一
地獄堂とよばれるお堂に、四十八体のおぞましい像、魔神像と呼ばれる彫像がある。
とある仏師が、人を恨み、世を恨み、彫り抜いた。人を殺しさえするという、曰くつきの代物だ。
魔神たちが潜むと噂されていたが、事実であった。
魔神。人の怒り、悲しみ、憎しみという感情を糧として生きるものを魔神と呼ぶ。
現世に住処を得た魔神達は世を乱し始める。人が草木を、魚を、鳥を、獣を殺し、食すように、魔神は人を、人の心を食す。
魔神たちの思い通りに世は変わり始める。
国中が戦乱に包まれた。
ある日のこと、太陽が二つに分かれた。黒い太陽と白い太陽。天の神が、闇の神と袂を分かったかのようだ、と人々は噂した。魔神達は、これを不吉の予兆と捉えた。もちろん、魔神たちにとっての不吉、だ。何処かに、魔神たちを倒すためだけに作られた、光の子が生まれようとしている。
その場所を突き止めた。ある豪族の子であった。魔神達は子供を殺そうと画策するも、光の子は、天の神に守られており、直接手を出すことはできない。
魔神達は考えた。光の子の親、侍に魔神達は語りかける。
おまえの子を我らに差し出せ。そうすればこの世を統べる力を与えてやろう。
世の乱れを憂いていた侍は、この誘惑に飛びついたのだった。
しばらくして、子が生まれた。侍は喜んだ。生まれるはずのない我が子が、妻の手の中で、元気に泣いているではないか。しかし、侍が子を抱き上げようとしたとき、異変が起こった。
俄かに空を、雲が覆った。不気味だ。侍達を取り囲むように、奇妙な光の球がいくつも現れ、赤子の中に入っていき、出てゆく。一つ出てゆくたびに、赤子の体が少しずつ、欠けていった。
変わり果てた我が子の姿を前にし、侍は何を思い立ったか、我が子を、妻が赤子のために用意していた着物でくるみ、盥(たらい)にいれた。必死に押し留める妻を振り切り、赤子の入った盥を抱えて馬で駆け出してゆく。しばらく走り、少し離れた川辺までたどり着くと、盥をそのまま川へ流してしまった。
情との決別だったのか。
侍は、後にあらゆる敵をなぎ倒し、踏み潰し、国を蹂躙する王となる。
子はどうなったのであろうか。
二
寿海は優秀な医者であった。大国へと留学し、その技術、知識を学ぶべしと、朝廷より仰せつかったこともある。その知識は医学に限らず、兵器、歴史、礼法、異国の風土など多岐に渡る。
鼻が大層大きく、子供の握りこぶしほどに膨らんでいる。少し鉤鼻である。若い頃に煩った病のせいだった。この鼻が、彼という存在をことさらに周囲に印象付けた。
寿海はその風貌ゆえに周囲の覚えよく、その才から、様々な権力に人生を翻弄された。
優れた人材が必要な時に決まって目をつけられる。
そういえばあの鼻の大きな、そう、寿海といったか、彼奴はどうだ、という具合だ。
自然様々な面倒事を引き受けるし、まるで庇護を受けているかのような扱いに、周囲から妬まれることもしばしばであった。
そのせいである、晩年は特に人を嫌った。
人里で生きることに常々煩わしさを感じていた寿海は、山奥へと隠居していた。ある日、川辺を散策し、薬草を探していた時のこと、上流から盥が流れてくる。気になり手繰り寄せた。
中には奇妙なものが入っていた。どうやら赤子のようだが、手も足も、目も耳も鼻も、おおよそ人であることを証拠付けるものがない。人間だろうか。
ひとしきり考えたが、放って置けば間違いなく死ぬ。家へ連れて帰る事にした。
寿海には妻も子もない。赤子の育て方などよく分からない。ましてここにいるのは生きていることさえ不思議な、果たして人かも疑わしい赤子だ。寿海は途方にくれた。その時耳元で声が聞こえた。
「何か食べたい、何か食べたい。」
その訴える声に、寿海は奇妙に思い辺りを見回すも、このあばら屋には自分と赤子の二人だけだ。ふと赤子の様子を伺うと、赤子は眼球のない、黒く落ち窪んだ目の部分をこちらへ向けていた。
「お前なのか。何か食べたいのか」
寿海が問いかける。
「そうだよ。何か食べたい」
驚いたが、赤子を死なせてはならない。寿海は粥を拵えることにした。
粥を冷まそうと、鉢に入れ、床に置くと、なぜそれが分かるのか、赤子が鉢へ向かい這いずってくる。
手も足もない体で、必死に這いずり、粥を啜ろうとする赤子の姿を見た時、かくも不便で小さな体の中に、強く生きようとする力を感じた寿海は、この奇妙な赤子を育てることを決心したのだった。
寿海はこの赤子を百鬼丸と名付けた。赤子に与えられたこの体、恐らく人の手によるものではあるまい。心無い鬼どもの仕業に違いない。ならば強く育ち、いずれは百の鬼を調伏し、己が運命を切り開くべし、と願を掛けた。
百鬼丸には先に述べたとおり不思議な力がある。それは、心を伝える事のみではなかった。
百鬼丸は少しづつ育っていったが、手足はない。寿海はせめてもの慰みにと、精巧な義手、義足、とおおよそ百鬼丸に足りない、人間の部分を作り、与えた。
すると人の形を得た百鬼丸は、よたよたとでは在るが、動き出す。寿海は驚いた。確かに手足に関節は入れてある、が何故動くのか。だが、それ以上に、不憫な我が子が、せめて人並みに生きる可能性を得た、その事に喜んだ。
始めは歩くことすら難しかったが、一月も経つうちに、百鬼丸は野原を駆け回るまでになった。百鬼丸は目が見えず、耳も聞こえない。しかし野原を駆け回る百鬼丸は、石をよけ、水の流れを感じ、風を読み、魚を、虫を、鳥を捕まえて遊んでいる。
つくづく奇妙な子供であると、寿海は思ったが、もはや我が子同然の百鬼丸を、不気味に思うような事は無く、彼を愛した。
三
百鬼丸が成長するにつれ、寿海の周りに奇妙なことが起こり始める。夜な夜な、妖怪どもが現れるようになった。始めは一匹だった妖怪も、いまや数え切れないほどになり、家中にひしめき合う。しかし手を出してくることは無かった。
どうやら、寿海の予感は正しかったようだ。百鬼丸と妖怪どもにはなにやら因縁がある。
百鬼丸が寿海に拾われ、十五度目の春を迎えたとき、寿海は百鬼丸に言った。
旅に出よ。
ただ一言、それだけだった。妖を呼び寄せる息子を邪険にしたわけでは決して無い。しかし聡い百鬼丸は全てを理解していた。自分がこのままここにいては父に迷惑がかかる。自分だけならまだしも、常に寿海の傍で彼を守るわけにはいかない。そしてそれは自分の体と何か関係しているはずだ。
百鬼丸は旅立つ事を決意する。
謎めいた確信がそこにあった。
当ては無い。
寿海は百鬼丸に最後の大手術を行った。彼の持てる全ての知識と業を詰め込んだ。
あらゆる武器を体中に仕込む。常に怪異に付きまとわれる我が子を思ってのみではない。人の世の為でもある。
寿海は泣きながら手術を終えた。百鬼丸が旅立てば、いつ戻ってくるかわからない。老い先短い我が身からすれば、これが今生の別れの可能性すらある。だがそれでよい。我が子には生きていて欲しい。元の体を取り戻して欲しい。彼には言ってはいないが、本当の親に会ってほしかった。
こうして百鬼丸は、旅に出た。
旅に出て十数日後、とあるお堂にて謎の声を聞く。
お前の体は四十八の魔神に奪われた。全ての魔神を倒せ。
この声は何か、それは些事でしかない。
魔神。
四
寿海がの元から離れ、しばらくして妖怪どもが百鬼丸に手を出すようになった。天の神の加護が解けたと、魔神たちは考えた。しかし、体を奪おうとも、百鬼丸は魔神を殺すために生まれた存在。魔神たちは慎重だった。手下の妖怪を嗾け、百鬼丸の様子を伺う。
百鬼丸は強かった。刀の振り方なぞ寿海は教えていない。寿海は荒事は苦手だ。にもかかわらず、赤子が、生れ落ちた時から泣き方を知るが如く、百鬼丸は刀の理を知っていた。
更にまずいことに、小出しに嗾けた妖怪どもを切り捨ててゆく百鬼丸は、戦いを学んでゆく。
そして百鬼丸が旅に出て二年が過ぎた。今や歳は十八を数える。倒した魔神は既に数体。その度に髪の毛、臓物のいくつかを取り戻したが、未だ四十を越える魔神が世に蠢いている。
俺はまだ人間じゃない。
様々な事があった。この呪われた、作り物の体は、常人には不気味に見える。何度も迫害された。
怯えた視線を浴びる度、石を投げられ、村から追い出される度に、百鬼丸は魔神への憎しみを強くしていった。しかし、その憎しみが強くなればなるほど、なまじ半端な体を取り戻した百鬼丸は歯噛みする思いであった。
魔神たちは隠れている。
魔神たちは百鬼丸を殺す力を蓄えるため、隠れ、彼の前に姿を顕そうとはしない。
虎視眈々と機会を待っているのであろう。魔神はいずこに。
人の理不尽な悲しみのある所に、魔神は必ずいるとは謎のお告げ。何の手がかりも無い今、百鬼丸はそれを信じる他ない。
とある噂を頼りに、今まさに悲劇の舞台となっている町へ向かっていた。ある日突然町の中央に壁を設けられ、二分されてしまった町だ。戦のせいである。今や破竹の勢い、天下に最も近いと噂される何某という武将と、それに対抗すべく数人の豪族が手を組んだ連合軍との争いだそうだ。
我が家に帰るため、親に会うため、如何なる理由があれ、壁を越えようとするものは殺された。皆戦に振り回されている。さぞかし無念であろう。ならばこそ魔神がいるやも知れぬ。
逸る心のままに、百鬼丸は山道を歩いていた。
ふと、前方に妙な気配がした。門、と呼ぶべきだろうか、何処かへ繋がる穴が、ぽっかりと空中に開いた。その向こうから、何かが、誰かが呼んでいる。
次の瞬間、体中の血液が沸騰したかのように、百鬼丸は興奮で震えだした。魔神の気配が穴の向こうからする。
見つけたぞ。
百鬼丸は腰の刀を抜き放つと穴へと飛び込んだ。