいるって話だが、何処に行ったんだい?」
「娘ですか? 確かにいますが、先に出国しましたよ?」
「ビンゴだ……娘さんの行き先を教えてくれる訳にはいかないかい?」
「申し訳ありません、それはちょっと……」
「じゃあ年を教えてくれないか? 十一だか二だかだって聞いたんだが」
「十二になりました。娘が、何か?」
また男達はぼそぼそと話していたが、すぐにアンネに向き直った。嫌らしい笑みをその顔に浮かべ、続ける。
「姉さん、ちょいと俺達に付き合ってくれねえか? あんたが暴れたらとんでも無いことになることは分かっている。だが、俺達も引く訳にはいかねえんだ。大人しく付いてきて欲しいんだが」
「あの、それはちょっと……お金なら差し上げますので、それで納得して頂きたいのですが」
「金なんて……くれるなら貰うが、あんたに来て貰う事に意味があるんだ。今更荷物とかを奪うのは無理そうだし、せめてそれくらいの土産がないと――今だっ!!」
「? っ!!」
男の視線がアンネの上空に向き、釣られてアンネも空を見たが、その目に映ったのは自分に向かって急降下してくるワイバーンだった。
「きゃああああっ!」
ワイバーンは竜の一種だ。翼が生えている位置が背中ではなく肩で、腕が翼となっている強力な幻獣。戦闘力は風竜に劣ると言われているが、勿論ドットメイジ程度は瞬殺する能力を持っている。鋭い牙が目の前に迫り、アンネは自分の死を覚悟した。
しかし、強力な翼を大きく拡げ、アンネの前で急制動を行ったワイバーンは攻撃することなく直ぐにまた上空へと舞い上がった。その一瞬、投網のように一枚の黒い布を拡げてアンネに被せた。
「な、何? 一体何なの?」
「よし、かかった。野郎共、今だ!」
「よっしゃー!!」
アンネと話していた男達が襲いかかり、その布を巾着のように閉じて縛り上げ、アンネを中に閉じこめてしまった。更にぐるぐると縄で縛り上げる。アンネはなすすべ無くされるがままだ。
「いやあああ、ニコラス様! 助けて下さい!」
「ははは、残念だったな、色男は来ねえよ。この布は某公爵家秘蔵のマジックアイテム・『虚無の布』だ。魔法は一切通さないし、たとえその中で先住魔法を使っても解除される。無駄な事はしないで大人しくしてろ」
「そ、そんな、《ウォーター・シュート》!」
「ははは、無駄無駄。野郎共、引き上げるぞ!」
「おおっ!」
「いやあっ」
再び降下してきたワイバーンが布ごとアンネを掴んで舞い上がる。男達はかん高い笛を鳴らして合図を送ると一斉に撤退していった。
「アンネ!」
「ニコラス様! 助けて!」
ようやく襲撃者達を倒して戻ってきたニコラスだったが、少し遅かったようだ。『フライ』で飛び上がり、手を伸ばしてアンネを掴もうとするが、伸ばしたその手の先を掠めてワイバーンはアンネを大空へと連れ去った。
そのまま『フライ』で追うが、どんなに優れたメイジだったとしてもワイバーンに大空で追いつけるはずもない。あっと言う間にアンネの姿は夕闇の空へと消えていった。
ニコラスは奥歯を噛み締めて後手後手に回った行動を悔いる。これなら最初に追っ手がかかった時に止まって闘えば良かった。その時その時の安全性を第一に考えすぎて戦力を分散し、敵に時間を作られた。ここまで大規模の襲撃を想定していなかったので仕方ないとも言えるが、アンネを連れ去られた痛みはそんな事で納得する事は出来ない。
バスまで戻ってみると、既に敵は逃げ去った後だった。護衛部隊の方も戦闘は終わったみたいなので、ニコラスは先ほどまで戦闘していた場所に戻り、そこに残された遺体に何か犯人の手掛かりがないか探った。
念入りに探したが、手掛かりになるようなものは何もなくニコラスは途方に暮れる。アンネはもうずっと一緒に暮らしているド・モルガン家にとって家族と言える存在だ。攫われて放っておけるものではない。
手掛かりがないのなら逃げた連中から聞き出したいが、彼らは森の中に消えたので今から追っても見つける事は困難だ。呆然として再び車列に戻ると、そこに後方からモレノが追いついてきた。
モレノはともかく、モスの逞しい姿にトラックから出てきた平民達はほっと一安心する事ができた。ようやく一息つけた感じだ。
「ニコラス様、どうなさいました」
「アンネが攫われた。連中の手掛かりを探しているが、何か無いか?」
「っ! あ、手掛かりがあります……最初に襲ってきた連中ですが、こんなナイフを持っていました」
「これは……」
ナイフに刻まれた紋章は、ニコラスには見慣れたコクウォルズ男爵家のもの。自分を陥れた男の紋章を見つけ、ニコラスの胸にどす黒い感情が吹き荒れた。
今すぐ殴り込んでアンネの行方を吐かせたいが、彼の領地はここからはシティオブサウスゴータの反対側になり結構な距離がある。竜かウォルフのモーグラがあればたいした距離ではないが、それ以外では時間が掛かりすぎる。モスでさえ陸を行くので二時間以上かかるだろうし、この後の道中を考えると使う訳にも行かない。
ニコラスは暫く黙考して考えをまとめると、無言でトラックの一台に近付き、荷台の資材から必要と思える物を探す。セグロッド二台、鉄の棒、ナイロンのロープ、ずた袋、アルミニウムの板材などを適当に取り出し、ザックに入れて背負った。さらに風石庫から風石をひとかたまり取り出すとこれは懐に入れた。
「俺はアンネを追う。君はマチルダ様と一緒にノビックを目指してくれ。息子を、頼む」
「心当たりはあるのですか? いや、そもそも追いつけるのですか?」
「分からない。ここから先は俺個人として動くつもりだ。何なら俺の事は勝手にいなくなった事にしてくれても構わない。とにかく今は一刻を争うんだ。頼んだぞ」
相手が市議会議員な上に緊急事態でもあるのでこれから取る手段は非合法なものになる。ニコラスは話を打ち切ると『フライ』を唱え、飛び出した。更に懐の風石を励起して高度を上げていく。その姿は夕闇に紛れ、直ぐに見えなくなった。
この後マチルダ達も追いつき、再び隊列を整えて出発した。ノビックに到着したのは大分遅れ、もう夜半近くになろうかという時間だった。街道を封鎖していたバリケードを撤去し、周囲を警戒しながら進んだので随分と遅くなった。
工員達がアルビオンにいる事を怖がったので、とりあえずトラックや荷物は予定通りノビックの倉庫に預けたが、工員達はゲルマニアから来たフネに移して出国した。
そのゲルマニア行きのフネの船室でほっと息を吐く平民達の中に、ニコラスとアンネの姿は無かった。