泣きやんだマチルダが顔を洗いに行っている間、ウォルフとサラはもとのソファーに座ってその帰りを待っていた。マチルダが全部話すと言ってくれたおかげで二人の表情は随分と明るくなった。
「ねえ、ウォルフ様。マチ姉が助けてって言わなかったら、本当にそのまま諦めて帰ってたの?」
「無理矢理話させる訳にもいかないから、この屋敷は出るしかなかったろ。マチ姉の代わりに門の近くにいたどっかの間諜をとっつかまえて洗いざらい吐かせようとしてたかな」
「えっ、そんなのいたんだ、気付かなかった」
「あの側にいたのは二人。裏門とかにもいたっぽいから結構沢山捕まえられそうだった。最近禁制の魔法が沢山載っている魔法書を入手したんだよ。それだけいれば色々試せそうだよな」
「……禁制の魔法は使っちゃいけないんだよ?」
「ゲルマニアではまだ禁書に指定されてなかったから向こうで使う分には大丈夫そう。でもばれたらものすごく怒られるから、サラは真似しちゃダメだぞ?」
「怒られるとか言うレベルじゃないと思うの……」
「ウォルフ、あんたの倫理教育はどうなってるんだい……」
マチルダが戻ってきてウォルフの向かいに座る。顔を洗ってきたせいか、ずっとこわばっていた顔は憑き物が落ちたようにすっきりとしている。
「やっぱり間諜は来ているのかい。あたしのおかげであんたに捕まらないですんだなんて、ラッキーな奴らだね。まだ屋敷の中には入られていないと思うんだけど……一体何から話そうか」
「あいつらは誰が差し向けたもの? マチ姉は予測が付いているんでしょ?」
「二通り考えられるね。一つは貴族派と自称しているサウスゴータ議会を牛耳っている奴ら。もう一つは国王陛下」
「国王はモード大公を逮捕した嫌疑をこちらにも掛けてきていると思って良いのかな?」
「そう、なるね。貴族派の奴らも目的は同じさ」
「サウスゴータを追い落としたいってわけか。一体、モード大公は何をやったの? あの人がそんな犯罪に荷担するなんて想像付きにくいんだけど」
「犯罪なんてしてないよ! あいつ等が勝手にそう言っているだけさ!」
「じゃあ、何をやったの?」
声を荒げるマチルダに、ウォルフが冷静に問いかけた。マチルダはまた目をウォルフから逸らしたが、今度は呟くように長年秘密にしてきたことを口にした。
「エルフの、親娘を匿った」
「……」
「ほほう」
サラは目が点になっているが、ウォルフは目を輝かせている。ものすごく今回の件に興味が出てきた。
「確かに法律には書いていないことかもね。それで、匿ったってのはどういう事なのかな? なんでエルフがサハラじゃなくてアルビオンなんかをうろついているの?」
「その、人間に興味があってサハラから出てきたそうなんだけど、ブリミル教の教えに感動してブリミル様が降臨したサウスゴータに来てみたかったらしいよ?」
「ほほーう。しかし、人間に興味があったといっても子連れでフラフラと人間の街に出てくるものなの? 子供さんっていくつ?」
ウォルフの目がさらに真っ直ぐに見詰めてきて、マチルダは目を合わせられない。
「そ、その、サハラから出てきたときは一人だったんだ。サウスゴータで、大公様と出会って……」
「ぶっ……そのエルフって女の人?」
「ああ……」
ようやく事情の全貌が分かってきた。ハルケギニアで、エルフを妾にしていたら異端の誹りは免れない。あまつさえ子をなしたとなればその罪は王家にも向かう程のものと思われる。王家は絶対に公にする訳にはいかないことだろう。
頭の後ろで手を組み、ソファーに大きく寄りかかって天井を見上げる。シャンデリアの蜘蛛の巣が目についた。
「やっぱりエルフと人間との間で子供は作れるんだな。確認が取れてしまった……」
「ん? やっぱりってどういうことだい?」
「ああ、この間遠い祖先にエルフっぽい血が入っているぽい人と会ったんだよ。エルフと人間とで子供って出来るのかなあ、って思ってたけど確認できたって事」
「ちょっとそれホントかい? 一体何処の誰なんだい?」
「エルフの血が入っているって言っても、すっごく昔のことだからもう全然普通のメイジだよ。それより、そのエルフの親子がこの屋敷にいるんだね?」
「えっ、マチ姉、ホント?」
「……」
少し緊張感を増したマチルダが、黙って頷いた。その返事を受けてサラもつられて緊張したが、ウォルフは再びソファーの上で脱力した。恨みがましい視線をマチルダに向けて零す。
「ずるいなー……マチ姉。オレがずっとエルフのこと調べてるって知ってたのに、自分だけエルフと知り合いになってるなんて……」
「っ! し、仕方ないだろう、何度か話そうとは思ったんだけど、ウォルフがどんな反応するかなんて分からないじゃないか!」
「しかも、ハーフエルフなんて楽しそうなのまで独り占めして……ねえ、いつから知ってたの?」
「その、商会発足した頃、大公様に口利きして貰った時に……」
「五年近く前じゃないか。精霊魔法の研究とか、一体どれほど遠回りしたことだろう……オレは一体これから何を信じたら良いんだ」
「あーあ……、マチ姉が意地悪するから拗ねちゃった。責任取って下さいね?」
「どうしようもなかったんだよ、巻き込みたくなかったんだ」
膝を抱えて項垂れるウォルフと呼吸を合わせたサラとの二人がかりの非難に、マチルダの顔が引き攣る。なおも何事かブツブツ呟きながら、抱えた膝をゆさゆささせているウォルフは放っておいてサラに語りかけた。
「ウォルフはともかくとして、何でサラまでそんな、普通なんだい。エルフなんだよ?」
「だって、マチ姉のお友達なんでしょ?」
「……ああ」
「じゃあ、きっと大丈夫よ。良いエルフに違いないわ」
サラはそう言って穏やかに微笑む。せっかく顔を洗ってきたというのに、また鼻の奥がツンとしてマチルダはあわてて鼻をかんだ。
「……サラは、きっといつかこっぴどく人に騙されるよ。そんなに簡単に他人を信じちゃダメさ」
「じゃあ、マチ姉が側にいて悪い人が近づかないように注意してて。今回みたいにいなくなるのはもういやだよ?」
「うん…ごめん……」
「責任を取って下さい」
「うわっ、なんだい、ウォルフ」
ニュッと唐突にマチルダの眼前にウォルフが顔を突き出してきた。ウォルフの動きを全く認識していなかったマチルダは驚いてひっくり返りそうになってしまった。
「責任を取って下さい、エルフとハーフエルフに会いたいです」
「…そんなに会いたいのかい? 会ってどうするつもりさ」
「現在、マチ姉を取り巻いている状況にどう対処したらいいか、そのエルフに会わないと決められないだろ」
「本当にそれだけかい?」
「えっと、済みません、興味あります。エルフ、会いたいです」
「ふふふ、勿論、会ってもらうつもりさ。会わないと本当に良いエルフなんだって分からないだろうからね」
目の前のウォルフの目を見詰め返し、莞爾として笑う。マチルダにもう迷いはない。さっさと立ち上がると二人を案内し、エルフの待つ棟へと移動した。
「いいかい? ウォルフ、人体実験とかはだめだからね?」
「やだなあ、マチ姉、オレのことをどんな風に思ってるんだよ」
「だめですよ? 女の子だって言うのだから、優しくしないと」
「サラ、お前までオレのことを信じてくれないのか? お父さんは悲しいよ」
「ウォルフ様は時々突っ走っちゃう時があるって理解しているだけです。あと、年下のお父さんは生物学的に有り得ません」
「あり得ないことは無いぞ? 光速に近い速度が出せるフネが有れば…」
「はいはい、いいかい? 入るよ」
言い合いをしているウォルフとサラを無視してマチルダがエルフがいるという部屋のドアをノックする。少し遅れて部屋の中から返事があった。
「あたしだよ。テファいいかい? ちょっと入るよ」
まずは先にマチルダだけで入って許可を得ることになった。ウォルフ達は少しの間廊下で待たされたが程なくしてドアが開く。
「いいってさ。ウォルフ、いいかい? くれぐれも相手が怖がるようなことをするんじゃないよ」
「オレ、そんな事しないのに…」
「日頃の行いのせいですよ」
念には念を入れて注意を受け、ようやくウォルフの人生初エルフだ。
カーテンが閉められ薄暗い室内で、二人の女性が緊張した面持ちで立ってウォルフ達を出迎えた。ウォルフが始めて出会ったエルフはとてもよく似た容姿で、親娘と事前に知らなかったら姉妹だと思っただろう。
二人とも輝くような金髪に宝石かと見まがうばかりの翠玉の瞳とエルフの証である長く尖った耳を持ち、神々しいと表現出来てしまう程の美貌だ。さらに加えるならば、娘の胸がでかい。母親の方は巨乳に分類されるんだろうけど、ちょっと大きめかなと言った程度だ。しかし、娘の方は一歳年上のサラがマジマジと自分と見比べてしまう程にでかい。ウォルフと同い年で十一歳との話なのだが、とにかく、でかい。
室内はカトレアと出会った時のような精霊魔法の気配がしていて、ウォルフは嬉しくなってくる。やっとエルフと会えたのだ、今は困惑の表情を浮かべる二人に対し、満面の笑みで応えた。初エルフと友好的な状況の中で会えたことが嬉しい。こんなエルフばっかりならとっととサハラに行けば良かったと思い始めているくらいだ。
「ホラ、マチ姉、紹介」
「いたっ、肘で突くんじゃないよ。ちょっとは落ち着いたらどうだい」
「いいから、ホラ」
やたらとテンションの高いウォルフをもてあましつつ、マチルダはお互いを紹介する。
「あー、シャジャルさん、テファ。こちらがウォルフと、その従姉妹のサラ。二人ともあたしの幼なじみで、ガンダーラ商会の幹部をやっている。……それで、こちらがエルフのシャジャルさんとその娘のティファニア。テファは大公様の娘になるんだ」
「初めまして、ミズ・シャジャルそれにミス・ティファニア。ただ今ご紹介に与りました、ウォルフ・ライエ・ド・モルガンです。ガンダーラ商会で技術開発部主任を務めております」
「は、初めまして。サラです。正式にはサラ・デ・ラ・クルスって言えって言われています。ガンダーラ化粧品の工場長をしています、よろしく」
「あら、お二人ともマチルダさんからいつもお話を聞いているから、初めてって感じがしないですね。シャジャルと申します。こちらは娘のティファニアです」
「ティファニアです、初めまして」
ニコニコしているウォルフと少し緊張気味のサラが挨拶をし、それにエルフの二人が応えた。無事に初対面の挨拶を交わした二人を交えて、ウォルフとサラはマチルダからこれまでの経緯を聞く。
モード大公がシャジャルを囲い、ティファニアをもうけ、兄王にばれて捕まって、二人の追放を拒否していると言うことを。どうやら貴族派も情報を掴んでいるらしくしつこく探りを入れてきているということも。
今のところモード大公はエルフの行方を話していないらしいが、彼の柔弱な性格を考えると、それがいつまで続くかは分からないとのことだ。もし彼がサウスゴータに匿われていることを認めたら、ここに王の兵がなだれ込んでくるのは時間の問題だろう。
それで、これまでの経緯をふまえた上で、今後どうするべきかという話になったのだが、この話し合いは難航した。
「話せば分かって下さると思うのです」
シャジャルが、誠実そうな人柄が良く理解できるようなことを言う。
「話をしないで逃げてしまったのがいけなかったのではないかと、ここのところずっと思っていました。誠意を持って話せば、同じ始祖を信仰する者同士、通じ合えるはずだと信じています」
もう隠れるのはやめて、表に出て話し合うべきだと主張するシャジャルに、マチルダは俯き、額に手を当てて頭を振っている。この人を匿うのは結構大変なのかも知れない。
「えーと、個人的な意見を言わせて貰えば、王の追っ手の前に姿を現すのは絶対にしてはならないことだと思います」
「どうして、でしょうか」
「まず、シャジャルさんを追ってくる一番下っ端の者はあなたと話をするという選択肢を与えられておりません。間違いなく会うなりあなたを殺そうとしてくるでしょう。話をする間など無いはずです」
「そんな……でも、ウォルフさん達のような方もいます。全部が全部そのような人達ばかりではないのでは?」
「シャジャルさん、ウォルフはかなり特殊な部類なんだ。こんなのがハルケギニアの一般メイジと思ったらだめだ」
「マチ姉の言い方に何か棘があるような気がする……でも、その通りだよ。オレ達はマチ姉がいるからあなた達を信用できた。他の人間にその信頼関係は無い」
「……」
「もし、あなたが出て行った場合、全てが悪い方に転がる。まず、あなたは何を言うことも出来ずに殺されるだろう。弟を捕まえている王も、エルフの死体という証拠が出てしまったら王弟とはいえ処刑せざるを得なくなる。あなたを匿っていたサウスゴータ伯爵もマチ姉も捕まって処刑されるだろう。この屋敷に対する捜査は徹底的に行われ、ティファニア嬢もおそらく逃げおおせることは出来ない。あなたが表に出て、話し合いをしようとした瞬間に運命は破滅に向かって動き出すんだ」
「何で、何で、そんな…」
ポロポロと真珠のような涙を零しながら、ウォルフのことを恨めしげに見てくるが、ウォルフとて意地悪でこんな事を言っている訳ではない。普通に展開を予想しただけだ。
「人間とエルフとの間の不幸な歴史が人間にエルフへの恐怖を植え付けました。人を殴ったことの無いような善良な平民でもエルフに石を投げるのを躊躇する人はいないかと思われます」
「エルフへの、恐怖、ですか…」
「ええ。怖いから、分からないから攻撃するのです。相手が襲いかかってくると信じているから拳を握って前へ突き出すのです。相手がパニックになっていることを理解してあげて下さい。そんな時に殴る事が出来る距離に飛び込んでしまうのはお互いに不幸です」
「でも、ウォルフさんの話を聞いていると、理解して貰えれば、わかり合えると言っているような気がしますけど…」
「ええ、勿論信じていますよ? 今わたしとあなたがこうして話しているように、エルフと人間とが良き隣人となれる可能性はあると思います」
何の屈託もなく笑顔で話すウォルフにシャジャルはあっけにとられていたが、その涙は止まったようだ。隣に座るティファニアを見、マチルダを見、またウォルフに視線を戻した。
「わかりました。今は私たちが姿を現すべきではないということを、理解しました」
「その通りです。今は、その時ではない。あなた達さえ見つからなければ、証拠は無いのです。モード大公の命も救われ、またいつの日か一緒に暮らせるようになるかも知れません」
ウォルフが本音で語ったことにより、なんとかシャジャルに思いとどまって貰うことには成功した。一番安堵しているのはマチルダだ。彼女はここのところシャジャルの説得に随分と苦労していた。
「ありがとう、ウォルフ。あたしじゃあそこまではっきりとは言えないから、中々説得が難しかったんだ」
「マチ姉はやさしいから。じゃあ、まず二人をここからは逃がすということで作戦を練りたいんだけど、シャジャルさんはどこか当てとか有りますか?」
「いいえ。わたしは部族を飛び出してきてしまったものですから、もう部族には帰れません。ハルケギニアにいられないというならば、わたしたち親娘に行くところは無いのかも…」
またシャジャルが暗くなるが、ウォルフは意に介さない。ハルケギニアではなくてサハラでもない、彼女たちが暮らしていける場所を考える。
蛮人地域か、辺境の森の先か、あるいは新大陸というのも楽しそうだがいずれにしても魔法がないと暮らすのは大変そうな場所だ。
「シャジャルさん、魔法はどのくらい使えますか?」
「えっと、系統魔法は使えません。精霊魔法はエルフなりに使えます」
「ちょっと、何か使ってみてくれますか?」
「はい、いいですよ…《風よ、遍く吹く風よ、我の示す先にその姿を現せ》」
「ひゃっ」
シャジャルが詠唱して軽く腕を振るとその動きに合わせて室内に風が吹いた。サラは初めて見る精霊魔法に驚いていたが、ウォルフは何度も見たことがあるので冷静に観察している。完璧にコントロールされた風の魔法はシャジャルの魔法の腕前がルー達一般的なアルクィーク族よりも上だということを示していた。これくらいの腕があるなら獲物くらいは自分で捕れそうだ。
「なるほど。土や水の魔法も使えるのですか?」
「はい。やってみましょうか?」
「いえ、今は結構です。ティファニアさんはどうなのでしょう。ハーフエルフとのことですが」
「あの、その、わたしは…使えません」
ティファニアが小さくなって答える。彼女は系統魔法も、精霊魔法も成功したことはなかった。マチルダは辛そうに目を逸らし、サラも気の毒そうな表情を浮かべているが、使えませんと言われて「はいそうですか」で済ますウォルフではない。
「ちょっと、やってみてくれませんか? 杖は持っているようですし、とりあえず系統魔法の方を」
「えっと、その、本当に出来ないですよ?」
「構いません。出来ないのならどうして出来ないのか、知りたいですし」
「あう」
不安げに母の方を見るティファニアにウォルフは優しげに答える。が、満面の笑みで身を乗り出しているのは既に暴走しかけているからだろうか、サラが脇からウォルフの膝に手を置いて、暴走するのを止めている。
「ウォルフ様、ティファニアさん怖がってるから、優しく、ね?」
「オレはいつだって優しい。さあティファニアさん一緒にやってみよう。痛くしないから」
「ひ、ひうう」
「ああ、もう。テファ、大丈夫怖くないから。こいつ時々こんなになるけど心配ないから」
なんだかティファニアに怖がられてしまったが、間にマチルダが入ってなんとかその場は収まった。ソファーから少し離れた場所で気持ちを集中させてティファニアが杖を振る。ウォルフは少し離れてその様子を『ディテクトマジック』で見ていた。
「じゃ、じゃあやります……《ウインド》!」
「……」
何も、起こらなかった。ティファニアの体から杖へと流れた魔力は、そのまま虚空へと溶け込むようにして消えた。
残念そうな一同の中で、ウォルフだけは少し驚いた様子を見せていたが、特に何も言わず続きを促した。
「成る程、ちょっと火の魔法も使ってみてくれますか?」
「は、はい……《ファイア》」
また、何も起こらない。静まりかえった室内でティファニアは一人、消えてしまいたそうにしている。
「ど、どうだい? ウォルフ、何か分かったのかい?」
「……何で爆発しないんだ? 性格の問題なのか?」
「は? 何で『ファイア』で爆発するのさ。あんたとは違うんだよ?」
ティファニアの失敗魔法は、そのなんの系統の色も示さない魔力の流れがルイズのそれと酷似している。ただ、ルイズの失敗魔法が爆発を伴うものだったのに対し、ティファニアのそれは何も起こらない、ソフトなものだった。
ルイズの失敗魔法の詳細は既に判明している。魔力素を構成する魔力子の一部を抜かれ、強制的に崩壊させられた魔力素がその結合エネルギーを熱として周囲の物質に放射し、急激に温度が上昇した物質が膨張・爆発するというものだ。ガンマ線や粒子線などの放射線の形態ではエネルギーの放射がなされていないのが幸いだが、かなり危険な失敗魔法だ。
それに対してティファニアの失敗魔法は魔力素崩壊の一歩手前でその作用を止めてしまっている。癇が強く少々強引なところのあるルイズと、どこかおどおどしているティファニアとの性格の違いと言われれば納得できそうな違いだが、いずれにしてもティファニアの系統が虚無で、イメージ次第ではまたコモンマジックなら出来るようにはなりそうだということは分かった。
分からないのは虚無の系統の発現条件だ。始祖の血統にランダムに出るものかと思っていたが、始祖の血統とエルフの血が混じるというレア条件四人の内二人が虚無だという事は、偶然では済ませられない事実かも知れない。
「まあいいや。こっちも何とかなりそうだな」
「本当かい! ティファニアが系統魔法を使えるとなるとは嬉しいね」
「ん、問題ない。それで、とりあえずお二人には暫く誰にも見つからない場所で暮らしていただきたいのですが。少なくともモード大公が釈放されるまで」
「それは、構いませんが、そんな場所があるのでしょうか?」
「とりあえずハルケギニアの外に小屋を何カ所か持っていますので、当面の暮らしはそちらで送ってもらいたいと考えています」
シャジャルには東の温泉地を勧めておき、魔法が出来なくて落ち込んでいるティファニアには今度出来るようにすることを約束した。
温泉地の小屋は最近冷蔵庫や暖房などの快適装備も増えて過ごしやすいし、開拓地からはウォルフの飛行機ならば三時間程だから食糧の補給なども問題ない。五百リーグ程行けばアルクィークの村があるので時々訪れれば寂しさも少ないだろう。
特にそこで過ごすことに問題は無いとのことなので潜伏場所は決定した。問題はこの屋敷に大量に張り付いているらしい間諜だ。彼らに囲まれているのが分かってシャジャル達は移動をすることが出来なくなったと言う。
「あれ、そう言えばマチ姉って卒業式もう終わったの?」
「明後日、ヘイムダルの週の虚無の曜日だけど、別に出なくても卒業にはなるし、行かないつもり」
「それは出た方が良いな。何でもないのに卒業式出ないとか、怪しすぎるし。彼女たちを無事に逃がすまでは、表向きあくまでもエルフなんて知らないという立場を貫くべきだ」
「……テファ達のことが心配なんだよ。そんなに長い時間離れていたくないんだ」
「オレ達を信じてくれるんだろ? マチ姉が動くと間諜の注目を集めることが出来る。いや、いっそ……明日、迎えの車を寄越すよ。ロンディニウムまで送らせよう」
迷わずに指示を出すウォルフに、渋っていたマチルダも結局従うことになった。事態は切迫している。もし、太守が逮捕されたらその時点で逃げ出さなくてはならない程に。
ウォルフ達は一つ一つ確認を取りながら脱出計画を練っていった。