彼は考えていた。
ただずっと、ひたすらに。
なぜこんな事になっているのか、自分は本当に存在しているのか、そもそも存在とは何か。
繰り返される過去の夢の間、未だ曖昧な意識で必死に世界を認識しようとしていた。
永遠かと思われたその世界は、しかし突然に終わりを迎えた。
身体をすり潰されそうなひどい苦しみの後、彼の前に現れた新しい世界はひたすらまぶしい光にあふれ、とても寒かった。
あの不思議と心を落ち着けるリズミカルな音がもう聞けなくなっていることに気づき、あふれる光の中薄ぼんやりと自分以外の存在が動き回っていることを認識し、自分の身体が火をついたように泣き声をあげていることを自覚するに至って彼は自分が今置かれている状況を理解した。
ああ、オレは今生まれたんだ、と。
輪廻転生
そのような考えが存在していることは理解していた。
それどころか彼は弘法大師空海のファンだったので、友人などには「死んだら兜率天に生まれ変わって大師様と一緒に弥勒の元で修行する!」などと宣言していたものだが、まず本気ではなかった。
しかし今現在こんな現実に直面してまったので、考えを改めざるを得なかった。
「輪廻転生、有ります」と。
食事・睡眠・排泄を本能に任せ、赤ん坊の頃の有り余る時間の中、転生について考察することは楽しい事だった。
人が死に、恐らくその体から魂とよばれるものが抜け出る。
存在を人の体に依存しないそれが、どこかで人の受精卵に宿り体と結びつく。
それとも魂がそこにあったから受精するのか。
最早朧気な記憶だが、もし、前世での知り合いに会ったらどんな態度を取ればいいのか。
その場合、輪廻転生を証明することが可能になるのではないか。
その為には前世での記憶を完璧に保っていたいのだが、薄れていってる気がする
世間の赤ん坊は実は皆こんな事を考えていて、成長するに従い真っ白な存在にリセットされるのではないか。
考えることはいくらでもあったが、そのうちに体が成長し、また新しい世界が開かれることになる。
視力が物体を識別できるまでに成長し、まず驚いたことは両親が明らかに西洋人と思われる風貌をしていた事だ。
おフランスかよ?とも思ったが、何となく魂がそんなに長距離を移動することには懐疑的だったため、日本の中の外国人家庭に転生したのかと推測した。
しかしその後見る事ができた人間がすべて西洋人であり、しかも乳母やメイドさんなどもリアルに存在すること、さらに部屋の調度品などから距離どころか時間も超越し、日本ではなく欧州しかも中世に転生したのではないか、との結論に至ってしまった。
彼は中学校の時”私、マリー・アントワネットの生まれ変わりなの”と主張していた同級生の西原さんを馬鹿にしてしまったことを心の中で謝った。
彼女がマリー・アントワネットの生まれ変わりであるとは今でも信じられないが、今の彼にはそのことを100%否定することは出来なかった。
ここが中世のヨーロッパであるとして、次の問題はどこの国であるかということなのだが、これが難しかった。
耳が音を聞き分けるようになっているのに、まったく言語を理解することができないのだ。
英語などのメジャーな言語ではないことは確かなので推測するのは諦めて一から言葉を覚えることにした。
言語とはコミュニケーションだ!ということで、積極的にコミュニケーションの親密化を図る。といっても相手を見つめるぐらいしかできないのだが。
母を見る。黒に近い赤色、という不思議な髪色をしていて、しみ一つ無い肌はどこまでも白く顔立ちはとても整っていて、有り体に言えばすこぶる美人だ。スタイルはとてもいいようでそれは特に食事の時間に実感している。
暫く観察した後、母を見つめてニコッと笑ってみる。
すると元々笑顔だった母がさらに満面の笑みとなって何かを語りかけてくる。心が洗われるような笑顔だ。
コミュニケーションの第一段階がうまくいったのでうれしくなった彼はさらに微笑みながら「あーあー」と言語を発したいことをアピールする。
そんな彼に彼女は自分を指さしながら「ママよ、ママ」と教えてくれる。楽しそうだ。
その優しげな母の様子に心底幸せを感じながらその言葉の意味を理解した彼は、新しい人生で初めての言葉を口にしようとした。
「マ「ほらパパだよー。パパ!」」
「あなたっ何するのよ!。今初めてママって呼んでくれるところだったのにぃ!」
「いやほら、二人きりで世界を作っちゃってちょっと寂しいっていうか、パパって呼んで欲しいっていうか・・・。」
突然に横から母と自分の間に首を突っ込んできた父に幸せな時間をじゃまされた彼は、喧嘩を始めた二人を横目で見ながら『当分パパなんて呼ばないようにしよう』と心に決めていた。
改めて母親に「マーマ」と呼びかけ、「ほ、ほらパパって言ってみようよ!パパだよ、パパ、パパ。」と五月蠅い父親を無視して乳母を指さして名前を教えて欲しいことをアーピルする。
こちらも母に劣らぬ美人さんで、美しい金髪に愛嬌のある垂れ気味の目が印象的である。母よりもさらに若いようで十代にも見え、こちらのスタイルもバツグンなのは食事の時に確認している。
「あら、アンネの名前が知りたいのかしら。アンネよ、アンネ」
「アンニェ」
「そう、アンネよー。ウォルフは賢いわねー」「くっ乳母に先を越されるとは・・」
「マーマ、アンニェ」
母親と乳母を一人ずつ指さしながら確認し、部屋の中にある物を指さしては名前を教わった。
柔軟な赤ん坊の脳は次々にそれらの言葉を覚えて行くので、案外早く言葉を覚えられそうなことを喜んだ彼は、最後に自分を指さし「ウォルフ」と名乗ると満足した様子で眠りについた。
「この子は天才よ、きっと立派なメイジになるわ」
「どうしてパパって呼んでくれないんだろう・・・」