最初にエレオノールがそれに気づいたのは、2週間と少し前のことだった。
アカデミーにも研究用としてある「場違いな工芸品」、その中でもさらに場違いかと思われがちな「人形」の服が着替えさせられていたのである。
いったい何の素材で作られているのか、エレオノール的にムカつくことに幼い子供のような顔をしていながら、胸部だけは牛なみという「人形」は、この間までやたらと胸部分と臀部を強調する布地の少ない服を着ていたはずなのだが。
なぜか今、目の前にあるそれは、メイド服を着ている。さらに奇妙なことにメイド服の丈が異常に短い。
思わずひっくり返してみたが、ちゃんと白いズロースも身につけている。革靴とソックスまで。
それをきっかけとして、異素材錬金研究用の「人形」は、数着の服持ちになった。
男どもがニヤニヤしながら時々隠れ見ているのが気持ち悪いし不気味ではあるが、彼女は特に非難することも、問いただすこともなかった、それを見つけるまでは。
細身の女性の「人形」。
珍しく、凹凸の激しくない……姿である。
思わず自分を重ね合わせて、こっそり汚れをはらったり目立つ所に飾ってみたりしていたその「人形」が、着替えている。
エレオノールは、母のライトニングクラウドが直撃したような衝撃を覚えた。
肩と背中のラインが強調された、魅惑的で刺激的なドレス。
あえて前面の胸元を隠した、胸部のボリュームのなさを逆手にとったスタイル。これでちらりと後ろを振り向いたらとてつもなく……いい……のではなかろうか。
おおぶりのアクセサリーは、いくつもの繊細なパーツで連結されていて、微妙なバランスを持っている。牛胸の女だったら、形を崩し、だらしなさが先立つだろうデザイン。つまり、絶対似合わない。
まさに、私のためにあるような服!
皺になるほど服と「人形」を握り締め、エレオノールは思った。これなら、と考える。先日バーガンディ伯から来月新しくできる歌劇場のこけら落としに、一緒に行きませんかと誘われているのだ。
焦っているとは、まかり間違っても言いたくはないが、家のためにもカトレアのためにもこれでキめてしまいたいのもまた事実。
これなら勝てる。
何にどう勝てるのか既に意味不明だが、令嬢は真剣である。何より、自分が、この服が着てみたい。それが全てだ。
すぐさま担当の研究員をしめあげて吐かせ……もとい尋ねて聞き出し、服を作ったのが出入りの業者の使用人だという情報をエレオノールは手に入れた。こけら落としまでほぼ一カ月、ドレスを作る手間暇を考えるとギリギリの時間だ。
そもそもその娘が実際大貴族の令嬢のドレスを作ってくれるのかという問題もあったが、そういったところは彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
そして、今日、個人的に呼びつけるべきかと悩んでいたエレオノールの前に、くだんの娘は前触れなく現れた。上司から何を言われてきたのか、ガチガチに固まり、今にも泣きださん勢いである。
「は……初めまして、ミス・ヴァリエール。ガブリエルと申します。あの……わたしに何か粗相がございましたでしょうか?」
年はいくつぐらいなのだろう、一番下の妹と同じくらいだろうか。小柄で、やせぎす。クセの強い茶色の髪を無造作に後ろで束ねている。そばかすだらけの顔は愛きょうはあるが、美人とはとても言えない。貧相な肢体は娘というよりも子供じみていた。
このぱっとしない小娘からどうしてあんな魔法のような服が出来上がるのか。小動物のようにびくびく震えているただの平民の娘なのに。
エレオノールは、「人形」を取りだした。
「この服を作ったのはお前?」
「お、お気に召しませんでしたか! 申し訳ありません、同僚にもちょっと派手すぎるとか見たこともないデザインだとか、背中を出すなんてはしたないとか言われてその、あの……でも……」
「この「人形」によく似合うと」
「ええそう、そうです!」
パァっと花が咲くようにガブリエルが笑った。すぐさま口元押さえて真っ青になったが。
「この服、人間のサイズで作れる?」
「生地が揃えば……でもわたしそんなお金ないですし……」
「作れるかどうかを聞いているのよ」
「は、はいっ、作れますっ」
「私の服を作りなさい」
「はぇ?」
ガブリエルは面白いほどぽかんとした。今よりももっと幼い頃のちびルイズに似ていた。エレオノールは口元が少しだけゆるみそうになった。
「期間は一カ月以内。費用に糸目はつけない。できるの? できないの?」
「いえ、でも、わ、わたしなんかが、でも、そんな、あああううう」
両手を頬にあてて、ぶるぶる震えているさまはまさに小動物。
「できるかできないかを聞いているのよ」
「できますっ! でもこの色とデザインじゃなくて、ミス・ヴァリエールならもっともっとお似合いな素敵な色がありますですよですっ! ど、どうしようお金があったらあのレースやチュールも使える。宝石も本物でできる。しかも、こんな綺麗な人に着てもらえるなんて、もしかして、ゆ、夢?」
ガブリエルはおもいっきり自分をひっぱたいた。
「い、痛い」
涙目になってしゃがみこむガブリエル。
エレオノールはこの娘にドレスを発注したことを、少しだけ後悔した。
次の日からガブリエルは、ばりばりと精力的に動き始めた。
ヴァリエール家と貴重なツテができるという算段もあり、通常の仕事を免除されたのをいいことに、トリスタニアの布問屋を何軒も梯子し、気にいった生地を吟味する。
さらに、希望通りの染料を求めて郊外まで足を延ばす。リュティスで服飾の店を出すのが夢だと言っていた少女は、生地の確認デザインの選択採寸仮縫いで、足しげくエレオノールのもとに通った。
本当にお美しいです。よくお似合いです。素敵です。殿方の目は釘づけです。
嘘偽りのない賞賛の言葉は、やはり女として心地よい。
「ガブリエル、リュティスではなくトリスタニアに店を出す気はないかしら?」
「祖母の家があるので……そこをお店に改造しようと思っております。でも、もっともっとお金をためてトリスタニアにも支店が出せるようがんばります」
平民相手のたわいもない会話に、これだけ心なごんでしまうとはエレオノールもついぞ思わなかった。キラキラした瞳で夢を語るガブリエルに、アカデミーに入ってから、間遠になってしまった下の妹を重ね合わせてしまうなんて。
昔の自分を思い出してしまうなんて。
目の下に隈を作って、幾日も徹夜してふらふらになりながら、それでも好きなものが好きなように作れて嬉しいと喜んでいるガブリエル。
自分も同じだとエレオノールは思った。
大好きな研究のために、目の下に隈を作ろうと、徹夜しようと、新しい発見があり新しい真実が見えるなら、それはもう幸せなのだ。
ひと月たち、ドレスは無事納品された。
ガブリエルは祖母の具合が思わしくないからとそのままトリステインを去り、ガリアに帰ることになった。別れは存外あっさりしたものだったが、背を向けたとたん抑えきれない娘の嗚咽が聞こえて、いたたまれなくなる。たかだか知り合って一カ月の平民に、と考えようとしたが、言い知れぬ寂しさに、自分に嘘はつけなかった。
そして、満を持して歌劇場に出かけたエレオノールは、かなりの数の男、さらには女が自分を見てくることに気付いた。中には二度見してくるものまでいる。婚約者である伯爵が、軽く息を吸い込むのもわかった。
胸なんて関係ないわね。
この姿であるからこそ映えるドレス。
背中の開きは大胆でありながら、大貴族の令嬢としての上品さを失わない。二の腕の半ばまで隠すシルクレースの手袋、胸元ではなく喉元に視線を集め、飾る真珠と黄金の首飾り。
歩くたびに優雅にゆれるドレープとフリル。甘さを押さえた大人の花飾り。あえてコルセットで押さえつけず、自然のままのウエストライン。
館のメイド達にも大好評だった。
エレオノール自身も、これできまった。
と、
思って、いた。
その時まで。
婚約者と馬車に乗るその時まで。
「ミス・ヴァリエール。その、背中は……」
色々迂遠ではあったが、一言でいえばよくない、と婚約者は言った。大貴族の令嬢たるもの、そのように背中を出すものではない、と。
だったら、胸元はいいのか。
まずエレオノールはそう考えた。最新ドレスはどれもこれも胸元を強調ばかりしている。あれだけ惜しげもなく、はしたなく胸元をさらすのは大貴族の令嬢としていいのか。それを口に出さないだけの理性は残っていた。美しいですお綺麗ですお似合いですと、いつも言っていたガブリエル。
キラキラした瞳で夢を語っていたガブリエル。
ヴァリエール公の手前、口に出しては言わないが、伯爵が、エレオノールにアカデミーをやめて欲しいと思っていることも知っている。
これできまった。
自分は自分で好きなようにやる、婚約者がついてこれないなら、それはそれまでのこと。できれはついてきてほしい、それも本心だったが。
明日も実験ね。
エレオノールは、思った。
終