粉々に
イザベラ
なぁに? 叔母様
シャルロットのこと……好き?
大好きよ!
そう……これからも仲良くしてね……ずっと……
もちろんよ! だってわたしとシャルロットは……
「あ……」
嫌な夢を見て目が覚めた。
館の中は静まりかえり、しわぶき一つない。イザベラを守り、また追いつめ、閉じ込める冷たい豪華な牢獄。天蓋つきの寝台から垂れる布越しの世界は暗い。
今はもう狂ってしまった叔母が、とても優しい顔をして自分に頬笑みかけていた遠い日々の夢。その残像を首を振って追い出そうとしてイザベラは失敗した。
寒い。
とてつもなく寒かった。
痛みすら感じるほどの寒さに、彼女は発作的にサイドテーブルに置かれたベルを鳴らそうとしてやめた。無能姫のかんしゃくで夜中に叩き起こされるメイドの図がふと頭に浮かんだのだ。
積み重ねられた罪、塗りたくられた悪評の上に、さらにほんの一さじ一悪口が載せられるのが、今さらどうというのか。自嘲の笑みを浮かべて再びベルを取ったが、結局イザベラはそれを鳴らすことはなかった。
そのかわりに、布団を頭から被って丸くなった。
今、もし、父王が突然に崩御したとして、オルレアン派があの娘を担ぎあげてクーデターなりおこしたとして、彼女を守りかばう人は、一人としていないだろう。
それどころか嬉々として、簒奪者の無能な我がまま娘に石を投げ、広場に引きずり出し公開処刑をするだろう。間違いなく。それだけのことを父はしたし、自分もしたのだ。
何もしなかった。
イザベラの地位にあってそれは罪なのだ、恐怖のあまり、保身のために、自分は何も……何一つしなかった。用意された父の手のひらの上で、自分の本心すら無視し続け、精いっぱいの道化を演じていただけにすぎない。
あの時、すがるように見つめてきたシャルロットを、突き放したのは自分なのだ。
イザベラは聡い娘だった。
魔力のほどだけが才能であるならば、その能力はまったく無駄な能力だった。ほぼ直感的に、周りの人間の本心をなんとなく察してしまう能力。幼い子供だけが持つようなそれを、彼女は運悪く持ち続けてしまった。
だからこそ、自分をまったく愛していない父に怯え、周りの人間が思っている自分への悪意を表面に出させようとした。
わたしが全てお膳立てを整えてあげる、だから思う存分バカにすればいい、わたしはそのことを全て知ってるんだから……
歪んだ奇妙な優越感。
表面だけ取り繕われているよりも、あからさまなそれの方が、よっぽど心が休まったからだ。ガリアの王女は、陰険で傲慢で偏屈でかんしゃく持ち。魔法の力第一と、何をやっても覆らない評価。憤りは諦めになり、悪い方への開き直りとなった。
嫌われ、憎まれる行動を繰り返した。
ささいなメイドの失敗もあげつらい、鞭打ち、怒鳴り散らした。
時期的にどう考えても手に入らない物を、食べたいとわがままを言って散々困らせた。
いい気になってなどいない。
知っているだけだ。
こんな生活は、いつか必ず終わるのだと。
そんな中で、あの娘だけが不思議だった。
心が読めない、感じ取れない。自分を憎んでいるはずなのに、自分を、父を、心の底から恨んでいるはずなのに。否、父のことは殺したいほど憎んでいるのは間違いない、いつもの人形のように無感情な目つきではなかったから。
布団に顔を埋め、とろとろとまどろんでいると、先ほど見た夢のせいか、やけに昔の事が思い出された。
イザベラー! ご本読んでー
もう、シャルロットは本当に勇者様のお話が好きなのね
うん、だーい好き。シャルロットが危ない時とか、助けに来てくれるのよ
わたしにも来てくれるかしら
ううん、イザベラが危ない時は、シャルロットが助けに行くよ!
シャルロットのすごい魔法で、イザベラを守ってあげる!
その頃から、既にイザベラとシャルロットの魔法の才の違いは大きかった。無能の娘はやはり無能なのだと、影で言われていることをイザベラは知っていた。だから、まっすぐに純粋な瞳で言われた言葉に、怒りと嫉妬と何かどす黒いものを彼女は感じた。
許せないと思った。
傍で見ていた誰もが従姉思いのシャルロット姫の心映えを、愛らしいと、健気と褒め称えこそすれ、傷ついた姉姫の心には気づかない。その場でシャルロットにどう答えたのかは記憶にないが、ふらふらと自室に戻ったイザベラはもっと恐ろしいものを見てしまった。
鏡の向こうにいる自分が、父と同じ目をしていることに。
ここ最近さらに強くなった気がする、父と叔父の軋轢。傍に居るだけで胸が苦しくなるほどの緊張感。
たった一人の兄弟として、互いを思いあっていることは間違いないはずなのに、そこに横たわるのは冷たく黒い何か。
どうして誰も気づかないのだろう、父が叔父を見る目。
その目と今のイザベラの目が、同じだった。
自分は父とは違う。一呼吸で否定して
自分は父と同じだ。すぐさま肯定する。
心の底から愛している。シャルロットのことが大好きだ。でも憎い、誰からも……もちろん両親からも……愛されて、魔法にたけたあの子が憎くてたまらない。ぎゅうっと両手を握りこむ。
そのまま振り上げて、叩き割る。
歪んだ像が無数にひび割れて、鮮血とともに、床に落ちた。
踏みつぶし、さらに粉々に割っていると、シャルロットが走りこんできた。
あの時、あの娘は何と言っただろう。どうしたの? それとも、ごめんね?
違う、
「イザベラが痛いからやめて!」
だった。
今思えば、あの一言で自分は父にはならなかったのだろう。もしも謝りなどされていたら、それこそイザベラは一生消せない呪いのような思いをシャルロットに抱いていたに間違いないのだ。
早く全てが終わるといい。
寒い。
寒くてたまらない。
「シャルロット……」
眠りに落ちながら、イザベラは、ひとしずくの涙を流した。
終