シティオブサウスゴータの北、ロンディニウムへと続く街道を真っ直ぐに進んだところの岩の多い地帯で、街道を封鎖して行われた検問の結果は何とも言い難いものとなってしまった。
パンツをかぶったまま呆然としているアレックスの後方で、騎士団長と警視長官はあわてて風石馬車を方向転換させ、サウスゴータへと戻らせた。
「くそっ、こっちは囮か! 城を見張っている部隊に連絡を入れて確認を取れ。マチルダが出た後に城を出た車がないか調べるんだ」
「大丈夫、見張りは継続している、監視をかいくぐって城から逃げ出すことなど出来ないはずだ」
「それだけでは不安だ、サウスゴータ議会に圧力を掛けて、シティオブサウスゴータを出る車全部を検査出来ないか?」
「そんなこと出来る訳は無いだろう。決して大っぴらには出来ない事案だってことを思い出してくれ」
マチルダにまんまとやられた感があるのでしばらく混乱していたが、屋敷には動きがなかったこと、マチルダが通った経路を検討して一瞬たりとも監視の目が離れなかった事を確認するとようやく落ち着きを取り戻した。
「おそらくは脱出のリハーサルだったのだろうが、こちらが監視していることは気付かれてしまったな」
「まあ、いずればれた可能性はある。気付かれたとしても奴らに打つ手は無いはずだ」
「そろそろ本気で強行突入を検討する必要があるな。そっちの判断はどうなんだ?」
「…サウスゴータ議会がこちらに付いているから、多少のことは誤魔化せるとは思うが、慎重に検討する必要がある」
「しかし、もう時間はないぞ。議会がこちらに付いていると言っても、向こうは向こうで確保のために独自に突入する可能性がある。我々は後れを取る訳にはいかないのだ」
二人は情報を整理し、太守の城を武力制圧する、という強硬手段を取るための手順を検討する。マチルダには戦闘力の高い地竜の使い魔がいて、それが屋敷の警備に就いているのでこれまで強硬突入を躊躇していたが、そんな事を気にしていられなくなってきた。
まずはモード大公に続いて太守であるサウスゴータ伯爵の反逆罪容疑での逮捕。サウスゴータ議会を動かし、衛兵や竜騎士隊と共に警官隊で屋敷を囲み、万が一の逃げ道を潰す。最後に近衛騎士団が突入してエルフを確保、抹殺という流れだ。しかし、アルビオンは議会であり最高司法機関でもある貴族院の力が強い。今のところモード大公の逮捕は王家内の問題ということである程度遠慮しているところはあるが、サウスゴータ伯爵など他の貴族も逮捕するとなると王命だけでごり押しする事は危険だ。
強硬に押し入って証拠を得たとしてもそれを公表する訳にはいかない訳で、王家の立場は悪くなることは間違いない。騎士団長達はこれまで得た情報について慎重に検討を重ねた。
一方、近衛騎士団から解放されたマチルダ達は上機嫌で街道を走行していた。
マチルダも後部座席から助手席に移動して窓を開け、気持ちの良い風を受けながらモレノの軽口にも付き合う機嫌の良さだ。
「いやいや、あの騎士の間抜け面ったらなかったですな。マチルダ様も容赦ない」
「はん、あたしのテファに手を出そうとしてる奴にかける情けなんて持ってないね。いい気味だよ」
「しかし、良かったのですか? マチルダ様の下着をあんな大勢の前で公開するなんて」
「あんたも知ってるだろ? あれはウォルフが用意したものだからね、あたしの物じゃないし、気にならないさ」
「成る程。しかし、あそこにいた騎士達はマチルダ様のパンツだと思ったのでしょうなあ…」
「……」
件のパンツはウォルフが用意した中身一式を車内でスーツケースに詰めた物だ。自分の物という意識は全くなかったが、モレノに言われてようやくあれがはしたない振る舞いだった気がしてきた。
自分のパンツを初対面の騎士の頭に被せるなんて、周りの騎士達はとんでもない女だと思ったことだろう。アルビオン貴族の女性はもっとお淑やかなものだ。
急に黙り込んで赤面しているマチルダを横目で眺めてモレノは話題を変える。赤面する美女は眼福ものだが、それを指摘する程モレノは不躾ではない。
「ウォルフ様は無事飛行機にたどり着けましたかね。まあ、無事じゃなかったら相手が大変な目に遭うのでしょうけど」
「……あの子が無事に逃がすって言ったんだ。今までどんなとんでもないことでも言ったことは全部実現してきた。あたしはそれを信じて待つよ」
シャジャルとテファ、二人のエルフは今頃ウォルフと一緒に飛行機に乗って東方の潜伏地へ向かっているはずだ。別れる時に不安そうにしていたティファニアのことを思うとマチルダは胸が張り裂けそうになるが、今はウォルフを信じて待つしかない。
二人は監視者の予想通りスーツケースに入って屋敷を出ていた。自動車の車内でスーツケースから出て用意されていた中身と入れ替わり、帽子屋の前で停車していた時に床に空いた穴を通ってウォルフが待つ下水道へと抜け出したのだ。馬車とは違って車高の低い新型車は尾行者が思いもしない死角をその車体の下に持っていた。
そのままウォルフに連れられて下水道を移動し、少し離れた場所に停車していたトラックにマンホールから乗り込み、シティ・オブ・サウスゴータから脱出した。そのまま郊外まで移動して飛行機の着陸規制の無い森の中でウォルフの飛行機に乗り移り、そこから一気にアルビオンを脱出するのだ。この間、一応念のためにシャジャルの魔法で二人の耳の形を普通のものに変化させ、ティファニアは男の子に変装していたが、森の中で乗り移った時にも誰かに見られた様子はなかった。
シャジャルがその魔法を使えるということはマチルダは知らなかったらしく、その時の驚きぶりったら無かった。これまで逃げてくる間は使ったことが無く、マチルダは相当苦労してきたらしいのだ。本人曰く、「耳を隠すなんて事に魔法を使うなんて考えたこともなかった」そうだが、この抜けっぷりはシャジャルの特性なのか、エルフという種族固有のものなのか要研究といったところだ。
王家や貴族派が一斉攻撃を仕掛けてくることすらあり得ると思っていたので、安全のためにサラも一緒に連れて行きたかったのだが、ウォルフの飛行機は基本的に二人乗りのため、一緒に行くことは出来なかった。座席を改造してシャジャルとティファニアは乗れるように出来たものの、さすがに四人乗りにするのは無理だった。万一のために当面の間サラはアンネとともに警備の行き届いたチェスターの工場で生活するようにして、更に護衛をエルビラに頼んでおいてある。
今回タニアはウォルフに事情を打ち明けられてかなり途方に暮れていたが、放置すればマチルダもサウスゴータ太守やモード大公も死罪になりそうな情勢にウォルフの決定した方針を追認するしかなかった。
ウォルフとも相談の上で、直接的にシャジャル達エルフに関わるのはウォルフだけにして、脱出に使った車やトラック、更に飛行機は全てウォルフ個人のものを使用している。
念のために商会の警備体制は強化しているが、タニアは詳しい事情を部下に話すことはしなかった。
「あ、ウォルフ様の飛行機が飛んできました……」
「えっホント? どこだい?」
「ほら、あそこ…」
「……」
マチルダ達の車の前方上空二千メイル程をウォルフの飛行機「ライトニング」は飛行していた。
思わず停車して車外へと出た二人の前でその銀色の機体は二度程翼を振って合図し、そのまま勢いよく高度を上げていって雲の中に入り見えなくなった。
翼を振る合図は昨日決めた作戦が成功した時の合図だ。空を見上げ、それを確認したマチルダの頬に涙が流れる。マチルダはしばし黙ってそのまま見上げていたが、眼福とばかりに嬉しそうに自分を見ている視線に気付き、顔を隠して涙を拭いた。
「レディーの顔をじろじろと見るんじゃないよ。さ、出発出発」
「いやいや、大変結構なものを見せていただきまして…」
「そういや、あんたいつまでこっちにいるんだい? もう要らないから、帰っても良いよ?」
「おう、冷たいお言葉。ウォルフ様からはほとぼりが冷めるまでは護衛してろと申しつかっております」
「護衛が付くなんて久しぶりだよ。これでもあたしはスクウェアメイジなんだけどねえ」
「それでも、ですよ」
モレノは背中に手を回すと外套の中からレーザー銃を取りだし、マチルダに見せた。
「なんだい、そいつは。またウォルフの発明品かい?」
「そうです。先ほどの、皆殺しにするという話は別に冗談ではありません。それを可能にする程の力がこの魔法具にはあります」
「冗談、を言ってる風には見えないね。近衛騎士団皆殺しなんて王家を全面的に敵に回しちまうようなことは自重して欲しいもんだよ。それで?」
「ウォルフ様は強すぎる力をお持ちですが、信頼できる仲間というのはまだ少ないです。それこそ、開拓団の護衛部隊にまで各地の間諜が入り込んでいるのを放置しなくてはならない程」
「……」
「マチルダ様はその数少ない信頼できる仲間だと伺っております。テューダー王家如きに殺させる訳には参りません。あの程度の騎士団は何時でも排除できますので、必要な時はお申し付け下さい」
「……そいつはどうも」
銃をしまい、運転席に乗り込む。モレノとセルジョは共に元ロマリアの密偵ではあるが、現在は開拓団のために働いている。ロマリアで所属していた組織が壊滅した当初は精神的に不安定になっていたが、ウォルフに仕える事で落ち着きを取り戻すようになった。裏の工作員としてロマリアの汚い部分ばかりを見てきた彼らにとって、開拓団はとても居心地が良いらしく、これまでウォルフが驚く程熱心に働いてきた。その働きぶりで開拓団でも信頼されるようになっており、現在は隷属の首輪をはめられているが、他の団員と一緒に外す方針がウォルフから示されている。
突然真面目に話し始めたモレノに鼻白みながらマチルダも助手席に乗り込み、再び出発した。封鎖されていた影響か、街道には他に馬車もなく車は快適に走行した。
「学院を卒業したら、開拓地に来ては下さいませんか?」
「ウォルフがそんなこと言えと言った……訳じゃあ、無さそうだね。あんたの判断かい?」
「はい。ウォルフ様はマチルダ様がサウスゴータの街を見捨てることはないだろうと仰っていました」
「さすがにウォルフはよく分かってるね……」
昨日、マチルダはウォルフからガンダーラ商会の今後の方針を聞いた。ロサイスの使用停止とチェスターの桟橋の使用禁止によりチェスターの工場は大幅縮小、閉鎖の可能性もあり、サウスゴータの商館も売却するかも知れないという。
チェスターの工場が閉鎖したらまた街には失業者が溢れ、ガンダーラ商会の去ったサウスゴータは商人達のカルテルによりまた物価が釣り上げられる事が目に見えている。
ガンダーラ商会が出来る以前のような街に戻ってしまうこと。それは、サウスゴータを愛し、より良い街にするために努力してきたマチルダにとって身を切られるように辛いことだ。
「あたしはあの街を、あの街の人達を愛しているんだ。太守の家に生まれた娘として、あの街の人達が必要としてくれる限りはあそこを離れたくは無いよ」
「うーん、では街の人達と一緒に移住するってのはどうですか? あの街はもうガンダーラ商会を中心とした産業構造になっているって言うのに、その産業が立ち行かなくなるように規制してくるなんて正気の沙汰とは思えません。工場や街の人々ごと開拓地に来るってのはどうでしょう」
「ふふ、誰もいない街に議会と貴族だけが残っているのかい? 確かに、そうなればあたしも心おきなく移住できるね」
シティオブサウスゴータは人口四万人を数えるアルビオン有数の大都市だ。あまりにも現実味のない話にマチルダは力なく笑う。
二人を乗せた自動車は快調に街道を走り、やがてロンディニウムに到着した。
ロンディニウムに入る時もまた臨検を受けたが、今度はアレックスのような被害者は出なかった。サウスゴータ家の屋敷に着いたマチルダは、何よりもまず両親に会ってシャジャル親子を逃がしたことを報告した。エルフがハルケギニアから脱出したというのはサウスゴータ伯爵にとって待ち望んでいた情報だ。どこか安全な場所に匿いたかったのにサウスゴータの城に連れてきた段階で間諜に囲まれてしまい、移動させることが出来なくなっていたのだ。
彼女たちを追放しないでくれ、というモード大公の依頼とは若干の差があるが、現状では仕方がないことだろう。かの存在さえいなければモード大公の釈放交渉も進展させることが出来る。
サウスゴータ伯爵は早速王家の伝手と交渉し、もうエルフはアルビオンにいないことを匂わせることにした。
その情報に接した政府の官僚達の反応は早かった。サウスゴータ側と非公式に交渉を続け、今回の事件の収拾方法を探った。サウスゴータ伯爵の懸命の交渉の結果、モード大公の釈放が決定されたのはそれから一週間が経った頃だ。サウスゴータの屋敷やロンディニウムの屋敷、更には魔法学院の寮の部屋にまで内密に首都警察の捜査班を受け入れてエルフがいない事を証明した後、実現した。
全てが丸く収まるかと思われたが、王弟の逮捕という事態にまでなってしまっていたのでそれで終わりという訳にもいかず、今回の事件はサウスゴータ伯爵がモード大公を唆して次期王位を狙わせた事件として処理されることになった。王妃の血筋に平民の血が入っているなどという事実をでっち上げ、ウェールズ王子の王位継承権を引き下げようとしたなどという、まあ普通は有り得ない話だ。王妃が疑いようもなくバリバリの王族出身だということはアルビオンの貴族なら誰でも知っている事実なのだから。
本来は死罪に相当する罪だが、始祖降臨以来の名家のこれまでの功績を鑑み、自首したことで罪一等を減ずるという裁決が下されることで両者が合意。サウスゴータ伯爵家は廃絶、それに伴って太守の地位は廃止、伯爵家の城屋敷など全ての財産は没収となり、夫妻は国外追放というものだ。夫妻の娘であるマチルダは未成年で事件当時魔法学院に通う学生だったということもあり無罪という温情ある裁決の部分は最後までサウスゴータ伯爵が粘って勝ち取った条件だ。娘を前科持ちにしたくないという親の愛情の勝利といえるだろう。
他に落としどころが無かったのと、アルビオンにサウスゴータ家を残した場合エルフを呼び戻すのではないかという王家の恐怖心もあり、モード大公の立場を第一に考えたサウスゴータ伯爵はこの案を受け入れた。王家としてはエルフという爆弾を握られていることもあり、これ以上あまり無理は言わず、多少不自然さは残るが一応筋が通るこの筋書きを押し通すことになった。
モード大公の処分は、大公位を剥奪、領地のほとんども没収されて王家の管理下に置かれ、王位継承権も剥奪されるというものだった。王位簒奪を図ったにしては緩い処分だが、政治的にはほぼ無力となったと言えるだろう。彼は暫く謹慎生活を送ることになる。
マチルダはこの間に無事卒業式を終えて一度サウスゴータへと帰り、屋敷の捜査にはサウスゴータ側の代表として立ち会った。ちなみに卒業式でクリフォードにこれまでの態度を謝罪し、仲直りしたそうだ。元大公の釈放と両親の逮捕と追放手続きなど色々と忙しい日々を過ごしたが、その表情はこれまでとはまるで違い、とても明るいものだった。
追放が決まった両親は僅かな供回りを連れて昔バカンスで行ったロマリア南部の島に移住するそうだ。マチルダ自身は出来ればアルビオンに残りたいと考えているが、中々難しい。幸いガンダーラ商会を設立した後に開設したロンディニウムの銀行の個人口座は差し押さえの対象にはならなかったので、生活に困るということはない。この口座には所持していたガンダーラ商会の株式をタニアに売り払った代金が入金されているので、その残高は一生遊んで暮らせる程はあるのだ。このお金を元手にして、また個人商店をサウスゴータで始めようかと考えていたが、王家との関係を考えるとマチルダがアルビオンに居続けるというのはあまり良くないだろう。
ガンダーラ商会は今後のアルビオン貿易を東部と北部の港を軸に行っていく方針だという。その場合この南部は完全に物流のメインルートからは外れるので、今までのようにサウスゴータにハルケギニア各地からものが集まってくるという状態にはならなくなる。このままでは失業率が跳ね上がった上にインフレが起こる事が確実と思われるので、少しでも何とかしたいと思っての事だったのだが。
サウスゴータの使用人達はマチルダが残るなら一緒に残って世話をし、商売を始めるならそれを手伝いたいとも言ってくれていたが、マチルダが彼らの安全を考慮して断った。モード大公家でティファニア達の世話をしていてその存在を知っていた者は全て王家に捕まり、処刑されたものと聞いている。発覚を恐れる王家が時間が経ってから不安になり、使用人達にまで手を伸ばすことは十分考えられる事だ。事情を知らない者も説得して、なるべくアルビオンから離れて貰うようにした。中々時間が掛かったが、根気よく説得した結果ほとんどの使用人達はウォルフの開拓地に移住することに合意してくれ、マチルダも開拓地に屋敷を持つ事をにした。アルビオンで商売をする事を諦めた訳ではないが、現実的な問題としてティファニア達が安心して暮らせるのが開拓地くらいしか無いのではないかとウォルフと話していたこともあり、マチルダとしても開拓地に生活の拠点を持っておきたいとの判断だ。
今回の件ではもっと酷い結末も十分予想できた。ウォルフの尽力のおかげで少なくとも皆の命は助かったと、事件の処理がようやく落ち着いてきて皆が安心した頃にその事件は起きた。
マチルダはこの時まだ知らなかったのだ。貴族派がエルフの所在を掴むことを諦めた訳ではないということを。