一
戦闘が予想されたので、コルベールは準備の時間が必要であろうと考えた。ルイズは何か取りに、自室に一度戻った。百鬼丸は私物が無いため自室に帰る理由が無い。 コルベールと共に彼の研究室とも呼べる、学院内の広場の隅に建った小屋を訪れた。何か、自分にも役に立つ武器があるかもしれないとのことだった。そこへ慌てた様子でやってきた使用人に服を渡された。彼が召還時身につけていた、シエスタに渡した着物だ。オスマンの配慮である。
恐らくシエスタによるものであろう修繕も既に終わっていた。ぼろぼろに破れた部分は同じ色の当て布がされ、本来その当て布にはない、彼の着物独特の錨の柄は丁寧に糸で刺繍されていた。シエスタには全く頭の下がる思いだ。。
着慣れた服の方が戦いやすい。丁度良かったと着替えれば着心地も申し分ない。
「ほう、こりゃあ」
使えるものは何かないかと小屋を散らかしながら漁るコルベール。
独り言のつもりだったのだが、応えてくれた。
「やはりそちらの方がしっくり来るようですね」
「着慣れてるからな、それに動きやすい」
実際、仕込み武器を使う場面になれば、先程まで着ていた、シャツとズボンは邪魔でしかない。 ふとコルベールが何に気付いたように百鬼丸を注視する。正確には身にまとった着物に。
「おや、固定化の魔法がかかっているようですね」
「へぇ、固定化ってのは?」
裾を摘んで繁々と探ってみる。言われてみれば確かに何かを感じる。
「簡単に言うと丈夫になるんです。剣ならば折れ難く、錆び難く。布であれば傷み難く、破れ難く、といったところです。しかし、相当な魔力が込められてますね。恐らくは学院長でしょうな。弓矢くらいなら通さないのでは?」
さすがに試すつもりは無い。だが案外あの老人にも良い所があるものだと感心した。後で礼を言わねばなるまい。勿論生きて帰ってきてからだ。そして
「シエスタにも、礼を言わないとな。良い仕事をしてくれた」
「ええ、必ず助けましょう」
支度は整った。
二
馬に乗ったままコルベールはルイズは隣り合い、少し後ろに百鬼丸が追っている。
魔神について、コルベールはルイズにかいつまんで説明していた。百鬼丸は口を挟まない。
恐らく聞こえているのだろうが、口を挟まないことを考えると、コルベールの説明というのは大方合っているのだろう。
ただ、魔神をルイズが召還した、と言う事実は伏せてある。どうせ気付くことであろうが、今そのことを彼女に伝えれば、いらぬ迷いと責任を感じるであろう。一時しのぎに過ぎないことはコルベールも承知している。百鬼丸と口裏を合わせては居なかったのは失敗だが、何を考えているのか、だが彼が無言であるのは幸いであった。
後で伝えておこう。
ルイズもルイズで今はシエスタを救うことしか頭にないのだろう。
なぜ今までその存在を聞いたことがないのか。
なぜそんなものに、異国から来た百鬼丸が立ち向かおうとしているのか。
本来聡明な彼女も、そういった疑問を抱くことなく、魔神という存在をすんなりと受け止めた。
「どういった姿なのですか?」
ルイズのその質問は当然のことである。
答えあぐねるコルベールは僅かに後ろを追いかけてくる百鬼丸に目をむけた。
「おれにも分からん」
「なによそれ?」
「わからんもんはわからん」
「……そう、」
無愛想にそう答える百鬼丸に一瞬コルベールは肝を冷やした。ルイズと百鬼丸が言い争っていた場面で、仲裁に入ったのはコルベールである。その諍いの理由も結果も知っているため、揉めるかと思いきや、そうでもなかった。 ルイズも百鬼丸もまるで互いに無関心を装っているかのようだ。 何とかしたいところでは有るが、今は面倒事さえ起こらなければそれでよい。
しばらく全員無言である。
空から三人を追うように、夜道を不気味に、二つの月が照らしている。
どれだけ進もうと突き放すことの出来ない二つの月は、まるで自分達がシエスタの元にたどり着けない、とあざ嗤っているかのように、ルイズの目に映る。
急激に不安感を覚えたルイズは思わず口にした。
「シエスタ……無事かしら」
「ええ、急ぎましょう」
「はい」
無事で居てほしい。そんな思いで駆ける。
またしばらくして、モット伯低まであと1リーグを切ったあたり。僅かに木々が生える林の中央にモット伯の屋敷は存在した。屋敷の明かりがはっきりと確認できるほどの距離で唐突に百鬼丸が止まれ、と叫んだ。
慌ててコルベールも馬を止める。ローブの中に用意したいくつかの武器が擦れて音を立てると共に、不満気に馬が嘶いた。ルイズもコルベールに倣い歩みを遅め、振り返る。 百鬼丸はすでに馬から降り、手近に合った木に手綱を結び付けている。
「どうしたのですか?」
「馬はここまでだ」
「何故です?もうすぐですぞ?」
百鬼丸は、腰に挿した刀の具合を確かめるように、帯を締め直している。
「出迎えだ」
そう言うと屋敷に向かって駆け出した。
あっという間にコルベールとルイズの間をすり抜けると、いつの間にそこにいたのか、からころと奇怪な音を立てる骸骨へと飛び掛る。
「なんとっ」
「な、なに、あれ」
切り捨てられた骸骨が血のような赤黒い霧となり消えてゆく。 更に三体ほど、剣や盾、斧など、各々武器を持った骸骨が現れたが、百鬼丸はそれらもものともせず、瞬く間に蹴散らした。 すべて同じように霧になって蒸発する。
何処から湧き出てきたのか。 そう考えていたコルベールは答えを見た。
揺ら揺らと青白く燃える、人の頭よりも小さい程の火の玉のようなものが屋敷の方からゆっくりと飛んできたかと思うと、突如速度を上げ、地面に向かって着陸する。
瞬間それが大きく燃え上がり、骸骨がそこに現れた。
今度は五体ほど。驚きはしたものの、コルベールも何時までもじっとしてはいない。
「ミス・ヴァリエール、そのままで」
そう伝えると馬から下りて駆け出しながら、杖から火を放ち、百鬼丸の隙をうかがうように回り込もうとしていた骸骨の一つを燃やす。
「よし、効きますな、ともう一体いきますっ」
「あ、あたしも、」
ルイズが動き出そうとした時には既に事は終わっていた。
「いやはや、まこと見事なものですな」
「雑魚だ」
学院長室での件と良い、何度見ても惚れ惚れするような剣捌きだ。切りかかられるとほぼ同時に、相手の腕を切り落としたかと思いきや、返す刀で胴を両断。済んだとばかりに振り向きざま、不意をつこうとしたのであろう相手を正中から一振り。更に横なぎに、相手の盾に触れるか触れないかの刹那で角度を変え、骨の隙間から真上に振り上げる。
攻撃に加わったため全てを目にすることが出来なかった事を、コルベールは不謹慎ながらも少し残念に思った。
しばらくじっと構えたままの百鬼丸が、やっと構えを解く。
ルイズは、余りの出来事と、二人の見事な戦いに、呆然としていた。
「グズグズするな」
その声に意識を取り戻したルイズは、すぐに馬を降り、百鬼丸が馬を繋いだあたりに。コルベールも自分の馬へ戻り同様に。
手綱を結びながら、多少悔しくも、突然の出来事だから今回は仕方ない、とただ呆然とする事しかできなかった自分をルイズは慰める。
-次はあたしだって-
そんな思いを抱きながら、結んだ手綱を更に、強く締めた。
ふと、彼女はおびえる様に鼻を鳴らす馬に気付いた。
怖いのかもしれない。 その一頭の首を、なだめるように撫でる。
「この子達、大丈夫かしら?」
「多分な。不安なら逃がしとくか?」
ぶっきら棒に返事をする百鬼丸。
「そうしましょ? 死んじゃったら……可哀想だもの」
躊躇いもなくそう答えたルイズに百鬼丸もコルベールも僅かに驚いた。
帰りの足も、それどころか逃げる手段すら失いかねないのだ。
止めようか、とコルベールは迷ったが、それよりも百鬼丸の判断の方が早かった。
返事をする事もなく繋がれた馬に近づくと三度、鮮やかに剣を振るい、手綱の結び目を切り落とす。
繋ぎとめるものの無くなった馬達ではあるが、一度背に乗せた者たちが心配なのであろうか。飼いならされているせいもあるのだろうが、なかなか動かない。
コルベールはまだ悩んでいた。今ならまだ間に合う。
しかし、今度はルイズが。
「あたし達は大丈夫だから、ほら、危ないわよ?」
ルイズを乗せてきた一頭が嘶く。
「大丈夫だから、ね。じゃあ、日が昇ったらまたここに戻ってきて、良いでしょ?」
そう言いながらまた首を撫でる。馬に人語が解せる筈は無いのだが、わかった、と言わんばかりに再び、今度は一際高く嘶くと、三頭はこれまで来た道を戻るかのように駆け出したのだ。
ほう、と百鬼丸は感心したような声を上げた。それを聞き、ルイズは少し自慢げに振り返る。が、百鬼丸は既に顔を逸らし、目を合わせない。
少しだけ落ち込んだ。
もっとも百鬼丸の行動の原因は自分であることは重々理解しているのだが。
今日一日、百鬼丸と会うことを恐れ、ルイズもまた部屋に篭り、悶々としていたのだ。ただ、素直に謝ることが出来なかった。
この国では平民であり、しかも己が召還したにも関わらず、彼女に従わない百鬼丸。彼に頭を下げる、というその行為は、まるで魔法を使えぬ己が貴族でない事を肯定してしまうかのように、馬鹿げていると分かっていながらも、ルイズはそれが出来なかった。
とコルベールが口をあけて固まっている。息が漏れようとしているのが分かる。何か飛び出るかと思いきや、その口から出たのはため息であった。
「あぁ」
「どうしたんですか?」
「どうしたと……、帰りはどうするのですか?」
「ですから、日が昇ったら来てくれるって」
「そんな、相手は馬ですぞ?」
「ちい姉さま……、あたしの姉、動物とお話出来るんです。 何でかって聞いたら、動物が好きだから分かるんだって」
「はぁ、それで、」
「その、あたし、馬、好きです、から、」
一応何をしたかの自覚はあるらしい。
「そうですか……」
「ほら、行くぞ」
時間が惜しいとばかりに百鬼丸が急かす。
仕方なさげに、やや早足の百鬼丸をコルベールが追い、ルイズもそれに続く。
用心深く歩きながら。
「逃げる時はどうするのですか?」
「え、と」
「走れば良いじゃないか」
なぜか百鬼丸が答えた。
「逃げなきゃ、なお良いな」
先を行く百鬼丸とコルベールを追いながら、ルイズは最早暗闇のせいで見えなくなったであろう、馬達の走り去った方へ振り返る。 予想通り、その姿を認めることは出来なかった。
見えるのは赤と青の、二つの月だけ。
しかし、先程迄ルイズを不気味に照らした二つの月は、今は後ろから優しく後押ししてくれているように感じた。