晴れ後曇りの日
設定は夫婦もの、それしかない。
血縁関係騙ろうにも、当然のことながら似ていなさすぎる。
兄妹? ないないないない絶対ない。
人目を憚る貴族サマとの駆け落ちという設定も考えなくはなかったが、自分の精神衛生上特に悪いので早々に却下。
ロマリアへの巡礼者夫婦が一番無難だが、行こうとしている方向が違いすぎるのであきらめる。
結局第二案、「王都で夫婦働いていたが、旦那の父親の具合が悪くなり田舎に帰って家を継ぐことになった今帰郷中」に落ち着いた。無難だが、まあこれでいいだろう。どんな仕事をしていたかとか実家の家族構成だとか他の細かい設定は、道中おいおい考えていくということで。
うん、まずはこの方向性だ。
できれば、荷馬が欲しかったが、そこまで贅沢は言えない、そもそもそんな家畜は戦争でほとんど持っていかれてる。ふっかけられるのもイヤだし、そこから足がつくのはもっと嫌だ。換金出来るものはフーケのつてでなるべく小額換金してきたが、処分し辛い特徴のマジックアイテムは、かなりかーなーり足元を見られた。
あのネズミ顔の男、次に会ったらきっちり今回の分と差引帳尻あわせて、尻の毛まで抜いてやる。
フーケことマチルダは、美しいが目立つ色の髪をガシガシと茶色に染めながら考えた。この大騒ぎの中、ご丁寧な人相描きなどまわっていないとは思うが、念には念をいれるべきだろう。そうだよ、油断なんてするもんじゃないよ、わたし、またあんなお荷物を拾うハメになりたいのかい?
やだやだ。
ちょっと色が暗めの粉おしろいをはたき、てんてんとソバカスをつける。自分の容貌がいいことは自惚れではなく事実だ、そして今はそれを武器にする時じゃない。
かといってイモくさくしすぎてもいけない、あくまでも都会で少し暮らしていたという設定があるのだ。
そんな、脳内で緻密にこれからの予定とか設定とか計画を立てるマチルダに、情けない声がかかった。
「どうしても……剃らなくてはダメか……?」
「もちろんじゃないか」
本人気付いているのかいないのか、斜め前で洗い桶と手鏡を前に、ものすごく力の抜けた顔で髭そりナイフを握り締めている男に、彼女は力強く頷いて答えた。
「印象ってもんがガラリと変わるからね、まあ捕まりたくてたまらないってんなら別にそのまんまでもいいけど。あ、でもその時は力いっぱい見捨てるから」
苦虫を噛み潰したような顔とはまさにこのことなのだろう。一応命の恩人は、渋い顔をして彼女と髭そりナイフを交互に見る。
マチルダ的にクソみたいなプライドだか思い入れだかをどうしても投げ捨てたくないらしい。これだからお貴族様は!
自分もかつてそんな無駄に誇り高いお貴族様だったマチルダは、ずいっと男に向かって一歩足を踏み出した。
「いいかい? あたしだって命は惜しいんだ、あんたのどうでもいいプライドだかなんだかしらないけど、そんなのと心中するのはごめんだからね!」
「……わかってる」
本当だか。
それでも男は、悲壮な顔をしたまま果敢にナイフを頬にあてた。
こういった面で素直なのはこのダメ男の数少ない美点の一つだとマチルダはこればかりは認識を改めることにした。女だからとか女だてらにとか言わないのはいいことだ。
頭ガチガチカビ生えクモの巣はりまくりトリステイン貴族の、さらに生え抜きの魔法衛士隊にしちゃあね。
「なに、また伸ばせば済むことじゃないか。それにそっちの方が若々しくて断然いいよ?」
「童顔になって嫌なんだ!」
「言われたんだ」
「…………」
図星だったらしい。
確かに、今はあのもっさりした髪形も服装も変えているので、元の男を知っている人でもすぐにそうと気づく者は少ないはずだ。そう、若々しくなっている、無駄に。
「わかった、この眼鏡を貸してあげるよ。これでどこかの書生……には見えないか、あんた立ち居振る舞いがアレすぎるんだよ。平民はもっと隙がないと。じゃあこっちの眼鏡だ、度が入ってるから、自然と動きが悪くなる」
「何がしたいんだ、マチルダ!」
「変装」
きっぱり答えて、こんな事もあろうかと袋から度の入った眼鏡を取り出す。本当は機会があれば売ってしまうつもりだったのだが、どこでどう役に立つのかわからないものだ。
「おい、視界がぐにゃぐにゃして気持ち悪いんだが」
「そこはスクウェア的才能でどうにかする」
「バレるから杖を持つなと言ったのはお前だぞ、魔法なしでは無理だ」
「やっぱり無理か」
「当り前だ……つッ」
どうやら髭そりナイフを手にしたままごちゃごちゃしたせいで指を切ったらしい、普通の生活人という大事な所が、実に間抜けでダメな男だ。
「ったく手間ばっかりかけさせる男だね。見せてみなよ」
スクウェアクラスの風魔法を操る男は、こういった水系の魔法がまるでダメという、本当に本当に潰しのきかない、使えない男なのである。マチルダは短杖を握ってその切り傷を治してやった。
「なに?」
気づくと、ワルドがまじまじとなんともいえない目で自分を見ていた。
「……いや、その、ありがとう」
「生憎と、安宿の女郎じゃないから舐めて治したりしないよ? 期待されてたんなら悪いけど」
「絶対にそれはないっ!」
「それはそれで、なんかムカつくね」
「とりあえず、眼鏡はいらない、残りはちゃんと剃っておくから見張ってなくていいぞ」
「はいはい」
本当は気付きたくなかった。
だからごまかした。
でも、ごまかしきれなかった。
テファの所の子供たちの怪我を治したやった時の目とよく似ていたということに。でないと、自分にダメージ大きすぎるではないか。【おかあさん】と言いだしそうな、もういない温かい存在を重ねて見られていたなんて。
しかも! 自分より! 年上の! 男に!
「ううっ」
よろめいた。
やはり大ダメージだった。
そして嫌な予感がした。このままこのダメ男とずるずると行ってしまうのではないかという予感。残念なことにこの予感は大当たりしそうだった。
「この国を、うまく出られたら速攻で捨てよう、そうしよう、そうするんだよ」
それが当然無理だったことはまた別の話。
終