雨の日
なんて、ダメな男なんだろう……
口に出してこそ言ったことはないが、盗賊のフーケことマチルダは何度もそう思った。第一印象こそ、キレ者ではあるのだろうが、あまりにも胸糞悪い、怪しげな、顔を隠した男だったのだが。
確かに戦闘能力は高い、風のスクウェアというのは伊達ではなく、最高クラスの呪文である遍在を扱えるくらいである。
だが、それだけだ。
どうしようもないくらい、「それだけ」なのだ。戦闘能力「だけ」は高い、まるで使えない男というのが、マチルダが出した最終的結論だった。うん、使えない。
根本的に生活能力がないと言い換えてもいい。平民的常識がないのは、まあしょうがないので大目に見ておく。
一応、騎士の従者として数年過ごしただけのことはあり、道具の手入れと裁縫らしきことができないこともない、だがヘタだ。おそらくこの技能を上げる前に、グリフォン隊員として大抜擢されてしまったのだろう。
頭の回りは悪くないと思うのだが、金銭的駆け引きは惨憺たるものである。そりゃあ領地経営を、デキる家令に丸投げしていたらこうなるはずだ。ワルドの質素倹約思考はあくまでも家という大きな単位でなされていて、個人ではどこをどうしていいのかわからないらしい。うん、ダメ男だ。
確かに、あの監獄から出してもらったという恩義はある、あるにはあるが、もうとっくに返し終わっているような気もするのもまた事実。レコン・キスタも崩壊し……なんでどうして、あたしはこんなダメ男とつるんでるんだろう……
怖い結論が出そうになって、あわててマチルダは頭を振った。
ああ、もう、頭が痛い。
出会ってつるんでそれからの、悲惨な思考が止まらない。
苦労はしたみたいだが、元は貴族のおぼっちゃんだから、金はどんぶり勘定だし、使い方は極端で荒いし、出来るっていうからちょっと服を繕わせてみればミミズがのたくった方がマシレベルだし、料理もできるっていうからさせてみたら、野戦型大量適当大雑把の完璧男の料理だったし……
変な所で貴族のプライド残してるし。いや、それよりもどうでもいい所でプライド高いし。なのに、強いはずなのに、妙に危なっかしい。
何度も分かれ道で別れ話を出してみた、互いの命を助けたんだからこれで貸し借りなしだと。そうだな、とか当然だ、とか言いながら、テファのところのあいつらみたいな目で見やがるから、しかも本人気付いてないから、ここまでずるずるときてしまったのだ。
あんただって、何か自分より大切なもののために何もかも捨てたんだろうに、どうしてそんな。
どうしてそんな。
あんな、目を。
自分の人のよさにあきれるよっ! まったく!
アルビオンのあの戦いで、ふた親を亡くした子供に、うちに来るかい? と尋ねた時と同じような目をしてんじゃないよ、イイ年のおっさんのくせに!
これが、ほだされてしまったということなのか。
「ああもうっ!」
最悪だ。
マチルダは、ばしーんと、せっせとこねていたパン生地を、台に叩きつけた。
おかしい、自分は男の趣味がこんなにも悪かっただろうか。
こめかみをもみほぐしたいが、手は粉だらけだ。
とんでもなくお尋ね者の二人の新しい隠れ家は、町中から少しだけ離れた小さな一軒家だった。
サウスゴータに仕えていた使用人の旧家で、マチルダは自由に使っていいと言われている。まさか、そのお嬢様が犯罪者になり、しかももっとタチの悪い男と逃避行しているとはその爺やも思うまい。
ともあれ、久しぶりの廃屋を模した……ほとんど廃屋だが……隠れ家とは違い、普通の家としての機能が備わっているそこで、彼女は普通の食事をしてみる気になった。
外は雨、今日は出歩くこともない。
ほんのささいな、思いつき。
貴族の家にもぐりこむために、何気に身に付けたパン焼き職人の技である。
この、どうしようもない怒りを叩きつけるのにちょうどいい、とも言う。
「マチルダ」
「なにッ?!」
命じていた根菜の皮むきが終了したらしい、ドアの向こうで、目の高さでバケツを振っている。義手の訓練も兼ねると言いつつも、こういった仕事を特に嫌がらずやるのは、この男の数少ない美点の一つだ。
見れば、大分皮部分が薄くなり中身が大きくなっている、最初の頃とは大違いである。
「パンが焼けるというのは本当だったんだな」
「あんたと違って、色々する必要があったんで……ねッ」
また、生地を叩きつける。そうさ、色々あった。何でもした。あの子のために。
「竈に火をいれて、それ煮といて、買っといた香草もいれてよ、一袋じゃな……」
「わかってる、一束。もう一度言っておくが、あれはああいった香草を見たことがなかっただけで、言ってくれたら一袋開けるなんてバカなことは……」
「はいはい、覚えてくれたらいいから、さっさとする!」
あの出費は、なにげに痛かった。
本当は、あんな高級品なくても出来る料理、使うのはマチルダのこだわりだ。昔の、サウスゴータの、豪華で、温かい食卓の。それまで切り捨ててしまうことは、できなかったのだ。あの子を守るためになんでもすると誓った、ささやかな例外。
パン焼き窯までは、さすがにないので、マチルダは竈に載せた重い鉄鍋で焼くことにした。
雨はどうやら本降りになったようで、ひっきりなしに屋根を叩く音がする。ワルドは何をしているのだろう。
一人は寂しい。
それも、ここまでずるずる来てしまった理由の一つだ。テファに会いたい、でも会っても本当のことは言えない。仕事でつきあう輩には、もちろんあの子のことは言えない。マチルダとフーケの両面を知るものは居ない、居なかった。今まで。
「出かけたのか……」
ふと玄関口を見ると、雨具が一つ、なくなっていた。この大雨に、何を思ったのか知らないがご苦労なことである。
しばらくして、パンが焼きあがり、煮込みに味が染みたころ、ワルドが帰ってきた。手には、少々痛み加減の果物を入れた籠。
「大丈夫、値切ってきた」
「いや、そういう問題じゃなくて」
値切っても無駄遣いは無駄遣いとか、実はボられてるんじゃないかとか、なんでこんな大雨の日にとか、やっぱりダメ男だわとか。
「デザートは必要だろう」
なんでこんなに、正確に射抜くのかこのダメ男は。
元貴族のぼっちゃんじゃなきゃ、思い浮かばない発想すぎて嫌になる。
「当り前だろ! さっさと皿出しなよ、冷めるじゃないかっ」
終