「お待たせ~、お茶ですよ~」
穏やかな午後、お茶当番の私とシンシアは、お城の南側に足を運んだ。
敷地内の一番日当たりがいい、眺めがいい場所だ。
そこで男性使用人が2人、大きな石碑の周囲の手入れにホウキを手に奮闘していた。
「お、待ってたよ」
嬉しそうな顔で真っ先に来たのがジャンだ。今日は外の当番か。こうして外掃除の装備を身につけていると、どこかの大店の丁稚のように見える。青年になりかけの年頃であるジャンは目鼻立ちは悪くないのだが、何気にまだまだ外見がガキ大将っぽいイメージがある。
「御苦労様。もうちょっとかかる?」
「ん~、あとは碑の本体だけだから小一時間ってとこ。さすがに、こればかりは丁寧にやらないと怒られちまうからな。先輩、お茶が届いたっすよ!」
仕事なんだからここ以外も丁寧にやらんかい、と言いたいところだが、これでジャンは仕事ができる人だ。そんなジャンが声をかけると、やや離れたところでチリ取りを持った男の人が振り返った。二十代半ばの線の細い、目鼻立ちが整った優しげな顔立ちの人だ。
名前はアラン。物腰も見た目同様に柔らかいが、もうちょっと覇気があるともっといいと思う。軍隊だとちょっと通用しなさそうな気がしないでもないが、誰にでも優しいので女性の受けは悪くない。快活な好男児なジャンとは対極に位置するような物静かな人だ。趣味は絵を描くことだったかな。その胸元には黒いブローチ。アランもまた風のメイジだ。生まれのことはよく知らないけど、下級貴族の三男坊という噂を聞いている。ジャンは、自分よりも10歳ほども年上のこの人と良く組んで仕事をしている。
「ありがとう。いただくよ」
そんな彼らにお茶を淹れるシンシアの隣で、彼らが手入れをしていた石碑を見つめた。
石碑の名を、『使い魔塚』と言う。
メイジと言えば使い魔。そう思う人は多いと思う。メイジを見るには使い魔を見よと言うくらいだから、メイジにとっては使い魔はとても重要な存在だ。
実際、この国の中核を支えていくメイジを養成している魔法学院では、進級の際の評価の為に『春の使い魔召喚』としてイベント化しているくらいだ。
私もまた、メイジの端くれだから使い魔と言うものにも当然憧れはある。
でも、実際には使い魔召喚の魔法『サモン・サーヴァント』をやる予定は今のところない。
使い魔召喚では、何が召喚されるか判らないからだ。
どういう使い魔を召喚するかは、メイジ当人は選べない。私の実家は、まあ普通より少し経済的に余裕がある商家だからたいていの生き物なら養育はできると思うけど、稀にすごく大食いな使い魔が出て来ることもあるだけに、うっかりした事はできない。動物を飼うのは大変なことだ。犬でも大型犬になると餌を結構食べるし、馬なんか桶でご飯をあげるくらい。ドラゴンなんか召喚したら大変だ。王族ならともかく、平民や下級貴族では毎食豚を一匹食べるような大きな生き物なんか養えない。使い魔召喚ではほとんどの場合がごくありふれた動物を召喚するけれど、稀にそういう大型種を呼んじゃったりするから大変なのだ。うっかり召喚して、ごめん、養えないじゃ使い魔が可哀そうだし、考えなしに使い魔を呼び出す事は最も恥ずべきことというのがメイジたちの不文律でもある。使い魔を飢え死にさせでもしたら、それこそメイジ社会から村八分にされてしまうだろう。
そういう意味では使い魔を呼び出せると言うのは一つのステータスであり、魔法学院に行けるような裕福な家の子じゃないとそうそうやる訳にはいかないものなのだ。
いつかは使い魔を持てるくらいにはなりたい、というのは私のような下っぱのそのまた下っぱのメイジたちの合言葉でもある。
目の前の『使い魔塚』は、そんな代々のヴァリエール家の方々が召喚した使い魔たちのお墓だ。
ヴァリエール公爵家のような歴史ある家の場合、本家の庭には大抵こういった使い魔を祀る祭壇やモニュメントがある。当代の御当主が、日に一度お参りするのを日課にしている家も少なくないと聞く。
それくらい、メイジにとって使い魔は大切なものだ。
多くの場合、使い魔はごくありふれた動物が呼ばれるし、ドラゴンみたいに極端な長寿種が召喚される方が珍しいのは確かだ。でも、それは同時に、大抵の使い魔はメイジよりは短命であり、そのメイジは必ずと言っていいほど使い魔の死に立ち合わなければならないと言うことでもある。
メイジと使い魔は一心同体。召喚した使い魔に、メイジは本当に惜しみなく愛情を注ぐ。それだけに、人間よりも先に老いて死んでしまう使い魔を失った時の悲しみは、とてつもなく深いものになると聞いている。愛玩動物を失う悲しみの比ではない、まさに自分の一部を失うようなものだと言う人もいる。
実際、軍人のように割り切った職種の人たちでもない限り、一度使い魔を失ったメイジは二度と使い魔を召喚しようとしないらしい。私の知っているメイジにも2代目の使い魔を召喚しようとしない人が結構いる。身近なところだと、家政婦のヴァネッサ女史だ。使用人を統べる立場の彼女は使い魔の帯同を公爵家から許されているけど、幾ら勧められても召喚しようとしない。気持ちは何となく想像できる。彼女と彼女の使い魔の間にどのような絆があったのかは、余人の知るところではないのだろう。
魔法学院と言えば、エレオノールお嬢様はこの春に使い魔召喚をされたと思う。詳しい事を聞いてはいないけど、優秀なメイジの彼女なら、きっと素晴らしい使い魔を呼び出したことだろう。
そんな彼女が、いつの日か使い魔を亡くす日が来るのかと思うと胸が詰まる。厳しいように見えて、お優しい方だ。縁起でもない心配だけど、この碑を見ていると、そんな後ろ向きな思考に捕われる。
そんな事を考えていた時だった。
「あら、今から一服ですか?」
凛とした声が聞こえ、振り返ると、メイド長がブラシ類を持って足早に歩いて来るのが見えた。片手にはバケツ。どれも使い魔塚専用の清掃用具だ。
メイジの分身たる使い魔のお墓だけに、碑そのものの手入れはブローチ組の仕事だ。それも、相応に立場がある人だけに任される仕事でもある。メイド長である彼女はその任によく当たっている。
「はい。ちょうど今からです」
「そうですか。ちょっと早すぎましたね」
ややばつが悪そうなミリアム女史に、私は笑って応えた。
「いいんじゃないですか、メイド長も休憩入れても。じゃあ、私たちはミスタ・ドラクロワに回りますから。シンシア、行こう」
「御苦労さま」
歩き出そうとして、私は一息にお茶を飲み干しているジャンに声をかけた。
「あ、それとジャン、悪いけど、ちょっと力仕事あるのよ。少しだけ手伝ってくれないかな」
「ん?」
私の言葉にジャンはアランを振り向くと、アランは笑って
「いいよ、行ってきなよ。しばらくは大丈夫だから」
と朗らかに応えた。
「んじゃ、ちょっと行って来ます」
ジャンを連れてシンシアと私はその場を離れる。園丁小屋に着き、そこでミスタ・ドラクロワとどうでもいい世間話を少々。
「おい」
10分も時間が経って、さすがにジャンが声をあげた。
「力仕事ってのは何だよ?」
そろそろ潮時だ。私は種を明かすことにした。
「ああ、ここまで来るのが力仕事よ」
「何だって?」
事の次第が飲み込めないジャンが首を傾げる。まあ、普通はそうだよね。
「そうね、もう戻ってもいい頃かも」
私の共犯者たるシンシアも、善意の協力者であるジャンに向かって朗らかに微笑む。
「どういうことだよ?」
「さあね~。とにかく、もう戻っていいわよ。でも、できればゆっくり戻ってね」
「訳わかんねえよ」
むう、まだ判らないか。
「判らなかったら、厩舎経由で帰るといいわ。きっと蹴飛ばしてもらえるから」
そこまでヒントを出して、ようやくジャンの顔に理解の色が浮かぶ。お調子者っぽいけど、ジャンはこういうことの機微には結構鈍感なようだ。
「……マジ!?」
「吹聴しちゃダメだよ」
「しねえよ。へえ~、あのメイド長がねえ……」
何だか複雑そうで、でも楽しそうな顔をするジャン。これでこいつは義理堅い奴だから、あちこちでペラペラ喋ったりはしないだろう。もともと、味方に引き込むつもりだったのだからいい機会だ。
「さっきもあの時間に秒単位で正確なメイド長が、早く来すぎたって言ってたでしょ?」
「言われてみればだなあ。近寄りがたいように見えて、案外可愛いところあるんだな、あの人」
「アランの方も、そう憎からず、って感じだと思うけど?」
宙を仰いで、これまでのことを反芻するジャン。やがて腕を組んで唸りだした。
「気付かなかったなあ……お前ら、こういうこと面白い事はもっと早く言えよ」
そんな楽しそうなジャンに、シンシアは眉を顰めた。
「からかったりしないで見守ってあげてね」
「しねえしねえ。あいつらくっつける方がからかうより面白いじゃねえか」
これで男側の方にも『アランとミリアム女史を応援する会』の会員を確保できた。
他人の恋路はよその国の戦争くらい面白いという人もいるが、そういう目的はさておき、何とかうまくくっついて欲しい二人だ。二人ともいい人だし、私も二人が好きだ。でも、双方ともに生真面目で奥手なのが問題だったりする。火を点けるには苦労が要りそうだ。
そんなことを考えていると、ミスタ・ドラクロワがおやつの焼き栗を持ってきてくれた。
役得の味わいを堪能する、そんな午後。