「おお、おお、シルフィードここにおったのか」
声はすれども姿は見えず。
ロビンやフレイムといつものように学院の裏の森でどうでもいい話をしていたシルフィードは、頭に疑問符をいっぱいくっつけながら長い首をぐるぐるとしながら辺りを見た。わからない。
「ここじゃ、ここ!」
やたらとジジ臭い、なのに妙に早口な甲高い声。今度はじっと目を凝らしながら少しずつ視界を移動してみる。わからない。豊かな緑あふれるここは、小動物が身を隠せる場所が多すぎた。もちろん声をかけてきた本人は、隠れているつもりなど毛ほどもないのだろうが。
フレイム達もそれぞれがそれぞれに声の主を探しているようだが、誰も発見の声をあげない。
「ど、どこなのねー?」
「ああ、うん、この臭いはモートソグニルじゃないかな?」
「そうだそうだ、この温度はタヌキジジィのネズミだろ」
「そこに居るじゃない、ちょっとシルフィ、【小さく】なった方がいいわよ」
モートソグニルと言えば、ここのなんかエラい人の使い魔で、ネズミだった。
確かに竜サイズのままのシルフィにでは見つけにくいはずである。わかってしまえば、後は簡単とシルフィードは人間の姿を取った。服を身につけろと命じられることがなければこの姿にはさして抵抗はない、小回りが利いて以外に便利な所もあるし。
ちょーんと草の上に正座する裸の妙齢の美女を囲むアレな生き物達、傍から見たら、変以外の何物でもないが。
それを見届けたモートソグニルは(下手に出るとつぶされるため、人間サイズになるのを待っていたともいう)、使い魔達の前にちょこちょこと出ていき、よっこらせっと掛け声をかけつつ背中に背負っていた焼き菓子を下におろした。
「いやー、年を取ると腰に堪えるのー」
「…………」
なんとも言えない表情で黙りこむ一同を前に、偉大なる老人の使い魔は、器用に二本足で立ちあがり、くっきくっきと腰を動かした。どうやって背負ったのだろう……という素朴な疑問をシルフィが素直に口にする前にネズミは、焼き菓子を竜の少女に突き出してきた。
「これは話を聞いてもらう駄賃じゃ」
「…………」
羽ペンの先のような手でちんみりと渡された焼き菓子二枚を前に、シルフィードは喜びつつも、まさか一口でばっくり食べてしまうわけにもいかず、微妙な表情のまま固まった。
「わし、もうすぐ死ぬんよ」
「えっ」
「あのっ」
「そのっ」
「あー……」
「驚くほどのことでもないわな。お前さんらと違って寿命短いんじゃ、そこのカエルのお嬢さんならわかると思うがの」
「……そうね、確かに使い魔になれば、普通のカエルよりも寿命は長くなるって、聞いたことはあるわ、モンモランシー様から。でも、」
でも、カエルはカエル、鳥になったり犬になったりはできない。寿命もしかり、だ。
そんな残りの言葉を飲み込んで、ロビンはきょろりと目を動かした。
「いや、いやいやいや、待ってくれないかな、オールド・オスマンの使い魔といえばネズミのモートソグニルだろ? ずっと」
「わし、何十代めかのモートソグニルじゃよ? そうご主人さまがおっしゃったんじゃよ?」
つまり、オールド・オスマンは何度も使い魔を召喚し、そのたびにネズミだったということで。
使い魔は運命とは言うが、これは何というかどうだろうという気分にこの場に居た大半の使い魔達は思った。ご主人様から仕入れた知識では、かなりスゴいメイジのはずなのに、どうしてネズミなんだろうという。
いや、ネズミを使い魔差別するわけではないのだが。
「それで、シルフィ何を聞けばいいのね? これ美味しいのねー」
結局一口でパクリといった風韻竜。
「お前さん、人の言葉がしゃべられる。そうじゃろ?」
疑問の形を取っただけの確認にシルフィードはこっくりと頷いた。もちろんお姉さまに口止めされていることを言うことは忘れない。お肉大事、お肉食べたい。
使い魔達にはバレバレだが、彼らはご主人様に言葉での意思疎通はできないので問題はない。
「無理は言わんよ、ただ……わしが死んだ後に、ちょーっとだけご主人さまに伝えて欲しい言葉があるんじゃ……」
先代のまた先代の、そのまた先代の、初代の、数多くのモートソグニルが思い願い、だがなしえなかったこと。
ある日彼らは「ネズミ」から「モートソグニル」になった。「ネズミ」ではありえない生をいきることになった。あっという間の小動物の一生だが、使い魔としてのそれは多くの満足を与えてくれた。
少なくとも今代のモートソグニルはそうだ。
偉大なるオールド・オスマンの使い魔となることで、色々わかったことや想像したことがあった。初代を召喚した時の落胆ぶりだ。
ネズミ。
ただのネズミ。
そりゃあ、がっかりするだろう。自分に才能があると思っているなら、なおさら。
「だけど、ご主人さまは、わしがいいとおっしゃるんじゃ。わしらだからいいと。小心者で臆病者で相手の裏を知らねば恐ろしいと思っている偉大でも何でもない自分に似合いの使い魔じゃと」
おなごの下着を見るのにも丁度いいと、モートソグニルのご主人は笑う。
「わし……わしら、またご主人様を一人にしてしまうのう……」
「なんとなくわかる気がするわ。わたしも、シルフィはもちろんヴェルダンデやフレイムよりも早く、モンモランシー様を置いていってしまうもの」
「ロビン……」
「カエルとしての生をまっとうすることは出来なくなったけれど、まったく後悔なんてしてないの、ただ、それをモンモランシー様に伝える術がないことは、その、悲し……嫌だと思うのよ」
この場にいる者すべてで、主人よりも間違いなく長生きするのはシルフィードだけだろう。だからこそ皆は一様に押し黙った。自分達はあくまでも使い魔にすぎず、もし命を落とすことがあれば、ご主人様達よりも先だ。
あの呼び声に応えた時から、この運命だけは決まっていたのだ。
寂しくはない、辛くはない悲しくもない、ただ、ロビンはぼんやりと嫌だと思った。
「シルフィ、モートソグニルやロビンがいなくなったら、寂しいのね! 悲しいのね! きっとガクインチョウもモンモランシーも寂しいし悲しいのね!」
「へっぽこのくせに、深いこと言うんだな、青いの」
「そうだね、悲しいのも寂しいのもギーシュ様達の方だからね」
「そうね、モンモランシー様に、そんな思いをさせてしまうことが、わたしは嫌なのよ。そう、悲しいじゃないわ、嫌なの」
コトリとはまった自分の言葉のピースに、ロビンは頷いていた。ヴェルダンデはロビンは見て、ゆっくり一度頷いた。フレイムは黙っていた。
シルフィードにはよくわからなかった。どう考えても仲の良い使い魔の友人達がいなくなってしまったら悲しいし、寂しい。それに、もし、もしも、自分が死んでしまったら、大切な大好きなお姉さまに二度と会えなくなるということで……想像してぞっとした。
恐ろしかった。
だからそれをそのまま口にした。
「……青いのは、相変わらずへっぽこだな」
「な、ななな、なんなのねっ! フレイムにそんなことしみじみ言われる理由なんて、ないのねっ!」
「まあ、シルフィだし」
「ロビン?!」
「シルフィのいい所だと思うよ、ぼくは。うん」
「ヴェルダンデまで、そういうこと言うのねっ?!」
「後悔なんぞこれっぽっちもしとらん」
いつものようにいつものごとく、軽口の応酬になりかける四匹を、この場でもっとも小さな一匹が止めた。
「そう言うてくれたら嬉しいのう。それから、ありがとうと伝えてもらえば、尚よいな」
「よくわからないけど、わかったのね」
小さなネズミは満足げに頷いた。何度も何度も頷いた。
「いつになるかはわからないのね、お姉さまが許してくれないと無理なのね」
「なぁに、いつでも……十年後でも二十年後でも」
これで用は済んだとばかりに、ちょっこりちょっこり歩き去っていく小さなネズミの背中がやけにシルフィードには大きく感じられた。理由はわからないのだけれど。
「新しいモートソグニルを、よろしくのぉ」
一度だけ立ち上がり、ひらひらと背を向けたまま小さく手をふった彼を、四匹はずっと見送っていた。
ずっと。
終